こころとからだのリテラシー(身体文化論)2025前期13抵抗編:身体の政治(ボディ・ポリティクス)
■これまでの流れ
13抵抗編:身体の政治
14表現編:メディアとしての身体
I. 「生のはじまり」をめぐる倫理
人工妊娠中絶
生殖補助医療
体外受精
代理出産(サロガシー)
出生前診断
ゲノム編集技術「デザイナーベイビー」問題
II. 「生の終わり」をめぐる倫理
安楽死・尊厳死
終末期医療(ターミナルケア)
死の定義
III. 医療研究と実践の倫理
インフォームド・コンセント
治験(臨床試験)における被験者の人権保護
守秘義務とプライバシー
医師・患者関係
IV. 正義と公衆衛生の倫理
医療資源の公正な配分
公衆衛生と個人の自由
障害と社会「社会モデル」
V. 先端技術と人間の未来をめぐる倫理
再生医療
クローン技術
この講義では「生の質」QOL概念を拡大して社会科学の知見を位置づける。
「生の質」を構成する要素
世界保健機関(WHO)によるQOL評価領域
個の環世界、私の意識体験、具体的な心的経験、生活世界、意味の世界、経験しつつある生。
→従順な身体、抵抗する身体。
特徴 | 従順な身体 (The Docile Body) | 抵抗する身体 (The Resistant Body) |
定義 | 権力によって訓練・規律づけられ、生産的で有用、かつ予測可能になった身体。 | 権力の規律に対し、拒否、逸脱、転覆、再定義といった形で抗う身体。 |
権力との関係 | 権力が作用し、その効果が刻み込まれる対象。 | 権力に抗い、その作用を暴き出す闘争の場(サイト)。 |
生まれる場所 | 学校、軍隊、工場、病院、刑務所といった規律訓練型の制度(装置)。 | デモ、ストライキ、芸術表現、サブカルチャー、日常的なサボタージュといった実践。 |
身体の状態 | 効率的、管理的、自己監視的、沈黙、透明。 | 非効率的、予測不能、表現的、主張、可視化。 |
規範との関係 | 社会規範を内面化し、無意識に再生産する。 | 社会規範を問い直し、その意味を読み替え、転覆させる。 |
キーワード | ミシェル・フーコー、規律権力、パノプティコン(一望監視装置)、正常化、訓練。 | 抗議、逸脱、パフォーマンス、パロディ、サボタージュ、自己決定。 |
具体例 | ・号令に従い一斉に行進する兵士 | ・ハンガーストライキを行う政治犯 ・デモで座り込み、道を占拠する人々 |
権利と尊厳を求める動き:差異の政治
マイノリティがマジョリティとの「差異」を肯定的に掲げ、権利を求めるアイデンティティ・ポリティクス。
マイノリティやこれまで周縁化されてきた人びとが、自らの経験を基に権利と尊厳を求める政治的な動き。→アイデンティティの政治
①当事者主権:自らの問題を他者に委ねず、当事者が主体となって決定するべきだという思想。この考え方が「アイデンティティの政治」の原動力となる。
②交差性(インターセクショナリティ):単一のアイデンティティ(例:女性)だけでなく、人種や階級、障害などが「交差」する地点に立つ人の固有の経験を重視する視点。単純な二元論を乗り越えようとする。
③アリーナとしての身体: 自らの身体が、抑圧や抵抗、アイデンティティの表現が行われる「闘技場(アリーナ)」であると捉える視点。「男/女」「健常者/障害者」といったカテゴリーが本当に「自然」なのか、その自明性を疑うことを促す。
現状維持と反発の動き
既存の秩序や価値観が揺らぐことへの反発や、特定の属性を持つ人々への嫌悪から生じる動き。
自らの経験や感覚(自然な感じ)を絶対視し、それを知的に問い直すことを放棄する。
バックラッシュとジェンダー・ポリティクス
①優生思想の復活:「優れた生」と「劣った生」を選別しようとする思想。これは、特定のアイデンティティを持つ人々(障害者、人種的マイノリティ等)を排除・差別するバックラッシュの最も過激な形態の一つ。
②フォビア(嫌悪感):特定の集団に対する非合理的な恐怖や嫌悪。バックラッシュの感情的な土台となる。「敵」イメージの創出。ホモフォビア(同性愛嫌悪)。もともと「恐怖」に由来する。
③モラルパニック/集合的沸騰:メディアなどを通じてフォビアが増幅され、社会全体が特定の集団を「脅威」と見なす集団的なパニック状態。
④滑りやすい坂道論:「同性婚を認めたら、次は近親婚や獣姦も認めろと言うだろう」というように、ある事象を認めると、なし崩し的に社会倫理が崩壊すると主張する論法。変化に反対する際によく用いられる。根拠の薄い因果関係や論理の飛躍に基づき、不安を煽ることで現状維持を図るためのレトリックとして機能。
■フェーズゼロ:国民国家の軍事化
そもそも──
国家が国民を創出し、統治し、動員するために、いかに能動的に「差異」を作り出し、利用してきたか。
①「国民」と「非国民/敵」という最大の差異の創出。近代国家、特に19世紀以降の国民国家は、徴兵制と総力戦を前提。
忠誠の対象の創出:「国家に命を捧げるべき忠実な国民」という理想像。これにより、その義務を果たせる者と果たせない者、そしてそもそも国民ではない者との間に、明確で絶対的な線引き(差異)が生まれた。
「我々国民」という想像の共同体の一体感を醸成。
②国民内部における「標準」の構築と「逸脱」の差異化
軍隊は、国民を均質化する巨大な装置であると同時に、国民を選別し、序列化する装置でもある。
「兵士として有用な身体」の理想化:徴兵検査に合格する「健康で強健な男性の身体」が、「標準的で価値ある国民の身体」として理想化。男性は「戦う性」、女性は「守られ、銃後を支える性」という性別役割分業が決定的に強化。
身体的な差異:徴兵検査に不合格となった男性、障害を持つ人々は、「一人前の国民」ではないという烙印を押された。優生思想。
民族的・文化的差異:「一国家一民族一言語」という理想の下、国内のマイノリティ民族は同化を強要されたり、「国民」としての忠誠心を疑われたりする対象となる。
③「均質化」と「差異化」の弁証法
軍事化する国民国家が行ったことは、一見すると国民を均質化するプロジェクトに見える。標準語教育、国民史の創設、徴兵による規律訓練などは、すべて多様な人々を一つの「国民」の型にはめ込もうとする試み。
国家が「理想の国民」像を掲げれば掲げるほど、その理想に合致しない人々は「問題」として可視化され、差異のレッテルを貼られ、管理や排除の対象となる。
「国民とは誰か」を定義し、その内外に境界線を引くことで、近代社会における最も根源的な差異(国民/非国民、男/女、健常者/障害者、主流民族/マイノリティ民族)を創り出し、政治的に管理・利用する巨大なシステム。
▼日本の場合、徴兵制がなくなって80年間、軍隊的規律訓練は高度経済成長期の企業によって受け継がれた(企業戦士)。しかし1991年のバブル崩壊以降、実態と合わなくなっている。中途半端な差別撤廃。どっちも不満。
■思考の枠組みと差別のメカニズム
①二元論の呪縛
世界を「私たち/彼ら」「正常/異常」「善/悪」といった単純な二項対立で捉える思考様式。この呪縛は、複雑な現実を無視させ、ステレオタイプやフォビアの温床となる。
三元論だと関係が3つになるから難しい。
②人間の測りまちがい
古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドが暴いた、知能や人種の優劣を「科学的」に測定しようとした歴史。これは「合理性」の名の下に行われる差別の典型であり、優生思想の科学的根拠がいかに脆弱であるかを示す。
③差別の具体的な作用
ステレオタイプ:特定の集団に対して単純化・固定化されたイメージを抱くこと。
有徴化:「標準(無徴)」と「逸脱(有徴)」の区別を作り出すこと。例えば、「医者」と聞くと無意識に男性を想起し、「女医」とわざわざ言う場合、「男性」が標準(無徴)で、「女性」が逸脱(有徴)として扱われている。
物象化:人格を持つ人間を、モノや客体として扱うこと。特に性的対象として女性の身体が扱われる文脈で多用される。
■なぜ人は特定のものを「汚れている」と感じ、タブー視するのか?
人類学者メアリー・ダグラス『汚穢と禁忌』
人びとの生理的感覚の説明。
身体は「社会の秩序の象徴」である。
「汚れ」とされるものは、身体という象徴的境界の侵犯を通じて社会的秩序を揺るがすものとみなされる。
①汚れ(dirt)とは「場違いなもの(matter out of place)」である。ある場所では清浄とされる物も、別の文脈では「汚れ」になる。地面にある土は普通だが、テーブルにある土は「汚れ」。
②汚れは、社会が定めた「境界」を侵犯するものを象徴する。「境界」を侵犯することで、「社会の秩序」が危険に晒されると感じられる。例:食べ物のタブー、死体への忌避感、体液の扱い方。
③汚れを嫌悪する感覚は、社会秩序を守る「象徴的な防衛反応」である。汚れを避けることで、社会的な秩序を維持しようとしている。
④嫌悪感や汚れの概念が文化的・社会的に「構築された」ものだと理解することが重要。
■記号としての身体
シニフィアンとしての身体、シニフィエの恣意性
記号論の視点。
身体を記号とみなすと、どんなことが言えるか。
①シニフィアン(記号表現): 感覚できる「かたち」。ここでは「身体」そのもの(肌の色、骨格、性器、身振りなど)。
②シニフィエ(記号内容): それによって示される概念や意味。例えば「男らしさ」「女らしさ」「健康」「若さ」「人種」など。
このシニフィアン(身体)とシニフィエ(意味)の結びつきは、決して本質的・自然なものではなく、社会や文化によって恣意的に決められた「約束事」にすぎない。
↓
①「自然」という神話が解体される
私たちが「生物学的に自然だ」と感じている身体の特徴や、そこから連想する意味は、実は社会的に構築されたものである。
②ジェンダー:「男らしい筋肉質な身体」や「女らしいしなやかな仕草」は、生まれつきのものではない。社会が作り上げた「理想の男性像/女性像」という記号を、私たちが日々の行為(パフォーマンス)を通じて身体に刻み込み、演じている(引用している)にすぎない。
③人種:肌の色や顔の造形(シニフィアン)に、「優劣」「知性」「性格」(シニフィエ)を結びつけることに本質的な根拠はない。これは、特定の社会が歴史の中で作り上げてきた、恣意的で暴力的な記号のシステム(=人種差別)である。
④健康と障害:「健康な身体」が「正常で価値あるもの」とされ、「障害のある身体」が「不完全で劣ったもの」とされるのも、その社会が持つ生産性や規範に基づいた意味づけにすぎない。時代や文化が違えば「健康」の定義も変わる。
■身体は、常に他者に「読まれる」メディアである
私たちの身体は、本人の意図とは無関係に、常に他者から特定の意味を「読み取られる」社会的なメディア(媒体)である。
①ファッションとアイデンティティ:服装、髪型、メイク、タトゥーは、その人の所属集団、社会的地位、趣味嗜好、時には政治的信条を示す記号として、他者に絶えず解読されている。私たちは身体というキャンバスに記号を描き、自己を表現する。
②ルッキズム(外見至上主義):顔の美醜やスタイルの良し悪しといった身体的特徴が、その人の能力や人格、内面性を判断する記号として(しばしば無意識に)読み取られてしまう。身体記号の解読が不当な評価や差別につながる。
③無意識のラベリング:私たちは他者の身体を見て、瞬時に「あの人は〇〇だろう」と判断する。その人の性別、年齢、国籍、職業などを、身体という記号から推測し、ステレオタイプなイメージを当てはめる。
■境界線の政治学
身体は、社会規範と抵抗の「闘技場(アリーナ)」である
身体は、社会的な規範や権力が一方的に刻み込まれる受動的な場であると同時に、その規範に抵抗し、新しい意味を創造するための能動的な表現の場ともなりえる。
①規範の内面化:「正しい姿勢」「行儀の良い食べ方」「男らしい/女らしい振る舞い」など、私たちは幼い頃からのしつけ(規律訓練)を通じて、社会が求める規範を身体のレベルで無意識に内面化する。
②抵抗の記号としての身体:パンクファッションや過激なヘアスタイルは、主流文化への抵抗や反発を示す記号として機能する。LGBTQ+のプライドパレードは、これまで不可視化されたり、病理的なものとされてきたりした身体を、あえて公の場に「可視化」し、それを「誇り(プライド)」の記号として再定義する、きわめて政治的な実践である。デモにおける座り込みやハンガーストライキは、身体そのものを政治的な抵抗メッセージを発する最も強力な記号として用いる行為。
「身体を記号とみなす」という視点は、身体を単なる生物学的な肉体としてではなく、社会的な意味が絶えず生成され、権力が作用し、そして個人がアイデンティティを表現し闘う、きわめて政治的で文化的な「場」として捉え直す。
→共生の作法
オルテガ
「私は私と私の環境(状況)であり、もし私がその環境を救わないなら、私も救われない。」
環境とは生存の条件。
自分を取り巻く環境(状況)に対して、その意味を理解し、秩序を与え、自分の使命(やるべきこと)を見つけ出すという、知的な営み。
自分を取り巻く環境(状況)に対して、その意味を理解し、秩序を与え、自分の使命(やるべきこと)を見つけ出すという、知的な営み。
自分に与えられた固有の環境と真摯に向き合い、その中で自分だけの「なすべきこと(使命)」を見つけ出し、それを引き受けて生きること。それによって初めて、「環境」は意味のあるものとして救われ、同時に「私」というプロジェクトも実現され、救われる。
テリー・イーグルトン『アフター・セオリー』より
「人間は世界を解釈するが、動物はそれをしないというのではない。現実に対する感覚的反応とは、現実の解釈にほかならない。カブトムシも猿も明らかに世界を解釈するし、自分の見たものを土台として行動する。われわれの感覚とはそれ自体が解釈の器官なのである。人間と仲間の動物の違いは、人間がこうした感覚による解釈をさらに解釈できる点にある。その意味で、人間の言語はすべてメタ言語である。それは肉体の「言語」、感覚器官が捉えたものを、二次的に振り返るものなのだ。」
次回は最終回
「表現編:メディアとしての身体」




