こころとからだのリテラシー(身体文化論)2025前期02知の理論:知識の枠組みについて考える

知の理論:知識の枠組みについて考える

国際バカロレア「知の理論」TOK(大学入試用プログラム=高校生レベル)

Z会編集部編、ウェンディ・ヘイドン、スーザン・ジェスダーソン著『TOK(知の理論)を解読する』2016

知識とは正当化された真なる信念である。
(プラトン)

私なりに言い換えると:

十分な根拠があって納得できるので信じられる事柄。

それなりの整合性があって集団内で共有されている事柄。

個人的な知識もある。


「知の理論」では知識の枠組みを8つにまとめている。

  • 数学的知識の枠組み

    数学の命題は確実だが現実とは無関係。現実と関係があるかぎりは不確実。

    数を数える。量の測定。幾何学。応用数学(工学・物理学)。数学的証明。公理の前提。論理学。数学的想像。無限大とは何か。

  • 科学的知識の枠組み

    経験的方法(観測や実験)を用いて仮説を立証する。単純性の原理(オッカムの剃刀)。説明と予測。再現性。

  • 人間科学の知識の枠組み

    そもそも科学なのか。ここで指定されたいるのは社会科学全体と心理学。大規模観察、ケーススタディ、参加観察、アンケート調査、統計分析、思考実験などの方法を駆使する。

  • 歴史の知識の枠組み

    客観的な歴史はある、いや主観的な解釈もある。ホロコースト、南京大虐殺、関東大震災時の朝鮮人虐殺など。一次資料、二次資料。後知恵バイアス「なになになのはわかっていたはずなのに」。歴史のパターン。因果関係。歴史にIFはありえるか。

  • 芸術の知識の枠組み

    音楽、美術、文芸、演劇、映画、舞踏など。それぞれに固有の言語や様式があって、それを駆使して作品が制作される。また、それを鑑賞するリテラシーがオーディエンスの側にある。スポーツも同様。

  • 倫理の知識の枠組み

    善と悪の判断はどこから出てくるのか。倫理的相対主義。理性によるのか感情によるのか。たとえば復讐。あるいは信仰によるのか伝統によるのか。地球環境問題。

  • 宗教的知識の枠組み

    「イエス・キリストは神の子である」宗教固有の宗教言語がある。教理。何から生じるか(宗教の源泉)。神秘体験を含む直接的啓示(モーセの十戒、ムハンマドのコーランの啓示)、間接的啓示(他者が受けた特別な啓示の記録)、奇跡、宗教的権威、伝統(信仰共同体の記憶)など。信仰。

  • 土着の知識の枠組み

    先住民族の知恵。特定の環境に応じた共同体存続のための知識。現地語によって知覚される世界。信仰。代替医療。

私の感想。知識には妥当性領域がある。共有されたり通用するエリアがある。ある時ある場所で妥当する優先的な知識がある。ときにはバッティングする。知識間の闘争。漢方薬の場合。

知識を構成するのは、言語、理性、感情、信仰、記憶、知覚、直観、想像。これらの組み合わせ。ニュートンのりんご。山神様の怒り。必ず当たる雨乞いの儀式。

■補足:科学の手続き(ウォルター・ワロス『科学論理の社会学』より)

①観察:測定・サンプルの要約化・母数の推定
②経験的一般化:概念形成・命題形成・命題配列・理論
③理論:論理的演繹・仮説・解釈・道具化・尺度化・サンプリング
④仮説検証:仮説を採択するか棄却するかという決定・論理的推論・理論
⑤理論の構造:説明的予測的戦略・範囲・抽象性のレベル・簡潔性・言語

■例題:きき手研究(右手の優越)

サンプル(1969ウッドストックのジミヘン)


■神経心理学では?

ラテラリティ(左右脳の働きのちがい研究)
左脳:文字・文章の読み・文法の処理
右脳:画像・顔・方向・時間などの処理
ただし相対的なもの。

極端な英才児には左ききが多い。スポーツ選手や音楽家は?





■人類学では? エルツ「右手の優越」

大脳が左ききなので右ききなのか、

右ききだから大脳が左ききなのか。

解剖学的な問題ではなく道徳的な問題。

宗教的両極性」

「右手の優越は、強いられ、しかも制裁のともなう強制的なものである。これに対して左手は禁じられ、麻痺させられる。したがって、われわれの身体の両側の間に存在するこのような価値と機能の違いは、ひとつの社会制度の性格をきわめて強く表わしているのである。だからこの問題を説明しようとする研究は社会学に含まれることになる。もっと正確にいえば、それはなかば美的な、なかば道徳的な要請の起源をさぐることである。われわれの行動を今でも支配している世俗化された理念は、神秘的な形において、信仰や宗教的感情の領域において生まれ発達したのである。したがって、右手が優先されることの説明は、集合表象の比較研究の中に求めなければならない。」

→未開民族の精神的世界を支配しているのは聖なるものと俗なるものとの対立である。聖俗二元論。

「宇宙のあらゆるものは二つのあい反する世界に分かれる。 両者が二つの極の重力のいずれかの方向に引かれるに応じて、いろいろな事物、存在、力はたがいにひっぱり、押しあい、あるいはたがいに引きこみ、また排除しあうのである。

生命を保ち、殖やす力は、健康、社会的優越、戦闘のさいの勇気、仕事の優秀さを生み出す。そのすべての力は聖なる原理に宿っている。これに対し、俗なるものは(それは神聖な世界を侵害するかぎりにおいて)、不浄なものとともに、本質的に、弱らせ、死に至らしめるものである。人びとを圧迫し、すり減らし、傷つける悪い影響力も、俗と不浄の側に由来する。このように、一方において、強、善、生命などの極があり、他方において、弱、悪、死などの極がある。あるいは、現代の用語によれば、一方に神々が、他方に悪魔が存在するといえる。

自然が示すあらゆる対立は、この根元的な二元論を表わしている。光明と暗黒、昼と夜、東・南と西・北とは、超自然的な力の二つの対立する種類を、観念で表わし、空間に位置づける。」

象徴的二元論。


ホモ・デュプレクス(二側的存在)右と左と両方あっての人間。

■デザイン論では?

これは左きき差別?(右きき標準による)近代資本主義による同一規格の大量生産(規模の経済)

ユニバーサルデザイン

ロン・メイスの7原則

左ききの専門店

インクルーシブ・デザインへ

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