情報メディア問題入門2021後期13コミュニケーションとは何か投稿集

情報メディア問題入門2021後期13コミュニケーションとは何か

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今日はコミュニケーションが複数のレイヤー(層)で同時進行していることを学びました。この知識をもとにして、これまでの人生で最大の誤解体験について詳細に説明して下さい。つまり自分が誤解されたというケースのことです。詳細な分析であればあるほど高く評価します。500字以上3000字以下。締切は12/26午後11時30分。



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私のアルバイト先の塾では、新型コロナウイルスが流行した初期段階から、zoomを使った遠隔授業をサービスとして提供し始めました。特に小学生相手だと、距離的に隔ったっていることもありやる気にさせること自体難しかったですが、画面越しであることに加えマスクをつけていたせいで思うようなニュアンスでコミュニケーションが取れず苦労しました。春先に小学6年生になった中学受験を目指している生徒に、「あと少ししか受験まで時間がないから、家での時間の使い方を見直そう」と言ったことを伝えたところ、その生徒の保護者から「うちの子が先生のことを怖がっている」と言われてしまったことがありました。今思い返せば、自分自身zoomで授業することに慣れていなかったせいだとわかるのですが、当時は理由がわからず、そんなつもりも全くなかったためどうしようかとひどく悩んでしまいました。こうなってしまった理由を今回の授業の内容から考えてみると、「ネットワークを介したコミュニケーション」を行うにあたり、それ以前のレイヤーである「身振り会話」や「表情」といったいった、基礎的なコミュニケーション手法が蔑ろになってしまったためだと考えられます。iPadを用いて、校舎内のさほど性能の良くないルーターを介してのWi-Fi通信だったこともあり、画質や音質もよくありませんでしたし、何より対面でのコミュニケーションしかほとんど経験のない小学生の生徒からすれば、新しく担当になった得体の知れない先生が画面越しという非現実的な位置から表情もわからぬまま語りかけてくるというのは、対話を試みるファーストコンタクトとしてはかなり厳しいものだったと思います。それに加えて、私自身の経験不足も相まって、それまでの対面形式であれば生徒側にも伝わるであろう程度のボディランゲージしか用いなかったうえ、画面から私が見切れていることもしばしばあったために、客観的に見れば「よく知らない先生がzoomの画面越し機械的に厳しいことを言っている」というような状況が出来上がってしまっていました。 コミュニケーションが複数のレイヤーで同時進行的に生じているという事実と、進行するレイヤーが増えたときには、各レイヤーごとに相互補助するような形でコミュニケーションが測れているか気を配らなければいけないということに気付かされた出来事だったのだなと今更ながら気付かされました。

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私が、人生で最大だと感じる誤解体験は中学2年生の頃に友人と遊びに行く時の話し合いの中で起こりました。その頃私は、携帯を初めて持ち始め毎日のようにラインをしていました。ある時に、中の良い友人とのグループラインで週末にどこかに遊びにいく話になりました。そこで話が進んでいく中で、私がグループに何で来るの?と送信しました。すると、ある友人は怒ってしまいました。今でこそ、理由はわかるのですがその頃は何が何だか分かりませんでした。話を聞くと、その友人は私が送ったメッセージに対してなぜこの遊びに参加するのかというふうに捉えてしまいました。私自身はその集合場所までどのような交通手段を利用してくるのかと聞いただけだったのですが、その友人は違う捉え方をしてしまっていました。その後、実際に直接話していそういう意図で言ったのではないと話、理解してもらったのですが、自分自身もそう言った点に気をつけてメッセージを送信すればよかったと反省しました。それから、ラインやメールを利用するときは、相手に伝えたい事を明確に誤解などを招かないように考えてから送信するようにしています。実際に、生活していく中でこう言ったことでトラブルになってしまっている友人などを見かけたことがあります。こう言った点が、日本語の難しいところだと感じました。

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コミュニケーションは受取り手によって情報が判断されてしまうため、受取手にコミュニケーションの事実の主導権があるということを今回の授業で学びました。 私が経験した誤解体験の中で最大のものはアルバイト先での在庫確認の際に起きたことです。その日の食品売り場での営業が終了し、レジ閉めを済ませたあと、私は店長にその日の余った在庫と容器の数をメモと口頭で報告しその日の業務を終えました。しかし次の日にバイト先にいてみると昨日報告した数字と実際の在庫の数が合っていないとお叱りを受けました。不思議に思った私はもう一度全て数え直して見ました。しかし昨日の数字とは全く変化がありません。そのことを店長に確認して見たところ、どうやら昨日私の書いたメモ書きを店長は読み違え、その上口頭での報告もあまり注意して聞いていなかったとのことでした。 結果的に大きな問題にはならなかったものの、情報の受け取り手の誤解によってこの体験のようなことが起こったのだと思います。今回の講義内容からこのことを分析すると、この体験ではレイヤー構造の1〜3の相互作用の中で誤解が発生したもので、特に話しことばと文字を媒介にしたコミュニケーションであったため、メディアを介した文字言語や音声言語よりもシチュエーションは限定的で受け取り手の判断によって情報を誤解しやすいと考えました。情報を正確に事実として相手に伝える場合、受け取り手を意識した方法でコミュニケーションを伝える必要があります。今回は手書きであるために起こった数字の見間違えが大きな要因であるので、大きくはっきりとした文字を心がけることやメディア技術を利用した情報管理によって対策が可能であると考えました。

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私が体験した誤解体験として、ゼミ生徒Aとの会話の際に起きました。ゼミ生徒Aは私に好きなアーティストは誰だと聞いてきました。その際に私が答えたのはとあるオルタナティブロックのバンドなのですがマニアックなもので相手がそのオルタナティブバンドを知らないため、知らないとゼミ生徒Aは言いました。そのオルタナティブバンドはBISHのというアイドルグループのメンバーの方がソロ名義で行っているバンドのギターを担当している方がオルタナティブバンドのメンバーの一人であるため、この話をすればある程度有名なアイドルグループであるため相手が理解してくれるかもまたはどういった活動をしているかを伝えるために話しましたが、ゼミ生徒Aは「あなたはアイドルが好きなんだな意外。」予想していた返答とは違うものが来て私をアイドルが好きな人と認識されるという誤解がありました。あらかじめ言いますがアイドルが好きな人を馬鹿にしているのではなく自分が想定していたものとは違う回答が来て誤解されているという驚きであることはご了承ください。私なりにゼミ生徒Aが私をアイドルの好きな人と認識した分析として、私はこういった活動もしていると伝え相手に伝え知ってもらおうと思い相手が知っていいそうな話題を出してオルタナティブバンドを理解してもらおうという意図で話しました。しかしゼミ生徒Aにとってはオルタナティブバンドの話題に突然BISHというアイドルグループの名前が出てきたため私がアイドルも観ているから知っているのだと理解したため私をアイドルが好きな人と認識し誤解されたと分析します。

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自分が誤解されたことのある例として、私はある女性と付き合っていると誤解されたことがあります。その女の子は家が近く比較的に愛想も良くて人気のある女性だったのですが、家が近いというだけで親しい私は高校生のころまで、他方面からできていると思われていました。当時何人かの他の女性とお付き合いさせていただきましたが、そのほとんどの女性が実は彼女のことが好きなのではないかと勝手な誤解をされてしまうことが多く上手くいかないこともありました。なぜそうなってしまったのか、それは幼い頃からの感覚で友人関係を築いているため、何かと仲の良いような節が見えたり、気兼ねなく接することができる、またお互い気を遣っていない様子が他の人から見ても感じ取れることで、他方面からの誤解を招いてしまったのだと感じました。他の女性とお付き合いしてもやはり気は遣いますが、彼女に対してはあまりにも長い付き合いが故にそこまでの気遣いがなく、気兼ねなく一緒にいれるため私も彼女と一緒に帰ることを提案したりしていましたし、このような行動は周りから見ると私たちができているように見えてしまうのも仕方がないのかと考えました。しかし、だとしても私の彼女に対する扱いは女性に対する扱いとは程遠いものと感じ直すことはありませんでしたが、今思うとそれも熟年夫婦のような雰囲気であり、周りから見ればおいしいネタであったと言わざるをえません。

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私のこれまでの人生で最大の誤解体験は、中学校1年生の時に髪の毛を坊主にした時のことです。私は、今までの人生で一度も坊主にしたことがありませんでした。私が坊主になった経緯を説明すると、小学校1年生からサッカーを習っており、中学校では学校の部活動に入らず、自分の行きたいと思っていたクラブチームに入団しました。私は、このクラブチームに入団するために毎日必死に努力を重ねてきました。しかし、クラブチームに入団という目標を達成して満足してしまい、中学校に入学してからの半年間をダラダラと過ごしてしまっていました。そんな自分に嫌気が差して、心機一転しようと髪の毛を坊主に丸めました。次の日、それを見た学校の先生や友達、クラブチームのコーチ陣、保護者などに、「何か悪いことでもした?」「誰かにいじめられた?」と誤解をされました。その後、事情を聞いてくる大勢の人に1人ずつ説明するのはとても面倒でしたが、何とか全員に事情を説明し、誤解を解きました。この誤解体験を分析すると、日本では「坊主にすること=責任をとる、悪いことをする、された」という意味合いがあるのだと感じました。また、誰にも予告せずに突然、坊主にしたことで、この意味合いの度合いがさらに強くなったのだと感じました。また、「この人は〇〇しないだろう」という勝手な思い込みが、誤解を招く最大の原因であると感じました。そのような思い込みが、自分の中での妄想を膨らませ、さらに共感を得るために他人に伝えるという行動に繋がるのではないかと思いました。正直、坊主にしたら皆にからかわれると思っていたので、まさか心配されるとは思っていなかったのでとても驚きました。しかし、SNSで坊主にした理由を聞かれた時は、自分の説明不足から、心配が膨らんでしまうことがありました。この時、SNSを含むメディアでのコミュニケーションの難しさ、複雑さを学びました。逆に、坊主にして良かった点もありました。坊主にしたことで、普段話さないような友達が話しかけてくれて、そこでコミュニケーションが生まれました。坊主にして無視や沈黙をされずに、会話のネタとして役に立つことができたことは、私にとってはとても好都合なことでした。

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 これまでの人生で最大の誤解体験は、私は、相手に謙遜のつもりで『〜がいいです。』ではなく、『〜でいいです。』とつい言ってしまう癖があります。友人とご飯にいった時、何食べたいかと聞かれ、いつも「何でもいい」だとか、友人に「何々がオススメだよ」とすすめられる時、「それでいいよ」と言ってしまいます。  自分の発言の真意が相手になかなか伝わらないという状況は、なぜ起こり得るのでしょうか。その理由のひとつとして、会話中の言葉の意味について、自分と相手との間で認識の擦り合わせができていないということが挙げられます。相手に「飲み物は何にしますか?」と聞かれたとき、あなたが「お茶がいいです」と答えた場合と、「お茶でいいです」と答えた場合とでは、相手が受け取る印象は異なるはずです。自分は謙遜のつもりで「お茶でいいです」と言っていても、相手は「特に飲みたいものがなかったから、お茶でもいいか」という意味で返事をされたように感じるかもしれません。  このように、たいていの場合は人によって物事の認識が異なっているものです。しかし、会話において互いの認識が異なったまま話を進めていると、次第に話が噛み合わなくなってきてしまいます。自分の解釈が正しいと思い込んでいると相手にそれを押し付ける形になるため、コミュニケーションが独りよがりなものになってしまうのです。お茶でいいのか、お茶がいいのか、といったささいなことですらコミュニケーションはすれ違うのですから、ビジネスなどにおける重要な場面ではなおさら注意が必要です。  また、他人とコミュニケーションを取る際には、自分のことばかり考えるのではなく相手の心情も慮るべきであると言えます。なぜならば、会話において、言葉によって表面化した情報は、実際に話し手が考えていることや事実よりも、省略されたり欠落したりしている場合が多くあるからです。例えば「昨日、職場で上司に怒られてとても腹が立った」という話を友人から聞いたとします。その友人に、どんな言葉を返すべきなのか。もし、「腹は立つかもしれないけれど、上司を怒らせたあなたにも責任がある」と一方的に言ってしまうのなら問題です。「友人が何かミスをしたのなら、上司が叱るのは当たり前だ」と思う方もいるかもしれません。しかし咎められるようなことは何もなく、ただ上司の機嫌が悪かったがために理不尽に怒られたという可能性も考えられます。友人の言葉だけでは、上司に叱られた背景までは分からないのです。そのようなときは、「それは大変だったね、なぜ上司はあなたに怒ったの?」などとより具体的な状況を尋ねてみることが大事です。自分と相手の解釈を擦り合わせていけば、誤解を防ぐことができ、相手の気持ちに寄り添った適切な言葉をかけることがきっとできるはずです。

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 私は、生きてきた中で特筆するような誤解体験というものは未だ経験したことがありません。しかし、私はよく「お前、怒ってるの?」と勘違いされることが多く、そういう意味では私が頻繁に誤解される、或いは誤解を招いているケースだと思いました。  私は基本的には話すことに苦手意識というものはありませんが、確かに家族や友人と話すときには口数は少ない方なのではないかと思います。しかし当然私は常にストレスを感じイライラしているという事はなく単に誤解を与えているだけで自分自身は楽しく会話しているというケースがほとんどです。それなのになぜ怒っているような印象を与えてしまうのかを授業中に紹介して頂いたコミュニケーションの階層構造に基づいて分析したいと思います。まず1.身振りを媒介にした相互作用という点を振り返ってみると私は基本的に身振り手振りを用いたコミュニケーションを行いません。例えばお笑い芸人の方が話をするときにジェスチャーを交えて状況を分かり易く伝えようとしている事を考えていると少々非協力的な印象があると受け取る事も出来ます。またノンバーバルコミュニケーションという事を考慮した時に私が致命的だと考えたのは私はあまり表情に移り変わりがないという点です。特に意識している訳ではありませんが振り返ってみると出会う方々に「表情が堅いね」などと言われた記憶があり、その都度そんなことないだろうと心の中で反論していました。しかしコミュニケーションの事実という視点を見ると上手に笑顔を作ったりなど表情でのリアクションが出来ていなかったのではないかと思いました。このような事を振り返ると少なくとも親しみやすく朗らかな印象を与えているとは考える事は出来ません。2.話し言葉を媒介にした相互作用、私は人と話すときは意図的に少し声を小さくしようとしています。私は元々が人より声が大きく、意識せずに喋ると少々目立ってしまうからです。これは私の中ではしょうがない事という受け止め方をしているのですが問題は私の地声が低いという事にあります。低い声を小さく発しようと思うと音がつぶれて非常に聞き取りづらくなるという問題が発生します。もちろんなるべくハッキリと発生しようと努めてはいますが、それでも何を言ってるのかと聞き返されることは多く、この点もコミュニケーションが上手くいかない要素の一つではないかと考えています。その為私はなるべくたくさん喋らなくても良いように短い言葉で簡潔に用事を伝えようとしています。ここが口数が少ないというところに繋がり、身振り手振りの欠如と相まって相手にしてみれば威圧的な態度に思えてしまうのに加え、声量を落としたり声が低いことは私の身体的特徴なのである程度は仕方ないと考える事は出来ますが先に挙げた特徴からはテンションが低いと受け取られやすく「楽しそうではない」というネガティブな印象を抱かれるのが必至だったのではないかと考えました。3.文字を媒介にした相互作用と4.メディア技術を媒介にした相互作用の共通の問題として、例えば友人や家族とメールやチャットなど文章でやり取りをする場合、これも意識して書き言葉で端的にやり取りをするようにしています。これは私が何も意識しないと冗長で要点が分かりづらい文章になってしまいがちであるのでそれを防止する意味があり、円滑なコミュニケーションを図るために行っていましたが、振り返ってコミュニケーションの事実を考えると事務的なやり取りにも思えます。また、よりやり取りが頻繁になるLINEなどに限って考えてみると相手と私の文章のテンションに差があったとも見受ける事が出来ました。例えば相手が「○○のラーメンは超ウマかった!今度食いに行こうぜ!」と連絡をくれたら私は「了解。直近だと××日が空いてる。」というようなやり取りの履歴がありました。私視点からの弁明をすると相手が余計なやり取りをするのを嫌がるであろうと考え早急に話を完結させようという配慮の気持ちから送った文章だったのではないかと思います。しかし同じ様にコミュニケーションの事実を見る為にこのやり取りを俯瞰してみると、相手はラーメンの美味しさを共有したくて連絡をしたのに私はいかにも興味がないかのようにそっ気のない返事をしてしまっています。この様なコミュニケーションを取っていたのでは怒っていると思われるのも当然のように思えます。  もちろん私が行う全てのコミュニケーションがこのような風だというわけではなく楽しく会話する事も多いのですが、初めて会話する相手に上のような態度を取れば怒っていると思われるのは当然であり言葉にして私に伝えてくれるのはまだ親切で、場合によってはネガティブな印象を与えたまま「あの人とはもう話したくない」と思われる事も多かったのではないかと分析をしてみて今更心配になっています。授業最後にあったように、私は善意であったとはいえ私の都合でコミュニケーションの取り方を一方的に決めてそれを相手に押し付けているという形になってしまっていた事が今回の課題で分かりました。私のコミュニケーションは改善が必要であるという事はもちろん、自分で分析してみて改めて同じコミュニケーションでもいくつもの要素で成り立っていると考えたら反対にそれらの操り方次第で多様な伝え方という事が実現できるなとも考えました。早速本日から全てのコミュニケーションにこれらの階層を意識する方法を取り入れてみようと考えました。

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コミュニケーションは相互作用であり、言葉という媒体だけではなく、顔の表情や雰囲気、声のトーンなどから相手に伝えていることを学びました。その中で私が言葉だけではコミュニケーションが成り立たないと実際に感じた出来事があります。それは、私が高校生の時の話で、文化祭の司会を一緒にやろうと話している友達がすでにいた時に、その友達と仲の良いほかの子がLINEで一緒に司会をしようと提案してきたため、3人で一緒に行うと勝手に思い込み、OKしてしまいました。しかし、結局は私が2人と同じ約束をしている状態になっており、そのことを知るのはずいぶん後になってからでした。その間最初に約束していた友達は、私が裏切ったと思っていたのか急に話をしなくなってしまいました。私は急に避けられたと感じたため、怒りを覚えました。しかし、後になって真実に気が付いたとき、私はそれぞれに直接確認しなかったことを後悔しました。後悔した内容は、LINE上では、文字に起こす時間があることから、詳しく話をすることが難しいこと、それを放置してしまったがために、誤解が重なっていしまったことです。人は相手が存在するからこそコミュニケーションを行うのであり、その相手の顔の表情や声のトーンを読み取れないSNSは慎重に使う心に決めた出来事でした。

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私の体験としてよく誤解されることがあります。それは「返事」です。まず、どうしてわかったのかというと周りの人の反応や、相手に指摘されたからであります。指摘される人物は、友達、アルバイト先の少し仲のいい人だったりします。よく物事を頼まれたり、「この内容わかってる?」などの質問をされた時に私の返事で「OK!」や、「わかりました!」などと返す。文面だけで見る何不自由なくコミュニケーションがとれているかと見れます。しかし、この返事をした後に「ほんとにわかってる?」などといった確認の質問が何度も投げかけられます。「いやいや、ちゃんとわかってるよ!(ますよ!)」といつも返します。なんでそんな確認をするのか訪ねてみると、なんかから返事っぽいと言われます。実際、私自身頼まれた物事、内容はしっかりと理解していますし、ミスもほとんどしません。今、書いている途中似た誤解体験を思い出したので記しますが、高校での部活動中、私自身真面目に取り組むタイプなので、真剣に声も出し、練習にも真摯に取り組んでいたのですが、監督、コーチに「ノリが軽いんじゃ!」と怒鳴られたことがあります。しかも別日にです。このことでわりと悩みました。一度自分の返事についてしっかり考えたことがあります。私の考えだと、返事のテンポが速い、何度も相づちを会話中に打つ、返事の回数が多いという結論になりました。私の性格上、相手が何を話しているのかを先読みしてしまう特性があります。それがマイナスとなり、相手に不信感を抱かせてしまいました。後は私のもつ雰囲気も関係しているとも考えます。客観的にみるととっつき易そうな優しそうな、陽気的な雰囲気があると思っています。その雰囲気も関係しているのかなと思います。これが私の「誤解体験」です。

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私が人生で最大に自分が誤解された体験は小学生の頃に4・5・6年生で学年ごちゃまぜ、クラス対抗のサッカーの球技大会みたいなものがあり、クラス代表を決めるときに私自身のことを誤解された体験が人生で最大の私が誤解された体験だと思います。当時の私はフットサルを習っていましたが、サッカーは習っていませんでしたが、私のクラスにサッカークラブの人やサッカーを習っている人がいなかったため、私は、サッカーではないとはいえ、フットサルを習っているという事でクラス代表になりました。もちろん、サッカーとフットサルはボールを足で扱うという点で技術的な面では同じようなところはありますが、とはいえ、フットサルとサッカーはコートの広さの違いから、戦術的な面や、キック力などの面で違いがあり、クラスの人には「サッカーは得意とは言えないけど、クラスの代表に選ばれたからには頑張る」のようなことを言いました。そして、結果的にはクラスの人からはサッカークラブに入っている人並みの期待をかけられましたが、実際の私自身のサッカーの実力は普通に運動ができる人ぐらいの実力(サッカーを習っていないにしては上手いレベル)であったため、そこの点で誤解がありました。 以上のことを複数のレイヤーで分析してみると、まず、身振りを媒介にした相互作用に関しては、当時、昼休みの遊びの時間によくサッカークラブに入っていた人などとサッカーで遊んでいたことや、クラス代表に選ばれたときなどに手ぶりで「ないない」といった意味の手を横に振るようなしぐさをしたことや苦笑のようなものをしたことが謙遜ととられたことによって、サッカーが上手いのではないかという誤解をされたのだと考えます。次に、話しことばを媒介にした相互作用としては、上述したように、「サッカーは得意とは言えないけど、クラスの代表に選ばれたからには頑張る」といったような発言が謙遜にとらえられたのではないかと考えます。次に、文字を媒介にした相互作用に関しては、このクラス対抗のサッカー球技大会が開催されたのが、1月頃でしたが、このクラスにクラス替えした4月の最初の方に新クラスの人に自分を紹介するアンケートのようなものをし、それを教室の後ろに掲載するということがありました。私はそのアンケートの得意な物というところに「スポーツ」と書いており、それをみたクラスの人はスポーツが得意という事でサッカーも得意なのではないかという風に考えたのではないかと思います。最後に、メディア技術を媒介にした相互作用に関してですが、私は、あるスポーツ(サッカーでもフットサルでもない)で神奈川県で奨励賞のようなものをもらったことがあり、それが川崎市の市が出している新聞のようなものによってクラス内で知られることになり、そこで運動がよくできるというイメージを持たれ、フットサルも習っていることから、サッカーもできるのではないかという風に思われたと考えられます。 これらの複数のレイヤーで誤解が同時並行的になされた結果、私がサッカーをサッカークラブに入っている人並みに上手にできるという誤解がされました。これが、私が人生で最大に自分が誤解された体験です。

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私のこれまでの人生で1番の誤解体験は高校1年時にある女子学生に握手を求められて握手をしたところ女子学生本人は交際の申し込みのつもりだったらしく女子学生だけが交際に発展したという勘違いをし、誤解を生んでしまったケースです。 なぜこのような誤解が生じたかというと結論から言えば女子学生に常識がなくトリッキーな子であるということが挙げられます。そもそも握手をすることが 告白というのは相互作用ではなく、ただの暴走になっており、気持ちを伝えるという面では話し言葉を使用しないと伝わらないことも多々あるのではと思いました。また私はその子と特に親しいわけではなく名前くらいしか知らない状況でしたので握手をしただけで交際ということに気づけるはずもなくやはり相手に何かを伝える時は口頭で話し言葉を使うことやSNSや紙を使って文字に起こすなどしないと伝わらないことが多くあると思いました。しかしながらいま思うと私自身察しが無さすぎたと思うこともないです。この点でもコミュニケーションの階層からいって身ぶりを媒介にした相互作用という一層目が理解していないと 2~4層というものは必然的に難易度がものすごく高くなるように感じました。

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今日の授業を振り返り、自分が今までの人生で受けた最大の誤解体験は、高校の際に気になっていた異性に勘違いされた事です。その女性に告白する前に友達に誰が好きなのと尋ねられた際に、名前出さずに特徴を言ったら間違った人を認識されてしまい、その異性と遊びに行った際に、なんで今日○○が好きなのに私を遊びに誘ったのと質問されたことです。その質問をされた際、誤解を解くために気になっていた異性のことが好きだと正直に答えたら振られてしまいました。そのあとの映画は気まずくなってしまいとても苦しい思い出です。自分としてはもう少し親密になってから告白しようと思っていたにも関わらず、そういった質問をされてしまったがゆえに自分の意図しないタイミングで告白してしまいました。この改善できた点があるとするならば、その友達に質問された際にいないと嘘をつくか正直に気になっている異性の名前を言っておくべきだと感じました。そして、その友達に回りに言わないでと警告するべきだったと感じました。また、異性から質問された際にはぐらかしたり否定だけするべきだったと感じました。人間関係は小さな認識の違いやその言葉のとらえ方によって、ものすごく変わってしまうと身を以て感じた事柄でした。

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小学生の時、天気が荒れている日にクラスメイトの男の子と女の子が授業中に喧嘩を始めたことがありました。僕はそれを確認し、「室内にこそカミナリが落ちている!」という趣旨の発言をしたところ、先生は理解してくれましたが、多くのクラスメイトには理解されませんでした。クラスメイトのリアクションとしては、僕が指をさした方向を確認したうえで、何を言っているのか分からないという反応でした。僕は「さしている方向を説明する」という意図で指を指すジェスチャーをしたので、僕が指をさした方向を確認したということは、「指をさす」というジェスチャーが意味していることは理解されており、身振りを媒体としたノンヴァーバルコミュニケーションは成立していたと思います。一方で、「カミナリが落ちる」という喧嘩をしている状況を比喩的に示した言語での表現は理解されませんでした。まとめると、指をさすという非言語でのコミュニケーションは成立したが、その後の言語でのコミュニケーションはクラスメイトには理解されず成立しませんでした。「どこにカミナリが落ちたの?」と確認してくるクラスメイトもいたので、雷が落ちる状況でカミナリという表現をつかってしまったことが伝わらなかった原因の一つと考えられます。一部には喧嘩に注視して僕のジェスチャーを見ていなかったクラスメイトもいるため、聴覚情報(つまり言語コミュニケーション)だけで勘違いをしたのだと思います。また、「小学生には分かりにくいね」と当時の担当だった先生が言っていたため、純粋に言語コミュニケーションの練度も関係していたと考えられます。

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私のこれまでの人生で最大の誤解体験は、父親との会話から生まれたものです。それは通っていた高校の卒業が近づいてきたころのことでした。家で晩御飯を食べた後に酔っぱらっている父親から卒業式はいつやるのかといった質問を受け、私はそのタイミングで確かに受け答えしました。数日後、実際に卒業式が近づいて来たときに再び日程を聞かれることがありました。「卒業式はいつやる。なぜ教えない。」といった内容でした。喧嘩腰で話しかけてくる父親に腹が立ち、前に伝えたと反論をしたところ、「俺が聞こえてなければ意味がない」等といった返答をされました。私が父親に対して呆れた素振りを見せると、父親は家の扉に当たり扉にへこみを作りました。普段、物に当たることがあまりない父親が物に当たってしまったので、その時私が謝ることで事態の収拾を着かせました。 今回私がいけなかった点としては、複数回に及ぶ情報の伝達がしっかりと出来ていなかったことだと感じました。物に当たることは論外ですが、父親の言い分も少しは分かる気がします。あまり反抗したことが無かったこともあり、過剰に機嫌を悪くしてしまった可能性は大いにあり得ます。この件から学び、父親との会話で怪しい雰囲気になった際は冷静に会話を進めることに尽力するようにしています。

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私が誤解を受ける体験で最も多いのが、文字におけるコミュニケーションです。その中でも、他者にマイナスのイメージを与えた体験として後輩に対するメッセージです。書類提出が遅れていた後輩に対して出来るだけ早く出してほしいという旨を軽い気持ちで送ったはずが、後輩と後日話すと私がものすごく怒っていると勘違いされていたことがわかりました。誤解を招いてしまったのは私が絵文字やエクスクラメーションなど感情を表現するようなマークを使用していなかったのと、普段は軽い口調で話す間柄ですが、ですます調で固いメッセージを送ってしまったのが原因と思われます。他にも、直接の会話ではイントネーションや感情で正しく内容が伝わるものが文章では違った様子に受け取られることは多々あります。もう一つ文章で誤解を招いた内容として、食事の誘いに対するものがあります。これは対面の会話でもあることかもしれませんが、「今度機会があれば食事にでも行きましょう」という軽い挨拶のようなものに対して、後日日取りについて詳しく返事が来た時があります。私自身そこまで気にしていなかった内容であったため、突然のことに驚きました。この体験は私側でも感じることがあり、返事をした後にこれが実は建前であったのではないかと不安に思うこともあります。

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色々考えたのですが、私が記憶している限りは誤解をされたことがないという結論に至りました。それを自信をもって言えるのはなぜかというと、私は人とコミュニケーションをとるときにものすごく気を付けているからです。相手の表情をよく見て、観察して、その相手が何を言われたらいやなのかを敏感にみています。私は小さい頃からいわゆるいじられキャラといわれていて、いじられてきました。周りから見たら、何を言われても大丈夫そうに見えていたみたいです。だから私をいじってくる子に私には何を言っても大丈夫だと思われていたのだと思います。そんな扱いを長年受けていたので自分の発言1つで、表情一つで、相手をものすごく嫌な気持ちにさせてしまうことをよく理解していますし、どのようなことを言ったら傷つけてしまうとか、表面は平気そうにしていても不快に思っているかもしれないと常に相手のことを気遣って誤解を与えないような表現をしています。特に現代では、LINEなどのツールでやり取りすることが増え、その分誤解される可能性も高いと思います。文章でコミュニケーションをとるときは何度も何度も打ち直したりするくらいには表現に気を付けています。なので、自分が気づいていない、覚えていない範囲以外は誤解を与えていないと思います。

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 最大と言うにしては少し恥ずかしいのですが、印象に残っているものとして、小学生時代の誤解体験を挙げようと思います。その時は討論会のような授業で、机をコの字型に並べていました。私は当時考え事をする際に手のひらをグーにして口元に当てる仕草をしていたのですが、それを見た担任の先生が、私を名指しして、「爪を噛むのをやめなさい」と言いました。周りの児童は、小学校低学年の上、コの字に机を移動していたこともあり、私は一瞬で注目を集めてしまいました。私は授業の議題についての考え事をしていただけだったため、「噛んでいない」と主張すると、「言い訳をしない!」とはねつけられてしまいました。私は小学校に上がるまでに爪を噛む癖を直していたため、誤解されたこと自体と、克服したことを指摘されたという二つのことがとても悔しく、以来嫌な誤解を受けないように気を付けています。 この誤解はまず、私が「考え事のためにしていた仕草」を、担任の先生が「爪を噛んでいる」と解釈したことが始まりであり、これをコミュニケーションの階層構造で言うと、そのうちの1 「身ぶりを媒介にした相互作用」であると考えます。次に私が事実を述べただけの「爪は噛んでいない」という発言に対する「言い訳をしない!」が、階層構造の2 「話しことばを媒介にした相互作用」であり、私の「噛んでいない」という発言を「爪を噛んだことをごまかすために言い訳をしている」と先生が解釈したために起こったことだと考えます。また、今改めて考えると、先生の指摘に対して私が反論し謝らなかったことで、先生は私に対して、いけないことをしても認めず素直に謝らない児童という誤解もしたのではないかと思いました。周りの児童にも同様に誤解されたかと思うと、受け取る側にいかに自分の意図のまま受け取ってもらうかというコミュニケーションの難しさを感じました。

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誤解体験について、以前ゼミの同期と話した時に生じた誤解について述べます。以前、ゼミの同期が「私の友人にスタイルが凄く良くて超美人な女性がいる。しかもスキンシップが激しくてよく抱き着かれる」という話を渡しにしてきました。それに対し、私は「羨ましい」と返し、同期も「だよね」と言ってきたのですが、この時私は「抱き着かれた同期が羨ましい」という意味で言ったのに対し、同期は「スタイルが良いのが羨ましい」と認識し、暫く会話が通じないという事態が起こりました。これは私が誰に対し羨ましいと言ったのかという点において誤解が生じていると考えます。 コミュニケーションの複数レイヤーの同時進行にあてはめて考えると、(1)身ぶりを媒介にした相互作用では、私は「羨ましい」といいながら笑顔で返したのですが、ここでは誰に対し羨ましいと思っているのか判別が難しいです。(2)話しことばを媒介にした相互作用においては、私は「羨ましい」と言っただけで対象が誰なのかを指定しておらず、判別が難しいです。今回は対面で話している時に生じた誤解であるため、(3)文字を媒介にした相互作用、(4)メディア技術を媒介にした相互作用で分析はできませんが、面と向かって話しており表情も見えやすい状態でも誤解が生じる所に、コミュニケーションの難しさを感じました。

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これは私が体験した人生で最大級に誤解され、危うく友達を一人失いかけた話です。私は性格的に人の先頭に立って物事を進めていきたいタイプの人間です。ご飯を食べに行く・お出かけをする・旅行へ行くなど様々なイベント時に会話の中心となり、他人へ話などを振ります。リアル・オフラインで話しているときは相手の顔を見たり、身振り手振りしたり、表情を読み取りながらその人の声のトーンやピッチを感じることができます。しかし、LINEなどのSNSではそうはいきません。相手の顔も見えないし、相手の声やその日の気分。調子もわかりません。友人の中の一人と数日前に口論をしていました。私は次の日には怒っていたことを忘れて仲良くなれるタイプなのであまり気にしていませんでした。相手も納得してくれてその話は解決していました。ある日、私はその友人たちと遊ぶ約束をしました。そして、いつもの感じでLINEを送りました。友人A「もうすぐ着く。」友人B「ごめん、俺は遅れそう。」私「遅刻か、何で来るの?」という会話でした。このLINEが最悪の日の始まりでした。私的には「なんで来るの」ではなくて正しくは「なにで来るの」といったつもりでした。しかし、このLINEを見た数日前に口論した友人が誤解をして、怒りを爆発してしまいました。LINE上で口論が始まってしまったのです。私は必死に説明しましたが先日の口論の件もあったためあまり話を聞いてもらえず、時間だけが過ぎました。その後、友人がみんな一通り集まったので全員で誤解を解きに行きました。これは読み方の問題と思われるかもしれませんがそういう訳でもないと思いました。なぜなら、怒った本人の受け取り方は相手によっても左右する可能性もあるし、その日の気分で受け取り方が変わってしまう可能性もあるということを講義で学んだからです。今思えば、友人の理解力が足りないとか、漢字が読めないというより会話以外の要素もあって、受け取り方が変わってしまったケースであると思います。受け手の状態や反応が同じ言葉を送っても変化する体験でした。

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私は、高校生のときしゃぶしゃぶ店でアルバイトをしていました。お鍋の提供と同時に水の入ったお鍋の灰汁取り壺も提供するのですが、お客さんのテーブル上で灰汁取り壺を倒してしまい、女性のお客さんに水がかかってしまいました。そのような失敗は初めてだったために私は焦ってしまい、すぐに謝り、先輩に報告しました。その後先輩からお客さんが自分を拭くための布巾を用意してもらい、その付近をお客さんに渡しに行った際、私の顔が笑っており、不快な思いをしたとのクレームが入ったことがありました。私は、水をかけてしまったことを本当に申し訳ないと感じていましたし、どう対応していいか分からなかったので焦っていました。ですが、接客をするときはいつも笑顔でいることを心がけているために、無意識に笑ってしまっていたのだと感じました。この経験からコミュニケーションは、お互いの言葉や行動だけでなく、表情やジェスチャー、声色など、様々な要因で相手の気持ちを理解しようとしますが、その要因がちぐはぐになっていると、受け取る側は不快感を感じてしまうことを理解しました。私の場合、言葉は心配して謝っているが、顔が笑っているために馬鹿にしているのではないか?そんなに申し訳ないと感じていないのではないか?と感じられてしまったと感じました。

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私の最大の誤解体験はSNS上でのものでした。私は個人で行っている活動で、たまに依頼を受けることがあります。私が初めて受けた依頼は、私自身の知識不足や初めて依頼がきたことによる舞い上がりもあって、非常に詰めの甘い条件で受けていました。この影響で依頼を遂行している間に非常に後悔することが多かったです。その状況に耐えかねて、少し負担を減らせるように依頼人に交渉を持ちかけたのですが、ここで「不快」等の社会人とは思えないような文面で返され、断られてしまいました。この時点ですでにすれ違いが起きていたのかもしれません。正直相手の対応に腹を据えかねていましたが、最初に甘い条件を出してしまった自分が悪いと思いそのまま言うことを聞いていました。後々依頼が進んでいくうちに相手の人間性が少しずつ見えてきて、相手への気遣いやリスペクトが全くないことに気づいた私は段々苛立ちがつのり、メールの文面も敬語ではあるものの少しそっけない文章になりました。依頼の終盤で「続けて依頼を受ける気はあるか」という旨のメールが届きましたが、当然お断りさせていただきなるべく早く関わりを断ちたかった私は依頼完了の旨をお伝えしました。ちなみに以来の内容はまじめに取り組んでいます。本来ならここで終わるはずなのですが、私の態度や対応に相手が怒り出し、私のことをSNS上で晒すとの旨が最後のメールに書かれていました。流石に私も耐え切れずに文面上ですが口論に発展しました。最終的に埒が明かず、双方話が平行線となってしまうために二度とメールを送らないという形で終わると思われたのですが、ここで妙な誤解が生じていました。なんと依頼主のツイッターを新しくフォローした人に対して依頼主は「私が別アカウントを作って依頼主を監視しようとしている」というダイレクトメールを送り、さらにツイッター上に公開していたのです。私が早く関係を断ちたがっていることをメールで伝えているつもりでしたが、まったくもって伝わっていませんでした。その後も少々長引きましたが、結局納得されることはなく自然に消滅しました。この誤解の原因が文面だけでしかコミュニケーションをとれないSNSに問題があるのか、それとも私や依頼主に問題があるのかはわかりません。この依頼は後々に非常に役立つ失敗経験としてうまく活用はできていますが、私の人生で最も最悪な期間でした。

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現在大学三年生の私は今年の五月からレストランでの新しいアルバイトを始めました。この飲食店ではアルバイトを含めた従業員が50名以上在籍しています。そこでのコミュニティでは、社員の方や先輩から、私が大学三年生という事実が知られる度に、もっと年下であるように思われて驚かれることがあります。このように、私は自分が実年齢より幼く見られるというコミュニケーションの誤解体験をしています。私は先輩からこの飲食店でのルールや決まり事など、仕事を教えてもらいました。私はこのお店で新人なので、先輩の年齢などに左右されることなく、真摯な態度や教わる姿勢を意識して仕事に取り組みました。このとき、私の主観では仕事を教わる姿勢の自分になっており、プライベートの自分が存在していません。一方で、私を外から見る先輩方の視点からは、目の前の仕事を真摯にこなし、学ぼうとする新人アルバイトに見えていると思います。また、仕事を教わる私の挙動や態度が受動的な傾向であることや、低い身長、年齢に関係なく敬語を使ってコミュニケーションをとっていることなどの様々な層のレイヤーが受け手の反応に影響を与えていますが、私が幼く見える原因や理由にはっきりとした事実はありません。なにをもって年相応に見えるかという基準はありませんが、それでも視覚情報や態度や挙動、話し方、発言の内容、声のトーンなど、人が発信する情報が存在します。このとき、人の発した情報は、まだ複雑ではありません。そして、この情報を他者が情報処理をしたとき、初めて反応が起こります。他者の数だけ複数の情報処理が行われ、いくつものレイヤーがさらに複雑化し、コミュニケーションというものが成り立っているのだと考えます。こうしたコミュニケーションのうえで、私は幼く見られる傾向があります。

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