情報メディア問題入門2021後期Forms02グロリアと記譜法

1. 授業ではバッハ(18世紀前半)の「無伴奏チェロ組曲第1番プレリュード」楽譜付きを事例にして、記譜法というメディアによって達成されたことを説明しました。記譜法はバッハのずっと前から発展していて、「オルフェオ」で確認したように17世紀後半にはオペラのような大規模な作品も演奏できるようになっていました。そこで本日の課題です。最後に少しだけ聴いたヴィヴァルディの「グロリア」を事例にしてメディアとしての記譜法の意義について説明して下さい。そのさい「演奏」という言葉を使って下さい。500字以上3000字以下。「私」を主語にして「ですます調」で説明して下さい。締切2021年10月3日(日)午後11時30分。

講義ページはこちら。https://www.econorium.com/2021/09/202102.html

9/29の20:04追記:どうしていいかわからない人に。まず、正しく演奏を聴いて、映像を観察して下さい。その観察のプロセスを記録すればいいのです。その上で、記譜法というメディアがこの演奏をどのようにして可能にしているのかということを考えて下さい。もちろん楽譜を配ったら終わりというわけではないでしょうから。1回だけ鑑賞しただけで書けるとは思わないように。


25応答


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応答

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私が考える記譜法の意義とは、音楽を記号化することで、多くの人が曲を演奏できるようになり、音楽を後世に伝えるための手段ではないかと考えました。音楽は、時代や文化によって曲の形態が大きく異なります。そのため、曲の翻訳とも言える記譜法は、音楽そのものを作者の意思とは異なったものにしてしまう恐れもあります。また、音楽を記譜法で表すことは、とても高度な作業であると言えます。特に、ヴィヴァルディの「グロリア」は、演奏頻度が高い作品としても有名です。私が、高校生の頃、「音楽は貴族だけでなく、大航海時代を経て、裕福になった市民にも流通している」ということを学びました。そのため、記譜法は、技術の発達に伴い、メディアへと変化し、世界中の多くの人々に伝わったのだと思いました。その「グロリア」も同様に、記譜法によってメディア化され、後世に語り継がれました。記譜法によってメディア化された音楽は、テクノロジーの発展により、さらに最先端の音楽を発信していくと思います。また、音楽を記譜法により視覚化することで、異文化の発音や発声音にも触れることができ、音楽の教育面でも記譜法は存在意義を示していると思います。多くの人に曲を演奏してもらう、知ってもらうことこそ、作曲家の本望であり、自分のいない後世でも語り継がれることは、記譜法というメディアがあってこそ実現できるものであると思いました。

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記譜法があることによって大規模な演奏を行うことが可能になってて、これは記譜法によって作られた楽譜というメディアを通じて同じものを演奏者間で共有しているからこそのものです。同じ旋律を他者と共有することにとどまらず、今回の講義で取り上げられていたヴィヴァルディの「グロリア」のように、大昔の曲を正確に語り継ぎ再現することができるということも、一つの機能です。伝承や言い伝え等も存在しますが、それらは長い年月にわたり内容が変わっていたり、解釈が変化しているものも存在します。その中でも音楽という目には見えない空気の振動を書物のように可視化することによってより多くの人間にわかりやすく伝えられ、さらに記録として残すことで多くの楽器を使う作曲をする際にも有用です。たいていの曲や歌には多くの楽器や歌手が必要です。その同じ曲でありながら異なるジャンルを取り扱う人々のコミュニケーションという点でも記譜法はなくてはならない存在のように思えます。また後世に残すことができるようになったという点でも、記譜法は現在までの音楽史の中でも非常に重要な発明であったと言えます。 情報は言語化できてこそだと私は思っていますが、記譜法はまさに音楽においての言語化だと考えます。

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私はYouTubeでヴィヴァルディのグロリアを鑑賞しました。まず再生回数に驚きました。約1100万回再生されており、コメント欄を新しい順にしても定期的にコメントがされていました。動画は約30分程で全12曲から構成されていました。私が特に気に入った曲は私たちはあなたを讃えますという曲ですごく重篤感があるのですが壮大で爽やかな曲で日常を忘れて聞き浸ることができる曲です。私は趣味でRPGゲームが好きなのですがこのような曲はとても合っていると思いました。記譜法の意義は人間でいうと心のようなものであると思いました。グローリアはオーボエ、トランペット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、オルガンなど様々な楽器を使い、それに加え声楽もコントロールしなければ成立しません。なのでそれぞれが同じ方向に進まなければ完成しない曲です。そのためには記譜法で曲を文字や記号、図表にするなどして書き表す必要があります。楽譜にすることで統率が取れ曲を完成させることができます。なお記譜法にも種類があり、音楽文化を持つ種族は独自の記譜法が存在し、とても興味を持ちました。記譜法は文化そのものでその土地でそれぞれ独自に発達し、多種多様に形を変えていく様は人類の歴史そのものであると思いました。

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まず、前提として私は音楽にとても鈍感です。流行りの音楽にも疎いし、さらには好きなアーティストが居るわけではありません。本当に他人と比べて音楽という分野に鈍感です。そんな私ですらバッハやオペラ・バロックという単語は聞いたことがあります。本物の演奏は聞いたことありませんがどのような形で行われていたり存在していたりという程度は知っています。大勢の人で一つの曲を演奏する大変さは想像できます。もし、楽譜がない世界線が存在したら音楽の発展はあったのでしょうか。また、記譜法が優れていて楽譜が誕生して多くの人数で演奏することが可能になったことは理解しました。しかし、素人なので記譜法が確立される前と確立された後の違いがそこまでわかりませんでした。そもそも楽譜という言葉も実際の楽譜も義務教育の段階で意識せず触れてきたのであまりすごい発明という認識が私の中でなかったので楽譜というのはとてもすごいものなのだなと感じました。記譜法に基づいて作成された楽譜の誕生により現代にまで受け継がれている曲などがあると思うとすごいことだと思います。もし、楽譜が誕生していなかったらバッハやモーツァルトといった誰もが知っているような偉人たちの曲は現代には伝わっていなかった可能性すらあったことになります。運動会で使うBGMやオーケストラのコンサートなど当時から変わらず受け継がれてきて現代でも演奏されているものがなくなると一つの芸術が失われていたかもしれないと思うととても怖いです。記譜法に基づいて作られた楽譜でも指揮者や伴奏者によって違う曲調になると聞いたことがあります。それも音楽の良さといえます。その音楽の魅力すら楽譜が存在しなければ失われていたかもしれません。現在、音楽を趣味にしている人やオペラ・オーケストラ鑑賞が趣味の人やそれを職業としている人たちの存在も楽譜があることによって成立しているのだなとも思いました。

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まず初めに記譜法とはどう言うものかを明らかにしたいと思います。記譜法とは、時間芸術である音楽を諸記号によって、空間的可視的に書き表す方法のことを言います。現在では、音楽作る際には当たり前に使われていますが、実際に使われ始めたのはバッハが18世紀前半に記譜法を使用し始めたとされています。音の最大の特徴は、鳴り響いたその直後に跡形もなく消え失せ、その存在は人間の記憶の中におぼろげな形でしか残らないとい言うことにあります。そのような特性を持つ音に対して永続的なものとして留め置く事ができるのが記譜法の最大の意義だと私は考えます。すぐに過去のものになってしまいその存在が不確かな音に比べ、紙に書きつけるなどの方法でそれらをモノとして残せば、歌い手や引き手がいなくてもその存在は後からでも確認でき、いつでも演奏する事が可能になります。楽譜と言うものの存在意義を考えるとき、私たちは音の持つありとあらゆる側面や要素を書き留めているわけではなく、必要な部分だけを無意識のうちに選択して書き留めていることに気づきます。こういったことから、数百年前から音楽の歴史上語り継がれている記譜法は立派な音楽を書き表す手法であり、とても意義のあるものだと考えました。

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グロリアを聞いての感想として正確に記譜法で表せるのかという疑問を持ちました。バッハはチェロやピアノで音楽を正確に後世に残すことができ、またその演奏を真似することができたメディアでした。グロリアを聞いてみて圧巻の演奏で声の響き方や様々な楽器のメロディーが複雑に重なり合っていて、この演奏を記譜法にしてあらわすのはとても難しいことだと思いました。この演奏を正確に伝えるためには、記譜法の楽譜だけではなく積み上げてきた経験や知識、技術を人から人に直接教えるというのが必要だと感じました。グロリアは伝統的な演奏になっていて何年も同じ女性が練習を重ねて引き継いできた伝統なのでこういったものすごく完成された複雑な演奏を表現するには楽譜といった紙だけではなく演奏している映像や録音した正しいメロディや先人たちの直接のアドバイスなど様々なメディアを使用して引き継げるものだと感じました。メディアがどんどん進化することによって正しい音楽が正しく伝わるようになり最初はチェロなど簡単な楽器や一つの楽器だけだったものもオペラやグロリアのように人の肉声や空間を伝えることができるようになったためメディアの進化と音楽の進化は比例関係にあると感じました。

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ヴィヴァルディの「グロリア」を聴いて、メディアとしての記譜法の意義についてですが、私は2つの意義があると考えています。1つ目はその記譜法を使って作った楽譜を見る人に時間・空間を超えて正確に作曲者の意図した楽譜を伝えることができるという点です。2つ目はその記譜法を使って作った楽譜を見る人に作曲者の意図したとおりの楽譜を正確に、多くの人に同時に伝えることが出来るという点です。私は「グロリア」の動画を見た時に、動画内では、指揮者がいないにも関わらずズレもなく演奏・合唱をしているということに驚きました。なぜなら演奏の始まるタイミングや音を合わせることは、指揮者なしでは難しいと考えているからです。そこでなぜ「グロリア」では指揮者がいないにも関わらずズレもなく演奏・合唱をできているのかという事に疑問を持ちました。私はこの疑問の答えとしては2つのことがあげられると考えています。1つ目は記譜法によって楽譜が統一されているという事です。この「グロリア」のように大規模の演奏をするときには同じ規格で作られた楽譜の存在が必要不可欠であり、それは、同じ楽譜によって行われる演奏は大規模演奏などの複数人で合わせる必要のある演奏では、息を合わせるのに必要なものだと考えるからです。2つ目は演奏の始まりが大体1つか1パートの音から始まるという事です。「グロリア」は25分強ぐらいにも及ぶ演奏・合唱ですが、ずっと演奏・合唱しているわけではなく、パートの区切りのようなものがあり、何回か音が完全になくなるタイミングがあります。このタイミングから一斉に複数個の楽器で演奏したり、合唱することは指揮者がいない場合には困難であると考えられますが、「グロリア」は多くの場合でそのような時の始まりの音が1つか1パートの音から始まるように感じました。このことによって楽譜が統一されていることもあり、スタートとテンポが明確になり、記譜法で統一された楽譜通りに演奏を進めることが出来ると考えました。 私は上述したように、メディアとしての記譜法にはその楽譜を見る人に対して、時間・空間を超えて、そして多くの人に対して作曲者の意図した演奏をさせることが可能になるという2つの点での意義があると考えています。それは、指揮者がいないが大規模演奏である「グロリア」のような演奏だからこそ、少しの演奏者同士のズレがその演奏を壊しかねないという危険から、楽譜が統一される必要性が導き出されると考えています。例えばこれがオルガンの演奏のように1人や数人単位での演奏であれば楽譜が統一されていなくとも演奏自体のまとまりがなくなることはないと考えられます。大規模演奏であるがゆえに記譜法によって楽譜が統一になっている必要があると考えています。また、記譜法によって統一された楽譜を作ることが大規模演奏において必要であった点として、当時の印刷技術との兼ね合いもあげられると思います。当時の印刷技術は活版印刷であり、まだ手軽に書き換えができないものでした。そこで記譜法によって楽譜を統一にすることで同じ版で印刷できるようになり、大規模演奏にも対応しやすくなったと考えます。私は、このように同一の基準を設けて規格を統一することは、日本の太閤検地やJIS規格などのようにかなり行われている事であり、これをすることで同一規格で作られた者同士の比較がしやすかったり、そのものがどれぐらいの物なのか(大きさ、スピードなど)がなんとなくでもわかるという点で便利になるものだと考えます。 以上のことから、私は、メディアとしての記譜法の意義に関しては、作曲者のその音楽に込めた意図やどのように演奏してほしいかなどを、文字と同じように時間(それこそ時代)や空間(つまり遠い地方)を超えて、それらの意図などをその複製のしやすさから、複製することで大量の人に伝えることが出来るという点にあると考えました。

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 私はメディアとしての記譜法の意義を考えるときにまずは「メディア」の定義を調べてみる事にしました。Weblio辞書には「メディア(media)とは、主に「情報伝達を媒介する手段」あるいは「情報伝達の媒介者」という意味合いで用いられる語である。」と説明(https://www.weblio.jp/content/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2)し、電子辞書を用いて調べると「①手段。方法。媒体。特に情報媒体、情報を頒布する手段。」と定義していました。この事を念頭において改めて記譜法の意義を考えたとき、私は最も大きな意義は楽譜を見る事で誰でも演奏できるという点にあると考えました。  まず、野村先生も授業中に仰っておりましたが記譜法を用いる事でその時のアイデアや完成した音楽を保存する事が出来ます。こうする事で音という情報の損失を防ぐことができます。日本では平家物語などで有名な琵琶法師たちは口頭で音楽を伝えており現在でもそのメロディは失われることなく伝えられ続けていますがそれらが作曲された当時からそのまま伝わっていたかは疑問に思います。一人一人の解釈や声の質などで与えるニュアンスなどは大きく異なるからです。しかし、記譜法では全ての音、音と音の間、音の大きさ等を全て厳密に楽譜に起こすことで瞬時に、正確に音楽を伝える事が出来ます。その結果その演奏を聴く者や演奏する者に曲の持つ意味意図や背景などの情報も不文律として伝える事が出来るのです。  エコノリウムのリンク先にあったグロリアの動画を視聴すると、冒頭は優雅な街並みを船で進む映像が流れてきます。私は音楽の歴史を深く知っていませんがその清々しい映像とグロリアの曲自体の印象もあっているように感じます。また曲の歌詞は私は理解できませんが高い声ではねるようなメロディが聞こえる事から曲全体の気品があり厳かな雰囲気と共にポジティブな気持になれるような受け取り方が出来ました。これは歌と楽器の演奏を複数重ね合わせパフォーマンスに説得力を持たせる事が出来ていると考える事が出来ます。このように一つの情報だけではなく複数の楽譜、つまり情報を組み合わせて初めてできる事であってこれも大きな記譜法の意義の一つだと思います。  私は今回の授業を受けるまで音楽をメディアであると考えた事はありませんでしたが、このように考察すると記譜法の様にたくさんの情報量を簡単に正確に伝える技術があるからこそ音楽は単なる娯楽としてではなく文化として人の歴史と関わってきたのだと考えました。

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記譜法で音楽の音を可視化することにより、どんな人でもその音を、音楽を、演奏することが出来るようになったことに意義があると思います。グロリアは1つの楽器で演奏しているのではなく、複数の楽器で演奏していて、さらには大人数の人間が歌っています。ここまでの大人数での演奏で音楽を成り立たせることが出来ているのは、記譜法で音楽の音を可視化し、誰もがその音を再現できる状態にしているからであると言えます。私は音楽に詳しくないので楽譜を見ただけでその音楽をすぐに演奏することはできませんし、楽譜の記号をすべて理解できるわけではないですが、一般的なものくらいならわかるので、音楽に詳しくない私でも少し時間をかければ、この音を再現することが出来ます。授業内でも楽譜を見ながら音楽を目で追いましたが、その時も詳しくはわかりませんが、私でもある程度は追うことが出来ました。このように、記譜法によって音楽を可視化することにより、作曲者の頭の中で流れている音楽を誰でも再現し、演奏することが出来るのです。これが可能になるということは作曲者が亡くなったあとにもその作品は不滅になり、また時代を超えた音楽でのコミュニケーションが可能になるという意味でも意義のある方法であると感じました。

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私が考えるメディアとしての記譜法の意義として、記譜法を使うことでできるだけ正確に後世へ記録を残すことができるからではないかと考えます。現代では、インターネットの発達や映像という分野が登場したことにより、音のニュアンスであったり、音の強弱などを記譜法よりもより細かく相手に伝えることができると考えます。しかし昔の時代では、インターネットも映像もないため、仮に言葉で伝えるような方法も可能ですが、これでは後世にできるだけ正確に伝えられるか、どうかでいえば難しい部分があると考えます。そこで記譜法を使うことで、リズムや音の強弱など細かなニュアンスなどを伝えることができませんが、紙に記録を残すことで、後世にもできるだけ正確に記録として残すことができます。これは、昔の時代の日記や記録帳と近いものではないかと考えます。日記を残すことで、細かな生活様式は伝えることは難しいですが、大まかな様子を文字に残すことができます。今私たちがこの日記や記録帳のようながあるからこそ過去を調べることができると考えます。このことから、記譜法は日記と立ち位置が似ていると考えます。よって記譜法の意義とはできるだけ正確に後世に記録を残すためではないかと考えます。

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記譜法というメディアがヴィヴァルディのグロリアというバッハ以前の演奏を現代にまでこれほど高度なものとして可能にしているのは、楽譜に音を表記し、楽器での演奏を可能にしているという以外にも記譜法により表されている音程やリズムに沿ってオペラ調で歌うことも可能にしていると私は考えます。また、鑑賞の際、全ての演奏者や歌い手がズレることなく、完璧にシンクロしている、歌い手の各パートでのハモり、さらには演奏者それぞれの楽器の音や高低のシンクロなど記譜法によってそれぞれが表されていたものを組み合わせる事で現代にまでグロリアという音楽を繋げることを可能にしたと感じました。そして、演奏者、歌い手たちの音を全て理解し、リズムやスピードなどを操る指揮者は記譜法による音楽を楽譜に表すというメディアによって全てを把握することができ、指揮者として演奏をより深いものへ導き、あの高度な演奏を可能にしています。演奏者も歌い手も指揮者を見ながらリズムを確かめ、そして記譜法によって記された昔から伝わる楽譜を見ることで音を確かめながら演奏をしています。指揮者は記譜法により記された楽譜を見つつ、演奏の中で全てを調節し演奏をより良いものへ近づけています。楽譜に表すことでどんな人にでも曲を伝えることができ、それのみならず未来にまで継承する事ができるのが記譜法というメディアであると私は考えます。

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私は様々な音楽理論が確立したことこそが、記譜法の果たした大きな役割だと感じました。神話や昔話が、「文字」「本」「印刷」などのメディアの進化と同時に、「伝承文学」から「文学」へという学問細分化の系譜を構成していることと非常に類似していると思います。音楽は言わずもがな「音」という無形のメディアが重なることで生まれます。無数に重なった音楽の背景には授業内で視聴したグロリアのように宗教色の非常に強いバロック音楽や、ドビュッシーに代表されるような印象派など、多くの音楽理論が存在し、現在も研究されています。また、昔話や神話は、授業冒頭で扱ったような「絵」「文字」などの有形のメディアから「声」という無形のメディアを経由して(場合によってはこのプロセスは逆の順序をたどるかもしれないが)「文学」となり、こちらも音楽理論同様に研究されています。このように以上の二つには、有形のメディアを経由し、現代に存在しているという共通点があると私は思いました。つまり、記譜法のメディアとしての意義は、音楽の理論を一つの学問として確立させたことだと思います。バロック音楽が宗教色の強い音楽だということを私が前述できたのも、学問としてそのようなことが研究され「バロック音楽」というラベリングがされているからだと思います。

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私は、グロリアという宗教音楽が演奏に30分近い時間を費やすことに驚きました。しかし、実際に聞いてみると、グロリアは一曲で30分なのではなく、グロリアという演奏の中にいくつもの演奏が組み込まれていました。そのため、一度に明るい曲調や、暗い曲調の音楽を楽しむことができます。グロリアでは、バイオリンなどの弦楽器やリコーダーが、記譜法による演奏を通じて、演奏パート間に起こる曲の始まりと終わりの役を担います。私は、この始まりと終わりの合図は記譜法というメディアが可能にした重要な要素であると考えます。 私は、記譜法によって、多彩な楽器を使った大人数での大規模な演奏が可能になったことがわかりました。演奏者が見ている楽譜には、その音楽の旋律やリズムなどが記されているため、演奏の規模や、楽器の種類に関わらず音楽を創ることができます。また、記譜法により、演奏の基盤ができているため、音楽を始めることや、終わらせることができます。歌は音楽に合わせて歌うことで、大人数での合唱やソロ歌唱での表現も自在にできます。私は、このようにして一カ所に人を集めていくつもの演奏を遂げることができるということが、メディアとしての記譜法の意義であると考えます。

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私は記譜法というメディアが発展していったことでの意義は大人数での複雑な合唱・合奏が可能であることであると思います。記譜法が発展して楽譜がしっかりとそのルールの中で構成されて成り立っているため、多少の個人的に楽譜に違いがあっても、タイミングだとかリズムを正確にとることが可能になり、複雑な演奏が可能になったことが一番大きいものだと思います。また記譜があるということはその演奏を再度再現可能というメディアとしては音楽・演奏の保存といった意義もあると感じました。グロリアのような宗教的な音楽は繊細なハーモニーが重要になると自分は感じたので記譜の発展によりパート別の演奏・合唱がより簡単にまたより大規模に可能になったつまり音楽の複雑性を上げたというのも記譜法の意義であると感じました。

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記譜法とはそもそも音楽を可視化するために、諸記号によって、紙上に表す方法です。その楽譜を書くための一定の規則のことをいいます。これはキリスト教の教会の中で保存されていく中で作られ、記号などもあることでオペラのような演奏にも使われるようになったのです。その中身は配置された五本の水平線によって音高が相対的に示されることによって読み取ることができます。それに比べて垂直線は水平線では表すことのできない音符や給付を並べて、それの持つ音価により時間要素を示すことができるものです。これに加えて他の補助的記号を加えることで、リズムや強弱、背景まで読み取り演奏することが可能になるのだと思います。これらのことから、大勢で演奏する上でなくてはならないものだと実感させられます。今回の事例のヴィヴァルディのグロリアも、歌を歌っている人を除いたたくさんのバイオリンなど楽器を弾いている人はこのような楽譜を見ながら演奏していることが見てわかると思います。個人個人演奏するところはこの記譜法の楽譜がなくてもうまくいくかもしれませんが、大勢で演奏するときなどは合わせるタイミングや入り方なども含めて、ハーモニーや、一つ一つを際立たせ、一つの音楽にしてより良い演奏にするのを助けていると感じました。

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記譜法がもたらしたものとして三つ挙げられると思います。一つに演奏の標準化です。楽譜では、弾き方や音の出し方ではなく、音階そのものを指定することができます。よって、楽曲を多様に伝えるのと違いより統一することが可能です。音符だけでなく、休符やその他の記号も大いに標準化に寄与したと思います。二つ目に演奏の拡大です。これは曲の長さと複雑さにさらに分類されます。楽譜によって記憶をする必要がなくなったので、演奏はより長いものになったと考えます。複雑さとは、つまり異なる楽器、楽器と合唱、同じ楽器による別の演奏でハーモニーを奏でられるようになったと思います。楽譜の存在によって、タイミングは周辺の演奏から測る相対的なものから楽譜に従う絶対的なものに昇華され、複数の音を組み合わせることがより可能になったと考えます。三つ目に拡大したことによる主に空間を用いた音楽の立体化・多元化です。曲を長くしたり、複数の曲に分割できるようになったことで演劇を始めとする様々なものと音楽が結びつきました。演奏が複雑さをましたことで、同じ楽曲でも別の場所で聞いたり、楽器や演奏者で意識的にカスタマイズをしたりすることで何度も楽しめるようになりました。

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動画のヴィヴァルディのグロリアは、まず合唱団とオーケストラの立ち位置の離れ具合に驚きました。私自身オーケストラと合唱団の混合の演奏をオーケストラ側、合唱団側、指揮者のすべての立場で演奏したことがあります。合唱側からすると指揮者の息遣いや指揮棒の先端、弦楽器の弓の先の動きから入るタイミングをはかりますが、動画の会場では指揮者も見えず、弦楽器の弓も正確に把握することは不可能だと感じました。この演奏がずれることなく完璧に演奏できているのは記譜法の発展のおかげだと思います。楽譜を見ることで、どのタイミングでどの楽器、歌い手が入るかがどの立場の人でも理解することができます。自分の入る直前の音を楽譜で把握するだけで、ずれることなくうまくハーモニーを奏でることができるのだと思います。合唱だけでも、ソロも含めると相当な数の音が同時に発せられています。自分の周りがどのようなメロディーを歌っているか知れるのは練習中でも相当役に立つはずです。昔は現在のように仮の音を取って各パートで練習中に聞くなんて不可能です。だからこそ、ピアノ一つでその場面の音の重なり具合を把握できる楽譜は本当に画期的なモノだったと思います。動画にうつっているオーケストラも弦楽器は集まって演奏していますが、管楽器はバラバラです。動画のような広い場所であそこまで離れていると相当音の反響がひどく、演奏も難しいと思います。指揮者もいないとなるとより楽譜の重要性を感じます。休符をカウントすることで正確に入ることができます。記譜法の発展は演奏の規模だけでなく、演奏の質、後世に正確に曲を残すという音楽の発展に大きく貢献しています。作曲家の想像通りの演奏を行うことが可能となり、演奏の幅も広がったように思います。

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私は、記譜法は音楽を演奏するという点において、まず、メディア的な意義として、奏者全体の理解を深め、認識を共有するための手段の一つだと感じました。講義の事例動画であるヴィヴァルディの「グロリア」では声楽をはじめとして、様々な楽器とともにメロディーを作り上げる必要があり、また、奏者それぞれも全員が同じ場所にいるわけではないので、動画のように質の高い演奏をするためには、奏者全体の曲に対する深い理解と、様々な音やリズムに対する認識の共有が必要であり、記譜法はそれを助ける一つの手段になっていると思いました。ただし、この記譜法は決して絶対的なものではなく、あくまでもメディア的な一つの手法であり、先生が講義でおっしゃられたように、同じ楽譜、記譜でも指揮者や奏者によって演奏は異なるため、記譜法はあくまでも方法、手段であると感じています。また、次に、私は、記譜法は長期的な視点で考えれば、学習や再現、記録のための手段の一つでもあり、記譜法によってもたらされるものは一時的なものだけではないと考えています。現代でも多くの楽曲が記譜法によって残されており、それが現代の音楽を進歩させている一つの要因でもあると思います。

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最先端の音楽〟としてバッハに大きな影響を与えたのは、ヴィヴァルディです。 バッハは若い頃、主君の王子、エルンスト公子がオランダ留学から持ち帰ったヴィヴァルディの楽譜を、その依頼でオルガン曲に編曲しました。 当時、世界最高の品質を誇ったアムステルダムの印刷会社による出版楽譜によって、ヴィヴァルディの音楽は全ヨーロッパを席捲していたのです。 今も、ヴィヴァルディの『四季』は、一般にはバッハ以上に親しまれているかもしれません。 この時代、英国貴族の子弟が、将来社会のリーダーとなるための学業の仕上げとして、ヨーロッパ大陸を旅する「グランド・ツアー(欧州大旅行)」が流行し、その他の国にも広がっていきました。 そのメインの目的地はイタリアであり、そこでヨーロッパ文化の源流というべき古代文明の痕跡と、古典文化に触れるのが大きな目的でした。 永遠の都ローマ、そしてナポリ、古代都市ポンペイ、ギリシャ文明の残るシチリア島などをめぐり、最後にヴェネツィアで最先端の流行に触れて、たくさんの土産物を手に帰国するのです。 そのためヴェネツィアでは巨大な土産物マーケットが誕生し、カナレットやグアルディらの描く風景画と、ヴィヴァルディらの新曲の楽譜がその代表でした。 今ではヴェネツィアン・グラスがそれを担っていますね。 グランド・ツアーは英国に始まり、ネーデルラント(オランダ・ベルギー)、北欧諸国、ドイツの王侯貴族、富裕層が、われもわれもとイタリアに押し掛け、イタリアの都市文化を〝田舎〟に持ち帰ったわけです。 慈善院での演奏が、旅行者たちによって、世界一という称賛を受け、評判が評判を生み、18世紀にヴェネツィアを訪れる人は、この音楽を聴くのを目的のひとつとしていました。 ある北欧の王様は、到着したその日に荷物も解かず真っ先に慈善院に駆けつけたといいます。

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私は、メディアとしての記譜法の意義とは作曲者の演奏を楽譜という形で後の世に伝えていくことにあると考えます。しかしその楽譜自体に書かれている音階や表現を機械的に演奏していけば完璧な再現になるとは限らないため、時代や人によって表現の異なる同じ曲が記譜法というメディアを通して伝わっているのだと思います。そして今回例に出されている「グロリア」という楽曲は宗教音楽であるため、オーケストラの演奏のほかに合唱が加わっており、独唱パートや伴奏楽器が章によって変化することで、より多層的で響き合う音楽が楽しめるようになっていました。演奏者以外にも楽譜は配られていて、皆が一つの演奏を行うために楽譜というメディアを利用しているのだと感じました。このような演奏を可能にしたものが、今回の講義内で挙げられたバッハのような、バロックの時代の著名な作曲家が活用した当時の活版印刷技術と記譜法というメディアなのだと思います。また、記譜法が発達していったことにより、紙とペンさえあれば音楽を作ることが可能になったため新たな音楽が作りやすく、そして広まりやすくなったのだと思います。そして当時の発明である印刷技術はその音楽文化の隆盛を拡大することに役立ったのだと思います。

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私は、昔から人々は言語化を可能にしてコミュニケーションをとってきたのではないかと考えています。自分の思っている気持ちや伝えたいことを言語化というプロレスを通して相手に伝えることができます。言語には文字化できるものが多く、人々に対して視覚や聴覚を使い伝えることができます。そこで、音楽という分野で考えると聴覚でしかそのものを伝えることができないのではないかと私は考えました。そこで、記譜法というメディアが現れたことによって多くのこれまでできなかったことが可能になったのではないかと私は考えます。 記譜法は、今まで聴覚でしか捉えられなかった物を目に見える楽譜という物に起こすことによってその音楽の再現性を高めることができ、より多くの人がその音楽を理解できるようになったのではないかと考えます。音という物でしか捉えられなかったものが、多くの人が再現可能になったことによってより音楽の重要性を高めることにつながったのではないかと考えました。さらに、再現性を高められることにより、演奏の際に統一性を生むことが可能になったのではないかと考えます。目で理解し、音を奏でることでより一体性のある音楽を作ることが可能になり、音楽のさらなる発展につながったのではないかと私は考えました。

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私は、記譜法の意義は、音楽を「ただ聞くもの」から、「作り出し、自らも奏でる側へと導いてくれるもの」に変えたことだと思います。音楽を作るための要素である音がつながって音楽が奏でられている様子を、視覚的に読み取ることができるようになることで、旋律が流れることで耳から入ってくる一時的な情報だけに頼ることなく、その音楽を理解し、聞くだけではわからないその曲の深い部分まで咀嚼できるようになると思います。そして、目に見える形で演奏内容が存在することで、耳で聞いて再現した場合のものと、演奏の表現にも違いが出てくると思います。記譜法によって演奏のすべてが記されることによって、その演奏は曲が生まれてから時がたっても、作曲されたそのままの形で後の世の人々が表現でき、演奏の形を保つことにも役立ってきたと思います。また、演奏を聴く側についても、耳で聞いてそのまま心で感じることは音楽の醍醐味だとは思いますが、記譜法によって書き込まれた演奏の仕方の指示など、知らずに聞くのと知ったうえで聞くのとでは演奏の解釈やその度合いも異なってくると考えるため、作曲者の意図を伝える手段ともなった記譜法は、演奏することになった人々や、演奏自体に大きな影響を与えたのではないかと思います。

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ヴィヴァルディのグロリアを聞いて、まず序盤の部分ではコーラスを追いかけるように弦楽器の演奏が響いているという点に興味をもちました。あくまで主観ではあるのですが、微妙に楽器の方が遅く、けれどその遅さの間隔が一定であるように思いました。そのため聴いている側も不快感を感じず、むしろ重厚に聞こえるようになっていると思います。こうしたタイミングは記譜という明確に目で見られる形にしたからこそできた部分が多いのではないかと思います。 また中盤にかけてはコーラスの部分でもアルトとソプラノに分かれ、さらに同じパート内でも歌い方に差異を付けていました。その時に楽器の方がおそらく主旋律と思われるパートとぴったり合わせていたのが印象的でした。序盤ではずらすことで何奏にも響くメリットを捨てたのは楽器までずらしてしまうと聴いている側がどちらに注目すればいいのかわからなくなってしまうからだと思いました。序盤では明らかにコーラスを主体にして楽器の演奏はあまり強調しないようになっていたからこそできたものなのだと思います。 多くの音を同時に扱うというのはその分聴いている側へ負担を強いることになります。それを演奏して初めてわかる形ではなく、演奏する前からどのパートがどこと重なるかなど可視化できるというのは必要なことであったのだと思いました。

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私は記譜法によって、楽譜の上での高さの異なるそれぞれの音に、ドレミファソラシドという名前を付けることで人々が同じ歌を口ずさむことが出来るようになったと考えています。 ヴィヴァルディのグロリアは、演奏家に奏でる音の高さに合わせた声を発生しているのです。音階というものが定められたことにより、なしえた大規模な演奏だと私は思いました。楽譜というものは見ただけで歌うこと、奏でることが楽器の扱い方さえ知っていれば、同じメロディを奏でることが可能になるため、小学1年生の時の音楽の授業から扱っているわかりやすいものとなっています。記譜法は演奏に不可欠なのです。 例えばですが、記譜法が無ければ、Aさんが演奏した曲、または歌った歌を覚えている曲が無ければ、全く同じメロディを再現することは覚えている人が居なくなった際に出来なくなるのです。そのような事態が起こらなくなったのは、記譜法によるメロディを紙に記す行為のおかげなのである。グロリアを記したヴィヴァルディは生きていた時はそこまで名をはせていたわけでは無かったのだが、死後に発見されたことにより有名になりました。18世紀前半から扱われており、記譜法は現代でも活用されており、洋楽器だけでなく日本の三味線や箏に使われるほどです。

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私は、記譜法を用いたことで、音楽がより多くの人に伝わり、共有されてたことで、音楽の可能映画人がったと思います。バッハの無伴奏チェロ組曲第1番プレリュードのように、17世紀から18世紀に五線譜の記譜法が発明されたことによって、複数の楽器が合わさって演奏できるようになりました。グロリアでは、楽器のみならず、女性たちの合唱も同時に行い、さらに、離れた場所でタイミングを計ることは容易ではないはずでしょう。しかし、五線譜の記譜法によって、音楽を理解し、タイミングや、音程なども、完璧に把握することが可能になった。さらに、演奏の構造を理解することで、温かさや悲しさが、目で可視化され、作曲者がこの曲に込めた思いや、感情なども理解することが可能になった。よってまとめると、聴覚情報から視覚情報にメディア変化していったことにより、従来の聴覚によってなされていた理解よりも、視覚によって、幅広い情報を共有することが可能になった。よって、音楽への理解がより一層深まり、17世紀後半からグロリアのような、、多様な音楽の形態が生まれていったのだと私は思います。