情報メディア問題入門2021後期03音響メディア論(2)-保存済み

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27応答

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1.

音楽にとって19世紀は交響曲(シンフォニー)の時代でした。19世紀前半のベートーベンの9つの交響曲が規模と内容において圧倒的な影響を与えたのです。その発展をビフォーとアフターで比較してみましょう。ビフォーは18世紀後半の古典派のハイドンとモーツァルトの交響曲。アフターは20世紀初頭の最後のロマン派と言われたマーラーの交響曲。ハイドンとモーツァルトは講義ページで指定したYouTubeのうち初期のものを選んで下さい。マーラーは第5番第4楽章「アダージェット」とします。両者を比較して、交響曲(シンフォニー)というジャンルの内容について、自分なりに考えたことを説明して下さい。「私」を主語にして「ですます調」で500字以上3000字以下。締切は2021年10月10日午後11時30分。

講義ページはhttps://www.econorium.com/2021/10/202103.html


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まず、18世紀後半の古典派のハイドンやモーツァルトの交響曲は、高い音でハイピッチ、同じメロディーであり、転調がとても多く、曲がきびきびしたように感じました。また、聞こえてくる音から、使用している楽器に打楽器がないように感じました。この高い音のように聞こえる理由は、打楽器の音がないため、演奏における楽器の構成が弦楽器・木管楽器・金管楽器だと考えられます。曲の音を聞いた感じは、そんなに大人数ではなく、弦楽器が多めの楽器編成かなと思いました。 次に、20世紀後半の最後のロマン派と言われたマーラーの交響曲(アダージェット)は、全体的にゆったりとした曲調で、転調は少なく、暗い曲のような印象を受けました。また、曲の途中から重低音とハープのような音が聞こえました。このことから、少なくともハープが楽器編成に入るぐらい楽器の多様化が進んでいると考えられるため、規模は大きめだと思いました。 これらのことから、18世紀後半のハイドンやモーツァルトの交響曲と20世紀初頭のマーラーの交響曲とを比較してみると、明らかに18世紀後半の交響曲は20世紀初頭の交響曲と比べて、転調の数が多くなっています。また、音の強弱の波が18世紀後半の交響曲の方が激しく行っているように感じました。

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 ビフォーの時代のハイドンとモーツァルトの交響曲は、それぞれ交響曲全集のものを聴きました。18世紀後半の彼らの交響曲と、マーラーの交響曲第5番第4楽章を比較してみると、まず、ビフォーの二人の曲は、まさしく観客に聴かせるための曲といった感じで、テンポのつかみやすさから、作曲者や指揮者の息遣いのようなものを感じられる曲だと思います。主旋律と伴奏の旋律が組み合わさることで、複雑な音の組み合わせを楽しめる曲だと思います。一方で、アフターの20世紀初頭のマーラーの交響曲第5番第4楽章は、映画に用いられたということもあってか、ビフォーの二人の曲のような、曲が主人公のように前面に出てきて観客を魅了するという感覚ではなく、観客を包み込んで曲の世界観に引き込むような、ある種脇役的な演奏によって観客を射止める演奏だと思いました。主旋律と伴奏がリズムまで一体化したことで生まれるハーモニーを、楽しむような曲だと思いました。この比較から、私は、交響曲というジャンルは、主旋律や伴奏パートなどの様々なリズムと音が組み合わさった複雑で盛大なものから、複数の楽器が重なることで紡がれるハーモニーに重きを置いて、音の調和を楽しむものへと変化していったように感じました。ビフォーの時代の、低音楽器がリズムをとる伴奏から、アフターの時代の、主旋律と一体化する伴奏をするようになったことで、交響曲は、曲が進むことによるわずかなハーモニーの変化を感じ、楽しめるものになったのではないかと考えました。

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ビフォーとアフターの違いとし印象面や使われる場面に違いがあるのではないかと私は感じました。 簡単にいうと、ビフォーは印象的な部分があるという点、そしてこれに対するアフターは印象的な点が少ないという印象です。 ビフォーの方は、クラシックという枠組みだけで活躍されているはなくバラエティ番組であったり、企業のCMの中で使用されているところから、聞いたことあるという印象をもった楽曲も少なくありませんでした。つまり、楽曲としてのインパクトが強いため、1つの楽曲だけで作品として相手に印象付けることができると私は感じます。これに対して、アフター側は聞いた曲の母数が少ないということも起因している可能性はありますが、バラエティ番組や企業CM内で使用されているという印象がなく、聞いたことあるという印象はありませんでした。私は、アフター側の楽曲は、映画内やCMの中で使用されていたとしても主役級としての立ち位置ではなく、アシスト級としての立ち位置であるという印象がこの曲を動画で聴いたときの私の印象でした。つまり、この楽曲は情景や風景などとセットにすることでより味わい深いものになると感じます。 したがって、これらの対比として私は他の存在と一緒に聞くときに何と一緒に聞くかという点に違いが生じるのではないかと私は感じました。

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ビフォーの方、古典派のハイドンとモーツァルトの交響曲を聞いてみました。 まずハイドンの作曲した曲を聴いたところ、同じ曲調でずっと流れていくものが多いなと初めに感じた。また、私の着眼点がおかしいのかもしれませんが、ハイドンのコンサート交響曲第45番の動画を見ていて思ったのが、曲が進むごとに演奏者の退場していき、指揮者までいなくなり、最後には二人しか残らないというものだった。面白いコンサートの作り方だなと感じました。次にモーツァルトの作曲した曲を聴きました。普段交響曲というジャンルに聞きなれない自分でも、知っている曲が飛ばし飛ばしですが見つかるぐらいには名曲が多いなと感じました。耳に入ってきやすい曲調だからこそ、テレビなどで利用されているのだなと、再確認できました。 アフターの方である、ロマン派マーラーの交響曲アダージェットを聞きました。 初めに抱いた感想は、全体的に切なさ、儚さのようなものを伝えたかったのかなというものです。静かながらも壮大さを表現しているため、睡眠用に流すような曲ではないことは確かです。美術館で流れているイメージが聞いている間、ずっと頭で湧いていました。今まで生きてきて聞いたことが無かったため、素直に感動した一曲です。

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ハイドン 圧倒的な静けさの中から、奏者による壮大な音楽が奏でられています。また、一定のリズムのビートのような音楽を奏で、他の奏者が音を奏でることによってより音楽に一体感をもたらしているのではないかと感じます。 モーツァルト  転調をうまく使い分けているように感じます。楽器の細かな音をうまく使い、迫力を出しているように感じました。ゆったりな音からハイテンポに切り替えることによって聴き手の引きをうまく引き出しているように感じます。 マーラー 非常に落ち着いた印象で、管弦楽器をゆっくりと弾き奏でています。落ち着いた曲調で、聞き手の心に安らぎをもたらしています。転調を使うことなくほとんど一定のリズムで音を奏ででいると感じます。 18世紀後半の方は、迫力を時によって出すことで音楽に魅力を見出していると感じました。 20世紀初頭のマーラーでは、より洗練された音楽で落ち着いた曲調で音を奏でています。より洗練された音でも、その中で聞き手に安らぎをもたらしていて、音楽を作り出しているのではないかと考えました。どちらの音楽も聞き手に安らぎをもたらすと言う部分では共通していて、転調を使うか使わないかによって曲調が変わっているように感じますが、どちらとも洗練された音楽であることには変わりないと感じました。

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交響曲は英語でsymphony、ドイツ語でsinfonie、イタリア語でsinfoniaですが、語源はギリシャ語の「syn=共に」と「phone=響く」にあります。 ちなみに、この言葉を「交響曲」という見事な日本語に訳したのは、あの文豪、森鴎外だったとか。 ドイツ留学経験がある彼は、音楽にも興味があったようです。 さて、交響曲は一般に「多楽章からなる管弦楽曲」といわれています。 楽章の数は、3楽章か4楽章が普通。 もっともオーソドックスなパターンは、第1楽章(ソナタ形式で書かれた速めの楽章)→第2楽章(ゆったりとした楽章)→第3楽章(メヌエットなどの舞曲)→第4楽章(盛り上がるフィナーレ)です。 ちなみに「ソナタ形式」とは、ごくごく簡単に言ってしまうと、「はじめに曲のテーマが現れ、その後別の展開がしばらくあって、やがて最初のテーマが再び現れる」といった、「曲の流れの基本のかたち」です。 物語になぞるなら、「起承転結」みたいなものです。交響曲というジャンルが確立し、今日のように花形ジャンルとして発展したのは、古典派の時代でした。 おおよそ、18世紀半ばから19世紀のはじめにかけてのことです。 ここで登場するのが、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのお三方です。 ハイドンは、「交響曲の父」と呼ばれている人で、実際、交響曲の基本形を完成させました。 ハイドンが作った交響曲の数は、なんと100曲を超えます。 こんなに作ったクラシックの作曲家は、後にも先にもこの人しかいません。そしてベートーヴェンは、《交響曲第9番・合唱付き》という、大傑作を作り上げました。 ある意味、この曲によって、交響曲はひとつの完成形を見たのです。 その後、交響曲というジャンルは、シューベルト、メンデルスゾーンらを経て、ブラームス、ブルックナー、さらにマーラー、現代の作曲家へと引き継がれていきます。 ロシア出身のチャイコフスキーや、チェコ出身のドヴォルザークらも、素晴らしい交響曲をたくさん残しました。 しかし、交響曲の歴史において、第9がひとつの頂点であったことは間違いないでしょう。

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ハイドンとモーツァルトは追いかけるようにメロディーを重ね合わせ、一定のテンポのリズムをいずれかの楽器が奏でそれに重なるように主軸となるメロディーが演奏されていました。必ず土台となるリズムを奏でる楽器があり、そのリズムに正確に音がのせられているように感じました。私はハイドンの弦楽四重奏を聞きましたが、長調の明るい曲調が主で常に弓を跳ねさせて演奏する軽いスピッカートや指で弦をはじくピチカートが用いられ常に同じリズムを奏でているように聞こえました。ハイドンとモーツァルトのどちらにも共通するのは、リズムが極端に早くなったり、遅くなったりすることはなく、そのテンポに合わせてまるで精密機械のように音がずれることなくメロディーが響いているように思いました。そして、マーラーの曲がオーケストラなど大きなホールで演奏するような大規模で壮大な曲に対して、ハイドンやモーツァルトの曲は室内で演奏される反響が少ない弾き方が可能な曲であると感じました。マーラーのアダージェットは前者の二人の曲調とは全く異なり、音のテンポでリズムをとるのではなく、各楽器が自由にのびやかに演奏している様子が聞いて取れました。土台となるリズムというものが存在しておらず、より様々なメロディーを奏でているように感じました。テンポも様々でゆったりとしたものが多いのが印象的でした。そして、メロディーが追いかけ合う独立したハイドンやモーツァルトに対し、マーラーの曲は一つのメロディーを複数の楽器で作り出しているように感じます。三人の楽曲を聞き感じたのは、交響曲のストーリー性の強さでした。楽章によって、映画の場面が切り替わるような表現の仕方がどの章を見ても異なるように思います。そして、この長さの曲が正確に演奏でき作曲者の意図した音を奏でられるのは、やはり記譜法の発展がとても重要であると改めて学びました。

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私が両者を比較して考えたことは、どちらもその音楽を楽しむために特徴や背景を知識として知っておくことが重要だということです。正直、私はクラシック音楽は全く詳しくなく興味もあまりありません。なので初めに両者を聞いた時は特に何も思うこともありませんでした。しかし、それぞれの解説を読んでから改めて聞いたところ初めに聞いた時と全く違う印象を抱きました。例えば、ハイドンの交響曲第45番で、演奏者が次々と立ち上がって出て行ってしまうという演出がありますが最初にこれを見た時は何をしているのか理解できませんでした。調べてみると、この作品はハイドンが働いていたところの楽団員が長期間家に帰ることが出来なかった際、音楽で伯爵に伝えようとして作曲されたそうです。あの場では指揮者が伯爵役だったのでしょうか。そのエピソードを知ってから改めて聞いてみると一つの物語を見ているかのような楽しみ方が出来ました。また、マーラーの第5番第4楽章アダージェットも初めはただ暗いという印象しかありませんでした。しかし、実はこの曲はマーラーの妻に宛てた愛の曲だというのです。それにしてはあまりにも暗すぎると思いました。その理由はマーラーの生い立ちにあるようです。マーラーの幼少期はとても貧しく、また父が暴力的であったため、兄弟が何人も亡くなったそうです。それは常に死と隣り合わせという普通とは違った価値観がこの作曲家を生み出したのかもしれません。そう考えるとアダージェットも愛と死の二面性を持つ変わった交響曲とも思えてきます。調べれば調べるほどその曲が良いと感じるようになりました。これからも定期的に古典派、ロマン派の曲を聞いてみようと思います。

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 まずはモーツァルトの交響曲第1番について意見を述べていきたいと思います。スタイルは「急-緩-急」という3楽章形式で、習作的な作品ではありますが、その中に交響曲第41番「ジュピター」の音型が含まれているなど、暗示的なものも含んでいると思いました。「ドー・ミー・ソソソソ...」という可愛らしい第1主題が演奏されて始まり、この主題の後半では静かに沈みこむような対照的な雰囲気になっていて、この対比が強調された後、陽気でおどけたような第2主題が出てきますが、とても飽きずに聞いていられるような交響曲だと思いました。よく聞くとホルンの演奏するメロディの中に「ジュピター」交響曲の第4楽章の最初に出てくる「ドーレーファーミー」のジュピター音型が既に出てきている点が注目ポイントだと思いました。このことと合わせて,少年の作品とは思えない霊感に溢れた音楽だと思いました。  続いてハイドンの交響曲第1番、第2番について意見を述べていきたいと思います。1楽章をはじめとして、どの楽章もエネルギー溢れる音楽でパワーに満ちており、心が躍るような音楽だと思いました。音が非常に活き活きとしており、心を楽しませる度合いはハイドンの交響曲の中でもかなり上位クラスであると思いました。記念すべき1番に相応しい名作と言えるな、と思いました。交響曲第2番はというと、どの楽章もパワーを感じるものの、1番のような名作感はなく、ごく標準的なレベルの曲であると思いました。メロディー重視というより勢い重視であり、高揚感があるため聴いていて楽しいと思いました。1番に続き3つの楽章しかなくコンパクトさを感じました。  続いては、マーラーの第5番第4楽章「アダージェット」について意見を述べていきたいと思います。この楽章はかなり濃密な音楽だと思いました。楽譜の小節数から見ても100小節足らずですので規模は小さいのですが、大変ゆっくりと演奏され、大変聞き応えのある音楽になっていると思いました。他の楽章が大編成で演奏されますので、ハープと弦楽五部だけで演奏されるこの楽章は、全曲中のオアシス(休息時間)ともなっているのでは?と思いました。楽章は神秘的なハープの伴奏の上に第1ヴァイオリンが叙情的な主題をゆったりと出して始まりますが、マーラーの曲には必ずこういった陶酔的な部分がよく出てくるな、と思いました。その中でも特に陶酔的な曲だと思いました。美しさと切なさが一体となり、3楽章までとは別世界に連れて行かれたような気分になりました。音楽が進むに連れてゴージャス感がどんどん強まり、中間部では第1ヴァイオリンに不安げなメロディが出てきますが、これは,第5楽章を予告するものだと聞いたことがあります。この部分では、ハープが動きをやめ、その後、第1部を簡潔に再現し、大きな盛り上がりを作った後、弱い和音で締めくくられていてとても躍動感あふれる音楽だと思いました。とにかく、甘く切なく陶酔的で圧倒的な魅力を持った音楽だと思いました。  古典派(ハイドンとモーツァルト)とロマン派(マーラー)を比較すると、「ロマン派の音楽」とは叙情的で、作曲者の内面、感情を表現した音楽を言いますが、確かにマーラーの第5番第4楽章「アダージェット」は恋人へ向けた音楽なので、それを踏まえて聞けば聞くほどロマン派であることがよくわかるなと思いました。それに対して「古典派の音楽」とは、音楽そのものの美しさや構成を大切にした音楽を言いますが、これもやはりハイドンやモーツァルトの音楽を聴くと、構成を大切にしていることがよくわかりました。そしてロマン派と古典派は、実はそれぞれ違うものなのだな、と聞いてみてわかりました。しかし、それと同時にロマン派全盛の時代の、ロマン派の技巧を使った音楽の中にも古典派の音楽はあるし、その逆もあることがわかりました。個人的には古典派の交響曲の方が聴きやすく、好みでした。

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 まずはモーツァルトの交響曲第1番について意見を述べていきたいと思います。スタイルは「急-緩-急」という3楽章形式で、習作的な作品ではありますが、その中に交響曲第41番「ジュピター」の音型が含まれているなど、暗示的なものも含んでいると思いました。「ドー・ミー・ソソソソ...」という可愛らしい第1主題が演奏されて始まり、この主題の後半では静かに沈みこむような対照的な雰囲気になっていて、この対比が強調された後、陽気でおどけたような第2主題が出てきますが、とても飽きずに聞いていられるような交響曲だと思いました。よく聞くとホルンの演奏するメロディの中に「ジュピター」交響曲の第4楽章の最初に出てくる「ドーレーファーミー」のジュピター音型が既に出てきている点が注目ポイントだと思いました。このことと合わせて,少年の作品とは思えない霊感に溢れた音楽だと思いました。  続いてハイドンの交響曲第1番、第2番について意見を述べていきたいと思います。1楽章をはじめとして、どの楽章もエネルギー溢れる音楽でパワーに満ちており、心が躍るような音楽だと思いました。音が非常に活き活きとしており、心を楽しませる度合いはハイドンの交響曲の中でもかなり上位クラスであると思いました。記念すべき1番に相応しい名作と言えるな、と思いました。交響曲第2番はというと、どの楽章もパワーを感じるものの、1番のような名作感はなく、ごく標準的なレベルの曲であると思いました。メロディー重視というより勢い重視であり、高揚感があるため聴いていて楽しいと思いました。1番に続き3つの楽章しかなくコンパクトさを感じました。  続いては、マーラーの第5番第4楽章「アダージェット」について意見を述べていきたいと思います。この楽章はかなり濃密な音楽だと思いました。楽譜の小節数から見ても100小節足らずですので規模は小さいのですが、大変ゆっくりと演奏され、大変聞き応えのある音楽になっていると思いました。他の楽章が大編成で演奏されますので、ハープと弦楽五部だけで演奏されるこの楽章は、全曲中のオアシス(休息時間)ともなっているのでは?と思いました。楽章は神秘的なハープの伴奏の上に第1ヴァイオリンが叙情的な主題をゆったりと出して始まりますが、マーラーの曲には必ずこういった陶酔的な部分がよく出てくるな、と思いました。その中でも特に陶酔的な曲だと思いました。美しさと切なさが一体となり、3楽章までとは別世界に連れて行かれたような気分になりました。音楽が進むに連れてゴージャス感がどんどん強まり、中間部では第1ヴァイオリンに不安げなメロディが出てきますが、これは,第5楽章を予告するものだと聞いたことがあります。この部分では、ハープが動きをやめ、その後、第1部を簡潔に再現し、大きな盛り上がりを作った後、弱い和音で締めくくられていてとても躍動感あふれる音楽だと思いました。とにかく、甘く切なく陶酔的で圧倒的な魅力を持った音楽だと思いました。  古典派(ハイドンとモーツァルト)とロマン派(マーラー)を比較すると、「ロマン派の音楽」とは叙情的で、作曲者の内面、感情を表現した音楽を言いますが、確かにマーラーの第5番第4楽章「アダージェット」は恋人へ向けた音楽なので、それを踏まえて聞けば聞くほどロマン派であることがよくわかるなと思いました。それに対して「古典派の音楽」とは、音楽そのものの美しさや構成を大切にした音楽を言いますが、これもやはりハイドンやモーツァルトの音楽を聴くと、構成を大切にしていることがよくわかりました。そしてロマン派と古典派は、実はそれぞれ違うものなのだな、と聞いてみてわかりました。しかし、それと同時にロマン派全盛の時代の、ロマン派の技巧を使った音楽の中にも古典派の音楽はあるし、その逆もあることがわかりました。個人的には古典派の交響曲の方が聴きやすく、好みでした。

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交響曲(シンフォニー)について、私は、18世紀後半の古典派のハイドンとモーツァルトの交響曲や、20世紀初頭の最後のロマン派と言われたマーラーの交響曲を聞いただけでは違いや相関を明確に発見することが出来なかったので、交響曲に関する情報を調べてから考えることにしました。ハイドンやモーツァルトの交響曲形式は、第1楽章 -ソナタ形式 第2楽章 - 緩徐楽章(変奏曲または複合三部形式) 調は第1楽章の近親調 第3楽章 – メヌエット主調(第1楽章と同じ調) 第4楽章 - ソナタ形式またはロンド形式主調または同主調 が標準的なものでしたが、ベートーヴェンは、第3楽章に使われていたメヌエットをスケルツォに変え、古典派の交響曲の形式を完成させました。また、マーラーにおいては、単なる主題から『主題群』に発展し、管弦楽の規模の拡大(4管編成から5管編成まで)、自作の歌曲集からの引用、独唱や合唱等の声楽を含めたものとなりました。 私なりの考えでは、交響曲は今でこそコンサートでメインの演目となる花形ですが、そうなったのはベートーヴェンによって交響曲第九番がつくられ、他の作曲家に多大な影響を与えたからだと思います。今でも交響曲は様々な例外を生み出し、音楽界を賑わせているように感じます。

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18世紀後半の古典派として、ハイドンの「交響曲」とモーツァルトの「交響曲全集」を聴きました。私がまず感じたのは、ビフォーとアフターで雰囲気のきかせ方の変化でした。18世紀後半では、音響に重きを置いて、聴き手にわかりやすい重厚さや快感を伝えるような編曲がされているなと感じましたが、「アダーシェット」では、わかりやすさや心地よさではなく、(曲調のせいもありますが)楽曲の内包しているメッセージ性を前面におしだして、聴き手の心情に訴えかけるような雰囲気を演奏によって形成しているように感じました。古典派音楽では、各パートが独立して作用し、層のように音を重ねることで曲自体に厚みを持たせているなと感じましたが、マーラーの時代に入ると、それまで独立していたパートが一つにまとめられ、19世紀以前よりも重厚感よりも編曲の複雑さや流動性を増しているという印象を受けました。私はクラシック音楽については無知もいいところなので、交響曲(シンフォニー)という分野のもつ意義などについては理解しかねますが、「複数の楽器の音を重ね合わせて一つの楽曲の中に収める」というものであると理解しています。そういった意味で考えると、今回鑑賞した3楽曲の変化から見ても、この分野は「楽曲構成の複雑さや各楽器の奏でる音のシナジーを追求し、音楽の複雑性や表現の幅を追求する分野」なのではないかなと考えました。

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私は、18世紀から20世紀初頭までの音楽を聴いて、記譜法というメディアが施した1つの音楽の寿命が終わったように感じました。ハイドンやモーツァルトらの音楽は、曲調の基盤として明るく、低音に下がることもありますが、平均して明るい曲調に仕上がっており、音による短編ストーリーを見ているような印象を持ちました。また、楽器の音数や種類から、演者が数人規模による最低限のコストでも始められるような音楽に聞こえました。そして、19世紀に入り、コンサートホールなどが発展すると、ベートーヴェンの音楽では、一昔前のハイドンやモーツァルトらの明るい曲調の音楽に加えて、楽器の数の種類が増えたことによる、大規模な演奏に変化しました。私は、ハイドンらの曲が短編ストーリーを作っているとするならば、ベートーヴェンは短編映画を作っているようなものだと思います。 次に、私は20世紀初頭のマーラーによるアダージェットを聞きましたが、私の予想する音楽とは逸れていました。私は19世紀のベートーヴェンらの影響を受けて、20世紀の音楽は規模や楽器の種類などが増えて、発展していくだろうと考えました。しかし、マーラーの曲は異なりました。落ち着いた曲調の音が続き、音の数や種類も少なく、風景に沿ったBGMのようでした。「ベニスに死す」というタイトルの通り、暗い曲調ではありますが、曲中の明るい音は儚さや美しさを連想させることが出来ました。よって、私は交響曲というジャンルは記譜法というメディアの発展に伴い進化してきましたが、さらなる演者を収容できるスペースの確保や、新たな楽器を導入して一つの音楽にまとめ上げることに限界が生じたため、これ以上の発展が行き詰った音楽であると考えました。

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私は18世紀後半の古典派であるハイドンやモーツァルトなどのシンフォニーと20世紀初頭のロマン派であるマーラーのシンフォニーとをビフォーとアフターとして比べて聞いたところ、2つにはかなり違いがあると感じました。具体的に説明をする前に「シンフォニー」という言葉についてどのような意味があるのかを詳しく調べました。なぜなら同じシンフォニーであるのに古典派とロマン派で全く異なる形態の音楽に聴こえたからです。するとこの言葉には主に2つの意味があり、それは授業でも説明がありましたが「交響曲」とあと「調和」という意味です。これを踏まえて私は18世紀後半のシンフォニーは、管楽器の掛け合いが特徴的だと感じたため「交響曲」の意味合いが強く、その一方で20世紀初頭のシンフォニーはあたかも1つの楽器で演奏しているかのように聴こえるため「調和」の意味合いが強く出ていると感じました。それゆえに、ヨーロッパの音楽は多くの管楽器を演奏し、それぞれが別のメロディーやテンポで、かつ大規模で演奏する形態から、種類の異なる楽器が調和するような形態に変化したのではないかと考えました。またシンフォニーという言葉も、もしかしたら時代や音楽とともに新たな意味が加わったのかもしれないと思いました。

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私が考える、交響曲というジャンルの内容として、授業内でビフォーとしてあげられたハイドンやモーツァルトの交響曲を聴いて感じたこととして、アップテンポで弦楽器の音が目立った音数がそこまで多くもなくシンプルな構成の曲であるという印象を受けました。そして、ライブの演奏ということもありますが、緊張感のようなキワキワ感をすごく感じたことが印象に残りました。一方アフターとして授業内であげられたロマン派20世紀初頭の最後のロマン派と言われたマーラーの交響曲を聴いて感じたこととして、古典派としてあげられたハイドンやモーツァルトといった曲よりも音数というかバリエーションが多くなった構成が複雑になったような印象を受けました。また、ハイドンやモーツァルトよりも弦楽器の音が目立ったという形ではなく全体で音楽を聞かせているような感覚とライブと音源という違いもありますが、ハイドンやモーツァルトでは緊張感が強く感じましたが、マーラーでは雄大さや壮大感といったダイナミックな印象を比較した感想を抱きました。このことから、交響曲のジャンルは多彩な楽器を駆使し規模の大きい音楽団を使った雄大な音楽が交響曲なのではないかと考えます。

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 前回と今回授業で音楽をメディアとして扱ってきましたがいずれも私にとってとても難しい概念でありました。前回授業で記譜法という手法が斬新なアイデアだったことは理解できました。しかし今回課題の様に音楽とは、を考えようと思ったらあまりに抽象的に思えたからです。しかしそんな私ですが18世紀後半のクラシックとロマン派のマーラーを聞き比べてみると漠然とですが両者の曲に対する感覚のようなものの差が感じ取れました。  授業中でも触れられたように交響曲は多楽章で構成された音楽を一般的には指します。まずハイドンやモーツァルトら18世紀の古典派の曲を聴くと明らかにその曲を作るにあたっての軸になったのであろうテーマがあるのではないかと感じる事が出来ました。例えば“Mozart: Complete Symphonies (Selection)”(https://www.youtube.com/watch?v=sjTLIW-qx_A)で流れる音楽では少なくともネガティブな印象は受けません。明確に心が躍るような前向きな曲調である事が見て取れます。これには前回授業で習った通り記譜法などにより作曲者の意図を演奏者に明確に伝える事の技術によって多くの楽器からなる壮大な音楽の構成を成功させているという技術的な素晴らしさも感じました。  それに比べてマーラーのアダージェットを聞いてみると私には上の曲で感じたような明確なテーマのようなものは感じ取る事が出来ませんでした。冒頭に私は音楽の事をあまりに抽象的だと申しましたがまさにこの曲がその通りで、一見すると厳かで重々しい雰囲気が感じ取れますが、聞き方を変えると時にはポジティブな受け取り方もでき、それどころか悲壮感にくれたようなネガティブな風に思う事もできます。その時私はこの曲はこれをどう受け取るかは聴衆の想像力に任されているのではないかというふうに考えました。  以上の理由から私はシンフォニー、交響曲というジャンルは作曲者、又は演奏者がもつ何らかの意図を聴衆に届ける事が出来る音媒体なのだと考えました。

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ビフォアーのハイドンやモーツァルトの交響曲は、テンポがリズミカルで高音が多く、曲全体のイメージが明るめであると感じました。さらには演奏の規模で言うと、割とこぢんまりとした場所で演奏しており、演奏している人数、楽器の種類が少ないので規模は少し小さめであると言えます。曲だけでこの時代の背景を考えるのであれば、少し楽観的主義な風潮があったかのように感じさせられます。アフターのマラーのアダージェットはゆったりとしたテンポでのびる音が多く、ビフォアーに比べて低音が主に聞こえてきます。曲全体のイメージが優雅な感じに変わっている印象を受けました。また、演奏している実際の動画がないため、はっきりとは言えませんが聞こえてくる音の数や音色の種類を比べて、演奏の規模が大きくなっているように感じました。ロマン派と言うだけあって、アフターの方の曲はディズニーなどで流れてそうでロマンチックな雰囲気に合うような曲調に感じます。この時代は、ロマンチックな考え方が流行っていたのでしょうか。ビフォアーの時代と比べるとだいぶ雰囲気が変わっている要因として、人々の求めている娯楽が変化したことがあげられのではないでしょうか。音楽からその時代を考えるのも面白いと感じました。

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「交響曲(シンフォニー)」とは、原則として4つの程度の楽章で構成され、そのうちの少なくとも1つの楽章がソナタ形式であることが定義とされています。(Wikipedia参照)「ソナタ形式」とは、楽曲の形式の1つで、構成は基本的に、序奏・掲示部・展開部・再現部・結尾部からなり、2つの主題が掲示部・再現部に現れる古典派の時代に大きく発展したと定義されています。(Wikipedia参照)私はyoutubeでビフォー(ハイドンとモーツァルト)とアフター(マーラー)の曲を比較して聞いてみて、正直、両者ともに、ほとんど同じような感じに聞こえました。私は音楽にとても鈍感であり、曲の違いを見極められるような才能がないので、そのように感じたのかもしれません。しかし、ビフォー、アフターともに、最初は曲調がゆったりとしていたのが、サビらしき部分に向けてだんだん曲調が速くなり、音量も大きくなっている気がしました。そのため、私には、日本の音楽みたいにサビに向けてだんだんと盛り上がっているように聞こえ、とても聞き心地が良かったです。私は、彼らは曲を作る際に、物語のようなイメージで曲展開をしており、日本でいう「起承転結」のようなメリハリのある曲展開、曲調に仕上げているのではないかと思いました。

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私はハイドンとモーツァルトの曲を聞いた後にマーラーのアダージェットを聞きました。ハイドンとモーツアルトの交響曲は古典派音楽の輪郭を造ったとされているということで古典派の原点を聞きました。視聴前に驚いたことはモーツアルトの交響曲全集の動画の時間に驚いています。再生回数も多いが圧倒的に動画の時間が長いことにびっくりしています。ハイドンとモーツァルトの曲は強弱がはっきりしていました。強く迫力を感じるときと弱く静かな演奏がとても印象的です。全体的に迫力があって焦燥感というか曲のリズムが速く感じる圧迫感を感じさせる部分とゆったりとした交響曲といえばこのリズムでこの曲調というような部分がはっきりしていてとても心を動かされます。それに対してマーラーのアダージェットは曲調が全体的にゆったりとした曲調でした。そもそも音楽に疎い私はモーツアルトやバッハベートーヴェンなどといった素人でも聞いたことがある名前の人たちの曲はあまり大差がないのかと思っていました。しかし、実際には素人でもわかる違いがいくつもありました。少し時代が変わり○○派が変わるだけでここまで大きな差になると思ってもみませんでした。そして、アダージェットはハイドンとモーツァルトの曲と比べて曲の起伏は激しくないもののハイドンとモーツァルトの曲よりも感情のようなものを感じました。交響曲は当たり前ですが基本的には音だけで楽しむものなので歌詞はありません。その曲のメロディーやピッチなどで曲を感じることができます。そのメロディーがアダージェットのほうが優しく感情的だなと思いました。ハイドンとモーツァルトの曲が無感情といいたいのではなく、ただ強弱があるだけでアダージェットのほうがより繊細な曲なのかなという印象を受けました。私は圧倒的にアダージェットのほうが好みでした。音楽に起承転結があるのも楽しいですが、ゆったりとした曲が好みなので私はアダージェットのほうが聞いていて心地よく滑らかに聞くことができました。おそらくハイドンとモーツァルトの曲は重奏がメインですがマーラーのアダージェットは楽器が移り変わっていくのが特徴なのかなと感じます。メロディーが優しく高い音で表現されているところとメロディーは低いが優しい印象を受ける部分が移り変わっていく様子がとても好きでした。交響曲は現代と違って歌詞で楽しむのではなく純粋にメロディーだけを楽しむもので古典派やロマン派で大きな違いを感じることのできるジャンルであると感じた。人によって好みがわかれると思うので自分の好きな曲調の作家を探すのもとても面白いと思いました。なんといっても交響曲が作り出す一体感や統一感がとても素晴らしくとても好みでした。

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18世紀のヨーロッパを支配していた啓蒙主義は、理性を偏重し過ぎ、伝統を軽視する傾向があったため、19世紀になると、それに対する反動としてロマン主義が生まれてきました。冷徹な理性よりも、人間に本来自然に備わっている感情を重視し、それを空想的、夢幻的、牧歌的な世界への憧れという形で表現したのがロマン主義です。ロマン主義はまた、なによりもまず個人の人間性を尊重する芸術でもありました。私は中学生の時に吹奏楽部に所属しており、サックスを吹いていました。その時にこのような話を聞いたことがありとても懐かしかったです。

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クラシック音楽というジャンルができたのがこの18世紀です。クラシックというか交響曲という4部からなる形式を作ったハイドンやヴェートーベンは物凄い才能があったと思ういます。今でこそヴェートーベンと聞けば、誰しもが音楽室で見たことがあると思います。オーケストラという今の主流を作った彼はまさしく天才といえると思います。当時ヴェートーベンは古典派の交響曲の形式を完成させました。その後、各楽章に場面や内容を表す標題をつけました。これにより人間の内面をも表現しハイドンの交響曲を進化させました。次第に彼はロマン派的思考を強めていった。ヴェートーベンは当時では斬新な手法を使ったり、順番を逆にしたりしていました。これによりピアノや古典派によるシンフォニーは絶頂期になった。このころに形が今にも続いていると考えるととても面白いと感じます。ロマン派の時代になると、シンフォニーは人間の内面を表現するようになっていきヴェートーベンが進んで取り入れたものが主流になっていっていたのです。 現代においても交響曲というジャンルは残っています。しかし、現代では内容的に大きな変貌を遂げたものの数多くあります。新ウィーン楽派においてはシェーンベルクの室内交響曲のような形式の変容や、ヴェーヴェルンの交響曲作品21のように完全に独自の音列技法に組み入れられたものもあります。そなた形式の伝統に連なるものも数多くあるがこのような作品は現代音楽の中心的なものにはなってません。時代と共に変化していった部分はありますが一時時代のジャンルを作ったヴェートーベンは天才だと思います。

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19世紀を境にビフォーである18年の古典派は少し田舎を思い出させるような、全体的に落ち着いた雰囲気を感じた。自分のしたいことをしたいときにするような周りに流されないような強い真があるようにも感じた。モーツァルトのお昼寝ピアノ協奏曲は、本当に眠いときや窓際で日光を浴びているときに聞いたら心地よい深い眠りについてしまいそうな雰囲気を感じた。変な時間に寝るお昼寝というより、午前中から活動してお昼の前に一眠り、というような質の良いお昼寝というイメージがわたしの脳内で再生されました。曲は人によって感じ取り方や脳内のイメージが全く違ったりするので他の人がどのように感じ取ったのか気になりました。 それに比べて、19世紀を機にその後のクラシック音楽は音が増えておしゃれな都会、お洒落な人が聞いていそう、な雰囲気を感じとりました。聞こえてくる音の1つ1つの強調が強く、自分以外の人やモノが周りにたくさんあるような都会です。自分が動かなくても周りの人や環境は目まぐるしく回っていてぼーっとしていて気付いたときには周りが知らないモノだらけになっているようなイメージをしました。 普段クラシック音楽を聞かないので知識が全くない中で聞いての課題ですが曲を聴いてイメージするというのは知識がなくても今まで見てきたものや感じてきたモノがあればできることなので普段聞かないからといって嫌がらずに聴いてみると案外ハマったりするのかなと思いました。

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ビフォーの18世紀後半の古典派のハイドンとモーツァルトの交響曲に関して、ハイドンの交響曲はアップテンポな部分があればゆったりとしたテンポな部分もあり、重厚感あるシーンもあれば軽薄なシーンもありました。これは様々な楽器を使用した上で、ほとんどの楽器を同時に演奏するシーン、一部の楽器のみで演奏するシーンがあるからだと考えられます。これにより、盛り上がるシーンと落ち着きがあるシーンの両方があると感じられました。モーツァルトの交響曲は、転調が多めであり、アップテンポなシーンとゆったりとしたテンポのシーンのメリハリが付いていると感じました。弦楽器の早弾きの部分で軽やかさが、打楽器などでメリハリが付いているように思います。 アフターの20世紀初頭の最後のロマン派と言われたマーラーの交響曲(第5番第4楽章「アダージェット」)は、ビート感がなく、全体的にゆったりとしたテンポで変化がなく、転調も少なく、落ち着いた雰囲気だと感じました。特に、ハープと弦楽器群のみで演奏されているところから、様々な楽器が織りなす重厚感がありつつも、楽器が多すぎるが故のカオスな状態がないと感じました。 この両者を比較して、交響曲(シンフォニー)というジャンルの内容について、私は教会旋法から独立した調性であるところから始まり、それは一貫されている上で、多岐に渡るテンポの数は、年々落ち着いていったと感じました。これは、社交界などのイベントで使われていた飽きさせない交響曲から、音楽鑑賞のための全体的に落ち着いた交響曲に変化したことを表していると考えます。

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ビフォーとなる18世紀後半の古典派であるハイドンとモーツァルトの交響曲をはじめに聴きましたが、まさにこれぞクラシックと言わんばかりの音楽でした。多くの楽器による力強い演奏は聞いていてっこちよいように思えます。のちにアフターである20世紀初頭のマーラーのアダージェットを聴きましたが、こちらは壮大ではあるのですが、少し落ち着いた印象を持ちました。使われている楽器の数ももちろん違うのですが、演奏の細かさも違うように感じました。ビフォーでは弦楽器やピアノによる激しい演奏が多くありましたが、アフターではあまり聴かなかったような気がします。具体的には音を跳ねさせるような弾き方があまり見られなかったように感じています。ビフォーの映像が演奏風景なのに対して、アフターはただの波の映像であることにも多少の影響は受けているかもしれませんが、情報量という点ではアフターのマーラーの方が少なくまとめられているように思えました。基本的にどんなものでも発展すると無駄をそぎ落としていくようになりますが、19世紀の音楽においてはこのように大人しくまとまることが一種の発展であったのかと思えます。ひとによって好きなものが違うように時代によってmも美的感覚が異なるので、20世紀初頭では力強い演奏は流行ではなかったのかもしれませんね。ちなみに私はビフォーの力強い方が好みです。

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まず初めに交響曲とはどう言うものなのかを明らかにしたいと思います。交響曲は、管弦楽によって演奏される多楽章構成の大規模の楽曲です。シンフォニー、シンフォニア、とも呼ばれ、「管弦楽のためのソナタ」とも言えます(Wikipedia参照)。 私が、ビフォーであるハイドン、モーツァルトの交響曲とアフターのマーラーのアダージェットの演奏を聴いてまず初めに感じたのは、マーラーのアダージェットのほうが、前者と比べて音に壮大感があるといった事です。たくさんの音が重なり合い、曲の柔らかさの中にも、力強さもありとても聞き応えがある印象でした。また私は、壮大感の中にも曲自体は単調ではなく、区切りがとても感じられ飽きずに聴く事ができると思いました。 ハイドンとモーツァルトの交響曲は規模感もあまり大きくなく、少数で演奏している感じに聞こえました。しかし、シンプルな演奏の中にも少数独特の小さな強弱などが聞こえ、とても耳に入ってきやすい曲調でした。モーツァルトの曲調はとても明るく、曲全体的に柔らかさを感じられる印象でした。 私は、ハイドン、モーツァルトの交響曲とマーラーの交響曲、できた時代が違えどどちらも特徴的な良さがあり、シンフォニーを代表する音楽なのではないかと考えました。

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両者の交響曲を聞いて感じたことは、どちらも多くの音の重なり合いでストーリ―を感じられたことです。どちらも緩やかになったリ激しくなったりと音楽で物語を見ている気分になりました。特にマーラーのアダージェットでは音の波gあ大きく起承転結がしっかりした作品だと感じました。とてもロマンチックであり激しい音の前にはとても静かで落ち着きのある演奏でその差が顕著に見えました。嵐の前の静けさみたいなものをこの曲を聞いて感じました。また、きれいな音と少し汚い音があった印象がありました。ストーリーを音楽で表現している曲はずっときれいで同じような音色ではなくきれいだったり汚かったり音の波や強弱や協和が様々な種類が一曲に入っていると感じました。一方モーツアルトはきれいな音色で聞き午後値が良かった印象があります。どちらも起承転結がありストーリーがありずっと聞いていられる曲でした。しあk氏、音楽につぃて知識も経験もないためどんな楽器が使われているかの確認などは出来なくて違いを理解することは難しく感じました。多くの楽曲に触れることでその曲の違いや正しい見分というのが身に着けられるとは思うのでこの交響曲の作者の気持ちや意図をくみとれるような聞き方をしていきたいと感じました。

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私はまずハイドンの交響曲第104番を聴きました。印象としてはとても聴きやすいと思いました。万人受けするような曲だと思いました。次にモーツァルトのトルコ行進曲を聴きました。私は詳しくは覚えていないのですが幼少期の頃にいつの間に聴いたことがあるように思います。それほど古典派の曲は聴きやすく世界中の人々から愛されているということを実感しました。次にはベートーベンの交響曲第7番を聴きました。最初はとても厳かな曲のように感じましたが不思議と嫌にはならず聴き入ってしまう魅力のある曲であると思いました。次に交響曲第5番の運命を聴きました。これはもう有名すぎる曲です。もちろん私も聞いた事がありますし、小学生や中学生のときに誰しもが聞く曲だと思います。この運命は曲の中で強弱の落差がすごいある曲であると思いました。曲だけなのに物語を聴いているように感じますし、1人の人生のようにも思えます。曲だけでこれ程感じられるのはすごいことであると思いますし、やはり偉大な曲であると実感しました。 私が古典派の音楽を聴いて感じたのは誰にでも親しみやすい曲が多いように感じました。それは時代背景にも現れており、お金持ちの市民をターゲットにしてきたのが古典派であるという事実が示していると思います。 アフターの件ではマーラーのアダージェットを聴きました。 アダージェットは正直衝撃を受けました。聴くのはこれが初めてだったというのもありますが とても美しい曲だと思いました。聴いているとどんどん切なくなっていき、いま置かれている自分の位置から1歩後ろに下がってこの曲を聴いている自分がいることに気づきました。つまりそれほどこの曲は自分を引き寄せる曲であると思いました。 先程の古典派と比較するとやはり自己表現がすごい濃いように感じました。曲が自分自身を投影しているような勢いで自己表現をしていると思いました。 この交響曲のビフォーアフターをそれぞれ聴いてみて交響曲というものに正解はないように感じました。何事にもそうですが特に音楽というものは正解がないように感じました。それぞれの良さがあるしその良さは個人個人のものであり何者もそれを強要することはできません。 お金のためにやる音楽や自己表現のためにやる音楽もそれぞれ意味があるし、間違ってはいないと思います。少なくとも私はこれらの音楽に感動しましたし、とても良いと思いました。