情報市民12感情コミュニケーション(2)投稿集

情報市民12感情コミュニケーション(2)

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快感から怒りまで「こだわるのはよくないなあ」と感じつつも、あなたがなかなかやめられないことは何ですか。それを本日の講義内容を利用して自己分析して下さい。500字以上。6/28午後11時30分締切。

https://youtu.be/fHOCcxNn_Bk

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私がなかなかやめられないということは、YOUTUBEを長時間見続けてしまうということです。 日曜日や授業がない日には、家で四六時中見続けてしまいます。 見ている間は面白いという快感を得ていますが、見終わって時間の経過を感じる時には喪失感でいっぱいになってしまいます。 授業で話していたリンデンの快感回路、なぜ気持ちいいのか、なぜやめられないのかの中のEDも、YOUTUBEの動画で私の好みの動画を依存してみてしまうようなことをしてしまうため、傾向があると感じています。 また、様々なYOUTUBERの動画を見ていくにつれて、この形の動画でよくこれほどまでの数字が取れているなぁ。何がこの動画の魅力なんだろう。顔を出さずにこの数字が取れるなら私でもできそうだなぁ。などさまざまなことを考えてしまいます。 確かに、YOUTUBEを長く見続けてしまうことは、勉強時間が減ってしまい他の有意義なことに使う時間も減ってしまうことで、一度きりの人生を無駄にしていると言われそうですが、私はこのYOUTUBEを見るということをしなかったら、経済学への興味もそこそこしかなかっただろうし、動画で自分の意見を言ってみてそれについての社会の反応を見るという行為をしてみようとは思わなかったので、自分の新しい一面を知ることができたので、YOUTUBEがやめられない状態でも良かったと考えています。

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私は毎日なにかしらの甘いものを食べてしまうので、それをやめたいと思いますがなかなかやめられません。最近は夕食後のアイスが必須になってしまって、甘いものを食べると頭がぼーっとしてしまううえ、アイスはお腹が冷えてしまうので体によくないのですが、甘いものを食べないと食事を終えた感じを得られないと感じているようです。これからはなるべく控えて、最終的には食べなくても平気になりたいです。また、性格的な面では少しネガティブ気味で、何に対しても少し気遅れしたり、意欲的になれなかったりします。また、自分の性格的に偏見を抱きがちだと思うし、ハロー効果や仮説検証バイアスは特に抱きがちです。人間なのでこれらを完全に抱かないで生きるというのは難しいと思いますが、自分が偏っていると意識できるだけでかなり変わると思います。これからは、自分の思い込みや先入観をなるべく手放して物事を見ていきたいと思います。また、表には出さないのですが内面での感情の振れ幅が大きく、テレビやsnsなどのメディアを通して流される情報に、ひどく心が揺さぶられて疲れてしまうことが多くあります。特に最近はコロナ禍で暗いニュースが多く、不安になりがちなのであまり深く受け止めず、家族とも精神的な問題は相談していきたいです。

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私は普段、何かに深いこだわりを持つタイプはないので特に「こだわるのは良くないなぁ」と感じたことはありません。反対に、何にもこだわりを持っていない自分がよくないなぁ、と感じてしまいます。何かにこだわりを持ったり、譲れないものがあるということはとても大切なことだと思います。行き過ぎたこだわりはトラブルを巻き起こしたり、自分の首を絞めることになるかもしれませんが、「これだけは譲れない」というものがある人の方が強いと思います。私の周りには自分の好きなキャラクター、いわゆる推しにとても強いこだわりを持っている友達がいます。そのキャラクターは体を別の人格に乗っ取られてしまい、頭に傷が入っています。友達いわくはその傷はとても許されるものではないらしく、自分の好きなキャラクターの体がもてあそばれているようでとても不愉快だそうです。私はそのことを言われるまでそんな風に思う人がいることは想像もしていませんでした。言われてみれば確かにそうだなとも感じました。私の友達はグッズが出ても頭に傷が入っているものは一切購入はしないと言っていました。私だったら好きなキャラクターのグッズが販売していたら、特に考えないで好きに買ってしまうと思います。何かに深いこだわりを持つことにはメリットとデメリットがあると思いますが、何か譲れないものがある人はとてもかっこいいなと思います。

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UNOや遊戯王などのシンプルなカードゲームアプリです。どちらもリアルに存在する有名なカードゲームですが、それをオンライン上でいろんな人と遊べるアプリです。これらのゲームは運要素と戦術要素の両方が備わっており、最初の手札次第ですぐに負けてしまうことも圧倒的に勝利することもありますが、最も脳が快感を覚えるのは、最初の手札が悪かったにもかかわらず、長時間の攻防の末に起点を聞かせて勝利することができたパターンです。そのため、負けてしまった時にもう一試合プレイしてしまうだけでなく、勝った場合にも、より白熱した試合を求めてプレイを続けてしまいます。この現象は、ギャンブルなどに見られる不確実性の快感(断続的な強化)とフロー状態という二つの側面から分解することができます。まず前者について、習慣を引き金、行動、報酬のサイクルとして捉えた際に、行動を起こした結果の報酬の有無といった「不確実性」がある方が、躍起になってついその行動を取ってしまうようになり、これを「断続的な強化」と呼びます。つまり、ゲームをするという行動に対する報酬が得られなかった場合(敗北した、手札が悪かった)も次の行動への引き金となりうる上に、報酬が得られた場合(勝利した、手札が良かった)の快感が増加し、こちらもまたより強い引き金となるということです。次にフロー体験です。これは寝食を忘れ、あることに夢中になっている究極の集中状態を指し、この状態が発生する条件としては、やや困難なことにチャレンジしていること、そして高度なスキルを使うことといった2点が挙げられます。つまり、最初の手札が悪かったにもかかわらず、長時間の攻防の末に起点を聞かせて勝利することができたパターンが、これに当てはまります。自分のスキルと、タスクの難易度のバランスがうまく取れていると人は没頭し、その結果を問わず、時間を忘れて夢中になった体験自体に喜びを覚えるらしいです。私の体感では、この喜びの方が、単に勝利することの喜びも大きく、次の行動への引き金となる可能性も高いと感じます。

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快感から怒りまで「こだわるのはよくないなぁ」と感じつつも、私がなかなかやめられないことを、今回の講義内容を利用し、自己分析について、私はダイエットにこだわり過ぎていたことです。インターネットで、何を食べたら太るとか、何を食べたら痩せてどの時間帯が太るとか、最初は鵜呑みにしないで見ていました。けんさくいがいにもあYouTubeをみて、大人気のYouTuberがダイエットルーティンを投稿していました。みんなのコメント欄を見ると、「健康に悪いと思う」や、「○○ちゃんみたいに頑張って今日からやる」など様々な意見がありました。最初のうちは、こんなことをしたら健康に良くないと分かっていたし、ダイエットをしたとしても楽しんでやっていました。しかし次第にダイエット脳になり食べ物や食べる時間帯などこだわり過ぎていました。快感から怒りに変わった時、「こだわるのはよくないなあ」と分かっていたが執着していて辞められませんでした。私は遅い思考に当たると思います。気づいた時には不健康になり病院にも通ってしまうほどでした。次第にエスカレートして、周りの人にはもっと食べろとかダイエット辞めたら?などそのような言葉を言われました。言われる度にダイエットをしてしまい、最終的には偏った考えになり、イライラをみんなにむき出しになってしまい、分かってながらも自分のことを追い詰めてしまいました。なんで理解してくれないんだ、なにがダメなんだと葛藤する日々も続いた時もありました。

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私は耐えきれなくなると、稀に口に出して相手を皮肉ったりすることがあります。このような行為は本当に稀なのですが、あまりにも溜まり過ぎてしまうと自分自身が堪えきれなくなってしまいます。基本的には事なかれ主義ですし、流されてある程度は受け流したり、慣れが何とかしてくれるのですが、難しくなる時もあります。溜めないように、友人達と話をしたり、趣味を楽しんだり、他の楽しいことで解消しようとはしていますが、それでも駄目な時もあります。高校時代も一人ある意味独特な子で、耐えすぎて、先生から少し心配され、友人達からは凄いねと褒められたこともありました。私の学校はマンモス校ほど生徒人数も多くなく、同じクラスになる確率も高かったので、最終的には同じクラスにするのはやめてくださいと先生に相談に行ってしまいました。相談に行く前も、耐えきれず、流石に相手に伝わらないように皮肉を直接言ってしまうこともありました。幸か不幸か、その子自身は最後まで伝わらず、最後まで何も改善しないまま終わりました。最近では、自分が提示したものなのに自分の持つ記憶だけでの応答をされて、大したことでもないのにちょうどキャパシティが崩壊しました。基本的には、慣れて普通に話ができるようになることあれば、最後まで難しい人もいることは百も承知で生活していますし、社会に出れば理不尽なことや「あぁ」と感じることも頭では理解していますし、たった一人のことに感情が振り回されては今後が大変になります。こだわるのは良くないと思いつつも、そのことに集中してしまいます。本質的には、事なかれ主義なので治そうと思い人にいら立つ訳を一度調べたことがあるのですが、その人にまだ期待をしているかららしいです。慣れたら落ち着くのは、その人はこういう人でそれでも自分はいいやと自分が納得したから平気だったのだとその際に改めて理解しました。そこで、今までの短い人生を自己分析のために振り返って思い返してみました。そこで気づいたのが1年間で1人どうしても耐えきれない人がいるがわかりました。その人に感情が振り回され、1年にたった1人にこだわりを持ってしまうのは今後に支障があります。そのため、楽しいことに回すだけでなく、文章化を徹底する必要を感じました。時と場合によっては暴走度が高いので、相手のためにも自分のためにも今後とも気を付けていくべきだと思いました。これから、最高4年間で治していこうと思います。

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私はアルバイトに対してあるべき論を強くもっていると感じています。私はカフェでアルバイトをしているのですが、自分が客として訪れる際はやく商品を欲しい為自分が働く際もスピードを重視しています。しかし、その価値観を強く持ちすぎている為、一緒に働く仲間がゆっくりと行動していたりすると不信感や苛立ちを感じてしまうことが多々あります。特にこの点が顕著になっている点があります。アルバイト先でタスクをこなすポジションにつく際にはタイマーを利用し、何をするべきか優先順位をつけて行動するというルールを作り、皆が出来るだけ同じようにこなせるようなシステムを構成しました。しかし、お客様との繋がりや関係性を大事にする等人によって重要視している点は違うと思います。ただ、実際に働くとそこまで頭が回らず、他人にもタスクを効率よく、こなすことを求めてしまっています。特に普段から気の合わない人と一緒に働く際にはその人の行動が気になってしまい、ネガティブな感情がネガティブな感情を呼びより顕著に感情の押し付けが起きています。このようなことから、自分の効率よく、はやくこなすべきであるという感情をこだわってしまっていると自分で感じています。

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私が辞めたいのにやめられないものは祖父への対応、態度です。12年ほど前から祖父母と同居しており、その当初から祖父は祖母や母から「いうことを聞かずにすべて自分でやろうとして自分勝手」やそれなのに祖父が言ったことをやらないと怒鳴ると文句を聞いたり、実際その現場を見て育ち、さらにその会話から祖父母が喧嘩になると、家の雰囲気自体が悪くなり、とばっちりを受けて自分が本当に些細なことで叱られる経験を幾度となくしてきたうえに、母に全部祖父が悪いという言い方をされて影響を受けてきたので、祖父が祖母や母と話しているのを見るのが嫌な印象が大きいのですが、祖母や母も祖父の話を一方的に切り上げて、「そんなこと言うならもう~」などといって話し合いになっていないことなどがあり、それは疑問に思います。それらは現在も続いており、良い部分をなるべく見ようと心掛けているのですが、小学校二年生から植え付けられた祖父の悪口、嫌な部分のみがどうしても目についてしまい、これは直したいと思うのですが、いまだになかなかできないでいます。もちろん、僕にも祖父に直してほしいことがないのか聞かれたらありますが、祖父は言われすぎだと思っています。

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「こだわる」というのかは微妙ですが、私は人と話すときにどのような話が相手にうけるのかと考えてしまうことがやめられません。完全にコミュ障の特徴で良くないのはわかっているのですが、対面で人と話すときに何の話をしたら盛り上がるのかということばかりを考えてしまい、逆に話が続かなくなってしまい、気まずい空気になってしまうことが多々あります。おそらく、自分ではあまり気にしていないつもりでも、他人から変に思われたらどうしようといった、一種の恐怖からこのような行動につながってしまっているのかなと思います。また、承認欲求や自己肯定感の低さなども要因になっているのではないかと思います。こういったものの改善法として今回の授業にも出てきたマインドフルネスなども挙げられますが、なかなか分かっていても改善できないと感じます。おそらく現状維持バイアスが働いているのではないかと思いますが、理解しても行動には移せないのが現状です。  もう一つ良くないとわかっていてもやめられないことがあります。課題など集中して疲れた時に気を晴らすためにお菓子を食べてしまうことです。こういった行為が実際にストレスの発散につながるかというとそういうわけではないと思いますが、ついつい食べてしまいます。少量にとどめようとは思うのですが、あと一枚あと一枚とついつい食べ過ぎてしまいます。ちょうど今回の授業で紹介されていた『快感回路』という本の目次に該当しそうな原因があって驚きました。おそらく「摂取行動と快感回路」という項目に該当するのではないかと思います。以上が今のところ思いつくものです。

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私のなかなかやめられないことは休日に一日中寝てしまうことです。一日何も予定のない日は2度寝、3度寝をしてしまいます。やはり普段寝れない分ここで惰眠をしようという本能が働いてしまい、一日を寝て過ごしてしまいます。そして2度寝、3度寝は最高に気持ちが良く人間は睡眠欲には抗えないと思います。 休日に一日中寝てしまうと起きたときにはもう夕方で一日を無駄にしてしまったという虚無感に襲われます。この虚無感はなかなかに精神的ダメージが大きく、この時間があればあれがやれたこれがやれたなどと考えてしまい、ますます虚無感が増大してしまいます。これを改善するには普段の睡眠時間を一日一時間多く確保するなどすれば 大きく変わると思います。 しかしそのたった一時間はやめることがとても難しくその時間を確保することが今後の課題であると思います。また休日の朝にしかしないお楽しみを用意することや寝室環境を変えてみることなどもおもしろいかもしれません。 これから大学を卒業して社会人になります。社会人になると休日の過ごし方というのは日々の充実感に直結すると思います。 なので仕事だけするような寂しい社会人にならないためにも 治して社会人生活を送って行きたいです。

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快感から怒りまで「こだわるのはよくないなあ」と感じつつも、私がなかなかやめられないことは夜更かしです。私自身、高校生まではテスト勉強の時以外、日をまたぐ前までには必ず寝るという比較的規則正しい生活を送ることができていて、夜更かしすることなどなかったですが、大学生になり、コロナウイルスの影響で対面授業ではなく、オンライン授業になり、朝早くに起きる必要がなくなったせいか、寝る時間は、毎日といっていいほど日をまたいでいて、いつの間にか夜更かしすることが当たり前になっていきました。では、なぜ夜更かししてしまうのか、自分なりに考えてみた結果、寝る時間がもったいないと思っている、作業が終わったら寝ようと思っている、なんとなくダラダラと起きてしまう、今日に満足していないから、必死に充実の遅れを取り返そうとしているというようなこともありますが、一番は、近所の人も寝静まり、騒音などもなくなった静かな環境で何も気にすることなく、一人でいられることがとても気持ち良いなと感じるからだと思います。普段生活している中で、ストレスを感じることが多くあると思いますが、静かな空間で一人でいられることができる夜更かしは唯一1日の中でストレスを感じずにリラックスできる時間だと思うので、夜更かしはなかなかやめることができないのだと私は思います。しかし、私自身、夜更かしが良いなと感じるのは、夜更かししている時だけで、夜更かしをすることは、美容にもよくないし、勉強や仕事の効率が下がるし、疲れやすい体になったり、集中力や注意力が低下し、イライラしたり自分勝手になったりと心にも影響が出たり、体内時計が狂ったりなど自分にとって悪影響しか及ぼさないということは分かっているので、なかなかやめられないことを急にやめることは難しいと思うけど、これから社会に出ていく上で、また、生きていく上で規則正しい生活は大切だと思うし、自分の体をもっと大切にする必要があると思うから、少しずつでいいので夜更かしする頻度を減らしていけるように努力していきたいと思います。

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私が「こだわるのは良くない」と感じつつも中々やめられないことは、思ったことを人に対してはっきり言うことです。思ったことを包み隠さず言うと時には人を傷つけてしまうこともありますが、中々どうしてはっきりと言いたくなってしまいます。普通、人間はコミュニケーションのとき「あなたを無視せずに気遣っていますよ」と言うメッセージをメタレベルで送っていると言います。私の場合はそれがうまくできていないのかもしれません。また、授業を見直してみますと、悪意の心理学の「うっかり口にする」という状態に当てはまるように思えます。この中で、注目するのは言い方と他者の良くない状況に思い至らない、です。 言い方に関しては思ったことをそのまま言ってしまうときつい言い方となって相手の感情を刺激してしまうかもしれません。他者の良くない状況に思い至らないに関しては、相手の感情を観察することができていないということです。実際に、私は相手がどういう状態かよく観察せずに不用意なことを言ってしまって余計に嫌な気持ちにさせてしまうことがあります。そして、あるべき論をやりすぎると相手を追い詰めるという話も出ていますが思ったことをはっきりいうのもこれに近いと思いますので改善したいです。

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私は筋トレで徹底的に体をいじめ抜き、食生活もストイックに管理することに、こだわりすぎるのは良くないのかなと感じています。今回の授業でいう、悪徳ばかりが快感ではないという部分の身体的な痛みや精神的な痛みという部分に該当するのかなと思います。私自身、ゴリゴリすぎるボディビルを目指しているわけではなく、ただある程度いい体になりたいという気持ちで筋トレ・食トレをしています。しかし、やはり早くいい体を作りたいがために、ボディビルダーさんのYouTubeなどを見て、同じような筋トレや、食生活をするように心がけてしまいます。そのため、肉体的な苦痛はもちろんですが、特に精神的な疲労が徐々に押し寄せてきます。その原因となるのが、食事の縛りです。食べたい高カロリーのものを抑え、毎日高タンパクなものをとり、低脂質を心がけていると自然と精神的ストレスにつながります。そんな私を見て、母親は、「イライラするくらいならやめなよ」などと言われると、逆にやる気が出るのと共に、こだわりすぎて周りに迷惑をかけているのだなと感じ、こだわりすぎるのはよくないなと感じます。しかし、私自身がMだからなのか、意外とやっている時は大変でも、止める気にはならなく、達成感を筋肉を見て感じることができることにやりがいを感じています。そのため、この先もこだわり続けてしまうのかも知れませんが、周りに迷惑をかけることは抑えられるように心がけたいです。

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私が、「こだわるのはよくないなあ」と感じつつもなかなかやめられないことは悲しいことや辛いことがあった時やバイト終わりなどに甘いものの暴食や好きなアーティストなどの動画を永遠に見ることです。 甘いものの暴食や好きなアーティストなどの動画を永遠に見ることは、自分の体の健康にも良くないと分かっていて、普段は意識して気を付けていても、バイトで怒られてしまった時や疲れている時などがあるとすぐにしてしまってやめることができなくなります。 甘いものを暴食してしまうのは、怒られたなど自分に対して良くないことが起こったことでイライラしてしまったり、自分に対してのストレスが生まれて、イライラやストレスの勢いと忘れたいという感情から甘いものの暴食して、そうすることでイライラやストレスや自分に良くないことが起こったことを忘れられ、気持ちよくなり、やめられなくなってしまうのだと考えました。また、好きなアーティストなどの動画を永遠に見てしまうのは、悲しいことや辛いことを忘れる為、楽しいものに熱中してやめられなくなるのではないかと思います。 これらのことから自分の感情が関係して「こだわるのはよくないなあ」と感じつつもなかなかやめられないと思います。しかし、少し時間が経つと甘いものの暴食や好きなアーティストなどの動画を見すぎたことに後悔します。だから、これからは、イライラやストレスがあっても一度心を落ち着かせることを意識して、難しいとは思いますが感情の変化による甘いものの暴食をひかえて、動画の見すぎを無くしていきたいです。また、この方法とは異なる感情をコントロールするものを見つけていきたいです。

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自分が最近辞められないのは炎上の記事を見ることです。最近は蒙古タンメン中本の炎上の記事を見ましたが、何故見ているのかというと炎上の記事には本当に悪くて炎上しても、実はデマであったとしても炎上した時点で必ずどちらかには非があることが確定しているので必ずコメント欄が荒れます。そして、偏見ですが、コメント欄に批判コメを書いている人なんて「正義の味方になって相手を叩くのは最高だ」と自分があたかも正しい行動をしていると勘違いして気持ちよくなっている馬鹿だと思っているので、炎上の記事を見ると必ず馬鹿を見ることができ、見ていて面白いです。また、コメント以外も炎上した当人たちが驚くほど馬鹿なことをしていたり、故意的に炎上させようとしていたりとどちらにせよ馬鹿が見れるので見ていて面白いです。自分自身もこれは単に人を見下しているだけなのでやめた方がよいということはわかっていますが、疲れていたり、失敗して落ち込んでいたりする時に見ると「自分はまだ大丈夫だ」という気分になるのでなかなかやめることが出来ないでいます。今回の講義内容から考えると感情の増幅装置としてのメディアに踊らされているのが原因であると思いました。講義の中で賽銭泥棒の微罪報道について本来は流してはいけないということを初めて知りましたが、普段の生活でこのような報道を見て「しょうもなくて馬鹿だ」と思いながら見ていた自分もメディアに釣られているだけだったのだと思いました。また、炎上の記事について取り上げているYouTubeを見て「こんなことするなんて馬鹿だなあ」と思っていた自分はメディアが炎上した人の事をいかに悪人かを書いて見る人の感情を煽っていたのだと思いました。そして、見ることがやめられないということについては性的な脳の時に解決するためにはポルノを見ることをやめることだということに関して、単純だが、やめられないから困っているのだろうと思いましたが、私の場合も見なければ解決するのに見ているので単純なことなのにはまって抜け出せなくなっているのだと思いました。

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私がこだわるのはよくないなと感じつつなかなかやめられないことは、新しいことなどを始めようとするときにいろいろと考えすぎてしまい行動が遅くなってしまうことです。こだわりとは少し違うのかもしれないけど私は考えすぎてしまうところがあるのでそれをもう少し改善したいと思っています。いくつか例を挙げてみると、昨年の5月くらいに初めてのバイトを始めようと思ったとき、どんなバイトでどのくらいの時給でどんな場所でなどをいろいろと調べて考えていたら結局応募したのは8月の中旬くらいで働き始めたのは8月末になってしまいバイトを始めようと考え始めてから3か月以上たってしまいました。他にも目が悪くなってきてコンタクトを作ろうと思ったときにどこの眼科でどのコンタクトにすればよいのか、やっぱりメガネの方がいいのかなどと考えてしまい行動するのがとても遅くなってしまいました。このように調べすぎてしまう原因として失敗するのが嫌なのだろうなと思いました。失敗して面倒なことになったり損をしたりするのが嫌でたくさん調べてその結果行動が遅くなってしまうのだと思います。もちろん調べてから行動することは悪いことではないのですがあまりにも調べすぎて行動が遅くなってしまったらよくないと思います。実際にたくさん調べてから行動してみるともっと早くやっておけばよかったと思うことが多々あります。失敗を恐れて安心を得るためにたくさん調べているのだけどそのせいで時間を失っているということに今回気が付きました。失敗をしてはいけないというこだわりがあるのかもしれないなとも思いました。あまり重要な判断でないときに調べてから行動するというのをやめてみて勢いで行動するというのも私にとってはよいことなのかなと思いました。

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私は「比較が快感回路に影響する」に当てはまると思います。私は人と競うことが好きで、いろいろな面で人と比べてしまいます。人と競争して勝つことが快感に繋がっているのだと思います。 例えば、勉強面です。受験勉強をしていた時は、模試はもちろん、毎時間行われる小テストでも周りに負けたくないという気持ちが強かったです。「受験は自分との戦い」という人が多数いますが、私は周りとの戦いというイメージでした。この考えは小学生の時から私の中心にあります。小学二年生の時に九九を覚えようという機会があり、覚えた人から先生の所に行き、テストをしてもらうという仕組みでした。当時は勉強で競うことに執着していたわけではありませんでしたが、クラスメイトだった友達よりも早く合格したいと思い、家に帰ってから九九をずっと練習していました。その結果、クラスで一番に合格することができ、ここから人と競って勝つという快感を求めたのだと思います。 また、部活面でもこの快感を求めていると思います。私は中学、高校と集団競技をしていました。やはり運動部は大会で勝つのが目標なので、試合に勝つことがとても楽しかったし快感でした。 これに執着しすぎるのはよくないと思いますが、適度にこの気持ちを持って勉強などをしていきたいと思います。

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私がやめられないのは、競馬です。そして「こだわるのはよくないなあ」と感じるのは同じ騎手を買い続けてしまうことです。競馬を始め、ギャンブルでは一度いい思いをしてしまうとやめられないというのはありますが、私の場合もまさにそれで、同一騎手、特に池添謙一さんですが彼に何回もいい思いをさせてもらっているので、彼がどんなに人気しない馬に乗っていたとしても買ってしまうということです。競馬に絶対はないという名言がありますが、それを信じてずっと買ってしまうのはよくないなあと感じつつもやめられないことの一つです。

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私が、リンデン『快感回路:なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』の目次を見て、自分に当てはまると思った項目はひとつあります。それは、第1章「快感ボタンを押し続けるネズミ」内の「若干の科学的解説」です。これが私に当てはまる場面は、野球に関する話題に触れている時です。まず、なぜ野球の話をする場面なのか説明します。単刀直入に言うと、私は野球が好きであるからです。しかし、私は野球経験者ではありません。野球が好きなのに野球経験者ではないことをよく突っ込まれますが、それは親の賛同を得られなかったためであることはご理解いただきたいです。野球に興味を持つようになったきっかけは、私が宮城県仙台市に在住していた2013年、東北楽天ゴールデンイーグルスが球団創設史上初のリーグ優勝&日本一になったことです。そして、現在に至るまでずっと楽天ファンです。私はこれまで、色々な方法で野球を楽しんできました。イーグルスの試合をスタジアムやテレビで観戦することはもちろんのこと、友達と公園で野球をして遊んだり、野球ゲームを幅広く触ったり、選手名鑑を読み込んだり、草野球チームに加入したり、年俸の面からイーグルスを研究したこともありました。このように野球と触れてきたからこそ、自分なりの見方や考え方が確立してきました。しかし、私以外の人も私と同じ熱意を持って野球を見ているわけではないし、そもそも興味を持っていない人もいます。今一度、野球について「若干の科学的解説」をしがちなことについて反省しようと思います。

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私が一番やめられないものはゲームです。原因をたどると小学校5年生まで遡るのですが、小学校低学年の頃の私はまだゲームを一つも持っていなくて、逆に周りの友達はみんなゲームを持っていて、話の話題の中でゲームの話題となると自分だけついていくことができず、少し辛い思いをしました。しかし、5年生のある日、くじ引きでたまたまゲーム機を当てることに成功し、友達とゲームで遊ぶことができるようになり、話題にもしっかり入っていけるようになり、辛い思いから楽しい思い出へと変わっていきました。それ以降ゲームの魅力にどっぷりハマり、ゲームができることの喜びとともに、ゲームをやめられなくなっていきました。中毒にはなっていないと思いますが、やろうと思えば1日中できると思います。スマホも自分の場合、同じようなことが当てはまります。他には、今はやめられていますが、ゲームの課金にハマった時期がありました。その時はゲーム機が壊れて、物理的に課金をやめることになり、課金額も1万円いくかいかないかぐらいで済みましたが、壊れることがなければ、その額はもっと増えていたと思うので、今思い返すとゾッとします。それ以降、現在に至るまで課金は一切していません。今回、この課題をするにあたって思ったことは、お酒やタバコ、ギャンブルにも共通すると思うのですが、小さい頃はできなくてもどかしい思いをした人が、それをすることができるようになると、今までのフラストレーションが反動となって、ついついやり過ぎてしまうようになり、それが酷くなったときに中毒と呼ばれるようになるということです。私もゲームとスマホについては、中毒にはなっていないものの、同じ軌跡をたどりました。これを対処するためには、フラストレーションを発散する方法をたくさんもつことによって、一つのことに対する時間を減らしていくことが必要ではないかと思いました。つまり、一つのことにこだわりすぎない方がいいのではないかという結論に至りました。

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私は日常生活を振り返ってなかなかやめることが出来ないことは間食だと思います。これをまず感情に当てはめるとすると、「快感」と「ストレス」だと思います。まず「快感」を感じるという原因を分析していくと、大学生になって一人暮らしを始めたことで、注意されたりする事がなくなり、より自由になったことで自分の食べたいものを好きな時間に食べられる様になったこと、友達が遊びにくる、気分転換などが挙げられると思います。次に「ストレス」という面では、疲労からくるエネルギー摂取、そして一番大きいと考えられるものがこのコロナ禍という状況でほとんどを家の中で過ごしていると、食生活や時間感覚が乱れて、より食事をする機会が多くなったことだと思います。加えてデリバリーサービスなどが充実してきたこともあり、外出できない時でも物が手に入りやすくなった環境も大きく関係しています。病気や依存までには至ってはいないですが、以前は間食をせずに過ごしていたことを考えると、1日の3食とは違って、簡単にやめることが出来ないということは、明らかに習慣化、「クセ」になっています。ホルモンの機能や脳の伝える信号など、専門的な観点から分析することは自分には難しいですが、この間食が必要なエネルギーを摂取する行為ではなく、余分なエネルギーを摂取する行為であり、本当に快感をえるための行為ではないことは確かです。自分にとってはこの習慣は決して良いものではないので、やはり引き金を追求することが重要だと思います。もしくは他に例えば運動や音楽など快感を得ることが出来る新たな方法を見つけ、ストレスだったり、このコロナ禍での自粛を乗り切ることが出来れば一番です。その行為から得られる感情だけで良い、悪いを判断するのではなく、ストレス解消の為だけのように実際は良くない影響を与えているという事実をこの検証で把握することが出来ました。

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 私がなかなかやめられないことは短距離であってもバスや電車に乗ってしまうことです。 頭では運動することを増やすため歩こうと考えているのですが、気がつくとどうしてもバスや電車に乗ってしまうことです。  ダメだと考えていてもどうしても乗ってしまい、なかなか電車やバスの利用をやめることができません。私の感情の中ではもっと楽したいという感情が勝っているのでしょう。自分の中に存在しているいかに楽をするかといった感情が強く影響しているのではないかと考えます。この考え方そのものを変えていかなければいけないとは感じつつもなかなか変えることができません。自分の健康と楽することの両方を天秤にかけると楽をすることが勝ってしまいます。私の思考の中では快楽回路の目次で触れられていた、2章のやめられない薬や第3章のもっと食べたいと言ったものと似た様なものが作用しているのではないかと考えます。やめられない移動手段の利用、もっと楽したいといった思考回路の存在が大きいのではないかと考えます。  こうした思考について私は一回楽を経験してしまうと戻れない一種の中毒的な回路なのではないかと考えます。もちろんこうした回路をうまく制御することができる方も皆さんの中にはいらっしゃるかと思いますので全ての方に当てはまる物ではないかと思います。ですが私と同じ様な思考に当てはまる方も、もしかしたらいらっしゃるのではないでしょうか。

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私のやめたくてもやめられないことは、ガムを一日に何個も食べてしまうことです。なぜそうなってしまったのかと言うと、高1の頃からアレルギー性鼻炎の症状が出始め、よく鼻や喉がむず痒くなるのですが、それを少しでも和らげられないかと思い食べたのがきっかけでやめられなくなってしまいました。なんといってもあの味と爽快感がたまらなく好きで、食後などは欠かさず食べてしまい、1個食べ始めると止まらなくなります。また、外出時にガムを持っていくのを忘れると携帯を家に忘れた時と同じくらいテンションが下がります。そして、自覚症状はありますが何人もの友達にガム依存症と言われ、タバコの扱いと同じくらいのレベルとと友達に笑われるくらいです。そのくらい私はガムを食べることが快感でありやめられないのです。ガムを食べることは普通のお菓子や食べ物と違い肥満などの心配はあまり必要ないと思いますが、ガムにかかるお金が勿体ないためなるべくなら控えたいと思っています。そこでやめたくてもやめられない理由を自己分析したところ、口の中の爽快感や味、自然と満腹感を感じることです。講義資料の「快感回路」の目次で、第3章「もっと食べたい」や第5章「ギャンブル依存症」とありますが、私のガム依存症はこの二つを掛け合わせたものに近いなと感じます。今回自分のやめたくてもやめられないものを考えてみたところ些細なことを含めまだまだたくさんありました。特に自然とやってしまう癖などは、なぜやってしまうのか考えてみておそらく、安心できるや、落ち着くなどの理由からでしょう。ただやめられないことを考えるだけでなく、なぜやってしまうのか、なぜやめられないのかまで考えてみるととても面白かったです。

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私は夜中も含め暇な日は一日中youtubeを見てしまいます。大学の課題や部屋の掃除、洗濯をしなくてはいけない状況でもyoutubeを見ることを優先してしまいます。youtubeの見過ぎによって寝不足になってしまいました。しかし、youtubeを見ることが日常的であり、若干依存の傾向にあると思います。youtubeのコメント欄などは匿名なので、誰が書いているのかはわかりません。なので、中には批判的な意見を書き炎上させようとする人がコメント欄を見ていると沢山います。youtuberが炎上をして、その火をさらに燃えるように色々なデマを拡散する人もいます。しかし、それを止めることはできませんし、ネットに投稿しているデメリットになっています。炎上させたことで、社会貢献したと勝手に思い込んでいる人もいると思います。youtubeは動画だけでなく、コメント欄などを見ていると色々な人がいてとても面白く依存してしまっています。youtubeに依存することはいいことだとは思いません。生産性もないですし、無駄な時間だと思ってはいるのですが、どうにもやめられないことに怒りを覚えます。しかし、youtubeを見ている間はとても楽しく有意義な時間を過ごしていると錯覚してしまいます。youtubeというプラットフォームをうまく利用する方法として、情報の収集のために使うなど、自分の知識の幅を広げるために使う分のはいいと思うので、娯楽としてyoutubeを見ることを自分自身で禁じています。youtubeを見なくなると何をすれば良いのか分からなくなります。少しずつ暇な時間に運動をしたり、バイトをしたり有意義に時間を使うことで少しずつ依存が治っていき、たまに見るyoutubeが快感となるようなサイクルを意識して生活していきたいです。

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私がやめられないことは、帰宅後に自分のベッドにすぐに寝っ転がってしまうことです。私は家に帰って時には疲れていることが多いので、ベッドにすぐに寝ることが非常に楽しいにですが、親にとっては汚いらしく、早く着替えるように怒られることが多いです。この際の私の感情としては、怒られた後は怒りに変わることが多いです。この怒りの感情にはどんな意味があるのか考えてみると、二つの気持ちがあることがわかりました。一つ目は単純な怒りです。気持ちよく寝ているときに、急に部屋のドアを開けて中へ入ってこられることに対して嫌な気持ちがあります。家族であるといえども自分の部屋はプライベートな空間であるがゆえにあまり他人に入って来てほしくないし、ノックもしないということに不快な思いもします。二つ目は、「どうしてわかってくれないのか」という母親に共感してほしいという気持ちです。怒りの中に悲しい気持ちがあるようです。よくよく考えてみると、どちらかというとこちらの気持ちの方が強いと思いました。疲れていることや寝たいこと、自分の時間を好きなように使いたいというようなことを察してほしいという気持ちがあるのだと思います。たしかに、怒りの気持ちが強いのですが、よく自己分析してみると悲しみの感情もあって、もしかしたら自分の気持ちに気づいていない部分があるのではないかと気づかされました。

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私が生活の中で、やめたいのにやめられないことは、神経質・几帳面になりすぎてしまう事です。例えば、床のタイルに合わせて椅子の足はいつも同じ位置まで引いて座ること、バスタオルはいつも同じ箇所で体を拭くことなどなどです。普段私はこれが整ってないと気持ち悪くて、そわそわしたりします。その他にも自分の中でルールがあってこだわりが多いです。傍から見るとかなり面倒臭いと思うし、今文字にして自分でも驚きます。 しかし、この几帳面な自分のルールをする中で絶対に気をつけていることがあります。それは、他人にこのルールを強要しない事です。本当は言いたくてモヤモヤしていても、他人には言わないようにしています。でも、この苛立ちやモヤモヤも一種のコミュニケーションの複雑さで、透明性錯覚が起きていると思いました。なぜなら、私は相手にそもそも几帳面であることさえ伝えていないからです。自分から言わないと伝わるはずもないのに、伝わっていると誤解をしていました。 また、私はかなり短気で、経験値からではないあるべき論が多いし、どちらかと言えば怒りやすい方です。なので今回の授業でアンガーマネジメントの話を聞いて自分の怒りを抑えたり、コントロールすることが出来たなら、どれだけ楽だろうと思いました。

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自分は思い通りにいかないときや、都合の悪いことなど、一度失敗しただけで喚いたり、すぐ物に当たってしまったり、「自分はもうダメだ…」とネガティブな気持ちになってしまうということがあります。例えば、終わらせようとした宿題をやっている途中にパソコンがフリーズしてしまったり、読み込みが遅いとなると、パソコンを何度も怒りに任せて喚きながら叩いたりしてしまったことがあり、最近でも授業動画を見ているときに読み込みが遅いとついイライラして大声を上げてしまうことがありました。また、宿題の答えが全く合ってなかったときに思い切り「はぁ⁉︎」と言ってしまったり、「自分は単位取れないかも」とネガティブになってしまったりと、失敗によって感情が表に出てしまうこともありました。なので、自分は失敗しても引き摺らずに次へと繋がる努力や失敗しても感情を出さないように我慢をすることなどが出来るようになりたいと思っています。しかし、やっぱり喚いたり自分を卑下してしまったりしてしまいます。最近だと自分は何も取り柄がないと思うことがあり、すぐに諦めてしまう癖が付いてしまったようで、その悪い癖を治すにはかなりの時間と努力をしなければならないと思っています。なので一度失敗しても感情を露にせず、自分を卑下しないように我慢出来るような人になりたいと思いました。

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私がついついこだわってしまうことは部屋の整理整頓と鍵の閉め忘れを確認することです。これは確認することで安心するつまり快感につながるのですが、いくら学校がある日でも電車が後10分で行ってしまう時でも目に見える場所はきれいにしておきたいという癖できれいにしてしまいます。一見良い風に聞こえますが、ただ時間の有効活用ができていない人なのでとても恥ずかしい思いを勝手にしています。そして二つ目に鍵の閉め忘れの確認です。最近特に熱くなってきて窓の開け閉めをする回数が非常に多くなってきています。ですのでそれが僕に不安を与えより時間を減らされます。ですがそのおかげか一回も泥棒に入られたことがないし部屋に帰ってきたときに毎回綺麗だと思います。ですが逆にいままでやらなかったことがなかったので実質的な恩恵を受けたことはありません。これ以外にも外に行くときには準備をきっちりとしたい派なのでゆっくり準備してしまいます。そこで余裕をもって準備するのならよいのですが、15分前くらいから始めてしまうのでそこを直せばよくなると思います。そもそも準備が遅いため、上記の通り部屋をきれいにすることや、鍵のチェックをきっちりする必要はあまりよくないかなと思います。

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私がやめられないことは、二度寝です。朝、起きてもどうしてもすっきりと目覚められず、もう一度眠ってしまうことが多いです。二度寝の主な原因の一つとして、睡眠負債です。睡眠が足りておらず、不足した睡眠がどんどんたまっていくことが原因です。睡眠不足が続くと、不足した睡眠時間は借金のように積み重なります。足りていない睡眠時間はどんどん増えていって、心身に悪影響を及ぼします。集中力の低下や日中の眠気などの症状が現れ、最終的にはうつ病や認知症のリスクも高まります。睡眠負債がたまっていくと、常に睡眠が足りない状態となるので、二度寝をする可能性も高まります。しかし、睡眠負債を解消しようとして休日に寝だめしようとしても、人間は一日の間で眠れる時間はある程度決まっているためうまくいかないことが多いです。また、そもそも睡眠はためられるものではないとも考えられています。睡眠負債を解消するには一日に必要な睡眠時間を十分に確保して、少しずつ負債を返済していくしかないといった考えです。ペンシルバニア州立大学で行われた実験では寝だめで眠気の解消はできたものの睡眠負債による注意力や集中力の欠如は回復しなかったというデータもあります。もう一つの原因として、何らかの睡眠障害が発生したといった可能性があります。この場合には医療機関で診察とカウンセリング、治療が必要になります。私の場合、バイトや遊びなどで夜帰る時間が遅く、寝る時間も遅くなってしまうために、不足した睡眠がどんどんたまってしまう睡眠負債であると考えられます。解決策としてできるかぎり遊ぶときは早めに家に帰ろうと思います。

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私はあくまで趣味として小説を書くこともあるのですが、その時にキャラクター設定や世界観の設定を練りすぎて、その設定繰りで満足してしまうことが多々あり、「このこだわりすぎる癖を治したい」と常々思っています。このこだわりをなかなかやめられない理由として、リンデン『快楽回路:なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』(河出文庫)の目次より、(字面で)判断すると、おそらく第6章の『情報そのものが快感を導く』というものが一番近いのではないかと思います。理由としては、設定を練るという行為において、情報を探り、それを書きたいと考えている物語へ落とし込む過程での情報の取捨選択やキャラクター性と世界観とのすり合わせが、個人的に一番楽しい作業だからです。小説を書きたくなる過程に、自分の場合、書きたいシーンや台詞などが先に思いつき、そこにたどり着くための前段階であるのが設定繰りなのですが、そこにこだわりすぎてしまうことによって本来書きたいと思っていたところまでたどり着く前に満足してしまうのです。これは私にとってその設定繰りに費やす労力の多さと書きたいと考えたシーンまでたどり着く道順を考える途方も無さからの逃避も原因であると思っています。また、ある程度完成した設定に完成したと思うことによる達成感も原因であると思います。また、このような悪癖としてもう一つ挙げられるのが、プロットを書きたがらないことです。これはこだわりとは少しそれてしまいますが、自分はまず本文を書き始めるところから始めてしまいがちです。これは単純にそちらのほうが筆がノると自分では考えてしまっていることと、プロットを書くことが苦手だからです。先にも上げましたが、自分は書きたいシーンをパラパラと思いつくので、そこに辿り着く過程を考えることが苦手なのです。これがさらにプロットという、文章ではない情報の羅列で繋げていくことができないのです。キャラクター設定などはそこで完結なので情報を並べることができるのですが、プロットとなると話全体の流れを示すものなので、単純に情報を並べるだけでは完成しないことも私の悪癖の原因になっていると思います。シーンシーンは思いついても、その間の線の流れを書くことができないのです。ここからさらに自己分析すると、おそらく私は本番や本目的に対して弱気になりがちなのだと思います。そこからの逃避の手段の一つとしてその前段階にのめり込む癖がついてしまっているのだと思います。実際に提出期限などがある課題ではできないことなので、このことを強く実感したことはありませんでした。ですが、趣味を全力で楽しみたいと思っていて、前々から治したいと思っていました。ですので、今回わかった自分の逃避癖を今後は治せるよう努力していきたいと思います。

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私が中々やめられないものは食欲です。ダイエットしようとしても、グルメが目の前にあったら我慢できずに食ってしまいます。その理由について分析した結果が以下のものです。アルコール、麻薬、ニコチン(たばこ)やある種の薬物には依存性があります。同様に、美味しい食事やおやつにも依存性があります。チョコレート・クッキー・ポテトチップスなどは「食べだすと止められず」ついつい食べ過ぎてしまいす。かつて私たち人類は動物の狩猟、根菜類・ナッツ・果物の採集により食糧を得ていました。その当時は常に食糧が手に入るとは限らない厳しい生活環境でした。チョコレートやクッキーには砂糖、ポテトチップスは油(油脂)が多く含まれていて、いずれも高カロリーの食べ物です。もし、当時これらの食べ物があったとしたら、ヒトが生き延び人類が存続するためには、さぞかし好ましい食べ物だったでしょう。高カロリーの食べ物は脳に快感を与えます。私たち人類は何百万年に渡って、この「快感」に反応するよう進化してきたと考えられています。その様に反応することはヒトの生存と人類の存続に有利であったからでしょう。例えば、私たちは食べ物を見つけ「食べる」ことで報酬系が刺激され満足感(快感)を得ることができます。そして、この快感は食べ物を「見つける」という実際の行動を起こすきっかけになります。もしそうでなければ、私たちは食べ物を手に入れるために積極的な行動をする理由がなくなってしまうでしょう。それは、ヒトの死を意味します。「食による快感」は個体維持の根源的なシステムと言えます。従って、砂糖や脂肪を多く含む高カロリー食は、これらの薬物と同様に容易に脳に快感を与え、刺激することで、過食へと私たちを駆り立てます。

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 私は、好きなアイドルに優先してお金を使ってしまう事です。人は受けたストレスを発散する方法として買い物をする事が挙げられますが、私の場合は常に使ってしまいます。今ではそれを見なおしてアイドル関連は使う状況や物、程度に制限をかけて本当に必要なものにお金が回せるようにやりくりしていますが、ひどい時は給料日に入った金額全てを使ってしまう事がありました。これはかなり「快感」の部類に振り切ると思います。友人に「そんなに買うなんて凄い!」と言われたり、その様子をSNS で仲間内でシェアされる事で、「これは私にしかできない事だ、特別だ」と錯覚し、友人達の反応が見たいが為にグッズやアルバムを多く買ってしまったと考えます。私はあまりアイドルと対面して話したり、交流したりといったイベントは進んで参加しないのですが、アルバムやグッズを多く買った理由のもう一つとして「特典のランダム性」が挙げられると思います。私は特にK-POPにハマっています。以前はハロプロや地下アイドルも追いかけていて、そこでもCDにランダムでメンバーのカードが一枚入っていましたが、K-POPのアルバムはその比ではなく、グループに寄ったりはしますが韓国でのアルバムのカードは必ず二形態展開されていて、それにプラスでブックマーク、サークルカード、ポストカード、ペアカード等、多くて5~6種類のランダムカードが入っています。加えて、必ずフォトブックがアルバムに着くのですがそれも何種類かランダム(凄い時はメンバーごとのフォトブック)の場合がありますし、購入店舗によって違うランダム特典も存在します。最早、ギャンブルに近い所があるように思います。それを開けるのが楽しくて、ほしいメンバーが出なければもう一枚!アルバムを無駄に買っていた時期がありました。今、家に大量のアルバムやカード達が行き場もなく眠っています。現在、「やめられ」はしましたが、まだアイドルは追っています。この事から学び、再び同じ過ちを繰り返さない事を願います。

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私がこだわるのはよくないとは思いつつも、いつも行ってしまうことの1つに、人に干渉しすぎてしまうという点があります。これは、授業内で触れられているような、岡本真一郎の本にある、誤解(コミュニケーションの失敗、透明性錯覚=自分の感じていることや考えていることなどが、実際以上に相手に分かっている、と推察する錯覚)に当たるものであると考えられます。具体的に分析していくと、人の相談や話を聞いた後に、その人の考えていることを勝手に予測して自分の考えなどを述べてしまうことが多々あります。この行為が、相手との相違を生むということは理解しつつも、自分の予測能力を過信しすぎて、相手の立場になったつもりでものを語ってしまうので、それが実際に正しいことであれば、実りのある返答をすることができるのですが、異なっていた場合、相手を見透かしたような不快感を与える対応となってしまいます。この行為に悪意はないのですが、実際に過去に何度か相手に不快な思いをさせてしまったことがあるので治したいと考えています。そこで、この問題の解決を考えてみたのですが、やはり原因は過去に相手の心を分かったように対応できたことに喜びを感じ、それが快楽回路のような形になってしまうことにあると考えられます。過去の成功体験に引きずられ、自分の能力を過信し、自分の能力に見合わない行為を行っているため、この問題が起きているため、これを解消するためには、このように自分で実際に分析し、自分が行っている行為を文章なり、言葉なりにすることで再認識でき、解決していけるのだと考えます。よって、私は今この文章を書いてみて実際に自分が行っていることの愚かさを実感し、これからは気をつけようと考えています。そのため、快楽回路の解消などは、理解しているつもりのことでも、実際に形に表してみたり、人に話してみたりすることが解決になるのではないかと結論として考えました。

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これといってすることがないときに、とりあえずスマホを手に取って目的もなく画面を眺めたり、ゲームで時間を潰そうとすること。スマホをいじっていても特に得るものもなく、ゲームも退屈しのぎどころかかえって詰まらなかったりストレスがたまったりして逆効果になったりする。その時間を勉強にでも当てたほうがいいとは思っているが、なかなかやめられない。なぜ面白くもないのに画面と向き合うのかを考えると、まずはわずかな快感のためにやっているのだろうと思う。例えばスマホでTwitterを見ていれば、たまたま面白いツイートに出会えたり、ゲームなら上手くいって楽しいと思える瞬間があったり、そうした感覚をごくたまに得ることが出来る。そのためにやっているのではないか。また、勉強とゲーム、どちらをやるか?と問われた時、これを食欲に置き換えるとおいしいけど食べすぎは体に良くないものと嫌いな食べ物だが体に良いとされているもの、好きなだけ食べていいということになる。基本的に三つの選択肢が考えられるが、最善の手である体に良い食べ物中心に食べるでも、次点のバランスよく組み合わせるでもない、ただ一時のためにおいしいものをひたすら摂取することを選んでしまうわけだ。勉強がそこまで嫌いではないが、その内容を計画したり、用具を用意する手間から逃れるためにとりあえずゲームをするという、ゲームがしたいではなく楽がしたい、という状態を楽欲とか怠惰欲ということもあるらしい。

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 私は顔にできたニキビをついつい触ってしまいます。それはニキビを悪化させてしまうことに繋がると知りつつ、毎回のようにやってしまうのです。  私は中学2年生の頃から、顔にニキビができるようになってしまいました。当時は年齢的にもニキビができてしまうのは仕方がないと思い、基本的な保湿以外には特に対策をしていませんでした。しかし、大学生になって、より効果的なニキビ対策をしなければならないと思いました。  昨今、男性でも女性と同じようにスキンケアやメイクをするべきという考えが徐々に広まりつつあります。これには化粧品メーカーが自社の利益のために、ターゲットを女性だけでなく男性にまで拡大したい思惑もあるかもしれません。しかし、メディアで注目される若い経営者やビジネスパーソンには、自身の見た目、例えば、髪型、歯、肌などに普段から気を使っている人が多い印象です。既にこのような考え方が社会全体でコンセンサスがとれているか否かは分かりませんが、今後さらに浸透するのは間違いないと思います。そのような世の中の流行りを受けて、私もスキンケアを本格的に行おうと思ったのです。  具体的には、①飲み物は基本的に水、②お酒は3日に一回、③顔を拭くときはテッシュ、④野菜を致死量食べる、⑤早寝早起き、⑥ストレスを溜めない、⑦ビタミン剤の服用、⑧お菓子を食べない、⑨日焼け止めを必ず塗る、⑩寝具を毎日取り替える、⑪保湿などの対策をしています。実際にはもっと多くの対策をしていますが、多すぎるので代表的なものだけ記します。  しかし、私はこれだけ自らの肌を労っているのにも関わらず、肌を手で触ってしまうこと多いのです。人間の手はとても汚いです。目には見えない細菌がうようよしています。コロナ禍になり、手を洗うことが増えましたが、それでも100%除菌できているわけではありません。ある程度は菌が残ります。その事実を理解しているにも関わらず、私は自らの手で自らの肌に無慈悲にも触れてしまいます。それがスキンケアにおいて、どれだけ悪手であるかも分かっています。ただどうしても、肌の痒みやできたばかりのニキビが気になって触ってしまうのです。

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 私がなかなかやめることが出来ないことは日常生活の事あるごとを法律に当てはめてしまうことです。私は法学部に在籍しており日々法律について勉強をしていますが、その中で今まで自分が知らなかった法律や意外な法律が出てきたときにどうしても誰かに言ってしまいたくなります。この状況を今回の講義に当てはめて考えてみました。すると悪意の心理学の中にある「うっかり口にする」と「ソーシャルポルノ仮説」に当てはまるのではないかと思いました。自分の関心に相手も共有すると思い込む、自己正当性確認、優越感など今の自分に当てはまることが多く周りの人に不快な思いをさせている可能性に気付きました。また、先ほどの中にあった優越感は「快感回路」のやめられない薬と同じなのではないかと思いました。薬も一回始めてしまうと癖のようになり辞めることが出来なくなります。それと同じように優越感も一回自分の中で人を見下すようになると段々エスカレートしてしまい最終的にはしょうもないことでマウントを取るようになり相手にされなくなる可能性があることに気が付きました。このようにならないためには謙虚に相手を尊重することが出来るように、ある種の「依存」から抜け出さなければいけないと考えました。

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私がこだわるのをやめられないことは、ネット上の人の個人情報に繋がる事柄を書き留めて収集してしまうことです。ここでいうネット上の人、というのは大学の友達のアカウントではなく、実際に会ったことが無いまたは数回しか会ったことの無い人のアカウントのことを指します。そういう人が、局所的な地震に反応していたり、現在地がわかるようなツイートをしていると、それをブックマークしてそれがどの辺りなのか調べて書き留めてしまいます。その情報に確信を得ていたとしても本人にそれを伝えることはなく、ただ書き留めておいているだけで終わります。他にも、生まれ持った病気や家族構成の話をしていると、それも書き留めます。本人自身や、本名がわかるような画像がツイートされていた場合も殆ど反射で保存して、その後本人に注意を促します。正直言って全く褒められた行為では無く、人によっては私のことを軽蔑する人もいると思います。自分でも何故このようなことをするのか分からないので、自分なりに考えてみました。まず思い当たったのが、私はこれを行うのは仲良くなりたいと思う人のことをなるべく多く知りたいからではないかと思いました。私はそこまで興味が無い人の情報も、例えばその人が体の一部を撮った画像を上げた際にもそれを保存しています。しかし、仲良くなりたいという気持ちが強いほど、詳しいことまで書き留めるので、好感度とこの行為の程度は相関関係にあると結論づけました。他に考えられる理由としては、ネット上の繋がりというものが事実として希薄であるところにあると考えました。ネット上に載せたものは一生消えないという意味で、デジタルタトゥーなんて言われることがありますが、私はずっとネット上で活動している中で、むしろネット上のものは儚く移ろいやすいものだと感じます。Twitterを例にあげれば、アカウントとツイートを消してしまえば、その人がネット上に存在した証拠はほとんど無くなってしまいます。実際そうやって築いてきた関係を無かったことにする人を大勢見てきました。そういう人が確かにこの地球上の何処かに存在する人だという証拠を集めているのかもしれないと思いました。上記のように情報を集めている時、私は幸福感のようなものを感じていますが、自分が誤って本名の入った画像を載せてしまったものを保存されたらと思うと、あまり良い気はしません。しかし、実際に住んでいる地域や持っている病気のことを覚えていたがために会話の中で配慮することができたことも多くあります。したがって、一定のライン以上はよくないと思いつつも、中々やめることができません。

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私がなかなかやめられない事は、このコロナ禍において変化しただらだらとした生活です。去年から遡ること約1年半、高校時代と比べ生活リズムや時間の使い道が大きく変化しました。コロナの影響で自宅にいる機会が増え、友達との交流も制限された中で、時間の余裕というものができた気がするのだが、私はその時間を睡眠だったり、ゲームだったりと非常にもったいない使い方をしていると感じます。このような生活が約一年半続き、私はとても後悔していてこの自粛期間で自分に真剣に向き合って、将来に向けて今やるべきことをもっと見つけるべきであったと怒りを抱いています。だらだらとした生活は快感であり、リラックスした時間を過ごすことは時に必要であるが、その頻度があまりにも多すぎるのは自分自身に悪影響を与えると考えています。何か意識一つで変えられる(やめられる)ことがなかなか変えられない(やめられない)のは、その生活やものに依存していて習慣になっているからであると感じます。例としてタバコはまさにその通りでやめたいけどやめられないという人が多いと思います。それもタバコに依存していて、体がそれを欲しがるという習慣になってしまったと言えると思います。なかなかやめられないことをやめるには何か一つのきっかけを探すことが重要だと考えます。

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私は、他人からの指摘に耳も傾けずに自分の考えを押し通すという、自分の考えが絶対に正しいと思うこだわりがあります。私は、周りの人たちに合わせて行動したりするのが苦手で、暗黙のルール的なものや周りの人たちが当たり前にやることをすることも、とても苦手です。また、私は話を聞くのがとても苦手で、話を聞いても自分の考えが正しいと思っているため、理解して自分の考えに反映させようと全く思いません。そして、謝ることと自分よりいい考え方や行動があることを認めるのが苦手です。私は自分の考えや行動が正しいと思っていることが多く、他の人がいい結果を残してもたまたま成功しただけ、運がよかったからだと思うことが多いです。仮に自分の考えや行動が間違っていたとしても、このように考えるため、人に対して全く謝ろうとしません。私は、自分の意見を正しいと思い、自分の考えを押し通すこだわりをなくしたいと思っています。自分の考えを押し通そうとするあまり、何回か友達や部活動のコーチと対立したり、相手の意見を参考にして考えや行動に移すとより良い結果が得られたのではないかと思うからです。また、社会に出たとき自分の意見を曲げなかったりしたら、社会でうまく生きていけないと思うので、なるべく早くこのこだわりを直さないといけないなと思っています。

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私がよくないと思いながらもやってしまうことは、時間はあるがあまり取り組む気分ではないと思ってやるべき事を後回しにしてしまったりすることです。やらなければならないとわかっていても、他のことを優先して行ってしまったり、その時の気分によって左右されてしまったりと自分のなかの怠惰な気持ちが勝ってしまってしまうことがあるということに考えてみて気が付きました。このように本心では駄目であると分かっていても実際にはやめることができないのは、人間である以上当然のことであるとも言えると思います。この意味で人間はとても弱い生物であり自身の欲望には抗えないことも多々あることは事実です。しかし、同時に人間には理性があるのも事実です。なので、だめだと分かっていてもやめることができないような状況から脱却するには、如何に理性が自身の欲望よりも優位にはたらく環境をつくることができるかが重要だと考えました。また、自分はどのような人間であるのかを知ることも大切だと思いました。このことから、私はまず現在自身を取り囲んでいる環境をよく見て、何をどう変えたら良いのかを考え、今よりも時間をより有意義に使えるようになっていきたいと思いました。

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私がなかなかやめられず我慢ができないものは韓国ドラマ鑑賞です。終わっていない課題があったり、やらなくてはいけない事があっても止めることはできず止められるといらいらします。これがなぜなのかというとドラマの続きが気になってしまうからです。ドラマは毎回ちょうどいいところでは終わらず続きを見ないとむず痒いような気持ちにさせます。ではなぜドラマの続きが気になってしまうのか。これはそのドラマが私の興味をそそる面白いドラマだからです。例えばサスペンスなら犯人が分かりそうであったり、恋愛ドラマなら告白のシーンであったりこれらは私を興奮させ、さらにドラマの世界へ引き込んでいきます。では次に私の興味あるものとは何なのでしょうか。それは私に新しいことを見せてくれワクワクさせてくれるものであると思います。みるジャンルも様々ですがスリルのある作品を好みます。最後にようみのあるものを制限することはできるのかということです。私はやっていないだけでできると考えます。韓国ドラマ鑑賞というのは私の趣味であり、私のためになることかといえば将来のためにはなりません。課題や勉強など将来のためになること、私に必要なことこそやるべきだからです。この私の止めるべきだがやめられないもの、やらなくてはならないがやめられないものとうまく共存することで豊かな生活が送れるのだと思いました。

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私は喧嘩したときにすべて言い切らないと気が済まないです。しかし時にはここまで言わなくてもよかったかもなぁなどと反省することもあるので気をつけようと思っているのですが、なかなかこのこだわりをやめられません。 原因はまさに授業で扱った「あるべき論」を強く持っていることだと思いました。 私は、喧嘩したら、思っていることをぶつけないと解決しないという前提を自分の中に持っています。 それはこれまでの経験が自分の前提を作り上げていると思います。何か衝突した際に、ぶつかって言い合って解決できた成功体験と、逆に、衝突した際に我慢して、さらにイライラが強くなりお互いの関係性が悪化したという失敗体験。この2つの体験をもとに、喧嘩したときの「あるべき論」を強く持っており、これがなかなかやめられない大きな原因だと思います。 また、マインドフルネスの考え方にも共感するところがありました。 感情を鎮めるためには放出するという、アクティブなマインドフルネスに近い考えを持っていると気づきました。このことについて肯定的でしたが、今回の授業で否定的な面も気づきました。 これまでの経験から、放出した方がすっきりするし、感情が治る。そしてよい方向へと話が進んでいくという実体験から肯定的でした。 一方今回授業を受けて、自分の中で正しいという考えは、他人にとって正しくない可能性がある。ということに気づき、アクティブなマインドフルネスに肯定できない点があるという考えを持ちました。 これまで放出した方がスッキリするなどと、自分がよければ解決するという自分本意な考え方でしたが、相手のことも考えないと解決できないという考えに変わりました。 要するに、私は自分勝手で自己中心的であるなと気づきました。自分自身で自己中心的などと思ってなかったので、この気づきは新鮮で、反省するとこが明確になって良かったと思いました。 今では、コミュニケーションの仕方が多様になりました。そこには複雑さもあり、時には感情を理解することや、相手が伝えたい内容を読み取ることは難しくなっていることもあると思います。 しかし、スタンプやフォントなどの文字言語などをうまく使っていくことで、絶妙な自分の気持ちを表現することが可能になり、相手に誤解されないで自分の気持ちをしっかり伝えることができると思います。 ここの使い方をうまくできるかできないかがこれからのデジタル時代においてとても大事なことだと思いました。

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私がやめようと思ってもなかなかやめられないことはTwitterです。適切に使うぶんには問題ないのですが、食事や移動中など少しでも暇ができると新しいツイートがないかと更新してしまうような依存ぎみの状態で困っています。このような事例で中高生が学校の友人たちとの会話に置いて行かれたくない、自分がどのように思われているのか気になるなどの理由からlineやTwitterを手放せなくなるというニュースを聞いたことがありましたが、身近な友人とのやり取りは別のSNSを使っているため自分のケースとは違うと考えられます。BBC news Japanの2018年4月2日の記事に「グリフィス教授と同僚のダリア・カス博士は2011年、SNS依存症と教授が呼ぶものについて文献がまだ3本しかなかった当時、初の調査論文を発表した。2人はその際、社交的な人はSNSを「社会性の拡大」に使う一方で、内向的な人は「社会性の補い」に使うようだと発見した。SNSの利用時間が増えれば、実生活での人との関わりは減ることも判明した。」との記述がありました。これを受けて確かに私はSNSで積極的に他人と交流し、それを実生活に生かすような使い方をしていなかったことに気づきました。コロナで対面の交流が減ってからはTwitterを利用する時間も増えています。このことからTwitterは自分にとって興味をそそられるが重要ではない新しい情報が受け身であってもどんどん流れてくる環境であり、自分から進んで動かなくても新鮮な情報という快感を得られ、不安定な気分を紛らわすことができる点が手放せなくなっている原因だと考えられます。

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私は人の噂話がやめられません。本人にとっては広められたくないであろうことも、知ってしまった情報は信頼してる親友には我慢できずに話してしまいます。人の話を許可なく第三者に話すことは内容や状況によっては自分の信頼を失う原因になるので、自分の身を守るためには秘密を共有し、手に入れた情報を漏らさないようにするべきです。それなのに話してしまう1番の原因は他の人が知らない情報を自分が手に入れたという優越感と、それを知らない人に見せることで自己顕示欲が満たされるという快感だと思います。自分が人とのコミュニケーションの中で特別に相手の信用を得て、一般に知られていない情報を得たことを示すのは自分がよい人間関係を築けていることのアピールになると同時に、それ以外の人の注目も浴びることが出来ます。1人の信用よりも他の複数人の好奇心を煽り、自分の話に注目してもらう快感の方を優先してしまうので、改めて考えると自分の承認欲求と自己顕示欲の強さを感じました。そして、ただ自分に注目してもらいたいだけなのに人に噂を広めることが、「みんなのために知らせてあげてる」のだと勘違いしてしまうことが1番危険だと思います。人の好奇心を煽るような話題として取り上げたことが個人のプライバシーを大きく侵害したり、名誉を毀損してしまうようなことに繋ってしまう可能性もあります。人に注目して貰える快感に飲まれずに、その後の本人への影響も考えて冷静に人に話す内容を考えなければならないなと思い、今回の課題で自分の行いを反省しました。

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私がこだわると良くないなと思っていることは部屋のものの配置です。どういうことかと言うと例えばまずティッシュの箱が四角四面に、自分が置きたい所にないと気持ち悪くなってしまい、逐一その位置を整えてしまったりなど、ものの位置に拘ってしまうというものです。 これは他人にも時折影響を与えてしまい、例えばものを動かされたりした時に少しいらだちを覚えてしまったり、逆に正しいと思う位置に動かされた時は喜びを感じます。 これを自己分析すると、正しくものが置かれている状態を心地よいと思っており、それを乱すような他者の行動、自然な移動に対して不快感を感じ、それらへと攻撃的な感情をぶつけてしまうのだと思います。 他のくせとしてはゲームなどをしている際、他人が自分にとって不都合な行為をした時、それに対して直ぐに怒りを抱いてしまうことです。これは純粋にそのミスをしてしまった人が不慮の事故である場合や自分は良かれと思ってやった可能性があるにも関わらず、自分にとって不快であるから問答無用で責めてしまうというものであり、自分にとって良くないことだなと分析して思いました。 これらの自身の行動から、自分は基本的に他人の自分に対して影響をもたらしかねない行いに対して排他的であり、不快感を示しやすいということがよく分析出来たため、一息ついてその他人の行いが本当に自分にとって不快であるかを考えられるようにしたいとおもいました。

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私がやめられないことはネットショッピングです。空いている時間はメルカリやZOZOTOWNなどのショッピングサイトを見続けてしまいます。特にほしいものがあるわけでもないのに、見続けてしまいます。見るものは基本的には洋服で、いつも買っているブランドの新しく出た商品をチェックして、ほかのサイトと値段を比較して、と何度も何度もいろいろなサイトを行き来しています。また新品以外にもブランド古着のサイトもまた見入ってしまいます。新品であった時より安くなっているので、そこに魅力を感じてしまい購入してしまいます。したがって、どちらかといえば、新品よりも古着を多く買ってしまいます。なぜ買ってしまうのかと考えたところ、オンラインショッピング中毒はメンタルヘルスの症状の一つであるという記事が出てきました。症状は、買い物をしたいという極度な欲求が起こり、お金を使うと満足感が得られるというものでした。あまり自分では意識をしていなかったが、記事を読んで確かにと思う節もありました。また別の記事では、「届くまでの時間が楽しい」「届いたら次の欲しいものに興味がうつっている」という意見を見つけ、とても共感をしました。その「届くまで」という短い快楽の中毒になっていることは私が今までネットショッピングをしていく中で何度も感じていたことを言葉にされ、理解できました。今までに何度も抑えようとしていたがなかなか難しいです。 https://www.harpersbazaar.com/jp/lifestyle/daily-life/a29825865/online-shopping-addiction-mental-health-condition-191118-lift1/ https://news.careerconnection.jp/news/social/87819/

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私がなかなかやめられないことが、スナック菓子を食べることです。私はニキビを直すためにやめたいと思っているのですがなかなかやめられません。コロナでの自粛中には、1日でキットカットの抹茶味を5袋食べることもありました。何かと思い立ったら、お菓子のあるパントリーまで行き、お菓子を食べあさってしまいます。調べてみると、ストレスが多い状況のなか、砂糖や塩気の多いスナックで満足感を得ようとするのは普通のことなのだそうで、ストレスを感じると分泌されるホルモンの1つがコルチゾール。このストレスホルモンは食欲を増やし、お菓子に手を伸ばしたくなる傾向を高める、とのことでした。そして、チョコレートなどのスナック菓子は一時的にこのコルチゾールを軽減してくれ、この間食の習慣が何度か繰り返されると、体がストレス軽減のメカニズムとして学習し、知らぬ間に、体がストレスを感じるたびにお菓子に手を伸びるという状態になってしまう、と書いてあり、まさに当てはまると感じました。これを直すには、大嫌いな食べ物を思い浮かべるだけで空腹感を少なくすることができるようなので、私の大嫌いな椎茸を思い浮かべて、悪習慣を引き起こすトリガーを抑えてみようと思いました。 他にもまだ、やめたくてもやめられないことがあるので、一つひとつ自己分析してみるのも面白いなと感じました。

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私が「こだわるのはよくないな」と感じつつもやめられないことは2つあります。1つ目ははまったものは飽きるまではまり続けるということです。食べ物から好きな曲まで、1度はまったらそれしか食べたり、聞いたりしません。今までに食べ物だと、トマト、メロンパン、カップケーキパン、納豆ご飯、チーズベーコンなどがあり、1日1食は食べます。2~3カ月ほどで飽き、その後はほぼ一切食べなくなります。ほかのものが食べたくないわけではないですし、1日1食食べない日もありますが、そんな時はなぜか気がかりになり、次の日に2回食べるなどしてしまいます。謎の義務のような気持ちもあるのではないかと思います。 2つ目は、被害妄想をしてしまうことです。他人の話が全て自分の陰口のように聞こえてしまい、盗み聞きしたいような気持になってしまいます。今回の授業を聞いて、私は自己憐憫に陥りやすい人なのかなと思いました。実際かまってちゃんだし、メンヘラだし、被害妄想するわりに自分のことは割と好きだなと思います。しかし、自己肯定感は低いのですごく当てはまっているなと思いました。「私が」という見方だけでなく、多角的に物事をとらえるように意識していこうと思いました。また、運動は苦手で好きではないので、運動することが少なくなってきていますが、運動すると良いと聞いたのでこれからは少しずつ運動して、自己憐憫脱却を目指そうと思いました。 また、自分はネガティブだなと思うことが多かったのですが、人間は、危機対応のためネガティブな部分を読み取って生きている、自分をネガティブと思う必要はないということを聞いてとても心が救われたような気がしました。

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私がなかなかやめられないこと(依存していること)は、大きく分けて2つあり「スマホ依存」と人目を気にしてしまうことであると考えました。まず前者については、自分の生活を振り返ってみると、特にYouTubeやインスタグラムなどのSNSに依存している傾向があることが分かりました。今回授業で触れていた「快感回路」の目次から部類していくと、第2章の「やめられない薬」に当てはまると思いました。実際に、去年から続くコロナ禍の影響によって、家で過ごす時間が増えたことから必然的にスマホを使う時間が増えたためだと考えられます。授業で触れていた、コミュニケーションの交換的交わりについて、SNSがとても当てはまり、よい例であると考えました。インスタグラムやツイッターでは、いいね!機能があり、誰が投稿やストーリーを見たか容易に見ることができます。このように簡単にいろいろな人とつながることができるため、依存傾向に陥りやすいのだと考えました。次に後者については、自分と他人を比べてしまうことが多々あることが挙げられます。これはスマホ依存(SNS依存)とも大きくつながっており、自分に自信を持ち、極力スマホを使わない生活をすることで改善できるのではないかと私は考えます。

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 私がなかなかやめられないことは、心配しすぎてしまうことです。私は人と話すとき、相手の視線、声色、表情などを必要以上に気にしてしまいます。相手の些細な言動から、今機嫌悪そうだな、私のことあまり良く思ってなさそうだな、見下しているんだなといったことを感じ取り、落ち込むことがよくあります。相手の機嫌が悪いと、自分に何か非があるのではないかと自分を責めてしまうこともあります。相手に好かれるまではいかなくてもいいけど嫌われるのは怖い、という思いから、相手の気分を害さないようにと八方美人のように振舞ってしまいます。また、自分が気にしすぎているせいで、相手にも同様のことを求めてしまい、なんでこの人は他人のことを思いやれないのだろうとか、なんでそんなに無神経でいられるんだろうなどとモヤモヤする場面が多いです。しかし、そう思う反面、周囲の目に怯えず自分の意志で振舞えて羨ましいと思うこともあります。そもそも、そのような人たちはそれほど気配りを求めていなかったりもするので、見返りを求めようとするのは良くないと思います。  その他にも、LINEの返信ひとつとっても送信するまでに何回も内容や誤字脱字がないか確認したり、新しいことに取り掛かるときには、事前に下調べをしておかないと不安になったりします。悩み事の9割は実際には起こらないとどこかで聞いたことがありますが、その通りだと思います。変に悩まずもっと気楽に生きていけたらいいなと思います。

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私は普段道路を使うときにあの人の運転怖いなとか、信号無視に腹を立てることが度々あるように感じます。この感情は自分が正しいということで正当化している点もあると思われ、それが悪をただすというような快感になっているかもしれないと授業を受けて感じました。一時停止無視、横断歩道で止まらない自動車を見ると危ないしルールを守っていないと腹が立ちます。確かに正しいことかもしれませんが、自分が正しいからと言って自分の行動を貫き通してしまうと事故が発生してしまいそうで怖いとは思うのですがなかなかやめられないことの一つです。ルールにこだわりすぎるとよくないとは思いつつもやめられません。他には夜遅くまで友人とゲームをすることが体に良くないと思いつつも、なかなかやめることができません。自分にとって友人とゲームすることは快楽です。睡眠時間を犠牲にしてでもやってしまいます。日中課題をしたり、授業を受けたり、バイト、部活動、をしているとゲームをする時間は無くなってしまいます。それでもやはりゲームしようとすると睡眠時間を削ることとなってしまいます。これに対し、日中に生活に満足していないからだ、という人がいそうですが実際私は日中の生活にも満足していると思います。しかし、ゲームで味わうことができる高揚感は独特のものがあると考え、この先もやめることはないのだろうと思います。

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決して自分が完ぺきな言葉を話すわけではないし、頭がいいわけではないが親との会話の中で、父親が接続詞を適当に使ってしゃべっているときがたまにあるのでそれを指摘したくなることがあり、またそれがなかなかやめられないです。接続詞があいまいな例としては、父親がある物事を肯定する文章をしゃべっている際に、でも何々~などと言い出したので何かマイナスなことをしゃべるのだろうと思い期待すると、特にマイナス面を話すわけではなくそのまま話が終わるので、突っ込みたくなるのです。もちろん文章的には父親が間違っている場合が多いし、それを言いたくなるのは普通であると思っているのですが、いくら父親とは言え自分が話した内容に反応しないで揚げ足取り様なことをされたら不快になってしまいます。そのためいつもこれは突っ込むべきなのかそうではないのかの軽い葛藤が起こります。ただこれに関しては対人関係が特に関係する事象で、やはり父親のため自分がいつもどのように感じ取られるかなどの経験があるため軽度のツッコミではイライラしませんが、これが例えば大学の友達の場合はそうはいかないでしょう。その相手との人間関係によってコミュニケーションの取り方は変わってくるため、会話は複雑だなと思いました。

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私がなかなかやめられないのは怒ることです。私が怒ってしまうとき、相手はたいてい妹でそのまま喧嘩に発展することもあります。怒りやすい人は、こだわりが強い人ということでしたが、まさに自分はそれに当てはまっていると感じました。特に私の場合は理念的な怒りよりも、自らの経験値からくる怒りのほうが多いと感じました。自分が出来ていたことを妹が出来ないとなると少しイライラしてしまうことが多々あるため、やめた方がいいと思いつつもなかなかやめられませんでした。現在ではある程度のところで妥協する、そもそも期待をしすぎないようにすることでコントロールするようにしています。怒りについて調べたところ、「自分は正しい」という正義感が怒りにつながるというものが出てきました。確かに、講義中騒いでいる人に対してイライラするのは、「講義をまじめに聞いている人からしたら迷惑である」という一種の正義感に基づいていると思います。しかし、それだけではなく、講義中に騒がれると実際に迷惑であるという自分の経験も含まれているように感じます。また、リビングでごろごろしている妹に対して腹が立つのは正義感に基づくものではなく、自分にとって迷惑であるという自己中心的な理由でしかないと思います。このような自己中心的な理由や論理的な理由を伴わない怒りというのか他人から理解されにくく、それがさらに怒りにつながるという負のスパイラルであると感じました。また、アンガーマネージメントについて調べたところ、資格として確立されており、日ごろから怒りを抑えるのに苦労している人がいかに多いか、そしてそれをぶつけられてストレスに感じる人がいかに多いかが分かりました。マネージメントしてもらわなければいけないほど怒る人が多く、それをハラスメントとしてとらえる人も多いのは現在でも大きな問題になっていますが、これからの社会でさらに深刻になっていくのではないでしょうか。自分で怒りを制限するためにも、なんで自分はイライラしているのか、その原因を一度冷静になって考えることが重要だと感じました。

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私のやめられないことは、夜更かしです。これは眠たい時、眠れないときを問わずしてしまいます。夜更かしの原因として、寝るのがもったいないという考えが根本にあります。寝るより、夜通しで動画やアニメを観たり、ゲームをしたりした方が時間を有意義に使えると思ってしまいます。実際に、夜更かしをしてアニメをイッキ見したり、ゲームで勝利をすると快感を覚えます。そして、もう一つの原因として、夜更かしをして朝に眠くなった時に寝た方が気持ちよく寝られると思ってしまっていることも挙げられます。これは特に眠れないときに顕著で、眠くなるまで朝までアニメを観たりゲームをして待とう、というようなパターンの夜更かしもあります。今まで何度も夜更かしをして、肌が荒れたりやるべきことが後回しになったりとデメリットは十分に時間しているのですが、いざ床に就くと上述の2つの快感が脳裏をよぎり夜更かしをするという回路に私は陥っています。そして、夜更かしの3つ目の原因として夜が好きということもあります。誰もが寝ている時に自分だけが起きているということは特別感が感じられます。ゲームやネットサーフィン以外にも、私はよく深夜に誰もいない街を散歩することがよくあります。この場合も、街に自分一人だけという、自分が主人公になったような全能感やエクスタシーを感じます。

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私はプロを目指しているとかそういうわけではないのですが、ピアノを弾きすぎてしまうことがあります。普通に弾くのなら良いのですが、長時間弾きすぎてしまいます。これは快感を得る行動の一部です。こういった風に弾きたいなどのこだわりがあり、その通りに弾けた時はとても嬉しいし、シンプルに弾いているうちに熱が入り、理性が崩壊して若干の興奮状態になることがあります。やるべき課題があっても、つい手をつけてしまうことがあり、中毒的な感覚を覚えています。これはゲーム依存症などのように時間の管理に影響がでてしまうので、致命的とは言わないまでも、重大な問題だと思います。ピアノのみならず「趣味に没頭してしまう」という風に話を拡大すると、これは多くの人間に当てはまるのではないでしょうか。しかし、これには解決策はないと考えます。なぜならこれは本能的行動だからです。三大欲求のみならず、欲に対して行動するのは仕方がないことだと思います。我慢すること以外の解決策は今までに聞いたことがありません。私は我慢をしてしまうと不幸と感じてしまいます。ついやってしまっているとは感じつつも、その欲を基準に生きているので、それを肯定しつつ弊害をなくしていく努力さえすればいいと思います。ちなみに私は他の課題を早めにやっておくなどをしています。

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 私が日常におけるどうしてもやってしまうこだわりはペットボトルを飲みっぱなしにしてそのまま床に放置することです。中身を空にしているならまだしも、毎回絶対十分の一くらいの量が残って放置されています。床に置きっぱなしにしていることや気づいているのに何故か処理しようとしない自分には憤りを通り越して呆れを感じ、最近は諦めの境地に達しました。これは単に認知機能の衰えなのでしょうか。もう一つどうしても直したいと思っている癖的なものが、仲良くなると相手への当たりが強くなることです。自分の中でプラスだと思い、発言しても、相手にとってマイナスに感じてしまったということが多々あります。はじめましてと出会ったばかりの頃はいい人だねと言われることは結構ありますが、だんだん人と接するにつれて、比例的に信頼?的なものが失われているような気がしています。これは私が相手にとって嫌なことを言ってしまい、それについての自覚が無いのか、それともただの勘違いなのかは定かではありません。このことを経験して、人とのコミュニケーションはとても難しいなと思いますし、一度自分に染み付いてしまった人間、人格はなかなか直そうにも直らないのだと実感しました。これからは私のコミュニケーションの環境をよくしていくため、意識的に自分の言動を捉えて、矯正していきたいと思います。

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私はよく、「字を書く」ということにこだわってしまいます。 字を書くのが好きであるというわけではないのですが、自分のなかで納得のいく字が書けないと、ついこだわって、その都度書き直してしまいます。また、それをなかなかやめられません。私にとって字を書くという作業は、最近ではキーボード変わりつつありますが、それでも日常生活を送る中で必要不可欠なものなので、こだわり始めるとどうしても時間が足りなくなってしまう為、その度「こだわるのはよくないな」と思っています。 そこで、今回その原因としてあるのは快感であると私は考えました。 ただ、ここでポイントとなるのが、私は別に字を書くことそのものに快感を得ているわけではないということです。 どちらかというと、字が思ったように書けないと不快感を覚える、という方が適しているのだと思います。 つまり、私の場合、不快感を覚え、それを解消することで快感を得ているということです。 考えてみると、字を書くこと以外で自分がこだわってしまうことのなかには、不快感を覚えることが前提となっている場合が多いことが分かりました。 例えば、何か紙を切った時に想定していたよりも曲がってしまった時や、掃除をしている時に墨の埃がなかなか取れない時などです。 どちらも、こだわりの最初の原因は不快感にあります。しかし、そのこだわりによる不快感を解消した後には快感が生まれているのです。 そこで私は、快感を得るまでの状態が、その快感にこだわってしまう原因を作っているのではないかと考えました。 そう考えると、こだわりと一口に言っても、原因について突き詰めていくと、そこには様々な類の前提があり、自己のこだわりについて分析してみることで、更なる自己理解につながるのではないかと思いました。

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私が快感のためにやめられないことはゲームです。課題に取り組んでいたり、勉強している途中に休憩として少しだけゲームをやろうと思うのですが、ついゲームをする時間が長引いてしまいます。そのため、真面目に課題に取り組んでいればよかったと後悔するときがよくあります。今回の授業を通して、これは人間の脳が不快なことを避けようとして起きる現象だと私は考えました。人間は誰しもが欲求を持っています。その欲求のせいで自分の感情をコントロールできなくなったり、時には他人を傷つけてしまうこともあります。私がゲームをやめられない要因も、この欲求が関係していると思いました。私の場合は他人を傷つけるような悪意のあるものではありません。しかしながら、課題や勉強といった自分にとって不快と感じるものを避けて楽をしようとしていることは自分にとって悪の感情が生じていると言えます。このように人間は欲求によって自分をコントロールできなくなり、結果的に後悔してしまう場合もあるのです。この解決策としては、自分にとって不快なこと以外で快感だと思えることを見つけるということだと私は考えます。例えば、勉強を不快だと思っている場合では、ゲームをするのではなく運動をしたり音楽を聴いたりして気分転換するのが良いと私は考えます。もちろん他にも解決策はたくさんあり、また人によっても様々であるため自分にとって最適な方法を見つけるべきだと私は思いました。これからはもっと視野を広げ、自分の感情をコントロールできる最適な方法を模索していきたいと思います。

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私はソーシャルメディアに軽い依存をしている気がします。空き時間や電車の移動時間など最近はやっているtiktokやinstagramなどを主に利用しています。初めは暇潰しのつもりでアプリを開くのですが、気づいたら1時間経ってしまっています。承認欲求を満たそうとしているものをなぜ閲覧したくなってしまうのか、なぜソーシャルメディアを利用してしまうのか難しいですが、自分は筋肉トレをしているので筋肉がすごい男の人に憧れたり可愛い女の子を見たくなったりと、それが娯楽として自分が求めているのだと思います。近年ではソーシャルメディアを通した誹謗中傷などが絶えなく起きています。僕が娯楽として思えるようなものでも誰かにとってはストレスの溜まるものになりかねません。ソーシャルメディアのソーシャルとは社会というよりは社交的な人と人とのつながりを表すようなニュアンスが含まれると講義内でありましたが、インターネットを介して人と人との繋がりを爆発的に増やすことができるのがソーシャルメディアです。10人いれば10通りの考えがあるといわれるように、僕が良いと思っても隣の人は悪口だと思って傷つくかもしれないくらい人によって捉え方は違います。ただ、これはソーシャルメディアの特徴であり、長所でも短所でもありません。それもその人の捉え方なのではないかなと思います。ソーシャルメディアが自分の生活に依存しているのかと思うことがありますが、こういった依存的なものは良し悪しではなく捉え方なのではないかなと思います。

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私は一度経験した成功体験を忘れられずに確率の低いことでも続けてしまいます。最たる例がゲーム内の「ガチャ」制度で、「一回だけ気まぐれで引いたらほしいものが出た」「予定より一回多く回したら出た」といった過去の快楽を追い求めてしまいます。また「ここまで来たのに今更引き下がれない」「ここまで外した・運がないならそろそろ揺れ戻し・収束が来るはず」と撤退のタイミングを逃すこともあります(たいてい資金がつきて諦めますが)。これはパチンコや競馬といった金をかけるものではないですがギャンブル依存症に近いものだと感じています。よくよく振り返ってみると「ほしいものが引けるまでノーリスクで引けるガチャ」といったものには全く魅力を感じず、確率が低い時ほど当たった会館が欲しくて突っ込んでしまったこともあります。最近では「ほしいものを手に入れる」ための行為から「確率の低い事象を引き当てる」ための行為といわれても否定できないかもしれません。また、一度や二度の成功体験を思い出して行動していますが幾度となく失敗したことはその時には全く思い出さないのです。現在は金を掛けたり借りたりといった金銭面の問題は発生していませんが将来を考えると大学生のうちにこの癖を治すべきだと思いました。幸い自分の行動がリスクあると感じたり無謀だと感じて踏みとどまることもあります。したがって自分がいまどのような快楽のためにそれを行おうとしているのか一度考え直し、踏みとどまる回数を増やしていくことが重要だと感じました。

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快感から怒りまで「こだわるのはよくないなあ」と感じつつも、なかなかやめられないことは私にとっていくつがあります。これに加え、普段の習慣についても同様の感情を抱くことも時々あります。まず快感についてですが、これについてはあまり当てはまることが少ないと思いました。まず自分自身快感を抱くことが少ないからです。しかしながら、それは無きにしも非ずであって、例えば難しい課題や無謀な挑戦があったとします。それを成し遂げた時の快感はとてつもないものです。しかしそれは身体への負担は大きいものとなってしまいます。私は時々35kmくらいのウォーキングをしますが、ゴールした時の快感はとても良いものですが、その後の身体のダメージが大きいので止めたいと思っています。次に怒りですが、私は性格上イラッとし易いタイプです。例えば一つの事柄を確実に完全に理解しようとした時、躓いてしまうことが時々あります。そういう時すぐにイラッとしてしまい、終いには物は八つ当たりしてしまうこともあります。そういうことは早急に止めたいと思っています。これらのように私自身拘りが強い性格を持ってることもあることから、少しずつ穏和になろうと思いました。

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私は昼間でもできることなはずなのにわざわざ「夜更かし」にこだわって寝不足になってしまうことがよくないと感じています。その内容が遊びであれば、おそらく夜更かししてしまうのは、たいていの人間は昼間に用事があってそれを押してでも遊びたいと考えるのであれば、夜しか共通して家にいる時間がないからだと思います。また家族が寝静まっている時間でもあるので自分のやりたいことが大きな音を出さなければやれるというは「夜更かし」のおおきなメリットだと思います。次の日起きるのが難しいことがわかっているのになんだかんだだらだらと「まだ起きていても大丈夫」と過ごしていると、いつの間にか寝坊を恐れて寝られない時間になってしまう。これは優柔不断の招く結果ではあると思いますが、やはり根底にあるのは自分の欲望にこだわってしまうことなのだと思います。私は自分のやりたいと思っていることに対して、24時間は短いと感じている人間なのでこれが顕著であると思います。やらなければならないに関しても同様でやりたいことを優先してしまった結果やりたいことが夜中にずれ込んでしまいます。約6年間ずっとこれを繰り返し続けているので、あとがつらいことは分かっているはずなのにやめられていない。計画を立てても自分の「やりたくない」という感情にこだわっているということでもあると思います。時間のうまい使い方を知る機会が少ないということは大いにあるでしょう。もちろんこれは「教えてくれなかった」という環境に責任を求めているわけではなく、これから時間の使い方がうまい友人を見つけることにも意識を向けたいなと感じました。

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私のやめられないことは、甘いものを食べる習慣です。私は、一日を通してお菓子やジュースといった大量の砂糖を使った飲食物を、多く摂取してしまうという習慣があります。砂糖依存症という言葉を聞いたことがありますが、中毒性があるとされている砂糖を食べることによって快感を得ているため、私自身やめたくてもやめられずに甘いものを食べることが習慣となってしまっているように感じます。また、砂糖を長時間摂取しないようにしてみると、イライラしてしまうこともあることから、そのイライラを解消するために甘いものをたくさん食べてしまうというような悪循環ができてしまっています。しかし、市販のお菓子やジュースは白砂糖を大量に使って作られていることから、血糖値を急激に上昇させることとなり、それが糖尿病といった病気に繋がることも考えられます。このように、多量の砂糖を摂取するということは、肌荒れや病気を引き起こすというような健康面でのデメリットが多くあることに加え、砂糖を使った食べ物ばかりを食べることによって、偏った栄養しか得ることができなくなってしまうというように悪い面があまりに多いです。よって、快感を得ることのできるものであっても適量で済ましておくべきであり、依存してしまわないように注意はらうべきであると考えます。私自身、現状では砂糖を大量にとっている今までの習慣を突然絶とうとしても上手くいかなかったため、少しずつでも量を減らして健康的に摂取できる範囲で趣向品として楽しめるようになりたいと思います。

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私がこだわってしまうのは好きなアーティストさんや映画など好きな作品の発売されたグッズを実用的でないものや必要のないものでも片っ端から買ってしまうことです。グッズというのは実用的なマグカップやペンのほかにもキーホルダーや缶バッチなど飾る以外の使い道があまりないものも多くあります。私は実用的ではない缶バッチを記念に全種揃えたいや友達も買っているから、毎回買っているから今回も買わないと、という義務感に近い感情を持ってしまうことでランダム販売ということもあり毎回たくさん買ってしまいます。しかし、グッズを購入し満足してしまいその後は家のクローゼットに放置してしまっているものも多くあります。そのほとんどでライブ会場やイベント会場など特別な場所で興奮してしまいグッズを購入し満足し、家に帰って落ち着いてみるとなんでこんなにお金を使ってしまったのかという消失感とお金を貯めないと、という焦りを感じます。そのたびに次回は我慢しようと思いますがその場の感情を抑えきれず同じことを繰り返してしまいます。また、缶バッチはランダム商品なことが多く、好きな絵柄が当たるかや数個だけ入っているサイン入りの当たりなどを当てられるかギャンブルに近いものがありより依存してしまっていると思います。自身の金銭でやりくりしているため現在はいいですが家族や友達に迷惑をかけるほどお金を使わないようにしたいと思います。

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私は結構重めの潔癖症だと感じています。私の友人からもよくこだわりすぎといわれることがあります。友人が家に遊びに来た時には自分自身に貸せているこだわりを友人に共有しすぎることが多く、友人にとって私の家に来ることは心地よくないと感じています。汚れや人が触れたものが私はそれを本当に汚いと感じてしまいます。これがこだわりといえるのかはわかりませんが、この考え方はよくないといつも思いながら生活しています。しかし、コロナによって自粛期間が増えた今、自分の家にいる時間がとても多くなりました。そのおかげで私の潔癖がさらに強くなりつつあります。暇な時間は掃除に費やしており、ここまできれいにしてこだわる必要があるのかと終った後にいつも公開や反省のような感情がわいてきます。最近ではコロナの性で友人と遊ぶ機会はめったになく、ましてや家に呼ぶことなどありませんが、もしこれから先コロナが収まり友人が来る機会があった際には私自身そのことに耐えられる自信がありません。このようなこだわりを私はよくないなと感じていますが、なかなかやめることはできません。私のこの潔癖症というこだわりは大学生になり一人暮らしを始めた時から徐々に強くなりました。実家で暮らしていた際はそのようなことはなく、むしろずさんでおおざっぱのような性格でした。親がいるのですべてやってくれると思い込んでおり、実際掃除などほとんどやることはありませんでした。しかし、きれいにする人がいない環境に身を置いた今は昔とは違い、自分一人ですべてやらなくてはなりません。そのような意識が強くなってきたためにより潔癖症といわれるまで清潔に対して強い意識を持つようになったのだと思います。このこだわりはいつかなくなればいいなと思っています。

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私は協力型ゲームでオンライン対戦をしているとき、勝ちにこだわるあまり自分の納得いかない負け方をした時、ひどくイライラしてしまうときがあります。知人に「ゲームでイライラするぐらいならやめればいいじゃん」と言われたこともあり、自分でもこの癖はどうにかしなければならないと思いつつも中々直すことが出来ません。そこで今回の課題を通して自分がイライラする理由を分析して今後に役立てたいと思いました。以下では自分を省みて思い浮かんだ2つの理由をもとに分析していきたいと思います。 敵や味方に特に理由もなく煽られる程度ではよくある事なので流石にイライラしません。ですが味方が私の想像の埒外の動きをして負けてしまったときには、思わず悪態をついてしまう程に腹が立ってしまいます。今までも一応味方が突飛な行動をしてもアドリブを利かせられるようにしていましたが、無策で突撃する味方などには上手く対処できずそのまま一瞬で負けてしまうこともありました。これは恐らくその味方が対戦時のセオリーを知らなかったことに起因するのだと思います。セオリーを知らなければ個人戦ならいざ知らず、チーム戦では勝ちようがありません。しかし私はこのくらいなら理解しているだろうと勝手に思い込み、それを知らなかった味方に勝手にいら立つという極めて独善的なことを行っていたのだと今回の分析で気づかされました。このような自身の暗黙の了解を押し付けていたら、ある程度ゲームに慣れている人ならば理解してもらえると思いますが、初心者には難しいと思います。この状況はコミュニケーションの不足に基づく誤解が原因であると考えられるため、対戦中に活発的にチャットを送り、情報の共有や指示を行うことで避けることが出来るのではないかと思いました。 また対戦を放棄する人に対しても私は思わずいら立ってしまいます。オンラインゲームという匿名性が高いものの為でしょうか。他者のことを考えないばかりか、悪意を持って行動する人を見かけることがあります。何度かは復活できるゲーム性であるのに、敵に一度や二度倒されただけでやる気が失せたのか放置し始める人や十分に巻き返すことが出来る可能性があるのに対戦を見限り、利敵行為に走る人にはどうしようもないほどイライラしてしまいます。自身の昇格がかかった対戦ではなおのことです。上で述べた人々が対処することで回避できる事象だとするのなら、こちらは悪意に満ちた回避不可能な事象です。以前まではその人々の所為で負けた後は失ったポイントを取り戻そうと腹立ちながらも間髪入れずに次の対戦に移っていましたが、そのような冷静を欠いた状態では安定して勝てるはずもありません。そのままずるずると黒星を増やし続ける結果になってしまったという事がありました。しかし今回の授業でアンガーマネジメントを実行することでイライラを抑制することが出来るのではと考えました。授業後にアンガーマネジメントについて調べると非常に多くの情報が見つかり、特に6秒ルールや一度怒りを感じる場所から離れるということは直ぐに実践できて、効果的なもののように感じられました。これらを活用することで無駄なストレスを感じる可能性を下げ、冷静に対戦できるようになると考えます。 今までは以上のようなイライラは回避不可能なものだと考えていましたが、こうして冷静に分析することである程度は回避できるものだとわかりました。また、今回は具体例としてオンラインゲームをあげましたが、何もゲームに限らず今後の人生に活かすことが出来る対処法だと思います。怒りなどは基本的に百害あって一利なしな感情だと思うため原因を取り除き、抑制することでより豊かな生活を送ることが出来るようになると考えます。

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私はノートやメモを取る時に、誰か他の人が見るわけでもないのに無駄に字を綺麗に書こうとしてしまいます。普通に書いていて字のバランスが崩れると気になってしまいます。そんなところこだわったところで意味はあるのかと私自身でも思います。自分で言うのも恥ずかしいですが、周りの目を気にしてしまう心理の一つだと思います。服装を整えていかに自分をよく見せようと同じで、ふと見られた時に「汚い」と思われるのを避けようとしているのだと思います。何でも良し悪しを決めるのは人それぞれだとは思いますが、「嫌われたくない」とか、「少しでもよく見られたい」という感情は誰でも持っているものだと思います。この感情を悪いものだと思う人もいると思いますが、私は良いものだと思っています。なぜなら服装も文字も身だしなみのひとつだと捉えているからです。承認欲求と聞くと「カマチョだ。」と悪く言われる傾向があるように思いますが、社会に認められようとする気持ちを持つ人にあれこれ釘を刺す人の方がそうじゃないかというのが私の考えです。世の言う「アンチ」です。わざと的外れで多くの人を敵に回すことを発信することで注目を集め、広まってくると自身も野次馬の1人の様な顔をしているのだと思います。このように、人一人の中で収まるこだわりや快感であれば良いものの、不特定多数の人を巻き込んで優越感に浸るのはまた別のこだわりだと思います。私の場合はその中でも文字に気を注いでしまうだけだと捉えています。何度か書き直して、満足して、勝手に良い気持ちになっているだけではありますが、そのこだわりが人が元々持つ感情の一つであり、個人の喜びでもあると思うと面白いことだと思います。

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私が「こだわるのはよくないなあ」と感じているが、やめられないことはゲームを朝方までやってしまうことです。私はPCゲームをすることが趣味なので知り合いなどと毎日ゲームをするのですが楽しくなって辞め時がわからなくなってしまい、よく気づいたら朝になってしまっていてそのまま寝ないで大学に行ったり、朝から昼まで寝てしまうためまた夜眠れなくなるという悪循環を生んでしまいます。このようなことがやめられずにつづいてしまう理由を自己分析してみて今回の「快感回路」の目次で同じ様な状態がないかと考えてみると第一章の快感のボタンを押し続けるネズミと第三章のもっと食べたいの部分に近いように感じました。一章の内容に感じた共通点はRPGゲームなどで謎が解けていくときの快感や今までできなかったことができるようになるという快感によってドーパミンが出ることが快感ボタンを押し続けてしまうネズミと同じような感覚なのではないかと思いました。また、三章の内容に感じた共通点はストレスと依存症というところにゲームにも同じような感覚に陥ることがあると感じたからです。私はゲームは娯楽であり、ストレスの発散にもなっています。そのため依存しているのではないかなと感じました。

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私がやめられないことは、休みの日になると家から出なくなってしまうことです。特に、コロナ禍になってから増えました。今は、大学の授業もオンデマンドがほとんどで家で受けることが多いのでそのまま一日中家で過ごしてしまいます。外出することが嫌いな訳では無いし、むしろショッピングなどはすごく好きです。しかし、それ以上に家にいるのが落ち着くので休みの日になると外の空気を浴びない日も多いです。自分の部屋だと何も考えなくてもいい時間が作れるのが良いです。親には少しでも散歩や運動をしなさいと毎回言われていて、私自身もこの生活をやめたいとはずっと思っているのですがなかなか直りません。なので、最近は少しだけ散歩をしたり自転車で少し出かけてみたりしてなるべく外へ出ようとしています。私が、あまり人とコミュニケーションを取ることが少ないのも外へ出て人と接することがないということが原因としてあると思います。昔から定員さんとかに話しかけたり話しかけられたりするのが苦手で、未だに慣れていないので知らない人ともコミュニケーションを取れるようにもっと外でたくさんの人と関われるようにしていきたいと思います。また、今回の授業で気づいたのは自分の中ではいろいろな感情を持っていると感じているけれど、私は人と関わっていないので相手に自分の感情が伝わっていないかもしれないと思いました。

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私がやめたいと思ってもなかなかやめられないことは夜更かしです。ほとんど毎日夜更かしをしているため、疲れが溜まってしまい、朝起きれないことがしばしばあるのですが、分かっていても夜更かしをしてしまいます。今回の講義をきっかけに、なぜ夜更かしをやめたくてもやめられないのかを考えてみましたが、1人になれる時間を楽しみたいからであるという結論に至りました。特に大学に行った後にアルバイトがあって、帰りが22時頃になってしまう日は、1人の時間がほとんどないため、どんなに疲れていても、1人で自分の好きなことをするためについつい夜更かしをしてしまいます。次の日も早く起きなくてはならないと分かっていながらも、せっかくの1人で好きなことをできる時間を無駄にしたくないという気持ちが湧いてしまって、どんどん寝る時間が遅くなってしまいます。そういう日は、早く寝るという目標すら達成できない自分に少しだけ嫌気が差しますが、それよりも楽しさが勝ってしまってなかなか寝付けなくなります。確かに自分の好きなことをする時間はたくさん欲しいと常に思っているのですが、寝付きが悪くなるとストレスが溜まってしまい、せっかくの楽しい気持ちも台無しになり、本末転倒だと思うので、授業内でも話にあがったマインドフルネスに取り組んでみようという気が起きました。マインドフルネスを正しい方法で行うと、リラックス効果を感じられ、気持ちも落ち着くようなので、寝る前に実践して心を落ち着けて、夜更かしをする日数を少しずつ減らしていけるようにしたいと思います。

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 怒りの場合だと、私は、自分とは全くそりが合わない人にバカにされると、むきになって相手の感情を無視したような正論を相手にぶつけてしまいます。そして結果的に相手を怒らせることになり、なぜ単純に人をバカにするようなことは悪いことだと言ってやれなかったのかと後悔にさいなまれます。おそらくこの場合、相手は遊びとしての対立をしており、それに対し私は直接的攻撃をしていることがわかります。その時の自分の悪意の心理的推移としては、①うっかり口にする→③攻撃するといったように動きをしている。  快感の場合だと、私は、時間が空いた時に理由もなくゲームを始めてしまうことがあります。この状態は、ゲーム内のミッション要素によって起こる、達成、あるいは獲得といった事象が私の脳に快感となって記録されているため起きているのではないかと考えます。また、ゲームが進展していくにつれて脳が、さらなる快感を求めるので、キリがよい、目が疲れたと思ってもなかなかやめられないという現象まで併発します。この状態まで来ると、ゲームをすることと快楽回路が強く結びついていることが考えられます。つまり、この状態に陥った私の心理は、気づいたらお菓子の袋を開けてしまい、一袋食べるつもりなかったのに食べきってしまう人の心理によく似ているのではないかと私は考えました。

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私がなかなかやめられないものはお酒です。お酒は酒を飲んで楽しい気持ちになり、ストレスを忘れたようにも感じます。お酒は決して悪いばかりのものではないと考えています。しかし、ストレスを忘れたと感じるようになるまで飲もうとすると、次第に量が増えていってしまうことです。酔っ払ったら気分転換ができているとは言えないのです。その結果、依存症や病気につながってしまう可能性があるというわけです。いったんこのような状態に陥ると、自分の意志でコントロールすることは非常に困難です。やめようとしてもやめられないです。家族に迷惑をかけて、体の健康や日常の生活を脅かされていきます。アルコールは「精神に作用する物質」を体に取り込むと、その物質は脳に侵入します。脳の中では神経細胞がさまざまな情報伝達を行っており、私たちが物事を考えたり感じたりするのもその働きによるものです。外から侵入してきた「物質」は、その働きに影響を与えます。こうした「精神に作用する物質」には、一時的に気分を高揚させたり、落ち着かせたり、緊張や不安をやわらげたりするなどの作用があります。そうした感覚を、脳が報酬というふうに認識すると、脳内にそれを求める回路ができあがります。そして、「物質」を取り込む行動が習慣化されると、薬物のように脳に快感を与え、刺激することで、依頼になります。

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私がやめようと思っていてもなかなかやめられないことはスマホの利用です。私は土曜日に次週の1週間の予定をたてています。その予定は課題を優先的にしてたてていますが、実際にはスマホ利用に時間を使ってしまい結局計画通りにはいきません。さらにスマホで好きなアーティストの動画をみたり、Amazon primeやNetflixで好きな映画やドラマをみてしまい夜更かしをしてしまう時が多々あります。自分では時間を決めて30分だけにしようと思っていてもその30分後になったら、もう1時間だけとやめられなくなってしまいます。特に家にいる時間は自分にとって気を使うことがなく、自由な空間のため自分の好きなことだけをやりたくなってしまいます。学校やバイト先では他人を関わるのと、やるべきことをやらなければいけない責任感があるので気を使います。満員電車やバイト終わりなど気が引き締まるところから家に帰ってくると、そこからの解放感を感じストレス発散のように快感を求めスマホで動画を見てしまいます。スマホを長時間利用することで生活リズムが崩れたり、やるべきことが溜まっていき最終的に後悔をします。現代社会では自分の時間が少なく、ほとんどの時間を労働時間や生活時間に使っていると思います。そのため労働時間や生活時間からのストレスを発散させるため快感を求めることが多くなってくると考えました。

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 自分は食べ物に関するこだわりが多いように感じる。例えば、箸やフォーク、ナイフやスプーンなどの食器類でプラスチック製品で食べ物を接種すると気持ちが悪くなるので、自宅で自分が使う食器類は木製や金属製のものが多く、コップなどもガラス製品のものが自宅には多い。さらに、人が握ったおにぎりが気持ち悪く、友達の親御さんが運動会や友達の誕生日会などで手作りの料理などを作ってくれることが多くせっかく作ってくれているので食べなくてはいけないのだが、どうしても気持ち悪くなってしまうのでいつも体調が悪いと偽ってその場を逃れている。市販で売られているものであると気持ち悪さはしないのだが、そうでないと自分が小さかった時から気持ち悪く感じてしまう。あとは、飲み物はキンキンに冷えているものが良くて、喉が渇いていてぬるいときは飲むのを我慢して冷蔵庫に入れて冷えるのを待ってから飲んでいる。特に夏になると絶対に冷えている飲み物が飲みたいので必ず冷やしてから飲んでいる。加えて、飲み物に関してだが家でジュースやコーヒー類の飲み物を飲むときはペットボトルでは買わず紙パックの物を絶対に買っていて。普段からなぜかわからないが、ペットボトルを消費してはならないという謎の個体観念がある。

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私は最近アマゾンプライムで映画やドラマを見ることにハマっています。大学の課題や家事などのやらなければいけないことが沢山溜まっていても、次々に面白い映画やドラマを見つけてしまって、ついつい見てしまうことが多いです。今は1パーセントの奇跡という韓国ドラマにハマってしまい、課題や家事をやらなければと思いつつも、ドラマの続きが気になってしまい見進めてしまいます。今までは、見始めたら止まらなくなりそうだなと思っていたため、韓国ドラマを見たことはありませんでしたが、友人に勧められて初めて韓国ドラマを見始めました。そして案の定、話の続きが気になってしまい、一度見始めたら止まらなくなりました。韓国ドラマの中毒性は凄まじいなと身をもって実感しています。おそらく最終話まで見なければ、自分で止めることは不可能に近いと思います。ユーチューブも同様に、見続けてしまうことが多くあります。中町兄弟やコムドットというユーチューバーにハマっていて、夜中に見てしまうことがあります。早く寝なければいけないと分かっていても、動画を再生してしまい、就寝時間が遅くなり、次の日は寝不足になってしまうという悪循環を自分で作ってしまいます。駄目だと分かっていてもやめられないこの感情は、授業の終盤で紹介されていたマインドフルネスを生かして冷静になり、鎮めるしかないのかなと考えました。

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私がやめられないと思っていることは、課題をギリギリまで溜めてそれまでの間にゲームをやり込むことです。まず課題が提出期限ギリギリにならないとやる気が出ず、追い込まれないと頑張れないと高校時代から思っていました。周りの人は計画的にやっていたり、少なからずやらなければという焦りや自覚があるのに対して私は全く罪悪感や焦りなども無く、むしろみんなが頑張っている間にゲームをしていることに満足感を覚えるようになりました。その結果課題の提出期限が迫った前日などはいわゆるオールをするようになることが増えたり、ゲームを長時間やらないとストレスが溜まるようになりました。基本的に私は人間の中でも性格が底辺な方だと思っていて、だからこそ無計画な行動が楽しくてやめられないのだと思います。他にも課題を溜めても、頑張れば僅かな日数・時間でこなすことが出来ると分かってしまったのでつい思考が「課題は後回しでいいや」という風になってしまうのでは無いかと思います。私は典型的な快感回路をしていると思うのですが、焦りや罪悪感、背徳感、ゲームで得られる快感が好きで課題を溜めたりゲームをしたりすることをやめられないです。多少は「いつか大事な提出物の期限を守れなくなって取り返しがつかないことになるのではないか」と思うこともありますが、今のところこの癖を直そうと本気で思うまでには至っていません。やめられない理由は分かりますが治すにはどうすれば良いのか分かりません。

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睡眠という点でなかなかやめられないことが多いです。睡眠というと、なかなか意識的なものではなく生理的なものである場合が多いと評価されることが多いですが、その中でも私の場合は特にひどいと思っているので、書いてみたいと思います。例えば、何らかの用事がその日にあったとしても、その場合は起きることができる場合がほとんどです。しかし、何にもない日、またはあまり重要じゃない日の場合は一気に変化します。具体的には、だいぶ遅い時間(11時くらい)に起きたとしてもま、いっか、と思って二度寝してしまいます。大半の人はその時間でさすがに起きるかと思いますが、私はその後も三度寝、四度寝と繰り返してしまいます。その結果、酷いときには14時や15時まで寝ていることもあります。そうなると、寝ている時間にできていたことができなくなり、腹はすかず、夜は眠れなくなります。結局、今日一日何していたんだろうという自責の念に駆られることが多いです。その意識を持つのはいいのですが、さらにその補填をしようとして勉強したり、課題を行ったりして、結局夜更かしするという悪循環に繋がってしまうことが多いです。数時間の睡眠という快楽を得るためにその後の予定や生活リズムを崩してしまうのはまさに上記のようなことだと感じました。

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このFormsのテーマを見たとき、私は日常生活において特にこだわっていることは思い浮かびませんでしたがなかなかやめられないこととして夜更かしが思い浮かびました。高校生時代は毎日朝7時半には学校にいて、夜8時過ぎまで部活動を行う生活を送っていたので遅くても12時半には就寝する規則正しい生活を送っていました。しかし、部活動を引退し、毎日高校へ行くことなくなると今までの「もう12時」という感覚が「まだ12時」へと変わり、就寝時間も遅くても12時に寝ていた生活から2時頃に布団に入る生活へ変わってしまいました。就寝時間が1,2時間後退した結果、起床時間も1,2時間後退してしまい、日中がとても短く感じるようになりました。起床時間が遅かったので少しでも起きている時間を長くしたいという思いからまた夜更かししてしまう毎日です。夜更かしをする際、私は主にスマートフォンをいじってしまいます。特に目的はありませんが何となくYouTubeやTwitter、Instagramなどのソーシャルメディアやエンタメ・ゴシップ記事を見て時間をつぶしています。今回の授業の中で悪意の心理学(岡本真一郎)②で偏見を抱くという欄がありました。その欄を見た際に私は何となく見ているソーシャルメディアとニュースですが、記事の内容に違和感を抱くことなく少し過激な内容でも記事を鵜吞みにしていることに気づきました。③のいじめやからかい、卑罵表現のような攻撃を直接行っているわけではありません。ですが夜更かしをする際に何となく見ているソーシャルメディアや各ニュースを通して多少の偏見や差別意識を持ち、自分自身がステレオタイプになっていることに気づくことができました。ソーシャルメディアや各ニュースを楽しむことは決して悪いことではありません。ですが非実在型炎上のようにその表面的な言葉だけを鵜吞みにすることによって事実とは異なる点があっても全てを正しいと思い込み、偏見を持つこと、ステレオタイプになることは間違っていると思います。ソーシャルメディアや各ニュースを真に受けすぎないこと、意味もなく夜更かしをしないように心がけていきたいです。

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私がなかなかやめられないことは、怒りの感情が薄れた後も怒っているような態度をとってしまうことです。私は家族と言い合いをすることが度々あり、その際には怒りの感情を態度や語気に含めて家族にあたってしまうことがよくあります。その直後はたいてい怒りを忘れるまで自室にこもるのですが、怒りが薄れているものの忘れきってはいない状態で食事などのために家族のいる空間に戻るときには、怒りの感情が変わらず続いているかのような態度をとってしまいます。怒りの態度を全面に出した状態で家族と過ごすのは居心地が悪いため、本心では早く通常の感情に戻り、通常の態度で家族と接したいと思っているはずなのですが、いつもそれとは反対の態度をとってしまうのです。これについて自己分析すると、自身の感情を正当化して自尊心を保つためや、自分の顔をつぶさないために、偽りの態度をとってしまうのではないかと考えました。またこれらの心理から自分を守る際に、私が本当に家族に伝えたいことではない怒りの態度や言葉が出てしまうため、それのみを感じ取った家族は私が変わらず怒っているものと誤認識して再び怒りの感情が沸き上がり、双方の居心地が悪くなってしまうのではないかと考えました。

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私がこだわるのはよくないと思いつつもなかなかやめられないことは、本の読み方です。私は読書が趣味なのですが、カバーは必ず裏返して読む若しくは元からついていた書籍カバーを外して自分が普段から愛用しているブックカバーに必ず変えて持ち運んだり、本を途中で読むのをやめるときはブックカバーで挟んでしおり代わりにしたりしおり以外のものをはさんだりせず、ブックカバーについている紐のしおりやお気に入りのしおりを挟むようにしたりと一見過剰にも見えるこだわりがあります。そして、自分が気を付けるにとどまらず、街中で文庫本を持っている人が少し角が汚れてたりクシャっとなっていたりすると「物を大切にできない人なんだな」少し嫌悪感が出てしまいます。もともと極度の潔癖とかではないのですが、本の持ち運び方はかなり性格が出ると思っているので、その人の人となりを本を通じてみているような気がします。私のこの感情は授業内で扱った悪意の心理学内で分類すると、偏見にあたるのだと思います。本だけで人間性が図れるわけないのに、勝手にこの人は物持ちよさそう、この人は悪そうと自分の中に凝り固まってある先入観で見てしまっている癖がついてしまっているのだろうと思います。もちろん直接言葉に出して攻撃的な態度をとることはないけれど、その先入観から無意識のうちに人をフィルターにかけてしまっているこの思考もまた悪意の一つなのではないかと自分のやめられない癖を考えていく中で思いました。なるべくそういった無意識下の行動がなくせるようにしたいです。

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私がなかなかやめられないのは、スプラトゥーンやスマッシュブラザーズなどの対戦ゲームです。数戦だけやろうと始めるのですが、気づいたら1時間以上プレイしていることがあります。勝てばレートが上がり、負ければ下がるというシステムで、勝つと調子が良いと思い「負けるまでやろう」となるのですが、負けるとイライラしてしまい「勝つまでやろう」となってしまいます。他にもやるべき事がある時もあるので、自分ではやめなければと思うのですが、やめられません。この状況で自らが感じている感情を考察してみると、勝っている時は勝ちという快楽をさらに求めてしまい、負けている時は悔しさからその快楽を失ってしまい、勝ちという快楽を欲しくなってしまう。という連鎖が生まれていると気づきました。このような感情の特徴として、本人のメンタル維持能力によって当時は論理的な思考が全く通用しない点にあると思います。快楽を感じることへの欲望はとても大きく、逆らうことの大変さを改めて感じました。また、社会に出るにつれ自らの感情をしっかりと律することができるようになりたいです。

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 私がなかなかやめられないことは、課題よりもネットサーフィンをしてしまうこと、断片的な情報を信じること、自分の間違いを認められないことです。  ネットサーフィンの場合は、「課題を進めないと後で自分が苦しむようになる。」と分かっているのに課題そっちのけでネットサーフィンをしてしまいます。なぜそうなるかを考えると、ネットサーフィンをするほど楽しくなってしまうという快楽回路に陥ってしまい、時間が延びるほどやめられなくなってしまうからです。次に、断片的な情報を信じてしまうことについては、特に自分の考えに近い情報ほど信じてしまう傾向にあります。例えば、記事を読まずにリツイートしたり、批判することがあります。これは、資料にある悪意の心理学でいうところの偏見を抱くに該当し、その中でも自分の仮説に当てはまる事例だけに注目してしまう仮説検証バイアスに該当します。また、この行動には、事実確認なしで正しそうな情報を拡散することで社会貢献したような気分になるスクラックティズムの要素も入っています。三つ目に、自分の間違いを認められないことについてです。私はよく、家族と喧嘩したときに自分が絶対的に正しいという前提のもと、喧嘩相手の間違いを正そうという心意気で喧嘩をしています。この行動は、資料の中だとコミュニケーションの心理学の誤解の要素や、悪意の心理学のうっかり口にするでいうところの自分の感じていることや考えていることなどを相手が分かっている、と思い込んでいる錯覚である透明性錯覚に該当します。  今回、自分のやめられないこだわりを分析できたので、その分析結果を用いて、それらを抑えられるようにしたいと思います。

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私がなかなかやめられないことは、定期的に無駄使いをすることです。私はストレスが溜まったり、嫌なことがあったりすると特にいらないもの(お菓子とか、もともと持っていて使わない筆記用具など)を大量に買います。しかし、それらは実際に使わなく、友達にあげたりします。なぜこんな非生産的で無駄なことをするのかというと、お金を大量に使う背徳感がたまらないからです。中学生や高校生の途に持っているお金(お小遣い)はとても限られていて、節約していかないと友達と遊びに行けない時もあります。しかし、そのギリギリのお金のやりくりをぶち壊すことが火遊び的な感覚で癖になってしまいました。しかし、毎回散財した後に後悔しており、なおしたい癖と思っています。わたしのイヤは比較的厳しく門限などのルールが多くありとても窮屈だと感じていました。スマホも持つのが遅かったため、みんなが楽しんでいることや話題についていけなく悶々としていることが多かったと昔を振り返ると思います。その限られた生活でできる唯一の親に対しての反抗?的な感じで始めた無駄遣いが今にもつながっていると今回自分を振り返ってみて感じました。きっとこの癖は治らないと思いますし、バイトを始めお金が増え始めた今は一回の被害がもっとひどくなると危惧しています。今後は生産的で無駄のないストレス発散法を探したいです。