情報市民05「何度言ったら」読解投稿集

1. 「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることは何でしょう。本日の講義内容を使って自分なりに説明して下さい。500字以上3000字未満。「私」を主語にして「ですます調」でお願いします。締切は5/10午後11時30分。

91応答

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応答

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私は、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることについては、様々な状況が考えられます。一番最初に思いつく状況は、相手が自分の思い通りに言うことを聞かずに行動を起こしているのかなと思います。今回の授業で、身振り素振りを紹介しているYouTube動画が上がっていました。きっとLINEの意思表示が足りなかったのだと思います。LINEは顔が見えなければ表情も分からず、もちろん声のトーンも口調もわかりません。文字と絵文字だけです。私はあるサイトで、同じ言葉で絵文字を使っていても、伝わり方が全く違うということです。「大丈夫だよ」の文で、泣いている絵文字を使えば全く大丈夫ではないということが伝わります。しかし、同じ文でも、絵文字に汗のマークがついていると、本当は頼りたいけど言いづらい、というふうに私は捉えます。ただ、誰もがみんなLINEで絵文字やスタンプを使うとは限らないし、文面上では泣いていたり、汗のマークが付いていたり、笑ったりしていても本当に思っていることとは違うことだって文字や絵文字に起こすことが出来ます。「何度も言ったらわかってくれるの!」という状況はまさにこのLINEから生じているものなのかなと思います。また、LINEだけではなく、直接会って話していても起こりかねません。言葉足らずだったらこのような状況に陥ります。コミュニケーションは大切です。表情や身振り素振りのひとつにしろ、伝わり方が全く違うことだってあるし、その相手によっても変わっていきます。私もLINEをよく使って会話を楽しんでいますが、ごく稀に相手がどのような感情で文字に起こしているかが分からない時があります。その時は流さずに聞き直しています。LINEは大変便利なアプリケーションです。上手く使いこなすにはすれ違いを防ぐ必要がありますが、人間なので感情のすれ違いは誰にでもあります。なので聞き直すことが大事です。聞き流してその時は何もすれ違いが生じなくても後々すれ違っていたことがわかり、場合によっては相手を怒らせたり傷つけることだってあります。私も「何度言ったらわかってくれるの!」のように、同じような体験をLINEで何度も体験してきました。LINEだけではなく、直接だってあります。そう考えると、野生の動物たちは鳴き声と動きだけで、言葉はなくても意思疎通ができていて、狩りに成功したりコミュニケーションを仲間ととって絆を深めたりできるのが凄いなと心から思いました。野生動物と人間の違いはなんなのだろうか、という疑問も、今回の授業を通して思い浮かびました。

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 私が、何度言ったらわかってくれるのというシーンで生じていることは、身振りを媒介にした相互作用と、話し言葉を媒介にした相互作用がうまくいっていないことが生じていると考えます。  まずは、身振りを媒介にした相互作用について話します。 人は話を聞いた時、視覚情報と聴覚の情報では、視覚情報の方が脳に残ると言われています。 そのため、人が他人に話を聞いてもらいたい時は、身振りも加えると良いと言われています。 しかし、今回の授業で学んだように、国を超えると身振りが正しく伝わらなくなってしまう状況も見受けられます。例えば、海外でこっちにおいでというときに、国によって、自分の方に手を招いて合図するか、手のひらをその人に向けて4本の指を招くように使うかなど違いがあります。 ですから、間違った伝わり方をしたから、今回のフォームズ課題のような事態になり、身振りを媒介にした相互作用がうまくいっていないと考えました。 次に、話し言葉を媒介にした相互作用について、日本語の場合がほとんどですが、もらうという言葉を丁寧に言うときに、いただいたと言いますが、食べるという言葉を丁寧に言うときもいただいたと言います。このように、同じ言葉でも意味が異なる場合が日本語は特に多くあるため、生まれてからずっと日本に住んでいる人でも、難しさを感じる人もいるでしょう。 さらに、外国人の人口も増えたこともあって、さらに難しいと感じる人も増えています。 そのため、何度言ったらわかってくれるのといったシーンが見受けられると考えました。

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まず、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで具体的に発生していると思われる現象を整理します。 このシーンでの登場人物は二人。送り手は繰り返し伝えている、もしくは伝えた気になっている内容を、受け手が理解していない、もしくは実行にうつしていないことに対して苛立ちを覚えており、声をあげてしまったと言った場面が容易に想像できます。 まず初めに、この場面における受け手が送り手の伝えた内容に対して、真の意味で理解していなかった、つまり、何を言っているのか全くわからないという状態になっていたとは、考えにくいと思っています。理由としては、送り手は何度も言っていることに加えて、伝えたい事柄に理解を示されないことに苛立つ程度には容易な文言であったことが予想されるからです。つまり、要求の内容及び文章が難解であることを自覚できるレベルであれば、簡単に理解されない状況を発信者側が容認できるということです。 以上の理由から、このシーンでは、受け手が理解していることを送り手に伝えていなかったことが問題であると思われます。本日の授業では、コミュニケーションとは相互作用であり、その場に居合わせた個体がお互いの身ぶりに反応し合うことを指すとされていました。また、コミュニケーションのレイヤーでは、話し言葉の前に身振りがくるとされ、バーバルコミュニケーションを成立させる前提条件としてノンバーバルコミュニケーションが定義されていると理解しました。つまり、このケースの場合、理解をしたという受け手の返答における、ノンバーバルコミュニケーションの欠如によって、本来コミュニケーションによって返されるべき返答が単なる情報伝達になってしまった。具体的には、受け手は日頃から「わかっている」という言葉だけで済まし、行動に移していなかったのではないでしょうか。

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私はまずhttps://www.youtube.com/watch?v=j4XGnv9XLykの動画を閲覧しました。この動画では日本人があまり習わないようなコミュニケーション自体にフォーカスした動画でコミュニケーションは自分を表現する場であり、相手に感情を表現しなくてはならないという根本的な内容をまとめたものでした。先生の説明の通り【その場に居合わせた個体がお互いの身ぶりに反応し合うこと。】という表現がこの動画に当てはまるなと考えました。 https://www.youtube.com/watch?v=qCo3wSGYRbQの動画では、世界各国のジェスチャーについての違いについて比較した動画でした。私自身このような題材のレポートを別の授業で作成予定なのですが、このように世界各国でジェスチャーがバラバラになったり反対になったりした起源を詳しく知りたいです。 https://www.youtube.com/watch?v=ckJ8P8rZXzg&t=113sの動画では、今まで声だけではなく、表情や身振り手振り含めてのコミュニケーションでしたので、その組み合わせが切れることで普段なら伝わることでも、全然伝わらなくなってしまいます。改めてコミュニケーションとは、声だけのものではないと実感しました。この話は先生のサイトに記述されているコミュニケーションの階層構造に近いものを感じました。さらにhttp://www.visual-memory.co.uk/daniel/Documents/S4B/japanese/sem08c_japanese.htmlでは2人の人が回路でつながっているわかりやすい図があり、私の考えていることと似通っていたため心の支えになりました。 2回目の授業あたりでメディアの進化について考えてきましたが、コミュニケーションという点では、直接ではないにしても人とパソコンやスマホを通して確かにコミュニケーションをしているなと感じました。このような点で、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることは相手との会話が成り立っていないor相手とのコミュニケーションが浅いことが原因にあると私は考えました。一番最初の動画で相手に気持ちを表現するのがコミュニケーションだということがありましたが、それが不十分であり、本当に発話者の気持ちが伝われば(言い方もあるが)相手も発話者の気持ちが伝わってくると思います。また三つ目の動画のように、身振り手振り含めてコミュニケーションをとる方法を考えれば、より言いたいことが言葉では伝わらない範囲のことでも伝わることがあると思います。

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私が今回の講義を踏まえて考えたことを、講義でも触れていたようなパターンに基づいて考えてみようと思います。 ・パターンA『喧嘩』 「何度言ったらわかってくれるの!」強く責める  「そんなのもうわかっているって!」喧嘩中 「もういい!」 ・パターンB『イチャイチャ』 「何度言ったらわかってくれるの!」照れながら  「だっておかしいんだもん」 「もう!からかわないでよ///」  私は最近ラブコメ的な漫画を読んでいるのでこの二つが思い浮かびましたが、記載した通り「何度言ったらわかるの!」と言った人の感情や語気などが大きく作用して思い浮かべることができるのだと思いました。  今回の授業を受けて、映像や絵で感情を伝えるということは割と簡単にいくのかもしれないですが、文字の世界で、ひいては文学の世界でそれを最も簡単に、また、その深くの深層心理というか、その発言をした意図のようなものまで探ることができるような表現をする小説の作家さんはすごいと思いました。国語の問題でよくあるような「この時のこの物語の主人公の心情は次のうちどれか。次の選択肢A からDの中から一つ選べ」という問題を作ることができるほど文学の世界は奥が深いと改めて思いました。  僕個人的には、このような国語の問題で「この時の著者の心情は・・・」という問題ほど難しいものはないとも感じてもいます。

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「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることが何かを知るには、言われている人の反応を探る必要があります。コミュニケーションは相互作用だからです。おそらく言われた方は賛同の態度を取ったのにも関わらず、実際の行動では従わなかったのでしょう。賛同の反応を取っていても実際の行動において逆のことをしていたら否定と同然です。言った側は最初賛同して満足しますが、実際は違うと知ってまた同じことを言うという実態になったのであると思われます。ここで階層ごとに検討してみましょう。コミュニケーションには階層がありますが、個人の会話の場合で適用されるのはレベル3以外でしょう。まず、レベル1の身振りを媒介にした相互作用はどうでしょうか。おそらく言われていた人はきちんと話を聞いている風な身振りをしたのだと思います。次にレベル2の話し言葉を媒介にした相互作用はどうでしょうか。言われた側は、きちんと返事をして。理解、賛同したことを示したのでしょう。これらのことから言う側はきちんと賛同してくれたと思い込んだのでしょう。しかしレベル4はどうでしょうか。メディアを媒介にした相互作用といいますが、空間や社会的行動も含まれます。会話の後の行動もこれに含まれると思います。つまりレベル4の段階で否定の行動をしてしまうと、言う側が本当は否定の気持であったと知ってレベル1からコミュニケーションが繰り返さられ、最終的に冒頭の台詞が生じるわけです。

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何度言ってもわかってもらえないということは、言われている人が日本語が分からないとか相手の人が言っている内容が理解できないとか、そういう問題ではありません。相手の人が話を本気で聞き入れるつもりがないということだと思います。コミュニケーションは情報のキャッチボールではなく、身振りの交わし合いという相互作用であり、本来であれば共通の言葉はいらないとされています。コミュニケーションの歴史は身振り会話にさかのぼります。人々は言語が生まれるはるか昔からその場に居合わせた個体がお互いの身振りに反応し合い、コミュニケーションをとっていました。その後、話し言葉が生まれ、声や言葉、画像を通じたコミュニケーションが取られるようになりました。さらに時代が進むと、文字の誕生、発展や印刷技術の開発、さらには電話や無線、テレビなどのテレコミュニケーションの発展により、世界中に様々な情報が発信されるようになりました。現代では、デジタル、コンピューターの発達によりさらに高度なコミュニケーションが行われています。しかし文明の発展により人々は自分の発言に責任を持たなくなってしまった、という考え方もできると思います。いつでも、どこでも世界中に自分の意見を発信することのできる現代社会には様々な情報があふれています。そんな状況では、発信する側も受け取る側も意識せずともどこか無責任になってしまうのは仕方のないことかもしれません。どれだけ自分の発言に責任を持てるか、相手の話に耳を傾けられるか、情報であふれる現代社会だからこそ、いま私たちに求められている能力の一つなのかもしれません。

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「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることについて私なりに説明します。私自身の経験も踏まえて考えると、そもそも、このような状況に陥るということは、コミュニケーションの相互作用が上手く機能していないと言えるのではないでしょうか。私は、コミュニケーションとは聴き手と話し手の「理解しよう」、「伝えよう」という努力があり、それをお互いが無意識に感じ取ることで成り立つものだと考えています。とすれば、「何度言ったらわかってくれるの!」という言葉が発せられる状況は次の3つに分類できそうです。〇「何度言ったらわかってくれるの!」と発言した人が上手くイイタイコトを伝えられていない場合。〇なんとなく会話をしていて、一方が相手の話を聞き流しているために、あいまいな返答をしている場合。〇一方が、話している相手をからかっている場合。少し言い過ぎかもしれませんが、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンではコミュニケーションが崩壊しているとも捉えられます。また、会話をしている双方が相手に対して真摯に向き合う姿勢や思いやりを失っているとも言えると思います。「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンは、会話をしている双方が無意識に自分の事しか考えない「自己中心的な状態」に陥っている典型的な例と言えそうです。

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今回の授業内容で説明するならば、偶発性の高い相互作用の中で自体が悪い方向へと傾いたと言い表すことができます。話し言葉であるならばコミュニケーションの階層構造的には1の身振り手振りを媒介にした相互作用と、2の課話し言葉を媒介にした相互作用が働いていたと考えられます。しかし、これがもしLINEなどのSNSを利用して行われているとすれば第4階層のメディア技術を媒介にした相互作用まで働いていることになります。  この文言だけでは正確な場面を特定することはできませんが、以上のことが考えられるでしょう。SNSで文字を使用したコミュニケーションは、絵文字などがあるとはいえ基本的に抑揚やジェスチャーなどのノンバーバルコミュニケーションが伝わりにくい側面が少なからずあるため、その過程ですれ違などのコミュニケーションエラーが起こった可能性も考えられなくはありません。 私の個人的な意見としては、対面して話していてこのような場面になっているならば、かなりコミュニケーションが下手か、思いやりが欠けた人物と会話しているのかなと思います。私は感情もコミュニケーションの一つなのではないかと考えているのですが、コミュニケーションの階層構造のどこに当てはめるべきか悩むところではあります。感情もコミュニケーションの相互作用のひとつにはならないのでしょうか。感情があってこその会話だと思います。

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私は「何度言ったらわかってくれるの!」ということで発言者と受ける側の人物との間で不信感の相互作用が生じていると考えます。  なぜなら「何度言ったらわかってくれるの!」という高圧的な態度で発言することで相手側も「だったらもういいよ!」と発言者と話し方や態度が類似してくるのではないでしょうか。この様な状況に発展してしまうと発言者と受け取る側の人物との間で不信感募り、その不信感が相互作用として生じてしまうと考えます。つまり高圧的な態度で発言することはコミニュケーションの偶発性によりこの様な相互作用を招いてしまうのではないでしょうか。この様に自ら発言に対する主導権を強制的に相手から奪うことは円滑なコミニュケーションを阻害するだけでなく、対人関係の悪化をも招くのではないかと考えます。  ですが私はこうしたやり取りの中で、現代では希薄になりがちなコミュニケーションの相互性を見つけ出すトレーニングになるのではないかと考えます。現在人々は意見の異なる他者と対立することをとても恐れています。そのためコミュニケーションの相互性は薄れつつあり一方的になっていると考えます。なぜなら人々は少しの対人関係の崩れが、仲間外れやいじめにつながることを知っているからです。そのため過度に他者を気遣い、対立しないよう空気を読み合う関係を構築しコミニュケーションの相互性を見失っているのではないでしょうか。コミニュケーションの相互性を見失ってしまうとその結果、人々は安定感を得るため同質的なコミュニティを形成し、その中で共依存状態に陥ってしまうと考えます。すると、異分子に対する受容性が低くなり、異なる考えや意見をもつ相手がいたとしても発言や行動を控えてしまうと考えます。  そのため私はコミュニケーションの相互性を見出し続けることは長い人生の上で集団の中でもコミュニケーションをとりながら生き抜く術を身につけさせるという重要な役割を有していると考えます。

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このシーンは恐らく会話中、もしくはSNS等のオンラインツールを介して発せられた会話だと思います。しかしこの発言から察するに言葉の受け手側に不都合がありそれを咎められている状態のように思われます。もし会話中であれば4つあるコミュニケーションの階層構造の中の身振りか話し言葉に問題があったことになり、SNSの場合には身振りや言葉以外にも文字に問題があった可能性があります。後者の方が階層構造的にも多層的で問題が発生しやすいことが分かり、また解釈が異なってしまう可能性が高いことが分かります。 エンコーディングとデコーディングの関係については文章が難解で理解が難しかったので自分で調べて個人で解釈したものなのですが「エンコーディングはAという文章をA´というデータに変換すること、デコーディングはその逆の作業でA´というデータをAという文章に置き換えること」を言っているのかなと思いました。その為英語から日本語に翻訳したものをまた英語に翻訳し直す作業が行われているように感じ、本来伝えたかったことが捉える側によってはAという文がBに置き換わってしまうこともあるのではないかと考えます。前述の通りいくつかの階層毎に分けられるコミュニケーションはその区分毎に解釈が行われその都度違う捉えられ方がされてしまう可能性があります。その為会話中にせよSNS上にせよ解釈に違いが生じたことでこのようになったのかと私は思います。またまとめにもあるように相互性の喪失も関係があると思い、解釈を行う度自分はこうだという意見を素通りにするのではなく相手はどう思っているのかを考えることが解釈違いを起こさない要因だと思いました。 以上のことから今回の場合だと受け手側が話し手側の言っていること理解しなかった、もしくは解釈が異なってしまったことが原因だと考えられます。逆に話し手側が受け手側の身振りに対して解釈違いを起こし発した可能性もあるのかとも思います。いずれにしてもお互いを理解しようとする相互性が失われていたのかと思います。

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「何度言ったらわかってくれるの!」問題は頻繁に起こります。同じ日本語同士なのにも関わらず、何度言ったらわかってくれるのだろうなということが稀に起こります。同じ言語でも、何度言ったらわかってくれるのか問題は起こってしまいますが、コミュニケーション自体は長い時代の中で、大幅に進化をしています。最初は火のドラムによって信号を発信し、その後は口笛でのジェスチャー、洞窟壁画で絵でのコミュニケーションを始めた。そこから、伝書鳩、はがきサービス(1861)、アレクサンダーグラハムベル(電気電話の最初のプロトタイプ・1867)、電話通信進化(インターネットとワールドワイドウェブがグローバル化・1989)、通信デバイスの発達により簡単にコミュニケーションが簡単になりました(2016~2018)。ジェスチャーからここまで、コミュニケーションがしているにも関わらず、嚙み合わないことが起こるのは不思議なことです。ここまでで生じていることを考えてみると、何度言ったらわかってくれるのか問題の原因は互いの価値観の違いや言葉のイメージ、気持ちのタイミングやらと様々です。同じ言語内でのこの問題は、苛立ちや困惑を覚えるなどでしょう。しかし、今考えているのはお互いが日本語だった時です。もし、互いの言語が違う状況でこの問題が生じたときには洒落になりません。完全にこの事例に当てはまるかは難しいですが、よく言われる事件ではアメリカで起きた日本人留学生射殺事件です。この事件は日本人留学生が英語の聞き間違いの末に射殺されてしまいました。一応この事件は、一度は加害者が正当防衛で無罪になりました。最終的に民事勝訴裁判でこの事件は加害者が刑事裁判ではないために罪には問われませんが、正当防衛は成立しないということで賠償命令が出される形になりました。結果的にはこの形にはなりましたが、互いに違う言語環境でこの何度言ったらわかってくれるのか問題ではどうでしょうか。ここで生じているのは苛立ちや困惑以前に恐怖を覚えるでしょう。同じ状況でも、生じる感情は違うので注意が必要です。 今回は、「何度言ったら…」なためにメインとしては話し言葉だとは思いますが、話し言葉以外の場合だと問題なく伝わるのかというとそうではありません。 実際には、身振り手振りや文字でも、会話が伝わらないことが多々あります。ジェスチャー面では、失敗すると痛い目にあいます。有名なものをいくつか例に挙げると、『こっちに来て』と『ピースサイン』のジェスチャーです。まず、『こっちに来て』日本では誰かを呼ぶときには手のひらを下にして「おいでおいで」と上下に振りますが、アメリカやイギリスでは「あっちにいって」の意味になってしまうし、韓国だと「さよなら」の意味になります。『ピースサイン』は日本では写真を撮るときや「やったね」、アメリカやイングランドでは「平和」や「勝利」を意味しますが、ギリシアでは「くたばれ」を意味します。『ピースサイン』を手の甲を見せて裏側向きで行うと、イギリスやアイルランド、オーストラリアなどでは相手を侮辱する意味になってしまいます。ジェスチャーは、もし互いの言葉がわからないときに有効な意思疎通手段ですが、理解がなければ事件に直結してしまいます。また、ジェスチャーは故意に不適切な合図を送ることができてしまいます。故意でないにしろ、言語が通じない場合は特に不快感を得ざる、負えません。結局は話し言葉にしろ、ジェスチャーにしろ、結果的に「何度言ったらわかってくれるのか問題」で生じる気持ちはあまりいいものではないと思います。コミュニケーションをとるときは、どのような場合でも、気を抜かずにいることが得策かもしれません。

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「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで起こっていることを、今回の講義内容を使って説明すると、相互性の喪失ということになるのではないでしょうか。「何度言ったらわかってくれるの!」と言っているとき、発言している人は自分が言っていることは相手に通じないはずがない、通じてないということは自分ではなく相手が悪いと思っているのではないではないかと思います。これはコミュニケーションが相互性を持っていると理解してない故に起こっているのでしょう、一方通行の情報発信になっているのではないでしょうか。何かを伝えるとき、コミュニケーションの階層構造のより上位に位置するメディア技術媒介にしたものであっても、それを見る人の数だけ異なった受け取り方をするでしょう。にもかかわらず、階層構造の映像等より下位にある会話によるコミュニケーションではより誤解が生まれやすいのではないか。コミュニケーションが相互作用であることを理解していれば、何度も言ったら相手が理解するはずだという考えには至らないであろう。むしろ相手の反応を見ることで、相手が理解しているかどうかを判断し、相手がより理解しやすい方法で伝えることが必要だとわかるはずだ。

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コミュニケーションとは、互いの身振りのぶつけ合いとそれに対する反応のことである、と今回の講義で教わりました。また、相互作用であることによって相手の反応次第で偶発的にコミュニケーションが発展してしまうことも併せて教わりました。それらのことから、私は今回の課題のシーンついて考えていこうと思います。まず、私は提示されたシーンの言葉を読んで、直感的に発言者(提示されたシーンの言葉を発した人)は怒っていると考え、そこから推測して私はこの発言者は誰かと口論をしているのだと考えました。今回のシーンは私たちに文字を媒介とした相互作用を求めてきているわけですが、ここでどうして私はこの発言を怒っていると思い、口論していると思ったのかを考えていこうと思います。怒っていると感じたことに関して、まず考えられることとして、『!』の効果があるのだと思います。例えば、この発言の最後の文字が『?』だったなら、私は怒っているというよりも悲しんでいたり呆れていたりという感情だと推察したと思います。しかし、ここで使われているのは『!』であり、基本的に『!』というものは語気を強調したりする言葉に付け加えられる記号だと考えているので、その強調によって怒った感じを読み取るに至ったのだと考えました。しかし、なにも『!』というのは怒ったときにのみ用いられる記号ではありません。そこで次にセリフの内容について考えていこうと思います。この発言者の言葉尻は「~してくれるの!」という、相手に対して要求をしている言葉であると考えられます。つまりこの発言には特定の相手が存在しているわけです。ではなぜこの発言者はその言葉を吐き出すに至ったのか。単純に、何度言っても相手がわかってくれない、そう発言者が考えているからだと思いました。つまり、発言者は相手に何かを何度も言われた相互作用の結果、語気を強めた口調で相手に要求する形でこの言葉を反応として返したのだと考えます。発言内容から相手がいて、何度も言葉の応酬をしている状況である、そう読み取れかつ発言者が怒っていると考えられるために、私はこのシーンでは口論が起こっていると考えるに至ったのだと思います。またその結論に至ったもう一つの考えとして、私は今回の講義にも要因があると考えます。講義中、課題文の読み上げがありました。その時の読み上げ方が、言葉尻の調子を上げた読み方が為されていました。それは人工知能が『!』から言葉の調子をくみ取った結果なのかもしれませんが、私はその読み上げ方によってその発言の聴覚からのイメージを得ました。一応この課題を書く前に一度聞き直したのですが、やはり言葉尻の調子を上げた読み上げでした。私は、人は怒ったときは言葉尻が上がるものだと考えており、実際に今回のページのリンクにあった『矛盾したメッセージの事例』における竹中直人さんの声だけによる怒った演技は私の考えているような表現で為されていました。この事前情報をあったからか、私は課題文の読み上げから怒ったイメージを受けたのではないだろうかと推測します。以上上げたような、文字・文字以外からの身振りの投げかけを講義・講義外から受けた結果、私は相互作用的に『発言者は怒っている』・『相手がいる』つまり『口論をしているのだ』という状況がこのシーンにおいて生じているのだ、と私は考えました。

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「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることとして私が考えていることとして、例えばパターンAはその質問に対し「わかったよ」ととりあえず返しただけのものと、パターンBのその質問に対しての「何がいけないか教えてよ?」の二択です。Aのこのような返答の場合、今後も何度も言われるような気がするのに対し、Bは今後への改善を期待させる返答となっています。しかし、この場面には例外もあると思います。それは、そのシーンの受け手側が物事を理解できる正常な人間かということや、発言側が以前に指摘している時点で相手側がその原因を理解できているのかです。それらの条件が整ってこのケースが初めて成立すると思います。コミュニケーションというものは非常に難しいと今回の授業を通して痛感しました。特に海外に行った際など、今までの私は英語が喋れなくても出川哲郎さんのように積極性や身振り手振りでどうこうできると考えていましたが、今回の授業でジェスチャーが簡単に通用するとは限らないことや、場合によっては良かれと思ってやった事が相手を不快にさせるかもしれないという責任感のようなものも感じました。コミュニケーションを甘く見ていたかもしれません。もしかすると、この今回の課題すらも私と、野村先生とが求めている回答とで考えていることにすれ違いがあってコミュニケーションが取れてないかもしれないですね。

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私は、「何度言ったら分かってくれるの!」というシーンで生じていることは、相互作用では相手の反応しだいでどこにでも転がるので偶発性が高いということだと思います。相手が同じことを何回も聞いてきても優しくもう1回教えてあげるのと怒って「何度言ったら分かってくれるの!」と強く言うのでは相手の反応は明らかに違うと思います。相手がふざけて同じことを何度も聞いてきているのなら怒って「何度言ったら分かってくれるの!」と強く言うのが正しいと思うけど、1回目に答えてくれたときに聞き取れなかったり、聞き取れたけど時間が経つにつれて忘れてしまうときもあると思うので、そうなったときに怒って「何度言ったら分かってくれるの!」と強く答えられてしまうと「何でそんなに強い口調で答えるの?そんなに怒らなくてもいいじゃん。」という風に相手に不信感を与えてしまうと思います。しかし、もう一度優しく教えてあげることで聞いた方ももう1回優しく答えてくれたことへの感謝の気持ちをより持つことができると思うので、聞いた方も答えた方も良い気持ちになれると思います。なので、質問に対しての答え方はとても大事だと感じました。 また、同じ「何度言ったら分かってくれるの!」という言葉でも表情や身振り手振りで相手の反応も大きく変わると思います。笑顔でふざけた感じで「何度言ったら分かってくれるの!」と言うのと怒った表情で強い身振り手振りを加えて「何度言ったら分かってくれるの!」と言うのでは同じ言葉でも相手の反応に大きな違いが出ると思います。笑顔でふざけた感じで言われても相手に不信感は与えないと思うけど、怒った表情で強い身振り手振りを加えることでさっきと同様に相手に不信感を与えてしまうと思います。なので、コミュニケーションにおいて表情や身振り手振りは重要であると改めて感じました。 また、LINEなどといったSNSでのやり取りでは同じ「何度言ったら分かってくれるの!」という言葉でも相手の感じ方次第では不信感を抱いてしまう場合やそうではない場合もあると思います。自分では優しく「何度言ったら分かってくれるの!」と言ったはずなのに相手は怒って言っているように感じて取ってしまって不信感を抱いてしまう場合もあれば、怒って「何度言ったら分かってくれるの!」と言ったはずなのに相手には優しく言っているのだと勘違いされてしまうこともあります。なので、SNSでのやり取りは普段のコミュニケーションよりも難しいと同時により気を付けなければならないと感じました。 このように、聞かれたことに対しての答え方や同じ言葉で答えても表情や身振り手振りによっては相手の反応が大きく違うと思うので、これからは答え方や表現、身振り手振りにも気を付けて相手とやり取りしていきたいと思います。また、普段何気なく行っているLINEなどのSNSでのやり取りも相手の感じ取り方次第では不信感を持ってしまう場合もあると思うので、SNSでのやり取りは普段のコミュニケーションよりもより言葉に気をつけていきたいと思います。

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「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることは相互作用であるコミュニケーションのずれであると思います。授業の言葉をつかうと身ぶりの交わしあいという相互作用で偶発性が生じるが、その中で発信者の考えと受け手の感じ方がずれてしまったことが発生しているということです。このように何気ない日常の会話でも、相手の反動次第で何にでも変わります。例えばこの場合でも、質問への回答が「何度言ったらわかってくれるの!」という返事ではなく、「~だよ」「それこの間も言わなかった?」等何個もの返答が想像できます。ただ、この場合は発信者が相手に期待するような回答が貰えず、相手を怒らしてしまったケースでしょう。実際、私も普段の生活でこのように言ったことに対する期待して回答が貰えなかったり、相手を怒らしてしまうという経験が何度もあります。これはまさに相互作用であるコミュニケーションのずれであり、今回のお題である「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンと同じような問題が生じていると考えます。このようなことから「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンでは相互作用の偶発性により、コミュニケーションのずれが生じていると考えます。

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私はそのような場面は2人のコミュニケーションの相互作用が成り立っていないことが考えられると思います。伝える内容がある側に問題がある場合と、受け取る側に問題がある場合、また両方に問題がある場合があると思います。伝える側に問題がある場合は、まず言っている内容と身ぶり、顔の表情が合わさっていない、控えめすぎるなどで相手の注意をひくことができていないケースが考えられます。続いて話し言葉ですが、声が小さく相手に聞こえていない、滑舌が曖昧で内容を聞き取らせられない、言葉の表現が上手くない、誤解を与える表現を使っている、何を言いたいのか曖昧であるなどが考えられます。また、文字を使った場合、誤解を与える表現、内容が曖昧な文章を送ってしまうなどがあると思います。内容が複雑な場合でも、紙に絵を書いたり写真や動画を見せたりをせず、視覚、聴覚などに与える情報が足りず、相手が理解しきれていないケースもあると考えます。受け取る側に問題がある場合は、相互作用を成り立たせることを拒否している場合があります。伝える内容がある側が話しかけても、聞く耳を持たなかったり、反発したりした場合が考えられます。また、生まれた国が違うことでジェスチャーの認識が違ったり、言語を理解しきれていない、文字を読むことができないなども考えられます。

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「何度言ったらわかってくれるの!」の台詞ではエンコーディング側の内容を理解できなかった相手に怒りをあらわにしているように感じます。単純にデコーディング側に責任がある可能性もありますが、コミュニケーションは相互作用であり、相手の反応しだいでどこにでも転がるので偶発性が高いものです。例えばAという人物がBという人物に伝えたい情報があって、それがうまく伝わったのならば情報伝達、あるいは意思疎通ができていると考えることができるかもしれませんが、もし、うまく伝わらなかったらそれは情報伝達、あるいは意思疎通ができていません。結局のところ相手がどう受け取るかで結果が変化してしまうのです。だから、コミュニケーションは相互作用と考えることが出来ます。今回の場合、エンコーディング側は情報を発信して意思疎通を図ろうとしているのになんでわからないのかと思っているのかもしれませんが、そのエンコーディングの仕方が悪く、うまく復号化することが出来なかった可能性もあります。この場合はエンコーディング側のせいでデコーディング側が理解できなかったという相互作用になっています。また、身振りの意味などは国や地域によって異なるのでエンコーディング側ではAという意味での身振りがデコーディング側ではBという意味で解釈している可能性があるのです。ですので今回の場合はエンコーディング側の発信が悪い可能性とデコーディング側の受け止め方が悪い、あるいはお互いのシグナルが一致していないという事が考えられます。

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私は、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じるものを考えてみて、様々ありますが大きく関わってくるのはコミュニケーションの表現だと思います。 まずは、顔の表情や動作などの身振りがついてくると思います。「何度言ったらわかってくれるの!」というこの一つの言葉の意味が顔の表情を付けるたり、身振りを付けることで相手に伝わることもあると思います。また、この言葉と一緒に付けることで受信者の受け取り方も変わって来ると感じます。私も部屋の片付けをしなさいと母に言われたけどやっていなかったら、最初「何度言ったらわかってくれるの!」と思っているのだと目つきなどわかりました。しかし、もしかしたら違う意味だったのかもしれません。このように顔の表情や身振りだけだと発信者と受信者で異なる捉え方をしてしまう可能性があります。 その為、今度は、言葉にして表すことが生じてくると感じます。これも言い方によって受信者の捉え方が変わってくると思います。強く「何度言ったらわかってくれるの!」と言ったら何回も言っているのにと怒っている感情を読みとったり、疑問みたいな感じで「何度言ったらわかってくれるの」と言えばこれはどうしての方が強い感情で捉えられます。その時の場面や発信者の気持ちによって同じ言葉でも言い方などが変化して受信者の受け取り方も変わってきます。 しかし、決して発信者と受信者が実際に会って「何度言ったらわかってくれるの!」と言っているとは限りません。メモやメール、LINEなどのメディア技術を使い文字にして言う場合もあると私は、考えました。そうだとすると文字を使った相互作用、メディア技術を使った相互作用が生じるのではないかと思います。「何度言ったらわかってくれるの」という文字だけだと様々な感情で発信者が言っているのかが受信者には分かりづらいですがびっくりマークや絵文字などを利用するだけで発信者と受信者が直接会っていなくてもこの言葉を言っている感情が受信者には、伝わりやすくなります。 これらの考えから「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じるものは今回の授業で学んだコミュニケーションの階層構造である身ぶりを媒介した相互作用のレイヤー、話しことばを媒介にした相互作用のレイヤー、文字を媒介にした相互作用のレイヤー、メディア技術を媒介にした相互作用のレイヤーが生じるものであるのではないかと私は、考えました。 これを通して、言葉の表し方には様々な表現の仕方があり、それによって捉え方も異なるということを知り、だから人とコミュニケーションを取るのは難しいけど楽しいんだと感じられました。これから沢山の出会いがまだまだあると思います。だから出来るだけ様々な人とコミュニケーションを取り、自分からも積極的にコミュニケーションを取れるように心掛けていきたいです。

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このような言葉が発せられる場面はいくつかあると予想されますが、おそらくこの言葉を発した側から見てその対象者が理解してくれていないように思われた、ということなのでしょう。大まかに分けて、わかってほしい側の説明が足りないか、わかるべき側の理解が足りないかの二パターンが考えられます。つまり、コミュニケーションの相互作用を正しく働かせることが出来ていないのではないでしょうか。このような場合、多くは言葉を発することでのやり取りによって説明や質問が行われると思われますが、その中には怒りや困惑、呆れの表情や多少の手振りなども含まれるでしょう。コミュニケーションの材料は充実しているように感じられますが、実際にこの言葉通り、「何度も言っているのに改善されない」状況であった場合は非常に解決が困難なのではないでしょうか。この言葉を発した側が一方的にまくしたてるだけではそもそも相互でないのは当然として、片方が怒り、もう片方が困惑の表情を持ち出したり、両方とも憤怒の形相で向かい合っては事態の改善は見込めないでしょう。どうすればこの事態を解決できるか、私は特定のコミュニケーションを組み合わせる必要があるのではないかと考えました。メディアのように一方的に成立するものとは違い、このように向かい合った状態では何よりも相互にコミュニケーションを働かせることが求められますが、互いの需要と供給を満たす必要があります。例えば、「テストで100点取れたんだよ」と言ってきたとき、その人は返答に褒めの言葉を期待し、求めているとします。その通りの返答を返してあげれば彼は喜び、そうでなければ彼はがっかりするかもしれません。突然ジェスチャーを始めようものなら彼は困惑するでしょう。つまり、状況に応じて相手の求めるコミュニケーションを予想し、適切な返しをすることで円滑なやり取りが成立するというわけです。ですから、今回の場面では、最低でもどちらかが折れる、あるいは受け入れる、妥協するなどする必要があると思います。相手が怒っていればその原因を考えたり、自分に碑があることを認め受け入れたりと、恋愛シミュレーションゲームのように正解のパターンを見つける必要があったということではないでしょうか。言葉や身振りや表情など、コミュニケーションの手駒を用意したらあとはそれらをどう組み合わせ、どこで使用する考える必要があるというように私は考えました。

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 私はこのようなシーンでは、コミュニケーションの階層構造1と2が十分に構成されていないことが晒されていると思います。  コミュニケーションとは相互作用のことを指し、コミュニケーションの階層構造は、1が「身振りを媒介にした相互作用」、2が「話し言葉を媒介にした相互作用」です。この階層構造では、まず基盤となる1があって、その上に2、3、4と層が増えていきます。  「何度言ったらわかってくれるの!」という台詞。今回、この台詞はLINEやTwitterなどの文字を媒介とするコミュニケーションではなく、リアルな会話のなかで発せられたものだと仮定して考えます。その場合、この台詞が発せられたシーンは、階層構造2の状況に位置するものだと思います。しかし、このような不快感を示す台詞が発せられたということは、相互作用に支障があるということです。つまり、階層構造2が揺らいでいるのです。  なぜ、階層構造2が揺らいでいるのか。それは、その下の階層構造1が脆いからではないでしょうか。基盤となる1つめの層、身振りを媒介にしたコミュニケーションが不十分であるにも関わらず、その上に2つめの層を重ねてしまったが故に、不安定なコミュニケーションになってしまっているのではないか。その結果、ジェンガのように崩れ去り、相手に不快感・不信感を示す言葉を言わなければならない状況になってしまったのだと思います。

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「何度言ったらわかってくれるの!」から想像する感情は怒りです。特に「!」がついていることからより強調されていることが感じ取れます。特にこの言い回しから、女性もしくは子供が発言していると推測します。もし、男性なら「何度言えばわかんだよ!」のような雑な言い回しになるはずだからです。 次に状況について考察していきます。このシーンは恐らくプライベートで仕事や公の場での発言ではないと考えられます。なぜなら仕事の場合、上司はミスやその類義語を入れると考えられるからです。例えば「何度同じミスをするの!」のように部下が何をしたか表す主語を入れます。そうすることにより相手が大人ということを前提とした対応、どこかで理性的な感情を持ち余せて指導する印象が持てるからです。 ただし、仕事場合でもこのセリフが出る可能性があるシーンがあります。それは、以前指導したにもかかわらず同じことをしてしまい、重大な間違いが生じるなどが起こり堪忍袋の緒が切れた時、このシーンになると考えられます。 以上のことと例外を踏まえた上でこのシーンにて生じていることはまず、以前にも相手が同じことを行い女性もしくは子供が感情的に怒っているシーンだと推測されます

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「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンは実際に多くの人が言われた経験があると思います。しかし、この言葉が使われた状況によってかなり違いがあるのも事実です。たとえば、この言葉を直接面と向かって言われた場合に、受け取る側としては、視覚や聴覚を使って感じ取ります。発言した側の表情や声の大きさ、ジェスチャーなどから感情を読み取ることができるでしょう。では一方、この言葉がLINEやメールのような文面で送られた際にはどうでしょうか。この際、受け取る側は文面を見ている訳ですから当然視覚は使っています。しかし、先ほどの対面時とは異なり、発言する側と受け取る側が離れているため、聴覚は使えていません。よって、ここでは対面時で言われたときほどの感情が受け取る側に伝わってこないことがわかります。このことによって、発言している内容でも伝わり方が異なり、受け取る側はことの重大さを誤認識してしまう可能性が考えられます。また、電話の場合はどうでしょうか。こちらに関してはお互いの声で話しているため、言い方や言い回しなどから聴覚は使えており、発言者がどのような状況なのかはよくわかると思います。しかし、ビデオ通話でない限りは顔が見えていないため、表情を読み取ることができず、視覚はほぼ機能できていないことがわかります。もしかしたら、授業内の動画にあった竹中直人氏のように発言が怒っていても、実際の顔は豊かかもしれません。この点からも受け取る側の誤認識が起こる可能性は対面時と比較して圧倒的に高くなります。こういった事例はもちろんこの言葉に限る話ではないですし、日本語に限った話でもありません。私たちの日常生活の中では人との接触は避けられません。そして、人との接触を持つことはそれだけコミュニケーションを図ることが求められるということです。私たちは、コミュニケーションを図るということに関してもう少し慎重になるべきではないでしょうか。近年グローバルな世の中になり、英語を話せる人が重宝されるようになってきています。しかし、その裏で母国語ですら、上手くコミュニケーションを図れていない人が多いことにも目を向けなければならないと思いました。社会に出たら現在の生活以上にコミュニケーションの伝達が求められるため、どのように話したら相手に上手く伝わるのか、ジェスチャーを入れるべきなのか、話す際に抑揚をつけるべきなのか、そのような点に着目してこれから練習していきたいと思います。

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「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンについて、私は、そこでは「錯誤」が生じていると考えます。 そして、それには2種類あり、その1つ目は「主体側の錯誤」、2つ目は「客体側の錯誤」です。 まず、「主体側の錯誤」について。これは、主体側(ここで言う「何度言ったらわかってくれるの!」と言っている人)に問題が生じているパターンです。 この場合、主体側の「自分は相手に何度も言った!」という認識自体が、当人の錯誤によるものであるということです。 考えられる例としては、「何度も言ったと思っていたが、実際には一度しか言っていなかった」「何度も言ったが、主体側のコミュニケーション方法に何らかの問題があり、実際相手にはほとんど伝わっておらず、また主体側はそれを知らないため、客体側に過失があると思っている」などが考えられると思います。 つまり、ここでの主体側は「自身は何度も言ったと思っているが、実際は、相手側には何度も伝わってない」ということになります。 ではいったいなぜ、このような錯誤が生じてしまうのか。そこにはやはり、コミュニケーションというものの不確実性が関係していると思います。 資料にあった、「国によってジェスチャーに違いがある」といったことには、その不確実性がよく表れています。 今回の場合だと、「言った=伝わった」ではないということです。そして、その「言った」という主体側の認識を客体側にも同様に認識させ、さらにそれを「=伝わった」にすることこそがコミュニケーションなのだと私は思います(少し話題はずれてしまいますが)。 次に、「客体側の錯誤」 についてです。これは、先程とは逆で、客体側(ここで言う「何度言ったらわかってくれるの!」と言われている人)に問題が生じているパターンです。(実際にこのようなシーンが起きた場合、先程のパターンと比較すると、こちらの方が多いのではないでしょうか。) この場合、主体側のコミュニケーション方法に問題はなかったものの、客体側の認識の仕方に問題があるということになります。「客体側は、何度も言われていることはわかっていたが、そこまで重要なこととは考えておらず、その内容自体はわかっていなかった」「何度も言われていることやその意味は理解していたが、それらを一時的に忘れてしまい、主体側に対応することが出来なかった」などが例として挙げられると思います。 これらについは、客体側の意識や注意力が原因として挙げられると考えます。ただ、その理由を考えてみると、そこにはやはり、コミュニケーションの不確実性が関係してくると思います。 ここで、コミュニケーションの不確実性について考えてみます。 コミュニケーション方法にも様々あり、その方法によっては同じ内容でも伝わり方が変わります。 例えば、LINEで個人的にメッセージを送る場合。そしてそのメッセージに既読あるいは何らかの反応があったとします。この時、そのメッセージの書き方によって錯誤が生じることも考えられますが、一般的に、コミュニケーションの確実性としては高いと考えることが出来るのではないかと思います。 では、これが文字ではなくなるとどうなるのか。例えば、絵の場合を考えてみます。 メディア史において、絵は早い段階で生まれたものですが、そのコミュニケーションとしての役割は文字に吸収されていくことになります。その理由は、絵はその表現する個人によって持つ意味が異なる可能性が高いからだと、私は思います。絵は、言葉と比べてコミュニケーションの確実性が低いと言うことです。 これらのことから、どのようなコミュニケーション方法にも不確実性は存在するが、その違いを認識したうえで利用することが大事になってくる、と考えることが出来ます。 つまり、今回のシーンにおいて、「錯誤」がそれを引き起こす要因ではあるが、その「錯誤」を引き起こしているのが「コミュニケーションの不確実性」だというわけです。 (その解決策をここで提示するなら、コミュニケーションが常に孕んでいるその不確実性を認識したうえで、それを確実なものにする為に、その方法を工夫するといったことが挙げられると思います。) そして、私はここまで、今回のシーンの「錯誤」には2種類ある、と述べてきましたが、これらは当然、個々に存在するわけではありません。 主体、客体の両者に「錯誤」が生じているケースも十分に考えられるのです。 これらのことから、私は、主体者及び客体者、またはその両者のコミュニケーション方法やその認識を原因とする錯誤が、「何度言ったら分かるの!」というシーンを生じさせる原因となっているのだと思います。

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私は「何度言ったらわかってくれるの!」という言葉にはその場の大きな感情だけが込められているだけで、特に意味のない言葉なんだと考えます。もちろん、伝えたいことや、怒っているようなことの情景は浮かびますが、それが効果的かと言ったらまた別なのではないかとも感じ取れます。よくあるのが、親が子供に怒る時に何回言ったらわかるの!って言ったりするのが浮かびますが、これはただ叫んでるだけに感じ取れました。

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私は事実、そのように「何度言ったらわかってくれるの!」と言われた、もしくはそれに類似しているような内容を言われた経験は過去に何度かあります。また、直接の時とLINEでの時がありました。この二つの場面では一見同じのように見えて、意外にもそのように「何度言ったらわかってくれるの!」と言われる理由が異なると私は思います。まず、直接の場合ですが、私の経験では何度言ったらわかってくれるの?と言われるに当たって、その相手の話をそもそも聞いていなかったり、適当に聞き流していたりしてばかりいて、それが故にそのように言われました。対してLINEでは文字を見るため、聞き流すことやそもそも聞いていなかったということが物理的に難しいと思われます。そのため、そのようなことを言われる時は大体がその送られてきた内容の意味が分からず、聞き直したりした時でした。このように事象が異なることで「何度言ったらわかるの!」と言われる理由や意味が変わってくるということなどがあると私は思いました。

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私は事実、そのように「何度言ったらわかってくれるの!」と言われた、もしくはそれに類似しているような内容を言われた経験は過去に何度かあります。また、直接の時とLINEでの時がありました。この二つの場面では一見同じのように見えて、意外にもそのように「何度言ったらわかってくれるの!」と言われる理由が異なると私は思います。まず、直接の場合ですが、私の経験では何度言ったらわかってくれるの?と言われるに当たって、その相手の話をそもそも聞いていなかったり、適当に聞き流していたりしてばかりいて、それが故にそのように言われました。対してLINEでは文字を見るため、聞き流すことやそもそも聞いていなかったということが物理的に難しいと思われます。そのため、そのようなことを言われる時は大体がその送られてきた内容の意味が分からず、聞き直したりした時でした。また、LINEだけでなく、その他のソーシャルネットワークを使ったTwitterやインスタグラムのダイレクトメッセージ、カカオトークなどでもLINEと同じことが言えると思います。このように事象が異なることで「何度言ったらわかるの!」と言われる理由や意味が変わってくるということなどがあると私は思いました。

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何度言ったらと言われていることから話を受けている側は何度も話を受けているのにも関わらず、話の内容を理解できない事が予想できます。この場合、今回の講義で習ったことを考えるとコミュニケーションは成立していないと考えるのが妥当です。コミュニケーションは相互作用によって生まれるため、この場合話し手が一方的に話しているだけであり、受け手はラジオを聴いているのとさほど変わらない状態です。これは、相互性がないため当然コミュニケーションが取れているとは言えないです。さらに話の聞き手は相手を見て話を聞いていることも想定できません。先ほども述べたように何度も話しているのにも関わらず理解できていないという事はそもそも聞く態度をしていないことが想像できます。コミュニケーションは多層性であり、身振りや目や表情など様々な要素が重なってできています。もしも聞く態度が聞き手にあれば話し手からコミュニケーションの要素を受け取ることができるため、話を理解できる可能性が高いです。そのため、聞き手には聞く態度がないのではないかと考えました。また、先ほどから聞き手が話を聞いていないため、相互作用が生まれず会話が成立していないと思ったと説明していますが、このような考え方もあります。それは聞き手が無視していてもそこには相互作用が生まれているという考え方です。どういうことかというと無視という態度から相手と話しをしたくないという意思を放っているというものです。私も実際母親から面倒くさい頼みを押し付けられたとき無視をしてやり過ごした事があります。このように聞き手は本当は話を理解しているにも関わらず、実行していない可能性もあると思いました。

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「何度言ったらわかってくれるの!」このセリフを聞いて真っ先に思いつくのは、母親に怒られるシーンです。つい先日も干していた洗濯物を夜になるまで取り込むのを忘れていて母親に全く同じセリフを言われました。その後自分は素直に「ごめんなさい」と謝って、急いで洗濯物を取り込んでその場は丸く収まりましたが、数年前の反抗期の私だったら、間違いなく「うるせーよ!」などと言って反発し、喧嘩になっていたと思います。このようにしてみるとコミュニケーションがその場の相手の反応しだいで変化し偶発性が高いものだということがよくわかります。また、今回の授業では、コミュニケーションは情報伝達ではなく、身振りの交わし合いの相互作用だということを学びましたが、怒られた時は、全く意識していませんでしたが今思い返してみると、言葉なんてなくとも怒っていることがビリビリと伝わってくるようなプレッシャーがありました。私も「ヤバい」という気持ちと「ごめんなさい」という気持ちが顔に出たり、急いで行動するというジェスチャーでしっかり応答したから許してもらえたのだと今は思います。さらに、同じ言葉でもニュアンスの違いによって受け取り方が違ってくることも学びました。例えば、語尾に!が付けば、より怒っていることが強調されるし、「何度言ったらわかるの、もー」といった感じにすると少しやさしい雰囲気が出るし、ため息を付けると呆れた感じがでます。これを見ると、コミュニケーションが身振りの領域にさらに話しことばの領域を足したような階層構造をしていることがよくわかります。ここまで考えると、ふと以前の友達が言っていた「絵文字がないlineは怖い」というものを思い出しました。当時の私は、「言葉さえ伝われば絵文字なんて必要ないじゃん」と思っていましたが、今回の授業を聞いて、コミュニケーションが単なる情報伝達ではなく、身振りの交わし合いの相互作用だということを学んで意識を変えなくてはならないなと思いました。文面だけで判断されて自分の想定と違う意味合いで受け取られるならば、絵文字をつけて少しでも自分の思いに近づけてメッセージを送ることが今後の活動に必要だと思いました。また、対面で人と会い、身振りを交わし、コミュニケーションをとる大切さもよくわかりました。現在、コロナウイルスが蔓延していて、対面で人と会える機会が格段に減少しているので、今後は数少ない対面で会話できる機会を大切にしようと思いました。

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「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンは、身振りの交わしあいである相互作用がうまく行われていないから生じることで、多層で偶発性が高いコミュニケーションにおいては、仕方のないことだと思います。私は今まで、コミュニケーションと聞くと、意思疎通や情報伝達のことを思い浮かべていましたが、本当のコミュニケーションとは、身振りの交わしあいと相互作用であることがわかりました。言葉はウソをつけますが、目線や間の取り方などの身振りはウソをつけないということはよく考えると当たり前のことだと思いました。身振りは、国によって意味が異なるというのもとても興味深いです。海外に行く際、言語や文化を学ぶことは大切ですが、身振りなどのジェスチャーも同じくらい大切なのだなと思いました。 また、コミュニケーションは階層構造をもつということも面白いと思いました。身振りを媒介にした相互作用の上に話し言葉を媒介にした相互作用があり、その上に文字、メディア技術があるというのは、よく考えてみるとその通りだと思いました。それらが同時進行で作用されているというところにコミュニケーションの醍醐味があるのではないかと思いました。 コミュニケーションでは相互作用が大事ですが、メディアを使うと相互性が失われるというのは大きな課題であると思います。実際オンデマンドの授業では、テレビと同じように相互性はなく、対面授業ならではのコミュニケーションが行われていないと思います。これからの情報化社会では、メディアを用いることが多いと思いますが、相互性を回復することが大きな課題になると思います。 また、電話やlineのように限定されたメディアだけでなく、zoomなどいろいろな要素を駆使できるようなマルチメディアを用いることが大切だと考えました。

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はじめに、この文章は、話し言葉と文字とうレイヤーが重ねられています。そのことを考えると、それぞれのレイヤーでしかできない表現を見ることができます。はじめに、文字のレイヤーに注目し、文字でしか表現できない「!」を見てみましょう。まず、この文章から「!」を抜いてみると、発信者が単純に「何度言えばあなたは理解してくれるのか」と質問しているように受け取ることができますし、そもそも誰に向かってその言葉を言っているのかもわかりません。第三者のことをいっているのか、自分に向けて行っているのかがはっきりしていません。しかし、「!」がついたことにより、この文章に迫力が増し、質問ではなくただ単に発信側が自身の感情を表明しているようにも受け取ることができるようになりました。更に、迫力が増したことにより、自分に言っていることが鈍感な人にも伝わるようになると思います。これらのことを踏まえて私は、何度言ってもわかってくれない受信者にしびれを切らした発信者が怒っている様子を想像しました。以上のように、この文章の発信者は、決して話し言葉というレイヤーでは理解できない文章を、「!」を用い文字というレイヤーを重ねることにより、自身の伝えたい情報をエンコーディングしているだと思います。

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このシーンで生じていることはいくつか考えることができ、返答する側の人間が、過去においてすでに何度も聞かれている質問に対して憤りを覚えて語調を強めて答えているシーンや理解を示さない人間に、理解を求めて語気を強めて言っているシーン、回答者が質問者に対して都合の悪い事実があり、それを知られることを恐れて強く反発しているシーンなど多くのパターンが考えられると思います。いずれにしても回答者は質問者に対して苛立ちや怒りを感じていることがわかります。しかしこの一文だけでは正確に彼らの置かれている状況を判断することができず、回答者と質問者がどういう関係であるのか、どんな状況に置かれているのか、また今回の授業で説明された「コミュニケーションの階層構造」の身振り、話し言葉、文字、メディア技術などをどのように使い、どのような相互作用が生まれているのか、その場に居合わせた人間がどう反応して、どういった会話が展開されていくのかを知る必要があると感じました。今回の授業を受け課題に取り組む中で、コミュニケーションには多くの技術やうまく伝えるための工夫、相手に理解されるために相手のことを考えることが必要であると思いました。

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主にこの言葉は何回も言っているのにそれを間違えた形などで理解をしてしまい、また同じようなことを繰り返す人に使う言葉となっています。どんな状況で多く使われるかというと、サッカーの練習などで選手がずっと同じミスを繰り返していてそれを注意してもまた同じミスを繰り返したりする状況などで「何度言ったらわかるんだ」という感じに使われることが多いです。また言われている側はあまりいい気持ちはせず、人によって要領がいい悪いがあるのであまり言いすぎると気持ちよくありません。また言われている側にもいろいろと理由があり、知っているけどできないなどや、知らないからできない、手を向いているからできないやいろいろな状況があります。ただただ手を抜いてできないならまだいいけれども頑張ってもできないのに言われてしまった場合は結構へこんでしまいます。また人によってもほめて伸ばす人や少し厳しくして伸ばすような人もいるため後者ならまだいいけれども前者の場合はむしろ逆になってしまい相手をへこませてしまいます。個人的に僕は教育者はこの言葉を使ってはいけないと思います。 また相互作用としては何回言ったらとわかるの?の二つの意味が重なっています。何回はそのままの意味でわかるの?もできなかった人に対しての言葉に使われます。

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「何度言ったら分かってくれるの!」というシーンでは、コミュニケーションにおける相互性が喪失し一方的な会話になっていると私は思います。まず話し手について着目してみると、何度言ったら…ということは同じことを繰り返し言ったということが予想されます。しかし、何度も言ったのにも関わらず分かってもらえないということは話し手の伝え方にも原因があると私は思います。聞き手に伝わるように話すこともコミュニケーションにおいて大切なことであるように感じます。一度言って伝わらなければ他の言い方を考え、相手に伝わるように話すことも必要なことです。次に聞き手について着目してみると、何度言われても理解できなければ、なんらかの反応を示すべきだと思います。何が分からないのか、どうすればよいのかなど何かしらの反応を話し手に伝えないと、特に意味のない会話となりこのコミュニケーションは成り立ちません。聞き手の反応次第では話し手による一方的な会話になってしまうのです。だからこそ、聞き手の反応はコミュニケーションにおいてとても大切なことであるように感じます。今回の講義でもあったように、コミュニケーションはただの情報伝達ではなくお互いの身振りに反応しあうことで成り立つのです。たとえ一方の人がコミュニケーションをしているつもりでも、聞き手の受け取り方、反応次第ではコミュニケーションは成り立ちません。お互いの相互作用がコミュニケーションそのものなのです。私たちの周りではコミュニケーションをする機会はたくさんあります。だからこそ、普段の会話からお互いの相互作用を意識し意味のあるコミュケーションをとれるようにしていきたいと思います。

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 「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンの一つに、上司が部下(特に新入社員)に対してそういった言葉を投げかける場面が挙げられます。今回はそんな場面を例に説明していこうと思います。  上司側に生じていることとして考えられるのは、何度も説明したのに一向に成長しない部下に対する苛立ちです。苛立ちは視線のやり方や声の調子などに無意識のうちに現れます。人間なので何度も同じことを聞かれると苛立ってしまうのは仕方ないと思います。  部下側に生じていることとして考えられるのは、上司に対する恐怖やプレッシャーです。イライラした声や表情で「前にも説明したよね?」「何回言えばわかるの?」と言われると、どうしても萎縮してしまい、何回も質問したら怒らせてしまうという恐怖から、余計質問しづらくなってしまいます。説明を受けその場の雰囲気で「はい。わかりました。」と返事したのはいいものの、いざやってみるとよくわからない。だけど、また質問をしたら怒られる。という状況で、理解が曖昧なまま仕事をした結果、ミスをして上司に怒られる負のスパイラルが生じるのだと思います。  人間は、相手の発した言葉だけでなく、表情や声の調子といった言葉以外の反応にも敏感です。むしろ、言葉より表情や声から相手の本心を読み取ろうとすることの方が多いのではないでしょうか。「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンには、ノンヴァーバルコミュニケーションが深く影響しているのではないかと思います。

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ここでは二人の人間が言語を媒介として反応しあっていることで、コミュニケーションを行っていると考えられますが、注目すべきなのは「何度言ったらわかってくれるの!」というセリフから考えられる会話の流れです。このセリフが一人から発せられているということは、もう一人の人間は「わかっていない人」ということになります。しかし、「わかっている」「わかっていない」を決めているのはコミュニケーションをとっている相手の人のみです。従って、このセリフを言っている人はコミュニケーションを行っている相手が自分の考えを「わかる」、つまり「同意」に至ることしか許していないということです。「何度言ったら」と言っていることから察するに、このセリフを言われている人は相手の考えに沿わない意見を言っている、もしくはそれに意見することを避けているものだと思われます。相手に「わかってくれる」ことしか期待していないこの人は、相手がどんなに建設的な考えを表明しても、それを無視するでしょう。すると、この二人の間の情報伝達は一方通行に行われていることになります。それは一見するとコミュニケーション足り得ていないと思うかもしれませんが、実はそうではありません。「コミュニケーションとは相互作用である」という授業内で何度も触れられた原則に即して考えると、「わかってほしい」人は相手の意見を「受け入れない」という反応を行っています。同様に、その相手も「わかってほしい」人の意見を「受け入れない」反応を行っています。この二人の間で情報が伝達され、それが相互に切り捨てられていても、そのような反応を行っている時点で相互作用は完遂されているので、この二人は十分なコミュニケーションを行っていると考えられます。

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「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることは、私はまずは率直に発言側の怒りの様子が表されていると考えます。どのような内容かは不明だが、相手に何度言っても伝わらない、理解してくれない、呆れたなどのマイナスな発言に聞こえます。言葉の表記を見ても、びっくりマークがあることから強く強調した一文にも捉えることができると思います。イメージとしては、会社の上司が部下に対して叱っているような感じであると考えます。会社であるとよくこのような場面はあると思いますが、決してプラスな発言ではないと感じます。部下が理解できていないのは部下の頭脳的な問題も多少はありますが、私は上司の教え方、伝え方に問題が生じていると考えます。伝える側も相手が理解してくれないと苛立ち抑えられない気持ちもわからなくはないが、苛立ちを発してしまった場合、相手側も気持ちを考えると、怒られているのを認識し、さらに理解がしにくくなる傾向があると考えます。実際のところ、相手側が理解するまで教える、伝えるのは時間がかかるかもしれないが苛立ちを見せてしまうとまた違う労力を使うことになるのでこの発言は好ましくないと私は考えます。

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201588 小川慎太郎 コミュニケーションは共通の言葉は必要なく、その場にいる人たちの身振り手振りで反応し合うことであり、それこそが相互性であると思います。コミュニケーションはお互いに聞き合う事が大切で、自分の話ばかりに集中し過ぎて相手の話についていけず、相手に聞かれた質問に対して矛盾した返事をしたり、同じことを聞き返したりしてしまいます。コミュニケーションは相手の反応次第で、会話の展開が荒くなります。会話の途中で挑発的な返しをすると会話のキャッチボールが途切れることは当たり前です。話している時の表情や体を使って相手と会話する事が一番いい印象でした。コミュニケーションは会話しないと成り立たないと思っていましたが、表情やジェスチャーなどで相手と反応し合い通じ合うことができることがわかりました。コミュニケーションの階層構造と偶発性はコミュニケーションのキャッチボールでなく、身振り手振りの交わし合いの相互作用であると思います。笑いながら怒るように矛盾したメッセージを感じたり、それを読み取る力は必要だと思った。コミュニケーションは情報伝達でも意思の疎通でもないことが理解できました。発言する際の空間のメディアを考えて発言することが大切だと思いました。

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私は「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンではそのコミュニケーションのなかに含まれる言葉以外の表現への意識をすることができていないのではないかと思います。確かに誰かとコミュニケーションをとっていくなかで、そのすべてが自分の思っている通りにいくということはありません。自分は特に意図せず何気なく聞いたことが、偶然にも相手にとって聞かれたくないことであり相手から怒られてしまい、不信感を抱くことになるという場合もあります。このように相手の反応次第でどこにでも転がるので偶発性が高いというのはとても納得しました。実際、私も何気なく言った言葉が相手の価値観からするとあまりそぐわないものと感じられ怒られたことがありました。私はコミュニケーションをとる際、特に言葉の内容や強弱などに注目していることが多いのではないかと考えました。また私自身もその傾向があると感じています。しかし、コミュニケーションは言葉だけでなく、むしろ身振りや表情などの視覚的なものの影響が大きいのではないかと考えています。もちろん感情的になり過ぎていたり、相手を全く理解しようとせず、ただ怒りの感情に任せて自分の気持ちを吐き散らかすような態度というのは全く話になりませんが、少し冷静になり相手の身振りや表情に注意してみたり、あるいは自分が視覚的表現をしてみたりすることで、その現状を打破し、より相互にとって良い理解ができるのではないかと思います。コミュニケーションは社会のなかで生きていくには欠かせないものであり、また私たちの生活のさまざまな場面で数えきれないほど使っているものなので、そのなかに含まれる言葉だけでなく、身振りや表情などにも意識を置きつつコミュニケーションをしていくことによって、今まで発見できていなかったことが見えてくるのではないかと思います。

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私は、このシーンで生じるものは論議及び不信感だと考えています。これは人間同士のコミュニケーションと関わります。コミュニケーションとは、相互的な情報通信交換のことであります。人間のコミュニケーションあるいはヒューマン・コミュニケーションとは、人間のあいだでおこる、相互的な情報通信交換のことです。人間のコミュニケーションで重要なことは、人間の間でさまざまな意味のやりとりが繰り広げられるだけでなく、そのような情報通信交換の結果、人間のあいだの関係が短期的あるいは長期的に変化してゆくことであり、変化の結果、さまざまな社会的な産物が生まれることであります。また情報通信交換の結果、理解・学習・知識・記憶というものが生まれます。人間の活動範囲が拡大してくると、 遠く離れたところにいる人との間でも通信が行なえるようなしくみが必要になりました。  このように、人間同士がコミュニケーションを取る際、相互に作用しています。このシーンの場合、話す側はその怒りを発信し、受信する側に自分の不満を伝わっています。しかし、これはコミュニケーションの相互性の喪失と繋がる行動です。たとえ発信側は単純に疑問を問う場合だとしても、この言い方は相手に間違ったメッセージを伝わる結果になります。受信側からしたら、発信側の話の意図をくみ取れない状態のままで、相手に怒りを感じ、相手の指導方式に疑問を感じ始める可能性が十分あります。

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 一方が「何度言ったらわかってくれるの!」となっている場合には、もう一方がその人の言葉のみしか取り入れていないからではないか、と考えます。これは私の両親を見て感じた事ですが、母が父に予定か何かを話す場合、頷きはしても携帯等を見ている場合は後日確実に内容を覚えていません。しかし、母の方を見て、母の身振り手振りと共に話を聞いた場合は内容を覚え続けています。これは私の両親の場合なので個人差はもちろん思いますが、その時どんな動きや表情で自分に言葉を伝えていたのか、という情報がある事で初めて「コミュニケーションが成り立つ」と言えるのではないかと思います。授業内で示されていたように、国によってジェスチャーの意味は異なりますし、言葉の壁もあります。しかし、「目は口程に物を言う」という諺が存在するように、目元の動きだけでその人が今どんな感情を持っているかが読み取れます。今回のシチュエーションにおいて何故言葉のみしか取り入れていない、という結論に至ったのかと言うと、情報を伝える側の目を見るだけでも、その人がどれ程重要な情報を伝えているか、また「これを言うの〇回目だよ」という少し怒りや呆れが滲んだ目つきも読み取れ、「何度言ったら!」と言われる事を未然に防げたのではないでしょうか。何故身振り手振りがコミュニケーションにおいて重要か、というとコミュニケーションでは「相手が伝えようとする情報」よりも「相手の情報」を取り入れる事だと考えます。コミュニケーションは人と人との間で発生するものです。「相手はこの情報をこんな雰囲気で自分に伝えようとしているんだな」という情報を手に入れてこそ、コミュニケーションが成り立つ対応を出来るのではないか、と思います。

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私は、「何度言ったらわかってくれるの!」という場面で、これを言った人、言われた人お互いが不信感や不快感を抱くと思います。今日の授業で習った通り、コミュニケーションをとるということはその間に相互作用が生じるということです。なので、この言葉を言った人は相手に対して苛立ちや不信感があったと思います。それを言葉と口調によって表したことで、これを聞いた相手の人も不快感を感じたと考えました。言葉のやり取りはお互いの感情が便乗しあったり反発しあったり、受け取り方は多種多様です。この場合は、この言葉を言った人の感情が相手にも伝わり、相手も不快感を持つか、逆になぜこのようなことを言われないといけないのかと反発するだろうと思います。私は、誰かとコミュニケーションを取る際には、言葉選び、声の大きさ、目つき、表情、間の取り方が相手に伝えるときに重要な役割を担っていると思います。誰かと直接話すことのメリットはお互いが相手の顔を見れるという点です。良くも悪くも、相手に気持ちをぶつけ、それに対して相手も便乗するなり反発するなり、感情を表せます。しかし、LINEをはじめとしたSNSは、言葉選び以外は相手に伝えることが出来ません。人間の基本となるコミュニケーションは視覚と聴覚を基盤に成り立つものだと思います。なので、直接「何度言ったらわかってくれるの!」と相手に言い、それに対して相手が何らかの感情を持ち、言葉を返した場合、コミュニケーションは成り立っていると私は思います。

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このシーンで生じていることは、コミュニケーションの相互作用が上手く行われていないためだと考えます。情報のキャッチボールのみだと、コミュニケーションの相互性が生まれないからです。言葉で表わされる情報は、身ぶりが前提としてコミュニケーションを成り立たせます。しかし、「身ぶりの意味はけっこうちがう」の動画で示されているように、身ぶりは国家・個人によって、違いがあります。この違いこそが分かってもらえない状況を生み出します。身ぶりを形成するのは国家の文化や個々人の生活した環境に起因すると思います。身ぶりにも階層構造があり、文化の上に個人が経験した事象が積み重なり、人の数だけ枝分かれしていきます。相互に分かり合えないことがあって当たり前だと言えると考えます。枝分かれした個人レベルの文化のすり合わせを行うことが、コミュニケーションは情報伝達ではなく、相互作用であると思いました。相互作用による文化のすり合わせが行われないと「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンが生じてしまうと考えます。つまり、このシーンは両者が理解しようとしてない場面で起き、他者を理解しようとする個人レベルの文化を持ち合わせていないのではないかと考えます。

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私は、このようなシーンでは相互性の損失が起こっていると考えました。そして、情報を発信する側であるエンコーディングと、それに反応するデコーディングの間に思い違いが生じたのではないかと考えられます。相互性にはコミュニケーションが大きく関わっており、目つき、会話の間、声色などの身振りによってコミュニケーションは成立します。実際に、私もこのような場面になったことが何度もあります。高校時代陸上をやっていたのですが、部活の後輩に教えることがあった際に、何度言っても分からず、とてもモヤモヤしたことがありました。しかし、実際にやりながら教えることで後輩は理解してくれました。このことから、講義で言っていた「コミュニケーションとは情報のキャッチボールではなく、身振りの交わし合いである」という言葉に納得することができました。また、友達と喧嘩した時も特にお互いが誤ることなく、自然と仲直りしていることがあります。これは相互性が回復されたため、仲直りできたのだと思います。今回コミュニケーションの在り方について改めて考えてみましたが、普段私は身振り手振りを使って話すことが少ないと感じたので、積極的に身振りを使い、コミュニケーションの幅を広げたいと思います。

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コミュニケーションとは相互作用であるが「何度言ったらわかってくれるの」ということは、この方は相手に一方的な情報伝達を送っていたと自分自身で感じていたのではないかと思います。この方がコミュニケーションとは相互作用だと感じていれば、一度目の相手の言われても変えない身振りや話をしっかり聞かない身振りでこの人は言っても分からない、変えない人だという事が分かるはずです。言われても変えないという身振りで、何度言えばわかるのかという答えはそれまでの相手の身振りで理由は大まかに分かるはずなのに、そこが分からないというのは、この方が今まで相手の身振りを見ておらず本来のコミュニケーションから離れていたのだと思います。私のバイト先の店長は、新しい仕事を教える時「いいか、一度しか言わないからな」と言いメモ用紙を渡します。一度しか言われないと思うと私自身も必死になってメモを取ったり質問したりします。この店長はコミュニケーションを一方的な情報伝達ではなく相互作用であると言うことに気がついているのではないかと感じました。もちろん教えて頂いた後にその仕事が出来なければ、突然何度言えばわかるのかという言葉を言われてもおかしくないと感じますが、相手の身振りを見ない一方的な情報伝達は、コミュニケーションの捉え方に問題があり、何度言っても買えない人自身の問題だけではないのではないかと感じました。

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今回の課題の題材を見てこれはあのことだなとぱっと思いついたことがあります。それは私の弟のことです。私には中学生の弟がいます。この弟は私や母親が何度同じことをいっても全く改善しないことがいくつかあり、「何回同じ事で注意されれば気がすむのだろう。」と思うことがあります。例えばごみをごみ箱に捨てずにそこらへんに置いている、だれかに言われるまで動画を見たりゲームをしたりしてお風呂に入らなかったり勉強をやらない、服を脱いだら脱ぎっぱなしなど挙げたらきりがありません。注意をすると言われたことはしっかりやるのですが次の日になるともうやらなくなってしまっています。最近は、私はもうあきらめてあまり注意しないようになりました。ですが今回の授業や課題をきっかけにこのことについてもう一度よく考えてみました。まず注意したとき弟はどのような反応をしているのかを考えてみました。注意すると弟は分かったのか分からないのかよくわからない返事をするか、何も返事をしないで言われたことをやっているかのどちらかです。私はこの時点でこの会話はコミュニケーションとして成り立っていないのではないかなと思いました。コミュニケーションは相互性があって初めて成り立つものです。ですがこちらが注意をして相手は曖昧な返事をするか特に返事をせず行動だけするというのは、注意する側からは働きかけているけどされる側はそれに対して答えを返しているとは言えず、相互性がありません。このようなコミュニケーションを続けていてはいつまでたっても改善しないということが分かりました。次にどうして相互性のないコミュニケーションになってしまうのかその原因を考えてみました。いろいろ考えた結果、何度注意しても改善しないということは弟にとって注意されていることはあまりやる必要のないこと考えていて、そのため相互性がなくなってしまうのではないのかなと思いました。本人がやる必要がないと思っているのならいくら注意しても改善するわけがありません。その結果、相互性のないコミュニケーションになってしまうのではないかと思いました。これを相互性のあるコミュニケーションにするには一度しっかりと話し合ってみることが一番早い解決策なのではないかと考えました。弟になぜ何度注意してもやらないのか、やる必要がないと考えているならなぜ必要がないのかその理由などを聞いてみて、こちらもなぜ注意しているのか理由をしっかり話してみることでお互いの思っていることや考えがはっきりして相互性のあるコミュニケーションになるのではないかと思います。

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何度言ってもわかってもらえないという状況は、発信者と受信者の間でその情報の重要性やメッセージに含まれた意味の解釈の違いから生まれるのだと考えました。なぜそれを伝えたのかという背景や、具体的に何を求めているのかをお互いに共有できていないため発信者の求めるような行動に繋がらず、ストレスにつながってしまうのだと思います。実際にの経験からですが、私は親に「〜〜して。」とだけ言われてその場だけで返事をして後回しにしてしまうことがあり、何度も言わせないでと言われたことがありました。その時私はなぜそう言われるのか想像することができず、重要性がわからないまま理解したふりをしていました。そしてその後に親が私に言ってきたことの背景にある状況や、求められている行動を具体的に理解するとすんなりと行動に移すことができたので、記号論でいうエンコードの情報量が少なかったことと、デコーディングの中で適切な解釈ができていなかったのだと思います。発信する側は伝えたいことを端的に言うのではなく相手の反応を見ながらなるべく具体的に理由も交えて話すようにして、受け取る側は言葉で足りない部分想像するようにすると何度言ってもわからないという状況は避けられるように思うので自分もコミュニケーションをする上で意識するようにします。

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 「何度いったら分かってくれるの!」というシーンを私の実体験も含めて振り返ってみるとまず次のことが思い浮かびました。それは、聞き手の思い込みや思い違いです。いくら話し手が説明しても、聞き手には聞き手側の解釈、固定観念、このパターンはこうなるのがオチという予感があるから、それが邪魔して話し手の考えがスムーズに頭に入ってこないのだ、と聞き手に問題があると思っていました。しかし、授業を通して問題があるのは聞き手だけではないと思いました。  このシーンの話し手の多くは、ありとあらゆる表現方法の中で「言葉」だけを使って説明している気がします。そこから私が考えた事は、「言葉」さえあればコミュニケーションは本当に成り立つのかという事です。というのも、G・H・ミードは、コミュニケーションは「身振り」の交わし合いと言ったほどです。また、コミュニケーションの歴史を遡れば、人類は共通の言葉のない石器時代から気持ちを「身振り」で伝え始めました。そして現代でも世界中で、ある身振りにはお金・お酒・イエス・ノーのサインだと分かる特定の意味が込められているものもあります。更には、身振りだけでなく音、信号、単語、色といったような方法でもメッセージを伝えることができます。それから、相手を「無視」することも一つのサインです。ここから私が伝えたい事は、コミュニケーション=言葉(会話)だけではないということです。コミュニケーションは、ただの情報伝達ではありません。相手にメッセージを伝える事を目的に、言葉以外にも様々な表現方法を駆使しながら自己表現をすることだと思います。身振りを媒介にしたコミュニケーションを土台にして、話した言葉、文字、メディア技術、とそれぞれを媒介にした方法が順々に積み重なり多層で同時に色々なことが起きる事が重要だと考えます。

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何度言ったらわかってくれるの!という発言は恐らく発言者と対話者の中で相互作用が発生していないことに対して発言者が怒りを表している状況であると考えられます。授業の例を引用してまとめるとパターンBの「そんなの、どうでもいいでしょ!」といった発言に感情の種類は似ています。しかし、ここで異なる点は、前者はコミュニケーションを求めての発言であり後者はコミュニケーションを拒んでの発言となります。ただし、何度言ったらわかってくれるの!という発言は状況によって少し意味合いが変わってきます。文字通り何度発言しても理解してくれない人に対しそのまま怒りの感情と捉えることも出来ますが、何度も発言しているのに耳が遠くて聞こえてない人に対して笑いながら言っている可能性もあれば、何度も浮気する彼氏に対して泣きながら彼女が発言しているという状況も思い浮かびます。つまりその場の状況、表情、身振りによって意味合いが変わってしまうものです。そしてこの発言だけでは相手がどのように反応したかなどは断定できません。よってこの状況で生じていることは、相互作用のないコミュニケーションであると考えました。

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私は実際に「何度言ったらわかってくれるの!」という言葉は使ったことはないですが思ったことは何度もあります。そういった自分の経験から今回の生じていることを推測します。 思うに、「何度言ったらわかってくれるの!」といった感情は「コミュニケーションは相互作用である」という観点から見ると、相手に対して自分の理想の反応の仕方があるのだと思います。自分の例で言いますと、ある事柄について説明している時に相手が頷いてくれなかったり、質問や返答の内容が筋違いだったりする時にこのような感情が生まれます。また相手の反応が自分の予想や期待に合致するか反するかは、それもまた、相手から自分に対してもある予想や期待があり自分が放った言葉や行動を知覚しどのように相手が反応するかだと思いました。結論としてどういったシーンかを考えると、ここでは「何度言ったらわかってくれるの!」と発言と発言される人で意見が違うことは明らかです。私は喧嘩をしている場面を想像しました。落ち着いた状況ならこのような感情は出てこないと思ったからです。 発言者が相手に日々の不満を吐いており、相手方に謝罪などの反省を求めているが、相手からするとそれは悪いことではないという信念があり反省はしない。そこで発言者にとっては自分の求めていた反応とは違ったので「何度言ったらわかってくれるの!」という自らの反応をしたのだと思います

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「何度言えばわかるんだ!」と両親や学校の先生に怒鳴られた経験があるという人は多いと思います。このような状況下ではコミュニケーションの崩壊が発生しています。 コミュニケーションは元来身振り手振りを媒介としたものです。これをノンバーバル・コミュニケーション(ジェスチャー、態度、表情を用いたメッセージのやり取り)と言います。この身振り手振りが最も大事で人類のコミュニケーションの進化もノンバーバルなものから始まりました。またアメリカの社会心理学者であったG・H・ミードもコミュニケーションとは情報のキャッチボールではなく、身振りの交わしあいという相互作用であると言っています。この身振り手振りが土台となり、その上に話し言葉や文字、メディア技術などを媒介にしたコミュニケーションが乗っかっています。この様相を先生は講義内でバベルの塔のようなものであると仰っていました。ただバベルの塔には言語がバラバラになったことで人々も四方八方に散っていったという神話があるため、コミュニケーションの話の時に例として出すのはやや適切ではないと思いますが。閑話休題、ノンバーバル・コミュニケーションがいの一番に大事であるのに感情をむき出しにして怒鳴っていてはまともなコミュニケーションが成り立つとは思えません。 またコミュニケーションが必然的なものではなく偶発性が高いものであるということを考慮に入れなければなりません。コミュニケーションは一方的なものではなく話し手と聞き手の相互作用によって生まれるものです。一方が問いかけたとしてももう一方が会話を打ち切るようにしたらコミュニケーションは成り立ちません。無視やだんまりを決め込むと拒否の証となります。S・ホールは聞き手を記号解読者(デコーダー)と呼び、話し手から受け取った情報を能動的に解釈することが求められると言っています。つまり「何度言えばわかるんだ!」と言われてしまう状況では話し手の言う事を聞き手側が充分に理解できていない、もしくは理解しようとすらしていないという事になります。聞き手には餌を待つ鯉のように漫然と情報を受け取るのではなく、受け取ったものからどう反応するべきかを考える努力が求められるのです。 以上のように話し手と聞き手にはそれぞれ違った努力の方向が求められます。どちらか片方でもその努力を怠った場合は初めに挙げたような状況に陥り、その瞬間コミュニケーションは瓦解します。他文化間のコミュニケーションでもない限りジェスチャーははっきり伝わるので話し手はジェスチャーを交えて、表情と言動が一致しない事はまずないので聞き手はそのようなノンバーバルな情報と話し手の言葉を複合的に考えることでコミュニケーションの行き違いの可能性は格段に減少するでしょう。

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私は、「何度言ったら分かってくれるの!」というシーンを想像してみて、親や先生、上司などに叱られているシーンが最初に思いつきまた。講義資料にもあるように、「相互作用では相手の反応しだいでどこにでも転がるので偶発性が高い」のです。相互作用とはお互いが影響し合うこと=双方の会話のことを指し、偶発性とは思いがけず生じることを指します。そのため一方向の会話ではなく双方向の会話の場合、自分の想像していなかった思いがけない反応が返ってくることも多々あるという訳なのです。これを参考に今回のシーンを取ってみると、2パターンの反応があるのではないでしょうか。まず1つ目は、「次から気をつけるよ」などの反省を示す反応パターンです。2つ目は、「そんなのもう分かってるよ!」などの反抗的な反応パターンです。2つ目の返答が話者にとっての思いがけない反応となりますが、こう考えてみるとどちらのパターンも状況次第で同じくらい起こりうると思いました。今回は講義テーマであるコミュニケーションについて学びましたが、私は、コミュニケーションは状況や手段によって様々な異なる形に変化するのだと思いました。第一にコミュニケーションは様々な媒体が層となり同時に重なって成り立っています。その層の土台となるのは身ぶりや表情など目で見える部分であり、その上に言葉、そして最後に文字やメディア媒体が重なってできています。しかし一体なぜ土台となる部分に言葉ではなく身ぶりがくるのでしょうか。それは、身ぶりや表情の方が本心を表す反応だからです。講義で説明があった正直シグナルは、言葉や文字では嘘をつくことが簡単ですが身ぶりや表情まで嘘を作り込むことは難しいとあります。また、動画「矛盾したメッセージの事例」にある言葉と表情や態度が矛盾しています。これらの例から考えるとコミュニケーションは身ぶりという観点から取ることが大事なのです。しかし動画にもあるように身ぶりは前世界共通だと認識してはいけなく、例外があることに注意が必要です。また他に、無視をしてもコミュニケーションが成り立つ場合もあります。無視をすることで拒否を示す情報発信と捉えることもできるからです。そのため身ぶりや言葉だけがコミュニケーションだと思い込まず視野を広げることが大切だと感じました。しかし、文字やメディアを使ったコミュニケーションにも利点があります。メディアによる身体の拡張とありますが、SNSなどのメディアや文字を使ったコミュニケーションが生まれたことで、今までできていなかった遠くとつながること=メディアによるコミュニケーションの拡張が実現したのです。ですがやはり、メディア媒体によるコミュニケーションに頼りすぎると相互性の喪失、つまりは身ぶりの交わし合いがなくなり一方向のやり取りになってしまうことが懸念されます。メディア技術を使ったやり取りというとLINEや電話が一般的ではありますが、何度も言うようにこれらは文字のみや音声のみとなってしまいます。これらを限定メディアと呼びますが、マルチメディアを駆使すれば対面でのコミュニケーションに近い形を取ることができるのです。例えばzoomです。zoomは対面ではないにもかかわらず、身ぶり・表情、音声、文字など、すなわち五感を使います。私はzoomのような機能が生まれ活用されていることはコミュニケーションの大きな進化だと感じました。これらを踏まえた上で「何度言ったら分かってくれるの!」というシーンを考えてみると様々な状況が想像できます。直接の会話であるのか、SNS上の文字のみあるいは音声のみなのやり取りであるのか、zoomなどの身ぶりがある程度わかるやり取りであるのかパターンは様々です。先程も述べたようにコミュニケーションは身ぶりが1番の土台です。しかしそれができない場合誤解が生じないためには、発信者はエンコーディング、つまり伝えたいことをより正確に伝わりやすくするために考えること、受信者はデコーディング、つまりゆっくり内容を解読してから返答することを意識することが大切だと思いました。今もこれから先も、直接的でなく相互性のない一方向のやり取りが増えています。そんな中如何にして上手くコミュニケーションを取る工夫をすることが大切になってくるのだと思いました。

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私たち人類は二百万年前からサインなど何かしらの方法で意思疎通を行ってきました。そして、現在はインターネットなどのメディアが発達し、それを媒介することにより今まで手の届く範囲や視野の範囲でしか触れることのできなかった物事を触れられるようになりました。しかし、メディアが見せるものはある種の写像であり情報が一方通行となるので相互作用が失われ、コミュニケーションではなくなることがあります。私自身、snsをよく使いますがLINEなどの限定メディアを使用しているとき、相手に伝えたいことがうまく伝わらなかったり何回いっても通じなかったりすることがあります。これは、コミュニケーションが成り立つためのレイヤが崩壊しているからだと思います。レイヤの一段階目には身振りや表情というのがありますが、電話などではいきなり二段階目の言葉を用いて情報を伝えようとするため口で言っても伝わらないということが起きます。また、LINEなどの文字だけで伝えようとする媒体では表現力が必要となり難しい事柄などは更に伝わり難くなってしまいます。私は、メディアなどの相互性が喪失してしまうことは仕方がないことだと思います。そこで喪失した部分を回復するには相手に伝えるための工夫となるエンコーディングと反応する側のデコーディングが重要になると思います。エンコーディングでは伝えたいことや重要なことを分かりやすく記号化することで受け取る側がエンコーディングをしやすくなることから、この相互の関係が伝わるか伝わらないかを大きく左右すると思います。このようなことから、伝えたいことがなかなか伝わらない時には事柄を整理し、コミュニケーションのレイヤを再確認することが必要だと思います。

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再投稿です。こっちでお願いします。 「何度いったら分かってくれるの!」というシーンを私の実体験も含めて振り返ってみるとまず次のことが思い浮かびました。それは、聞き手の思い込みや思い違いです。いくら話し手が説明しても、聞き手には聞き手側の解釈、固定観念、このパターンはこうなるのがオチという予感があるから、それが邪魔して話し手の考えがスムーズに頭に入ってこないのだ、と聞き手に問題があると思っていました。しかし、授業を通して問題があるのは聞き手だけではないと思いました。  このシーンの話し手の多くは、ありとあらゆる表現方法の中で「言葉」だけを使って説明している気がします。そこから私が考えた事は、「言葉」さえあればコミュニケーションは本当に成り立つのかという事です。というのも、G・H・ミードは、コミュニケーションは「身振り」の交わし合いと言ったほどです。また、コミュニケーションの歴史を遡れば、人類は共通の言葉のない石器時代から気持ちを「身振り」で伝え始めました。そして現代でも世界中で、ある身振りにはお金・お酒・イエス・ノーのサインだと分かる特定の意味が込められているものもあります。更には、身振りだけでなく音、信号、単語、色といったような方法でもメッセージを伝えることができます。それから、相手を「無視」することも一つのサインです。ここから私が伝えたい事は、コミュニケーション=言葉(会話)だけではないということです。コミュニケーションは、ただの情報伝達ではありません。相手にメッセージを伝える事を目的に、言葉以外にも様々な表現方法を駆使しながら自己表現をすることだと思います。身振りを媒介にしたコミュニケーションを土台にして、話した言葉、文字、メディア技術、とそれぞれを媒介にした方法が順々に積み重なり多層で同時に色々なことが起きる事が重要だと考えます。  また今回授業を通して私が考えた事は、「コミュニケーション能力」とはなにかということです。よくコミュ力が高い、低いと言いますが、このコミュニケーション能力もコミュニケーション=言葉(会話)と捉えているから、このようによく言われているんだろうと思いました。しかし、授業後の私が考える「コミュニケーション能力」とは、言葉以外にもあらゆる方法を駆使して自分の考えを相手の頭に移植するように考えを伝える、気持ちをやりとりする事と考えました。

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私は、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることは、発信側と受け手側に記号の認識、記号が意図する意味の理解、記号の解釈の相違が生じていると考えます。 まず、コミュニケーションとは何かについてです。基本的な考え方としては、G・H・ミードのコミュニケーション論によると、コミュニケーションとは情報のキャッチボールではなく、身ぶりの交わしあいという相互作用である。コミュニケーションの階層構造と偶発性からスタートしないとメディアを巡る問題性が見えない、ということです。私は、これをコミュニケーションは会話よりもジェスチャーの方が大事であると解釈しました。確かに、会話だけでは同じ言語を共有できない人とコミュニケーションをとるのは難しいですが、身ぶりも加えるととても伝わりやすくなります。人を理解するためにも、身ぶりのような非言語コミュニケーションは非常に重要です。 次に、コミュニケーションは相互作用であることについてです。それは、その場にいた二人がお互いの身ぶりに反応し合うことです。例えば、言語のいらない身ぶり、あるいは正直シグナルです。つまり、言葉は嘘をつけますが、身ぶりは嘘をつけません。ただ、身ぶりの意味が国や地域で異なることがあるので、注意する必要があります。例えば、日本を含め多くの国はYesのときに首を縦に振りますが、ブルガリアではその身ぶりがNoを意味します。また、動画の竹中直人さんほど極端じゃないにしても、笑っているけど心では怒っていたり、「いいよ」と言って許しているように見えても心では許していないなど、矛盾したメッセージが生じることがあります。これらの理由から、コミュニケーションは情報伝達ではないことが分かります。また、社会的役割というメディアがあると、人はそのメディアがある人を信用しやすくなったり、無視と沈黙が拒否の身ぶりになったりします。だから、私はコミュニケーションの相互作用は、相手がどう受け取り方次第でどうにでもなるので、慎重にするのがいいと思いました。  3つ目に、相互作用では相手の反応しだいでどこにでも転がるので偶発性が高いことについてです。パターンAでは、Xさん「ところで昨夜どこ行ってたの?」という特に意味のない質問から、Yさん「ずっと家でテレビ見てたよ」Xさん「今は飲みにも行けないしね」と順調に会話が進んでいます。しかしパターンBでは、Xさん「ところで昨夜どこ行ってたの?」という特に意味のない質問に対し、Yさん「そんなの、どうでもいいでしょ!」と聞かれたくないので怒ると、Xさん「え〜、なんで?」不信感と抱きます。このように、会話には相手の反応次第で、同じ質問をしても話の流れが大きく変わります。私は、しばしば親に機嫌が悪いと「なんで答えなきゃいけないんだよ」と言ってしまうことがあるので、気をつけたいです。 4つ目に、コミュニケーションの階層構造についてです。コミュニケーションの複数レイヤーの同時進行をマルチモダールと呼びます。これが階層構造です。レイヤーと呼んでもよいです。それには、 1 身ぶりを媒介にした相互作用 2 話しことばを媒介にした相互作用 3 文字を媒介にした相互作用 4 メディア技術を媒介にした相互作用 これらの4つの相互作用があります。 1がまずあって、その上に2が乗って、その上に3が乗って4が乗るような感じであり、イメージ的にはバベルの塔です。私は、身ぶりや話しことばの上に文字があることに少し違和感を覚えましたが、相手の身ぶりや表情を見ずに文字のみでコミュニケーションをとると、非言語情報が分からない分の難易度が上がるので納得できました。 5つ目に、メディア・コミュニケーションについてです。エンコーディングとは表現をすることで、発信側です。デコーディングとは解読・反応することで、受け手側です。記号論の解説から引用すると、「記号の使用者による記号の理解は、記号論的視点からは、次の3段階に分けられる。 構文的:(他の記号と関連させた)記号の認識 意味的:記号が意図する意味の理解 実用主義的:関連や同意などの用語を用いた記号の解釈。 理解という最も基本的な作業には、記号が表現するのは何かつまり(指示義) をはっきりさせるころが含まれ、またその媒体やそこに含まれている表現コードについてある程度知っていること、が必要になるかもしれない。これは、特に言語の場合、顕著であるが、写真や映画のような視覚的媒体にも適用できる。ある人たちは、この低レベルの過程を、‘理解’のレベルとは全く認めず、この用語を物語のテクストから‘教訓’を引き出す過程に限定しようとする。しかし、David MickとLaura Politiは、理解と解釈は不可分であり、それは指示義と共示義の関係に似ているという立場をとっている」とあり、コミュニケーションの主導権は、デコーディング側が持っていることが分かります。限定メディアとマルチメディアとは、メディアの身ぶり、すなわち視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚といったメディアが単数か複数かの違いです。限定メディアの例はLINEや電話(文字や音声のみ)、複数メディアの例はZOOM(音声と映像)です。私は、LINEや電話の方が楽ですが、主導権のある受け手側に誤解を与えたくない場合は、単数メディアより複数メディアの方が適していると思いました。 6つ目に、メディア史についてです。時代順に並べると、 1 身ぶり会話 言葉は話さず、身ぶりありきの会話です。 2 話し言葉 声や言葉を使っての会話です。同時期にラスコーの洞窟壁画があります。 3 文字 文字の時代に入り、5000言語、このうち書き言葉をもつのは650言語でした。シュメール人の楔形文字、エジプトのヒエログリフ、中国の漢字、ギリシャ24文字の音声アルファベットなどがあります。同時期に、貨幣というメディアも誕生しました。 4 印刷 活版印刷を用いて、1454年にグーテンベルク聖書、1517年にユーザーとしてのルターなどが印刷されました。グーテンベルクの印刷機の動画を見ればわかるように、巨大で今よりも遥かに手間のかかる印刷機です。印刷して大量に本が刷れるようになると、大衆読者が誕生して新聞が発行されるようになりました。1838年には写真が発明され、グラフ雑誌、郵便が登場し、1875年には万国郵便連合が設立されました。 5 テレコミュニケーション(電信、電話、無線、ラジオ、テレビ) 19世紀後半に、電信、電話、無線が開発され、1920年にラジオが開発されました。そこからマスメディアの時代になります。同じく1920年代にテレビが開発されました。初期のテレビは今のテレビと比べると、画面が小さく、解像度もよくありませんでした。 6今日の世界であり、デジタル、コンピュータ、ネットワークが主流となっています。 最後に、メディア・コミュニケーションには、コミュニケーションの多層性、メディアによる身体の拡張、相互性の喪失と回復があることが分かりました。メディアを用いたコミュニケーションは、電話だけの関係ではなく、スマホなどが体の一部といってもいいくらい必要不可欠なものとなりました。しかし、録画配信など一方的になって相互性が喪失しているので、回復する努力が必要です。

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私は、このシーンでは、ある人が言葉や身振り手振りを使って相手に反応してもらおうとしているけれども、相手側から無視や沈黙などをされ、自分の訴えに反応してもらえていないという風に感じました。つまり、ここでは相互作用としてのコミュニケーションが成立していないのです。 人は時に、言っていることと本音が一致していない矛盾したメッセージを同時に発したり、それを読み取ったりすることがありますがそれはなぜでしょうか。G・H・ミードのコミュニケーション論によると、コミュニケーションとは情報のキャッチボールではなく、身ぶりの交わしあいという相互作用であるそうです。つまりコミュニケーションとは、お互いの身振りで反応しあうことこそが本質であり、その身振りの中に声や行為が含まれています。そのためコミュニケーションとは、伝言ゲームみたいな感じで話し手が言っていること(話し手が思っていること)がそのまま情報として相手側に届けて、それを受け取ってもらうというような情報伝達ではなく、意思疎通ですらないのです。そして、相手側の反応を受け取るかどうかは、人それぞれであると言えます。ですが、相手の身振りに対し無視や沈黙を行なった場合、それはそれで1つの身振りとして相手側から捉えられてしまうので注意が必要です。 そして 私は先ほど、G・H・ミードは、コミュニケーションとは相互作用であるという風に述べたと記述しましたが、相互作用ということは、相手の反応次第で話がいかようにも変化してしまう可能性を含んでいると言えます。そのため、人と適切なコミュニケーションを取るためには、言葉だけでなく、身振り手振り、表情、態度、視線、服装、状況などといった複数のレイヤーを同時に進行する必要があるのです。人と人とのコミュニケーションが難しいと言われているのは、コミュニケーションが行なわれる時にこういった複数の能力を必要としているからではないでしょうか。  

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私は、コミュニケーションは相互作用ということに非常に興味を持ちました。私はこのシーンを母親が息子に怒っていると感じました。おそらく息子がゲームなどをしていてあまりよく話を聞いておらず母親に怒られているのだろうと思いました。コミュニケーションが情報伝達であるならば、これもコミュニケーションということができますが、わたしにはこれはコミュニケーションには見えませんでした。先日Twitterで「長男にはMAXで怒ってやっと何か言っているなって伝わる」という趣旨のツイートを見かけました。やはり一方的に怒るだけではコミュニケーションにならず、もしかしたら何回も言われていたことに気づいていなかったかもしれません。このツイートを見たときは、まあそんなもんだよなーくらいにしか思っていなかったのですが、今回の授業を受けて、なぜ話が伝わっていないのかわかったような気がしました。それは母親が「私は今怒っているぞ,これを直してほしい」と伝えているだけでは、一方的な情報伝達で、相互作用になっていないからです。コミュニケーションのバベルの塔は一階にまず身振り手振りがあってその上に話し言葉があります。なのでまずは身振り手振りを使って相手に話を聞いてもらえるようにすることが重要なのではないかと思いました。

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まず、このシーンは相手の発言や態度に対する不満を表す相互作用だと推測できます。また、発言の内容から同じ内容について複数回にわたって話していると推測できるので、ある程度親しい交流関係がある相手に対しての発言だとわかります。そして、この発言から自分の価値観、考え、物事を相手に理解してもらおうしていて、怒っていることがわかります。しかし、LINEなどのメッセージアプリだと怒っているとも捉えられるし、単純に主張しているとも捉えられます。面と向かって話していると仮定してこの条件をもとに考えてみると、教える立場(先生、親など)が教えられる立場(生徒、子どもなど)に注意や説明などを試みている状況、もしくは対等な関係同士(友達同士、恋人同士、夫婦など)が喧嘩をしている状況などが考えられると思います。相手側の立場になって考えてみると、パターン1に「反論する」、パターン2に「反論せずに折れる又は身振りを加えて謝る」、パターン3に「無視する」が考えられます。パターン3はさらに相手を怒らせる可能性があるのでなしです。相手の怒りを抑えるにはパターン1で相手を説得するか、パターン2で謝り、和解するかだと思います。これらをふまえると、オンラインやオフラインに関わらず発言に対し反応することをは、反応しだいで相手をさらに怒らせる可能性があるけれど、問題を解決するには会話による相互作用が不可欠だとわかります。

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私はこのシーンで生じるパターンには様々な種類があると思います。なぜなら私自身このような言葉を返されることが多いからです。特に多いと感じる話し相手は母親です。私と母親の会話ではよくこの言葉で返されるの印象に残っています。主にまだ大学で一人暮らしをしていいない、実家暮らしの際によく言われた記憶があります。小学校時代の会話を例に挙げると、母親「何か明日持っていくものはないの?」私「あ、調理実習でニンジン使うから持っていく必要があったんだ。」母親「何度言ったら分かってくれるの!」「必要なものは決まった時に伝えてよ」というパターンがよくありました。しかし、私の発言が同じでも状況が違った場合、「何度言った分かってくれるの!」といわれることはありません。例えば、冷蔵庫に余ったニンジンがあった場合、そのようなことは言われません。「あぶないね、一つまだ残ってたからこれを持っていきな」といわれます。これらのように自分の会話内容に変わらなくても言われることは状況によって変わることになります。また、身振りによって母親への伝わり方が変化することもありました。例に挙げると、今回はさっきの状況とは変わり、数日前から母親に学校でぞうきんを3枚持っていくから用意しといてと事前に行ってあった場合です。母親は確認のため目に私に話しかけます。母親「明日ぞうきん必要だったんだよね?」私「(親指を使いグッジョブをする)」その結果当日私に与えられたぞうきんは一枚でした。これは実際に起きたことですが、なぜ母親がぞうきんを一枚しか用意しなかったのか考えると、私のグッジョブをぞうきん一枚だけと勘違いしていたようでした。私は了解の意味で親指を突き出しましたが、母親にはそれがぞうきん一枚だよととらえてしまったのです。今日の授業を受け、海外のジェスチャーだけではなく、日本人道の親子間でもジェスチャーの誤認による間違えは起こるのだと思いました。

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私は、「何度言ったらわかってくれるの!」といった言い合いの場面が起こってしまう原因として、内面的な面では、情報量が多すぎて、何を一番伝えたいのかわからない、いきなり説明し始め、自分の言いたいことだけを話す、話すことに必死で、聞き手が見えていないことが挙げられると思いました。また、声のトーンや、言い方に問題があると思いました。相手に上手に伝わる話し方のコツとして、何を伝えたいのかを明確にする、情報量を増やし過ぎない、わかりやすい言葉でシンプルに結論を伝える、5W1Hを考慮し論理的な構成で話す、自分の意志は必ず伝える、具体例を織り込んで話す、相手の理解度を確認しながら話すなどといったことが会話中において重要になってくると思うので、喧嘩のような状況になってしまったのは、このようなことを意識できていなかったのだと思います。相手にイライラしている時は感情的な言葉を言ってしまいがちですが、後で「言わなければよかった」と後悔しないように、相手にムカついてしまった時はその場を離れて冷静になりってから話したほうがいいと思います。1人で冷静に考えることで相手に伝えたいことがまとまり、相手も冷静になれるのでお互いに理解可能な話し合いができると思いました。

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私がこのシーンで生じていると感じたことは、授業でよく出てきた、コミュニケーションの相互生というものの不足であると考えます。相互という言葉は自分だけではなく相手がいることで成り立つ言葉であると考えます。このシーンは実際これを言った人と言われている人の間で意思疎通が取れてないということが読み取れます。ですが、授業の中では、コミュニケーションというのは意思疎通がとれていることでは無いということを言っていたのでこの人たちの間にはコミュニケーションが発生していないのかと思いました。正直私が考えるコミュニケーションというのは簡単に言えば会話のキャッチボールがうまくできている状態ということです。要するに私の考え方で言えばこのシーンの人たちはコミュニケーションが取れていないということになります。よく日常会話で聞くコミュニケーションが取れていないという言葉も言葉を使った会話がうまくできていない状態を指します。授業内で言っていたコミュニケーションが言葉ではなくジェスチャーという考えに沿うのならば、このシーンの捉え方は、また異なります。例えばこの何度言ったらわかってくれるの!と言っている人物が笑っていた場合このシーンの状態は、そんなに深刻なシーンでは無いことが想像できます。しかし表情が裏かった場合は深刻な状態であることが想像できます。当たり前のことのようですが、同じ言葉でも表情によって状況は異なってくるのです。このことから考えればコミュニケーションはジェスチャーであるという考えの筋が通ります。サイトの文献の中にあった怒りながら笑う人などの例は今提示した考えを覆します。人は本心とは逆の言動に出る傾向があると思います。例えば私の例を挙げると、アルバイト先で態度の悪く理不尽なお客さんが来た時心の中ではムカついたり不機嫌になったりしますが、表ではもちろん笑顔で対応します。これは日常で考えたらよくあることだと思います。自分の本心は素直にいうべきだと言われることがよくありますが、実際それをしたら人間関係はうまくいかず相互的なコミュニケーションは取れないでしょう。話を戻しますが何度言ったらわかってくれるの!というこの文はコミュニケーションの定義がどうであれお互いの考えが読み取れていないことになるので、コミュニケーションの相互性が成り立っていないということがよみとれます。

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私は、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることの1つのパタ―ンとして、伝えた内容の認識が話し手と受け手で異なっているパターンがあると考えました。今回の授業の中で国や地域によって身振りの意味が異なるということを学びましたが、国、地域による差異はコミュニケーションの階層構造で身振りの1つ上に位置する、話し言葉でも存在しています。このような国、地域による差異が存在することによって、話し手が自分の伝えたことが相手に伝わったと思い、受け手も相手の伝えたいことを理解したと思っているという、一見コミュニケーションが成立していると捉えることができる場面でも、実際には両者の認識に違いがあることで、コミュニケーションが成立していないということが起き得るのです。この状況においては、お互いにコミュニケーションが成立していると思っているので、どちらかがその違和感に気がつき、相手に確認するまで、異なった認識のままとなってしまいます。また、両者が異なった認識でいる期間が長ければ長いほど様々な弊害が出てくると考えられるので、このような事態になることを防ぐためにも日頃から人とコミュニケーションをとる際には、本当に自分の伝えたいことを相手が理解できているかということを意識することが重要となってくるのではないかと思いました。

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私が今回の講義の内容を踏まえて「何度言ったらわかるのか」という話の伝わらない状況で生じていることは、一概にどちらが悪いとは言えず、伝える側と受け取る側両者に原因があり起こっているように思います。まず伝える側では身振りや話し言葉のみで相手に伝えようとしており、文字や画像を用いると言う次のレイヤーに進まず一方的な投げかけになり、相互作用が成立していない。もしくは受け取る側が話を聞いていない、否定的であると言うような状況が考えられると思います。講義内でコミュニケーションとは伝言や情報伝達ではなく、身振りなどの交わし合いという相互作用であり、身振り、話し言葉、文字、メディアなど階層構造になっていると言うように習いました。相手が一回で理解する人物とは限らないので、伝える側がこの事を踏まえる事なく目に見える形で示さずに、ひたすら口頭で説明しているとすれば、相互作用が成り立つことはなく、いつまで経っても話の内容が伝わらないと言う事態が生じてしまいます。またこのようなコミュニケーション、対話では偶発生が高く、自身の反応がそのまま相手に読み取られやすいということも書いてありました。これはまさしく受け取る側に当てはまることだと思っていて、仮に受け取る側の人間が話を聞いていなかったり、その考えに否定的だったとしても、返答の際に理解したというような返しをした場合、伝えた側は相手が理解したと読み取り、それ以上必要な表現をすることはありません。しかし実際はその情報は受け取る側には伝わっていないので、確認された時に説明などが出来ず、結果的に何度言っても理解されないと相手に思われるような状況が生じてしまいます。またメディアの使用は場合によって相互作用が喪失されるため、一方的な説明に対して適切なレスポンスが出来ず、正確に伝わっているかが分かりにくいという場合もこうした状況を生み出してしまうのかもしれません。他にも確認不足や価値観の違いなども場合によっては見受けられるかもしれませんが、今回の講義を改めて踏まえると重要なことは複数のレイヤーを活用した相互作用の成立です。今回のようにコミュニケーションとはどういうものなのかを振り返り、相互作用を成立させようと心がけることは普段の日常生活で考えることはあまりないかもしれませんが、まずは両者とも相手の立場に置き換わって考え、状況にあった伝達方法やレスポンスを用いることができれば、このような問題の解決につながるのではないでしょうか。

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 私は「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることにはいくつかの説明ができると思います。  まず授業で説明がされた、「相互作用では相手の反応しだいでどこにでも転がるので偶発性が高い」に関連して、発言している方の意図していない反応をしている場合があり、それが偶然にも連続して重なってしまったことによると考えられます。  次に考えられるのは、発言している側の考えが相手に通じていない場合、発言している側の発言が本当は間違っている時、その発言をいくら訴えかけても相手に伝わることはなく、発言者は自分が言っていることは正しいと思い込んでいるので、「何度言ったらわかってくれるの!」というような状態に陥ってしまうと考えられます。  あと考えられるのは、発言されている側の理解能力の欠如、普段から考えることを疎かにした結果いざという時に考える力が足りず、行動できないことが考えられます。

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まず第一に、「何度言ったらわかってくれるの!」は文字で書かれていますが、話し言葉を媒介にした相互作用です。コミュニケーションの階層でいうと第二階層にあたりますね。対面なのかSNSでの会話なのかまではわかりませんが。このシーンで生じていることは二人の人間によるコミュニケーションの一端であると私は考えます。語気の強さからおそらく発信者の怒りまたは焦燥感を感じることができます。「何度言ったら」という記号で受信者が過去に何度も同じこと(間違いや失敗)をやっているという事実を私たちに認識させ、この発言の受信者に対するイラ立ちのイメージを持たせます。さらに語尾の「!」がそれを強調していることがわかります。また、それらを認識することで私たちは、発信者がどのような表情、どのような身振り、どのような立場で言葉を発しているのかが予想できます。今回の場合は発信者が受信者を叱りつけているような状況が想定されるので、主導権は発信者にありますが相互性があるようには思われません。つまり、このコミュニケーションが表しているのは発信者のエンコーディングが終了し受信者のデコーディング作業または、エンコーディング作業中であることがわかります。

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何度「何度言ったらわかってくれるの」という言葉には、相手の返答の不誠実さが読み取れます。何度同じことを繰り返し言っても、理解してくれないもしくは理由なく実行してくれない相手へのいら立ちがここに表れている。ただ、この言葉だけ聞いていると、何度言ってもわかってくれない相手が悪いように聞こえるお思います。しかし、ここに置いての要求が理不尽な要求だと仮定するならどうでしょう。その場の状況、言動、環境が変わるだけで善悪が一気に逆転します。言葉一つとっても様々な側面が生まれてしまうことは、当たり前ながら怖いなと思いました。 また、「何度言ったらわかってくれるの」という言葉一つだときつく聞こえますが、伝達方法や声色、手振りなどでも印象は大きく変わってくると思います。例えば仲いい友達同士で冗談交じりで話すときに、笑いを含みながらちょっと大げさに言うとかなり柔らかい印象になります。逆に、無表情で相手のほうを見ないでいうと怒りや呆れの印象が強くなります。 「何度言ったらわかってくれるの」という言葉のみで生まれる会話や相互作用は正直確実なものはわかりません。しかし、言葉を発するときの表情、しぐさ、」トーン一つで印象は大きく変わります。つまりは、自分の行動一つで意図していない意味でとらえられてしまう可能性もあるということだと思います。そういう側面に気を付けながら、自分自身もコミュニケーションを楽しもうと今回の授業を聞き課題について考える中で思いました。

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コミュニケーションは相互作用であることから考えると、このシーンにはお互いの食い違いがあると考えます。「何度言ったらわかってくれるの!」と言った方は相手が自分の話したことに対して、行動などから理解していないと思い込んでいるのだと思います。一方で、言われた方は自分は聞いたことを理解しているつもりでいると受け取りました。だから、なんで怒鳴られているのかわかっていないと思います。そこには解釈の違いが生じているのではないでしょうか。捉え方が異なっていることに2人が気づかない限り、どんどん関係は悪くなっていってしまうと思います。 もうひとつの考えとして、身ぶりがあるかもしれません。講義でも、身ぶりはコントロールが難しく嘘をつけないと言っていました。そして、世界では同じジェスチャーを使っていたとしても国によって捉え方が全く違うことを知りました。そこから一人一人ジェスチャーの捉え方には違いがあるのではないかと考えました。そのため、自分が無意識なうちに使ったジェスチャーや表情により嫌な印象を与えてしまったのだと思います。それによって相手は言われたことをやる気が無くなってしまい、それに気づかない自分が何度言ったら分かるのと強い口調を使ってしまったと考えます。

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コミュニケーションとは身ぶりを交わしあい、その身ぶりにお互いが反応するという相互作用であるならば、「何度言ったら分かってくれるの!」という発言は、自分が相手に何度も同じことを言っているのにきちんと理解されなかったという反応に対して怒りを覚えている発言であって、一見両者間の関係性は良くないように思えますが実はコミュニケーションが取れているのではないでしょうか。自分が言ったことが相手に上手く伝わっていない、つまり情報伝達が上手くいっていないとしてもコミュニケーションと情報伝達は別物であるため、相互作用による偶発性の高さから「何度言ったら分かってくれるの!」という発言が生じたのではないかと思います。この発言の次に相手が「ごめんね、もう1回言ってくれたら覚えるから」などと反応すれば穏やかなコミュニケーションになり、「覚えられないものは仕方ないだろう」などと発言したり無視したりすればその反応を受けた側はさらに苛立ちを覚えたりと不穏なコミュニケーションになります。ここで諦めたり反論することをやめたりしたならば、お互いの反応がなくなる訳なのでここでコミュニケーションは終了します。私が「何度言ったら分かってくれるの!」と発言する立場であれば、その後もしつこく同じことを繰り返し言って相手に理解させようとすると思います。しかしそれでは恐らくそのうち相手の反応がなくなりコミュニケーションがとれなくなるのではないかという考えに至りました。コミュニケーションの効果である相互作用による偶発性でコミュニケーションが終了してしまうことが起こる可能性があることはやはりコミュニケーションの難しさを感じさせます。「何度言ったら分かってくれるの!」というシーンではコミュニケーションが取れていると言えるが、お互いの反応次第でコミュニケーションが終了してしまう可能性もあると言えるのではないでしょうか。

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私は「何度言ったらわかってくれるの!」この文章を見て直観的に相手は怒っていると読みとりました。なぜなら、このセリフを言われる時は、何回も注意されているのにもかかわらず自分は同じ間違えをし相手をイラつかせてしまう経験があるからです。しかし、文字だけでは本当に怒っているのかを判断するのは難しいです。直接言われる場合、相手の表情や身ぶり、口調を直接感じることができ、相手の感情が正確に読み取ることができます。私が実際に直接このセリフを言われた時の相手の身ぶりは、貧乏揺すりや、腕を組んでいました。口調は早口で、低めのトーンでした。このような経験を思い出してみると、今回の授業で学習したコミュニケーションは情報伝達ではなく、身ぶりを交わしあう相互作用だということに納得がいきました。私はコミュニケーションについてどちらかというと、身ぶりという動作よりも話すという動作が重要なのかと思っていました。例えば、コミュニケーション能力が高いという人は話す話題や盛り上げる話し方が上手いことを指すのかと勘違いをしていました。たしかに、話すという能力もコミュニケーションでは大切な能力ですが、身ぶりという土台があっての話し言葉を媒介するというのが私の中で新しい学習でした。コミュニケーションの進化という動画では、コミュニケーションの始まりは合図や身ぶりを使って気持ちを表現するとあり、気持ちを言葉にして話すということが始まりとは書いていませんでした。さらに気持ちを表現するのに、火や太鼓、笛などを使っていたのが驚きました。次のコミュニケーションは壁などに書くことに進化していきました。さらに、伝言を配達し、電話が発明され離れていてもコミュニケーションを取るのが可能になり、インターネットの普及で国を超えてコミュニケーションができるような時代に進化しました。コミュニケーションのレイヤーは時代ととも進化をし、さらに多くの層が重なっていくと考えました。同じセリフでも文字だけと言葉と身ぶりの同時ではお互いが受ける影響が全く違う場合も生じてしまいます。現代ではSNSでそれが起こっています。例えばLINEで、絵文字なしの文章を送った場合デコーディングが怒っていると感じとってしまうことがあります。エンコーディングは怒っていなかったため、お互いに違う影響を及ぼしてしまいます。やはり、文章だけのコミュニケーションは感情がないので面白みがありません。しかし、絵文字や動くスタンプなどを活用することで身ぶりと似たような効果を発揮するのではないでしょうか。

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私は「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンは大まかに分けて2パターンあると考えます。1つ目は話を聞いていても内容が理解できないというもので、2つ目はまず話を聞いていないという2つに分けられると考えました。私はこの二つをアルバイトの際に体験しました。まず、前者ですがこれは仕方のないことだと思います。私のアルバイト先では高齢者の方が多く、新たに追加された電子決済やポイントシステムなどを説明してもなかなか分かってくれません。人にもよりますが新たなものに対応するにはそれなりの時間がかかることもあるので何回言っても理解してもらえないのは仕方ないと思い、手ぶりや資料を使って丁寧に伝えることでゆっくりですが理解していただけることも多々あります。次に話を聞いていないということですが、レジに来てもイヤホンを外さず、スマホから目を離さないという人も時々います。これは、相手に聞こうという意思がないためこちら側にはどうすることもできません。授業であったように人間は言葉以外にも身振りや手ぶりや表情を使ってコミュニケーションを取りますが、このような人はこちらから言葉や動きを何度発信したとしても受け取ることすらしません。コミュニケーションをとるにあたって発信する側もわかりやすいように発信することも大切ですが、受け取る側も大切だとこの体験を通して実感しました。人間は「目は口程に物を言う」ということわざがあるように目でも感情を表す生き物です。実際に犬など多くの生き物は白目はほとんど見えませんが、これは目でコミュニケーションを取らないからとされる説もあるほどです。まず、身振りや表情を媒介とした相互関係が無ければそれ以上のやり取りはできません。よって、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンでは一定のコミュニケーションが取れていても情報の伝達が上手くいかないということと、コミュニケーションが取れないという2つがあると考えました。

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コミュニケーションで起こる摩擦を考慮するにはそれぞれの人が持っている観点によっておこるのではないかと思います。「何度言ってくれたらわかるの?」という場面で起こっていることは、わたしはその話題をどのように受け止めているのかの違いではないかと思います。私の父親はランチョンマットの仕舞方など何年も母親に怒られているのですが、まったく治らない上に直す気がないのです。母親はこのことを直してほしいために正面から意見をぶつけているのですが、父親がこの問題に関しては無関心のため摩擦が起きていると思います。しかしこの摩擦は夫婦間では少なくとも解決できない問題で、それはコミュニケーション以前に育ち方などによってどこに気を使うかなどが違うため、一生この会話を続けているのかもしれません。またこの話をしている環境が対面で話している時ではない場合も話が変わります。コミュニケーションにおいて作用するのは声だけではなく、表情やしぐさなどもかかわってきます。そのため、ある一定のコミュニティ間では身振りやしぐさに対する共通認識をつくります。夫婦間でも間や相槌のタイミングなど二人だけの文化として築き上げたものです。身振りが国によって異なっていることは知っていますし、家族で旅行に行った際にうまく伝わらなかったことも実際に肌で感じました。文化や個人の背景によって摩擦が起きるというのが私の結論です。

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私は、話す側と聞く側で言葉のとらえ方が大きく違っているのだと思います。理由は、男性と女性の性別の違いや、若い人と年を取った人の年齢の違い方などで言葉のとらえ方が大きく異なると思うからです。女性「また靴下脱ぎっぱなし。少しは大人になってよね!」男性「わかったけど、そんなガミガミ言うなよ。君も大人になれよ」みたいな口げんかの場面では、女性は「身の回りのことは自分でやれ」と怒りっぽく言うのに対して、男性は「感情的になるな」というのが、よくある場面だと思う。これらの会話から、女性は共感を得るために感情的に話すことが多く、男性は客観的に話をする傾向が強いことがわかります。他には、「日本一周」という言葉もいくつかのパターンでとらえ方ができます。1,「北海道から沖縄まで縦断」2,「日本の島の周りを一周した」3,「47都道府県のすべてに行った」のように多くのとらえ方があると思います。話す側と聞く側で「日本一周」という言葉を同じ意味でとらえるとは限らなく、このような言葉のとらえ方の少しの違いが、人と話をしていく中で、大きな違いになっていき、話が全くかみ合わなくなっていくのだと思います。しかし、これらを一個一個説明していくわけにもいけないため、話の途中で認識のズレがないか、確認のため相手に問いかけてみたりすると、話の認識のズレに早く気づくおとができ、話がスムーズに進んでいくと思います。

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私はまず「何度言ったらわかってくれるの」と発言している側が普段から何事かについて注意あるいはお願いをしていると推測します。対して発言された側はこの発言が本当ならば何度も説明されていることから同じ過ちを繰り返していたり、注意されたことを気に留めていない、あるいは前回注意された内容を忘れていることが考えられます。このようなバックグラウンドがあったうえで、発言された側は今までと同じように何かしらの間違いを起こし、注意されています。 ここでコミュニケ―ションとして発言した側は怒っているだけでなく、場合によってはなぜ何度同じことを言われても改善してくれないのかとあきれるような口調で話しかけている可能性もあります。身振りは手を前に広げ相手に問いかけるような動作が考えられます。たいして注意された側は二通り考えられます。一つ目は以前から反省しているにもかかわらずまた同じことをしてしまい申し訳なさそうに話を聞いている。二つ目は依然言われていたことを忘れていた、あるいは今言われて思い出したなどしてあまり重く受け止めていない場合です。前者であれば言われているときはうつむき受け入れますが、後者は反省した態度をとらないどころか、完全に忘れていた場合はそんなこと言われていないと反論することも考えられます。

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「何度言ったらわかってくれるの!」といわれる側である私が今回の講義を受けて思うのは、そういう状況になってしまうのは言う側の言葉以外の何かが印象として大きく残ってしまうからではないでしょうか。たとえばあまりにも低い声であったり大きく騒がれたりすれば、「うるさかったな」だとか「こわいな」だとかそういう印象が先行して中身が記憶に残りにくい気がします。コミュニケーションは言葉だけではないし、むしろ声のトーン、表情、身振り手振りのほうが強い印象を与えます。特に目から直接情報が与えられる身振り手振りや絵をかいて伝える、表情を出すなどといったものは言葉よりももっともっと昔からあり、よりコミュニケーションとしては人間になじんでいるのだと今回の講義でも改めて感じました。そういうことを考慮すればやはり、現代では言葉の表現の拡張という役割を果たしているほかの要素が強く出てしまうことで言葉という一度読み込みが必要なものの処理が後回しになり理解が遅れるということは起こりうるのではないでしょうか。  また、上記の言葉が「何回言ってもやってくれない」ということではなくただただ単純に「自分の考えが理解されない」ということであればそれはノンバーバルコミュニケーションという強い力のせいではなく、「価値観が違うから」の一言に尽きると思います。例えば「木」という言葉一つとってもそもそも思い浮かべるものが人によって違います。「木」という言葉を聞いて「植物の一種を指すための用語。樹(き)、樹木(じゅもく)とも言う。」という辞書みたいな言葉が思い浮かぶ人はまず少なく多くの人が実際の木を思い浮かべるでしょう。しかしその想像する木は人によって異なり、広葉樹であるからかもしれませんし、針葉樹かもしれない、果物のなるものかもしれない、熱帯にあるものかもしれない、身近なものによって変わります。そんな言葉の意味さえ多様な中で勘違いしないということほど難しいものはないでしょう。それに、いくら言葉で説明されてその内容が分かったとしてそれは解釈しているだけで、本当の理解ではないのです。「百聞は一見に如かず」というようになによりも実感がモノを言います。コミュニケーションを言葉でしようと思うならそこら辺についての覚悟や理解はしてしかるべきでしょう。

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私はこのシーンで生じるものは相手を疑うという不思議な気持ちと考えています。人間と人間が行う最も古く、それでいて最も重要なコミュニケーション手段は、いうまでもなくコミュニケーションです。人類のコミュニケーションの起源は、人とコミュニケーションをとるための身振り手振りです。その後、言葉や文字ができて、絵や文字で情報を伝えるようになってきました。心から耳を傾けるということは、相手を大切にするということにつながります。相互的な情報通信交換することができます。人々のコミュニケーションは生活習慣・生活能力、思いやりや善悪の判断などの基本的な倫理観や社会的マナーなどに影響されます。アルバイト先で、すごく忙しいです。仕事する際、新人がミスが出ました。上司は新人に「さぼってるの、まじめにしろ」と叱りました。新人は入ったばかりので、できない仕事をやらせて、ミスを出るのが避けないと言って、2人が喧嘩しました。人間のコミュニケーションで重要なことは、人間の間でさまざまな意味のやりとりが繰り広げられるだけでなく、そのような情報通信交換の結果、人間のあいだの関係が変わるかもしれません。このように、2人がコミュニケーションを取る際、相互に作用しました。上司は自分の怒りを発信し、新人も自分の不満を伝わっています。しかし、これはコミュニケーションの相互性の喪失と繋がる行動です。相手を疑うという不信感が出てきました。

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 コミュニケーションとは常に相互作用であり、互いの身ぶり反応に反応するものです。そのため質問者が特に意味もなく「何度言ったらわかってくれるの!」という質問をしたときにこたえる人の反応しだいでどこにでも転がる可能性があり偶発性が高いといえます。例えば反応者がその質問に納得した場合は争いなどが何も起きないが、反応者が反発心のある回答をすると質問者にも不信感が芽生えてしまう。私はここでのコミュニケーションは相互作用ということに賛成です。理由は二つあります。  一つ目はコミュニケーションの階層構造に納得できたからだ。身ぶりから話し言葉、そして文字になり最後にメディア技術になるという構造について赤ちゃんから大人になるときの成長過程もこのようなものだと感じました。赤ちゃんは最初言葉がしゃべれないため身ぶりで親に情報を伝達します。次に少し成長してくると話せるようになり言葉で情報を伝達します。そして小学生ぐらいになってから文字を使うようになり、最後にメディアを使うようになります。このような事例からこのことについて納得できた。   二つ目の理由は私自身の経験に基づくものです。自分の言葉を相手が自分の意図していないような意味でとらえられてしまいトラブルになることもあると思います。  現在、SNSの流行によりSNSが自分自身の体の一部のようになっている人も多いと思います。しかし文字による発信だけだと身ぶり等がないため余計に勘違いされやすくなります。そのため相互性を回復させていくことが大事だと思いました。

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 私は自分自身の言いたいことが相手にうまく伝わらずイライラした感情を持ってしまっているこの現場において、お互いの会話と身振り手振りなどの身体動作によるコミュニケーションが不足し、マルチモダールと呼ばれる階層構造で必要となる基盤の身振りを媒介にした相互作用がなされていないと考察します。同じような状況を私も過去に経験し困ったことが多々あります。そのことを踏まえ考えることは、何度も同じことを伝える前に、一度目のコミュニケーションで相手に理解してもらえるような身振りの工夫とメッセージを組み立てることが不足していることです。その会話スタイルが電話などのオンライン環境を通じたコミュニケーションかリアルに対面してのコミュニケーションかは不明であるが、声色や抑揚をつけることは可能なはずです。伝えるメッセージの構成が不得意であればその他のコミュニケーションでより分かりやすく伝えようとするのは必然のことだと思う。しかしどのような身振り手振りをすればいいかについてはわかりにくい部分がある。何かを指さしたり、気持ちを表すようなジェスチャー、そして一番大事な要素としては表情も挙げられる。心情が一番表面に出やすい体の部分は顔だと思うし、フェイストゥフェイスで成り立つ会話であるため表情は大切です。相手から同じ内容を復唱してもらうよう頼まれた際、前回と同じように繰り返すのではなくそこで理解してもらえるような努力をすることも求められます。

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私が小さい頃、母親に叱られるとき「何度言っても直らないね!」とよく叱られていました。私の中でも同じ事で叱られている意識はあるのに、また同じ事をやらかしてしまうのはまだまだ幼かったのかなと思いますが、今でも同じように言われることは0では有りません。また、今までの交友関係の中で意思疎通が上手くいかず「何度言ったら分ってくれるの!」と言われたことはありませんが、私が内心思う方は多々ありました。どちらのパターンも共通点としては、伝えたいことが伝わらないもどかしさから来る苛立ちと、伝えられない苛立ちではないかと考えました。コミュニケーションと言うと、小中と「言葉と言葉のキャッチだ。」と言われていた記憶があります。その度に、私はそんな単純なものかと反発する気持ちを持っていました。伝えたいことが伝わらない問題は、言葉選びの問題だけでは無いことがその証拠とまでは言いませんが、根拠になると思います。私の実体験をあげると、例えば、先生が授業中に言った宿題に内容を友人に確認され伝えたところ、複雑なことは言ってないつもりなのですが、伝わるのに時間がかかりました。これは私の言葉選びだけでは無く、相手がこの言い回しで通じるだろうという思い込みもあったのと、相手の理解の仕方に違いがあったのが原因と考えます。これで伝わると思って同じような言葉で、同じような言い回しでただ単にゆっくり言うだけだったり、イライラして所々口調が荒くなるだけだったりしてしまう事で益々この意思疎通の問題が悪化するように思います。伝わらないのでは無く、伝え方が凝り固まっていると言うことです。他にも、思ってることを溜め込んで同じ事が繰り返された何度目かに全て出してしまう日本人の気遣いや思いやりの文化のような側面が働いていることも考えられるのでは無いかと思います。よく遠回しに伝える文化があるせいでトラブルがある事もあると耳にします。あの「察してください。」というものです。良い例としては、何も大丈夫ではないのに、「全然大丈夫~」なんて言うことがあると思います。そして、そこ対して「大丈夫じゃないなら言って?」という言葉がかけられるのが定番です。その「全然大丈夫」は本当の大丈夫なのか、内心では我慢しているのか、分る人と分らない人がいるのが現実だと思います。大丈夫と言いつつ声の調子が普段と違ったり、目がしっかり合っていなかったり、本音では無いというサインは他の場所によく現れています。また、SNS上のやり取りでも文章が短くなることもあります。他の内容だとしても、そのようなサインに気付かない事で「どうして分ってくれないんだ!」と言う気持ちが膨らむのだと考えます。この仕組みと「何度言ったらわかってくれるの!」と言う気持ちが生まれるのは同じだというのが私の考えです。つまり、「話の受け手が分ろうとしてくれない。」「これぐらいで感じ取って。」という思いが」沸いてしまうのです。コミュニケーションは言葉だけだと思っていては、言葉には出ていない他の情報に気付け無いのです。表情、声のトーン、行動の変化、態度など、気付けるポイントは1つではありません。そこに聞き手は気を配りつつ、話し手の話す内容を理解しなければならないと思います。話し手の場合は、伝え方を一つにしては伝える情報が枯渇してしまい、せっかく聞こうとしている相手に一方的な伝達で終わってしまします。「これで伝わるだろう。」「これぐらい分ってくれるだろう。」と思っていてはいけないと思います。どうして伝わらないのか、何を言っているのか分らない、というような問題を起こさないためには、言葉は情報の内容の一つであるという事を認識し、その他のことに目を向け、何が足りないのか、何に気付けていないのかと考えることも大切だというのが私の考えです。そして、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることは、互いに思っていることを感じ取って欲しいという考えを持ってしまっている事で、それに気付けるか気付けないかが問われてしまっているのでは無いかと思いました。このようなコミュニケーションは、言葉の向こう側にある別の情報に気付けなければならない難しいものなのかもしれません。

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このシーンには3つのパターンが考えられます。1つ目は、発信者がコミュニケーションを情報のキャッチボールと考えているパターン、2つ目は、発信者の言語化能力が著しく低いパターン、3つ目は、受信者の言語理解力や実行力が著しく低いパターンです。ここでは、1つ目のパターンであると仮定して考えていきます。なお、「何度言ったらわかってくれるの!」と発言した発信者をA、それを対面で向かって受けた1人の受信者をBとします。この場合、AはSemiotics for Beginners(Daniel Chandler著、田沼正也訳)11章記号化/記号の解読によるところの、「テクスト決定主義」であったと言えます。Aは言葉が発信者の意図した通りに他人に受信されると考えており、その主義のもとにこれまでに何度もBに向かってわかってほしいことを発言してきたのでしょう。しかし、言葉は必ずしも発信者の思う通りに伝達されるものではありません。言葉には複数の意味や解釈があるものが多く、受信者は発信者の言葉以外の身振りやその場の状況等も考慮して言葉を解釈します。また、受信者の価値観やこれまでの経験等も解釈に影響するため、考え得る解釈の選択肢や優先度合いが発信者と受信者で異なります。コミュニケーションとは情報を意図した通りに伝達したり、意思の疎通を図れるものではありません。コミュニケーションとは、言葉を発信する者がいて受信する者がいて、互いの身ぶりに反応するという相互作用のことでしかありません。AはAの主義での「コミュニケーション」が取れていると思い込んでいるだけで、実際にはBにはAの言葉の趣旨は伝わっていなかったため、AにとってはBは「何度言ってもわかってくれない」という状態であると見なしてしまったのです。

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「何度言ったらわかってくれるの!」から感じ取れたのはコミュニケーションが一方通行になっているということです。これを言った人をAさん、相手をBさんだと仮定すると、AさんはBさんに少なくとも二回以上は同じ何かを言っていると思います。実際、私も母にリビングにバックを置きっぱなしにすると同じことを言われます。つまり、このことから、Aさんの言っていることが思い通りになっていない=相手に伝わっていない①、又はわかっているが無意識に同じことをやってしまっている②、又はAさんの思っていることとBさんの思っていることに相違③があることが想像できます。②の場合明らかにBさんが悪いのは明確ですが、①と③ではそうでしょうか?この点から話を広げていきたいと思います。まず、私たちには様々な方法で相手と意思疎通ができます。今回話題で取り上げられた通り、言葉や書き、ジェスチャーなど様々あります。しかし、これらは互いに共通しているもの同士でなければコミュニケーションではなくなります。今回参考にした動画の中にも国でジェスチャーの意味が異なるものが紹介されていた通り、共通したものを挟まなければ、私たちはコミュニケーションを取ることができないと思いました。 また、互いに同じ認識を持っている媒介を用いてコミュニケーションを取っても相手の態度、言葉の選び方ででまた伝わり方が変わってくると思います。コミュニケーションとは、言葉を通して相手の意思を共有できる数少ない媒体だと思います。私たちはコミュニケーションという媒体をうまく使っていくべきだと思います。

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 私は今回の講義でコミュニケーションについて自分が誤解をしていたことを学びました。私はコミュニケーションというものは言語の壁に最も頼り、言語の壁を壊すことがもっとも難しい行為であると思っていました。コミュニケーションが身振りによる相互作用によって取られるということは言われるまで気付くことはなかったと思います。相互作用によってコミュニケーションはどこにでも転がるという点は私も同じだと思っています。何度言ったらわかってくれるの!というコミュニケーションにおいて起こっていることはまずはこの発言によって発言を受け取る側は怒っているという態度を理解し、反発、反省、謝罪などの思いを抱きます。そして次の言葉を発するわけですが、コミュニケーションの階層構造の中で今の会話だけだと1番と2番の2つしか起きていないと思います。これは私が食べた後のお皿を片付けない夫がその妻に怒られているシーンを無意識に想像しているが故にこう思っているだけであって、もしかしたら置き手紙で妻が夫に怒っている可能性もあるし、LINEなどのメディアで怒っている可能性もあるので実は3番と4番の構造も否定できません。ではなぜ1番と2番しか起きていないと思ったのかというと最初にも述べた通り、コミュニケーションとは身振り手振りなどの行為を相互に交わし、言語の壁を超えて取るものだと学んだうえで思ったからです。ですのでこのコミュニケーションにおいて生じていることは身振りと言葉による相互作用であると思います。

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「何度言ったらわかってくれるの!」という言葉からは相手に自分の考えが伝わらないことへの苛立ちやもどかしさ、怒り、悲しみを感じました。「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンは実際に言葉に出して発言しているシーンと相手には言わずに心の中で発しているシーンが想定できます。そこでそのような「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンの時にどのような状況下がうかがえるのか考えてみました。まずは相手と自分が同じ言語を話すときです。同じ言語を発する相手には言葉自体は通じますが、その言葉の意味が本当に相手に伝わっているとは限りません。自分の伝えたいを相手が理解してなかったり理解していても行動に移せなければ話し手は自分の伝えたいことが相手に伝わっていないと感じ同様に「何度言ったらわかってくれるの!」と思わず発してしまう時もあるでしょう。次に言語が異なる相手と意思疎通をするときです。言語が異なる相手には当然言葉を使ってのコミュニケーションは難しいでしょう。そこでジェスチャーを使って伝えようします。ところがYouTubeで紹介があったように国ごとにジェスチャーの意味が異なりますのでうまくいかないこともあるでしょう。ジェスチャーの意味が異なり、相手に言いたいことが伝わらないときに恐らくこの「何度言ったらわかってくれるの!」という言葉が浮かぶと考えられます。ノンヴァ-バルコミュニケーションについて調べているとメラビアンの法則について書かれている記事を見つけました。メラビアンの法則は「話し手」が「聞き手」に与える印象のうち、話す内容による影響は全体のたった7%で、残りの93%はノンヴァーバルな要素(聴覚情報38%・視覚情報55%)であるという法則です。たしかに同じ内容のスピーチを読み上げても下を向いていて声が小さい人と、しっかりと目線をあげ、大きな声で、真剣な表情で何かを訴えかけている人がいたら後者の方がメッセージ性を感じるでしょう。この法則はコミュニケーションが共通の言葉は関係なく、身ぶりの交わしあいという相互作用ということをまさに裏付けるものでしょう。このことを踏まえると上記で予測した相手と自分が同じ言語を話すときに「何度言ったらわかってくれるの!」が生じるシーンは実際にその言葉に発していなくても相手の声のトーンや仕草、表情から伝わらないことへの苛立ちやもどかしさが垣間見えると思いました。 以前のコミュニケーションの手段は言語同じ相手であっても異なる相手であっても全て対面で繰り広げられる相互作用でした。ですが文明の利器の登場により、身ぶりを媒介にした相互作用・話しことばを媒介にした相互作用だけでなく、文字を媒介にした相互作用・メディア技術を媒介にした相互作用が登場しました。こういった新たな相互作用の登場によってより私たちがコミュニケーションの中で言語以外に感じ取るべきものが増えた気がします。情報化社会はコミュニケーションがあってこその社会だと思います。授業の中で会話がうまくなる本によって人と簡単にしゃべれるようになったと紹介されていました。会話が上手くなったのは相手の話にどのような身振りをすればより良い相互作用が生まれるか分かったからだと思います。私も自分自身がより良い相互作用が生まれる身振り手振りを学び、コミュニケーションもシチズンシップも兼ね備える人間になりたいと思いました。

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コミュニケーションは相互作用であり、偶発性があるということに再認識させられた今回の授業でした。 確かに、今回の例「何度言ったらわかるの?」でいうと、いくつもの返答パターンがあると思います。例えば、受け手が罪の意識があれば「ごめん、次から気を付ける」などの謝罪の言葉がきます。 受け手が罪の意識が無い場合は「なんでそんないうわけ?」「いちいち言わなくてもいいじゃん」という逆ギレのような言葉がくると思います。また、受け手以外の人が話に入ってくる可能性も考えられます。たまたま聞いていた家族が、「まぁまぁ」と仲介に入るということもありえます。 話し手は謝罪の言葉を予想しても、受けての考え方次第では180°思っていたことと違う返答や、第三者が介入してくるなど、コミュニケーションは偶発性が高い思いました。 コミュニケーションはいろいろなレイヤーから成り立っており、基本のレイヤーが「身振」であるという話を聞いて、確かにと思えました。 「出川イングリッシュ」と最近SNSで聞きますが、これは出川哲郎が異国の地で身振りだけでその地の言語が話せなくてもコミュニケーションをとれているということを意味しているのですが、まさに、身振りがコミュニケーションの土台になっていることを私たちに教えてくれていると感じました。 今回の「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンでも、一見文字だけ見たら怒ってそうな雰囲気ですが、その時の身振りによっては実はふざけているかもしれませんし、楽しそうにしているかもしれません。 身振り次第でコミュニケーションが全く違うものになるということに気付きました。 ここからもコミュニケーションの土台に身振りがあるのだと実感しました。

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まずコミュニケーションとは相互作用であるので、「何度言ったらわかってくれるの!」とはその発言をした人とそれを受け取る相手が前提として存在します。しかしこの発言をした人が必ずしも意図したようで受け取りては意図を受け取るとは常には限らないので、まずこの発言をしていた人がなんどその発言の元のことを言ったとしても身振りや発言の真意を受け取りてに明確に伝えていない状況が続いていてしまった場合が続く可能性がとても高いので最終的に意図が伝わり続けなかった結果「何度言ったらわかってくれるの!」という発言につながってしまったと考えられます。またただこれは会話を対面でした場合でだけでなくて、仮にこの会話の前の会話がSNSなどで行われていた場合、受けてが文面だけでその意図や真剣さをしっかり受け止めることができていなかった可能性が高く、やはりそういう意味でも相互座礁には発信した地点でどこにでもころがるという偶発性がこのような二者の間のコミュニケーションのすれ違いが生まれるのだと思います。またこれを解決するためには身振りなどをいれたり会話をする際などに表情をとりいれたりすることで相手に自分の真剣さを伝えることで偶発性を減らすことで確実性を高める必要があると思います。

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私は、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンで生じていることは、捉え方の食い違いだと思います。今回の講義で、コミュニケーションには多層性があるということを学びました。多層性があることによって、人それぞれ異なる捉え方ができてしまい、そのような食い違いが起こってしまうのではないかと考えます。多層性があるゆえ、コミュニケーションには予想外の出来事がつきものです。自分にとっては分かりやすい説明でも、人にとってはそうではないことが度々あると思います。自分が伝えたいことが相手に伝わらないと、もどかしい気持ちになることもあると思います。しかし、その際にいちいちイライラしていたらキリがないし、コミュニケーションを楽しめなくなってしまうのではないでしょうか。また、以前テレビを見ていたときに、英語を全く話せない芸人が海外ロケをして、現地の人から情報を聞き出すという企画を見たことがあります。その芸人は英語こそ話せないものの、たくさんのジェスチャーを交えてなんとか伝えようとしていました。結果的には、ほとんど単語とジェスチャーだけでコミュニケーションを成立させることが出来ていて、心底驚いた記憶があります。当時は、なぜ言葉が話せないのに相手に情報を伝えることが出来るのだろうと疑問に思いました。しかし、今回の講義で、コミュニケーションとは情報のキャッチボールではなく、身振りの交わし合い•相互作用であるということを学んで、自分の説明や考えが伝わらないことをもどかしいと感じてしまうのは、コミュニケーションを情報のキャッチボールとして間違った捉え方をしてしまっているからであると考えました。本来コミュニケーションというものは、情報のキャッチボールではないため、自分の話を受けて、相手がどんな反応をするかは分かるはずがありません。そのため、予想外の返答をされるのが当然であると思います。そのことを理解して、たとえ捉え方の食い違いが起こって、相手から予想外の返答があったとしても、そこがコミュニケーションの醍醐味であると受け止めて、他の人の捉え方を理解しようとするのが本当の意味でのコミュニケーションということになるではないかと考えました。

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私は、「何度言ったらわかってくれるの!」というシーンにおいて、「?」ではなく「!」であることから「あと1度でわかる」というような答えを聞いているわけではなく、わかってくれないことに対する怒りや嘆きを表しているように感じました。このシーンで、例えば笑いながら話していれば仲良くふざけているということも考えられますが、動画の矛盾したメッセージのように仮に笑っていたとしても内心では怒っていることも考えられます。また、身振り手振りでも印象は変わりますが、ジェスチャーは国によって意味が変わることもあり、日本ではお金を意味するジェスチャーも他国では理解されないように、古くからあるような肯定を意味する頷きや否定を意味する顔を横に振ることでさえ、ブルガリアではそれぞれが反対の意味になることもあるため、ジェスチャーによって相手が受け取る印象は、同じ国の人同士に限定すればそのジェスチャーによって似通った印象を持つこともあると考えます。そしてその後の相手方の反応による相互作用では、仮に今回のシーンを怒っていると判断したとしても、反省し謝った場合と無視や沈黙をした場合ではその結果は大きく変わると思います。無視が不快であるという態度を表したり、沈黙が話したくないあらわすことなどから考えると、おなじく相手は怒っていると判断したばあいであっても、無視や沈黙よりかは謝罪をすることのほうが比較的好印象を抱くのではないかと思います。また、相手の反応次第で会話の繋がり方コミュニケーションによる相互作用は変わっていきますが、憲法によって認められている黙秘権では、黙っていること自体が黙秘権を行使しているというようなメッセージになりえるため、相手の返した反応に対する印象はそのときの状況によって変わると考えます。次に、身振りを一番下として、話し言葉、書き言葉、メディアとバベルの塔のように積み重なっているコミュニケーションの方法としては、上のものが使われるようになるほど下のものは使われにくくなっているように感じます。私自身は、インターネットを使用することはあっても身振りを付けて話すことはほとんどなく、話すことより書くことでコミュニケーションを取ることの方が多いです。コミュニケーションの歴史は火を使い始めた時代より、身振りによる会話から、話言葉やラスコーの洞窟壁画のような絵、その次に文字や印刷、ラジオや電話、そしてコンピュータやインターネットと移り変わってきましたが、最初の印刷機であるグーテンベルクの印刷機や最初のラジオ、テレビは現在にまでわたって、解像度や性能などの機能だけではなくサイズやデザインが家庭で使いやすいものとして取り入れられるように変化しており、インターネットも多くの人に使われています。しかし今回のシーンに関して、話言葉による声や身振りがないメールなどの文字としてみた場合、会話の前後関係があったとしても理解しきれない場合もあるのではないかと考えます。エンコーディング(記号化)とデコーディング(記号の解読)によって、そのメッセージを記号化したものの理解についても発信者、受信者ともによく考えなければならないと感じました。

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授業内の動画でも紹介されていたように、うなずいたり首を振ったりするジェスチャーは国ごとによってイエスなのかノーなのかという意味合いが変わってくるため、他国の人とコミュニケーションをとる時には誤解が生じてしまうことがあると思います。また竹中直人さんが登場していた動画では、笑っていながらも大声で怒鳴っていて、自分の表情と行動に矛盾があると相手に自分の考えが伝わりにくいのではないかと考えました。人と人がコミュニケーションを行う際には、相手の発している言葉そのものだけでなく、相手の表情や身振り手振りなどのジェスチャー、声のボリュームやトーンの高さなどが大きく関わってくると実感しました。自分が特に意図していなかったとしても、そうした些細な言動や行動の一つで相手との誤解が発生してしまい、溝ができてしまうと思うので、お互いに不愉快な思いをしないためにも自分の言動や行動の一つ一つに意識を向けていくべきだなと改めて気付きました。自己中心的に考えるのではなく、コミュニケーションをする相手のことを第一に思いやって、どうしたら相手に自分の本当に思っていることをそのまま伝えられるかということに配慮することが大変重要になってくると感じました。特に、相手と直接会わずにメールやLINE、電話などでコミュニケーションをやり取りする時はより一層細心の注意を払わなければならないと思います。そうすれば、「何度言ったらわかってくれるの!」という現象も最小限に抑えて、人とのコミュニケーションをスムーズに行う」ことができると考えました。

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まず、「何度言ったらわかってくれるの!」というセリフから、何度も言葉によってコミュニケーションをはかろうとしていることが分かります。この場合のコミュニケーションは、「コミュニケーションの階層構造」の2層目「話しことばを媒介にした相互作用」に当たります。この2層目でつまずいているということは、この2層目もしくは1層目「身ぶりを媒介にした相互作用」のどちらかの階層で問題が起きていることになります。1層目で問題が起きているとしたら、身ぶりの不足(例えば、誤っているのに頭を下げない)や不適切な身ぶり(例えば、「お願い!」と言っているけれど顔が真剣じゃない)、そもそもお互いの身ぶりに共通の理解がない、などが挙げられるでしょう。2層目で問題が起きているとしたら、論理的に話ができていないことや、1層目と同じで共通の言語理解がないなどが挙げられると思います。しかし、このセリフだけでは、言っていることが「実際に」理解されていないのか、もしくは理解されていないと「思っている」だけなのかが分かりません。コミュニケーションは偶発性の高い相互作用であるため、ちょっとしたことで変わってくるでしょう。しかし、より良い相互作用を求めるのであれば、コミュニケーションの階層の手順を踏むべきでしょう。

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まずこのシーンでは話し言葉を媒介にした相互作用が生じていると考えます。相互作用では相手の反応次第で話の方向性が変わっていきます。このシーンでは相手が機嫌を損ねてしまった場合、さらにコミュニケーションとして悪化していきます。これに対し、相手が自分の非を認めたり、あきらめた場合には悪化することはないと思います。「何度言ったら」という表現を用いることで過去に何度も言っていて相手を呆れさせてしまっていることを訴えることが出来ます。また、この表現は疑問形ではなく言い切りの形になっています。これに対し「あと三回」などというのはコミュニケーションとして正しいとは言えませんが、これが話し言葉であっても顔を合わせて話さなかった場合や、話し言葉ではなく書き言葉だった場合は、このような本来の意図からそれた発言が相手から発せられる可能性もあると思います。これが身振りを媒介にした相互作用の場合は、さらに自分があきれているということをジェスチャーで伝えたり吸うことが出来ます。この際に利用されるジェスチャーは同じ国の出身であれば通じますが他の国の人同士で話す場合は伝わらなかったり、違う意味で取られる可能性もあると思いました。

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発言者が複数回発言したことについて何の行動も起こさなかったために、苛立ちを感じている状況であると感じます。また、受け手が(複数回言われているために)無視や薄い反応をしてしまい、その反応がコミュニケーションとして相手に伝わり苛立ちを感じたということも想像できます。この状況の問題点は、発言者が何度も言葉にするほど感じていた不満や要求を受け手が軽んじていたところにあると思います。こういったことを起こさないためには、受け手のしっかりとした態度が求められると考えられます。しかし同時に、話し手が「何度言ったらわかってくれるの!」と発言する前にきちんと要件を伝えられるような工夫をしたのか、という点も考える必要があると感じました。恥ずかしながら自分も「何度言ったらわかってくれるの!」と言われることがよくあるので自分の聞き方を気をつけようと思いました。