2021-01-13

情報倫理とセキュリティ2020後期13情報倫理としてのメディア・アクセシビリティ投稿集

情報倫理とセキュリティ2020後期13

55 件の回答

55

応答

平均所要時間: 24 分 41 秒

24:41


1. 今日は軽く行きましょう。本日のテーマについて、あなたが注目したことは何ですか。そしてそれはなぜですか。500字以上。ラジオトークのように「私」を主語にして「ですます調」で書いて下さい。締切は2020年12月19日午後11時30分。 https://www.econorium.com/2020/11/10.html

55応答

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応答

1

倫理という問題でかなり問題にされるのは、トロッコ問題についてです。一人を助ければもう片方の人が死ぬといった、どちらか一人しか助けられないという問題であったり、有る状況下では、1人を犠牲にして沢山の人の命を救うことは全く正しいことに思える一方で、同様の命の救い方が、良心に欠けると感じられる状況も有ります。ハーバード大学の社会心理学者Mahzarin Banajiは「興味深いのは一貫性にかけていることだ」「我々は突如としてカント主義になるばあいがある」などといわれています。語人が線路上で動けない状態にあって、そこにトロッコが向かっていると想像してみると、ポイントを切り替えてトロッコを側線に引き込んで,その5人の命を救う、といった方法が選択できます。ですが、この場合は、切り替えた側線上で1人がトロッコに惹かれてしまいます。多くのは多数決的なもんだいで悲しいことですが、この選択肢を取ることでしょう。といわれています。がここで、橋の上で見知らぬ人の横に達、トロッコが5人の方に向かっていくのを見ていて、トロッコを止める方法は、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落として、トロッコの進路を阻むことしかない状況の問題をだすと、人は5人を救うためでも線路に落とさないと回答する率が85%にも及ぶようです。ちなみに投げ落とすものがチンパンジーの場合は躊躇なくチンパンジーを投げ出す選択肢を取るようです。「自分たちとは異なる要素があると、人間は根本的に異なるとされて、つまり、最大多数の最大幸福によるやむをえない犠牲(他の義務を捨てたことなど)自体は膳とされないで、また善悪判断に関しては、功利主義は目的や結果を評価するのに対して、義務論廃止や動機を評価するのです。義務論では、どんな場合でも無条件で行為の目的や結果を考慮せず道徳規則に従うという形になります」とあるので、ネットでもどこでもこの行動が人間の平均的なものなのだろうと思います。

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本日のテーマで私が注目したことは、非常事態におけるメディアアクセシビリティの重要性です。特に、最近だと東日本大震災を機に視覚や聴覚に障害を持つ人でも対等にメディアが提供する情報を享受できるように、メディアアクセシビリティの向上が求められていると考えます。実際、東日本大震災当時、地震の情報、津波の情報、原発事故の情報、すべてが錯乱した状態にあったことを当時小学生ながら覚えています。また、当時、デマ情報も多く出回り、避難に遅れた人がいることも記憶なあります。また、ただ、錯乱した情報から正しい情報を得ることができず津波の被害に遭った方もいると聞きます。メディアが発信する情報をどのようにすれば混乱した中でも正しく正確に受け取る、または発信することができるのでしょうか。ただ、もし私も災害に見舞われた際、落ち着いてメディアの情報を整理して理解することができないと考えています。そのため、メディアアクセシビリティの向上には、メディア側発信者側の工夫が必要だと考えます。例えば、テレビ、ラジオだと放送局を1つに絞ることや、SNSは国家機関以外のものはシャットダウンするなど、メディア側発信者側ですでに情報を錯乱させないようにすることで、正しく正確に情報伝達が出来ると考えます。コロナ禍もかなりデマ情報であったりたくさんの情報が錯乱しているように感じます。早急にメディアアクセシビリティの向上が必要なのではないでしょうか。

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私が今回の授業のテーマにおいて、注目したことは、医療倫理についてです。その中でも人口妊娠中絶は殺人かというテーマに注目しました。なぜ注目したかというと、人工妊娠中絶について、中学時代の道徳の授業で取り扱ったことがあり、今回のテーマの中で、一番身近に感じられたテーマだと思ったからです。結論から言うと、私は人工妊娠中絶は殺人だと思います。現在日本では人工妊娠中絶が認められるケースは次のような場合にのみ認められています。ひとつは、母体の健康上、妊娠の継続または分娩が困難な場合または経済上の理由がある場合。もうひとつは、暴行もしくは脅迫によって性交の抵抗・拒絶することができなかった場合です。しかし私はこの場合に限らず、人工妊娠中絶はすべてのケースに対して、認められるべきだと思います。妊娠をした上で 誰もが人工妊娠中絶という選択肢を持てるような社会になってほしいと思います。人工妊娠中絶は殺人とと考えているのになぜ、このように考えたかというと、望まない妊娠をして、産んだ上で子供を虐待してしまったり、育児放棄するよりかは、その前に人工妊娠中絶という選択肢を持てた方がおいと思ったからです。しかし中絶をしてしまったという事実を認め、反省はするべきだと思いました。

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私はBuster Keaton in The General (1972)を視聴しました。私はこの年代の作品には大きく分けて三つの魅力的な部分があると考えます。まず一つ目は映像とセリフ尾切り替わりです。当時の映画は音声がないので登場人物のセリフの掛け合いがないためセリフを掛け合う場面で映像が切り替わり登場人物のセリフが文字として画面が切り替わる描写がところどころに存在しています。一見映像が場面から文字に切り替わることによって違和感を感じることがあるかもしれませんが、本の世界を実写化しそのまま映画に投影したような世界観を感じることができてとても魅力的に感じると思います。二つ目は物語そのもののストーリーです映像のみで海外の作品ではありますが映像のみであるからこそ言語が分からなくても話の内容を理解することが容易にできると思います。また現代の作品に比べて、音声と映像の割合が圧倒的に映像の占める割合が多いため、幅広い言語圏の人々に楽しんでもらえると考えられます。三つめは当時の技術えどのように撮影したのか、視聴者自身の好奇心が非常に掻き立てられるという点です。この作品では線路上でのシーンが多く登場人物を様々な角度から映し出しており当時の技術でどのように撮影したのか非常に気になります。当時の見ている人々も同じよな感覚でこの作品を楽しんでみていたのではないでしょうか。ただ単に作品を楽しむだけではなく、当時の時代背景や映像技術を考察、調べることによってさらに一段深い作品の楽しみ方ができることがこの年代の作品の魅力ではないかと考えます。

5

私が本日の授業で注目したテーマは、授業の序盤にお話しされていた、パソコンのキーボードについてのお話です。野村教授のTwitterのコメントから、無刻印のキーボードの写真が送られており、その写真に一番驚きました。なぜこの部分に注目したかと言うと、私は現在、長期インターンに行っており、その活動の中でパソコンを使う時間がとても長いからです。周りがみんなブラインドタッチができるので、私もブラインドタッチを早く出来るようになりたいと強く感じております。その中で、無刻印のキーボードは存在してることすら、知らなかったのですごく驚きました。また、他の人にいじられないからを理由に無刻印のキーボードを利用している人もいると思うと、ブラインドタッチを出来る人は無敵だなと感じます。スマートフォンで済ませようと思えば済ませられますが、どうしても画面が大きい方がレポートを打つ際にも便利なので、キーボードをさえ早く打てれば、課題にもそんなに時間をかけなくてもできるのになと感じます。他にも、授業で話されていた、Windowsのアクセシビリティサポートや点字ディスプレイについても注目しました。これらの理由は、自分が思っていたよりも沢山の種類があることに驚いたからです。音声によるコマンドは知っていましたが、点字ディスプレイはあまり聞いたことがなかったのでこれについても驚きました。今後はAIや情報通信の発達により、打つよりも音声だけで色々やってくれることが増えるのではないかと感じます。今後のパソコンやキーボードがどのように進化していくのか楽しみだなということもあり、今回これらのテーマに注目しました。

6

私が1番興味を持ったトピックは「安楽死は正当化されるべきか」というトピックです。私は20歳を越え、両親などから育ててもらう立場を過ぎたのであれば安楽死というのは正当化されても良いのではないかと思います。もちろん、死にたい!と言った人全員が安楽死できるのではなく長期におけるカウンセリングや心身共の状態を管理しても尚そのような判断をとっても良いと専門家が判断した人という設定は設けるべきでありますが、そのようなことを行えば人身事故や自宅でなくなって長く放置されていたという問題も少なくはなるのではないかと考えます。自殺は自己決定権の放棄という意見も存在しますが、私はそうでないと思っています。現在も安楽死が認められている国は世界に存在していて、言い方は悪いですが「いつでも安楽死ができる」という安心感が逆に勇気がもらえるという点もあるのではないかと考えます。日本人は気を使いがちであり自殺の数も多いと言われています。たしかに親に育ててもらっているうちでは子供に決定権はないとは思いますが成人をして自分で生活している立場になればもう両親は関係ないと考えます。安楽死という選択肢を増やしていくことで気持ちだけでも救われる人も増えるのではないでしょうか。

7

インクルーシブデザインとユニバーサルデザインの違いに注目しました。 色々な人が使えるようにするという似たような意味だなと今日思ったので、その違いを深堀したいと思います。まずそれぞれの定義について改めて整理します。 ユニバーサルデザインはユニバーサルデザインは80年代のアメリカで大量生産されたプロダクトの多くが障がい者に対する配慮がなされておらず、できるだけ多くの人が使えるようにデザインしようとしたものです。この考えを浸透させるためにユニバーサルデザインの7原則を制定しました。 インクルーシブデザインはデザイン界や産業界に対し、これから増加が見込まれる高齢者のニーズや価値観の変化を深く捉える必要性をロジャー・コールマンとピーター・ラスレットが示したものです。彼らはユニバーサルデザインの原則に沿うだけでは高齢者が抱える真なる問題が見過ごされてしまうことを懸念し、個々の高齢者に寄り添い、彼らのニーズや価値観を深く理解したうえでデザインすべきと考え、デザインプロセスに可能な限り当事者である高齢者の参加を促しました。 つまり、ユニバーサルデザインは、原則に則り多くの人が「使える」ものを作ることで社会から排除される人々をなくそうとするデザインアプローチ。公共性が高い場所など多くの人が使えるようにしなければならない条件のもと使われます。インクルーシブデザインは、排除されつつある個人のニーズや価値観を深く理解したうえで、「使いたい」と思わせるものを作ることで社会に取り込もうとするデザインアプローチ。特定の問題や状況の改善を起点とし、より大きな問題を解決しようとするプロジェクトで使われます。「使えるか」「使いたい」かそこが大きく違うところだと思いました。ユニバーサルデザインの先にインクルーシブデザインがあるということですね。違いを知った上で社会を見渡したいと思います。

8

わたしは「動物の権利」について注目しました。これまで動物を「動産」としてきたフランス民法典があります。しかし、ようやく2015年には「知覚能力のある生物」として認めました。豊かな国々では、人間との関係において動物の位置づけが重視されるにつれて「動物法」が整備され始め、「動物の権利」が定義されつつあります。「動物の権利」というのは、苦痛を感じる能力があること(そのための感覚器官や神経組織、脳を備える)をはじめとして、感情や欲求を持つこと、知覚、記憶、未来の感覚があることなどを基準に、そのような動物にはなるべく自然のままに生きる権利や、人間に危害を加えられない権利があり、人間はそれらの権利を守る義務がある、という考え方です。苦痛を感じる能力のある動物に対して、苦痛を与えることをやめるべきです。そのためには、動物を犠牲にする私たちのライフスタイルを変えていく必要があります。苦痛を感じることのできる相手に対して、あえて苦痛を与えたいと思う人は少ないはずです。そのように配慮する対象を人間に限るのではなく、動物にも広げるべきだと思います。動物の権利を認めることは、人権とは、「人間であれば当然有する権利」「人間であれば 論理必然的に認められる権利」であるという観念に変更をもたらすことになります。関係省庁による規制ができるように動物愛護管理法を改訂するか、「動物実験に関する法」を制定すべきであるとわたしは考えます。このことによって、できるかぎり動物実験を規制することを通して動物保護がこれまでより強化でき動物の立場が高まります。「動物の権利」をどう構成し主張していくのかは、今後の大きな宿題です。

9

今回の講義で先生が会議資料の文字の大きさが10.5ポイントだと小さくてよくない、とおっしゃっていたのが印象的でした。私はいつもwordで課題を入力する時の基本設定が10.5ポイントで、これが常識だと思っていましたから、資料も同じサイズで印刷していました。これから高齢化していく社会でマジョリティーは老眼に悩まされている方になると思います。今回の講義で初めて、その文字の大きさでは万人に優しくないのだな、と気付かされました。一方私もこの授業の課題を提出する必要があるけれど、一時的に文字を打てない問題を抱えたことがあります。それは先月に40度近い高熱を出した時です。あまりにも体がだるくて辛かったため、とても勉強机に座ってキーボードへ打ち込みはできませんでした。そんなときにiPhoneの音声入力に助けられました。この機能を使えばベッドで横になりながらでも、文章を入力することができるのです。入力できなくなって初めて、音声入力機能はこういう問題や障害を抱える方のためにあるのだと気付かされました。できなくなってから気がつくのではなく、常に誰にでもアクセシビリティが高い学校、企業、社会に変化していければ、人々がより過ごしやすくなると思います。

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私が今回注目したのは医療倫理についてです。近年の医療、医学の進歩により医療の倫理について重点が置かれるようになったと感じます。医療の倫理というものは固有に定義できるものではなく、時代の流れとともに話題も変化するという特徴を持っています。日本医師会もこの医療の倫理を向上を目標としていてさまざまな取り組みが行われています。しかし医療倫理というものは変化すると同時にさまざまな問題も出てきているのが現状です。昭和40年ごろにはアメリカを中心に医療における患者の人権擁護という視点から患者の自立性、自己決定権、インフォームド・コンセントの尊重ということが重視されるようになり、日本でも昭和60年ごろから医の倫理についてのこの新たな考えが認識されるようになり、また、脳死体からの臓器移植や終末期医療、遺伝子治療、生殖補助医療など、これまで考えられなかった医療行為についての倫理問題が起こるようになりました。平成16年には「会員の倫理・資質向上委員会」というものを立ち上げ、倫理は個人の自覚に基づくもので医師会会員各自が倫理について何が問題なのかを認識することが最も重要という考えに変わりました。このように医師会各員で医療倫理について考えていくというものになっています。私も最近ニュース等で安楽死問題や患者情報の守秘義務、インフォームドコンセントなどの特集を多く見かけるようになったと思います。現在コロナウイルス等の状況下、医療倫理をはじめとした医療に関することは世間からの注目を集め続け、日本のみならず世界中で今後も議論されていくものだと感じました。

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本日のテーマの中では、私は利用者を最優先に考えることを原則とした「インクルーシブデザイン」と呼ばれるデザイン手法に最も注目しました。私がこの「インクルーシブデザイン」に注目した理由としては、超高齢化やグローバル化が急速的に進みつつある現代の社会においては、幅広いユーザーが製品やサービスに触れ、インターフェースを利用する可能性が高くなってきているからです。実際、近年の利用者たちの状況はさまざまであり、年齢や性別、国籍や宗教、身体の障がいの有無といったものは大きく異なってきています。そのため、より多くの人が製品やサービスに触れることを目的とした「インクルーシブデザイン」では、少数派の利用者が持っていた特別なニーズを最優先に考え、デザインを設計していくことが可能となっており、これまでの概念では決して生まれることがなかった新たなイノベーションの発掘に繋げていけるのではないかと思っています。以上のことから、現代においては、人々が置かれているさまざまな状況や多様性を認めた上で、変容をしていけるような社会システムが必要不可欠であり、「インクルーシブデザイン」のような国際的な取り組みを行っていくことが重要であるように私は感じます。

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私は今回の講義でインクルーシブデザインという言葉は初めて聞きました。インクルーシブデザインとは利用者を最優先に考えて、永続的な障害がある利用者、一時的または状況的な困難に直面している利用者、あるいは能力が変化していく利用者のニーズに合わせてデザインすることなのです。今まで何も意識せずにインターネット上にあるホームページやブログや動画を見ていたがそれは私が目が見えて耳で聞けるからです。障害で目が見えない人や耳で聞き取れない人がいるのでそういった人にも平等に利用してもらえるような機能を備え付けなければならないのだなと思います。また、困難な状況に応じてのというのはとても興味深かったです。旅先や環境が悪い中で環境を整えるというのはとても難しくて今後の改善点になっていくのではないかと思います。一貫性を保つことは利用者が普段使って慣れ親しんだものに寄り添わないといけないので、iPhone、Androidといったスマートフォンでも様々なものがあり、パソコンやタブレットといったさまざまなにフィットしていかなければならないし、使っているもの設定でも個人個人違うものがあると思います。日本がグローバル化を目指すとなるとインクルーシブデザインは様々な分野、場所で取りいくべきではないかと思います。

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私は気になるのは、就職活動にも関係してくるロボット化についてです。最近では、人間にできることの多くはAIでできると言われています。逆に、人間でしかできることのほうを探す方が難しいと思います。その中で私は就職活動をしていく上で、考えていることはAIによって仕事が奪われないような仕事につきたいと思っています。AIによって、将来自分の仕事を奪われる可能性が高いからです。それによって、職を失うのが怖いので今からAIに負けないような人間でしかできない仕事がやりたいと思っています。私は、AIをうまく利用して仕事をするのはとても効率が良くいいと思っています。なので、そことこ折り合いがうまくできた会社で働きたいです。もう一つAIが気になった理由は、チャットの相談サービスを利用したところ、AIが相談になってくれたことです。それも、尋ねたことに的確にテンポよくこたえてくれました。AIがこんなにテンポよく話せて、簡潔に聞きたいところをきけて、非常に感動しました。そこで、AIを改めてすごいと思い、どこにでもAIは使われているなと再実感しました。これからの私たちの生活にはかかせないものであると思います。そして、AI中心に世界は回っていくのではないかと私は思っています。それも少し怖いですか、それを上手く使えるようにしていきたいです。

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私が今回の講義で注目したことは、AI倫理についてです。AIはディープラーニングで膨大なデータを学習し、様々な認識機能で進歩をしましたが、そのようなAIが独立した判断を行うと様々な責任問題が発生し、責任の所在が不明になります。なぜこれに注目したかと言えば、将来的に私は、人間の活動する限界を超えた情報処理をする時代に入ってきていると考えているからです。それなのに、法律や倫理がそのAI技術の発達に追いついていないように感じます。リクナビが様々な就活生の個人データを収集し、内定の辞退の可能性を数値化し、契約企業に渡していた問題がありました。この問題でもAIが就活生の個人情報をどのように分析し、内定を辞退するかの可能性を判断しているのかというのが、ブラックボックス化しています。それは、AIを使用する倫理というものもリスクとなります。AIは感情を持たないために客観的に公平公正に人を判断できますが、人間の感情を持たないために最適解を選んだ結果、倫理に反する選択をすることも考えられます。AIが最適解に選んだことが正しい世界になってしまったら人間は簡単な感情しか表現できなくなるもしくは、感情そのものを取り去って生活することになるのではないかと私は考えます。そんな世界でブラックジョークを述べるだけで犯罪者になることもあり得ると思います。

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私は、男性をからかうときに使われる「女子か!」「女々しい」「like a pussy」といった言葉が嫌いです。例えば、男性が集団行動をしているとき。男性が甘いものを注文したとき。男性が何かに傷ついて落ち込んでいるとき。どうして嫌いなのかを考えてみると、理由は大きく二つありました。まずは、「女子をなめんな」という気持ちになること。「女子か!」というツッコミの裏には、女を劣位の存在として見ている意識が潜んでいます。反対に「男らしいね」と言われる場合には、物事の決断が早かったりと勇敢に困難に立ち向かったり、誰かを褒めるような状況で使われます。「女性らしいね」という褒め言葉もあるにはあるけれども、多くは批判的な意味合いが込められています。もう一つは「いやいや、一般化し過ぎやろがい」と思うこと。女性は集団行動を好み、感情的で、抽象的なことが苦手だと思われがちです。けれども、どうでしょう。電車の中でキレているオッサンは毎週のように目にするし、思い通りにならないときに怒号を飛ばしてくるのも、私の人生の中では男性が多かったです。女子はすぐつるむ? うーん、じゃあ男性の連れションやタバコミュニケーションは一体……。要するに、個のパーソナリティを一般化し過ぎるなということです(これは性別だけでなく、A型は几帳面、B型は自己中とか、九州の女子は可愛いとか、あらゆる一般化にも、もううんざり)。広辞苑の定義にありましたが、フェミニズムは性差別からの解放。男性から解放されるべきは女性だけでなく、男性自身も男性から解放されるべきではと思っています。

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私が注目したのはインクルーシブデザインの原則です。これは、利用者を最優先に考えること、つまり永続的な障害がある利用者、一時的または状況的な困難に直面している利用者、あるいは能力が変化してゆく利用者のニーズに合わせてデザインすることです。ここに掲げた原則は、デザイナー、ユーザーエクスペリエンスの専門家、開発者など、ウェブサイトやアプリケーションの設計と開発に携わるあらゆる人に向けて、インクルーシブデザインに対する幅広いアプローチを提供することを目的としています。代表的な例として代替テキスト、トランスクリプト、音声解説、手話などが挙げられます。なぜ私がこのインクルーシブデザインに注目したのかというと、どんなデザインのプロセスにおいても、特定の顧客を除外してしまう可能性があります。インクルーシブデザインは、ユーザーの多様性を理解することで、意思決定の情報を提供し、できるだけ多くの人を取り込むことにができると考えます。ユーザーの多様性は、能力、ニーズ、願望などに様々なバリエーションがあり、インクルーシブデザインでは、それらを広範囲でカバーする事ができ、全員が平等に扱える事ができるもっと普及すべきデザインだと思いました。

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私は倫理について注目しました。現実と理想(そうあるべき姿)のギャップを認識して改善して行かないと人権などは守られていけないと思いました。特にこの時代ネットが普及し、コロナ禍においてストレスが溜まり誰かに矛先を向けたくなる気持ちは私もすごくわかります。そう言った気持ちを抑えられない人が某テレビ番組での一件においてアンチ行為をし、一人の大切な命を落とすという自殺事件を招いたと考えています。これから先私たちは何度もこういうケースがあるかもしれません。その都度すぐに法律を作っていかなければ状況が良くなるということは私はあり得ないと思います。 そこで倫理的に難しいと思われるのがどこまでが良くてどこまでが悪いのか。というところだと思います。例えば人の命を救うためにips細胞などを用いてクローン人間を作り肺などを作り出すことはどうなのであろうかと私は考えています。今法律で禁止されてはいますが流行病が治らず世界を圧迫させていたらこの法律は破られるのではないかと危惧しています。こういった倫理感というのは人それぞれによって違うのは理解できますが、法律という私のような一般人にとって絶対的なルールは細かく、多く、的確に決めていかなければいけないと感じました。

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本日は情報倫理としてのメディア・アクセシビリティについて勉強しました。アクセシビリティについては、AppleやWindowsのアクセシビリティについて説明を聞き、私はWindowsのアクセシビリティに注目しました。理由としては、講義内でも説明があったように、聴覚や視覚などに対するサポートなどがあり、面白いなと思ったからです。音声認識機能や、文字やアイコンのサイズ変更、字幕機能などさまざまな機能が取り入れられてるんだなと思いました。また、本日の講義においてインクルーシブデザインの原則にも注目しました。その中で、インクルーシブデザインの原則とは利用者を最優先して考える原則だということを学びました。この原則があることにより、デザインばかりを重視するのではなく、永続的または一時的に障がいを持つ方や、状況的に困難に直面している利用者なども使えるようなインクルーシブデザインに対するアプローチを提供しているということを学びました。代替となるコンテンツ(代替テキスト、音声解説など)や通知(全盲の視覚障害者にも晴眼者と同等の体験をもたらすために、ライブリージョンを用いること)や、色のコントラストなど、様々な案があることも学びました。私はこの原則があるのはとても良いことだと思うし、こういった考えがもっといろんな人に認知されれば、スマートフォンやパソコンなどが障がいを持った方にももっと利用しやすい環境が作られていくのではないかと思いました。

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私が本日のテーマで注目したことは、応用倫理についてです。なぜこの応用倫理ということに気になったかというとニュースやメディアで取り上げられる特集などを通してそのような話題を身近に感じるようになったからです。実際の内容についてはまず生命倫理についての話です。技術的に発展を遂げ人工呼吸器ができた中で脳死した方をどうするかという問題に対して身分証等のカードの裏面に臓器提供をするかしないかの意思を表明することで臓器提供を待つ方々に対しても関係する様々な方にも配慮した上で対応することが可能になります。また、企業倫理においてはコンプライアンスを重視することが増えてきており自分たちの企業だけでなく他の企業にも配慮しなければならなくなってきています。また、メディアや報道の倫理に関してはかなり淘汰されてきており何か倫理に反するような情報発信されればSNSをはじめとしたもので大きく話題となり炎上等につながることもあるのでその影響を考えながらメディアの情報発信や報道をしなければならなくなってきています。このように何か特定のものではなく全社会的に今の状況踏まえたうえで今後どうしていくことが一番良いのかを考えていくことが応用倫理につながると考えます。

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本日のテーマで、私が注目したことは「インクルーシブデザイン」です。具体例が三つあります。 一つ目は、「インクルーシブデザイン」とは、そもそも、これまでサービス開発や商品のターゲットから外れていた人々を巻き込み、一緒に考え作り上げるというデザインプロセスなのですが、私は左利きで、これまで右利き用のハサミは使いづらくてたまらなかったのですが、「インクルーシブデザイン」のハサミで左利き用のハサミが作られたことで、日常の生活の不満が一つ減ったからです。 二つ目は、今や当たり前のように多くの人が利用しているライターです。昔は今のように片手で簡単に火をつけられるものではなく、両手でようやくつけられる使いづらい製品でした。そのためライターが生まれても多くの人がマッチを利用していたそうです。そんな中、戦争で片腕をなくした兵士がいました。ライターもマッチも片手ではつけられない、そんな時に「片手でも火をつけられるライター」が生まれたそうです。 そのおかげで、現在は多くの人が便利にライターを利用することができています。 このように、「インクルーシブデザイン」は、全ての人が平等に不満なく生活できるように開発されたものです。今後もこのような考え方が広まることを願っています。

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私が今回の授業を受けて、メディア・アクセシビリティにおいて注目した点は、メディア・アクセシビリティという新しい観点があり、メディアにおいても誰も排除しないようなアクセシビリティが必要ということです。障害がある人ない人関わらず使えるようなデザインがされているものであるかというアクセシビリティはメディアにおいてもそういったことが言えるのかという見方に注目しました。生活に必要な情報は誰にでも簡単に触れられるようにあるべきものであると感じますが、実際に情報やメディアと言ったものがアクセシビリティ化されているのかと考えると難しい問題であると考えます。情報倫理の観点からも、特定の人を排除しないという考え方が必要であり、iPhoneのVoiceOver機能やパナソニックの技術のようなものに限らず、メディア全体でそういったことが言えるのではないかという考え方に共感をしました。情報こそ誰もがわかりやすく利用出来る、知ることが出来る、発信することが出来る必要があると思います。そういった情報をデザインすることが必要であり、誰のためにもなるような情報デザインが必要で、誰も排除しないデザインが情報においても取り入れられるべきことであると感じました。

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本日のテーマで、私が注目したことは基準としての情報倫理です。中でもインフォームド・コンセントについて注目しました。インフォームド・コンセントとは、治療の際に医師の説明を受け、納得した上で同意をするという意味です。一昔前までは、もし身内がガンになってしまった場合、当人にはガンのことを伝えず、その家族だけに伝えるのが考えとしてありました。ただこれは正しいことではないと私は考えます。というのも本人に本当のことを告げずに治療にあたることは、本人の意思を尊重しないことと同じだからです。その病を治療するにあたり、本人の同意を得ることで治療に取り組むべきだと考えます。例えば私が仮に今の年齢でガンになってしまったとします。若い年齢でのガンの進行は早いと聞き、医師からそう伝えてもらうと、おそらく私は落胆してしまうでしょう。しかし私にとって1番怖いことは、ガンの存在に気づいた時にはまうステージ4の末期に突入してしまうことです。その時の悲しみの方がはるかに大きいと思うのです。だから前もってガンの存在を知ることで心を落ち着かせることができ、少しでも希望を持つことができるのではないでしょうか。したがって、医師による説明とそれへの同意は必要だと考えます。

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現代ではスマートフォンが日常生活に欠かせないものとなっております。ほとんどの人がほぼ毎日使用していると言っても過言ではありません。その中で、自分が使用するスマートフォンを自分でカスタマイズすることはとても重要な事だと考えます。そしてアクセシビリティの柔軟性はそれを可能にします。若者にとってはあまり気にしませんが、特にお年寄りや老眼の方は文字の読みやすさ一つをとっても、長時間使用するスマートフォンにおいては重要なものです。画面のレイアウトを個人で設定することが可能になり、見易さを自由に設定できるのは良い点です。 また視覚障害の方を中心にその他の人ために、音声ガイドによるテキストの読み上げを行なったり、逆にユーザーの声を認識して操作ができる音声認識機能は、私も使っていますがとても便利だと思います。ちょっとした事を手で操作するのと声で操作するのでは声の方が楽なのです。 Windowsのpcのタッチ機能もとても便利だと思います。スマートフォンに慣れてる人たちにとっては画面をタップして操作することが当たり前の機能のように感じていると思います。なので、それをパソコンで可能にすることで、スマートフォンでは操作が難しい人でもパソコンでできるようになるのは利点だと思います。 視覚や聴覚をサポートし、自分でカスタマイズできることはストレスがかからず使いやすいと考えるので、アクセシビリティの充実はとても重要であると感じます。

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今回の講義で注目したのはインクルーシデザインの原則についてです。なぜなら、今まで対象としてきてない人をデザインの対象にして行う事にとても興味を持ちどんな事にこの原則を行なっているのか気になったからです。実際どんな事に使われていたか調べてみたら、包丁の刃の向きについて書かれいたのです。右利きの方が割合が多い故に以前は矯正してまで右利きにするといったことを行っていた為そこまで違和感が無かったのです。しかし、左利きの人も最近は少なくなく、今では包丁メーカーが両方の手でも使いやすいような刃の向きになっているそうです。自分たちの身近にある物もインクルーシデザインを行っているのだと気づいたのです。インクルーシデザインを行うには何種類かポイントがあるのです。それは、身体や感覚、知覚、デジタル化による排除、感情、経済です。私たちが日常生活には多くの排他的ポイント潜んでいるのです。例えばライターやATM他にも多くの物に排他的ポイントがあります。ライターは今では簡単に火をつけられるものではありますが、以前は火をつけるのにはとても時間がかかる物だったのです。そこで、片手でライターが付けられるようにして、現在は数多くの人が便利に利用しているのです。また、ATMは目の見えない人からしたら使いづらいサービスの一つだったのです。そこで、音声案内などで画面を触らずとも入力できるようになったことで便利なサービスとなったのです。インクルーシデザインは私たちの生活にとても影響をもたらしてくれる物であり、暮らしを豊かにしてくれる大きな影響を担っている一つだと私は思います。

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本日はメディア・アクセシビリティというテーマで講義を受けました。アクセシビリティやインクルーシブデザインという言葉は自分の使いやすいようなデザインやカスタムをすることです。メディア・アクセシビリティとは自分が使いやすいようにメディアを利用することである。例えば目が悪い人が文字を読んだり入力したりする際に音声で読み上げられる機能やキーボードのグラデーションがあるものや様々なものがあることを知りました。ブラインドタッチができる人用にキーボードに何も書いてないものも販売されています。メディア・アクセシビリティとはメディアを使いやすいようにすることであると考えました。メディアには様々な使い方があります。自ら発信する人もいれば情報集めのみに利用する人もいます。しかし、情報倫理によって発言が難しいような世の中になっているため、自分の考えを発信することは勇気がいることであるとも考えます。そこで自分の使いやすいような考え方をすることによって情報発信をしやすくすることができます。情報倫理に則った情報が増えることによって質の高い情報が増え、メディアから様々な教養に繋がると感じました。

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メディアアクセシビリティを考えるで認知科学・認知心理学・行動経済学・感情社会学ナッジがあります。また、先生がおっしゃっていたYoutube考古学はとても興味があります。メディアアクセシビリティは障害者、高齢者、外国人などのメディアを利用するに当たって何らかの障害を感じる人 から見たメディアの利用や情報取得の容易さを表します。認知科学では情報処理の観点から知的システムと知能の性質を理解しようとする研究分野のことを指します。認知心理学は認知心理学は、情報処理の観点から生体の認知活動を研究する学問であります。行動経済学は経済学の数学モデルに心理学的に観察された事実を取り入れていく研究手法であります。また、youtube考古学では一次体験が決定的に欠けている現状があり、言葉の限界や 映像の限界があります。映像は長くて5分が限界でできれば3分以内がよいとされています。 そこでYouTubeの浮上しました。また、私がこのテーマを選んだ理由てして障害者、高齢者、外国人などがメディアを通じて良い生活が送れるような考えを学びたいと思い、共感することが多かったので選びました。そこにも様々な科学や心理学が用いられているので勉強になりました。

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インクルーシブデザインの原則というテーマに注目しました。多くの人にとって使いやすく見やすいものを提供するという点に興味を惹かれました。使いやすさを追求するというのは、既存のソフトウェアがあってこそのものかもしれんせんが、そのソフトウェアを使いこなしている人というのは、多くはないのかと思いました。そのため、そうしたものを使いやすく統一されたものとなっていれば、多くの人にとってより良いものとなると思いました。実際に、ワードを自分が使うときも、文字のサイズなどに留意したことなく、基本的に10.5ポイントで使うことが多いです。なぜなら、視覚的に見やすいものを作ろうという意識はありませんでしたし、それが標準ならば、変わらないと思っているためです。ですが、それを新しくわかりやすいものに統一することができたのならば、今よりも価値が上がるのではないかとも思いました。ただ、どのように何をすればという点は書いてはいないので、どう解決するかはとても難しいものなのかと思います。実際、中身のほうが大切だと考える人が多い中で、デザインをよりよくしてくれという人は芸術家のような方以外だとなかなか普段いう人はいないのかと思いました。ですが、デザインが良ければ目につきやすく、人を判断するときに外見からその内面を判断するというようなことにつながっているのではないかとも思いました。

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私が今回の授業で注目したことは、終盤に登場したロボット倫理・AI倫理です。AIの発達によって多くの仕事がAIに変わってしまうという話はよく耳にすると思います。おそらく、そのような社会はそう遠くないうちに高い確率で訪れるでしょう。そう考えた時に、ロボット倫理・AI倫理はおさえておくべきことだと思ったので、注目しました。 現在、AIは多くの国で投資・開発がなされており、様々な場面で利用されています。そして、今後はさらに勢力を広げて、人間が行っている仕事に取って代わることで自動化されるという予測がなされています。しかし、人間の仕事全てを置き換えることは不可能であるため、将来はAIと人間が共存・共働していく社会へと変化していきます。その時に、AIが普及しすぎたことによって、人間の文化的な生活が脅かされるようなことがあってはなりません。内閣府の公表した『人間中心のAI社会原則』の中に7つの原則が定められていますが、その一つに「人間中心の原則」というものがあります。諸外国でも、人間を中心としたAIの構築を目指すことが示されています。このように、AIに人間が「飲み込まれない」ように対策をしつつ、可能な範囲でAIを活用しようとしています。この動きは非常に重要で、人間としての安心して生活できるようにしていくことがAIやロボットを活用するにあたっては必要だと思いました。

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今日の講義を聞いてAppleのアクセシビリティについて注目しました。私も普段からアップル製品に触れていますが、障害を持たない私でもアクセシビリティの機能は頻繁に使うことがあります。例えば荷物を持っていて両手や親指・人差し指が使えないときやポテトチップスなどを食べて手がベタベタになったとき、そんな時でもスクリーンショットをしたい場面があります。普通スクリーンショットは両手を使ってボタン操作して行うために、両手が空いていないと実行することはできません。しかし、Appleのアクセシビリティの機能を使えば小指一本空いてさえいればスクリーンショットを行うことが出来るようになります。このように障害がある場合だけでなく一時的に困難な状況下でも使用できるようになっているために、Appleのアクセシビリティはインクルーシブデザインの考えを持ち合わせているのだと感じました。Appleだけに限りませんが講義でもお話が合ったように、コロナという状況下で対面授業が行えない中、オンラインという選択肢があるのもそういったデバイスのお陰であり、視覚障害や聴覚障害を持っている方でもSiriという機能も備わっているために画面に触れなくても操作することができたり、あらゆる状況で私たちの困難を解決してくれているということに気づきました。より詳しく理解して積極的に使用していくべきだと思いました。

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私が今回の授業で注目したトピックはインクルーシブデザインの単元でした。私は元々デザインの分野に興味を持っていて、コロナ禍での自粛期間中にデザインについての勉強を独学で行っていました。デザインへの先入観で、直感やセンスで決めていく世界なんだろうなと思っていましたが、どんどんと勉強していくうちにルールやきまり、法則性が多く出てくることに驚きました。デザインする上で大事になってくるのは誰に何を伝えたいかという目的の設定です。今回触れたインクルーシブデザインはデザインを行う上で常に意識しなければならない要因だと感じました。デザインを行う上で自分には分かりやすいかっこいいデザインなんてのはデザインに価値がなく、伝わらなければデザインに価値は生まれないと思います。常にどんな境遇、状況、場面でも伝わりやすいものをデザインするというデザインとしての基礎にあたる部分を今一度考えることのできるのがインクルーシブデザインであると思い、とても興味を持ちました。しかしインクルーシブデザインの原則を一通り読んで思ったのは、これだけの事を意識しながらデザインはできるのか?という純粋な疑問でした。これを意識するとこれがダメになる。こうするとデザイン性に欠けてしまうなど様々な問題が出てきそうだなと考えてしまいます。じゃあ結局のところ正解に近いデザインってなにになるのか、とても気になりました。

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私が今回の講義で注目した内容は、基準としての情報倫理および、その上位基準としての応用倫理基準の部分です。 私は、倫理学が好きで興味があります。色んな人の色んな考え方を学ぶことが出来て、価値観や感性はひとつでは無く模範解答がないということを学べるため、無限の可能性があるものだと考えています。その中でも特に注目したのがコミュニケーション倫理です。倫理は好きでも、コミュニケーションを取ることがあまり得意では無いので、得意不得意が混ざった時にどう学んだらいいのかなどがよくわからない分、知っておきたいなと思ったからです。こういう時こそ、普通の倫理を使って色んな人の色んな考え方を吸収していきたいです。また、BIG QUESTIONSに人工妊娠中絶は殺人だろうか?という項目がありますが、私は実際に倫理学の授業で似たようなテーマでレポートを書いたことがあります。日本は人工妊娠中絶の後進国とも言われており、また、人工妊娠中絶が全ての原因ではないとは思いますが出生数も年々減っています。ただ、この事にも多くの人の意見を求めれば、賛成の人や反対の人、どちらとも言えない人など色々な答えが出てくると思います。その答えに、反対の意見でもこういう視点があるということなどを理解して学んで、少しでも視野を広げることのできるものが倫理だと私は感じています。 そのため、今回の講義では少しでも倫理について触れることができて良かったです。

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私が今回注目したことは、インクルーシブデザインの原則です。著しく変化する社会においてこれは大事だと思ったからです。例えば車椅子の例を挙げると、交通事故に遭遇してしまい歩行が困難になってしまった人がいるとする。その場合車椅子生活を余儀なくされると思う。そのまま車椅子を使うとなるとユニバーサルデザインのモノになるだろう。しかし、電動車椅子WHILLというモノがあるのだが、これだと少し変わってくる。この車椅子は外観がスタイリッシュで未来的なデザインとなっている。ユニバーサルデザインの車椅子であれば安定性、移動性を満たせば良いだろう。しかし、当事者に使いたいと思ってもらうためにはそれらの機能だけでは物足りないだろう。このWHILLという車椅子はスタイリッシュな見た目により、使いたいという気持ちを生ませている。ユニバーサルデザインは「使える」ことだがインクルーシブデザインでは「使いたい」に注視している。実際に、歩行困難になってしまい車椅子を使うことになってしまった方がいるのですが、彼は昔から自動車やスケボーといった乗り物が大好きでWHILLはそういった新しい乗り物に出会った感覚を与えてくれた、という感想があるという。人はいつ急に思わぬ事故に遭うかわからないため、こういったインクルーシブデザインはとてもよいと感じた。

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私が今回のこのメディアアクセシビリティで気になったものは様々なものの自動化です。なぜこの自動化が気になったというと、現代では車の自動運転、家事の自動化、工場の組み立ての自動化、物流の自動化など様々なものが挙げられます。また、この自動化が進むつれ、今問題になっているのが、人の職の約50%がAIでも出来るようになり、人の職が奪われてしまうということです。自動化やAIはとても便利です。車の自動運転などは高齢者や障がい者にとってとても便利かつ遠出などもできるようになります。また事故も少なくなるのではないかと私は考えています。物流や工場の組み立ても人より機械の方が疲労もなく、ミスも少ないです。しかし、これにより今ある職が奪われるのはいかがなことだと思います。人にはそれぞれ自分の生活があり、お金を払っていかなくては生きていけません。衣食住を保つために人間の全員が仕事をしているのです。それを奪ってしまうのは良くないと私は思いました。自動化は高齢者や障がい者だけではなく、人に様々な便利を与えてくれます。しかし、その便利が人の生活を奪ってしまっては本末転倒なのではないかと私は考えました。自動化が進んでいくだけではなく、それにより不満に思う人はいないかなどを考えるのも重要なことだと私は思いました。

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今回の授業において、私が注目したのは「インクルーシブルデザインにおける選択肢の提供」です。 というのも、この選択肢はただ複数個用意するだけではなくユーザーの動線をよく考えて配置しなければ、却ってユーザーを混乱させかねないと日頃感じているためです。 私の見知った複数の選択肢とその配置について語っていきたいと思います。 まずは使っていて快適な選択肢配置の例としてWindowsにおけるソフトウェアの起動について話します。Windowsでは任意のソフトウェアを起動するまでに「デスクトップからの起動」「エクスプローラーを経由しての起動」「デスクトップ左下の検索欄からの起動」「Power Shellやコマンドプロンプトからの起動」といった選択肢が用意されています。これらの選択肢は他の機能にあまり干渉せず、快適性を保ったままユーザーの選択肢を確保しています。 次は使っていて不快に感じる選択肢の配置の例としてiOS版Safariにおける「戻る」の話をします。「戻る」という機能はブラウザアプリにおいて使用頻度の高いコマンドの一つですが、iOS版Safariでは「戻るアイコンのタップ」「左から右へのスワイプ」のどちらかによってこのコマンドを実行できます。ここで問題となるのは後者のスワイプコマンドです。 このコマンドは画面スクロールのための「上下方向のスワイプ」と動作ガニかよつ場合があるため、特に片手操作時などにはよく暴発してしまい却って不便な仕様となってしまっています。 そのため、選択肢は用意するだけでなく配置にも細心の注意が必要であると感じます。

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私は、今回注目したテーマは、倫理の中の安楽死は、認められるのかという議題です。私の中では、安楽死は、認められても良いと思います。なぜなら、もし私がとても重い病気にかかっていたとします。辛い治療や、身体の自由がきかなくなったりと、辛いことが多いと思います。治る希望があるならよいのですが、末期だったり、治る希望が持てないのなら、延命措置より、安楽死を選びたいと私は思います。私が思うに安楽死が一般的に許されたとしたら、安楽死を強要する人や、ハラスメントまがいのことをする人が出てくると思います。安楽死が選択肢にあるといえど、延命措置を選ぶ人がいると思います。それに加え、自らの意思といえど、死を選ぶのはどうかと思うという考えもあると思います。様々な問題があるからこそ、安楽死は、認められていないと私は思います。少なからず、先ほど言った、ハラスメントや強要をする人は出てくるので、されないように法律を作るか、された人を守るような法律などを作らないとまだまだ認められるとは思いません。冒頭で述べた、医療系統の安楽死のみならOKだと思います。そして自らの選択で安楽死を選ぶというのを否定的な目で見ず、個人の意見を尊重すべきだと思います。最後に自殺と安楽死は、似ていているようで違うと私は思います。 自殺は、生きていることが嫌になったりして自分の意思のみで、命を絶ってしまう。安楽死は、個人の意思や周りの協力もあって成り立つと思います。自分のみか、周りの協力もありか、という違いだと思います。自殺は、死を一人で迎えると思います。安楽死は、周りの人に見守られながら逝くことができると思います。私がもう少し歳をとったら、認められている社会になっているかもしれません。

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私はインクルーシブデザインの原則に注目しました。なぜなら今後、AI技術が台頭し、ほとんどの業務が代替されていくなか、この業務は、絶対にAIには務まらないもので、人間がしっかり務めていくものであり続けると断言できるからです。私は、マーケティングについて学びながら、個人のスキルをどうクライアントに求められていくかを研究しています。これは鉄則ですが、もちろん「ニーズに応えること。」これは、誰しもが思い浮かぶことです。しかし、現代の社会ではニーズが目まぐるしく変化します。今日欲しかったものが、明日には違うものが欲しくなるほど変化の速度は著しく速いです。例をあげると、コロナウイルスによって売り上げが落ちてしまったということや、会社が潰れてしまったというのはニーズの変化に対応できず、自分たちの持っている選択肢が失われてしまったパターンがほとんどです。そこでこのインクルーシブデザインの原則は常に意識しなければならない考え方であると思います。特に、「状況を考慮する」という原則は、まさに、今の社会に当てはまる項目とも言えます。対面での仕事や取引ができなければ別の方法を考えなければいけません。もちろんビジネスだけでなく、自分の学び方や情報、考え方などもこの原則に基づいて行動しなければならないと危機感を覚えたので、注目しました。

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私は『アクセシビリティ』について注目しました。なぜなら今回の授業を受けるまで私自身がアクセシビリティという機能が、『利用する人を選ばない機能』ということをしっかり理解できていなかったからです。特に授業内で具体的な例として取り上げられていた老化などで変化していく利用者にも合わせた、インクルシティブデザインはとても分かりやすかったです。利用するすべての人のアクセシビリティを気にせずに紙を節約するために作られた10.5ポイントの文字が羅列している資料は、この字を読めない・読めなくなった人は作業に対する能力がない人間であり、必要のない人間だという意味で、無意識に人を除外しているかもしれないということを学びました。また、改めて全てのメディアに対する複数性について考え直すきっかけになりました。このように考えると、メディアアクセシビリティにはまだまだ改善の余地があるとともに、様々な角度からのアプローチの仕方があると考えました。そして将来的に考えると、さらなるグローバル化の発達やメディア・メディア利用者の多様性も予想出来るので、メディア利用者である私たちの知識はもちろんですが、アクセシビリティも日々のアップデートが欠かせないと思いました。

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今日、先生が説明していたアップルのアクセシビリティについて特に興味を持ちました。私はiPhone4からiPhoneを使い始め、アップルを知りました。iPhone4なので大体2010年頃だと思うのですが、私の記憶ではその頃からアップルはアクセシビリティに力を入れ始め、iOS7にアップデートされると同時にリリースされたようです。アップルは他の製品に比べてアクセシビリティへの取り組み、不自由なく使えるようへの取り組みは早かったように感じます。1番有名なものだとSiriではないでしょうか、目が見えない人も声で操作することができるようになりました。また、AssistiveTouchではピンチやスワイプなどのジェスチャーを登録しておくことでワンタッチで作動させることができるようにするものもあります。このような様々なアシスト機能によって出来るだけ自由な人と不自由な人の隔たりを無くしていくことはとても大切で、全ての人が自由に扱うことが出来るということがiPhoneやiPadがお年寄りや障害者に好まれる理由であると感じました。また、高齢者がスマートフォンを手にする機会も多くなっていくなかで今後に必要不可欠なものとなっていくのではないかと思います。

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今日の授業で私が注目したテーマは認知というワードです。授業内でも述べられていたように普段私たちはスーパーへ買い物に出かける時に大体どの店であったとしても、目的の商品がどこら辺にあるのかが認知出来ているというわけです。つまりここで私が思ったのは常に日常生活のあらゆる出来事において認知している行動・出来事でほとんど構成されているのだという事なのです。朝起きてから夜寝るまでの生活のプロセスを見ても、普通の生活をしていれば必ず朝食を食べてから歯を磨いて、それから授業や仕事をしてから昼食を食べてまたその続きをしてから夕食を食べて、そして帰宅してお風呂へ入って歯磨きをして就寝するというように認知しているプロセスを元に行動しているわけです。そういった事を考えると普段意識していない間に当たり前の事を当たり前にやっている、つまり認知の下で生活は大元構成されているという事が分かるのです。だから認知の無い状態でありとあらゆる事象を行うとすると考えたら私はとても怖いなと感じました。毎日のルーティンをどのようにこなすか、そういった所で人々の生活に味が出るのだと思います。

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私はインクルーシブデザインの話を聞いてデザインを追求するあまり、多くの人、一部の人に対して使い勝手が悪くなってしまう例として前に他の授業でレポートを書いたセブンイレブンのコーヒーメーカーを思い出しました。このセブンイレブンのコーヒーメーカーの場合は障害を持つ人に対して不利益が生まれるようなものではありませんでしたが、デザインを追求したあまり、多くの人が使い方がわからなくなってしまい、それを改善するために現場の店員側が手書きで「レギュラー」とか「ホット」などの説明書きを付け足してしまい、結果的に見た目が悪くなるという本末転倒な状況になっていました。その状況を鑑みてセブンイレブン側はコーヒーメーカーのデザインを一新したのですが、変えたにもかかわらずもっと見づらいという意見が出てくるという焼け石に水な展開になっていました。「regular」と「large」の頭文字だけボタンに書いてあって、日本人には「right」と「left」のように感じてしまったりなどおかしな点が多かったです。(個人的にはデザイン一新してもまた評判悪かったのはセブンイレブンがデザイナー選びのセンスがなかったのではと思ってます。)今の風潮として何かものを選ぶときにデザインが重要なファクターになっているのは確かではありますが、多くの人に選んでもらうためには多くの人が使いやすいというのも重要であり、デザイナーはデザインと使いやすさを天秤にかけながらちょうどいい地点を探していかなくてはならないのかなと思います。

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私は今回の講義で利用者を最優先に考え、障害を持っている利用者や能力が変化する利用者などのニーズに合わせてデザインするというインクルーシブデザイン(の原則)に興味を持ちました。原則の中でも特に、『状況を考慮する』という項目は新型コロナウィルスが猛威をふるっている現在において非常に重要なものだと感じ、注目しました。例えば、k-smapy2も学生の教授に質問がしづらいという前期の状況を鑑みた上で後期にQA機能を設け、学生(システム利用者)のニーズに合わせたことが『状況を考慮する』という原則に当てはまっており、私はこの機能は大変便利で重宝しているため今回のインクルーシブデザインの重要性を実感しました。また、インクルーシブデザインの原則の1つに『価値を付加する』という項目があり、その中に「タスクの完了を容易にする」という例があり、パスワードに関する記述が見られました。そこで私は、最近のスマホやパソコンにあるパスワードの自動入力機能もこれに該当すると感じました。これは、パスワードを忘れてしまう人のために設けられた機能だと思うのですが、この機能は逐一パスワードを入力しないで済むため、かえってパスワードを忘れてしまうのを助長したり、流出してしまう危険性が高いかなっていると感じました。そのため、あまり推奨しない方が良いのでは無いかと思いました。このように極端にタスクの完了を容易にすることは、かえって利用者がリスクを被ってしまうこともあるのでこの匙加減は、重要であると感じました。このようにインクルーシブデザインは、様々な分析に使えると考えたため今回の講義の中でも特に興味を持ちました。

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まず、私は今回初めてインクルーシブデザインという言葉を知りました。インクルーシブデザインとは、高齢者、障がい者、外国人など、従来、デザインプロセスから除外されてきた多様な人々を、デザインプロセスの上流から巻き込むデザイン手法です。インクルーシブデサインは、超高齢社会となっている現在、様々な施設、プロダクト、サービス、Webなどをデザインするために大変有効な手法だと思いました。私の家には、赤ちゃんから大人までが使える椅子があります。生まれた直後から、大人になっても使え、全てのライフステージをインクルーシブにデザインされている点で、インクルーシブデザインと言えるのではないかと思いました。また、異なる肌の色に対応したバンドエイドが、インスタグラムで話題になったのも思い出し、それもインクルーシブデザインの一種にあたるのではないかと、今になって気づきました。私は、インクルーシブデザインを実現するためのステップに注目しました。授業後、もっと知りたくなり、自分で調べたところ、排除されているポイントとユーザーを理解することが大切だとわかりました。排除のポイントを積極的に探し出し、それを利用して新しいアイデアを生み出し、新しい解決策を生み出す機会を模索する必要があり、人々がどのようにして、なぜ排除されているのかを正確に理解することで、よりインクルーシブになるための具体的なステップを確立することができると考えます。ターゲットを性別と年齢だけで区切ってしまうマーケティング手法が日本から減ることにより、多くの人にとってのどんどん暮らしやすい生活につながると思いました。

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私が今回の講義を聞いて注目したことは、インクルーシブデザインについてです。以前からユニバーサルデザインという言葉は知っていましたが、今回の講義で初めてインクルーシブデザインという言葉を知りました。ユニバーサルデザインはできるだけ多くの人々が使えるようにデザインされているため障がい者などに対する配慮が少ないのに対してインクルーシブデザインは高齢者、障がい者、外国人などの今までデザインプロセスから除外されてきた多くの人々へも配慮がなされているデザインであるということが分かりました。 私が今回の講義を聞いてインクルーシブデザインに注目した理由は、現在ではインターネットの普及や様々な物のオンライン化が進んでいます。そのためパソコンやスマートフォンなどの電子端末は若者や会社員に限らず小さい子供から高齢者まで幅広い年代の人々が使用します。そのためインクルーシブデザインの原則である七つの項目である同等の体験を提供する、利用者に制御させるなどがとても重要であると感じたからです。また、高齢者や障がい者への配慮はもちろんのこと外国人への配慮もなされていることは現在、様々な分野でグローバル化が進んでいるためとても大切であると感じました。

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インクルーシブデザインの原則を聞き、今のリモート授業に必要だと感じました。とくに、ゼミでWardを共有して発表を聞くとき、先生は目が見えない為拡大してほしいといい、私たちは拡大するとレジュメの流れが分かりづらくなります。同等の体験を提供するという点で、利用者に制御させることは必要であると感じました。何かに固定され、自分に合わないものを使うと、コンテンツの品質が損なわれます。それぞれの状況を考慮し、利用者に制御させて選択肢を与えることは平等に価値を提供する点で重要です。そして、見やすいレジュメには一貫性があります。パターン化することで、2回目から理解がしやすくなります。私は自分のスタイルを築き、全てのレジュメでパターンにのっとり、自分も説明しやすく、相手も理解しやすいように心がけています。ゼミでは先生と生徒のように歳の差があったり、先輩と後輩のように知識や能力の差があったり、様々な違いを感じます。そんななか一つのことを同時にやっていくためにはインクルーシブデザインのような働きかけをする必要があると思いました。今後多様な人と関わり合ってい、共通のものを共有していく中でこのようなことは必要不可欠であると感じました。

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私が今回のテーマで注目したことは、何が正義となるのかが人によって全く異なってくるという点です。例えば「安楽死」については、世論では賛否が大きく分かれています。安楽死に賛成する人の意見は、ある人が重篤な病気になってしまったり苦しみながら治療に耐えなければならなかったりした場合、その苦しみから解放して楽にさせてあげることがその人のためであると言います。反対に安楽死に反対する人は、安楽死という制度を利用して殺人を犯す医師が出てくるかもしれない、痛みや苦しみを伴う治療を行なっているものに対して安楽死というものは消極的な希望であり、生きようとする積極的な希望を失させかねないなどと言います。これらの賛否の意見はお互い安楽死について真反対の考えをめぐらせていますが、根本的な部分については、お互い“自分の正義”が存在しているため、簡単にどちらが正しいか・間違っているのかを判断する事ができません。このように、人の数だけ正義は存在し、なかには同じ正義でも真反対の価値観をもっていることもあります。もちろん各々が自分の正義を貫くことも大切ですが、ときには他人の意見も取り入れ、何が本当に正しい正義なのかを模索していくことも重要であると感じます。

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私が今回の授業で注目したことは、メディアアクセシビリティの中でも特にコンテンツへのアクセスです。授業でもあった通り本であれば比較的アクセスしやすい物です。しかし映画を除く映像へのアクセスは非常に難しいものだと考えます。例にもあった通り昔のテレビ番組の閲覧は非常に難しいものになっています。またテレビで流されるCMはさらに閲覧が難しく過去のものがどこかで保管されているかもわからないのではないかと思います。テレビ番組などの映像にアクセスできなくても何も不都合なことはないと考える人もいるかもしれません。しかし映像は文字で記述するよりも多くの情報を含んでいます。そのため、情報をより正確に伝達するのであれば文字よりも映像の方が向いている場合も考えられます。またCMは人々の目を引き記憶してもらうといったことを考慮し作られています。そのためその時代の流行を多く取り込んでいるものもあります。比較的流動的である映像の方が当時の文化をより色濃く反映していると考えることもできるのでないでしょうか。映像にアクセスできるということは当時の文化を保存し、また理解する上で大切であると考えます。そのためメディアコンテンツ、特に映像へのアクセスに注目しました。

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今日のテーマで私が興味を持ったものは、応用倫理基準とハビトゥスです。応用倫理基準は、様々な分野がある中で自由について注目したいと思いました。法か倫理かを問われたときに自由が1番迷うものがあると感じます。自由とはなにかを考えたときに、様々な形があると思います。表現の自由や信教の自由、学問、思想、集会など自由でいいとされているものはたくさんある中で、本当に自由に生きるとダメなものもあると考えています。表現の自由は確保されているのに、表現すると批判されたり罰されたりするものがあったり、信教の自由があるのに信徒になっていると非難される宗教があったりと様々です。その中で倫理観で自由を見たときに、自由であることは法を守ることであるのか、倫理を取るのかという選択をされることがしばしばあると感じました。法的にはOKだけど倫理的にはNG、はたまた法的にはOKだけど倫理的にはNGなど両パターンがあります。自分の中で理性を利かせて倫理的な行動を取ることができれば、自由は本当の自由になるのだと思いますが、制御の効かない人が多いのかなと思いました。次に、ハビトゥスは、日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向という部分に興味を持ちました。個人にそれと自覚せずに生み出すということが私にとっては少し理解ができないことであり、自分でも自覚せずに行っているのかなと不思議な気持ちになりました。

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今回の倫理がテーマの授業を受けて一番注目したことは社会的な正義についてです。私は人気漫画である「デスノート」というジャンプで連載していた漫画が大好きです。倫理という言葉について調べていたら、主人公夜神ライトがやっていたことは果たして正義なのかという題材が多く取り上げられていました。そのため私は「デスノート」における正義の倫理について考えたいと思いました。漫画「デスノート」の世界では主人公がデスノートといわれる名前を書くだけで人を殺せるノートを手に入れます。そこで、主人公は犯罪のない理想社会を作るために自分とは関係のない犯罪者を次々に殺害していくという話です。倫理において主人公がやっていることは正しいのかそれとも正しくないのかということを読んでいて考えられる場面が多くありました。夜神ライトは最初こそ善人にとって理想の世界を作るために犯罪者をさばいていましたが、主人公を特定しようとする人たちが現れた時に、善人である人を殺していくようになりました。そこから主人公の心の持ち方が変化していき、理想の世界を作り想像していくのではなく、世界を支配しようと考えるようになっていきます。私は世界の創造を目指していくところまでは正義の倫理によって行動をしていたと思いますが、追い詰められることによって倫理的思想はなくなっていくのだと思います。

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インクルーシブデザインの原則について。現代はあらゆる物事の多様化が進んでいて、建物に入れば階段にエスカレーターにエレベーター、スロープなどがあり、歩行者、高齢者などの足腰の弱い人、車椅子の人などほぼ全ての人に対応しています。それはインターネットにおいても同じことで、あらゆる人に対応がされつつあります。特に今年は新型コロナウイルスの流行によって人々は外出を極力避けるようになり、それに伴ってオンラインによるリモート化が急激に発達しました。私は元々通学に片道1時間ほどかかっていたので、オンライン授業になったことで朝ギリギリまで寝ていられるようになり一番無駄だと思っていた通学時間がなくなったことは正直嬉しいと思っています。ZOOMを例に挙げると、今現在機能としては多すぎず少なすぎず丁度いい量で、初心者にも優しい良いツールです。しかし、授業や会社の採用面接などオンラインになって楽ではありますが、インクルーシブデザインの原則の面から考えると、「PCを持っていない人」への状況考慮があまりできてないように思えます。スマホでも接続できますが、アプリのインストールが必要ですし発表をする際にWordやPowerPointを使う時も面倒です。そして何より、PC版と違ってアプリを閉じるとミーティングルームを退室してしまうため並行作業ができません。あらゆる状況を考慮することも重要な反面、様々な状態を想定して機能が盛り込まれ過ぎても初心者には難しいという問題などがまた出てきそうで、問題を全て解決するのがいかに難しいことなのか考えさせられました。

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私が注目したことはコンテンツに優先順位をつけるということです。これは多くの人が使っていることが多いのではないかと思います。授業の中の話でもあったように図書館では同じジャンルのものが等間隔で置かれています。これで探しているものがとても探しやすいです。このように同じジャンルのものごとに置いたり、今注目されているもので集めてみるなどすることにより、コンテンツに優先順位をつけることができると思います。また手に取る人もそうした方が見やすかったり、選ぶ際に簡単に手に取ることができるのではないかと思いました。私は自分の携帯のアプリで優先順位をつけています。その分け方としては良く使うアプリ、全然使わないアプリなどで分けています。私の中での連絡手段として多いのはラインが主となっています。そのため画面の一番最初に配置しています。また動画配信アプリ、ゲームアプリなどをよく使用します。そのためそういったアプリをひとまとめにして、使いやすいように配置しています。このように自分が使うアプリに優先順位をつけて配置し、使用している人も多いのではないでしょうか。この応用は様々な場面で使われると思います。仕事、授業など多様なコンテンツに優先順位をつけることが可能です。これからの時代ではコンテンツに優先順位をつけて、使用していくことが主流になっていくと思います。時代の最先端を行くために私もこの能力を高めていきたいです。

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私が今回の講義で興味を持ったテーマは「インクルシーブデザインの原則」についてです。 今まではユニバーサルデザインやバリアフリーなど特定の障害がある人に限定されていたが、インクルシーブデザインはすべてのニーズに合わせてデザインする点で興味を持ちました。先ほど例として挙げたユニバーサルデザインやバリアフリーはいわゆる社会の障害を取り除くなど個人では行うことは難しいが、講義で触れられていた資料の文字を普段より大きくすることで能力が変化していく利用者のニーズに対応することができるので私もできると思いました。原則の中で一番興味深いと思ったことは同等の体験を提供するという点です。提供者は利用者に分かりやすく物事を伝えるため動画などをWebサイトに埋め込んだとしても利用者が皆動画を同じ環境下で視聴できるとは限りません。この考え方はすべての人のニーズに対応していくという気持ちがなければ私自身気づくことが出来ませんでした。また、私が社会人になったときコロナが収まっていなければ資料をインターネット上で共有することがあると思います。そこでインクルシーブデザインの原則を元に利用者にむけて同等の情報が提供できるよう心がけていきたいと思いました。

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私が今回のテーマの中で注目したのは倫理のBIG QUESTIONの各項目です。その中でも特に、安楽死に関する倫理についてに目が行きました。私は常々、自分の人生とは何なのか、命を続けることを自分の意思で決めれるのであれば自分の意思で終わらせることも出来なければならないのではないかと考えていました。私は、私自身の人生に対してそこまでの価値があるもののように受け取ってはいません。但し、自分が死ぬことによって悲しむ人が周りにいるのであればそれは自分一人で解決できる問題ではないと感じています。 よく街中で昼からお酒を飲んで潰れている年配の人や、様々なことが曖昧な状態でコンビニなどで買い物をしている年配の人などをみるたびに、私がそうなった時に私は人生を楽しむことができるのかと考えてしまいます。俗に老後と呼ばれる時間に意味があるのかどうかといったことも考えてしまいます。老人になって何もかも忘れてしまいたくさんの若者に迷惑をかけ、それでも生きていることに私は価値を見出すことができません。それならば自分自身で自分の命に見切りをつけたほうが世の為なのではないでしょうか。私は今幸せで、特に死にたいほど辛いことと言ったものに直面しているわけではありません。しかし、大人になりどんどん老けていく過程で私が迷惑をかけてしまい、それに犠牲となる人のことを考えると居た堪れなくなってしまいます。私は自分が死ぬことよりも人に迷惑をかけることの方が嫌と感じますし、そのような状態が継続的になってしまうことを望みません。安楽死という制度は生きることが素晴らしいということを前提に考えられているように感じました。また、そう思っていない人の存在を忘れ去られているように感じました。

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私が今回のテーマで注目したのは、人工妊娠中絶は殺人なのかというところである。このことは、少なからず今の私たちに近しいものがあるのではないかと思いました。まずは、行為を行う上で、相手とどのような関係でその行為をするのか、同意はあるのかが大事だと思います。次にしなければならないことは、しっかりと避妊をすることが一番なのではないかと思います。それされすれば、望まない妊娠はないのかなと思います。これだけで、人工妊娠中絶というのはだいぶ減るのではないかと思います。それでも望まない妊娠というのは、発生してしまうと思います。そうなってしまった場合、人工妊娠中絶という可能性が出てくるわけですが、私はこれは殺人にはならないのではないかと思います。なぜなら、仮に産んでから育児放棄などで死んでしますくらいなら、生まれないようにしてあげたほうがいいと思うからです。育てられない環境に生まれてきてしまった赤ちゃんがかわいそうでしょうがないです。だったなら、現在の技術で生まれる前に止めることのできる、人工妊娠中絶というのは、その妊娠してしまった男女が殺人者にならないための最終手段なのではなかと思います。これを殺人と言ってしまったら、何人の人々が殺人者になっているのか考えたくもないです。そうならないためにも、人工妊娠中絶はうまく活用しなければいけないなと思います。私は、人工妊娠中絶は殺人ではないと考えます。

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私は最近インターンシップでIT業界を受けた時、同じようなことをワークショップでやりました。お題は「就活業界を変える革新的なサービスを考える」というものでした。私の班は、就活生同士や、企業と学生が直接コミュニケーションをとることができつつ、エントリーシートを統一し、すべての企業にまとめてエントリーすることのできるアプリを提案しまいた。しかし、そこで受けたフィードバックで、「就活生だけでなく利用する企業にとってのメリットがほとんど無い」というものでした。企業としてはやはりそのように一度で複数の企業をエントリーしたり、コミュニケーションを簡略化するというのは、就活生がただただ楽をするためのサービスになってしまい、就活生一人一人の個性や違いを見たい企業にとってその機会を減らしてしまうものになってしまい、就活業界にとってマイナスな仕組みになっていく可能性があるというものでした。一部の利用者のメリットだけを考えてサービスを提供していくのではなく、利用者全体にWIN-WINになる仕組みを考えていかなくてはいけないというのは今回の授業でも触れていたように、利用者がいなければサービスは続かないという話に近いのではないかと考えました。

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今年の大災難であった新型コロナウイルスは、ベンサムの最大多数の最大幸福が1番考えられ、賛否両論が多かったと思います。安倍首相のアベノマスクはマスクの品薄で買えなかった人々の感染予防の為を思ってやったことであるが、それは逆に経費の無駄だと人々から批判をくらいました。それからの政府側の判断と人々の生活の現状と意見が一致せず、最大多数の最大幸福を考える判断は難しかったことが明快にわかりました。 最近のgotoトラベル、gotoイートでは、経営者のことを思って人々を動かせば、感染者は増大に増え続け、今までの感染対策意識が弱まってしまった結果でした。経営者の倒産を優先するのか、人々の感染拡大を防ぐのか。難しい判断ではあるもののどちらにしても国民の生活・命がかかっているもので、最大多数の幸福が考えられた結果でありTVを見てた私はやむを得ない判断だと思いました。ロックダウンさせる、させないも、アメリカと日本で差はありましたが、これも最大多数最大幸福の結果でした。

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