2020-11-25

情報倫理とセキュリティ2020後期09投稿集

情報倫理とセキュリティ2020後期09

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来週は「知の理論」をやります。この教員用PDFをざっと眺めて(もちろん通読して下さるのがベストですが)感想と質問を書いて下さい。500字以上。ラジオトークのように「私」を主語にして「ですます調」で書いて下さい。締切は2020年11月21日午後11時30分。 https://www.ibo.org/contentassets/93f68f8b322141c9b113fb3e3fe11659/tok-guide-jp.pdf


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1. 来週は「知の理論」をやります。この教員用PDFをざっと眺めて(もちろん通読して下さるのがベストですが)感想と質問を書いて下さい。500字以上。ラジオトークのように「私」を主語にして「ですます調」で書いて下さい。締切は2020年11月21日午後11時30分。 https://www.ibo.org/contentassets/93f68f8b322141c9b113fb3e3fe11659/tok-guide-jp.pdf

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「知の理論」について説明する際に「この資料を生徒に活用させるのもあり」というようなことが書かれておりますが、基本的にはこの資料は教員用となっているので、生徒側の意見としては少し読みにくいと思いました。それでもまあまあ理解はできたと思います。「知の理論」では批判的思考に取り組み、具体的に何かを考えるのではなく、プロセスを考えていくということだと資料を読んでいて分かりました。私たちが今「知っている」ことは、どのようにして知っていくのか。またはいつ、どこで知るのかということを探求するのが「知の理論」なのだと思いました。「知の理論」の目的は、共有された「知識の領域」の間のつながりを重視し、それを「個人的な知識」に結びつけることで、私たち生徒が自分なりのものの見方や、他人との違いを自覚できるよう促していくことにあると資料に書いてあったので、来週の授業で「知の理論」について深掘りしていくのが楽しみです。質問として1つ聞きたいのですが、先生は来週の授業で、この「知の理論」の資料通りに授業を進めていく感じでしょうか。それとも、生徒がこの資料を読んだという前提で、+αで先生が何か教えてくださるのでしょうか。楽しみです。ちなみに、ここではあまり関係ない話ですが、今日の授業での北斗の拳の話がとても面白かったです。

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さすが「知の理論」(TOK: theory of knowledge)教員用PDFだとおもいました。批判的思考(クリティカルシンキング)が大切だと歌っているところが教員の基本だと感じました。この基本ができていなければ平坦な授業内容になり聞いていても受講者は意味を感じられない世間話をしているだけの授業となってしまうと思うので大切なことを一番最初に持ってきているのはとてもいいと思いました。さらに、大切な基本的な多くの教員がやっている事といえば、生徒からの質問に対して明確なソースのないものに関しては調べてから回答をするというものがセオリーで、これができていない教員もいて生徒に誤った解釈を与えることもある者も中には存在していることでしょう。知っている者からすれば、この人はいい加減な人だと思われてしまうし、誤った情報を流しているのに気がついているのか、敢えて解釈違いの情報を流しているのかなど、そちらの思考にもっていかれ、本題に集中できずにモヤモヤしてしまいかねません。そしてこのTOKの目的をみると、『生徒が自分なりのものの見方や、他人との違いを自覚できるように促していくことにあります』とあり、若干ステレオタイプを排除する目的が後者に含まれているようで精神育成も交えていると感じます。前者の『生徒が自分なりのものの見方』これは、非常に大切な要素であり、尊重されなくてはならないものであると思っています。コアの一貫性の項目の自己認識とアイデンティティーを培うという、国際的な視野を育む、思いやりのある人、バランスの取れた人、振り返りができる人など項目をみてもやはり精神育成のほうから入っているようで、若干教員用にしては精神育成要素が強く、振り返りもせずに思いやりのない意見を押し通すような協調性のない教員が多かったりするのだろうかなどと私は考えもいました。知識とともに、人に教える立場で、人間として正しく模範となるような教員が少ないのか、このPDFで諭されているようです。このような解釈をすると若干残念な気分です、なぜなら、このような指導などなくとも人間として正しく生きている者はそう生きられるからです。

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私は知の理論のPDFファイルを読んで、この教育システムはより日本で取り入れられるべきだと感じました。なぜなら、これから何事においても自分たちの国単位ではなく、地球全体で考える必要があると考えていて、このIBは地球規模で考える人材育成に大きく貢献することができると感じたからです。地球にある資源は限られていて、これからは各国間で取り合ったりするのではなく、みんなにとってより良い選択をしていくべきだと思います。そういった取り決めをする際に、各国間で教育の方法に大きな違いがあると、物事がうまく進まないように感じます。だから、世界共通の教育指針があれば、これからはよりスムーズに議論や物事に取り組んでいくことが可能になるのではないでしょうか。また評価方法が同じであると、留学の受け入れも送り出しもより円滑になり、国際人の育成が可能になると思います。一方で世界中の人が同じような方法で教育されれば、国特有の文化や考え方、個性が失われてしまう問題の可能性も上げられます。論文の書き方を学ぶのも大切だと思いますが、日本の例を挙げるなら、習字の授業も大切な文化の学習だと思うため、このような教育指針が文化を殺してしまう問題も考えられると思います。本当の意味での国際人は自国も他国の文化も受け入れ尊重する人だと思いますが、IBで国際人は生まれるのでしょうか?

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急速的なグローバル化によって、国際的に交流することが増加している現代では、「批判的思考能力」を培い、ものに対する自分なりの考え方を持つことや他者との違いを理解しておくことは、国際的な視野を持った人材を育成することに繋がるということが分かりました。そのためにも、グローバルコミュニティーの一員として、日本の社会人が世界で活躍していくためには、国際バカロレア(IB)教育のプログラムを児童生徒のうちから、積極的に学習させることが必要なのではないかと私は思います。しかし、このような状況下において、日本では未だに、学力や偏差値といった「知識の量」によって、人間の能力を判断する傾向が根付いており、「知識に関する批判的思考能力」をあまり重視していません。このことから、日本の教育は、他の国と比べても遅れているということは明らかであり、教育の一環として、IB教育を日本の学校が取り入れることは厳しいのではないかと私は思っています。そして、今後の日本においては、人間の能力を判断する方法を改め、少しでも児童生徒たちをIBの学習者像へと近づけられるように、スキルを発達させる学習を行うこと、さまざまなものの認識の仕方を教え、「知識の領域」や「知るための方法」を分析させることが求められていると私は思います。

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今回「知の理論」を読んで、初めは正直なところ何も理解できませんでした。しかし何度もこのPDFテキストを読み返すうちに知の理論の根っこにあるのは人間の果てしない探究心であり、その探究の仕方のガイドとしてこのTOK指導の手引きがあると思いました。知への探究心という抽象的なものをより具体的にわかりやすく理解するためのガイドとしてのやくわりを担っていると感じました。知識は人間が成長するために欠かせない行動です。このPDFテキストにもある「知の理論」具体例として地図が挙げられていました。この例えは私自身の考えている「知の理論」と、このPDFで述べられている「知の理論」が一致するのにとても役立ちました。一人一人知識が違うように地図も具体的な地図や抽象的な地図があり違いがたくさんあります。知るためのプロセスとしてテキストでは言語• 知覚 • 感情 • 理性 • 想像 • 信仰 • 直観 • 記憶の8つの具体的な方法を挙げており、また知識の領域として• 数学• 自然科学• ヒューマンサイエンス(人間科学) • 歴史• 芸術• 倫理• 宗教的知識の体系• 土着の知識の体系8つの領域を設定しています。この計8つ領域と8つプロセスが複雑に絡み合い複合して、私たち人間の知識を形成していると感じた。このPDFテキストを読み人間の知識を得るプロセスの過程を言語的に認識することができました。

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まず、最初に書いてある、IBの学習者像に書いてある「すべてのIBプログラムは、国際的な視野をもつ人間の育成を目指しています。人類に共通する人間らしさと地球を共に守る責任を認識し、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する人間を育てます。」という言葉が、とても心に響きました。なぜならば、多くの情報が簡単に手に入れられ、色んな意味で地球が小さくなった今、国際的な視野を持つ人間の育成というのは、必須になると思うからです。しかし、国際バカロレアは、探究する人、知識のある人、考える人、コミュニケーションができる人、信念のある人、心を開く人、思いやりのある人、挑戦する人、バランスのとれた人、振り返りができる人この10を追求する人を作ろうとしていますが、これは結局、現状から変化を望まないことや利益を得たいという大人の理想や押し付けているだけのような気もします。また、今の資本主義社会では通用しないようにも感じます。なぜならば、結局すべてが世界や社会への還元を第一にし、自らの利益をそれよりも下にしているように感じるからです。「人類に共通する人間らしさと地球を共に守る責任を認識」というのが、まさにそうです。これらを第一に考慮して、一個人として、将来的に幸せになれるのか私は疑問です。

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 教員用のPDFを読んでみて私は、全体的にわかりやすく説明されているなと感じました。特に、最初らへんにある、IBの使命をしっかりと記載していてとても分かりやすかったです。また、TOKとは哲学的な科目ではないと言ってますが、私は考え方をといている哲学的な科目であると感じました。私たちが持っている、知識を知ることや知っているとはどういうことなのか、などを学習することで生徒の批判的思考を培うことを目的としていて、とても良いなと思いました。また、ディプロマプログラムは、綿密に組まれた教育プログラムであり、2年間の中で、人間にとって重要な力を育成することができ、その中でも多様な文化の理解は、これからの時代にとってどんどん重要になっていくものだと思うので、とても魅力的に感じました。ですが、「知識に関する問いの例」の部分はわかりづらいなと感じました。アフリカの将来の人口増加をどのようにすれば予測できるか」という問いは、「知識に関する問い」ではないと言っており、その後の例のプラシーボ効果などを読んでも、知識は知識でいいのではないかと私は考えました。  質問としては、国際バカロレアのディプロマプログラムを導入するとなるとコストが膨大になってしまうのではないでしょうか。

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批判的に思考することにより知るプロセスを探究するという知の理論とは、物騒で大胆なやり方だと思いました。しかしこの考え方だけみれば良い探究の仕方だと思いました。例えばある主張や意見を聞いて、それをどう思っているかはさておき、肯定してしまえばそれ以上何かを考えたり知ろうとする作業はしないのです。批判的にそれを捉えることにより、反論のために情報を集め自分でわかりやすく説明しようと考えるというプロセスが自然と生まれてくるわけです。 しかし「知識の本質」というだけに、自分が持っている知識をなぜ知っているのかという哲学的に問いを探究していくというのは中々途方もない事だとも感じました。個人的にはそれを知ってどうするのか疑問には思いますが、そのプロセスこそが重視されているとするならば、常に探究していかなければならないのでしょう。 まず知の理論そのものが抽象的でよく分かりませんでした。「知識に関する主張」を分析し「知識に関する問い」を探究するとはつまり何をすれば良いのかということです。それを考えるという思考にも知の理論に含まれているとすればよりややこしくなります。知識そのものの探究なら理解するのですが、自分がある事をを知っているという事実はそれ以上でも以下でもなく「知識」として個々に内包されています。それに問いをかけるというのは、果てしない自己分析のようなものです。

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TOKとは国際的な視野をもつ人材の育成を目指すIBディプロマプログラムの中核を担う学習であり、TOKでは「知る」という自然的な行為や欲求に対してしっかりと理論を学び、善悪や真偽、重要性や優先度を自分の意識で決められるようになる学習のようです。暗記中心の詰め込み式の教育とは異なり、批判的思考や分析力を身につけることを念頭に置いています。ここで議論されている内容についても、知識とは何か、知識に関する問いとは何か、など根源的な哲学的問いかけもあるようでした。道徳にTOKの手法を取り入れるといいのではないかと考えました。ただ、TOKの要素が勝ってしまって、道徳の授業でなくただのTOKの授業になってしまうことがありそうです。基本的にTOKの考え方は、学習者が属している実社会の状況から、ある主張を引き出して、それが本当にそう言えるのかという問いを立て、新しい知識を作り出していくということです。教科の横断的学習でもありますし、探究的な学習でもあります。だから私は、TOKと道徳の相性はとても良いと思っていました。もっている知識をつかい、分かっているつもりになっているものを疑い、固定観念を覆していくのが、道徳の授業にも使えるTOKの視点なのではないかと思います。正直、私はTOKの指導手引きの理解が難しかったです。皆さんは、指導側の理解が容易ではないものをどのようにして効果的に取り入れることが良いと考えますか。

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私はこのPDFを読んで、このDPプログラムを受けたいなと思いました。特に良いなと思った点は、6教科の中から、3~4教科を上級レベル、その他を標準レベルで学べるという点です。私は、情報の授業だったり、数学、社会の地理、歴史が得意だったので、中学、高校の通常の授業にあまり満足感はありませんでした。歴史であればもっと深い歴史まで学びたかったし、数学ももう少し幅広い授業を受けたかったです。歴史に関しては本を読んだりしていたので基本的な知識は身についていたので、学術的な視点からみた歴史であったり、学校でしか学べないことを学びたいと思っていました。DPプログラムは自分でレベルを選択することができるため、自分の学びを自分の意思で深められるのがすごくいいなと感じます。また、DPプログラムは、大学入学前にこのプログラムに参加することで、大学生としての学びの事前準備がしっかりできる点もいいなと感じました。高校までの学びと大学での学びは学び方が全く違うと私は考えていて、高校までは習ったことをそのまま身につけるインプットが大切なのに対して大学は、学んだことに対してどう考えるかアウトプットが大切だと考えます。そのギャップを入学してからすごく感じていて、大学1年生の時はギャップに苦しんだのを覚えています。そのギャップを埋める役割をDPプログラムが果たし、1年生から大学での学びの浸透率を向上させると考えまたので、このプログラムに参加したかったと考えました。ただ、このPDF全体に目を通して、このプログラムは入学前の生徒にいきなり8000字の論文完成など、かなりハードな内容だと感じましたが、入学前どれくらいの期間を前提に作成されているのでしょうか。また、この内容のハードさに大学での学びに少し大変だとか、マイナスなイメージを抱くかもしれませんが、大学側として入学前の生徒に対して、どのようなサポートを行うのでしょうか。

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私はそもそも「知の理論」というんものが何なのか全く分からなかったし、聞いたこともありませんでした。なので「知の理論」とは何かを今回知れたらと思いPDFを読んでみました。「知の理論」は、批判的に思考して、知るプロセスを探究する授業と最初にありましたが、批判的にというものに引っ掛かりました。名前からして知識を身につけたりするものだと思っていましたが、それも違いました。{「知の理論」では、私たちが「知っている」と主張することを、いったいどのようにして知るのかを考察します。具体的には、「知識に関する主張」を分析し、「知識に関する問い」を探究するよう生徒に働きかけていきます。「知識に関する主張」とは、「私(たち)はXのことを知っている」や「私(たち)はYのやり方を知っている」といった主張であり、知識についての言明です。「知識に関する問い」とは、知識についてのオープンな問いです。「共有された知識」と「個人的な知識」の間の区別も本資料『「知の理論」(TOK)指導の手引き』で説明されています。この区別は、教師がTOKの授業を考案したり、生徒が「知識の本質」を探究したりする際に役立つものとして設けられています。}これらの「知の理論」とは何かから少しだけ納得がいきました。知識について深く考え、その知識がどのようにして得たものなのか探求するプロセスが大切であり、その知識に問いかけることでそもそもの知識をより深いものにすることだと私は捉えました。情報の取捨選択が難しくなったこの世の中ではその方法を知る機会は重要だと思います。

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私は今回の「知の理論」におけるPDFを読んで普段生活をしている中で当たり前と思っていたことを深く考えるキッカケになったと思います。「知の理論」という言葉は今回のPDFで初めて聞き、これはどういう意味なのかということからで、様々な知識を身につけていくのではなく、私たちがどのように知識を吸収して、知るための方法はどのようなものが存在しているのかを研究していくのかということを知りました。知識の中にも2種類あって、高度に構造化された体系的な性質をもつ、複数の個人による成果物で得られる「共有された知識」と経験、実践、個人的活動を通じて得られる「個人的な知識」で分けられて両者をうまくバランスよく取ることが重要ということで、何事もアンバランスに取ることはよくないと思います。また、知るための方法をよく理解すること企業に入って何かを多くの人に知ってもうためにPRするときに一つ一つの特徴を知っていたらそれにあった判断ができるのはないかと思います。この「知の理論」を深く研究することで社会に何が貢献でき、どのように関わっていけるのか、そしてこのような仕事があるのかが気になりました。また、個人的な知識の差でどのような差が生まれてくるのだろうかと疑問に思いました。

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「探究する人」「知識のある人」「考える人」「コミュニケーションができる人」「信念をもつ人」「心を開く人」「思いやりのある人」「挑戦する 人」「バランスのとれた人」「振り返りができる人」といった人々に育てる、全人教育を目指しているんだなと感じました。IBプログラムには、大学入試のためではなく、生涯役立つような教育が推進されていると思いました。文化や価値観の違いを認め、理解する気持ちを育む工夫がプログラムに強く反映されており、徹底的に読み、考え、自分の言葉で書き、プレゼンする能力を培うことができます。 思考力と表現力に重点を置いていると感じました。 新しい知識を得ることが目的ではなく、これまでの生活や教科学習で培ってきた経験や知識を批判的に振り返ることが目的であると考えます。 学際的な観点から、教科学習で得る個々の知識体系と自己認識の地区質を徹底的に振り返ることができます。そして、批判的に思考するためのTOK独自の概念的ツールが素晴らしいと思いました。そのツールの1つである知るための方法として、言語、知覚、感情、推論、想像、信仰、直感、記憶があると記載されています。私もこの方法を意識して物事を知っていこうと思いました。

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私はまずIBの学習者像の目指すものが高すぎるのではないかと感じました。探求する人、知識のある人、考える人、コミュニケーションができる人、信念を持つ人、心を開く人、思いやりのある人、挑戦する人、バランスのとれた人、振り返りができる人といった10個も持てる人間が果たしているのかと疑問を持ちました。このような人を目指すためにねらいがあることがわかりました。知の理論であなたはどのようにして知るのかという問いに対する答えを生徒が様々な文脈において考えることによって、将来で知識の豊かさを発揮することができ、その方法は多々あります。5つほどありますが、私がここで一番注目したものは知識には責任が伴い、知ることによって社会への参加と行動の義務が生じることに納得できませんでした。知識を知ることはとても大切なことで色々な形で役立つことが期待できます。ですが、なぜわざわざ義務にする必要があるのかわかりませんでした。次に評価目標として、知の理論が終了時点では7つの能力が持てるような期待をされています。特にここで私が気になったのはさまざまなものの見方を認識して理解し、自分自身のものの見方に関連づけることは重要なことであると私も思いました。また、知の理論を知るための方法として言語、知覚、感情、理性、想像、信仰、直観、記憶の中からの4つを深く勉強するのが適切で、最適ということがわかりました。

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私がこれをざっと見て気になった点が真ん中あたりにあった知るための方法です。「言語」「知覚」「感情」「理性」「想像」「信仰」「直感」「記憶」のうち4つを深く勉強するのが適切であると記されてありました。もし私がこの中から4つ選ぶとしたら、感情、理性、直感、記憶を選ぶと思います。まず感情については、理性と同じく真っ先に選びました。感情はいわゆる人の顔に出てくる表情、心の内に秘めているものであります。私たち人間はコミュニケーションを取る上で感情は最も重要な要素です。怒り、喜び、笑い、泣き、会話する上で用い、それを友達と共有することでストレスが減少するという傾向があります。この感情を作るためには2つ目の理性にも繋がっており、理性があるおかげで人は感情をコントロールすることができます。続いて直感と記憶についてですが、これも先程と同様にペアで結びつくところがあると思います。直感は人間の本能で働く要素であります。本能で働くと言いましたが、これは記憶という要素を加えたものであると私は思います。人間というのはそもそも変化を嫌う生き物であるため、怠けてしまうというのは自然のことである、と言えます。しかし、人間社会に溶け込む上で受験、就活といった大きな選択肢が課せられます。どの学校がいいか、どの企業がいいか、など直感的に選ばなくてはならないのですが、そこで記憶という要素が絡んできます。学校説明会やインターンシップなどでどういった雰囲気かを味わうことで、そこで得た情報を記憶に残し、どこが良かったかを直感的に選びます。直感とは過去の記憶が大事になるということです。

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私はディプロマプログラムという言葉自体を聞いたことがなかったので、ディプロマプログラム(DP)は16歳から19歳までの大学入学前の生徒を対象とした、 綿密に組まれた教育プログラムということを初めて知りました。「知るための方法」(WOKs:ways of knowing)が多数ありますが、TOKでは、言語、知覚、感情、理性、想像、信仰、直観、記憶の8つの具体的な方法を設定していることがわかりました。また、「知の領域」については、数学、自然科学、ヒューマンサイエンス(人間科学)、芸術、歴史、倫理、宗教的知識の体系、土着の知識の体系の8つを設定していることがわかりました。私は、「知の理論」(TOK)は、「知識の本質」について考える機会を生徒にもたらすことから、DPにおいて特別な役割を担っていて、TOKでは、さまざまな「知識の領域」の間のつながりを重視して、また「知識の領域」と知ることの主体者である「知る人」とのつながりを示していくということが興味深いと思いました。 質問なのですが、このディプロマプログラムというものは、どのようにして受けられるものなのでしょうか?自分で申し込むものなのか、学校ごとに全体で行うのか、はたまた別の方法があるのか、気になりました。

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ディプロマプログラムとは16〜19歳の間で取り組むプログラムだということが分かりました。コアには「知の理論」(TOK)、「創造性・活動・奉仕」(CAS)、 「課題論文」(EE)の3つのコアがあるということがわかりました。TOKはクリティカルに思考して、知るプロセスを探求する授業だということが分かりました。また、言語、知覚、感情、理性、想像、信仰、直観、記憶の8つの具体的な方法を設定し、生徒は必ず複数の「知るための方法」を探求しなければならないということを知りました。数学、自然科学、ヒューマンサイエンス(人間科学)、芸術、歴史、倫理、宗教的知識の 体系、土着の知識の体系の8つの「知識の領域」を設定しているということが分かりました。また、評価では小論文やプレゼンテーションなどが利用されるということが分かりました。私はこの2つだったらプレゼンテーションのほうが良いなと思いました。ヒューマンサイエンスは個人と社会に区分されている多くの科目が含まれており、人間であることの現実を探求する学問ということを学びました。このディプロマプログラムは、学校において広く取り入れられているものなのでしょうか?また、このプログラムは学校以外に個人で取り組む人も多く見受けられるのでしょうか?

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国際バカロレア(IB)は高校時代の世界史の先生が述べていたこともあり、名前自体は知っていました。しかし、それがどのような仕組みでどのような制度なのか知りませんでした。私はその中でもディマロマプログラムという、16歳から19歳という人格を形成し大人の一員となる前段階の大切な時期の、大学入学前の生徒を対象とした綿密に組み込まれたプログラムに興味を持ちました。日本のように決まった科目を学校のカリキュラム通りに学ばせるのではなく、自ら学びたい科目を主体的に学ぶことができるのだと考えています。どの科目においても、さまざまなスキルを身につけますが、特に批 クリティカル 判的な思考と 分析に重点を置いている点が面白く、このような学校で学んだ学生と話してみたいと思いました。また「知の理論」(TOK)は、「知識の本質」について考える機会を生徒にもたらすことか ら、DPにおいて特別な役割を担っている点にも興味を持ちました。さまざまな「知識の領域」の間のつながりを重視し、また、「知識の領域」と知ることの主体者である「知る人」とのつながりを示していく点も面白いと感じました。 先生に質問なのですが、今後日本でこのような教育が行われることはありますか?

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この「知の理論」(TOK)を読んでみて、質の高い教育プログラムを世界中の学校に対して提供しているということが書いてあり、学生を教育するプログラムであることは理解できました。中身を見ていくと、それに対してどのようなアプローチでどんなことをといった概念的なことが書かれており、書いてあることはを実行できれば、それだけ高い教育が施されたといえるのだと思いました。ここに書かれているのは、幅広いことに対応できるように教育を施すといった内容だったと思いますが、自分がこの教育を受けたとは思えないほどに様々書かれていました。実際これらが完璧に行われた場合にどうなるのかを見てみたいなと思いました。今まで講義してきたコミュニケーションについての話もここに含まれるのかと思いました。自分が間違えていてもそれも正しくなるという点では、間違いを犯すことを恐れないで、発言を積極的にしていこうというような内容が、数学の教育内容に書いてあったと思います。ここに書かれていることは様々な要素から構成されているのだと思いますが、日本ではこの教育によってどのくらい良くなったのかを見てみたいと思いました。また、他国ではどのように行われていて、その効果がどのような形で表れているのかが気になりました。質問は、これらがどれ程認知されていて、その効果はどんなものなのかということです。内容的なことは、今は特にありません。

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「知識の枠組み」を使うことにより、生徒はさまざ まな「知識の領域」を巧みに比較、対比できるようになり、複数の「知識の領域」や複数 の「知るための方法」の間に存在する関係性をより深く探究することができるようになります。この文章から、現在のネット社会のような様々な情報に溢れた場所で正確な情報を見分けて吸収していくためには、このような取り組みが必要に感じました。「知の理論」を生徒が学習していく必要性をというものをざっと掴めた気がします。しかし、生徒に理解させることはなかなか難しいのではないでしょうか。DPの「コア」の必修要件の1つと して、DPを履修する生徒全員が取り組み、また、最低 100 時間の授業時間を割りあ てることがすべての認定校に求められているとあります。学校のカリキュラムの中で100時間を設けることは困難を極めると思いました。先生が生徒に知の理論を学ぶ意味や意義、学んで何に役立つのかということをしっかりと理解させなければやる意味がないと感じます。これを受け、ただでさえ余裕のない学校が側がこれらの取り組みを実行していくことに、ハードルを感じます。情報にありふれた社会に変化し、ネット環境にある若者に知の理論を学習することは大切に思います。カリキュラムを情報社会適用に大幅変更したり、もう少し軽い形にして導入できることはあるのでしょうか。

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「知の理論」についてのページを読んでみて思ったことは、知の理論を取り扱うことで、国際バカロレアはさまざまな学習において、とても効率的かつ大きな結果を得ることができると感じました。というのも知の理論を学ぶことは、スポーツでいうボールやグローブ、バットなどの知識(固有名詞)を覚えることではなく、体の動かし方を覚えることに近いからです。サッカーボールという知識を知っていてもほかのスポーツには応用できませんが、蹴るという動作を会得していれば、サッカーだけではなくキックボクシングなど他のスポーツに応用できます。このように、知の理論を学ぶことはモノの考え方を学ぶようなもので、一見遠いようにも感じますが、さまざまな教科を学ぶ上で高い効果を発揮することが実際に可能なのではと思います。また、知の理論の考え方の中で面白いなと感じたのは、知識は「個人的な知識」と「共有された知識」の2種類に分けられ、またその2つの知識は共有し合っている部分を持つということです。個人の持つ様々な考えが共有された知識(この世に存在する様々な理論)に影響を及ぼし(逆も然り)、それをまた1つの知識の形として捉えているのが興味深いなと感じました。

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IBというのは多様な文化の理解と尊重の精神を通じて、よりいい、より平和な世界を築くことに貢献する、探究心、知識、思いやりに富んだ若者の育成を目的としているものです。そして、世界各地で学ぶ児童生徒に人が持つ違いとして理解し、自分と異なる考えの人々にもそれぞれの正しさがあり得ると認めることのできる人として、積極的にそして共感する心をもって生涯にわたって学び続けるように働きかけている活動をしています。私はこのIBというのを今回はじめて耳にしましたが、このような教育があるのかと驚きました。私が1番興味深いと感じたのは知ることについて知るというところです。ここでは私たちが知っていると主張することをいったいどのように知るのかを考察します。そしてこの知るということに対してどのように知るのかという方法が8個あることをここでは述べています。その8個というのは言語、知覚、感情、理性、想像、信仰、直視、記憶のことを指します。私はこの単純な知るという行為に対してこんなにも多くの方法が存在するのかと驚きました。そしてこの方法を無意識で行うよりも意識して知ることを行えばより一層深く物事について知ることができるのではないかと思いました。このような単純なことでも根底にあるものを深く見つめてみることで違った一面を見ることになりおもしろいとこの資料を見て思いました。

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私は冒頭の「人が持つ違いを違いとして理解し、自分と異なる考えの人々にもそれぞれの正しさがあり得ると認めることのできる人として、積極的に、そして共感する心をもって生涯にわたって学び続けるよう働きかけている」という文章に衝撃と、忘れたくない、とても印象的な文章だと思いました。なぜなら、このことができていれば、今問題となっているSNSでの誹謗中傷だけでなく、学校でよくあるいじめや、会社内でも起きる問題ごとが必ず少なくなると思うからです。全員が同じ意見を持つわけがなくて、それに対して批判するのではなく、助け合うことが必要だと思います。助け合うということはその人がそういう考えを持っているということをまず認めなければ成り立ちません。IBの学習者像には10の項目の目指す人物像が書かれていましたが、すべてそろう人なんていません。少しずつ、これを目指す意味、少しでも自分に取り入れることで自分にも周りにもプラスに働くということを理解してもらわないと、あきらめてしまう人もいると思います。ここには、視野を広げるためのプラセスであったり、知るための方法であったり、よく考えるようになっていると感じました。私自身、考えることがとても苦手で、克服方法もわからず、大変困っています。この考え方は学生生活でも生きてくると思いますし、社会人になったときにより必要な力だと考えます。人を疑ってばかりではなく、批判するばかりではなく、自分に自信が持てずに何も言わないのではなく、自ら考察し、発言し積極的な環境を作ることがとても大事だと思います。このような「知の理論」に基づいて、指導を受けてみたいと思いました。

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知識を身につけるだけではなくて、それを使って「何ができるようになるか」を明確にしていくことがこれからの教育に求められています。でも知識を使う、使い方を教えるためには、前段階として「知識とはそもそも何なのか」を分かっていないといけないのではなかろうか。読みながらそんなことを考えました。TOKは、哲学の学習ではありません。TOKで使用する用語、挙げられる問い、問いに答えるために使用する概念的なツールには、確かに哲学と重複する部分があります。しかしながら、TOKのアプローチは実際にはかなり異なるものです。TOKは、抽象的概念を分析するものでもありません。むしろ、生徒がDPの科目、ひいては学校外の広い世界で遭遇する具体的な状況に対し、一連の概念的ツールを応用できるようにするために、TOKはデザインされています。したがって「知識の本質」を突き詰める哲学的な探究には、授業時間の多くを割くべきではありません。授業を開始するにあたって、知識とは何かについて、おおまかで基礎的な理解をもつことは生徒にとって有益なことです。授業が進むにつれ、この理解は成熟し洗練されていくでしょう。 TOKの評価課題に関するパートは具体的で参考になったのでTOK以外にも援用できそう、と思いました。

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「知の理論」は、批判的に思考して、知るプロセスを探究する授業です。TOKでは、「知識に関する主張」を分析し、「知識に関する問い」を探究するよう生徒に働きかけていきます。「知るための方法」は、TOKでは、言語、知覚、感情、理性、想像、信仰、直観、記憶の8つの具体的な方法を設定しています。「知識の領域」とは、個々の知識の分野を指します。TOKでは、数学、自然科学、ヒューマンサイエンス(人間科学)、芸術、歴史、倫理、宗教的知識の体系、土着の知識の体系の8つの「知識の領域」を設定しています。知識でも、共有された知識と、個人的な知識で分けられます。「共有された知識」は、高度に構造化された体系的な性質をもつ、複数の個人による成果物です。「共有された知識」について考えることにより、私たちは、それを共有している集団の性質について考えられるようになります。「知識に関する問い」を探究するにあたり、国際的 な視野も、もてるようになるのです。「個人的な知識」は、特定の個人の経験に大きく依存します。経験、実践、個人的活動を通じて得られるものであり、その人の生い立ち、興味、価値観など、限られた特別な環境に密接に結びついています。「個人的な知識」は、個人のものの見方に影響し、また逆に個人のものの見方から影響も受けています。TOKで「共有された知識」と「個人的な知識」の間のバランスをとることは重要です。「共有された知識」と「個人的な知識」の違いを授業で重要視することで、これら2つの要素のバランスをとることができます。

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私が今回PDFを読んで「知の理論」について分かったことは、「知の理論」はある特定の知識を身につけるということではなく、「知ることを知る」と言うような、どのように知識を得るか、という知識を身に付けるための方法を学ぶことであり、その過程を理解することであるということが分かりました。さらに現在のグローバル社会の中で、知の理論においてもグローバルな視点を持つ人間が求められているということが分かりました。さらに、知の理論を学ぶことの狙いとして、「あなたはどのようにして知るのか」という問いをを知の理論を学ぶ者が、様々な文脈において考え、その問の価値を認識することであると記されていました。そして、「あなたはどのようにして知るのか」という問いを、学ぶ者が理解することで、知の理論を学ぶ者が将来にわたって知識の豊かさに魅了されると書かれていましたが、その「あなたはどのようにして知るのか」という問に関して、それぞれの認識の仕方があると思いますが、知の理論において最も正しい答え、理想に近い答えはどういったことであるのかという疑問は感じました。それともこれといった正解はなく、知の理論を学ぶ者それぞれにそれぞれの解釈があることが正しいのか?と感じました。

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「知の理論」についての資料を読んで、率直な感想としては、我々が行ってきたこれまでの「学習」とは異なった視点で「学習」というものを捉えているなと思いました。『「知の理論」は、批判的に思考して、知るプロセスを探究する授業です』と書かれているように、「学習」というものの本質的な部分に迫っていくという点が中心になるようです。「知の理論」はディプロマプログラムの中では、コアとなる部分であり、必修要件となっています。これが、一般的な「学習」とは一線を画している部分です。漠然と知識だけを詰め込まれるような「学習」とは異なり、「知識に関する主張」や「知識に関する問い」を探求することが求められ、主体的に「知識」について考えることができるのではないかと思いました。 資料を読んでいるうちに疑問点もいくつか浮かんだので、質問として列挙したいと思います。 ①「知の理論」を含むディプロマプログラムは、なぜ「16歳から19歳の大学入学前」の生徒のみを対象としたのか。 ② ①に関連して、ディプロマプログラムを小・中学校からの長いスパンで取り組むプログラム構成にすると何が問題になるのか。 ③日本で導入するにあたっては、どのような点が課題になるのか ④あまりにも体系化されすぎているのではないかという懸念はないのか。 以上が、気になった点です。

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私は、この国際バカロレアが掲げる“人がもつ違いを違いとして理解し、積極的に、そして共感する心をもって生涯にわたって学び続けるよう働きかける”というテーマは、とても素晴らしい理念だと感じました。特に学習者像の“コミュニケーションができる人”という部分は、コミュニケーションの場や方法が多様化している現代で、自分自身や他人の考え方や価値観を正確に伝える・得る為にとても大切なことだと思います。しかし、この国際バカロレアが掲げる学習者像で私が少し疑問に感じたのが、“信念をもつ人”という部分です。pdfにも書かれているように、あらゆる人々がもつ尊厳と権利を尊重して行動することは確かに大切なことですが、各個人それぞれの権利を全て尊重することは不可能だと思います。例えば団体行動をしている際に、ある行動をやりたいという権利を主張する人もいれば、それはやりたくないという権利を主張する人もいたとします。その権利が各個人の信念に基づいた権利の主張だった場合、必ずどちらかの信念をもった権利を奪って行動してしまうことになります。こういった場合、国際バカロレアが掲げる“あらゆる人々がもつ権利を尊重する”というテーマに矛盾が生じてしまうと思います。そのため、この問題に対してはどのような解決策をもっているのかと疑問に思いました。この場合、なにか解決方法はあるのでしょうか?

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私は、このPDFを見たときに目標の提示があったが学ぶ上にあたり大切のものばかりだと感じます。その中で、まず心を開く人と思いやりのある人というものに注目した。多様な視点があり価値を見つけその経験をもとに成長することと述べられています。思いやりのある人には、人の役に立ち、他の人々の生活や私たちを取り巻く世界を良くするために行動することと述べられています。この二つはIBプログラムにあるように国際的な視野を持つうえで非常に重要な点だと感じています。このような人に慣れていれば最近ニュースで話題に上がることの多い人種の差別という問題を解決していく方向に進むはずです。また狙いにおいては、自分の信念や前提を振り返り、責任意識と目的意識に満ちた人生を送れるようにすると述べています。この狙いについては、自分にもあてはめて考えなければならないと思います。今この時期は、自分の将来についてこの先の人生をどのように描いていくかを考えなければいけない時期にあります。なので、この狙いの一部からこの先の人生の送り方について今までの人生の送り方や信念や前提についてかみ砕いて振り返り、責任や目的を持つことが重要だと認識させられます。

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伝統的に、新しい知を生み出す役割を果たしてきたのは大学である。ところが、従来の大学の学部などに代表されるような学問体系に依拠した知識生産だけでは、社会からの多様な知やスキルの要求に対応できなくなってきている。既存の学問体系を越えた知の生産をいかにして行えばよいのか。昨今、大学改革が叫ばれているのは、社会の要求と学術が乖離していることに端を発しているのではないだろうか。 社会から要求される多様な知やスキルの需要に応えるためには、社会のなかに分散し埋め込まれている知やスキルを掘り起こして、新しい実践知=専門知として誰もが利用できるかたちにしなければならない。では、その社会に散在する知やスキルを実践知=専門知にしてゆく担い手は誰か。

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知識は、1人または複数の人間によって生成されるものと見なすことができます。一方では、知識は「知るための方法」をはじめとする多数の要因の結果として、1人の個人が 到達する成果物である場合があります。こうした個人の知識は、本資料では「個人的な知 識」と呼ばれています。他方では、知識は、複数の人が協力した結果の成果物である場合 もあります。複数の人が協調するか、あるいはより多いパターンとして時間的、地理的に 隔てられた状況で協力する中から生成されることがあります。芸術や倫理などの「知識の 領域」は、この形態に該当します。「共有された知識」と「個人的な知識」の間には、つながりや相互作用があります。「共有された知識」には、個人が貢献しています。個人が貢献するプロセスでは、その領域の 「共通の」知識と見なされるために、特定の学問領域によって要求される確認手順を経る必 要があります。しかし一方で、個人が抱く世界観には、「共有された知識」が貢献していま す。これは、「共有された知識」のすべての目的ではないとしても、1つの目的です。すな わち、「共有された知識」のおかげで、個人は世界を理解できるようになるのです。この 「共有された知識」と「個人的な知識」の間の相互作用の性質は、考察すべき「知識の枠組 み」の最後の構成要素です。この構成要素は、知識を得たところで「これはいったい自分に とって何を意味するのか」という問いに答えるものであり、ゆえに重要な要素です。個々 の「知識の領域」が、個人の生活や私たちが抱く世界観にどのように影響するのか、この領域は、私たちのものの見方をどのように形成または変化させるのか、具体的に気になりました。

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教員が私たちに教える上での枠組みがこんなにも詳細に書かれている資料がある事に驚きました。それは教員がなんの枠組みもなく個人の自由に教えを説いていると思っていたわけではなく、この資料の細かさに驚きました。読んでいると、「こう教える事によって生徒はこうなっていく」というような、まるで新しいガジェットの説明書みたいな機械を相手にしている様な感覚に陥りました。本当に記載されている様な効果が期待できるのか?など疑問を抱く箇所もありました。しかしこの資料の冒頭に書いてあったように「枠組み」を提供するものであって、強要するものでない。この通りであって、教師一人一人それぞれに彼らの解釈で枠組みが作られていっているのだろうなと感じました。ここまで批判的な意見を述べましたが否定的な訳ではなく、本当に資料通りの効果が期待できるのかという点に疑問を持っているだけで、内容自体はとても興味深いものでありました。「知の理論」の学習の説明において、知識の本質について考えさせるためのプロセスを導き出していたり、知識を領域にカテゴライズすることや、生徒が知識に関する問いをぶつける事によって得られる効果など、とても惹かれる内容でした。これを読み実際に行った結果どのような効果が見られたのかを知りたいと思いました。

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私はコア(知の理論、創造性・活動・奉仕、課題論文)という3つの必修要件において国際的な視野を育むことを究極の目標としていることはとても素晴らしいと感じました。今もこれからもグローバル化が進んでいく中で、それぞれの文化がもつアイデンティティや固定概念からどうしても差別や偏見から生まれる争いは今現在絶えていない状況で、「人がもつ違いを違いとして理解し、自分と異なる考えの人々にもそれぞれの正しさがあり得ると認めることのできる人として、積極的に、そして共感する心をもって生涯にわたって学び続けるよう働きかける」という部分はそれぞれのアイデンティティを認め合い、共存していく文化がみられるという期待が膨らみました。 また、知をそのまま受け入れるのではなくクリティカルに思考する訓練を行うことは今の情報社会において絶対必要なことです。このクリティカルに思考できている人はそもそも物事を簡単に判断することなく自分でかみ砕くことができ、知の枠組みが確立しているのです。このプログラムでは自分で思考するプロセスが中心に盛り込まれているので、信頼性がとても感じられました。 しかし、知るための方法が8つ紹介されていましたが、なぜ4つを深く勉強すると限定しているのでしょうか?それぞれの知る方法に少しでも違う認識があった場合、勉強する組み合わせによっては違う答えがでてきてしまう可能性があるのではないかと疑問に感じました。

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まず、この国際バカロレア(IB)というのは初めて聞きました。この国際バカロレアというのは多様な文化の理解と尊重の精神を通じてより良い、より平和な世界を築くことに貢献する、探究心 、知識、思いやりに富んだ若者の育成を目的としています。この、IBの目標のは10の人物像というものがあって、探求する人、知識のある人、考える人、コミュニケーションができる人、信念を持つ人、心を開く人、思いやりのある人、挑戦する人、バランスのとれた人、振り返りが出来る人の10がある。これを見て思ったのは、これらの10個全て兼ね備えている若者というのは、世の中に数えられるくらいしかいないのではないかと思います。自分自身、こんなパーフェクトな人を見たことがありません。そしてはじめの方をざっと見た感じだと・知の理論というものが重要視されているということがわかりました。上の10個の目標は、それぞれがしっかりと知の理論との関係性が見られていて、深いなと思いました。この知の理論の中で気になったのは知るための方法というところでした。この知るための方法では8つの具体的な方法が設定されてあって、言語、知覚、感情、理性、想像、信仰、直感、記憶、の8つである。それぞれの意味についても書いてあったが、どれも抜くことができない大切なものだなと思いました。しかも、これら8つはそれぞれが独立しているのではなくて、それぞれが関連しているという点においても、とても考えられた設定だなと思いました。

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私はこの資料を読んで率直に感じたのは難しいことを言っているなという点でした。ただ今まで私が高校で受けてきた教育とはだいぶ違ったもののように感じました。IBの学習者像の中には知識のある人や探求する人という今までと似たような部分もありますが、思いやりのある人やコミュニケーションが取れる人など高校であまりやることのないものが多くありました。これは今の高校の教育のように知識を伝達するといった教育だけではこの先世界でやっていける人材を作ることができないということではないかと感じます。小学校の教育でやってきた道徳の授業のようなものが高校でも導入するべきだという提案の資料のようなものにも見えます。高校教育に求めるものが違ってきているのでしょうか。そして高校ではあまりない科目の選択やその中のレベルの選択もあり、生徒それぞれが高校の教育の時点で知りたいことや学びたいことを選択できるものなのかなと思います。今までよりもより大学教育に近いものに変化するのかもしれません。誰かに言われて進路を決めたり勉強をするのではなく、自分で学ぶものを選択し自分主導で動いていくということが大学や社会では必要になってくるので高校からそれに近いことをしていくというものはすごく良いものに感じます。ただこの教育を普及させていくのにはある程度時間がかかると思いますが、日本はこの教育にシフトしていくのでしょうか?

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知識とは共有された知識と個人的な知識に別れます。共有された知識とは物理学やコンピュータ技術のように、多くの人がその知識を利用でき、貢献することができます。つまり、共有された知識とは時間とともに変化・進化していく知識のことです。また、国・年齢・性別・宗教などによるグループ内で共有された知識もあります。このような場合に、共有された知識について考えることはそれを共有している集団の性質について考えることができるようになります。一方、個人的な知識とは個人の経験に依存します。個人の経験は生い立ちや環境にも影響を受けており、さらに、スポーツや音楽などの感覚的なものは個人の才能も関係しているため、共有された知識よりも人に伝えるのは難しい傾向にあります。 私は小学生の頃、卓球・水泳・ピアノを習っていました。これらの習い事をしていくに連れて才能や向き不向きがあることに気づきました。水泳とピアノは才能がなかったのですぐにやめてしまいましたが卓球は向いていたみたいで県で優勝するまでになりました。学年が上がるにつれて年下の人に卓球を教える機会が増えましたがあまり感覚がない人に教えるのは難しいと感じました。また、技術は教えることができても試合でどうすれば勝てるかというのは対人スポーツであるため、経験値がないと難しいスポーツであると感じました。このような個人的な知識を伝えることは難しいため、教えられるということは価値のあることであると感じました。

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知の理論が問いかけるものはどのようにして私たちは知るかという疑問でしたが、まずその問いの意味を理解することが困難でした。知ることについて知るとはどういうことなのかよく分かりませんが、それが各分野によって異なるということを知り、さらに気が遠くなるような理論だと感じました。批判的思考を培うと記述してありましたが、極端にいうと1+1の答えが2なのは誰もが知り事実ですが、それをなんで1+1の答えは2になるのかということについて追及していくということならば、知の理論とは人間に対するこの世のすべてのものが対象となるのではないかと思いました。知の理論において8つの具体的な方法が挙げられていましたが、そのうちの感情については生理的で普遍的であり、文化を超えるものと考えられているが文化に根差した例もあり中国の悲恋等が挙げられていますが、日本人は特に昔ながらの伝統や文化に根差したような感情を豊富に持ち合わせているのではないかと思いました。自然主義と社会構築主義の味方の対立とありましたが、他にどのような感情がそれぞれに通じているのかが気になりました。漠然としているために最初は頭を抱えるようなものですが、深く知れば知るほど面白く、追及していくことが楽しそうな理論なのかなと感じました。

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私はこのPDFを読んで、そもそも国際バカロレア(IB)という団体が、世界各地で学んでいる児童生徒や政府・教育機関に対して国際教育プログラムの提案をしているということを初めて知りました。まず印象的だったことはIBの学習者像がかなり明確であったことです。『探求する人』、『知識のある人』、『考える人』、『コミュニケーションができる人』、『信念を持つ人』、『心を開く人』、『思いやりのある人』、『挑戦する人』、『バランスの取れた人』、『振り返りができる人』の10の人物像として表しています。実際にこの学習者像を小さい頃から身につけることができれば、IBが目指す通り『より良い、より平和な世界を築くことに貢献する』人間を育てることができると思いました。またこの学習者像は、児童生徒だけではなく、社会人が研修などで学び身につけることで、仕事でも役に立つのではないかと思いました。他にも知の理論(TOK)で知るための方法として、言語、知覚、感情、理性、想像、信仰、直観、記憶の8つの具体的な方法として認定しています。生徒が何かを知る時にこの8つの中から適切な方法を選択し、探求するとのことですが、中でも『信仰』が他の7つと比較して少し抽象的な気がしました。世界各地に宗教は存在しますが、日本のように何も信仰していない(時と場合に合わせて信仰している?)国民性を持つ国もあるため、『信仰』という方法を用いてどのように知るのかという点が疑問に思いました。

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まずこのPDF内で知の理論について批判的に思考して、知るプロセスを探求する授業としていますが、これについてまず私が感じたのはその個人個人で学びに対する方法は異なってくるのでどうなのかなと思いました。もちろん反論的に捉えて授業を受けるのが得意な生徒ももちろんいます。しかしそういった一方で真摯に話した内容を受け止めて授業に取り組む事を得意とする人からすると、そこで大きな差が出てしまうのではないのかなと感じました。確かに知る上では学ぶ意欲つまり探求心は必要であると思います。しかしこの知の理論にすべて基づいて授業に取り組ませてしまうと途中で生徒の中には不安を感じ始め、元々勉強が嫌いであったりその強化を苦手な子たちからすると学ぶ以前に拒否反応を起こしてしまうと思うのです。だからこういった方法が苦手そうな生徒に対しては教員の立場から別のアプローチを仕掛けてはいけないのではないでしょうか。

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私はIBのPDF を見て特に心の中で肯定的に捉えられたものと、そうではなく理解がまとまらずしこりのように心残りになっているものがありました。 前者は「知るための方法」後者は「個人的な知識」です。 「知るための方法」の中でも特に腑に落ちた点は「言語」についての記述です。 例えばですが、我々日本人は広げられた大きな四枚羽、触角、葉巻型の胴体を持つ昆虫を見てチョウ又はガであると判断できます。ですがフランス人にとってはどちらもpapillonという昆虫の中の別種として一緒くたに判断されます。同様にイヌイットの民は雪を用途ごとに呼び分け、別々のモノとして判断しますが、我々にとって雪は雪でしかなく、雪を判別するにも「ぼた雪」や「雪解け水」と言った雪の形態として判断します。 PDF中にも出てきたこのような言語決定論的な考えは具体例が頭の中で思い浮かび、日常との紐付けがしやすいため肯定的に捉えられたのだと思います。 一方で「個人的な知識」に対する理解がまとまらなかったのはそれが個々人によって異なる膨大な体験、経験によるものであり、自分の中で具体例が掴みにくかった点、共有的な知識の場合は偉大な先人によって言語化されているのに対して個人的な知識はそうでないという点にあると考えています。 私の場合ですと私は現在約21年と8ヶ月生きており、これは時間にして約190,000時間となります。この中から得た知識を自力で一から具体化することは文中でも語られていたように困難であり、それが自分が理解できなかった原因なのだと思っています。

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知の理論 指導の手引きを読んで、まず出てきたIBの学習者像、価値を置く人間性を10の人物像として明確に表しており、IBが目指すものや未来像が序盤からはっきりと書かれていて分かりやすかったです。 私はIBの学習者像の中で特に重要だと思うのは「信念をもつ人」です。信念を持っていれば、自分らしさを出すことができ、自分に自信を持てるからです。その自信や芯の強さを活かせば、IBだけでなく今後にもつながると思うからです。 「コア」の3つの必修要件として、「知の理論」「創造性・活動・奉仕」、 「課題論文」があります。DPの本質でもあると言われている「コア」は、3つの独立した要件で構成されていますが、「コア」は、3要件や各科目の学習によって、拡充、補完されており、学習しやすい環境を作っているものだと感じます。 「知の理論」では、さまざまな「知識の領域」の間でのつながりを重視し、学習の同時並行性や学習の事前体験など、他ではあまり見ないことをしていてすごく新鮮だなと思います。「知の理論」は哲学ではなく、先述したとおり学習することに力を入れているものだと思います。「共有された知識」と「個人的な知識」のバランスがどれくらい取れているか、違いを授業で重要視することで、これら2つの要素のバランスをとることが大事であると改めて感じます。

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知の領域での学習方法に、生徒自身が自分なりのものの見方や、自分と知識を共有しているさまざまなグループのものの見方を自覚できるよう促していくことにあります。このためTOKでは「個人的な知識」と「共有された知識」の両方を探求する、とありますが、個人的な知識はまだわかりますが、共有された知識では、今のようなオンライン講義では行うことができないのではないかと私は考えました。また、TOKの中心を成すのが「知識に関する問い」というのは理解できます。この教員用PDFにも例文が載っていましたが、これらの問いはTOKの授業を学ぶことでしっかりとした根拠を持ちつつ理解することが出来るのではないかと思いました。他では、TOKと国際な視野とタイトルにありますが、これは文章を読んでいて確かに、と納得しました。知識は幅広く見なければなりません。仮に日本の中だけで知識を拡げようとしても、海外の言語や文化、歴史なども学ぶ機会がありません。このように知識は広く学ぶ機会があれば自分の知識は増えていくと思いました。またこれは余談になりますが、最低100時間の教室での学習を行う、とありますがなぜ100時間なのか、理由があるのだったら知りたいと思いました。

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私は世界中の教育を良くするプログラムは信憑性とかにかける部分を無くそうとしてる部分に刺激を受けました。歴史など様々な観点で情報が曖昧になる現代においてIBプログラムは大切であると思いました。 国際バカロレアの10個の理念を見た時に私たちの時代に欲しかったと思いました。まず一つ目にコアの条件という観点に関して述べさせてもらいます。 • 相互に関連することで生じる学びを支援する。 • 同時並行的に進行する学びを支援する。 • 一貫教育としてのIB教育と「IBの学習者像」を支援する。 • 各科目の学習内容に対する幅広い見方を支援する。 という観点において私は意見の場というのを設けていることに関心を持ちました。私たちは受動的に受けがちな授業を積極的に参加できるという意味でまた一歩進化する授業になると思いました。 後半は知識の繋がりという部分以外は、正直僕の理解力では追いつかないほど高度なものでした。ですがIBにおける授業理念というのは私たちが確実にほしいもので、この理念を取り入れて授業をすれば確実に国際的協力かつ学力も上がるはずだということは理解できました。 評価も私たちのような相対的評価でないことが印象にすごくいいと思いました。高得点をとっても評価されない人たちがいるのはやはりおかしいと思いました

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この知の理論を読んで思ったことは今世界中ではIBといったような教育プログラムを行ってることを初めて知りました。IBは多様な文化の理解を尊重するといった精神を通じて平和な世界を導くための大きな一歩を踏み出すための必要な要素なんだと感じた。また、私を含め今の生きている人々は自分が思ってること相手側が思ってることで違いがあった際に言い合いが起きている現象である。しかし、これではIBが目指している平和な世界が訪れることは無く、平和な世界を築く為には優先順位を自分にするのではなく相手にすることがとても必要なのだと私は考える。その中でIBは効率が良いように色んな視野を持つことができる人材を育てようと考えてることがわかった。プログラムを成功させるには人材だけではなくその対象にあった年齢の中で選別しなければないことがこのプログラムを成功させるにあたってとても難しいことなのだと思った。もし、選別できたとしてもそこからコアの一貫を行い、国際的な視野や自己認識やアイデンティティを形成できる人を育てなくてはならないとういうことがわかった。知識というのは共有された知識と個人的な知識といった二つに大きく分かれていることがわかった。平和な世界を築く為にはそれを培えるような人材が何人かは必要なのだということがわかった。もしこのIBが成功した際には世界はどんな風になるのだろうと少し興味が出た。

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教員用PDFをみて思ったこととしてまずは、学習者像についてです。学習者像を全て見ていると、自分から発信したり行動をする人が圧倒的に向いているなと思いました。私は物事などに積極的に自分から取り組むのは好きだし得意なのですが、考えたり振り返ったりすることが苦手なので学んでいくうちに大きな壁にぶつかってしまいそうだなと感じます。ただ、全ての項目に当てはまるような人になれれば、グローバルなコミュニティの責任ある一員にもなれるだろうし、IBなどに関係なく全ての物事に対して必要とされる人物になれるのだろうなと思いました。次に、教科の取り方で、芸術を1科目取る代わりにほかの科目で2科目取れるようになるのはなぜなのか気になりました。芸術は中でも重要な科目にあたるということでしょうか?あとは、6科目ある中で最大4科目までというのも気になりました。全部の科目から1つずつ取ることはできないのでしょうか?もし私がここで学ぶことができるなら、満遍なく学んで知識を取り入れられた方が嬉しいと思います。最後に知るための方法についてです。知るための方法について普段意識して考えることがないので、もし私が聞かれた時に8つも思い浮かべられないと思います。8つもあることに驚きましたが、その中の4つを深く探究することにもっと驚きました。8つ全て重要なものに感じるので、その中の4つは深く探究しなくてもいいのか、という疑問を持ちました。全て深く探究した方がより知ることができるのではないかと感じます。4つだけであれば私も知るための方法について探究することができるかもしれないと思いました。

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まず私は、IBの学習者像の中の、探究する人、知識のある人、考える人、コミュニケーションができる人、信念をもつ人、心を開く人、思いやりのある人、挑戦する人、バランスのとれた人、振り返りができる人、といった10項目のうち一番自分にあると思うのは、心を開く人といった項目だと思います。自己の文化と個人的な経験の真価を正しく受け止めると同時に、他の人々の価値観や伝統の真価もまた正しく受け止め、多様な視点を求め、価値を見出すことは得意だと思っています。カナダに留学に行った際も、たくさんの文化の違いに触れ、違った良さを書き出していました。逆に自分に一番足りていないと思うのは、挑戦する人の項目です。結果が不確実なことに、なかなか手を出せず、怖気付いてしまうことが多々あります。 コアの3つの必修要件「知の理論」(TOK)、「創造性・活動・奉仕」(CAS)、 「課題論文」(EE)は、DPのカリキュラムを創設したメンバーによって、全人教育を実践する手段として導入されました。コアは、3つの独立した要件で構成されていますが、TOK、CAS、EEそれぞれのねらいと相互の関係性をより明確かつ明示的に打ち出し、発展させることで、全人教 育を最も効果的に達成できます。そこで、コアは、国際的な視野を育む責任を担っており、責任ある「地球市民」を育成することを究極の目標としているとありますが、責任ある「地球市民」の定義を詳しく知りたいです。また、とても重要だと思ったのが、自己認識とアイデンティティーを培うことです。自分らしさよりも人に合わせて生きている人がどんどん増え、また、子供の時に比べ、大人になった今の方がアイデンティティーを失っているように感じるからです。 TOK、CAS、EEのなかでも、TOKの目的は、活動によって、「知る人」としての生徒が、自分なりのものの見方や、自分と知識を共有しているさまざまなグループのものの見方を自覚できるよう促していくことにあります。このためTOKでは、「個人的な知識」と「共有された知識」の両方を探究し、この二者の関係を考察します。このように、同じ知識でも、見方によって違うものとなり、それを考察するのはとても楽しそうだと感じました。

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まずこの目指しているIBの学者像が凄いものであると私は感じました。こう言ってしまえば元も子もないがこのような10つを完璧にそろえ持っている人を私は21年間生きていて見たことはありません、そしてこれからも見ることはないのではないかなあと思います。これを全て併せ持った人が出来上がるには非常に難しいと感じました。ここで挙げられている探究する人、知識のある人、信念を持つ人など自分自身が成長することで自分自身でできることはたしかに教員が伝えることで成長が変わると思うが、心を開くことやコミュニケーションが取れる人という自分だけでは完結できず相手の心情も関わっていくことはどうにかできるのだろうか?と疑問を抱きました。勉強においてを教えることは簡単であっても「知の理論」という気持ちや人間を育むという分野というものは教科書などには載っていないし一人一人学び方や教え方がちがい難しいものであります。このような人材育成は非常に大切でありこの育成過程でどのような大人になっていくのか、思考になっていくのかが決められていると言っても過言ではないですが、だからこそ私はここにあった評価目標という名前を使うことはすべきでないと思いました。人格を評価としてしまうことは生き辛くなってしまうのではないかと考えました。

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知の理論は、数学、自然科学、ヒューマンサイエンス(人間科学)、芸術、歴史、倫理、宗教的知識の 体系、土着の知識の体系など多くの知識を持つものであり非常に多くのものを学べると思います。私は経済学部ですが経済の授業のみではつまらないと思っています。そんな中一般教養科目で経済以外の自然科学やスポーツ科学、日本文化、日本史、西洋史、東洋史、社会学などさまざまな教科が國學院大学にはありこれらも知の理論に含まれるものであると考えておりどれも非常に面白いと思います。知識の領域は広く持つようこの文章は書かれていますがまさにその通りで単体のものだけを学ぶのではなく多くのものを学び知識とすることによってより多くの考え方、方法が伴ってつくと感じます。大学は学部学科によって分かれており理系などは専門的な科目に偏りがちではありますが文系の大学というのはより多くのものを学ぶところだとおもいます。知の理論の批判的というのはさまざまな知識を構築した上で身につくものだと思います。まさにこれがねらいであり多くのことを知っていることから湧いてくる意見、つまり述べられている意見に対して異なる見方批判的な意見が言えるようになることが必要なのだと思いました。

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 全体的に読んでみると世の中の若者を正しく導くための教本のようなイメージがありました。従っていれば確かに良い若者となり、いい影響を世の中にもたらすと考えられます。しかし、このような教本通りに生きることを嫌う若者も数多く出てきてしまうのではないかと考えました。  特に心に残ったことを2つ挙げると、1つ目に知の理論の目的である「多様な文化の理解と尊重の精神を通じて、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する、探求心、知識、思いやり富んだ若者の育成をする。」というフレーズが心に残りました。SNSなどを含めた情報メディアが普及しているこの世の中でこういった若者は必要不可欠であると私も考えています。もし、偏った考え方をした若者しかいなければ、いずれ必ず若者同士お互いの理解ができず、混乱や争いが起きてしまうと思っております。2つ目に知の理論の全体的な狙いの中の一つである「知識の構築に対する批判的なアプローチが必要である。」という内容も心に残りました。正しい情報か誤っている情報かわからないものが蔓延っている世の中ですべての情報を肯定していては若者自身が混乱してしまい、思いもよらないような行動を起こしてしまうと考えられるからです。例えば、ただの価値観の違いというだけなのに猛烈に批判をしてしまったり、誤っている情報を発している政治家にいいように操作されてしまうと思います。    質問ですが、この知の理論という指導法が実際に使われた事例とその結果があれば知りたいと思っております。

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知の理論とは国際バカロレア・ディプロマプログラムという16~19歳を対象としたカリキュラムの必修科目で、知識とは何かといった問いを元に批判的思考ができるツールを提供するものです。私はこの指導書を踏まえ、高校受験大学受験のような暗記中心の科目により評価する詰込み式教育とは異なり、今後はIBの学習者の人物像に近づくために批判的思考、分析力、物質の本質を捉える力が重要視されていると分かりました。単に知識を身に着けるだけでなく、身に着けた事でなにができるようになるか、身に着ける過程で暗記するのではなく、知るために方法を探さなくてはならないことが分かりました。TOKを高校教育、大学教育に取り入れることは、私は教育改革に大きく貢献すると考えました。 TOKの評価方法について2つの評価方法があり、エッセイとプレゼンテーションと記載されています。エッセイとプレゼンテーション計画書を元に学校内で評価されるとありますが、担当の教員一人のみで評価を行うのかまたは学校内複数人の教員で評価を行うのか気になりました。前者の場合教員によって評価が異なってしまうのではないのか、後者の場合は教員の負担が極めて増えてしまうのではと考えました。

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私は、この知の理論を見た感想としては、とてもこのカリキュラムを理解し、組み込んでいくのは、とても大変だと思いました。このカリキュラムは、私が16〜19歳までに受けてきた、高校の授業とは全く違うし、別の国や、大学のような話であり、自分の興味のある部分を伸ばしたり、得意な部分を伸ばしたり、理想としている人物像を目指したりと、私が大学生活と就職活動で行っていたようなことを16〜19歳の間に先取りしているからです。ですが、大変であると同時に、正しく効果的に運用できれば、とても魅力的だと思いました。生徒に個体差は、あれど、やる気のある生徒は、ぐんぐんと成長していき、大学でやりたいことを学び、立派な人間へとなると思います。他の生徒も、周りに影響され、上に伸びていくと思います。ですが、そうではない生徒は、必ずしも出ると私は思いました。得意な部分もわからず、やりたいこともわからない、周りには置いてかれるといった生徒も出てくると思います。この生徒への対応がいちばんの問題だと私は思います。おおげさでは、ありますが、仕事とはいえ、生徒の人生を預かっています。なので一つの対応の間違いやすれ違いで狂ってしまうこともあります。そして教員側にも、生徒と同じような影響が出てしまい、人生が狂ってしまうと思います。とは言ったものの、こういったことは、対人の仕事では、絶対に無いとはいいきれないので、何事も覚悟を持って生活した方が良いと思いました。私個人としては、知の論理は、とても良いと思います。みていてわくわくしました。

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知の理論を読んで、新たな知を生成する方法を学ぶ必要があると感じた。 日々、変化をし続ける社会の中で、新たな知を生成することはど幾多ある場面の中でも大いに必要になると感じた。 そして、教室で学ばせなければいけないこととして、教室というのは、努力して達成した先に興味が生まれることを自らの体で実験を通じて学ばせる場であり、同時に、答えの作り方や学び方そのものを学ぶ場に転換を図らなければならないと思います。 また、分散知識や集団知が、課題を解決することにおいて有効かつ欠かせないものであることを勉強させられる。 それらを上手く使う方法に習熟させることも大切な指導目標のひと津であると感じた。 新しい学習指導要領では、対話的な学習が重んじられますが、文献や書物から知識と情報を得ることも対話の一つと捉える。 その他に、たとえ時間がなくてもやらなければならない理由として、 既に確定している知識であれば、ソフトウエアの中にプログラミングできます。 この領域では、ロボットやAIが精度と速度で人間をはるかに上回るパフォーマンスを示すことは見れば分かることである。 言い方は悪いが現状、人間はロボットやAIに劣っていると言える。 そのことから、もっと人間は知を考え、 日々勉強することが重要だと感じた。

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私は受験生時代、国公立大学を目指して複数の科目(いわゆる5教科7科目)を学習し、受験のために備えていました。もともと興味の幅が広く文理を最後まで決めかねていた結果でもありましたが、それでも多くの知識を得て、それを利用することで深く考えることが好きであったことからそれほど苦に感じることもなく、日々勉学に励んでいました。お分かりの通り、国公立大学への入学は叶わなかったものの、それからも勉強していなかった数Ⅲ範囲の勉強をしたり、倫理の用語集を買って暇を持て余している際に読んでいたりなど、いろいろな勉強をすることを忘れることはありませんでした。 さて、その中で様々な範囲の勉強をしていると、複数の科目の問題がつながり、より深い次元で様々な科目の考え方を用いて解くことができるようになる瞬間があります。どのような学問も底を辿ると近しいものですから、古典の考え方が英語に生きたり、数学的な思考が経済学にフィットしたりということが起きるのです。このように多角的な勉強をすることは一つの科目をただやり続けるだけよりもとても効率が良く感じ、また飽きが来ないように感じます。今回のTOKやDPなどもこのような頭の使い方をするものだと感じました。複数の科目を並行して行うことで頭を活性化することは特に大学に入る前の若い世代には大切なことではないか、と経験論からそのように感じます。 また、テストのような覚えることに長けていることによって学習の成果が見えづらくなってしまうものより、プレゼンテーションや小論文のような個人の考えがしっかりとアウトプットされるものを重宝することがより一層学習を定着させるのに適しているなと感じました。 しかし、知識の共通点、相違点を探すと書いてあったところについて私は知識の根源は全て近しいものと考えているので、どこからを異なると置くのかというところに疑問を感じました。

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全てのIBプログラムは国際的な視野を持つ人間の育成を目指しているということが書いてありました。それをみた時に思ったことは自分を含め、自分の周りで日本国外での活躍の舞台を目指している人が単純に少ないと感じました。今ある現状を大きく変化させようとせずに、安定し安心して暮らせる今の暮らしを大切にしている人が多いのかもしれません。しかし日本はもっと海外での活躍の場を増やしていかなければいけないというのが現状です。その中ではトヨタが海外での工場を建設することなどにより、発展の場を広げています。日本が誇る技術をより一層に広げてくれています。他にもどのような企業が海外に進展しており、どのような職種が海外に進展できていないのかといったことが気になりました。IBプログラムと知の理論の繋がりとしては探求する人、知識のある人などが挙げられていました。私がこれを見て感じた事は、やはり海外へ挑戦する人たちは探究心というものがあるなということに共感できました。まだまだ足りないといったように次のことをどんどん調べたり、自分から見つけに行くその心が誰よりも強いということを感じました。そういった人は目標が明確になっており、その目標に向けて努力する力を持っています。そういった人材がどんどん増えてこれば日本も海外に負けない地位を確立できるのではないでしょうか。

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国際バカロレアのコアや目指す目標は、どれも現代人に足りてない要素だと私は思います。特に今は匿名性の高いSNSが多くなった上に現在新型コロナという世界的に張りつめた状況、かつタイムリーなものだと丁度大統領選挙が長引いてまだ続いているので、必然的に国外に関するニュースも増えてそれらに物申すような方々の投稿を見受けられるようになりました。その中では極端に他国や自国に対するヘイトスピーチをしていたりと、見ていて辛くなるものまであります。コアの話に戻りますが、目指す人物像の要素はひとつひとつ良いことを書いてあるし、現実でもネットでも人とコミュニケーションを取れるようになって他人の存在がより欠かせなくなった現代においては必要な能力ではあると思います。しかし、これら全てがこのカリキュラムが終わった時に習得されているのかと考えると少し疑問に思いました。特に異文化への理解という部分が一番難しそうだと思っていて、ただ勉強しただけではそう簡単に身に着くものではなさそうです。というのも、人間は根本的に自らの慣れ親しんだ環境や物事以外にはすぐに適用できないからです。本当の意味で国際的な思考や観点を育みたいのであれば長期留学くらいはしないと難しいのではないでしょうか。表現上として理解を示しているようには振る舞えても、根っこからは中々難しいと思いました。

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知識を得るためのプロセスや知識の構築の方法をいかに生徒に教育するかという内容のpdf資料でした。教員用の堅苦しい資料を読んでも学生としてはピンとこないというのが正直な感想ですが、自分の信念や前提をまず批判的に振り返ることや観点の多様性を認識し関心を抱くことなどは私が普段から気をつけるようにしていることなので、もし自分が生徒に教える立場になったときどう説明するかなどを念頭に置きながら資料を軽く読んでいきました。一般的に知識を得ることは大事なことであり、また人間はいくつになっても学習の歩みを止めず知識を増やし続けていくものだとよく耳にするため、自分自身もそうであるべくだと私はうっすら考えていましたが、知識そのものについて考えたことはなかったため「知識の本質」という言葉の意味をしっかり捉えなければならないと感じました。また、知るための方法として挙げられていた8つの具体的な例は特に納得して読むことができ、一番目の「言語」はありとあらゆる事柄に対して絶対に必要であり尚且つ絶対的なベースになるものだと私は考えているため言語を学習することは知識を得るための最も効率の良いことだと再認識しました。今回は課題のために流し読みをした程度なのであくまで感想しか書けませんが、自分自身の今後の学習にも活きてくるトピックだと感じたのでまたじっくり読み返してみようと思います。

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私は、DPの3つの必修要件の中で、「知の理論」が1番私たちのような学ぶ人たちにとって、最も基礎的なことであり必要なものではないかと感じました。批判的思考は、感情や主観に流されず物事を判断しようする思考プロセスです。自分を切り離して、客観的に物事を見て考え、自分の意見に客観性を持たせることは、他人に自分の意見をわかりやすく伝える時に大切だと思います。「具体的な知識について学習するのではなく、知るプロセスを探究する」ことも、知りたいことに対して、どのように知識を得て、またその先の、得た知識をどう応用するかなども学べます。なので、ただ知識を得た時以上に自分の中で濃いものとして残ると思います。「IBの学習者像」の人物像、心を開く人に対しての知識 の理論とのつながりの、心を開くという状態も、学習面では大切だと思います。先入観を持たずに物事に取り組むことはとても大変です。でも、それを乗り越えてオープンになれば新たな学習の扉が開き、知の理論の獲得に一歩進むと学習者像の項目を見て1番に感じました。 質問は、知識の探究を始める時、あらかじめゴールは決まっているのかが気になりました。知の理論を実践した方がないので想像がつかないのですが、知識の構築にはどのような段階があり、どこまでをゴールとするのかが分からないので知りたいと思いました。

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国際バカロレアを見るとまず教科の捉え方が異なることがわかりました。特に理科と数学、言語の習得と言語と文学といった部分が分かれているといったことが特に特徴的だと思います。理系、文と単純に2つに分けるわけではなく、もう少し分類することでより深い学習を促していると言えると思います。またクリティカルシンキングは従来の日本の教育環境と比べ特徴的だと思います。クリティカルシンキングでは知識自体ではなくその背景や知識間の関係性を重視しています。これは教育では重要なことだと考えます。なぜなら考えることを重点におけば一見最もらしい、いわゆる疑似科学的なもの等を目にしたときにすぐ受け入れるのではなく一旦考えるといったことができるのではないのでしょうか。また理科的ことではなく文科的な者でも同様だと思います。 実際に高校時代にクリティカルシンキングについての授業を受けたことがあります。普段は考えないような考えの根底や関係性について問われため実際に上記のようなことに役立つのではないかと昨今の状況と絡めて思いました。私立校であり少人数のクラスであったことがクリティカルシンキングの授業を導入しやすい環境であったとは思いますが、この授業は今後は広く広まるべきだと思います。

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今回、知の理論の資料を読んで、知の理論とは国際的な視野をもつ人材の育成を目指すものであることを知りました。また、知の理論では知識に関する主張を分析し、知識を関する問いを探究するようにしなければいけません。さらに、知るための方法として8つの具体的な方法があります。それは、言語、知覚、感情、理性、想像、信仰、直感、記憶の8つです。これらのうち4つは深く考察することが大事であるとされています。これらを深く考察することで、知識の領域のベースができ、個人的な知識の基本になることが分かりました。知識というものはとても深いもので、まず様々な種類があることを知りました。個人的な知識や共有された知識などもあり、知識というはっきりしないものを深く知ろうというのは少し難しことだなと思いました。 先に挙げた8つの具体的な方法を見ると言語で知識を得られるのは納得しますが、直感や想像により知識を得られるというのは意外に感じました。 今回、知の理論の資料を読み感じたのは、知識というのは複雑であり、知識をより理解するのは長い順序が必要なのだなと分かりました。知識は知らない間に身についているものという感じがするので、このようなプロセスがあったのは驚きでした。

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私が思うに知識とは自分が自分自身に体験したものに限定されるものである。これは私の父の話ではあるが、よく父は自分の知っていることをひけらかす癖がある。それで父はよく母に咎められていたが、「知識とは自分で見て、聞いて、考えたものだ。ただ本で読んだことをコピー&ペーストして、話すのはただ知っているだけ。他人の言葉の受け売りにすぎない。」と言っていた。歴史に例えれば、「〇〇という文献に、××という記述があった。」というだけではそれは単に記憶であり、それを他の文献、証拠を点と点を線でつなげて、自分の中で一つ事実と言える領域にまで達した時初めてそれが知識となると言える。言葉という物は、自分の経験、思考で大きく重みが変わってくる。

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