2020-11-24

情報システムの基礎2020後期08情報デザインと情報技術・投稿集

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1. 今日は、情報技術を学ぶ上で見切りが必要だという話をしました。意外にこの見切りができない人が多いように思います。あなたはどうですか。親世代はどうですか。ラジオトークのように「私」を主語にして「ですます調」で説明して下さい。締切は2020年11月19日午後11時30分とします。

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応答

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開発には個人の資質,センスが必要だと思っております。立場上,社員の育成を行わなければならないと思ってます。自分自身にセンスを感じなければ長く続けていく必要もなく、今すぐに見切りをつけてやめるべきなのです。 この見切りのタイミングというのは人それぞれで長い人もいれば短い人もいます。そして、私はどっちかというと見切りは早い方だと思います。情報技術に限らず、様々な事で見切りが早いです。例えば、高校生の頃ソフトテニスに所属していました。そこでは私は二番手で、一組私達より強いペアがいました。私はすぐにこのペアには勝つことができないと見切りをつけて、二番手に居続けようとしました。そして、3年間ずっと二番手でした。 しかし、見切りをつけるのが早い方がいい人ともう少し長い目で見た方がいい人の2種類がありす。早く見切りをつけた方がいい人の特徴はすぐに諦め、コツコツと行う力や精神力のない人達です。一方でコツコツと行う努力が出来る人はもうすこし頑張ってみる必要もあります。 センスはなくともまじめな人は簡単に見切りをつけるのベキではないのです。私は比較的、すぐに諦めてしまう傾向があったので、早く見切った方がいい方の人間だと思います。

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私は、見切りはできる方だと思っています。インターネットやアプリなどフォーマットがあり、それにそって利用すればいいものは割り切って何も考えずに使えます。しかし、計算はできません。単元別の計算で使うべき公式が明らかであれば問題なくできるのですが、総合問題でなどの公式や考え方を自分で導き出すものやいくつも公式を必要とする計算だとできなくなります。応用が利きません。計算だけでなく、パソコン操作などでも応用となるとできません。一回わからないと感じてしまうと仕組みなどを複雑に考えすぎてしまうことがあり、時間がかかりすぎてしまいます。たくさん触れることが必要であるとわかってはいるのですが時間がかかると知っているためなかなか手をつける気になりません。私の母親は、携帯電話をスマートフォンに前、スマートフォンは複雑そうで怖いと言っていました。しかし、スマートフォンにしてしばらくすると、何も考えずに扱えるわと言うようになりました。母親も約束事を覚えれば割り切ることができる人ではありました。たまに知る必要のないことをごちゃごちゃ言って考えているようですが日常生活には困っていないようです。父親は、割り切るということは早く、そこから仕組みなどを自分で深掘りすることが好きなので私はついて行けません。このように、私や両親は約束事を見切ることはできるのだと思っています。

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 私は、何かを学ぶ上で見切りがつけられない方です。例えば、先生も講義でおっしゃっていた例と同じなのですが、小中高の数学の時間や英語の時間などに計算式や英文法がなぜそうなるのかを考えているうちに置いていかれることがものすごく多かったです。その為、今でも数学と英語は苦手意識があります。そして、たられば話になってしまうのですが小中高生の時に少し疑問を持っていても先生がこれは覚えればできるからという計算式は素直に暗記し、授業に遅れないようにすることが出来ていたら苦手意識は無かったのかもしれないと思いました。  私の親世代は、暗記詰込み型(見切りつける)ですが私の父は疑問があれば突き詰める性格なので英語は苦手ですが、数学は突き詰めた分私がわからないところがあれば理解するまで教えてくれました。しかし、突き詰めすぎて一問に物凄く時間がかかるので私自身その疑問さえもどうでもよくなり教えてもらうことも苦痛でそれも苦手意識がある要因かもしれません。  このことからも、何を学ぶにしても考え抜いてもわからない疑問などがあった場合はなるべく早く見切りをつけることが必要であり、計算式など決まった約束事は素直に受け止める姿勢が大切だと思います。

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私は情報技術を学ぶ上で見切りができていないと思います。情報は固定概念がある程度存在分野であり、数学みたいに数式に沿って学ばなければならない分野であると思います。コンピューターは二進数で計算しますが、そのものの意味が分からなければ知識理解につながらないと思います。そのような専門な知識が伴うコンピューターは日々進化していき、必要な知識が増えていくと思うので、積極的に知識を手に入れることが大切であると思います。親世代では、顕著に情報技術の見切りができていないと思います。コンピューターの情報技術などが発展して、我々が日常的に使うようになってきたのはここ数年であり、また進化が早いために、それに慣れ親しむ頃には、コンピューターを必要としない仕事についていたり、必要がないという固定概念があるために、知識不足の人は多いように思われます。情報を伝える手段としてピクトグラムがあります。それはトイレや非常口の絵のことであり、言葉を使わなくても伝えることができます。英語が公用語であるが、それと似たような役割として使えると思うので、情報の一つ、コミュニケーション手段としてコンピューターの世界でも利用できれば良いと思いました。絵文字などもそれに含まれます。

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私は、情報技術を学ぶ上で見切りができていると思います。私は、高校の時からパソコンが大好きでした。なぜなら学校に情報という授業がありパソコンでいろんなことができたりするので面白いと思いました。そして、高校3年間いろいろ情報技術を学びパソコンをしっかり使ってプレゼンをできるようになりました。そして表彰されるようになりました。とても嬉しかったです。しかしパソコンは、持ち運びが難しく嵩張るため非常に不便でした。いろいろ調べることができるが、それなら携帯電話でもいろんなことができるし携帯電話の方が良いと思いました。そこから大学に入り、携帯電話のゲームにハマり情報の授業などありましたが、情報技術など無限にあり学ぶことは永遠だと思って挫折しました。 これが見切りなんでしょうかね。あと親は、小さい頃からパソコンなどなく教えてくれる人などいなかったため今でもパソコンを使う業務のときかなり困っています。また、パソコンよりも携帯電話の方が良いと思っており情報技術と深く関係あるパソコンには全く興味をしるしません。これについて私は見切りだと思います。

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私は、見切りをつけるのは結論から言うと早い方です。見切りをつけるということは、物事に対して、見込みがないと判断することです。続けていけばもしかしたら見切りを付けなくても良くなる場合はあると思いますが、見切りをつけるかどうかで悩んでいると新しいことができなくなってしまったり、追い込んでしまうことがあるため、決断を早くすることも心がけています。目標がないとやる気が出なく、自分のためにならないと判断すれば、これ以上の損失を増やさないために見切りをつけると考えています。私の家族も、新しいことにいち早く興味を示します。その分、見切りをつけるのも早いのではないかと思います。

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情報の見切りの難しさは中学や高校の勉強で特に感じました。キュレーションの説明でもあったように、私自身も手間をかけて自分なりに解釈することでその情報が頭に入りやすくなると思っています。そこで数学の公式でなぜこうなるのだろうと考えこんで先に進めないことがたまにありました。英語でも単語とイディオムで意味がかなり変わる時になぜ?と思ってしまってなかなか覚えられないこともありました。逆に歴史などは昔あったことなので理由を考えずに流れで覚えていたのでどちらかというと得意科目でした。今思えば数学や英語も歴史のように割り切って考える必要があったのだと納得しました。しかし高校までの授業ならまだ意味や理由を理解することも可能だしある程度必要もあると思いますが、情報技術となるとやはり「これはこういうものだ」と割り切る必要があると思います。親世代は若い人より情報システム化されているものに疎い人が多いです。それは見切りができていない人が多いからかもしれないと感じました。比較的簡単に計算できるものは情報システム化されてきますが、それが難しい想定外のものの情報システム化は難しいです。そういったものは人間が考える必要があるし、情報に対して見切りをつけるのか考えるのか、対象のものによって区別する必要があると思いました。

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情報技術を学ぶうえで、私は見切りができる人だと自負しております。なぜなら、積極的に情報技術について知らないことを学ぼうとする意欲があるからです。株の専門の用語やIT用語など、記事を読んでいて分からない単語が出てきたら即座に調べるようにしています。プログラミングについて疑問を持った際は、プログラミングの学校に通い基礎的なプログラミングを学びました。他にも、親世代がよく直面する物の使い方が分からないという問題に直面した際もスマホを使用することによって即座に解決しています。 親世代の情報の見切りの悪さについては、私の親からは感じません。私の父親は特に使い方が分からない機器や操作については即座にスマホを調べるようにして自己解決を常に行っております。私の母親はたまにZoomの操作方法について質問してきますが、基本的には情報技術の見切りができています。なので、私は親から親世代の情報技術の見切りの悪さを感じるというよりかは、アルバイトの店長などから感じることがあります。私のアルバイトの店長は少々情報技術の見切りが悪いのではないかと感じることがあります。しかし、それは私を含めたアルバイトスタッフがフォローしていることなので、特に問題はない事です。

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私は物事を深く考えるとネガティブな方向にいってしまう傾向があるので、人より見切りをつけ過ぎるように生活しています。これが良いのか悪いのかの判断は人によると思いますが私は自己保身のために見切りをつけすぎるくらいが良いと考えています。 話は変わって私の祖父と祖母の話になりますが、丁度五年程前からiPhoneを使い始めました。慣れない電子機器に触れて使いこなせるようになろうという姿勢は可愛いですが、一つ教える度にそれがどのような仕組みなのかが気になるようで中々進みませんでした。液晶を強く押さなくても反応するのに「こんな板を指で少し触れるだけで動くなんてどんな仕組みだ」と言いながら液晶を色が変わるまで強く押して操作したり、「Wi-Fiが飛ぶってどういうことだ?飛ぶってなんだ?」と長時間考えたりとても大変そうでした。 結局五年経った今では他のおじいちゃんおばあちゃん世代の人よりは上手に扱える程度までiPhoneを使えるようになりましたが、まだまだわからないことだらけで疑問も多いようです。どうやら人間は「わからない」ということが怖いらしく理屈や仕組みを理解したがってしまう傾向があるようですが、それを抑えて何かを学ぶ上では投げやりや考えないことも上手に活用していくことが学びのコツなのかもしれません。一方で、自分の個人情報が詰まったスマートフォンなどを仕組みもよくわからず利用するということは実は怖いことであり、祖母や祖父の行動こそが本当に正しいのかという疑問も残ります。あまり考えても答えは出なそうなので「とりあえずなんかよくわかんないけれどそういうことなんだ」という考えも大事ですが、あまり思考を停止せずに程々に生活することを心がけていきたいと思います。これも見切りの一つですね。

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私は、見切って考えるということはやや苦手ではあります。私自身の性格上は、難しく理解し難い部分において、ややふわっとしてしまうことが多く、計算やルールなどの細かいことは考えるという点においては苦手です。しかし、私がしっかりやっていきたいという技術や学んでいくこと、熱中してしまう勉強においてはあやふやなものや、はっきりしないということはとても嫌いです。いわゆるわがままな部分が大きいというのは、私自身は常に感じています。しっかりと理解した上で、技術や計算、学びは行なっていくべきという考えはとてもあります。計算などで、授業の後半でもあやふやになって、そのまま生活を続けていると言及されていましたが、理解したくても何かと理由をつけ逃げてしまうという面は、私も含めて今の若い人には多いのではないでしょうか。見切りというよりは、諦めや逃げという感じで見切りをつけていると思います。ゆとり・悟り世代というより、あやふや世代というようなものではないでしょうか。私自身の両親は、意外と見切りや割り切りをつけて行動しているように感じますが、世代によって状況や環境にかなりの変化が生じて、現代のあやふや世代が大量に生み出されてしまっているというのが現状であります。利便性や自由などはそれらの見切りの判断によって手に入れられるので、それらに追いつく必要性を今回の講義で改めて危機感を感じました。

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この情報が飛び交う現代社会において、情報の見切りというものは非常に必須事項となっております。今まで私の中では、情報社会というものはインターネットを主にプラットフォームにしたものといったイメージがありましたが、そんなことはなく、様々な媒体にて飛び交っております。本日学習したのは、ピクトグラムです。ピクトグラムとは、言語の枠を超え、「このマークをみればなにを意味しているかが理解できる」と言ったものになります。たとえば、非常口の緑のマークや、トイレの男子専用、女子専用のマークなどをあげることができると思います。私の情報見切りとしては、あまり強いとは言えません。適切な見切りに自信はないと言った状況です。親世代としては、今までの経験は私よりも豊富ですので。様々な事例から冷静な判断をすることができるにではないかと感じるところであります。しかし、それも媒体によるものであると感じます。最近ではアプリでの情報技術の発展をみることができます。そう言った面では、私たち世代の方が強いのではないかと思うところであります。このように世代別で、情報技術の得意不得意は存在すると思います。この得意不得意があるからこそ年代を超えて情報交換などを行うことに価値を見出すことがでくるのではないかと思います。今後も情報の見切りをしつつ、情報収集を行いたいと思います。

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「運がいい」といわれている人は、たくさん行動しているから、そのぶん幸運が舞い込んでくるということだと思います。行動するうえで、人と違うことをするという覚悟も大切だと思います。。思い切って外れることで、新しい可能性を見つけることができる可能性があると思います。自分も幅広いことに挑戦して来ました。例えば、外資系の就職がしたいと思い英会話教室にも通っていたことがありますが、自分に英語が向いてないと思い諦めることにしました。そこで、思ったことは、重要なことはしっかりと考え、練ってから動くべき、と考える人もいるかもしれない。けれど、重要なことであればあるほど、じっと考えず、具体的に行動して検証していったほうが問題を解決しやすいと考えます。そこで大事になってくることが、見切りの力だと思っています。決断する筋力を鍛えるためには、「捨てる」「やめる」「逃げる」といった、一見ネガティブな行動を避けるべきではないと思います。私も、今行った行動を大事だと思っています。ですが、自分の親世代の人はおそらく、一方通行のひちが多いと思います。実際、聞いたことがある話だと絶対に人の下で働きたくないから経済状況が本当にピンチになるまで、自営業にこだわる人が多いと聞いたことがあります。ある程度で見切りをつけることができれば、ピンチになる前に他の選択肢があったと考えます。以上のことから、私は見切りは人生において必要不可欠だと思います。 191446 綾晃平

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私は技術を身に付けるにあたって、限りなく挑戦していく性格のため見切りをつけるといったことをしてきていませんでした。情報の分野においては必要な情報技術やその素材の取得、保存には慣れていますが、その素材を生かした情報物の加工については見切りがつけられずにいたのだと思えました。情報技術を学ぶにあたっても基本的な知識を身に付けたあとの発展した知識に関しても挑戦してきましたが、結果的今使っているかと言われれば使っていない知識を身に付けたことになっています。過去に、私は高校生の時演劇部の音響のチーフをしていました。大会用の効果音や楽曲を用意することはよくありますが、希にその音を編集することがありました元々そういった加工についてはある程度の知識もあり、苦もなくこなしてきましたが、そんな中でも難しいものも多くあり、クオリティが高くないものもありました。その事を思い出すと無理に必要な技術を身に付け、挑戦し続けていたことがある程度の見切りをつけることを考えていなかったのだと思えました。情報技術はこれからの生活でつきまとうものだと思えますが、その技術もある程度自分が出来る範囲の見切りをつけることが重要なのだと授業を通して実感しました。

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確かに私たちの世代では、情報技術を学ぶ上で、見切りができていない人が多い気がします。それどころか情報技術に限らず、あらゆる場面で見切りができていない人が多い気がします。私は高校の頃、情報学科に所属しており、コンピューターに関する様々な用語、計算方法、関数などを学んでいました。私も含めてですが、難しい問題があると何も考えずに答えを見てわかった気になっている人が多いと感じるからです。見切りができない人の特徴としては自分で物事を考えようとせず、すぐに楽な道に走ろうとする点です。本当に大切なのはなんでそうなるのか、どうしてそうなるのかという点です。そして見切りというのは年を取るにつれて衰えてくるものなのだと思います。なぜなら親世代そして祖母の世代とで現代の情報技術や流行についていけなくなっている気がするからです。また世の中にはインターネットを利用して、自分自身のストレスのはけ口にしようとしている人もいます。このような人々は人が目立っているのが気に食わず、自分の人生がうまくいっていないからこのような行動をするのだと思います。このような人々も情報技術とは異なりますが、見切りができておらず思考が停止しているように思えます。しかし現代の人の多くは見切りができていないため、見切りをする習慣を作ることにより簡単にのし上がれるように思えます。

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私は幼い頃はよく仕組みを理解したがったいたので、計算でもなぜこのように計算するのか、ルールに対してもなぜこのルールになったのかを気にする性格でした。なので、幼い頃の私は見切りができなかったように思います。しかし、最近少しずつ考え方が変わってきました。ルールや決まったことに対して、仕組みを理解しようとする前に、とりあえず行動に出してみよう。そしてそこで何か違和感を感じたら考えようという考え方に変わって、そういう意味では少し見切りができるようになってきたのではないのかなと思いました。親世代は、私は見切りができないと予想しました。親になると何に関しても危機感が強くなり、ルールに対して私たち以上に深く考え、なぜそうなるのかを気にすると思ったからです。実際はどうなのか、母に話を聞いてみました。母は見切りができるという考えでした。この歳になると怖いものが無くなるという理由の上です。確かに人生経験が豊富になる程、心に余裕も持てて、今までの経験を踏まえた上で、たくさんのことをあまり深く考えずに行うことができるのだろうと感じました。なので私も、歳をとるにつれて見切りができるようになっていっているのかなと思いました。

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私は2年ほど前にマイナンバーカード作りました。マイナンバーカードがあれば役場に行かなくても住民票がコンビニで手に入るのでとても便利に活用しています。私は国民一人ひとりをデジタルナンバーで管理することは合理的だと考えます。しかし私の父はマイナンバー制度が発表された当時、人間を番号で管理することは許されないなどと言っていました。また、母は免許証や健康保険書があるのにこれ以上番号を持つことを嫌がっていました。両親はマイナンバーという仕組みに対しての見切りが悪く初期の頃は嘆いていましたが最近は受け入れざるを得ない状況になっています。私は親が言うほどマイナンバー制度について疑問を持ちません。これからの情報社会において合理的であるものについては常に取り入れるべきだと思うからです。私が幼いころから手元には情報機器があり今ではスマホにクレジットカードやICカードなどの情報が収まっていますし、マイナンバーをスマホに登録することも合理的だと思います。それについてもスマホを無くしたら大変という考えの親に対して私たちの世代は世の中のシステムの変化に柔軟であると思います。私には年の離れた妹がいますが情報機器の使い方の速さに驚きます。若い世代になるほど情報社会の適応が早い、つまり見切りがいいと思います。

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私自身はこれまで、情報技術において見切りが出来ています。特にこだわりの多い人間ではないため、ルールに反発せずに従っています。それは経験値の違いも影響しているのかもしれないです。以前を実際に体験している親世代は見切りができないもの、見切りに苦労したものがあると聞きます。例えば音楽系のサブスクについてです。私はデータの方が場所を問わずに聴けたり、管理がしやすかったり、劣化しない等の理由で音楽配信サービスを好んで使用しています。しかし親世代では、そのようなサービスを利用せずにCDそのものを買うという意見を持つ人がいます。思い出の一つの物体としてCDを欲しい人や買う感覚を味わいたい人、CDを棚に飾っておくことに魅力を感じる人など様々な意思を持つ人がいます。この様に情報技術に見切りをつけられない人は機械に疎かったり、文系脳であったり、こだわりの強かったりする人が多いと考えます。今までの私は、そのような人たちに情報技術を使うように勧めてきています。なぜなら効率化できたり、ルールに従ったりした方が楽だと思うからです。しかし今の私でも歳を重ねていきながら、情報技術の発展がこれからも行われる環境において、見切りが出来なくなるものがでてくるのかなとも思っています。

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私は大学に入ってから情報技術を学ぶ上での見切りができるようになったと思います。それは、親と話すようになったからです。私の父は経営者として会社のトップに立っています。それもあり父はとても世の中の情勢や情報技術や機械の進化などにとても詳しいです。私も大学に入って経済のことを学び経済以外の色々なことに興味を持ったり不思議に思うことがありました。それが親と話すきっかけになりました。実際に、父と新型コロナウィルスはIT産業に大きな影響を与えているといった話をしたこともあります。例えばアップル社です。アップル社に供給をしている鴻海は、新型コロナウイルスの感染拡大により、深セン工場の操業停止をしていたが、中国政府から操業再開の許諾を得た。一方で、アップル社は今後の生産拠点を台湾にシフトしていくということも報じられているそうです。また、任天堂も中国で生産をしている家庭用ゲーム機「Nintendo Switch」の本体や周辺機器の生産や出荷の遅延が避けられない見通しだと発表したそうです。ソフトバンクでは「端末や基地局を含めて、既存在庫でやりくりできており困っていない」としつつも、長期化した場合の影響には懸念を示しているそうです。 将来のためにもいろいろなことに目を通していこうと思いました。

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今日の授業を受けて私自身は割り切りが得意な方だと思いました。小学中学時代の算数、数学の授業を受けていて、始めはすべてのことに理由があると思っていて、すごく考えたのですが、あるときに先生に今回の授業でもあった、そのように決まっているだけと言われ、すんなりと受け入れることが出来ました。ですが、当時周りにはそれがすんなり受け入れられない人が居ました。自分は塾の講師をしていたことがあるのですが、今回の話を聞いて確かに、割り切りが出来ない人は数学等の科目が苦手な傾向はあるのでは無いかなと感じました。 私の親世代は比較的、情報技術に関しては割り切りが出来ない人が多いと感じます。小さい頃からのやり方などが体に染みついていて、新しい技術などをすんなり受け入れることが出来ない人がいると思います。ですが、若い人にも苦手な人は居ますし、世代の中での割合はそこまで変わらないのでは無いかと思います。また、親世代の人たちの中には、若い世代の方が情報技術を扱うのが得意というイメージから、自分はPCが苦手だというような考えを持っていてそもそも情報技術を学ぶことのハードルが高い人も多いと感じます。なので、割り切れればもっと情報技術が出来る人は増えると思いました。自分はPC等が比較的好きで、親に教えたりするのですが、単純な操作手順を教えても普段使う機会が少なく、すぐに忘れてしまうというのもあると思います。

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私は“見切り”が下手な気がいたします。高校に入ったあたりから数学が苦手になり、この公式はどういう意味なのか、なぜこうなるのかということが感覚的に掴むことができませんでした。計算していても何をしているのか、なぜこのような計算なのか理解が出来ず、挫折した記憶があります。数学が得意な人は、数学的な考え方や概念を「そういうものである」と割り切っていたように思えました。そういう人達は“見切り”が良かったといえるのでしょう。逆に自分は、いわゆる数学的なルールに対して、いちいち「なぜ?どうして?」と問いかけてしまうことが多かったです。それは結果的にはあまり良くないことだったのかもしれませんが、当時の自分は気付くことが出来ませんでした。そんな自分ですが、現在の就活ではで志望業界としてIT業界といったハイテク分野を視野に入れています。情報通信の世界に行くということは、当然プログラミング言語や数学的思考が必要とされるということになります。ですが果たして、“見切り”な下手な自分にこの業界・分野で本当に適性があるか、このところ不安に感じることが多いです。ですがこの先の未来、生活する上で情報通信技術は切っても切れない存在になるでしょう。このようなものに対し、ある程度距離を置くのか、それとも積極的に関わっていくのか。その選択を進路選択という枠組みだけでなく、人生レベルで迫られている気がいたします。もしかすると今こそ、人生の方向性を決める“見切り”が必要とされている場面なのかもしれません。

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私は比較的見切りができて来ている方だと思いました。簡単に例としてあげるのであれば時間です。時間がどのような計算によって成り立っているかや時間という概念が出来上がった歴史などは一通り学校で学びましたが、その歴史話背景に時間を考えたことはありませんし、なぜ24に時間が割り当てられているかなどは考えたことはありません。他にも方程式の解き方や、グラフを求めるための二次方程式に対して、どうしてこの計算式にたどり着いたのかなどを考えることもありません。なので私は情報技術や情報システムの基礎に対して深い理解を求めたことはないと思います。もちろん、その道のプロや研究などに携わる場合は基礎の成り立ちを知る事によって新たな発見や違った見方をすることができると思うので基礎を理解することが無駄であると入った考えは持ち合わせておりません。私の親や兄弟も同様に時間に対しての理解を問われたことはありませんし、熱弁している姿も似たことがありませんので、情報技術を学ぶ上で見切りができていると考えています。ですが、疑問に思わなかったわけではありません。私が唯一そのロジックに対して疑問に思ったことはひらがなやカタカナなどの形についてです。これは小学校かもしくは幼稚園からみんな同様に学ぶものでありますが、私にはその形の成り立ちが少々疑問でした。

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