2020-11-24

情報メディア問題入門2020後期08写真と写真家・投稿集

情報メディア問題入門2020後期08写真と写真家

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Youtubeで見たヴィヴィアン・マイヤーの写真は一見「なんでこんな写真撮ったんだろう」と思う写真が多々ありました。先生が言っていた気づきというのは私にはまだわかりませんが、一つ一つゆっくりみてみたら色々なものに気づけるような気がしました。警察が誰かを連れていく写真、子供が座っている写真、子供が子供に靴磨きをしている写真。なんという特徴もないですが、何か魅力を汲み取れました。それに、この写真を誰にも見せてこなかったのが驚きでした。 また、ソール・ライターの写真は一瞬一瞬の美を表しているなと感じました。「赤い傘」という写真が1番お気に入りなのですが、足跡とか傘とか雪とか、色んなものが合わさってとても綺麗な作品になっているなと思います。一目見た時から綺麗だなと思ったし、誰でも撮れそうでライターにしか撮れない写真だなと思いました。 そのヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの写真の共通点はごく普通の日常から美しさを取り出していることです。この2人だから撮れるこの世界観は才能だし、人々の心を豊かにするなと思います。それから、モノクロとカラーといった違いはありながらも、それぞれの良さを引き立てる写真の撮り方をお互いしているなと感じました。

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私はヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点は二人とも真の意味で写真を愛している点だと考えます。ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターが撮る写真はどちらも「なぜ、そこに着目したの?」と思わせるようなものが多いです。通りすがりの人や、新聞を読んでいるだけの人、雨に濡れた窓、野良猫など様々です。私は写真についての知識が乏しいので写真によっては、奥が深すぎて私にはその凄さが理解できないようなものも多くありました。おそらく、私と同じような人は少なくはないと思います。ですが、それはヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターが、大衆にうけるよな写真を撮ることが目的ではなく自身が好きな写真を撮っている証拠でもあります。また、意味合いは似ていますがもう一つの共通点として、二人とも誰かに評価されたりお金をもらうために写真をとってないという点があります。二人とも自身が思う、良い写真を撮ってただそれで自己満足しているだけであって、世の中にどう思われようがいいという感じが、動画を見たり説明を聞いたりしていて伝わってきました。私は、写真を撮る目的が、お金を稼ぐためでもそれで素晴らしい写真が撮れて、人々を感動させられるなら、それはそれで凄いことだし一切否定もしませんが、この二人のように、そういった欲がなくただ写真を愛しているという気持ちをもって撮った写真も別の魅力があり素晴らしいと思うので、この二人のような写真家は個人的には増えていってほしいと思いました。

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私が思うヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点はいくつかあります。普通の写真家や私たちは美しい風景の写真や被写体がポーズをとることで日常を写真に収めるというよりは非日常や特別なものを写真に収めようとします。しかしヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの二人は被写体の人物に変に意識してポーズをとらせたり特別な一瞬を写真に収めるのではなく普通の人のごくごく日常の一コマや普通に過ごしていれば特に気にも留めないような一瞬を写真に収めています。そのため二人がとる写真に写っている人たちは写真を撮るための作られた表情をしておらずあくまで自然な表情の為その顔からは様々なことを読み取ることができます。ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの二人の写真は特別な場所や特別な瞬間を映しているわけではないもののこれらの作品には何か惹かれるものがあり、作品を見ていると映っている人たちや場所のことなどについて深く考察してしまいたくなってしまうので、このような深い魅力があるという点はヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターという二人の写真家の作品の共通点の一つなどではないかと思いました。また二人の作品はカラー写真と白黒写真と根本的には違っていたとしても同じようなアングルや情景を写真に収めることで二人の目指しているものが似ているという点も二人の共通点といえるのではないでしょうか。

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ヴィヴィアンマイヤーとソールライターの共通点として、私は死後にその写真の魅力やセンスが評価されたことだと思いました。ヴィヴィアンマイヤーの「Vivian Maier:スライド」と「Vivian Maier’s photographs (1926 - 2009)」の動画やソールライターの「Bunkamuraザ・ミュージアム「写真家 ソール・ライター展」展覧会紹介動画」を見た感想としては、どちらも普段の生活をしていたら気が付かないと目もくれないような日常の一コマを切り取ったような写真が多いと感じました。私が印象的だったのは、街中で同い年くらいだと思われる二人の少年が映っている写真で、一方の少年が他方の少年の靴磨き(?)をしているという写真です。同じ身分・年齢でもその間にはなにか格差のようなものがあるように感じられ、とても考えさせられる写真だと思いました。また、街の新聞屋が店先で退屈して居眠りをしている写真や、貧しい家族がただ立っているだけの写真も白黒のせいか、深い印象を受けました。また、ヴィヴィアンマイヤーは、偽名を使って活動したりと、生前は周りの人から不思議で謎が多い人という印象を受けていたという話がありました。そのような一般の人とは一線を画したエピソードがある人ほど特別な観点や視点を持ち、撮る写真にもその人ならではの特徴や雰囲気が自然と現れるのではないかと考察しました。

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ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点について、説明します。この二人の人物は、自分たちから評価されるように行動しなかったことが挙げられます。ヴィヴィアン・マイヤーは、生きている間の写真は、公に出ずに死後になって、写真が消化されるようになりました。また、ソール・ライターも1950年代から1980年代までファッション誌を中心に商業写真を手がけました。ですが、それ以降は、その地位や名誉も捨て、生活をするようになりました。この自ら評価されるという行動をしなかったことがこの二人の一つの共通点としてあります。そして、次の共通点として、私の主観にはなりますが、二人の写真は共に日常をそのままパズルのピースのようにくりぬいた写真が多く、脳内でその光景の続きが容易に再生できるような写真が多いと私は感じました。もちろん、ソール・ライターの写真は、どこからかのぞき見するような写真が多く、ヴィヴィアン・マイヤーの写真は、被写体がとても近く、ストレートな写真が多いために二人は、同じような構図の写真ではないですが、二人とも日常をくりぬいたような写真を撮っているように私は感じました。これらが、ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点だと私は思います。

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ソール・ライターとヴィヴィアンマイヤーの共通点として上げられるものは沢山あります。2人とも日常生活を切り取ったものが多いように感じました。年齢関係なく多くの人が被写体となりポーズを決めているように見える人や何かをしているその一瞬を切り取ったものなどが多いです。それから白黒やカラー関係なく2人の写真にはのんびりとしたような雰囲気を感じます。それからやはり2人とも写真を撮るのが上手いです。写真家なので当たり前かもしれませんが今の時代では日常生活を切り取る写真家は少なくポーズを指定した写真が多いように思います。なのでその一瞬を撮る2人は素晴らしいと思います。それから2人の共通点として、その時の時代のモノ、人、ファッションや背景が多いと思います。今とは違い建物の雰囲気や洋服も髪型も違いその時代の様子が写真から伝わるのが2人の写真の共通点です。白黒だから昔のように感じるのではなく写真を撮るのが上手いからそう感じるのだと思います。その日の天気に合わせ撮ったものもありました。雪の日の1日にはこういう人が居た、雨の日にはこういう人物、晴れの日は、という様に2人の写真には天気も見ている人に伝わる写真が多いです。もちろん今でもそういう写真家はいると思いますが、ポーズが決まっていたりカメラ目線だったりと見ている人にその雰囲気を伝えられる事は出来ますが、日常生活を天気ごと切り取れることが2人の共通点です。

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私は、二人の人物は写真を撮ることへの考え方と性格の二つの面で共通点が存在すると私は考えたのです。写真を撮ることについての考え方は、両者ともに仕事という考え方ではなく自分自身が魅力的に感じるものを撮影するという一貫性があると思ったのです。ヴィヴィアン・マイヤーは、写真家ではなく家政婦をしている一般人であったが、趣味として自分の撮りたいと思った写真を撮影するという考えのもとで活動していたと私は動画を視聴して読み取ったのです。ソール・ライターは、プロの写真家を仕事にしていたが動画で本人が発言していた「有名人を撮影するよりも曇った窓ガラスを撮影する方がワクワクする」から読み取れるように、お金よりも自身の撮りたいものを優先して写真家の表舞台から姿を消した点は、ヴィヴィアン・マイヤーと立場は違うもののとしたい思ったものを撮るという考え方は共通点なのです。性格の面での共通点は、誰かに見てもらためではなく自分のために写真を撮っていることが挙げられると考えたのです。ヴィヴィアン・マイヤーは、家政婦という立場で趣味として写真を撮っていたが、その写真を自分から他人に公表することはなかったのです。これは、ヴィヴィアン・マイアー自身が写真を作品でなく一つの趣味として自分のために撮影していると考えることができるのです。ソール・ライターは、元々は他人に見せることを目的とする雑誌の撮影などを行っていたが、自身が本当に撮りたいものは違うことに気づき、表舞台から退いてまで自身の撮りたいものを追求したことから共通点としてあげることができるのです。

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私は、この2人の写真家の共通点は、特別なものではない日常的な街並みや生活風景を活き活きと見せるような写真を多く撮影していることだと感じました。現在、高性能なカメラ機能を搭載したスマートフォンが世界各地に普及したおかげで誰もが気軽にたくさんの写真を撮影できるようになっており、カメラの知識が一切ない一般の人でも簡単に良い写真が撮れるようになりました。そして、私自身もスマートフォンでたくさんの写真を撮影する人の一人なのですが、一般の人のほとんどは良い写真を撮ろうとポーズした人や普段の生活では見かけられないような感動する景色ばかりを撮るある意味通り一辺倒な撮影ばかりをしていると思います。しかし、今回の授業で取り上げられていた2人の写真家の作品のほとんどは良く見せようといった感じが露骨にする通り一辺倒なものではなく、普段の日常生活がありありと伝わってくるような作品で逆に見入ってしまいました。両写真家ともただ人を正面から撮影するのではなく、角度を変えて横から撮ってみたり、少し遠い所から撮ってみたり、作業中の人を撮ってみたりと様々な環境や状況から写真を撮影することによって、普段の日常生活を特別な感じにすることなく活き活きと表現できているのではないかと思いました。また、私も最近写真に少し興味を持ち始めてきていたところだったので、今回感じたことを今後に生かしていきたいなと感じました。

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本日の講義内容をもとに、ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点について述べていきます。私がこのお2人の写真作品の中に見つけた共通点は、2つあります。1つ目は、どちらも人が被写体であることが多いということです。人といっても写真を撮るために用意されたモデルではなく、街に普通にいる一般の人を撮っているようでした。その一般の人も撮られるからといってカッコつけたり取り繕ったりするわけではなく、姿勢や目線もバラバラで、いたって普通の状態で撮られているように見えます。ヴィヴィアン・マイヤーさんの写真は、先生がおっしゃっていたようにお尻の写真が多く、お尻や腰の高さからカメラを向けて撮っているような写真が多い印象でした。共通点の2つ目は、日常的な街で撮られているということです。写真を撮るとなるとバランスなどを計算したセットが用意されたスタジオであったり、目を引くような風景の中で撮影されるイメージですが、今回の写真家のお2人は、そのようなことはせずに、日常的な街並みで撮影されていることが写真からわかります。私は、こういった日常を大切にして、リアルをそのまま写真にすることで、人々の心を動かしているのではないかということをソール・ライターさんの映画の予告で話していることや写真から読み取りました。

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ヴィヴィアンマイヤーは、日常のあらゆるものを写真にしていました。彼女は、ミステリアスでかわり者でした。彼女は決して自分を見せず、いつも首にカメラを掛けていました。彼女が評価されたのは彼女の死後でした。彼女はお金持ちの家で家政婦をしていて、趣味でカメラを手にして撮影していました。だから写真家ではなかったそうです。風景と言うよりは、人々を撮影していました。その中にはカラーのものもありました。ソールライターは、有名人を撮るより、雨に濡れた窓の方が興味深い言いました。ソールライターは写真家であり、ファッションカメラマンでした。趣味で日常を撮っていました。それを表にも出さず撮っていました。彼もあまり自分を表に出さないタイプでした。自分を映画にされても私は大した人間ではない、映画にするほどの価値のない人間だと言う人です。彼も彼女と同じで日常のものを撮っていることの方が多かったです。彼は、撮った写真をどのように見るかという方に重点を置いていました。彼女の写真にもひとつひとつに物語があるように感じました。普通の人が写真に留めようと思わないであろうものを写真に収めているのがこと2人であると思います。そして、2人とも表に出さず、人から再発見されたものでした。

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ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの大きな共通点は日常を写真として切り取る点にあると私は考えます。またニューヨークを舞台に写真を撮ることが多いところも二人の共通点であると考えます。ヴィヴィアンは家政婦であったため写真家として活動していたわけではないので写真で有名な人物の中では特殊な経歴であると考えられます。さらに趣味でとっていた写真でもあるため公に公表するわけでもなく自分の趣味として写真活動を行っていたためかなり特殊な経歴の持ち主であると考えられます。特殊な英歴という観点に関していえばソール・ライターにも同じようなことが言え、彼もかなり特殊な経歴を持っています。彼はもともとファッションの最前線でカメラマンとして活動しており、カメラマンとしてのキャリアは一般的なものであると考えられます。しかし彼が有名になったのは日常を収めたか写真が多く日常を切り取った写真が彼のk米良万人しての代名詞だといえます。彼が日常を切り取った写真で有名になった経緯も特殊でヴィヴィアン・マイヤーと同じような経緯であったとされています。彼はファッション誌のカメラマンとしてかつそうする傍ら趣味で日常を切り取ったような写真を撮っておりその趣味で納めていた写真の数々が評価され彼らを有名にしたのである。これらの共通点によって彼らがとくしゅな経緯で有名になったと感じます。とても興味深い話だと感じました。

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ヴィヴィアン・マイヤーは、アメリカの女性フォトグラファーで、15万枚以上の写真を撮影していたが、作風はいわゆるストリートスナップで、生前は作品を一度も発表することがなかったため、 その作品を一切、世に発表しなかった無名の写真家と言われています。しかし、彼女の死後、残されたネガやプリント類を手に入れたジョン・マルーフによりその存在が発見され、彼によって彼女の作品がインターネット上にアップロードされ、ヴィヴィアン・マイヤーの存在が世に知られたと言われています。2013年に、彼女の生涯を追ったドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」が公開されています。 ソウル・ライターは、アメリカの男性フォトグラファーで、ソウル・ライターの代名詞である1950年代にカラーフィルムでニューヨークをスナップした写真が1994年頃に感材メーカーのイルフォードの協力で現像されたたという事例があります。 その中でもファッション写真の仕事は、ソウル・ライターの人生に大きな影響を与え、当時モデルだったソームズ・バントリーと出会っい、絵画を通して急速に距離を縮め、晩年のライターの成功を見ることなくソームズが亡くなるまで寄り添い続けたと言われています。2012年にはトーマス・リーチ監督によるドキュメンタリー映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」が2015年に日本でも公開されています。 それを踏まえて、私が考えた2人の共通点としては、まずアメリカのフォトグラファーであったこと、没後にドキュメンタリー映画や展覧会が公開されており、評判になったこと、その映画、展覧会で初めて公に存在を知られたこと、また、生前は評価や名声には拘っておらず、双方とも無名のままフォトグラファーの人生を終えたというところだと思います。

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ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターはどちらもアメリカで有名な写真家です。私はこの2人の写真を見た時に共通点のようなものを感じました。写真というものに何も詳しくない自分ですがそこから感じたことを書きたいと思います。私が感じた2人の写真家の共通点は人の日常、幸せな時間などの切り抜きという所です。この2人の写真家の写真は人が多く写っています。人が写っていない時でも、どこか日常感溢れる写真が多いです。人の笑顔を撮る写真家さんというのも沢山いると思いますがこの2人の写真は全てが笑顔というわけでもありませんでした。寝ている人や買い物中の人、楽しそうな人、様々な人がうつしだされていました。そしてどれもその日常を撮っているだけなのにどこか心がほっこりするようなものばかりです。凄く素敵な写真だと思いました。そんな同じ物を被写体にしているヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターですが写真の写し方は少し違うように感じました。ヴィヴィアンの方は言うなれば、自然体。私たちでも撮れそうなどこにでもある写真というイメージです。ありのままの日常という雰囲気がありました。ソールの方は日常を取りつつもポーズであったり背景や映り込んでくる壁などに細かなこだわりがあるように感じました。現代で例えると、ヴィヴィアンはありのままをあげる「Twitter」でソールは日常を綺麗に取る「Instagram」って感じです。どちらもそこでしか出すことの出来ないとてもいい写真だと思いました。

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私は、ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点は人の何でもない日常の一瞬を写真として美しく残している点だと思います。ヴィヴィアン・マイヤーは生前写真家として活動していたわけではなく、亡くなってから写真が色々発掘され、作品として評価された人である一方、ソール・ライターは写真家として活動していたけど、日常の写真を撮ることに魅力を感じ、そのような写真を撮るようになったことが分かりました。それぞれの人物が撮影した写真を見ると、ヴィヴィアン・マイヤーは、モノクロ写真で、不特定多数の人物の日常や面白い瞬間を切り取ったような写真を撮影していて、真ん中に人物や特徴的な物があるという構図の写真が多いと感じました。また、モノクロで、より深く人物の表情が表現されていると思いました。ソール・ライターの写真は写真に写っている人物が何を考えているのかなど、彼の撮影した写真を見た人が色々と連想させる写真だと思いました。また、この写真から、写真を撮った時の空間の空気を良く感じ取ることが出来ると思いました、また。彼が、写真家として活動していた時の写真と動画で紹介されていた写真を見比べると、やはり、空気間が違うと感じることが出来ました。

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私は、写真家ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点は写真内容ではないかなと思います。2人とも最終的に撮っていたのは日常的な写真になったので共通点ではないかなとおもいました。ヴィヴィアン・マイヤーは元から日常的な写真を撮り続けていたけれど、ソール・ライターは初め、有名人ばかり撮っていたが、80年代になって急に最前線から退き、自分は窓に付いている雫を取る方が興味があると気付いて、それからヴィヴィアン・マイヤーほどの人の日常ではないけども人の歩いている姿だったりを写真に収めていて最終的な終着点として2人とも日常的な写真を撮っているところに私は共通点を見つけました。私は写真家はいい意味で変態だと思います。理由としては同じ人間なのにも関わらずそれ写真撮る意味あるの?って思うような写真も撮っていたりするのに一般人の私からみてもすごいと思うような写真も撮ったりともう意味が分かりません。それと写真家自身が撮りたいと思うものは少し変だと思う点もあるからです。芸術家の方々はやはり私達のような一般人とは違った観点や考え方があるからこそ、その芸術性があるのではないかと思うのでやはり変人であり変態であると私は思います。

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写真家のヴィヴィアンマイヤーとソールライターについて書いていこうと思います。この2人の写真家の撮る写真たちをみていると、何か不思議な感覚になります。この2人の写真家たちは、有名人や景色などではなく、人々の日常や街や風景などをより自然体で撮っているのが特徴でした。そして、その写真たちは、美しい景色などを撮っている多くの写真とは違う視点で撮られているなと感じました。写真に写っている人たちはもちろん動かないけれど、その写真に映る人たちの自然な表情からは、その人たちの感情やその場の雰囲気など多くのものが感じられると思います。街の風景の写真も、普通の人たちはわざわざ撮らないような部分を映していたり、そこをあえて撮るのかと見ていて感心するものがたくさんありました。それらの写真もその街の空気感などをよく映し出していて、まるでその街に行ったような気持ちになります。2人の写真家たちの共通点というのは、これらのような日常を切り取っているというだけでなく、他の人たちが目を向けてこなかった部分をピックアップして、写真に撮っていたことなのだと思います。そして、それらが私たちに不思議な感覚を与えているのではないかと考えます。実際の目で見るよりも多くのことを感じられる写真だと思います。ぜひ見てみてください。

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私は2人の共通点として、見るものに決まった答えを提示するのではなく、見たもの独自の、それぞれの感性、それぞれの捉え方のきっかけを与えるような写真を撮ったり、提示しているのではないかと考えます。ヴィヴィアン・マイヤーに関しては、死後に世間で有名になったため、確認をとることも、心意を確かめることが不可能なため、何とも言えませんが、ソール・ライターに関しては、動画の中でも言っていたように、「私のなかでは有名人を撮るよりも、雨に濡れた窓を撮る方が興味のあることなのだ。」と言っていたことからも、尚更見るものに決まった答えを提示するのではなく、見たもの独自の、それぞれの感性、それぞれの捉え方のきっかけを与えるような写真を撮ったり、提示しているのではないかと考えたことに繋がりました。有名人を撮るということは、一般人を有名人を撮るのと同じように撮っても、見る方の受け取りかたは全く異なると考えます。また、何を意識することもなく、ただいつものようにプライベートを過ごす人が写る写真と、撮られることが分かっていて、カメラを意識した有名人が写っている写真でも全く異なると考えます。見る方からしてみれば、何を意識することもなく、ただいつものようにプライベートを過ごす人が写る写真は、捉え方が人それぞれで、多様な感じ方が存在するように思うからです。

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私が動画を通じてみた写真から感じたヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点は人物写真の場合は被写体を中央に配置し近距離からの撮影が多いということです。こういった写真を見ていると被写体に注目がいき、「彼らがだれなのか、何をしているのか」ということが私はとても気になりました。また、近距離で撮影することで被写体の表情もきれいに映っているのでより魅力的な写真になるのだと思います。もちろん表情が写っていない写真もありますが、そういった写真の場合は何らかの動作をしているところを写真に収めていることが多いと感じました。こういった近距離で人を撮影することでよりその人の魅力を引き出し写真でしか表すことができない何かを表現できるのだと思います。他に共通点があると感じたことは建物などをメインに撮影した場合でも人間が写っている写真が大半であるということです。そういった写真も人が中央に写っていることが多く不思議といろいろと考えさせられる写真であり、私は彼らの写真を見ていると何気ないありふれた日常の写真でも特別なものであるかのように感じます。ソール・ライターの言葉で「重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ。」というものがありましたが、その通りだと私は思いますし、きっとヴィヴィアン・マイヤーもそう思っていたのではないかと思いました。

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この講義を受けて私が考える、ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点は、日常に存在している「美」を切り取ったような写真であるという事です。まずヴィヴィアン・マイヤーの写真を見ていて感じたことは、被写体をストレートに撮影しているということでした。プロの写真家ではなかった彼女が、見知らぬ人などを至近距離で撮影した写真などを見て、躊躇なく被写体を撮影しているという感覚を持ちました。写っている人物やモノは特別取られているという意識がないような感じを受けました。自然の中で、日常の中で撮影しているということがすごく理解できる写真が多いと感じました。ヴィヴィアンの作品は趣味の域を超えていると感じました。一方でソール・ライターはプロのファッションカメラマンでモノクロ写真やファッションフォトも撮っていましたが、趣味で撮った写真が評価されたという点がヴィヴィアンと被ります。写真の特徴として感じたのはカラー写真です。ライターを有名にしたのが1950年代のニューヨークのカラー写真ですが、当時のカラー写真はは珍しいと思いますが。さらに絵画のような美を追求した写真が特徴的だと感じました。ヴィヴィアンもライターもどちらもどこにも写真を売り込むことがなく、何のためでもなく自分の感性で撮った写真が評価されたという点、街や人々の日常の中の美を追求した写真という点が2人の共通点であると感じました。

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私の思うヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの1つ目の共通点は写真家として人から脚光を浴びたり、人気の為に写真を撮っている訳ではないと言うことです。2人は写真を撮る事を趣味の域で行っており、実際2人の写真が評価され、表舞台に出てきたのは亡くなったり、その世界の一線から退いてからであり自分から見てもらう場などを開いたりしたのではなく他人に発見されてからなので2人とも人からの評価を気にして写真を撮影していた訳ではなかったと私は思います。そして2つ目の共通点は授業でも取り上げていたように「撮影者のまなざし」だと私は思います。よく私がインスタ、Twitterなどで目にするような人にいいねなどの評価を得るための撮影した綺麗な写真ではなく、紹介されたソール・ライターの言葉である「見るものすべてが写真になる」とあるように日常の何気ない一コマを切り取った写真がこの2人には多い気がします。そして3つ目はソール・ライターの言葉である「重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ」とあるようにソール・ライターとヴィヴィアン・マイヤーの写真は普段とは異なった視点から撮影された写真が多いと私は思います。

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 ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点として、2人の作品は日常の風景の一コマを切り取っているような作品となっていることであると思う。2人の写真はおそらく、被写体の人が二度と映さないであろう表情を映し出している。その特徴として作品のほとんどの被写体の目線がカメラを向いていない。また、日常を切り取ったような顔を映し出している。人はどうしてもカメラを向けられると意識してしまう。そのため普段の表情をカメラに残すことは難しいと思います。しかし2人の作品からは、それらのことが感じられませんでした。本当にカメラを意識せずの表情、雰囲気ということが写真から感じられました。以前カメラマンを職業としている人から、被写体がカメラを意識しないようにする方法というものがあるのかと聞いたことがあります。その時の返答としては、被写体の人々がカメラを意識しなくなるまで馴染んでいくと教えてもらいました。その人たちの当たり前に溶け込むようにしばらくの間一緒に過ごしたり、共通の時間を過ごしていくとおっしゃっていました。話を戻しますが、この2人にはそのような時間が存在していたのでしょうか。私はないのではないかと思っています。つまりこの2人は人にカメラを意識させない技術・立ち回りを会得していたのではないのでしょうか。それゆえ2人の作品はいまでも語り継がれているのではないだろうかと思っています。憶測が多い文章となっていますが、私は以上のように考えています。

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私が考えるヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点は、日常を写真に収めていることだと思います。二人の作品などを見ると、風景ではなく人々の暮らしや日常に関する作品が多いと感じました。しかし、普通の日常ではなくて何故この様子を撮ったのだろうと、見ている人たちが考えされられるような作品ではないかと思います。そういう言った二人の目のつけ所の部分が、思いしろく見ている人たちを引き付けるのではないかと思います。そしてヴィヴィアン・マイヤーもソール・ライターも互いに、世に自分の作品を出していないというのも共通点ではないかと思いました。ソール・ライターは以前ファッション誌のカメラマンをやっていたのもありますが、舞台から去った後の作品は封印されていました。しかし、今ではオークションで少年がヴィヴィアン・マイヤーの作品を見つけて、自身のブログに掲載したところ大ヒットしました。なぜ世に出さなかったのか知りたいと思い、映画を見ようと思いました。二人の作品は謎が多く、人々の日常を撮影して、普段淡々と過ごしていることになにか意味があるのか、きっと日常の中から何かを伝えようとしているのではないかと思いました。

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私の思うヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点はあまり飾りすぎていないところが共通点だと思います。ヴィヴィアン・マイヤーの写真には街中での何気ない写真が多くあります。その中でも人が多く1人や2人で撮られていることが多くあります。その人がだけの写真にはどことなく写真を見ている私に話しかけてきそうな、語りかけて来そうな雰囲気もありました。ヴィヴィアン・マイヤーにもソール・ライターの写真は何となく撮ろうと思って撮った写真ではなく撮ろうと思わないと撮らないような写真も多くありました。たまたまかも知れませんがどちらも女性をとる時には後ろ姿が多く撮られていると思います。 もうひとつの共通点はカラーによる写真撮影ができることです。ソール・ライターの写真には日常生活では目にも止めないような場面を写真で収めている写真が多いです。もうひとつの共通点は2人ともに日常の何気ないその一瞬を撮って普段なら見逃している所も写真で収めることで新しい美を知ることができると言うところです。ソール・ライターは重要なのはどこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ。と言っていますがヴィヴィアンの写真にも人が写っていない写真も多くあって靴だけの写真や紙がいっぱいある写真などあってそれもどう見るかによって見方が変わるということだと思います。ここも共通点だと思います。ヴィヴィアンはずっといかなる時もカメラを手放さなかったと言います。ソールは絵筆を持ち続けた貴重な絵画も展示されています。お互いに生涯自分にとって大切なものは手放さなかったのだと思います。ソールは見るもの全てが写真になると言っていますがヴィヴィアンもまた見たもの全てを写真に収めることをしていることからこれもまた共通点だと思います。

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ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点ですが、まずやはり作品の中ではなく、作品を作る上で「誰かに見せよう」や「圧倒的に綺麗な一枚を」と言った言わば、気軽に撮りまくったと言うところにあると思います。 自分も結構日常を切り取る為に写真を撮るけれど、誰かに見せるわけでもないです。自分はあくまでも思い出のために撮っています。その気軽さは写真のうまさに関係しなければ同じくらいだと思います。僕が個人的に引き込まれるのは、写真のメインが本当にメインなのか考えたくなるような撮られ方です。真ん中に写っている人がメインなのはもちろんだと思いますが、その後ろにある壁、車、反射、服、どれにも凝る意味が含まれているように感じさせる作品がどちらにもありました。例えば、ソール・ライターさんはモデル1人を写し出すだけではなく日常を切り取ることで様々なことを想像できる、それも撮る写真が多ければ多いほど想像できる。そこに良さを感じているのではないかと思います。2人の写真の中に写る人もなんとも言えない表情をしているのが気になります。今の時代であれば知らない人に写真を撮られていい気はしないと思いますが、写真撮っていいですよと聞けば無意識にはカッコつけたり笑顔を作ってしまうでしょう。 「写真」と言う意識があまりないからこそ自然な表情を2人とも撮れていると私は感じました。

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ヴィヴィアン・マイヤーという方は自分の作品を見せない事で有名でとても変わり者という目で見られていた。真の写真家とも言われる。LA ロンドン ドイツ デンマークで展覧会が開かれ、10万枚のネガ、700本の未現像のカラーフィルムが発見された。 彼女は自分の名前をV・スミスと名乗ったり、なぜ偽名を使うのかと尋ねると自分はスパイだと言う。 自分をあまり見せないと言うマイヤーはミステリアスで、いつも首にカメラを持っていて、部屋のドアを消して開けないでと言っていた。 なぜこれほどの作品を表に出さなかったのか分からない。 彼女の写真はとても日常的に感じました。 街並みの日常の中にある変わった場所や人などをたくさん撮っていました。 ソール・ライター1950年代から一流のファッション誌で活躍した伝説の写真家と言われる。しかし、1980年代からその舞台から突然消える。 彼は有名人を撮るよりも雨に濡れた窓を撮る方が私には興味深いと話した。人生で大切なことは何かを手に入れるかじゃなくて、何を捨てるかと言うことだ。と彼は言っている。彼の写真もまたニューヨークの日常的な物事を撮ることが多いです。最初は有名人のモデルなどを写真に撮っていましたが、本当に撮りたかったものはニューヨークの街並みだと気付いたのです。 ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点としては自分の撮りたい写真を撮っていることだと私は思います。ヴィヴィアン・マイヤーから見ると変わり者やミステリアスなどと周りの人に言われても何を変えず、生涯自分の軸を崩さずに撮りたい写真を撮っていました。ソール・ライターから見ると1950年代には一流のファッション誌で活躍した伝説の写真家と言われていましたが、1980年代から本当に私が撮りたい写真は有名人のモデルではなく、雨に濡れた窓を撮る方が興味深いと言ってそれ以降、一流ファッション誌のモデルを撮るのではなく、自分が撮りたいと思うニューヨークの街並み、日常を撮っていったのです。

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ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点はまず、写真だけで生計を立てていたわけではないことが挙げられると思います。ヴィヴィアン・マイヤーはベビーシッターとして40年間過ごしながら、ニューヨークやシカゴで人物や建物を対象に写真を撮っていました。しかし、ヴィヴィアンの場合は生前に作品を認知されることはなく、死後に発見された作品がネット上に掲載され瞬く間に世界中に広まっていきました。反対に、ソール・ライターの場合はソール・ライター自身は写真家になるつもりはもともとなかったというところが面白い点だと思います。ソール・ライターは画家として生計を立てようとしていました。しかし、画家としての道がうまくいかず、絵だけでは食べていけないソール・ライターの写真に興味を持った人がいたために、ソール・ライターは写真家として活動を始めます。結局ソール・ライターは画家としての道を生涯目指したにも関わらず、生きるために始めた写真家としてのソール・ライターのほうが有名になるとは皮肉なものだと思いました。この二人の写真家はそうなった理由は違うけれど、写真家と別の職業を二足の草鞋を履いて生き抜いたという点で共通していると感じました。

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ヴィヴィアンマイヤーの写真は、人々の喜怒哀楽や生活風景を写しているような作品のように感じます。授業で扱った動画を見ていると泣いている子供や笑っている人々などが写っている写真が多いように感じます。またヴィヴィアンマイヤーは、人々から認められたいと思って撮っているのではなく、当時の人々の生き様のようなものを撮るのが好きだったのではないかと思います。この方の作品を見ていると白黒ではありますが、当時の人々も必死に仕事を頑張り、家族や友達と楽しく過ごし、泣いて笑って生きてきたのだということを実感します。ソールライターの作品も同じで、人々の悲しみや幸せな気持ちを写真一枚でどれだけ表現できるかというところに面白味があると思います。ヴィヴィアンマイヤーもソールライターもどちらの作品にも躍動感があり、白黒写真ではありますが今にも動きそうな写真を見て、写真は奥が深いなと思いました。ソールライターに好感できたのは有名人を撮ることによりお金や名声を得ようとしないところです。人々の生活や喜怒哀楽を動画ではなく写真で納めることにより見ている人がその当時の情景を想像し楽しむことができます。これが動画では味わえず、写真ならではの良いところだと思います。

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私は、ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点について、自ら表舞台に立とうとしなかったところが共通点としてあげられると思います。まず、ヴィヴィアン・マイヤーについて述べていきます。ヴィヴィアン・マイヤーとは、アメリカにいた写真家のことです。彼女の作品が知られるようになるのは、彼女の死後です。あるコレクターが彼女の写真をオークションにて入手し、それらの写真をインターネット上にアップロード、結果として、彼女の名は世界中に広がることとなりました。ヴィヴィアン・マイヤーの経歴には不明な点が数多くあります。彼女が乳母として働いていたときに世話していた子供や知り合いなどはいましたが、その人達にも自らのことについては決して話そうとしなかったといいます。このように、ヴィヴィアン・マイヤーは、自ら表舞台に出ようとしなかった人物であるといえます。次に、ソール・ライターについて述べていきます。彼はもともとカラー写真の先駆者でしたが、芸術性よりも商業性が強くなったファッション写真になじめなくなっていき、表舞台から姿を消していきます。成功や名声を望まない性格だった彼は、個人的な作品を一切発表しませんでした。しかし、2006年、ドイツのシュタイデル社によって再発見されると、世界中で評判となり、映画を作成するまでに至ります。彼は、映画に対して、有名人よりも雨に濡れた窓を撮る方が好き、自分を映画にする価値がないなどと言い、表舞台に立ちたがらないことが見てとれました。このように、ヴィヴィアン・マイヤーもソール・ライターも、本来は自ら表舞台に立とうとしない人物であることが、2人の共通点だと思いました。

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私はヴィヴィアンマイアーとソールライターの写真は普通の人が撮らないような場面を撮るということが共通していると思います。2人が撮った写真を見てみるともちろんポーズを決めた写真もありますが、被写体が撮られているのを知らないんじないかというくらい自然な日常の場面が写された写真もありました。正直素人の私からしたらどこがすごいのかはよくわかりませんでしたが、普通の人だったら撮らないということはわかりました。細かくみるとアングルも独特なものが2人ともあったように感じました。ヴィヴィアンマイアーの場合は後ろ姿の写真だったり下からのアングルでふくらはぎや太もも、お尻が強調されているような写真がありました。ソールライターの写真では手前に何かものが置いてあってその隙間だったりその上からのアングルの写真が印象的でした。雪の中の写真だったり曇った窓越しの写真などもあり、はっきり全てを見せない写真が多くあると感じました。また表情やポーズを決めていないのでどちらの写真も動きを感じられる写真がありました。前後の動作が想像できるようなところも共通点なのかなと感じました。

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私が感じたヴィヴィアンマイヤーとソールライターの共通点は日常の何気ない風景に価値を見出したという部分ではないかと思います。ヴィヴィアンマイヤーは一般女性であり写真の専門知識があるわけでもなく、授業で取り上げられた写真の専門学校に通っていたわけでもありません。一方ソールライターは有名雑誌で活動しており恐らく写真に対する知識もあったはずです。更には伝説の写真家とまで呼ばれ名誉まで手に入れました。しかしそんな彼は有名人を写真に収めることをやめ、日常の風景や有名ではない人物をとることに専念しました。なぜ地位も財産も得られる表舞台から80年代という時期に姿を消したのかと考えたとき、最初に記載したように日常の風景に価値を見出したからだと私は感じました。二人の写真を見ました。どちらも特別なイベントや特定の人物を被写体にしておりませんでした。写真の中に写っているのは普段私たちが生活していく上で当たり前にみている町の風景でした。駅で通り過ぎていく人、錆びた看板、そんな街にまる様々な当たり前な風景を二人はカメラに収めています。しかしそんな当たり前の風景の写真なのになぜか心打たれ、見入ってしまいます。写真の細かい知識、例えば構図や色彩の上手い下手などは私にはわかりません。それなのに二人の写真からは不思議な魅力を感じ引き込まれてしまいます。私はそのような不思議な魅力もこの二人の共通点なのではないかと思います。今回の授業を聞いて二人の作品が気になったのので実際に本や映画を見てみたいと思いました。

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私は、ちょうど最近新しい趣味としてカメラを始めました。まだ始めて間もないうえに、コロナの影響もあり使う機会がなかなかないですが、写真を撮るということが自分が思っていた以上に難しいことなんだと思い知らされています。特に難しいのは被写体の発見です。なにか撮りたいものがあって、それを目的にするならまだしも、普段の生活の中から写真にとるようなものを見つけ出すというのは、想像していたよりもはるかに難しい問題でした。講義内で挙げられていたヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの2人は、その点に関してずば抜けた技術を持っているなと感じました。彼らの写真はいずれも、彼らが普段の生活の中で目にするとりとめのないものを、普段と同じ目線の高さから写したものでした。誰もが自然に触れるものであり、そこには何の特別性もありません。そんなものを、ただの情報としてでは無く、鑑賞可能な作品として写真にしていました。この、「記録から作品への昇華」というのは、カメラをやるようになった私が最初に感じた難しさであり、同時に楽しさでもありました。結露したバス停越しに映る人や、街中をただ歩いているだけの親子など、なんでもないものを自身のセンスと培った撮影技術で魅力的なものに変えているのが2人の共通点と言えるでしょう。

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私は講義後にソール・ライターとヴィヴィアン・マイヤーの写真を改めて見ました。ソール・ライターの写真を見た印象は一言で言うと、「あいまい」です。対象をハッキリと捉えないのです。 というか、そもそも撮る対象をハッキリと規定しない、とも言えます。「何を撮っている」と、ハッキリと言いがたい印象を受けました。ヴィヴィアン・マイヤーの写真は構図の良さ、タイミングの良さなど、テクニック的にハイレベルだと思いました。しかし彼女の写真は、ハイレベルなテクニックを駆使した結果というよりも、「純度の高いストレート性の結果」と言ったほうがしっくりくるような気がします。詳しく調べた所、この2人は被写体や撮り方は多岐にわたっていますが、そのなかでも共通する要素は、単純なる「撮りたい」という気持ちだと思います。「他人の目を気にする」という要素がなく、純粋に自分が撮りたいものだけを撮っているように見えます。それはビジネスのための写真ではなく、道楽のための写真でもありません。2人ににとって「美」は生きる意味そのもので、それを表現する「写真」は人生そのものです。撮った写真をどこに売り込むでも発表するでもなく、未現像のまま保管していたのは「何のためでもない写真」だったからです。撮ること自体が目的の写真です。このあたりも2人の共通点だと思いました。  

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私は2人の性格に共通点があると考えました。ヴィヴィアン・マイヤーは生前に作品を一度も発表することがなかったため、無名の写真家として生涯を閉じています。また、ソール・ライターは授業の映像で自分を映画にすべきではない、と謙遜しているような感じで話しているため、2人とも表に出たり、有名になったりすることは好まないのだろうと考えました。「いい写真を撮ってみんなに自慢したい!」、「有名になるためにすごい写真を撮りたい!」「写真でお金を稼ぎたい!」、など写真を撮ることによって自分が評価されることを考えている訳ではないのだと思います。2人は写真そのものが好きなのだと思います。誰かに認めてもらうための手段ではなく、自分自身の趣味に近いものだと思います。写真への愛の強さを感じました。また、2人の写真の雰囲気は異なっても、ふとした日常を撮っているような写真が多いと考えました。そして、ヴィヴィアン・マイヤーもソール・ライターもなにか惹き付けられるような素敵な写真を撮っていると思います。人々と背景のコントラスト、美しさなど、素人の私にはわからないけれど写真を撮るセンスは尋常では無いのだろうと思いました。

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ヴィヴィアンマイヤーの動画を見たとき、多くの人がとても評価していて驚きました。私は写真をみてもうまいうまくないがよくわからないので、いい構図で撮れているという言葉はよくわかりませんでした。ヴィヴィアンマイヤーの写真は、人を後ろから撮ってるものや、陰から撮っているものも多かったように思います。動画の中で言われていたような控えめな印象を写真からも受けました。ソールライターの動画はほかの人からの評価等は特になく、ソールライターがとった写真が流されているものでした。ソールライターの写真は白黒ではないものが多く、撮った時代がヴィヴィアンマイヤーと異なっているのがわかりました。また、ソールライターの写真で印象に残っているのは、傘が主に取られているやつと、雪が降っている日の写真です。どちらもなぜか目を奪われてしまいました。二人の写真の共通点として挙げられるのは、普通の人だったら撮らないような視点から撮影しているところだと思います。写真家の方は、人の顔が主に映っている写真よりも、あえて顔は映らないような撮り方を好むのかもしれないと感じました。また、ソールライターが「日常で見逃されている美を時折提示する」と言っていましたが、そのモットーのようなものを写真から感じることができました。それはヴィヴィアンマイヤーの写真からも感じることができました。

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ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点は日常のよくある風景を大変美しく写真に収めていることだと思いました。特に、ソール・ライターが言っていた「写真家からの贈り物は日常で見逃されている美を時折提示することだ。」に私は大変心打たれました。何気ない風景でも、人々にそれを美しく見せることができるのは一つの才能だと思います。ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターが撮った写真の多くは、人物を被写体としていて、老若男女問わず日常風景を写真に収めているように感じました。ヴィヴィアン・マイヤーは生前、自分の撮った数多くの写真を誰にも公開していなかったといいます。当然、死後に彼女の作品は世間に知られるようになったわけですが、私はなぜ彼女が写真を誰にも見せなかったのか疑問に思いました。死後に自分の写真を知られることが目的だったのでしょうか。それとも自分だけが見るための写真だったのでしょうか。動画内では彼女が「スパイ」であったと言われていますが、どちらにせよ存在自体が謎に秘められていたことは事実です。彼女自体が人々に考えさせる存在だと思うので、それが魅力の一つなのだと私は思いました。ソール・ライターは被写体の手前越し(フレーム・窓越し)から写真を撮っている印象がありました。この撮影技法が人々を魅力的に感じさせる一つの要因なのかもしれません。

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まずは2人の説明からしようと思います。ヴィヴィアン・マイヤーは、シカゴのノースショアで約40年もの間ベビーシッターとして働きながら、余暇を使って写真撮影をしていたアマチュア写真家です。作風はいわゆるストリートスナップで、生前は作品を一度も発表することがなかったため、2009年に無名の写真家として生涯を閉じました。しかし、彼女の死後、膨大に残されたネガやプリント類を手に入れたコレクター、ジョン・マルーフによりその存在が発見され、彼によって彼女の作品がインターネット上にアップロードされると、彼女の作品の持つ高いクオリティーは世界中のアートファンの知るところとなりました。 ソール・ライターの場合、まったく無名だったわけではなく、第一線のファッション・カメラマンとして活躍したのちに、なぜか活動を止めたため、長い間忘れられた存在でした。隠遁生活を送っていたライターが世界的に注目されるきっかけになったのが、彼が半世紀も前に撮った写真を収めた写真集と、2012年に制作されたドキュメンタリー映画によってでした。私が思うに2人の共通点というのは、亡くなってから有名になっているということです。そしてこうなったのは「売れたい」というような欲がなかったことにあると思います。亡くなってから有名になる画家は多いですが、彼らの場合もただ趣味で描いていたから、この2人の写真家もただ趣味で撮っていたから有名になったのではないでしょうか。

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私はヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点は被写体が複数いる点にあると思います。ヴィヴィアン・マイヤーの写真に映る人々は常に何かしらの動きをしており、その写真にはユーモアが溢れています。ソール・ライターにもその側面があり、写真の被写体は常に人間です。その一枚の写真を見ただけでその人物が何をしているかが分かりますし、人間の動きをぼかしなどで表現する事によって、その写真の中の状況を表現しているようにも感じます。他に共通していることは、写真の色です。ソール・ライターはファッション紙なども手掛けているので、色を使った写真も公開していますが、モノクロの写真も存在します。ソール・ライターがモノクロの写真を使うときは常に、写真の背景を強調したいときに使っていると私は考えました。モノクロにする事によって、被写体の人物や動物と背景が重なるので、写真の中の状況を分かりやすく表現できる意図があると私は思いました。一方ヴィヴィアン・マイヤーの写真はほとんど全ての写真にモノクロを使っています。しかし、不思議な事にモノクロにしても人物と背景が重なることはなく、はっきりと人物の動きや表情を読み取ることができます。ヴィヴィアン・マイヤーの写真の人物たちは常にカメラに目線を合わせずに、カメラの外か他の被写体に目線が入っています。私はここに被写体に目が入ってしまう秘訣があると思いました。

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ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点について説明するなら、全部で2つあると思います。1つ目の共通点として、2人の写真は当時アメリカでよく見えたであろう1日を切り取ったような写真が多いという点があると思います。その中でもヴィヴィアン・マイヤーは人間的表情をよく捉えた写真を多く取っているように見えます。一方ソール・ライターは人間をとるというよりニューヨークの表情をとっているように見えます。このような違いはありつつも日常を撮るという観点だけでいえば共通していると言えるのではないでしょうか。2つ目は周りから評価されるように自分から動かなかったという点だと思います。ヴィヴィアン・マイヤーは優れた写真を大量(約15万枚と言われている)に撮っていたのにもかかわらず、写真の一切を公表しませんでした。ソール・ライターは1980年代までファッション関係の写真等を撮影していました。しかしながら1980年以降はソール・ライターは元々持っていたスタジオを閉鎖してしまいました。その理由としてソール・ライターは商業主義的な仕事のやり方に馴染めなかったのではないでしょうか。そして残りの人生は絵と写真を嗜みながら隠居生活を送っています。こういった周りから評価されるという行動を2人は自ら行わなかったことが共通点だと感じました。

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私が一番強く感じたヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点は有名人や有名なスポット、奇麗な景色など被写体となるもの自体がすごく印象に残るようなものは取らず、誰もが生活をしていれば目にするようなごく日常な一部を切り取ってカメラに収めているなと感じました。ソール・ライターさんが有名人を取るよりも雨に濡れた窓を取るほうが興味深いと言っていたように、モノの視点を変えてみることで新しい発見があるのだろうなと感じました。ヴィヴィアン・マイヤーは自分で撮った写真を他人に見せなかった点や、ソール・ライターの私は大した人間じゃない、映画にするほどの価値がないなどの発言から、自分の世界観を大切にしていたのだろうなと感じました。大半の人は自分に才能があったらそれを人に自慢したりビジネスにしようとすることが多いと思います。他人を意識してしまう時点で需要に合わせて考えるようになってしまうのではないかと考えます。それに対しこの二人は自分の世界観を大切にし他人のためではなく自分のために写真を撮り続けていたのだと思います。良い意味でネガティブ思考なんだろうなと感じました。他人を意識せず、需要を求めずにここまで有名になったのでこの二人は本当の天才なんだろうなと感じました。

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まず二人の経歴ですが、ヴィヴィアン・マイヤーは、1950年代~90年代にかけて、主にシカゴやニューヨークの街並みや、そこに生きる人々を撮影した写真家です。ヴィヴィアン・マイヤーについてもっとも謎とされているのが、生前、撮った写真を一切公表せず、そして死後に段々と全貌が明らかになっているという点であり、所謂素人の写真家でした。 ソール・ライターは有名雑誌のファッションカメラマンでしたが姿を消し、その後は世に写真を発表することはありませんでした。そして長い間封印されていた写真が後に発見されます。共に公表していない写真がいっぱいあり、写真そのものというより発見された写真家であるという共通点があります。二人ともスナップ写真をとっていて、どこを日常からきりとるかそこに美がやどっているという感性をもった二人です。作品からは何かシーンを設定したものというより日常にありふれたようなものをいかに、美しく良いものとして撮るかという事に重きを置いてるように感じました。他の当時の写真家達は写真を撮るために人や場所、物を入念にセットしていることが多く、このようなスタイルでとる二人は珍しく、この点が写真としての作品の共通点であると私は思います。

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ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点として挙げられるのは、「自らの撮った写真を積極的に公開することがなかったこと」だと思いました。ヴィヴィアン・マイヤーに至っては、約15万枚もの写真を撮影したにもかかわらず、彼女の生涯では一枚も写真を公開しなかったそうなので、とても驚きました。彼女の写真は、彼女の死後にとても称賛されることになりますが、生前に称賛されることを好まなかったというのは、すごいと思いました。普通だったら、生前のうちに世間から称賛され、自らの知名度が上がることを望むアーティストが多いのではないか、と思ったからです。しかし、あえて生前に写真を公表することをしなかったのが、彼女のミステリアスな部分だと感じ、かっこいいと思いました。また、ソール・ライターは、ファッションカメラマンとして有名でしたが、その後ニューヨークの風景の写真を多く撮ったことで、さらに有名になりました。しかし、彼も必要以上に注目されるようなことは望んでおらず、あくまで自分の撮りたいものを撮るというスタンスを崩さなかったことが、まさに真の写真家だなと思いました。彼らは有名な人を撮るのではなく、一般人を撮ることで、私たちが共感したり、感情移入したりできるような素晴らしい写真を撮っていたので、その技術にもとても感心しました。

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ヴィヴィアンマイヤーはスパイであり変わり者、評価は死後で天才写真家であったが生きているうちは評価されず死後評価された人物である。カゴのコレクターのジョン・マルーフが2007年にマイヤーの写真をオークション・ハウスでいくつか手にいれ、また同時期にロン・スラッテリーやランディ・プローといったほかのコレクターも箱やスーツケースにいっぱい入った彼女の写真やネガフィルムを発見する。マイヤーの写真が初めて一般公開されたのは、2008年7月。ジョン・マルーフによってインターネット上にアップロードされた。しかし当初の反応はほとんどなかった。2009年10月にマルーフがFlickerに共有したマイヤーの写真をブログで紹介すると、今度は何千ものユーザーが関心を示しはじめ、ウイルス感染のように一気に彼女の名前は世界中に広まっていった。マイヤー作品への高評価と関心はどんどん広がり、マイヤーの写真は北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、南アメリカで展示されることになり、さらに彼女の生涯を描いたドキュメンタリー映画や書籍が刊行されるようになった。ソールライターは都会の不安との赤裸々な対峙の外側に自分を置いた。その代わりカメラは彼に、見て、事象を切り取り、現実を解釈する別の方法を与えた。彼はマンハッタンの大混乱の中で静かな人間らしい瞬間を捜し、最もありそうもない状況からユニークな都会の田園詩を創り出した

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私はヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの大きな共通点があると思います。それは主な写真が何かを特別美麗にとったものでは無く、なんでもない日常の一瞬を切り取ったものであるという点です。なんでもない日常って撮るのって簡単じゃないかと思う人もいると思うのですが、それは大きく違います。ここからは日常の取り方がヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの良さが違ってくるので分けて説明します。ヴィヴィアン・マイヤーは誰に対してもストリートで、真正面から被写体に向き合っています。当たり前と思うかもしれませんが、その姿勢で日常の写真を撮るという事は見知らぬ他人に対していきなりそれを行うという事です。普通、見知らぬ他人に対して、近距離でカメラを構えることができません。彼女の歯に衣着せぬ物言いだったという性格が、写真からも如実に強みとして出ているのだと思います。対してソール・ライターはニューヨークの日常風景を切り取った写真が多いです。そして写真の切り取り方がとてもおもしろいです。その中でもガラスや窓などの、何かを挟んで撮られたものが多く、その構図は普段わたしたちが何気なく見て流している日常の場面をいきなり目の前に出されている感じです。普段は気にも留めないものが、写真で見せられると鏡やガラス、水滴、曇ったレンズなどの効果でいつもの日常が不思議の世界になってしまったかの様な錯覚になります。

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ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライターの共通点は、写真集の公開によって高い評価を得たという点です。ヴィヴィアン・マイヤーに関しては、プロのカメラマンではなく趣味であったため、すごいなと感じました。ソール・ライターに関しては、元ファッションカメラマンでありながらも、写真集を見ると、全く違った系統の写真ばかりで感動しました。死後に評価されたり、評価されてからすぐに亡くなってしまったりと私は少し残念な気持ちになりましたしかし、自ら公開はせずに2人とも周囲の評価や名声には頓着しなかったからこそ、彼らの独特な世界観のある写真が撮影できたのだと思いました。そして、その写真は今までにない魅力的なものとして、後々みんなに評価されていったのだと考えました。私はInstagramで写真を投稿する時は、周りの評価を気にしてしまいます。なので、フォロワーや見てくれている人から共感を得ようと、ついつい周りと似たような写真になってしまいます。なので、2人の評価を気にせず、それが後に評価され、才能のある写真にはとても魅力を感じました。

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