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情報メディア問題入門2020前期09映画の誕生Forms11
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メトロポリス(1927)を鑑賞して自分なりの解説を書いて下さい。いつものように「私」を主語にして「ですます調」でお願いします。 フルヴァージョンの『メトロポリス』https://youtu.be/Z8lh4HRwYCk カラー化して音楽を付けたジョルジオ・モロダー版(1984)でもかまわない。https://youtu.be/aPbjefBqRPE
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ストーリー自体は伝わりにくかったがBGMでその場の雰囲気や臨場感が伝わってきてセリフがなくても楽しめるものだと思います。 
私はメトロポリスの音楽付きと音楽なしの両方を視聴しました。まず感じたのは音楽が合っていない気がするという点です。音楽無しを先に見たからという可能性もあるのですが、白黒で表現されて無声映画として作られた作品に音楽や色を付け足してしまうと、白黒の無声映像で情報が足りていたのに追加されてしまい溢れている感じがしました。しかし、本来無声映像で伝えたかった感情などの描写を、とても分かりやすく、誰もが理解できるような状態にするという点ではとても良いのかなとも感じました。見ていてどっちが退屈かと聞かれると、私もサイレント映画の方が退屈だと答えてしまいそうになります。それでも、やはりサイレント映画はサイレントで見たいなと考えてしまいます。課題を出すにあたり倍速で視聴したので、時間が空いているときにもう一度見てみたいと思います。 
未来都市メトロポリスでは富裕層は地上で豊かな生活を送り、労働者たちは地下深くで過酷な労働に明け暮れる毎日でした。ある日、メトロポリスの支配者フレーダーセンの息子フレーダーは、労働者階級の娘マリアに出会います。一目でマリアに惹かれたフレーダーは地下深く彼女を追って行くが、そこで過酷な労働を強いられている人々を目の当たりにし衝撃を受けます。同じ頃、フレーダーセンは労働者の不穏な動きを察知し、発明家ロートヴァングの元を訪れます。労働者の様子を探りに2人は地下へ降りていくと、そこでは労働者たちが集まり、「いつか救世主が現れる」というマリアの言葉に聞き入っていました。そうした集会にクーデターの危機を感じたフレーダーセンはロートヴァングに、彼が造ったロボットにマリアの顔を与え、労働者たちの団結を乱すよう命じました。こうしてマリアはロートヴァングに拉致され、マリアそっくりのロボットが誕生します。ところがロートヴァングは偽のマリアを使って、地下ばかりでなく地上にも争いの種をまき、都市全体に混乱を引き起こします。偽マリアにそそのかされてて機械を破壊したことで地下の町が水没し、自分たちの子どもが犠牲になったと思った労働者たちは怒り、偽のマリアを捕らえて火あぶりにします。一方、ロートヴァングから逃れ、フレーダーと共に町から子どもたちを救い出した本物のマリアは、錯乱したロートヴァングに再び捕らえられるが、フレーダーによってマリアを救い出され、格闘の末ロートヴァングは死にます。労働者たちは子どもを救ってくれたフレーダーに感謝し、またフレーダーセンも子を思う親の心は皆同じであることを実感していました。フレーダーは支配者である父と労働者の手を取り、両者の手をつなぎました。こうして支配者と労働者は心を媒介者にして結ばれたのでした。 
どこまでがスタンドなしで行っている芝居なのかが気になりました。作品全体を通してはとてもユニークなもので、時代を超えて今現在の人が見ても笑えるものだと思いました。 
この映画は昔の映画のため、かなり画質が悪いです。しかし、その画質を気にしなくなるほどこの映画は私を映画の世界に引き込んでいきます。工場のようなシーンが序盤に出てきます。働いている人間たちが左右に踊りながら労働をしています。このシーンは見ている私たちに不思議さを教えてくれます。また、労働者が労働を終えると指揮監督のような人にひものようなものに縛られて連行されているシーンがあります。ここのシーンではかつてあった黒人奴隷差別などの社会的な風刺を織り交ぜて作成されていると私は思います。出てくるキャストは最初から一回も言葉を発していないのに自然と映画に見入ってしまいます。これはキャストたちの顔の表現、体の動きがうまく心情を表現できているからです。また、非日常的なシーンが多く出てきます。しかし、その非日常的なシーンだからこそ私たちはその世界に興味を持ち見ることができるのです。2つ目のお話で、ロボットのような不気味なものが出てきます。それは見ている私たちに少し気味の悪さを感じさせます。この映画のすごいところは無声映画にもかかわらず話、演技、音楽、それぞれが融合しあい、現代の映画の作品に劣らない多くの魅力がつまっているのです。貧富の格差と簡単に扇動される人間の脆さが主軸にあるが、そこからの解決策までを見せてくれるのが良いと感じました。何回も言いますが、非日常的なSF映画であり人の創造を超えるものを見せてくれることを約束します。 
音楽の使い方によってより楽しめるのだと感じました。主人公の感情や情景、場面にお応じてそこにあったものが置き換えられていると感じました。人に気づかれて追いかけられている時には不穏な感じがして肩をたたかれた時に音楽が止まるといった驚きを表現していることがわかります。また主人公が地下社会の実態を知り階級社会の矛盾を解き労働者たちにストライキの気運が生じたとき主人公の思惑通りに進んだときポップで明るい曲が流れました。主人公の気持ちや労働者の気持ちを表しており反対に地下社会を知った時の主人公は驚きと衝撃、不穏な感情から音楽をそろりとした暗い音楽でした。その感情の起伏にあった音楽が流れることで共感しやすくより映像に入りながら主人公の気持ちで見ることができると思いました。第三者として見るのではなく見る人を引き込み同じ気持ちで見る様にする働きが音楽にはあるのだと思います。階級闘争における内容であり不穏な感情と喜びなど社会に向き合って戦う内容なためにドキドキしながら見ることができます。それを音楽によって促進されている気がしました。父との対立があったりと多くの場面や感情があり人や社会、闘争、階級といった内容で多くの人の感情が交錯していると思います。クレッシェンドの様に音がどんどん大きくなっていったり反対に小さくなっていくといったどの時の情景にあった内容でよりこの後どうなるんだろうと気になる様になっています。音楽と映像を融合させることで内容も入りやすく人物や場面の状況を把握しやすくなっていると思います。また映画に入り込みながら見ることができて面白さも倍増していると思います。音楽とカラーをつけた映像を見たのでワクワクドキドキしながら音楽に合わせながら見ることができました。 
舞台はひどい格差社会で、上流階級による地下労働者達への支配がある未来の話です。前半に出てくる労働者達は表情も無く、レーンに乗せて運ばれるためまるでロボットのように見えました。心は無いものとして働いている労働者たちですが、上流階級の主人公が労働階級の女性と出会ったことで物語が進んでいき、労働者たちに心が芽生え、ストライキを起こすようになります。労働者たちに団結させないために女性そっくりのロボットをつくって地下に送り込もうと画策するものの、逆にそのロボットによってあおられた労働者たちの暴徒化によってメトロポリスの中心が壊されてしまいます。最後にはひどい格差が無くなるようにと主人公が労働階級と上流階級を仲介しようとします。頭脳と手の仲介者は心でなくてはならないとの文が表示され、この映画は終わります。 
私はメトロポリスと呼ばれる未来都市では、上流階級者と下流階級者に2極化しているいわゆる階級社会になっているんだと思いました。さらに、上流階級者のフレーダーは「脳と手の媒介者は心でなければならない」といったマリアという下流階級のマリアという女性に心奪われていったという点に私も心奪われました。しかし、これを知ったフレーダーの父フレーダーセンはマリアを誘拐し、マリアのアンドロイドを作ることでその団結を壊そうとしたが、反対にロトワングという男はメトロポリスを破壊するためにマリアのアンドロイドが作りメトロポリスを破壊した。それによって地下の居住者たちが水没してしまう。しかし、それを本物のマリアとフレーターが見事救出する。そして、最後に調停者として父と労働者たちの仲介を図るという結末に、私は階級社会の乖離を小さくするための方法を学びました。 
私はカラー化して音楽を付けたジョルジオ・モロダー版(1984)を閲覧しました。舞台は100年後の未来都市でした。監督が表現した未来都市はとてもリアルに感じでいます、高層ビル、空に飛ぶ飛行機、地面に走る電車などは特に感じました。映画では二つの世界観を現しています、地上に生活している人々は裕福で贅沢の暮らしをしています。地下では、労働する人々は考えられないほどに厳しいら労働や苦しい暮らしをしています。または劇中に登場したロボットはちょっと不気味で顔が恐ろしかったのです。1927年ごろの人はこのようなストーリーまたは100年後に対してた想像はとてもすごいと感じています。 
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私はカラー化したものを観ました。 この物語の設定をみると、その時代の社会的階級を表しているようだった。上級国民である人たちは楽して生活し、下級労働者達は奴隷のような扱いで仕事をしていました。まるでロボットのように働いていて、怖いものがありました。しかしいつの時代にも、下級労働者に対して目を向けるものがおり、助けていくというストーリーはよくある流れだと感じられました。また、あの時代にアンドロイドを思いつくなんて、未来をよく考えていたなと思いました。父親である創業者は目先の利益ばかりしか目がなく、下のことなど気にもしてませんでしたが、最後に自分が過ちを犯していたことに気付いて良かった。息子はこの先良き世界を作っていくだろうと感じられる終わり方でした。 
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舞台はメトロポリスという未来都市で、そこでは富裕層と貧困層に分かれていて、富裕層は毎日遊んだり運動をしたりしているのに対し、貧困層の労働者は地下で過酷な労働を強いられていました。ある日、主人公は地下から来た貧困層の女性のマリアに一目ぼれします。主人公はマリアを追って地下に行きますが、そこで労働者の過酷な労働環境を目の当たりにし衝撃を受けました。主人公は富裕層のトップであるフレーダーセンにそのことを訴えますが、あしらわれてしまいます。その後主人公は地下での労働を決意し、労働者と一緒に働き始めました。一方でマリアは労働者達に調停者が現れこの苦しい環境を解決してくれると説いた後、主人公と恋人関係になります。それをこっそり見ていたフレーダーセンは彼女を拉致し、発明家のロトワングにマリアそっくりのロボットを作らせ、労働者たちを偽のマリアによってコントロールすることを考えました。しかし、ロトワングの手によって偽のマリアは労働者を扇動し、メトロポリスの機械をすべて壊してしまいました。その結果地下は水没し、怒り狂った労働者達は偽のマリアを焼き殺しました。そのころ、本物のマリアは何とかロトワングから逃げ出し主人公と合流し、地下にいた子どもや民衆を救出します。その後ロトワングはマリアをさらおうとしまし、主人公との格闘の末高所から落下し死んでしまいます。その後改心したフレーダーセンは主人公の仲介で労働者と握手し、新たなメトロポリスが作られていくのでした。 
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私がこの映画を見て真っ先に、この映画の世界観は現代の多くの国に当てはまっていると感じました。知識が階級に長結するため、知識がないものは労働するしかない、つまり階級はないに等しい。この映画はまさに現在の日本の縮図だと考えます。実際にコロナで階級のない者(国民)は経済打撃を被っていますが、階級のある者(政治家)は国民から搾取した税金で何ら変わりのない質の高い生活を送っています。同じ人間でありながら、知識のある者が知識のない者から搾取し生計を立てているというこの現実はやはり昔から存在しており、そして悲しくもその現実は現代においても変わることなく続いてしまっていたことをこの映画を通して感じました。人はなぜ力(権力や金)を持ってしまうとそれを自らにだけ使ってしまうのでしょうか。力を持っているからこそ他者へ分け与えるということがなぜできないのでしょうか。それを感じてならない作品でした。そういった人の欠点や悲しみが引き出されており、またモノクロだからこそ伝わる臨場感がとてもありました。それらがこの時代と重なってより作品の深みを引き出していたように感じます。 
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私はメトロポリスを鑑賞して、支配者や労働者と言った格差があることで、未来は悪い方向に行ってしまうと感じ、お互い手を取り合って協力することが昔も現在も大切だと思いました。この話の簡単なあらすじは、支配者と労働者の歩み寄りを描いた物語です。私がこの話の中で特に印象的な場面は、ラストの親にとって子供は大切な存在であると実感したシーンと、支配者の頭脳と労働者の手を合体し、その間にある心を媒介者によって繋げるというシーンです。親にとって子供は守るべき大切な存在だと思う気持ちは皆同じであると感じました。また、両者の強みを生かし協力し、媒介者が両者の心を結ぶことで格差のない世界が作り出せると思いました。このように、どの時代も親にとって子供の存在は大きいものだと改めて感じました。そしてメトロポリスを鑑賞して、お互いを尊重し協力することが皆のためになり、より良い未来に繋がるのではないかと思いました。 
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資本家の息子である男が、過酷な労働者の立場を見て経験し、自らが資本家と労働者が相互理解するためのきっかけになる必要があると考えました。そして、最後には、敵対していた両者が、この男の仲介によってお互いに分かり合うというストーリーでした。私は、大掛かりな舞台セットや大人数が参加していることがこの時代にできていることにとても感動しました。 
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私の解説としてはこの映画は単に未来の世界を架空の絵空事として描いたものに尽きてはいなかったということを思いました。むしろこの映画は、一貫して現実の世界の映し絵のように見えました。それどころか、現実の社会を戯画化することで、今そこにある問題を告発しようとしているようにも思えました。そしてこの映画に描かれている問題はおそらく、1927年のドイツという歴史的な場所において極めてアクチュアルなものであったのだろうと思います。この意味では、目の前にある現実を写し取り告発することに「SF」映画の出発点があったのだと思います。空想を描くということは、少なくともこの映画においては、現実と対峙することになります。基本的には「脳」と「手」とが「心」によって結び合わされることが主題になっているのですが、これはまさしく、資本家と労働者がお互いを許し合い、認め合い、そして協力し合うような在り方のことだと思いました。この時代ならではの問題をサイレント作品として上質に作りあげられていると思いました。 
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私が今回メトロポリスを鑑賞してみての解説として、階級社会によって労働を強いられていて毎日毎日働き続ける地下労働者に比べて、地上に住んでいる富裕層の人々たちは毎日ダンスやスポーツ、楽しいことばっかをするなどして楽しく生活していた。この完全なる格差社会と、この事実に葛藤していく人間の心の動きがあったと思いました。また、登場するアンドロイドは、途中でヒロインである人の姿に変わった。このアンドロイドによって人々の欲望や格差社会と問題がかき乱されていった。 私の個人的な感想として世界観が凄かったと思いました。今の現代では当たり前に高層ビルなんていくつもの建っているのに対しての数百年前にから高層ビルだったり、SFで定番な空飛ぶ車やロボットなどを数百年前年ほど前から描き切っていたことにすごいなとも思いました。現実の世界などで問題とされている、階級社会や資本家の搾取をこの時代に大胆にテーマにしていた。 メトロポリスを鑑賞してて地上と地下での貧富の差が特に描かれていた。話の内容としては、資本家の息子が労働者の過酷な立場を経験することで、自らが富裕層と労働者の両方を理解し、両方を繋げられるのうな架け橋になる必要があると感じ、最後に敵対していたが両者がお互いに分かり合うというものであった。 
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背景の美術センスはまさし筆舌に尽くしがたく、人々の活気に溢れる上層の街並み、スラムのゾワゾワしてしまいそうな多重居住スペース、小さなバー、巨大な空間を見渡せる裏道、下水道の果ての巨大な空孔部。わずか数秒しか使われないカットひとつひとつが鳥肌ものの美しさを秘めています。それはピクシブあたりによく転がっている、表層だけをきれいに飾り付けた、既視感に塗れた偽物の架空の情景とは全くもって違います。全てに、そのモノと空間がそれまで経てきた時間や、匂いや、温度すらも感じられるような説得力に溢れている。最近ちやほやされている新海誠の写真にパキパキのCGを盛ったような無臭の色彩の背景が現実にありそうなのに、決してない作り物の世界」なのだとしたら、本作はその対極の現実には決してありえないのに、まるで本当に存在するかのような世界だと言と思います。これは現在の日本のアニメーションがセル画とともに忘れてしまったセンスであり、技術だと思います。世界が見惚れたクールジャパンの最後の残夢こそがメトロポリスなのだと思いました。 
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SFのディストピア世界でよく描かれる階級社会や資本家の搾取をこの時代に大胆にテーマにしているのもスゴいと思いました。 ストーリーも、資本家の息子が労働者の過酷な立場を経験し、自らが資本家と労働者の相互理解の架け橋になる必要があると使命を感じ、最後に敵対していたが両者が息子の仲介によってお互いに分かり合うというもので、SF的な描写に目が行きがちだが、内容もハッキリしていて良いと思いました。 
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 かなりボリュームのある映画でした。まず前提としてこの世界では地上に暮らす裕福な人々と地下で強制労働?させられています。貧困者の二つの世界に分けられています。映画内で裕福な人は脳、貧困者は手、と例えられている。そして互いにコミュニケーションをとることはありません。その中でマリアが現れる。マリアは二つの脳と手を結びつける者が必要だと、労働者たちに会います。マリアは心を持つ者が必要だ言っています。ここでまた新たに登場するのが地上の王の息子、フレーダーである。ブレーダーは地上に生まれながらも、地下の労働者を心配している優しい人である。そしてマリアにあなたが心を持つ者だと、ブレーダーは言われます。このでフレーダー父親が出てきて、地上の人と労働者と一つにしようとしてる、マリアを憎み、マリアと同じ顔のロボットを作らせ、そのロボットを使って労働者を騙そうとします。しかし、ここでそのロボットを作る博士がフレーダー父のことを嫌っており、逆にそのロボットに地上人を蹴散らそうと、労働者たちを先導するようにプログラムを組み直したのです。そして労働者はロボットマリアの教えのもと地上の重要な発電機?機械?をぶち壊します。そして地上は停電するのですが同時にちかに水が流れ込んでしまい、地下は水没します。労働者たちも家族が地下にいるのに大変なことになってしまいました。さらにフレーダーとマリアもその時地下にいたのです。その時2人は地下にいた労働者の子供たちを助けていました。そして命からがら地上に出るとマリアが反乱を先導した危険人物であると人々が捕まえようとしてきたのです。しかしロボットマリアが身代わりになり、なんか助かります。そしてラストで脳である、地上の王ブレーダーの父親と手である、地下の王が心である、ブレーダーが仲介して、握手して物語は終了します。 
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 今では考えられないが、BGM以外サイレントで映画を作成している。時々、描写の後に文字が表示されることによって視聴者は情報を求めてそのもじに集中することができる。これもサイレントであるが故である。 
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フルバージョンのメトロポリスを視聴ました。メトロポリスの世界では富裕層と労働者で明確に立場が分かれており、主人公は富裕層です。主人公フレーダーの父はメトロポリスを仕切っており、職を決めているのも父です。主人公は労働者の父を持つ女性のマリアを探すうちに労働者たちの場所についてしまい、そこで爆発事故に巻き込まれます。この事故から労働者の実態を知った主人公は、父に話をしに行き、現在のじぶんの地位などから葛藤していきます。フレーダーとマリアは恋に落ちますが、フレーダーの父につかまってしまい、マリアの偽物が現れました。マリアの偽物は労働者を燃え上がらせ、ストライキをさせようとします。そして、その拍子に地下の大切な施設が破壊され、地下が水で溢れてしまいます。労働者たちは大慌てしながら、こんなことになってしまった原因であるマリアの偽物を火であぶり、それが偽物だったことに気づきます。フレーダーとマリアは子供たちを助けながらこの事件を計画していた人と戦います。それに勝利したフレーダーは、労働者と上層階級の人たちを結ぶ架け橋となったのでした。 
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私がメトロポリスを鑑賞して驚いたことは内容がよく伝わってくることです。まずこの作品はサイレントムービーと同じで声は入っていません。視覚から入る情報のみで物語を理解する必要があります。しかし、こちらも演者の表情や体の動きなどの一つ一つの動作が大きく、セリフがなくても入ってくる情報が多くなっています。また、演者の動きを速めることで物語におけるキャラクターの焦りなどの心情を読み取ることができます。声がなくても表情や体の動きで視聴者へ伝えることができる、伝える手段は口だけではないということを実感させてくれる作品でした。また、演者の芝居以外にもキャラクターの心情を上手く表現している箇所がありました。それがバックで流れているBGMです。このBGMは物語の始めから終わりまで一貫して流れていますが、このBGMも非常に大きな仕事を担っており、重要性がわかります。たとえば、キャラクターの心情が落ちる場面では暗い雰囲気にしたり、焦っている場面ではテンポを速めたりなどです。このように技術がまだ発展していなかった時代に、作品はそれに合わせて視聴者にしっかりと伝わるように上手く工夫されていたのです。メトロポリスという作品は私たちに人とコミュニケーションを取る上で本当に大切なものは何かを教えてくれる作品になっています。 
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私はメトロポリスを見てSF映画の原点にして頂点というだけあって、とても感動をしました。これだけの作品が約100年以上昔から存在し、製作されていたと考えるととても感慨深いです。現代社会のこともよく描かれていて、とてもすごいと思いました。 
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このメトロポリスは現代の映像にはない人やモノの動きのぎこちなさやモノクロで表現しており、1900年代にこの映像を見るのと、今見るのとでは感じるものがだいぶ異なると思いました。私はメトロポリスを見て一番に思ったことは「怖い」という感情です。普段、テレビや映画、インターネット上の動画を見る時はこの映像ほどぎこちないヒトの動きを見ることはないので、とても違和感を感じました。特に初めの大人数が歩いているシーンはモノクロなこともあり、鳥肌が立つような不思議な感じでした。しかし、メトロポリスが私たちに伝えたいことは時代を越えてでも伝わってきます。ただ、メトロポリスを公開時に見た人と現代の私たちがこの映像から読み取るものは違うのだと考えます。また、メトロポリスは映像に出演する人数でストーリーの起承転結や視聴者に伝えたいことを表現しているのだと思いました。私が初めに大人数が歩いているシーンで恐怖を感じたように、この映像を見ているとだんだん人数でストーリーの大小を表しているのではと思うようになりました。真実はわかりませんが、現代の私にはそのような感想を抱きました。 
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 メトロポリス(1927)のオリジナルバージョンを鑑賞しました。内容自体は、古さと無音である事のデメリットを感じさせない程に面白かったです。ただし個人的には、一つ目の課題で見たバスター・キートンやハロルド・ロイドのサイレントムービーのような、音声がないからこそ出来る表現はあまり見られなかったように思います。ジャンルの違うコメディー映画と比較しても仕方がないのかもしれませんが、前に挙げた二人の表現と比較してしまうと少し物足りない印象を受けました。もちろんメトロポリス自体は素晴らしい映画だと思いますし、SF映画の一つの金字塔として高い評価を受けていることにも納得出来ました。ただしそれは、卓越した未来世界の描写と物語の面白さによるものであって、サイレントムービーだからこそ出来る優れた表現によるものではありませんでした。個人的には同じ内容なら、現代の技術で作られたものを見たいと思いました。もちろん当時の映像だからこそ出る味のようなものもあるので、単純にリメイクすればいいというものでもないとは思いますし、一度はオリジナルを見ておいた方がいいとは思いますが、どうせなら最新の映像技術で表現されたものを見たいというのが正直な感想です。単純にいい映画を見たという感じでした。 
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 私はカラー版を見ました。初見であまり内容が掴めなかったので、解説を読んでからもう一度見て掴んだ内容を解説していきます。  映画自体はSF映画で不思議な世界観を持つ内容です。世界は地上と地下で分断され、地上では裕福な人たちが近代・未来的な建物にすみ、空飛ぶ乗り物に乗って暮らしています。一方で地下の人たちは貧しく延々と働かされ続けます。作品の中に出てきましたが、序盤の方でミスした労働者が、建物の爆発で死んでしまうなどまさに命がけの作業です。全体をみて正確な内容を掴むため解説を見ましたが、どうやら地下は「手」、地上は「脳」とで互いにわかり合うことができない存在になっていたとのことです。  また作中にはこれらの間を結びつけようとする女性が現れます。その女性は宗教団体の主導者のような女性です。彼女は聴衆に向け何かを訴えかけます。彼女は「手」、「脳」のそれぞれどれでもなく、「心」の性質を持つ女性でした。彼女は資本家と労働者をわかり合わせようと訴えますが、その行動が危険視されメカニックのような科学者に捕まり、彼女はロボットにコピーされてしまいます。(ここで死ぬような描写があるが、死んでない)  主人公は彼女に惹かれていたので、彼女を探していましたが、彼女の代わりに出てきたのは彼女の姿をした、ロボットとメカニックが出てきます。そこから彼女の変わり果てた姿が始まります。  第一に彼女はほぼ半裸でTVに出演します。主人公はその姿に驚愕し、TVを見ながら倒れそうになります。  また、彼女は信者?を手と脳を団結させようとするのではなく、悪の方向へと誘導しようとします。信者たちは仲間割れを起こします。彼女は彼らの憎しみの部分にアプローチし、地下と地上をつなぐ壁をぶち壊します。信者らは、地下の貯水庫をぶち壊し、地下労働施設は崩壊しました。しかし、実は脱出したのは大人だけで子供たちは脱出できていませんでした。大人数名は地下に戻り子供を救出します。  物語は終盤。彼女は反逆者的な立ち位置として火炙りの刑にされます。しかし燃やされて姿を現したのはロボット。そして天井を見るとメカニックと主人公そして彼女が戦っていました。結論を言うと主人公と彼女のが勝ちます。物語の最後は地下「手」と地上「脳」が握手し、物語は終わります。格差社会の終わりというところでしょうか。無事ハッポーエンドです。  最後に軽く感想を述べさせていただきます。まず私はこの映画が約100年前に作られたことを知り、とても驚いています。メトロポリスで出てきた未来的思想は現代においても実現されていませんが、宗教的観念(悪魔・魔女)、未来的思想は現代にも通じるものを感じました。調べたところ、本作品はSF黎明期の「SF映画の原点にして頂点」と謳われるレベルの作品だと出てきました。確かに約100年前に現代でも創造し得ないものを想像し、映画化する点に関してはとてつもない作品だなと思いました。  一方で疑問もあります。本作の手と脳は果たして共存できるようになるのでしょうか。そもそも元々わかり得ることができなかった人種がわかり合う努力をするといった描写が出る点まではよかったのですが、その後の続きが木になる作品でした。 
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すみません。誤字を発見したため再度送らせていただきます。  私はカラー版を見ました。初見であまり内容が掴めなかったので、解説を読んでからもう一度見て掴んだ内容を解説していきます。  映画自体はSF映画で不思議な世界観を持つ内容です。世界は地上と地下で分断され、地上では裕福な人たちが近代・未来的な建物にすみ、空飛ぶ乗り物に乗って暮らしています。一方で地下の人たちは貧しく延々と働かされ続けます。作品の中に出てきましたが、序盤の方でミスした労働者が、建物の爆発で死んでしまうなどまさに命がけの作業です。全体をみて正確な内容を掴むため解説を見ましたが、どうやら地下は「手」、地上は「脳」とで互いにわかり合うことができない存在になっていたとのことです。  また作中にはこれらの間を結びつけようとする女性が現れます。その女性は宗教団体の主導者のような女性です。彼女は聴衆に向け何かを訴えかけます。彼女は「手」、「脳」のそれぞれどれでもなく、「心」の性質を持つ女性でした。彼女は資本家と労働者をわかり合わせようと訴えますが、その行動が危険視されメカニックのような科学者に捕まり、彼女はロボットにコピーされてしまいます。(ここで死ぬような描写があるが、死んでない)  主人公は彼女に惹かれていたので、彼女を探していましたが、彼女の代わりに出てきたのは彼女の姿をした、ロボットとメカニックが出てきます。そこから彼女の変わり果てた姿が始まります。  第一に彼女はほぼ半裸でTVに出演します。主人公はその姿に驚愕し、TVを見ながら倒れそうになります。  また、彼女は信者?を手と脳を団結させようとするのではなく、悪の方向へと誘導しようとします。信者たちは仲間割れを起こします。彼女は彼らの憎しみの部分にアプローチし、地下と地上をつなぐ壁をぶち壊します。信者らは、地下の貯水庫をぶち壊し、地下労働施設は崩壊しました。しかし、実は脱出したのは大人だけで子供たちは脱出できていませんでした。大人数名は地下に戻り子供を救出します。  物語は終盤。彼女は反逆者的な立ち位置として火炙りの刑にされます。しかし燃やされて姿を現したのはロボット。そして天井を見るとメカニックと主人公そして彼女が戦っていました。結論を言うと主人公と彼女のが勝ちます。物語の最後は地下「手」と地上「脳」が握手し、物語は終わります。格差社会の終わりというところでしょうか。無事ハッポーエンドです。  最後に軽く感想を述べさせていただきます。まず私はこの映画が約100年前に作られたことを知り、とても驚いています。メトロポリスで出てきた未来的思想は現代においても実現されていませんが、宗教的観念(悪魔・魔女)、未来的思想は現代にも通じるものを感じました。調べたところ、本作品はSF黎明期の「SF映画の原点にして頂点」と謳われるレベルの作品だと出てきました。確かに約100年前に現代でも創造し得ないものを想像し、映画化する点に関してはとてつもない作品だなと思いました。  一方で疑問もあります。本作の手と脳は果たして共存できるようになるのでしょうか。そもそも元々わかり得ることができなかった人種がわかり合う努力をするといった描写が出る点まではよかったのですが、その後の続きが気になる作品でした。 
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私はこの映画の壮大な規模に驚きました。扱っているテーマが労働者と資本家の争いであり、経済至上主義の暗い面を1927年ですでに、ありありと描いており圧巻の作品でした。現代に見てもメッセージ性が強く、人々の本当の幸せについて考えるよいきっかけになると思いました。特にすごいと思ったのは、労働者の反乱の場面です。大勢の労働者が怒りに震え暴動を起こす規模の大きさは圧巻でした。また、主人公が労働者と資本家を結ぶ仲介者であり、最後はお互い歩み寄ろうとするのがいいと思いました。役者の演技も表情や行動を少しオーバーにすることでわかりやすく、ストーリーにより緩急がつき、見易かったです。 
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私はジョルジオモロダー版を鑑賞しました。この映画は未来の世界を舞台とした、対立している地上の資本家(脳)と地下の労働者(手)がマリアを仲介として結ばれることを主題とする物語です。資本家を父に持つ主人公・フレーダーはその身分にも関わらず地下の労働者に共感したことから、二者の平和を願うようになる。そこで父はマリアのロボットを操ることで労働者の反乱を抑えようとするが、開発者の悪意によってロボットは労働者の反乱に加担するように作られる。最終的に資本家と労働者双方が衝突しますが、互いを許しあうことで闘争は終了しました。 
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セリフがなくても音楽と人の表情で話がわかる気がしました。今まで普通の音楽だったのに登場人物が焦りだしたら速いテンポになる、登場人物が恋に落ちたらなめらかで優しい曲調にかわる。こういった細かな工夫でいくらでも面白くなるのだなと思いました。全部が全部言葉で伝えなくてはならないわけでは無いということに気付かされました。 
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メトロポリスはディストピア化した未来都市を描いたSF映画です。メトロポリスと呼ばれる未来都市は高度に文明が発達し平和に見えるが摩天楼に住む上流階級と地下に住む労働者と二分された階級社会でした。支配者階級の主人公はある日労働階級の娘に出会い、初めて地下の存在を知ります。娘はこの社会の矛盾を説き主人公に協力を求め、彼も娘に惹かれ心を奪われました。しかしその様子を見ていた主人公の父が娘を誘拐し、彼女によく似たアンドロイドを地下に送り労働者の団結を崩そうとしました。しかし、アンドロイドを作った人物はメトロポリスそのものの壊滅を目論んでいてアンドロイドに階級闘争を先導させました。主人公は娘が別人であることに気づきましたが労働者たちに追い立てられました。先導された労働者たちはメトロポリスの心臓部を破壊し、自らの居住区を水没させてしまいました。しかしそこには子供たちが残されてました。それに気づき、先導されていたことを理解した労働者たちはアンドロイドを糾弾し火炙りにしました。ここで彼らは娘が偽物だったことに気がつきました。一方主人公は本物の娘と再会し、子供たちを水没から避難させて、時計等でアンドロイドの製作者との決着をつけ、その後父と労働者の仲介を図ることとなりました。 個人的にアンドロイドがすごいリアルだと思って調べたら着ぐるみだったんですね驚きました。 
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 欲に溺れる資本家と怒りに振り回されるだけの労働者、そのどちらの立場につくわけでもなく、とにかく「人間は偉くありません!」とスパッと切ってしまう感じが良かったです。資本家の息子が労働者の過酷な立場を経験し、自らが資本家と労働者の相互理解の架け橋になる必要があると使命を感じ、最後に敵対していたが両者が息子の仲介によってお互いに分かり合うというもので、SF的な描写に目が行きがちだが、内容もハッキリしていて面白かったです。台詞がないので、人間の動きがパントマイム的にオーバーになっていて、それだけに人造人間の登場シーンは最初は気持ち悪いと思いましたがだんだん美しく見えてきてしまいました。 天使と悪魔を演じ分けるマリアもまた素晴らしくて、可憐なマリアと、嫌悪感を抱いてしまうマリアは、同じ外見とは思えないほどでした。おそらく名台詞だろう、「心が〜」の文句には感動しました。  心や情が、支配者と労働者の間に挟まる大壁をぶち壊す。発見や開発はたしかに世界の利益に与してきたが、やはり世界そのものを救うのは人間の根幹にあるものなのだろうと考えさせられました。 
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私はメトロポリスを鑑賞して、いつの時代も労働者と経営者の溝は深いと感じました。また、両者の溝を埋めるためには媒介者が必要だということも現代の社会でもいえることなのではないのかと思います。この映画は、未来のことを描いているためファンタジーのようにも観ることができますが、ホワイトカラーとブルーカラーの経済的・社会的格差が現実的に描かれています。経営者(ホワイトカラー)は自分達が作業員(ブルーカラー)よりも地位が上の人間だと勘違いしがちですが、現場で働いてくれる作業員がいなければ経営もうまくいきません。一方で、作業員も経営者の言いなりになり続けることは苦しく、どこかで発散しないとフラストレーションが溜まり、結局は暴動やボイコットに繋がることで職を失うことになってしまいます。しかし映画内でマリアが『頭脳と手の媒介者は心でなければなりません』と皆を諭したように、会社(体の)の中では経営者(頭脳)と手(作業員)が一緒にならなくてはならず、その間を心(媒介者)が取り持つことでうまく成り立ちます。この両者が断裂し死んでしまうことを防ぐためにも媒介者の力は必要不可欠であり、絶対的であると言えます。このことから職業間での格付けや差別はするものではなく、働いているすべての人が平等であるということをこの映画は伝えたかったのではないかと思いました。 
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私は、メトロポリスという都市は世界の光と闇を表しているものだと思います。富裕層はダンスなどを楽しみ、階級が下の者は地下で労働し続けるという格差社会を表したものです。しかし、富裕層はその事実を知らないで生活をしていましたが、ある時に富裕層の人物がその事実を知り、この格差社会をどうにかしなければならないと考え、地下で暮らす人と協力しあい変えようとします。その行為を良く思わなかった富裕層のトップの人間が地下のリーダー的存在の人物にそっくりのアンドロイドを作り妨害します。しかし、そのアンドロイドが地下の労働者に行わせたことは地下を水没させることであり、それに気づいた労働者達はリーダーの偽物であるアンドロイドを殺します。地下にいた労働者の子供たちは本物のリーダー的存在の人と富裕層の格差社会を変えようとした人によって助けられ、この出来事が格差社会の無い新しい街を作るきっかけとなりました。 
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メトロポリス(1927)の舞台は2026年のメトロポリスと呼ばれる未来都市で、高度な技術によって平和と繁栄がもたらされていました。しかし、実態は摩天楼の上層階に住む階級の人と過酷な労働を行う労働者階級にに分けられた徹底的な階級社会でした。ある時権力者の息子であるフレーダーが労働者階級のマリアと出会ってその実態を知り、階級社会を変えようとしていく物語です。私はこの映画を鑑賞して、まず世界観のすごさに驚きました。今から100年近く前の物語にもかかわらず、今では当たり前な高層ビルなどを描いていることがとてもすごいと思いました。また、セリフがないのにも関わらず人間の動きと音楽で内容にのめり込めることにとても感動しました。この映画ほどではないにせよ、まだまだ格差社会も残る世界で、世界中の人が手を取り合えたらそれ以上のことはないのではないかと思わせるような作品でした。 
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 SF作品の先駆けとされる今作は内容はむしろ当時の風刺を多く持っているように思えました。人間が機械のように単純作業に従事させられるのは産業革命からの流れでしょうし、作中に出てくる都市の娯楽にも野心的な予測は見られませんでした。ですからこの作品は、未来を考えた作品と言うよりも、当時の社会に対するアンチテーゼの一つだと考えます。膨張した資本主義に対する反抗だとして共産主義の手先だと見られたとしても納得できます。  作品の演出では様々な撮影手法がとられているようにみえます。バベルの塔建設のシーンで、別々で撮影された隊列行進の合成や都市や競技場などの巨大な建造物の合成は説得力を感じます。  この作品が1984や未来世紀ブラジルなどの全体主義的なSF観に大きな影響を与えたことは映画史に詳しくないもののはっきりと感じました。 
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私は「頭脳と手の媒介者は心でなければならない」という言葉は階級社会の解決策として人を介した明確な答えを表現していると感じました。人間というよりはロボットまたはゾンビのように歩く地下労働者たちや、それを一つにまとめ上げるマリア、地下の社会を知らなかったフレーダー。その出会いが地下のことを知るきっかけとなったわけですが、地下とキラキラした地上の格差は現代と同じだと思います。実際、奴隷のような過酷な労働はまだ存在します。心が媒介者となるように経営者と労働者のお互いを思い合う心を大切にしなければ映画と同じようなことを繰り返すだけです。この映画は分かりやすく階級構造とその対立を表した現代とリンクする作品だと思いました。 
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私は現代のSF映画にも似ていると思います。これはスターウォーズなどのSF映画の原点とも考えられます。文字はないけれど何か恐怖やその当時の社会情勢がわかるような気がします。白黒でもその恐ろしさや不気味さが伝わります。また一人一人のものすごい感情が伝わってくるような気がします。 
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舞台は、未来都市メトロポリスという場所で、そこは富裕層は豊かに暮らしているが、貧しい人たちは地下深くで働かなくてはいけないという身分での差別がはっきりとしている場所です。冒頭、フレーダーというメトロポリスのbossであるフレーダーセンの息子が、労働者の身分の娘である、マリアに出会います。彼はマリアのことが気になってしまい、彼女のあとをつけていきます。そこで酷い環境で頑張って働いている人々を発見し、自分たちが生活している場所の裏の顔に気づいてしまいます。その後、彼の父でありbossであるフレーダーセンが登場します。彼は労働者の最近の変化に気付いていたようで、ロートヴァング一緒に労働者の様子を見に、地下にいきマリアが労働者たちに集会を開いているのを発見します。その集会ではマリアが救世主が現れると言っており労働者たちは疑いもせずマリアの言葉を信じている様子です。そうした集会にを見てしまった二人は労働者たちが反乱をするかもしれないと考えます。そして、フレーダーセンは反乱をさせないために、労働者たちの団結を乱すよう設定したマリアの顔をしたロボットを作ります。その後、マリアはロボットがバレないようにと拉致され、ロボットが地下に送り出されます。また、ロートヴァングはマリアロボットを使って都市の男たちを殺し合わせるようなことをします。そして花園はぶっ壊れていきます。最終的にマリロボットに感情を駆り立てられた一人の男が機械を破壊してしまいます。それが発端となり、地下の町が水没していきます。その時地下では、大切な子どもたちが死んでしまったと勘違いした労働者たちが、マリアロボットを焼き殺そうとします。しかし、子供たちはフレーダーとマリアに助けられており、労働者たちは喜びます。その様子を見たフレーダーセンは子供は誰から見ても大切なものなのであると理解します。その後、フレーダーの活躍もあり、フレーダーセンと労働者たちは仲良くなる事ができました。 
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私はSFの映画や漫画がとても大好きです。今作は当時の100年後ということで実質現代の世界とほぼ変わらない年代が舞台です。ちょうど現代に当たる近未来を舞台にした映画は数多くありますが、この映画は割と現実的に近未来を考えていて、技術面というよりは政治面について考えられています。それは当時、いつ戦争になってもおかしくなく、市民が貧困に困っていたことからそのようにしたのでしょう。そして、階層社会をメインとした映画や漫画は数多く存在しています。しかし、その場合具体的なエピソードや説明が必要なのですが、この映画は音がないためどうしても物足りなく感じてしまいました。前回の課題でも述べたのですが、音がないことで流れは大まかに掴むことはできるのですが、その作品の世界観や登場人物の背景がどうしても感じにくく、ストーリーに入り込めないです。また、映像の作り方も劇を映像化しただけ、のように見えて現代のハイレベルな映画をみてきてしまっている私たちではどうしても物足りないです。映画だけでなく作品において大事なことはその世界観にどれだけ入り込めるかだと思っています。私たちもその作品の中にいるような臨場感のある表現をする必要があります。それが達成されれば観客の感情を揺さぶることは容易にできます。それが、作品を一方的に見せてるだけだと表面的には楽しいですが、感情の奥深くを動かすことは難しいです。これらのことから当時の映画に求められていたニーズは人々を楽しませることなのではないか、と考えます。この映画は大事なことを考えさせるものではないですが、みている分には楽しいです。前回の課題もみていて楽しいですし、昔のディズニー映画も表面的に楽しくさせます。これは昔の映画が感情移入しにくいという批判というより、現代の映画の進歩が凄まじかったということでしょう。技術だけで見れば完成形となっているのではないでしょうか。 ただ、その一方で昔の映画ならではの味があるのも確かで、現代と比べて遥かに乏しい撮影技術でどのように世界観を表現しているのかという、技術的な側面で楽しむこともできます。映画についてそういった側面でもっと深く切り込むことができれば、より映画を楽しめるのではないかと感じました。 
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この作品の世界は、地上と地下とで分けられていて、地上は華やかな資本家の世界で、着飾った人々が幸福そうに生活しています。一方地下では陰鬱な労働者の世界で、汚れた格好の労働者たちが疲れ切っていて、資本家の生活を支えるために休みなき機械労働を行っています。ここでは両者は決定的に断絶されていて、言葉は同じであるのに、お互いは疎外されています。そんな地上の中でも支配者として君臨しているフレーダーセンの息子であるフレーダーは、街中で美しい女性・マリアに出会い一目惚れします。フレーダーがマリアを追って行くとそこは地下で、地上とはあまりにかけ離れた過酷な生活をしている地下の労働者の現状を目の当たりにして驚愕します。マリアは地下の労働者達に向かって地上の現状を説き、地上の富裕層、地下の労働者を調停する救世主の存在がきっと現れるという予言をしていました。地下の労働者達はマリアの言葉を聞いた事でストライキの考えが生まれます。フレーダーはマリアの考えに共感し、地下の労働者と一緒に働き始めます。そんなフレーダーの姿を見たマリアはフレーダーこそが救世主となって地上の階級社会を変えてくれる存在であると信じるようになります。そしてフレーダーとマリアは恋に落ち、たくさんの難を乗り越え階級の無い新しい世界を作っていくようになるという内容です。 
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まずシーンの間に文字情報が挿入される景色の映像作品は初めて観ましたし、ストーリーを理解するのが非常に難解でした。私がまず趣深いと感じたのは字幕がドイツ語で表記されている部分です。ドイツ語にはどちらかというと厳かさや男らしさ、力強さを感じさせられる。そのイメージがこの映画と非常にマッチしているのです。もはや日本語の字幕が邪魔になっているとさえも思えてしまいます。しかし映画では日本の要素も取り入れられており、「ヨシワラ」などが出てきたときには非常に驚きました。なぜ日本的なものが出てくるのかは、やはりこの当時西洋からみると日本を含め東アジア文化というものは、異様で形容しがたいものというイメージがあったのだと思います。そのようなイメージからこの映画に登場させられたのではないでしょうか。またジョルジオ・モロダー版を観てみるとまた大きく印象が変わりました。こちらのほうは厳かさや異様さは無くなってしまっているけれども、その反面SF感をより強く感じられるような気がします。音とカラーだけでこうも印象が変わってしまうとは驚きです。 
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ある男が、この話の主人公です。この男は、ある時自分は知らない兄弟がいることを知りました。その時に、とてもきれいな女性と会いました。それを父に尋ねるとなにか隠していることがあると彼は気が付きます。父は、兄弟が地下にいると言いました。彼は、地下になにがあるのか、兄弟に会うため、彼女に会うために地下に行こうとします。その間、父は地下で働いている者が何を企んでいるのか確認をするために地下に行きました。彼も無事に地下に入ることができました。そして、例の彼女に会うことができ、キスをもらうことができました。だが、その場面を見ていた父がその二人の間を引き裂こうとしました。父と一緒にいた人に、彼女を襲わせました。彼女が追いかけられているシーンは観ていてハラハラしました。襲った彼は、彼女を機械人間にし彼の父と彼になにかをしようとするのです。彼は彼女と約束をしたところで待っていました。だが彼女は現れなく、探しました。見つけたと思ったら彼女と父がいっしょにいたのです。信じられない彼は熱で倒れてしまいます。その時彼女はすでに機械人間なのです。彼女を裏で操っているには、父と一緒にいた彼なのです。そして、息子と父をこの町から追い出そうと殺そうとした。機会人間となったマリアは地下の人間を操り暴動を起こさせている。そして、大事な機械を壊し、街中に水が溢れかえりました。本物の彼女が戻ってきました。そして、父と地下の労働する人は協力することにしたのです。父の頭脳と労働者の肉体が合わさればいいと思い、握手を交わし終わりました。彼女も助かり、地下の人たちとも和解しとてもいい作品だと思いました。 
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 この作品はSF作品であり、100年後の未来のこととして描かれています。この作品の中の世界では格差が二極化しており、摩天楼の上層階に住む知的労働者階級と閉鎖された環境で過酷な労働環境で働く肉体労働者に分かれています。ある時主人公フレーダーは労働者階級の娘マリアと出会い、肉体労働者の実態を知ります。マリアが階級社会の矛盾を解き、労働者たちはストライキの機運が高まりました。マリアはフレーダーが調停者に適任であると考え、またフレーダーはマリアに対し恋愛感情を抱き始めました。これをよく思わなかったフレーダーの父はマリアを仲間に誘拐させ、マリアに似たアンドロイドを地下社会に送りこみました。これによってストライキの機運を低下させることを考えました。だが、フレーダーの仲間の裏切りがあり、アンドロイドマリアが労働者にストライキを起こさせました。労働者たちは暴徒化し、地上に押し寄せ自分たちの生活していた地下を水没させてしまいます。だが、地下には労働者の子供たちがまだ残っており、それに気が付いた労働者たちは激怒しました。労働者たちはアンドロイドであるマリアを火あぶりにし、そこで初めて自分たちを先導していたものがアンドロイドであったということに気が付きます。そのころフレーダーとマリアは地下で再開を果たし、子供たちとともに地下を脱出し、この世界の構造の変革を目指し邁進していくこととなりました。この作品が一番に伝えたかったことは愛はいつの時代も不滅であるということだと考えられます。また、それは理論的ではなく運命的なものであると言えます。完成から1世紀近くたっている作品にもかかわらず非常に完成度の高い作品でした。この作品の世界観は今の現実社会とも共通点があり、アイロニックな感じがしました。 
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私はとても不気味に思いました。映像としては大勢の人が同じ動きを音もなくしたり繰り返し同じ映像を流すこと、内容としては人の話を聞かず行動するが失敗したら全て自分達ではなく主導者のせいだと騒ぎ立てることが怖かったです。舞台が2026年で6年後なのも怖いです。またセリフがないからこそ役者の演技がすごく伝わってきました。 
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私はメトロポリスを鑑賞して、サイレント映画ではあるが、音楽や途中で挟まれる字幕の説明によって、充分に話の内容が理解できると感じました。特に、音楽によって不気味さや、階級社会の厳しさ、主人公が感じた衝撃などがわかりやすく表現されていると思いました。 
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私はこの映画を見て当時の工業化が推し進められる社会の不気味さを強く感じた。映画の最初の方では労働者に全く人間味が感じられず、ただの社会の駒でしかないという環境に主人公が不満を訴え逃げ出していった。だが次第にその流れは労働者全体に広がっていき工場から労働者達が脱走するまでになった。 
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 この映画は階級社会を表した映画です。下流階級の者達は地下に追いやられ、上流階級が支配する構図です。反乱を察知した支配者が手を打つも失敗に終わり、最終的に対立に終止符がうたれます。   
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私は、メトロポリスを見て音声はないのですが、表現やジェスチャーでこれだけ面白く、興味深いものになるのは素敵だなと思いました。少しディズニーの昔のアニメみたいな構成だなと思いました。また、コンテンポラリーダンスを見ているかのようでした。わたしはカラー化しない方が好きです。 
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 『メトロポリス』は1926年の制作時から100年後のディストピア未来都市を描いた映画で、SF映画の原点にして頂点と評価されています。メトロポリスのはるか下には地下都市が存在し、地下に住む労働者たちは毎日、機械的に働かされ、彼らは限界まで追い込まれていました。ある一人の男性、フレーダーは労働者たちへの残酷な扱いを目の当たりにし愕然とします。それを父親に問いただしにいきました。そして息子までも労働者の一人とされます。息子は働かされている中で、ある女性、マリアと出会い恋に落ちます。そんな中、科学者のような男性がロボットを開発しました。おそらくAIのようなものです。そのロボットには唯一欠けているものがありました。「魂」です。科学者はマリアに目を付け、彼女の身体を使ってロボットに魂を宿らせようとします。いわゆるマリア型のロボットが完成してしまい、労働者たちはロボットに支配されてしまいました。マリアを愛していた男性はそれに気づいており、彼女はマリアではないと訴えますが、労働社会はロボットによってめちゃくちゃにされてしまいます。しかし後に支配された労働者たちは、自分たちの行動が間違っていることに気づき、マリア型ロボットを燃やします。労働者たちはその時に、自分たちを支配していたものの正体を知ることとなりました。一方でフレーダーは、そのロボットを開発した男が決着をつけ、全てが終わった後に、労働者と父親の仲をもとに戻すために仲介をし、この事件は収まるのであった。  この映画からは、人間がロボットに支配される恐ろしさを物語っていると思った。 
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世の中を何も知らないメトロポリスの支配者の息子は、ある日マリアに出会い心を奪われます。マリアは大勢の地底の子供たちを引き連れていました。そこではじめて地下労働の存在を知ることになります。過酷な労働に従事する労働者達は決まった作業・動作の繰り返しでまるでロボットのようでした。この状況を変えるべく息子は動きだします。やがで労働者はストライキを起こすようになりました。簡潔に言うと労働者階級と上流階級の争いをSF要素を入れて表現したのだと思いました。また、この作品はSF映画の原点ではないかと思いました。 
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SF好きにはとても素晴らしい作品でした。この時代にこのような作品が作られているということにとても感動しました。現代の映画のようにグラフィックがきれいだったり、音楽や映像の迫力があるのもとても魅力的だが、昔の無声映画は話や演技、音楽などが融合して今の映画にも劣らないとても魅力的な作品になっていました。白黒だからといって見ないのはもったいない作品だと思いました。 
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1927年に公開されたドイツ映画で、当時から100年後の世界を描いている作品です。作中の世界では、理想郷であるユートピアの正反対のディストピアとなっており、徹底的な階級社会です。 劇中に登場するアンドロイドは、途中でマリア(ヒロイン)の姿に変わります。変化前のアンドロイドは映画「メトロポリス」を代表するもので、映画名を検索するとポスターにも写っています。 階級社会によって労働を強いられて、24時間のシフト制で働き続ける地下労働者に比べ、地上に住んでいる富裕層は毎日スポーツをしていたり、ダンスをしていたりする等の楽しい生活を送っています。この完全な格差社会と、事実に葛藤する人間の心の動きが感じられます。 未来都市「メトロポリス」は高度な科学力によって発展した平和な都市でした。しかし、それは表向きであり、実際には豊かな生活を送っているのは地上に住む富裕層のみです。地下では労働者が過酷な労働を強いられているというあからさまな階級社会となっていました。そんな「メトロポリス」の中で、支配者フレーダーセンの息子であるフレーダーは街中で美しい女性のマリアに出会い、一目惚れしてしまいます。 フレーダーがマリアを追いかけると、そこは地下で地上とはあまりかけ離れた過酷な生活を送っている地下労働者の現状を目の当たりにして驚愕します。マリアは地下労働者たちに「メトロポリス」の現状を説き、「脳」となっている地上の富裕層、「手」となっている地下の労働者を調停する救世主の存在が現れるという予言をしていました。地下労働者たちはマリアの言葉を聞いたことでストライキの考えが生まれます。 フレーダーは地上と地下の違いすぎる生活に怒りを覚え、父のフレーダーセンに「メトロポリス」の改正を必死で訴えます。しかし、フレーダーセンは「メトロポリス」の現状維持に忙しく、息子の言うことに構ってなどいられません。息子に「メトロポリス」の支配者の苦労を述べた後、どこかへ去っていきました。 フレーダーはマリアの考えに共感し、地下労働者と共に働き始めます。そんなフレーダーの姿を見たマリアはフレーダーが救世主となり、「メトロポリス」の階級社会を変える存在であると信じるようになります。フレーダーも地下の過酷な労働をこのままにしておくべきではないという考えから、自分が救世主になるべく地上と地下の調停を考えます。そして2人は地下で関わっていくうちに、互いに惹かれ合うようになっていきます。 一方で、フレーダーセンは息子の訴えによって地下の不穏な動きを察知したことで、「メトロポリス」の中でも屈指の大発明家ロドワングの元を訪れます。2人は話し合った上で、地下労働者の様子をこっそりと見に行きます。その時、マリアは救世主が現れるという演説の最中で、これを見たフレーダーセンは労働者のストライキを危惧し始めます。 フレーダーセンは考えた末、ロドワングにマリアそっくりのアンドロイド作ってもらい、地下労働者の統率を乱すよう命じます。ロドワングはすぐにマリアを連れ去り、彼女とアンドロイドの脳を機械で繋ぐことで、全く同じ容姿をした偽物のマリアを作り上げました。 偽物のマリアは地下に降りて行き、本物のマリアのように演説をしましたが、内容はフレーダーセンの意志とは裏腹に、地上に出て機械を破壊しようというものでした。 偽物のマリアは、「メトロポリス」を混乱に陥れようとしているロドワングの陰謀により、そのような言葉を言うように製造されていたのでした。そして、偽物のマリアの言葉で地下労働者たちは「メトロポリス」の機械を破壊しつくすために地上へと押し寄せ、全ての機械を破壊してしまいました。しかし、「メトロポリス」の機械を全て破壊したということは地下が水没するということだったのです。 地下には大量の水が押し寄せ、地下労働者たちの子供たちが多く残っていて、大混乱となりました。狂ったように地上の「メトロポリス」を破壊していた地下労働者たちは地下の異変に気付き、自分の愛する子供たちが大量の水によって溺れ死んでしまったと思い込み激怒し、このような事態を招いた原因である偽物のマリアを貼り付けにし、火で焼き殺してしまいました。 ロドワングがニセモノのマリアを使って「メトロポリス」を混乱に陥れようとした動機は、過去にフレーダーセンと好きな女性を巡って争ったことがあり、最終的にその女性をフレーダーセンに奪われてしまった事で今でも恨んでおり、現在のフレーダーセンが支配する「メトロポリス」の世界を潰そうと考えたからでした。 その頃、フレーダーと本物のマリアは地下で必死に警報を鳴らしながら子供たちを救出していました。全ての子供たちが無事だと分かったところで、ほっとする2人でしたが、そこにロドワングが現れてまたもやマリアを攫って行ってしまいます。ロドワングは予想以上の大混乱を見たことで、偽物のマリアを作った自分にも火の粉が飛び移るのでは無いのかという危険を感じた事からマリアを殺して事態を紛らわそうとしたのです。 フレーダーはすぐにマリアを助けに行き、屋上にてロドワングと闘うことになります。激しい戦いの末、ロドワングは足を滑らせて屋上から転げ落ちて絶命します。フレーダーセンはこの一件により自分の考えを改めることにしました。そして、フレーダーセンはフレーダーの仲介によって地下労働者の代表と握手をし、これからは階級の無い新しい「メトロポリス」が作られていくことになります。 したがって、映画「メトロポリス」では、フレーダーとマリアの恋愛やロドワングによる陰謀、地下労働者たちの怒りや偽物のマリアへの責任転換等を感じることが出来るストーリーとなっていました。映像でしか見ることは出来ませんが、特にアンドロイドがマリアの姿へと少しずつ変わっていく演出は圧巻で、1927年に作られたものとは信じられないものとなっています。 今では、たくさんのSF映画の作品がありますが、この作品はSF映画の原点とも言えるでしょう。 
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私は、台詞がなくても、白黒であっても、内容や感情は、伝わってくるのだと思いました。私は上のURLのメトロポリスをみたした。最初は台詞ないし、白黒か、と思っていましたが、だんだんその世界観に引き込まれていきました。100年ほど前に、このような映画が作られていたと考えると、とてもすごいな、と思いました。 
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この映画を見て、最初に思ったことは、約100年前に制作された「バックトゥーザフューチャー」だということです。例えば、人造人間のマリアが作られていたり、1927年当時ではあまり考えられないような技術や街並みが登場していて、瞬時にこのことを思いました。もしかすると、制作からおよそ100年なので現在の様子を想像して作られたのではないかと思います。そのように考えると、地上の街並みというのは割と近いものがあるのではないかとも思いました。最初に登場した「脳と手の媒介者は、心でなくてはならない」というものが、最後の最後で理解することができました。地上が支配者階級(「脳」)、地下が労働者階級(「手」)の街になっており、その2つは明確に分断されていました。権力者の息子のフレーダー、労働者階級のマリアが出会い、その状況に危機を感じた父が依頼して、本物のマリアを誘拐、人造のマリアを送り込んだと考えられます。人造のマリアに誤った方向に誘導された労働者たちは、子供たちを残したまま心臓となる機械を壊してしまいます。その中、異変に気付いたフレーダーとマリアたちは子供たちを水没する中避難させました。子供たちを残したままということに気づいた労働者たちは、人造のマリアへ標的を変えますが、火あぶりにしたときにはじめて正体を知るのでした。最終的に、人造のマリアを送り込んだロトワングとの決着もつけ、フレーダーは父(脳)と労働者(手)の媒介者(心)として握手を交わすときに仲介に入ったというものでした。 
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メトロポリスを鑑賞し、階層的な身分の中での人間関係を表現しているのだと感じました。ポピュラーな作品で例えると猿の惑星シリーズが似ているのではないかと思います。猿と人間という地球上における揺るがない身分の違いの中で猿が人間相手に戦いを仕掛けるといったストーリーに似ていると考えます。また、音声が無い中で随時文字のシーンを流すことで視聴者が映画の一挙手一投足を見逃せない事に繋がる為、没入しやすい作品であると感じました。スターウォーズ作品でのイントロには言葉だけのシーンがあり、それを連想した為、スターウォーズもメトロポリスの影響を受けた作品であるのかとも感じました。役100年前の映画で映像効果を付けることが出来ていたのがとても驚きです。今のようにコンピュータによる映像編集が出来ない中あそこまでの効果を付ける事が出来ていたのならば100年前からあまり進歩していないのではと感じました。100年かけて今のVFXに繋がったと考えるとこのような作品がなければ現在の映画のほとんどは世に産まれる事はなかった或いは未だ未完成であった事でしょう。この作品により映像効果についての進歩が進んだのではないでしょうか。まとめると、全てのSF映画のパイオニア的存在となる映画でした。 
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二極化社会とAIという100年前の映画にして現代の少し先の未来におこりうる問題をテーマとしています。格差社会と人工知能に躍らされる民衆という構図はどこか他人ごとではいられないように感じられます。 
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私は労働者と経営者の対立をSFを用いて描いた作品だったと思います。最後の「頭脳と手の間の媒介者は心でなければならない」という言葉がこの作品の伝えたかったすべてを物語っているように思います。産業が革新的に進んでくる中で格差の生まれ始めた労働者と、経営者との関係への提案としてこの言葉があったのではないかと思います。また、労働者側の盲目的な様子というものが機械人間の扇動にのって暴動を起こすところから表されているように感じます。さらに、その扇動のされ方はさながら第二次世界大戦のナチ党によって戦争の道を歩むドイツの民衆のようです。音がない作品でありながら動きだけでここまで内容が伝わり、ハラハラさせられる作品で、見た後にものすごく満足感がありました。 
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私は、メトロポリスと呼ばれる未来都市では、平和にもたらされているように見えていたけれど、本当は上層階に住む限られた人たちと、地下で労働に耐える人たちの二極分化した階級社会だったとおもわれます。階級の高い息子のフレーダーは階級の低い娘マリアと出会って初めて地下社会の内容を知りました。マリアの階級に対しての想いなどで、息子はマリアに心にうばわれていきました。しかし、息子の父はそれに危機感を覚え、娘を誘拐させました。そして、娘のアンドロイドを作り地下へとおくりこみ、地下の人々を崩していこうと考えました。息子は娘がアンドロイドだと見抜いたが、地下労働者たちは見抜けず追い立てました。そして、地下労働者たちはメトロポリスの心臓とよばれるものを破壊し、水没させてしまいました。そして、本当の娘と地下で再会できた息子は父と地下労働者達を仲介させようとしました。この映画はSF映画に必要な要素が含まれており、SF映画の原点だと私は考えます。この映画がなければ、SF映画の大作映画は生まれていなかったかもしれません。音声がないのにも関わらず感動できるところも魅力的です。 
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私はこの映画を見て、自分から動かない事には世界は変わらないが、決してそれはいい方向に行くか、悪い方向に転ぶかが分からないのだと思いました。 高いビルが多く立ち並び、車や飛行機が多い富裕層の街で暮らしてきた青年のフレーダーは、ある日この富裕層の街を支えてるみすぼらしい姿の労働者たちを見つけます。しかし、父にこの事を言っても、ろくに取り合ってもらえませんでした。 ある日フレーダーの父のフレーダーセンが、ロボットを作る科学者の元へ行きます。そこの近くでフレーダーセンは、労働者たちにこの世界の矛盾について演説するマリアという女性を見付けます。この演説により、労働者の反発心が強くなっていることを感じ取ったフレーダーセンは科学者にマリアに似たロボットを作るように頼み、ロボットのマリアを使って労働者の反発心の方向をバラバラにさせようとします。 フレーダーセンはロボットのマリアを労働者の街に送り込んだのですが、実はこのマリアはフレーダーセンに恨みのあった科学者が、富裕層の街を破壊するように組み立てていたのです。このロボットのにより、労働者たちは暴徒化します。ここで、フレーダーはマリアがロボットだということに気づきます。しかし、暴徒化した労働者を止められずメトロポリスのメインの機械を壊されてしまいます。これで助かると思いきや、自分たちの家は水没してしまい、労働者たちは子供を心配し起こってマリアを責めます。しかし、ここでマリアは途中からロボットとすり替わっていたことを知ります。 労働者がロボットのマリアに暴行している間に、フレーダーとマリアは労働者たちの移住地から子供たちを救い出します。その後フレーダーは父親と対決し、フレーダーが勝利しました。フレーダーは労働者とフレーダーセンを説得し、互いの溝を無くしました。 
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マリアが階級社会の矛盾をとき『脳』と『手』の調停者(心)の出現を予言すると労働者達にストライキの気運が生じました。そしてフレーダーがまさに調停者になる存在であることを見抜き、フレーダーもまた美しいマリアに心を奪わられました。 
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私は、メトロポリスという映画を見ましたが、この映画は、現代にこそ見るべき映画だと感じました。また、現在、高層ビルなどの建造物は当たり前のようにたくさん建っているが、この映画にでてくるような風景は100年前に未来の風景はどうなっているかすべてを予想して想像で描いているSF映画です。そして、この映画では労働するだけの地下の住民と地上に暮らす自由な人々をはっきりと分けていますが、これは今までの人類の歴史である奴隷制のようなものが未来にも存在するとして描いています。実際に、このような奴隷制は現代ではあまり無いですが、機械が普及し、人間がやる単純作業を代行しています。また、さらに先の未来ではAIは感情を持ちはじめるとも言われています。この作品は、形式は違いますが、未来にもこういうことが起こるということを想像していたのです。そして、この作品には労働者サイドが不満をもちはじめ、地上に出てきて反乱を起こします。これも、今までの人類の歴史であったように、いいように使われてきた人々が疑問をもち、反抗するという構図をしめしています。この作品ではこのような構図は未来にも繰り返されることを示します。 
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私は、メトロポリスという映画を見ましたが、この映画は、現代にこそ見るべき映画だと感じました。また、現在、高層ビルなどの建造物は当たり前のようにたくさん建っているが、この映画にでてくるような風景は100年前に未来の風景はどうなっているかすべてを予想して想像で描いているSF映画です。そして、この映画では労働するだけの地下の住民と地上に暮らす自由な人々をはっきりと分けていますが、これは今までの人類の歴史である奴隷制のようなものが未来にも存在するとして描いています。実際に、このような奴隷制は現代ではあまり無いですが、機械が普及し、人間がやる単純作業を代行しています。また、さらに先の未来ではAIは感情を持ちはじめるとも言われています。この作品は、形式は違いますが、未来にもこういうことが起こるということを想像していたのです。そして、この作品には労働者サイドが不満をもちはじめ、地上に出てきて反乱を起こします。これも、今までの人類の歴史であったように、いいように使われてきた人々が疑問をもち、反抗するという構図をしめしています。この作品ではこのような構図は未来にも繰り返されることを示します。 
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この映画は白黒で音楽はあるが、音声が無く、字幕しかありません。地上では裕福な人たちが豊かな生活を送っているのに対し地下では労働者たちが過酷な労働をしています。これが当時の階級社会を顕著にあらわしているのではないかと思います。最初の方しか見ることができませんでしたが、昔の映画にしてはすごいなと感じました。 
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舞台は地上で暮らす人達と地下で労働する人達に分かれた世界、ある日地上に住む主人公の男性は謎の女性と出会います。彼女に一目惚れした彼は思わず彼女の後を追ってしまいます。彼女を追った先には地下街がありました。そしてボイラー室のような場所で重労働をさせられている人々を目の当たりにします。直後、一人のミスをキッカケに爆発事故が発生、多くの人が犠牲になる姿を主人公は見てしまったので、この事態を父親に伝えるべく彼は急いで父親のもとへ向かいます。父親は地上の世界を引っ張る頭脳であり、お偉いさん。息子の話を聞き、なぜそのような実態があることを息子が知っているか疑念をもち、部下に調査に向かわせます。息子は地下労働者たちの反逆も考えるべきと説得したが聞く耳を持たない父親。時を同じくして訪ねてきた地下労働者代表の男は謎の地図を手にしていました。父親はこれらの把握漏れは部下の責任とし、部下であるヨザファートをその場で解雇します。自殺を図ろうとするヨザファートを主人公は引き止め、仲間に加えます。この事が影響してか父親は主人公である息子への監視をつけます。地図の謎を解くため、父親はロートヴァングという発明家のもとへ向かいました。ロートヴァングの研究所では、主人公の母親にあたる女性ヘルの機械人間が作られていることを父親は見つけてしまいます。また、地図の解読も済み、地下労働者たちはマリアという女性に導きを得て生活していることが判明、地下労働者たちとマリアの関係を断つべく、機械人間を用いることをロートヴァングに指示します。主人公は地下に潜入、自分と似ていた男と入れ替わり、そのマリアの存在を知ることができました。そしてそのマリアこそ一目惚れした女性その人だったのでした。大聖堂で再び会う約束だったマリアは現れず、主人公と地下労働者たちは困惑します。マリアはロートヴァングに身柄を拘束され、機械人間の完成のため利用されていたのです。そしてマリアの姿をした機械人間は完成したのだった。ロートヴァングからマリアの居場所を聞いた主人公は父親のもとへ向かいます。するとそこでは身を寄せ合う2人の姿がありました。あまりのショックに主人公は体調を崩し、寝込んでしまいます。その日、マリアの偽物は貴族階級の集まりに参加、人々の前で踊り、大バビロンの再現を披露します。その日をさかいに、人々はおかしくなりました。暴動が度々発生したり様々な罪が起きていることを主人公は知りました。そして偽マリアを止めるために地下へ急ぎます。しかし主人公たちが着いた頃には人心は狂わされ、主人公がマリアの偽物を主張するも、聞く耳を持たない人々は主人公の命を狙います。絶体絶命も入れ替わっていた影武者が身代わりになり、その場をやり過ごします。地下労働者たちは偽マリアに先導され、機械の破壊を実施、大人たちはお祭り騒ぎになりました。一方で取り残された子供たちは、機械が破壊されたため、地下街の崩落に巻きこまれます。そこを救おうとやってきたのが本物のマリアでした。マリアは地下街の異常を知らせようと警鐘を鳴らし、子供たちを広場に集めます。この鐘を聞いた主人公たちも合流、取り残された子供たちを救出しました。主人公たちが地下を何とか脱出した頃、大人たちは気づきます。自分たちの子供はどこだと言うことに。地下労働者の代表を先頭に、こんな事になった諸悪の根源である魔女、つまりはマリアを見つけ、火刑にしようと探し回ります。そして見つけたのがあろうことか本物のマリアでした。マリアは必死に逃げ、偽マリアの部隊をかいくぐり、地下労働者たちの追走を振り切ります。地下労働者たちは見事偽マリアを火刑にしました。しかし本物のマリアは再びロートヴァングと対峙、命の危機にさらされるも主人公がロートヴァングと交戦します。そこへ父親も現れ、地下労働者たちに責めよられるも部下たちが子供たちの無事を発表するとようやく労働者たちの怒りは落ち着きました。父親は主人公である息子とロートヴァングの争いを固唾を呑んで見守っていました。無事、地下労働者たちの前に戻った主人公は頭脳である父親と手である地下労働者たちの間を取り持つ媒介者として双方の和解のために仲介の役割を果たしました。 上のは解説というより要約やあらすじにも近いものになってしまいましたが、この物語が言いたいのは頭脳にあたる指揮をする人がいても、それを実行する手にあたる労働者がいなければ世の中は上手く回らないということだと私は感じました。逆に労働者だけいても指揮官がいなければ世の中は上手く回らないという事でもあります。なので今回主人公だったら息子は、双方の立場を理解していたため媒介者になれたのではないでしょうか。作中の父親やロートヴァングの言葉にもあったように、何が大切なのかを同時に学ばせてくれる作品でもあるなと私は感じました。 
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私は、この映画を見て表現の工夫に驚きました。恋に落ちた時の反応や、ヒヤヒヤした時には汗をかくことで表現されていたり、そういった工夫が様々なところに散りばめられていたと思います。白黒からカラーのものをみたが、やはり白黒の方が魅力的な映画だなと思いました。少し怖いシーンも個人的にあったのですが、サイレントでもストーリーは伝わるものなんだなあと感じました。新鮮な作品でした。 
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私がこの映画を見た感想「解説」はまず舞台は高層ビルが立ち並ぶ未来都市メトロポリス。地上は上流階級の楽園となり、地下では労働者が酷使されています。暗い表情をして働いている労働者の人たち華やかな地上と陰鬱な地下に分断された二つの世界。資本家の「頭脳」により労働者の「手」が道具となり、築き上げられる文明社会。労働者を団結させる者もいれば、労働者を扇動して破壊活動をする者もいてその様子のコントラストが綺麗に表現されていました。この映画は不完全な資本主義と社会主義の対立への皮肉映画という面を持っているようにも感じました。この映画は資本家の残酷さも描かれていたが、「労働者」も発明家も人間の本能が剥き出しだでした。そして私利私欲に駆られる姿、そのために手段を選ばない、いわば動物本来の姿、それ故に大切なことを忘れる姿、そして自ら破滅に走る姿、それは全ての登場人物共通の姿であったと感じました。人間の精神力の低さ、本能への風刺映画である。それを大量の「人」を、そして彼らの「表情」を使って表すという表現技能が、迫力満点で時代を感じさせないものであると感じました。 
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私は、最初の印象は貧富の差を題にした映画だと思いました。労働者と貴族の描写でよりそう思えました。簡単に内容をまとめると貴族の息子が労働者の現状を知って実際にその立場を経験する。そして、この状況はいけないと思い、資本家に話をつけるが上手くいかない。しかし、仲介にはいりお互い分かり合うものである。私は世界観がすごいと思った。すごく前の作品なのに、空飛ぶくるまなどが書かれてることに驚きました。 
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私はこの「メトロポリス」という作品について、一部の動画を見たことがあります。その時に切り取られたその動画で元ネタが「メトロポリス」というものであるということを聞いて、解説を見たことがあります。  まるでSFの世界線ですね。労役の場のように思います。同じような服を来た同じような色の人間が、顔をうなだれていかにも不幸そうに一糸乱れぬ行進をしているのがどこか恐ろしく映ります。字幕が上矢印で上に流れていって、そこには白い服を来た人間たちが表情豊かに暮らしているのと、字幕が下に降りていって地下で黒い服を着た人間たちが労働をしているのが私には対比的に見えます。  突然恋愛の三文芝居が始まりました。子供の集団と大人たち。教師役のような女性が真ん中にいます。心臓を押さえた男性がジッと彼女を見ていて、これは恋に落ちたという表現でしょうか。それとも強い衝撃を受けたということでしょうか。先ほどまで戯れていた女性には目もくれず女性が子供たちと戻っていった扉の方へ向かっています。私にはこれが理性と本能の表現のように見えます。森のような自然の中にいた男性が工場のような場所には行っていくと、その中で人がまるで歯車のように機械のために動いていますし、同じ行動を繰り返しているように見えますから。早い動きをしているのとメーターが上がっていくのが連動しています。何かしらの事故が起きたのか、突然地獄の門が開いてびっくりしましたなんでしょうかこれは。そこに次々と地下から出てくる人が向かっていく図を白い服の男の人は幻視したようです。同じような色の服を着た人間が次々に出てきて回収をしていき、まるで何事もなかったかのように再び作業を開始している。それに白い服を着た彼は驚いているわけですね。これは他とは違うものであるという表現かと思います。  行動と服装の色でその人の立ち位置を示しているように思います。地図、これは反逆のためのそれでしょうか。汗の流れ落ちるところで焦りを表わしていますね。うなだれることで、体の動きがぎこちなくなることによって動揺を示しています。  サイレントの白黒映画で言葉で説明されていなくともこちらに意図が通じるのはすごいと思います。 
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無声映画ということで正直にどう捉えるのがただしいのかがわからなかった。自分の中でこういう映画は自分で考えさせることを目的にしている映画なのかなと思いました。 
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私はこの映画は、全体的に不気味要素が強い作品だと感じます。最初の地下深くに労働者の町があるシーンが特に不気味だと思います。たくさんの人が整列し、歩き方も揃えてエレベーターのようなものに乗って向かっている。全員が同じ歩き方で下を向いて歩いているため、怖いというか北朝鮮みたいだと感じました。それに比べて優雅に暮らす地上の世界のシーンもあり、シーンによって不気味さだったり優雅さだったりが同じ白黒でも全く違い、世界観が映像からもよく伝わってくると思います。言葉を発しなくても表情やセットなどでそのシーンがどういうものなのかが分かりやすかったです。昔だからこその技術とか考え方でこの映画が制作されているため、現代では見られない作品だと思い、刺激を感じました。未来の人間のアンドロイドなどもでてきて、今の現代で利用されている物がこの映画で登場していて、現代にも通じる部分がありました。 私はなぜかわかりませんが、不気味なシーンが特に見入ってしまうと感じました。不気味さと美しさと面白さすべてを兼ね揃えていて素晴らしい作品だと感じます。 
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私はこのメトロポリスをみて今から100年以上も前の映画とは感じられませんでした。カラーヴァージョンを観ましたが、色のつけ方には勿論時代を感じますがカメラワーク、アングルは今とそれほど変わらない技術を感じました。冒頭はたくさんの人が列を成して歩いているところから始まり、2人の男女が出会うという場面から始まります。この時点で何かストーリー制を感じました。字幕には「alien」の文字。その次の場面は人々が何か大掛かりな工場で働くシーンが続きます。何か操り女性を作りだす…というシーンもあります。ここで私は加工技術も今と変わらないのではと思いました。1本カメラを回して終わりでなくalienという架空の世界を作り出すために加工技術をなされていて感動しました。走り回るシーン、水が大量発生し大勢が逃げる、など大掛かりな映画となっています。そして最後にカラーと音楽の力は偉大だと再確認しました。フルカラーではないがモノクロでもない、フィルターを付けたような色付けになっていますが、場面によってイエローカラーベースであったり、ブルーベースであったりと色を使い分けています。そうすることによって少ない色でも場面の明暗がわかりやすく感じました。また音楽の流れるタイミングが素晴らしいと感じました。感動的なシーンで流れたりと映像から伝わるだけでなく耳からも伝わりました。 
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この映画は、未来の都市「メトロポリス」を舞台に資本家と労働者が歩み寄ってい行く様子を描いたものです。私はこの映画の表現方法のすごさに驚きました。いくつか紹介すると、まず、未来都市の再現がとても現代都市に忠実な点です。100年前の作品にもかかわらず、高層ビルが立ち並ぶ風景や高架を走る電車、その下を車や人が大勢行き交う様子など、まるで未来を一度みてから作ったかのような再現度はとても衝撃的でした。また、資本家と労働者の搾取が当然であったであろう当時に、あえて資本家と労働者の歩み寄りという題材で制作した点も新鮮な部分だと感じました。さらに、物語の途中で何回か入る字幕に関しても、ただ文字情報を画面の真ん中に出すのではなく、下から上、または上から下というようにあえてスクロールさせて、動きをつけている点も面白いと感じました。これは後のスターウォーズ・エピソード4の冒頭の字幕の流し方に通じるものがあります。この映画は様々な点で時代を先取りした表現方法が目立つ作品です。 
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私がこの映像を観てまず思ったことは、今では合成やCGなどの技術は発展していてなんでもできるがこの当時の技術でこれだけの演出をしているのはすごいと思いました。アンドロイドから人間の女性の姿に変わっていくシーンなどはとても圧巻でした。白黒の映像で一人一人の表情がしっかりとしていて感情までもがしっかりと伝わってきました。アンドロイドのビジュアルも美しくあってかっこよさも伝わってきました。カラーにも良さはありますが、私的には昔の映画となると時代を感じられる白黒の方が感慨深いと思いました。 
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2026年、ゴシック調の摩天楼がそびえ立ちメトロポリスと呼ばれる未来都市では、高度な文明によって平和と繁栄がもたらされているように見えたが、その実態は摩天楼の上層階に住む限られた知識指導者階級と、地下で過酷な労働に耐える労働者階級に二極分化した徹底的な階級社会でした。ある日、支配的権力者の息子・フレーダーは労働者階級の娘マリアと出逢い、初めて抑圧された地下社会の実態を知ります。マリアが階級社会の矛盾を説き、「脳」と「手」の調停者「心」の出現を予言すると、労働者達にストライキの気運が生じます。マリアはフレーダーがまさに調停者になる存在であると見抜き、フレーダーもまた美しいマリアに心を奪われます。この様子をこっそり見ていたフレーダーの父であり支配的権力者のフレーダーセンは危機感を抱き、旧知の学者のロトワングに命令してマリアを誘拐させ、マリアに似せたアンドロイドを作り出させます。このアンドロイドをマリアとして地下社会へ送り込み、マリアが作りだした労働者の団結を崩す考えです。しかし、かつてフレーダーセンと恋敵であったロトワングが影で意図したのは、フレーダーセンが支配するメトロポリスそのものの壊滅でした。ロトワングの意を受けたアンドロイド・マリアは男達の羨望の的となり、乱痴気騒ぎをさせる一方で階級闘争を過激に扇動するようになります。フレーダーは豹変したマリアが別人であることを見抜くが、興奮した労働者に追いたてられます。アンドロイド・マリアに扇動され、暴徒となって地上の工場へ押し寄せた労働者達は、メトロポリスの心臓ともいうべきヘルツ・マシーネを破壊し、地下の居住地区を水没させてしまいます。しかし地下にはまだ労働者の子供たちが大勢残されていました。扇動による行為が自分達の首をも絞めていると気付いた労働者達は、自分達を扇動したマリアを糾弾し火あぶりにします。炎の中でマリアはアンドロイドに戻り、労働者達は自分達を扇動していたものの正体を知ります。一方、ロトワングから逃げ出した本物のマリアと地下で再会したフレーダーは、残されていた子供達を水没寸前で地上へと避難させ、時計台の上でロトワングとの決着をつけます。そしてすべてが終わった後、調停者として父と労働者達との仲介を図るのでした。 
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平和なように見えた街だったが、地下で過酷な労働をさせられている人たちもいて、階級社会になっていました。それを、マリアがあばいて、労働者たちによるストライキが起こりました。しかし、権力者がマリアのロボットを作って、それを使い労働者の統率を壊します。そのロボットを火あぶりにすると、自分たちを先導していたのは、マリアのロボットだったことに気づきます。最後は、労働者と支配者との間で和解します。 正直、あまりよくわからなったので、話が飛び飛びになってしまったのですが、分かった部分で解説しました。 
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2026年、大衆への圧迫と操作が少数の人達の明確な力により行われた。ルーティンとして労働者によって機械を動く地下都市、メトロポリスにおいて、労働者は人間の耐久力の限界を試されていた。メトロポリスの都市は地下深くにある労働者の都市とは対照的に高くそびえ、そのスタジアムは選ばれた少数の人達の息子のために建てられたものであった。労働者を解放するために1人の男が立ち上がる。この話は、アメリカにおいて社会的地位の低い黒人を奴隷のように扱われている労働者に例え、現実世界において彼らを救おうということを伝えたかったのではないかと私は思います。 
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この時代、なかなかインパクトある映画が作り出せないのにこれだけインパクトあるSF映画が作られたことに驚きました。その時代の世界の構造を戯画化して鑑賞者に伝えることで鑑賞者はその情勢を苦も無く理解することができると思いました。 
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メトロポリスはこの後の無声映画に深い影響を与えました、歴史的な文化財といわれる映画でした。メトロポロスで、人々が二つの階級の分かれていて、上流社会の人たちが毎日スーツを着て、巨大なビルの中で、街の建設や計画を作っていますが、下流階級の人たちは毎日暗い環境で、汗を尽くして、労働でお金を稼いでる、ある日、権力支配者の息子が労に出逢い、そのきっかけに、工場で働いてる労働者達の現状を目にした、その後階級運動が扇動したらしいいです、せりふが無かったですが、役者達の表情とみぶりから、ストーリーの内容をしっかり伝えてきました、映画の全体の構想が非常に素晴らしいだと思います。1972年に、この映画を通して、下流階級の辛い現状、労働者が遭った不公平な環境を変える決心と考えを映画に通して広げて、下流階級の労働者の権利を守ろうとする出発点が今の時代でも追求しているものです。 
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ビル街で起きた真相の話であります。格差がある社会で下の社会で働く世界の事を上の社会の人間が知っていきます。そしてその下の社会の女に上の社会の男が惚れてしまいます。それを見ていた人がその美しい女性に似ているアンドロイドを作成し下の世界でもめることがないように仕組み、下の社会の労働者達はまんまとその計画に翻弄され、社会が変わっていってしまいます。私はこれは世界観は1927年のものだと感じるが内容や映像がその時代のモノとはとても思わなかったです。そしてやはり声というものが存在しなくても動き、表情で伝わり感じる事ができるのだと実感しました。 
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これは1927年に生まれた映画であるが現在の世界の問題でもある階級社会を描写しています。簡単に言えば、欲におぼれた権力者の暴走にしたの階級の人間がふりまわされてしまうが結局手を取り合ってハッピーエンドで終わるということであるが、現代の問題を予期していたかのような映画であると思いました。この映画、サイレントの映画を見慣れている人でないと少々きついものだと思う。私はそのような映画に慣れ親しんでいるわけではなかったので少し見づらくこの程度の感想になってしまいました。 
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今回の映像をみて映像技術の高さに驚きました。このような時代に白黒の映像でここまでの迫力やアンドロイドという人間ではないものを使いながら撮影していくことはとても凄いことだと思いました。今の時代の映画やドラマなどは合成やCGなどを使うことはとても多くあり違和感の無いように作ることが当たり前に出来ています。ストーリーや音楽などが伝わってくるようにしっかりと作られていて、音声、カラー、CGが普通でいた私達にとっても分かるようになっていたことがとても驚きです。カラーの映像も多少観ましたが私的には白黒のほうが面白く時代を感じられる物語になっていたと思います。 
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会話が無いのにも関わらず、役者の体を大きく使った演技や挿入歌で臨場感が生まれ、緊迫感などを感じることが出来ました。地上と地下で資本家と労働者で分けられている差別を意味しており、現実世界とリンクしている部分があると思いました。資本家たちは脳の、労働者たちは手の役割を果たしており、同じ体や心を持っている人間にも関わらず生き方が天と地のように異なっています。大人たちはどちらもお互いの存在を嫌っており、自分を第一に考えていることは今の社会においても変わっていないのではないかと感じました。ロボットを利用し、最も重要なことは何かを気づかせ、和解し、人間を分類しないような世界を創ろうとしたことは映画の世界ならではの発想も含まれつつ、メッセージ性もあり心動かされました。この映画は裕福な人、貧富な人、どちらにも観てもらい、訴えたいことを全ての人に感じてもらいたいのではないかと思いました。 
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世界観やセット、衣装や化粧など含めて非常に怖いと感じた。知らないものに対して恐怖を感じるのと同じで、セリフがない分内容であったり伝えたい部分が理解できないところがあるのも怖いと感じた。時代が違うとその当時の社会のあり方の当たり前がわからないので、これがリアリティがあるものなのか、フィクションすぎるのかもわからない。この作品だけかもしれませんが、暗い表情をしている場面が多かったように感じます。場面と音楽の変化が多く、おちつく暇がなかったです。労働環境についての社会問題とロボット開発や交通の発達の技術発展について伝えてるところはなんとなく理解できた気がします。 
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私はジョルジオ・モロダー版を見たが、全体的に暗く、音楽が付け足されているせいか臨場感があった。サイレント映画なだけあって俳優のわかりやすい動きと、ナレーションの役割?の説明がときどき入っていて理解することができた。1927年の作品にも関わらず様々なカットがあり、あまり飽きることのない内容だった。また、1927年当時の時代背景が投影されているとも感じた。 
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私は主人公がヒロインに出会い、初めて地下社会の現実を知る事になる話だと思いました。 メトロポリスは未来都市であり、物凄く発達した町であり、その高度な技術で平和がもたらされている様に見えている町であったが、実はメトロポリスのタワーの上層部に住んでいる指導者的な人達と地下で物凄く劣悪な環境で過酷な労働をさせられている労働者達の階級の格差が酷い階級社会の町でした。 そして労働者達がストライキを起こそうと考えだし、それを指導者達は止めようと考え、アンドロイドを地下に送り、色々とあり、労働者達を動かしていたのが機械だという事に気づく話だった。 最終的には主人公とヒロインがハッピーエンドを迎え、支配者と労働者も結ばれるという良い終わりでした。 
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私は、とても音声がない時代の映画にしてはとても深い今どきのSF映画だと感じました。まず、社会階級のある国の未来都市の下、階級が高い地域の息子と階級の低い娘が出会う恋愛サスペンス風、SF映画である。さらに、事態は悪化し、地下労働者のクーデターが起こる、その事の発端になったのが階級の低い娘であるマリアである。しかし、その情報を聞き入れた階級が高い地域の息子フレーダーの父はこれ何とか止めようとするが、結局うまくいかず、息子のフレーダーと、マリアに阻止されてしまうが、ここで父も階級制度を見直そうと決心するのである。とても現代チックに描かれた内容であると感じました。 
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メトロポリスを観賞しての自分なりの解説。 自分が見ている知っている価値観は、実はせまいものだと認識させられるよゆな映画でした。 高度な未来年メトロポリスは、高度な文明や平和があるが、実は地下には労働をさせられており、社会が二分化しています。その中で人造人間がでてくるシーンがあるが、今後人間と同じ動きや考えをするロボットが発明されるのだと私はおもいました。しかしその反面、中世の産業革命のような悪質な環境での長時間労働のような描写もあります。これは、現時点での世の中にもあるのかもしれません。労働環境は良くなったものの、ひとつのイノべーションを生み出すために長時間働き、世の中にない新たな物を開発する。 この映画では、そんな二つ社会からフレーダーとマリアの視点から見ることができるため私は、様々なことを想い視聴することができました。以上で自分なりの解説を終わります。 
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私はこの映画を見て衝撃を受けました。まず、セリフがなく登場人物が喋る事がないと言うところです。喋った言葉をスライドに表、映像を流していくスタイルは初めてでした。正直言葉の抑揚などを使って感情を表たりすることをせず、体全体を使って表現している点はとても面白い発想だと思いました。こういった伝え方によってその人がこんなふうに言ったのかなど登場人物の真理をとても考えさせられる作品となっていると感じました。その人によって捉え方が変わるのは面白いと思います。 
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まず初めに感じたのは、これが1927年の時点につくることができたのがすごいということです。これだけ大きなセットやたくさんの人数がいるなんて100年前にもできたんだなとただただ驚きました。あとは私なりではありますが、なんとなくテーマについても考えながら見て、貧富の格差により人間がいかに弱い生き物かというのを軸にSF映画を作っている感じがしました。私はSF映画があまり好きではないので見ていて楽しいとはあまり感じませんでした。ですが、あの鬼気迫る演技には少し恐怖を感じました。映画のことはよくわかりませんが、冒頭の引き込み方や後半にかけての盛り上がりはなんとなくマーベル作品に似たものを感じました。 
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私は「メトロポリス」は当時の状況を描いたSF映画の原点だと思います。この映画では、同じような人々が同じような行動をとっている場面や、工場で同じような作業をしている場面が見られました。これは当時の共産主義を表していると思います。また、主人公はこの同じような行動に疑問を抱いているような素振りを見せます。これは共産主義の反対である資本主義を表しているのではないかと思います。こう言った当時の風刺的な場面が見ることができるSF映画は、現代ではあまり存在しないかもしれません。また、ロボットや宙に浮く乗り物が出てきたりしています。これは現代のSF映画にも似たようなものがあります。具体的にはバックトゥーザ・フューチャーやスターウォーズなどです。約90年ほど前の映画であるにも関わらず、こういった現代と似たような場面が存在するのは、この「メトロポリス」が元祖のSF映画であるからです。後世に受け継がれていく映画というのはこのような斬新な映画であると感じます。 私はカラー化して音楽をつけたジョルジオ・モロダー版を見ましたが、映像だけでも何を伝えようとしているのかはある程度理解することができました。やはり映画に大切なのは役者の表情や動きであると思います。 
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『メトロポリス』(1927)を視聴しました。 この映画は、権力者が労働者を支配する都市メトロポリスを舞台にした作品です。 このメトロポリスでは、地上の権力者と地下の労働者の2つから成り立っている都会でした。 メトロポリスの支配者であるフレーダーセンの息子であるフレーダーは街中で出会ったマリアに一目惚れします。 フレーダーがマリアを追っていくと、地下に辿り着きます。 そこで、地上と地下の格差社会を目の当たりにします。過酷な労働者の実態を知るのです。 マリアは地下の労働者たちにメトロポリスの格差社会の実態を説きます。 それを聞いた労働者はストライキを考え始めました。 フレーダーは地上と地下の格差に怒りを覚え、父フレーダーセンに社会の改正を訴えますが効果はありませんでした。 フレーダーがマリアと手を組みこの社会を改正しようと試みるが、フレーダーセンがロトワングという人に偽物のマリアを作らせ、フレーダーを邪魔しようとします。 しかしフレーダーセンに恨みを持っていたロトワングはフレーダーセンの望みとは違う偽物のマリアを作り出しメトロポリスを混乱に陥れようとしました。 そして、偽物のマリアの暴徒化により激しい戦いが起こります。 戦いが終わり、この一件から自分の考えを改めたフレーダーセンはフレーダーの仲介により労働者の代表と握手をします。 最終的には、新しい階級のないメトロポリスが作られることになるのです。 今から約100年前の映画なのに現在の格差社会を想定しているかの内容で驚きました。 モノクロでサイレントといった映画をフルで見たことがなかったので衝撃的でしたが、迫力のある音響や体の動きがあり見ていて面白かったです。 
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私はメトロポリスを鑑賞して思ったことは一つ一つのシーンが長くゆっくりとしています。そして音がない分心境の変化は表情からとらえるようになっています。 セットの規模も大きなものもあれば、特撮のようになっているものもあります。セリフも文字のみのシーンを加えることにより表情だけでは伝えきれないものを補っています。 しかしとても長いので間延び感があり時間がないとすべて見れないと思いました。 
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私はクイーンが好きなのですが、この映画と「レディオ・ガガ」のビデオがとても似ています。どちらも社会を皮肉して、壊れたラジオのようにうるさい社会を例えてるのではないでしょうか。 
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まずはこの映画が1927年に作られたことに驚きました。1927年というと今からちょうど100年くらい前でその当時の人が考えた未来が高層建築物が並び高速道路のようなものやモノレールのような物があり、100年前にこれだけの想像ができたのはすごいと感じました。これらの描写では想像の世界を描いていましたが、ストーリーの方では産業革命や技術の進歩によ巨利を得た資本家などの富裕層が富を独占し、労働者から搾取するという時代背景が描かれていました。未来の設定の中でその当時の時代背景を映し出していてとても面白かったです。 
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私は、カラー化され音楽がついている方を鑑賞しました。これはとても分かりやすい構成の映画になっているなと感じました。映像の色や人々の動き、表情を読み取れるかどうか、そして音楽など、様々な要素をとても良く利用しているなと思いました。その時の雰囲気や、労働者たちと富裕層の格差社会をそれらの要素で分かりやすく表されているように感じました。例えば、最初の労働者たちが地下に行くシーンなどは、青ざめた冷たい色にして、みんなうつむいて表情が読み取れなくして、まるでロボットかのようです。さらには、集団で歩いてるシーンでは、少し引きで映像を映すことによって工場の無機質な壁だったり、冷たい街並みの様子が映り込むため、人々にロボットのような無機質で人の心がない冷たさを感じ取らせることができるのではないかなと思いました。恋に落ちるシーンでは一つ一つのシーンがゆっくりと進み、二人が見つめ合い恋に落ちていく様が感じ取られます。それにプラスして、色も暖色で暖かい心を表現しているように感じられました。カラーと音があるものはストーリーがより理解しやすくなるため、カラーと音の影響はとても大きいものであるということがよく分かりました。そしてストーリーの話になりますが、結局世界や人を作るものは心で、心のつながりを大切にすべきであるという教訓を得られました。素敵なストーリーでした。 
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この映画が100年ほど前のSFで当時の未来世界のイメージみたいなのが見えて考え深いと思いました。今が当時から見て100近く時が過ぎた世界ですが全く違う世界なので今考えられる未来予想は当たらないんだろうなと思いました。お金持ちの層と労働者層の対比がうまく描かれていて労働者層がゾロゾロ動くシーンは不気味でした。暴動のところは大衆扇動の恐ろしさをこの映画から学びましたしある意味現実味があって恐ろしかったです。音声がなくBGMのみだったが頭に内容が入りやすかったです。場面の切り替わりがパッパと早く切り替わる印象を持ちました。メトロポリスの映像が一部絵になっていて個人的には良い表現方法に感じました。アインシュタイン様な博士が印象的で一番この映画で頭に残りました。映画の内容としては格差のある身分同士の恋愛でそこに様々な弊害が入るがのりこえていくもので最後に支配層側の主人公の父親と労働者が主人公によって和解する話で当時の社会の写し絵の要素が多少なりともあるのかなと感じました。古い映画を鑑賞したことがなく今回メトロポリスを鑑賞してみて面白かったので同じ時代の名作映画を見てみようと思いました。 
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私はこの映画の白黒の映像美に大変魅了されました。戦前にも関わらず作成されたこの映画はモノクロと無声ならではの感情表現に感動しました。現在の映画では音楽や役者が発する直接的な言葉によって我々に感動を与える場合が比較的多いが、無声映画では役者の表情によって表される喜怒哀楽の表現はとても魅力的でありました。脳と手の対比構造は社会の真髄を意味し、心の仲介により脳と手の融合によってようやく理想的な社会が形成される最後の表現はとても感動しました。 
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私はこの映画の白黒の映像美に大変魅了されました。戦前にも関わらず作成されたこの映画はモノクロと無声ならではの感情表現に感動しました。現在の映画では音楽や役者が発する直接的な言葉によって我々に感動を与える場合が比較的多いが、無声映画では役者の表情によって表される喜怒哀楽の表現はとても魅力的でありました。脳と手の対比構造は社会構造の真髄を意味し、心の仲介により脳と手の融合によってようやく理想的な社会が形成される最後の表現はとても感動しました。特に心のシンボルであるフレーダーをめぐる争いは我々が自らの心を無視し軽視したりしている象徴だと感じました。 
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私がこの作品の第一印象として感じられるのは現代の映画のジャンルで言うSF的な要素でした。映像の中に出てくる不気味な感じと近未来を思い立たせるようなビル街を飛んでいる飛行機のようなものがこの作品のミスマッチ間のように引き立たせながらも、どこかで興味を引かせる想像をさせるような作品です。この作品内でロボットに人間の装いをさせて労働者と思われる人々の関係を壊すかのようなシーンがありとても怖い印象を与えられます。恐らくこの怖さを出せるのも昔のフィルムでだからこそ撮れるものだからではないでしょうか。こうして人間の装いをさせられたロボットのせいで混乱を引き起こされて争いごとに発展するのですが、最後にはそのロボットは捕らえられて磔にされて焼かれてしまうというハッピーエンドのような終わり方をするのでした。この作品には今現代では見られないような、映像からもストーリー性からもそういったものを感じる作品なわけですが私個人の意見としては普段からこのような映像作品を観る事がないので慣れてない人からすると恐怖感を煽る作品に感じられました。感受性が豊かな人にはある意味向いてない作品だと思ったので気になる人は見たほうがいいと思いました。 
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私がメトロポリスを重要だと思う部分は、ストーリーだと思うので、まず、ストーリーを解説します。メトロポリスとは2026年の未来年を表していいます。メトロポリスは一見平和なように見えますが、実際は知識を使い、下の肉体労働者に命令を下す、上流階級の身分の脳のものたちと、酷い肉体労働を強いられる下流階級の手の者達の2種類の階級で構成されています。この脳の階級の息子ブレーダーが、手の階級の娘マリアと出会い、ブレーダーが手の階級の者たちが酷い肉体労働に耐えていることを知ります。そこから、肉体労働者達が反乱を起こしたり、上手く調停を図れるようにする描写など様々なストーリーがあります。映像に関しては、未来都市の描写などもしっかりしており、ストーリーもわかりやすいように物語がきちんと構成されていました。 
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私は「メトロポリス」は当時の状況を描いたSF映画の原点だと思います。この映画では、同じような人々が同じような行動をとっている場面や、工場で同じような作業をしている場面が見られました。これは当時の共産主義を表していると思います。また、主人公はこの同じような行動に疑問を抱いているような素振りを見せます。これは共産主義の反対である資本主義を表しているのではないかと思います。こう言った当時の風刺的な場面が見ることができるSF映画は、現代ではあまり存在しないかもしれません。また、ロボットや宙に浮く乗り物が出てきたりしています。これは現代のSF映画にも似たようなものがあります。具体的にはバックトゥーザ・フューチャーやスターウォーズなどです。約90年ほど前の映画であるにも関わらず、こういった現代と似たような場面が存在するのは、この「メトロポリス」が元祖のSF映画であるからです。後世に受け継がれていく映画というのはこのような斬新な映画であると感じます。 私はカラー化して音楽をつけたジョルジオ・モロダー版を見ましたが、映像だけでも何を伝えようとしているのかはある程度理解することができました。やはり映画に大切なのは役者の表情や動きであると思います。 
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およそ100年近く前の映像作品とは思えない壮大さを感じました。こちらの作品を観賞したのは初めてですが、ストーリーの作り込み、構成や当時の演技云々よりも、素直に100年近く前にこのような映画が撮られたという事実にただただ衝撃を受けました。 
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 私はこの映画を見て、息子は優しい人だと思いました。地下で働く労働者を自分も経験し、父が人々を奴隷として扱かっていることをひどいと思っています。息子は何度か夢のような現実のような世界を見ます。それがとてもリアルに描かれており、私は画面に何人もの人の顔が描かれている所は特に印象的でした。  発明家はとても恐ろしい人であり、自分の手は機械でできています。その理由は、息子の父の妻の手と交換し、自分の手が犠牲になったためです。発明家は、息子とマリアという女性が恋に落ちたことに腹を立て、マリアの顔を機械人間のロボットにしてしまいます。マリアを機械人間にするときの機械の動いている所の映像はフラスコの中の液体の動きやCGだと思うが、煙の出方などが細かく再現されています。  私は息子の父は最初は性格の悪い人だと思いました。人々に労働をさせ、自分の街に労働者の居場所を作らないためです。しかし、父は発明家には逆らえず、弱い部分がある人だと感じました。  マリアは、労働者に対して話をする人であり、皆に待ち続けることを教える人です。マリアの表情はとても分かりやすく、どういう風に感じているのかが分かります。私は目を大きく開けたり、動作を細かくすることで、声を出さなくても感情を感じ取ることが出来るのではないかと思います。 
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未来都市メトロポリスでは富裕層では地上で豊かな暮らしを送り、労働者たちは地下で過酷な労働をしていました。ある日、メトロポリスの支配者であるフレーダーセンの息子のフレーダーは労働者階級の娘のマリアに出会います。一目惚れしたフレーダーは地下まで彼女を追っていき、そこで過酷な労働を強いられている人々を目撃します。そしてフレーダーセンは労働者の不穏な動きに気付き、発明家のロートヴァングのもとを訪れます。労働者の様子を見に地下へ降りていくと、そこには労働者が集まり「いつか救世主が現れる」というマリアの言葉を聞いていました。そうした集会を目撃したフレーダーセンはクーデターの危機を感じロートヴァングに、ロボットの顔をマリアに変え、労働者達の団結を乱すように命じます。そしてマリアはロートヴァングに誘拐され、マリアの顔のロボットが完成します。しかし、ロートヴァングはマリアの顔をしたロボットを使って地下だけではなく、富裕層が暮らす地上にも争いの種をまき混乱を引き起こそうとします。労働者達は機会を破壊したことによって地下の街が水没してしまい、自分たちの子供が犠牲になったと思い、マリアの顔をしたロボットを火刑として殺してしまいます。そして、ロートヴァングから逃げフレーダーと共に子供たちを救った本物のマリアは、錯乱したロートヴァングにもう一度捕らえられますが、フレーダーによって救い出されロートヴァングは死亡します。フレーダーは支配者である父と労働者の手を取り、両者の手をつなぎました。こうして支配者と労働者の手を取り合い物語は終わりを迎えます。 
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私はこの映画は貧困層の地下労働者と地上の富裕層とか生活の差を体現している映画だと思います。富裕層の人が地下で働く貧困層の人と出会い、地下の社会を知ることになりました。しかし、富裕層の上層部が地下社会を壊そうとしますが、貧困層と一部の富裕層が中心と解決しました。 
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私は、メトロポリスはこれから現実に起こりうる可能性のあるディストピアだと思います。 さすがに地上世界と地下世界で労働者と資本家がわけられることは無いと思いますが、これからどんどん技術が発達し、貧富の差が顕著になっていけば、技術の持たない労働者が資本家に虐げられることはありえる話なのではないかと思います。 そういった意味では、この映画は今後の、もちろん100年単位での先の話ではあると思いますが、私たちに身の振り方を教えてくれる映画なのではないかと思います。 
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メトロポリスはドイツで作られた映画によるため、冒頭ではベルリンの壁が見え、その横では徒競走をしていて壁があって当たり前というのが伝わってきます。ナチスによる支配がされていた頃でしょうか、人間が機械のように使われています。そうした現実に驚く男性はある女性を好きになってしまいます。その女性のロボットまで作ってしまうほど愛していました。しかしそのロボットは暴走して街を壊してしまいます。そして機械のように働いていた労働者たちはロボットを捉え、火あぶりにしてしまいます。ロボットのもとになった本物の女性は男性によって助け出され、労働者と、働かせていた父の心を繋げました。 
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私はこの映画を観てとても「不気味」だなと感じました。 未来都市メトロポリスの支配者と労働者の歩み寄りを描いた物語です。やはり昔の作品なだけあって今のSF映画のようなCGといった要素が少なく、登場人物も架空の生命体などはいなく基本人間同士の生々しい物語です。 結末は支配者と労働者が和解するハッピーエンドだが、全体を通してかなり不気味に感じさせる作品でした。 
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1927年というのは、少し調べてみるとまだテレビが制作されて2年ほどであると知りました。そんな、1927年にアンドロイドが動く映画というのを作っているというのは、よく未来を予知というか想像されているものだと思います。こういったことから、こんな古い映画が今の時代まで皆に見られているのだと思いました。 ここから解説を書いていきます。この映画は、科学がとても発展した都市でしたが、豊に暮らしているのは、地上に住んでいるお金持ちの人たちだけで、地下では過酷な労働をしているという階級の差が表されていました。主人公は裕福な人であったが、女性に一目ぼれし、その女性を追っていくと、地下にたどり着き、地下の労働者を見て驚きました。主人公は地上と地下の階級の差、違いすぎる生活に怒り、改正を父に訴えました。しかし、父は息子の話を聞くことはしませんでした。主人公は地下で働き始め、地下と地上をつなぐような役割となりました。 それが父にばれることになり、父は主人公が恋をした女性のアンドロイドを作り、地下労働者を乱そうとしました。しかし、黒幕によってうまくいかず、しまいには地下の労働者が地上に出てきて地上にあるメトロポリスの機械が破壊されました。しかし、機械が破壊されたことで、地下に大量の水が流れ込み、地下にいた子供達が溺れそうになりました。地下の人たちは、女性のアンドロイドのせいで子供達が危険にさらされたと思い、アンドロイドは地下の人達によって焼き殺されます。 地下にいた子供達は主人公と本物の女性で救出されますが、黒幕は次は自分に火の粉が移るのではと思い、本物の女性は誘拐し殺そうとします。主人公は助けにいき、黒幕を倒しました。最後は、主人公の父がこの一件により、考えを改め、主人公がこれまでの地上の人と地下の人とを仲介し、地下の代表とと主人公の父は握手をし、階級の無いメトロポリスが作られていきました。 こんな昔の映画で、労働階級の差から未来の技術、恋愛、父と息子など様々な描写が含まれていてすごいと思いました。また、音楽もとてもその映像にあったものが使われており、更に演じている人の顔の表情も豊かで、言葉がないのにもかかわらず、わかりやすい映画でした。 
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私はこの映画はきわめて寓意に富んでいると思います。基本的には「脳」と「手」とが「心」によって結び合わされることが主題になっていますが、これはまさしく、資本家と労働者がお互いを許し合い、認め合い、そして協力し合うような在り方のことだと思います。このような寓意は、1920年代ワイマール期のドイツが持つ歴史的意識を如実に反映しているように思います。19世紀後半から20世紀といえば、技術や産業の進歩が必ずしも人間の幸福につながらないということがはっきりと自覚されていった時代です。もう少し具体的に言えば、技術・産業の急速な進歩が資本家による富の独占と労働者の搾取という結果に陥ってしまった時代であり、それに対して労働者の手による革命を説く者もいれば、そのような革命は無力だとして文明自体の没落を説く者もいた時代です。このような時代のただなか、さらには第一次大戦後の経済不況で窮地に陥っていたドイツにおいて、自分たちがきわめて危険な状態のなかにいるという歴史的意識が支配的だったことは想像に難しくありません。そこで「脳」と「手」とが断絶されてしまっているという意識が決定的だっただろうことは、この「メトロポリス」なる映画が証言しています。 
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 私がこの映画を見て感じたことは、視聴者の視覚に刺激を与えるために、明るくしたり暗くしたりを繰り返している部分が多く見受けられました。また出演者のオーバーリアクションが目立つように、カメラのアングルを固定していることが分かりました。上層階級の人に常に働かされる労働者の苦しみ、労働者が神としてあがめられていたマリアなどが上記の手法を用いて表現されていました。その他にも、スト(打ちこわし的な行動)を起こし始める労働者の多さを表現するために、偽物のマリアを中心に遠い距離からのアングルや、少し上から映し出したりする技術が使われていました。 
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SF映画はかなり好きでよく見ていますが、100年前も昔にここまで緻密で面白い映画が作られていたというのはとても驚きました。全体的に人の顔がアップにされていることで、音なしで少なめの字幕でも感情が伝わりやすいように工夫されており、とても面白かったです。 近未来の話なのに主軸となってくるのが人間の感情の話というのは、近代化・機械化された世の中に対しての皮肉(結局世を動かすのは機械ではなく人間の感情)なのではないかと感じました。 劇中に出てきた女性型アンドロイドがC3POに若干ですが似ているように見え、様々なSF映画に影響を与えた映画なのだと思いました。 
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 一目惚れをしたシーンをあからさまに胸を抑えていて、慣用的に胸や胸の痛みを恋に結びつけることはあるが、それをセリフやBGMの代わりに仕草として具体化しているのがおもしろかった。しかしながら「崇拝」や「脳と手の仲介者としての心」など本作のキーワード的なポジションに胸や心があると思うのでそれを強調しているのかもしれないと思いました。  また全く技術的には差があるものの、現代映画でいう「SF映画」にジャンル分けされそうな雰囲気を感じました。近未来観の表現として高層の建物ばかりで高速道路が発展し都市を行きかい、飛行できるマシーンが都市を飛び回るというのは現代の映画においても近未来を描くときに同じようなイメージで再現されているので、このころから想像されているものは同じだったのかとおどろいた。現代ではCCで再現される世界観も、多くは自作のセットで表現されていて、まるで欽ちゃんの仮装大賞を見ているような気分になりました。しかしながらモノクロかつ無声であるからこその緊迫感を表すカットや表情のコントラストで感情をさらに読み取りやすくなったとこちらに没入させるための仕組みは豊富に感じられました。  しかしながら時代設定や物語の進み方などはやはり現代のとくにアクション、SF映画に通ずるところがあり、それらの開祖ではないのかと思えるほどの作品でした。 
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私はこの映画は資本家と労働者は手をとり合わさないといけないだと、訴えている英語と思います。産業の発展が起き、資本家という存在と労働かという存在が区別してしまったとき、労働者の努力は資本家によって搾取され、資本家のみが権力的に強い自体が色濃く表されているのだと感じます。これは、単に技術の発展がすべての人を幸せにすることではないのだと伝えていると感じます。仮に、資本家は考えを巡らせ、富を得ようとするものであるため、脳とし、労働者は働かせる存在として、手とするので有れば、最後の手を取り合うシーンは資本家と労働者どちらもが、必要であるということを伝えているでしょう。また、マリアの仲介があってのこの手を握るシーンは労働には心が必要なんだということを暗示しているのだと感じます。 
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私はこの映画は、現実の理想と現実を描いたような作品であると感じました。音楽を聴いているだけでもどのような場面であるのかがわかるくらい印象的なBGMといった感じでした。そして、地下の世界の人々は操られているような歩き方をしていて、現代の北朝鮮のように見えました。会話はその時の様子は、字幕で写される他には映像で成功を得るしかないので、集中して映像を見ることができました。 
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私がメトロポリづを見たとき、古臭い時代の地下社会を見せている映画に見えました。その中でも主人公っぽい人と女の人が恋に落ちていく様子もわかります。しかし、それに気づいた男の人が何かロボットのようなものを作ろうとしていく中で、そのロボットが女の人に似せられていました。そのうちに地下労働者が暴挙に出たり、その中に取り残されそうになった子供たちを水没寸前で救い出し、女の人と再会していた。のち時計台の上で、決着をつけています。 正直に言うと、この昔の映画を見ていく中で、理解できないというのが正直な感想です。特に場面場面の移り変わり方が雑というか時代の限界なのかわからないが、理解が追い付かないまんま話が進んでいってしまう感じです。 
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奴隷のような労働者の上で成り立っている人々の図が分かりやすく理解できる映像です。労働者は使い捨て道具の扱いをうけていますが、そんな労働者がいるからこそ、上流階級の人々が楽園の様な場所で優雅な生活が出来ます。上流階級の人々はいわばなにもしていないのです。なにもできないのです。労働者がどれだけ大事な存在なのかわかっていません。そんな労働者の大切さ、同じ人間なんだと気付く主人公の優しさに心温まります。 
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地下の労働者と地上の富裕層を対照的に描いていました。地下の労働者を均一なペースで動きを揃えさせることで、権力のない階級社会に押さえつけられた姿の印象です。そして、富裕層はコミカルな動きと明るい顔で楽観的な社会の印象です。カラー化されていない方が不気味さがあり、音楽も自分の想像力を掻き立てられました。私は前者の方が好きです。言葉がない分、字幕が途中で入ることによってそれが頭によく入ってきました。現在の音楽、セリフ、映像全てがある映画より、自ら、想像をする方が衝撃的な映画になると感じました。 
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私はジョルジオ・モロダー版(1984)を視聴しました。これまで、講義内やformsを通じていくつかの映像を見てきたました。今まで触れる機会が無かった、言葉を使わない映画に対して、どのように理解をしていけば良いかに重きを置いて視聴する様に心がけました。率直な感想としては、アクションや表情はある程度ポップな表現を用いている様にも思えましたが、実際の工場のようなシーンでは悲惨な場面もありました。主人公の男にはいくつかの試練がありましたが、常に全力でいたように私は感じました。これもアクションで、少ない言葉で、視聴者に気持ちを伝えるという意味では、とても大切なことだと思いました。 また、音楽も重要な役割も担っていたと思います。シーンにあった音楽は内容理解には必要なツールであり、それは現代映画にも通ずるものがあると思います。 
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ジョルジオ・モロダー版を観たのですが、特にセリフを入れている訳でもないのに表情から人の感情が伝わってきて面白かったです。特に場面が切り替わるところや、状況が一変する場面での臨場感の伝わり方が、動きが大きいことによって今よりも理解しやすいと感じました。 
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私はこの映画を端的に表すとしたらグロテスクの一言に尽きると思いました。理由は3つあります。まず一つ目にこの映画は制作時よりもさらに先の年月の未来を表しているので、この映画の画質や質感がどうしてもマッチしないことが原因だと思います。2つ目に表現効果に奇抜なものが多いと感じました。例えば複数の目が回転しながら画面の中央に現れるシーンです。目は人間が会話を行う際に視線を合わせる場所であり、脳の中でもいち早く目のパーツを解析できるような役割を持っているそうです。3つ目にこの映画は人間同士が平等に生きることができないということを示唆するために制作されたのだと思いました。現代社会にも通じる強い格差を是正するための主張が汲んで取れました。 
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私は白黒の「メトロポリス」を鑑賞しました。 最初に文字だけが書かれたショットが出てきて。この映画の制作における詳細が流れました。この展開は、今でも受け継がれていると感じました。そしてこの最初のショットで物語が伝えたいことを大きく示し、声が流れなくても、ここで頭にインプットさせることができれば、物語の内容が自然と頭に入り、人々の理解もより深まると感じました。そして、あらすじのような文が流れてから、文字は消え、人物が出てきたため、ここから物語に入ることがよく理解でき、その風景も想像することができました。最後には詳細は流れなく、物語が終わると同時に映像も終わったため、完結感が強く感じられました。ショットが変わる度に、その補足のように次のショットの説明が文字で描かれています。声がない場合、このような工夫がされていなければ、場面の移り変わりを理解することが難しと感じました。そして、ショットが変わる以外に、何か話しかけている様子の場面にも、話しかけているその質問や、投げかけている言葉の説明が文字だけで流れました。私はその他に、流れる音楽で感じとり、この話を理解しました。内容は、ブレーダはある日、とある娘と大勢いる兄弟の存在について知り、ブレーダーが娘を探しに行くと不思議な体験をした。そして父のいる新世界メトロポリスと言う都市へ行きます。そして父がブレーダーがいた地域の現状について知り、怒りました。息子は父の作り上げた都市を絶賛し、作り上げた人々に関して疑問に思います。そして都市を作っている彼らは地下室にあることがわかり、階級社会の存在を知ります。そして、ブレーダーは父の様々な残酷なやり方に気付きます。そして反抗する息子に対し、父は息子を監視するように伝えます。そして息子は地下に行き、残酷な現状を知ります。その間も父は機械化に励み、悪い科学者が機械で人間をつくりました。そんな中、マリアが現れました。マリアは労働者たちに希望を与えるように感じました。ブレーダーは、マリアに心を奪われ、関心をもち、この現場に立ち向かおうとします。それを感じていた科学者が、機械人間にマリアの顔を与えるように命令しました。ブレーダーはマリアを探します。科学者はマリアを操り、地下にある労働者たちの絆を壊そうとしました。しかしブレーダーは偽のマリアであることを発覚し、みんなに知らせます。そうすると、労働者たちは反乱を起こし、街を大洪水にし、停電にさせました。しかし、貯水タンクが爆発し、労働者たちは命がけで逃げました。そして魔女を死刑にし、脳と手と心の三つでうまくやっていこうと誓って物語はおわります。 
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未来のディストピアのお話でした。 ディストピアがディストピアだと認識していない知識人階級主人公は労働者の女性と出会い一目ぼれしてしまいます。彼女を探しに行った主人公は労働環境の残酷な実態を目にします。さらに彼女はカタコンベ(地下墓地)で知識人階級を脳、労働者を手と形容しその乖離を説き、媒介者を心と形容しまだ見ぬ彼を待てと言いました。カタコンベでの一件を見ていた知識人階級の主人公の父はその女性とそっくりの機械人形を制作させ反乱をつぶすことを企てます。しかし、その製作者は機械人形に労働者を煽らせ、反乱の煽ります。大挙した労働者は心臓機会を破壊し、労働者街を水没させてしまいました。しかし、そこには多くの子どおたちが取り残されており、主人公と女性は合流し子供たちを救います。一方、労働者たちはこの反乱が自らの首を絞めていることに気づき、機械人形を魔女として火あぶりにし、自分たちを先導していたものが機械だったと気づきます。そして主人公は機械人形に労働者を煽らせた製作者との死闘を制し、最終的に知的階級の父と労働者を繋ぎ、媒介者つまり予言されていた心となり脳と手は一つになりました。 この話は、虐げられる労働者、手を差し伸べない権力者への問題提起と、興奮して自身の窮地に気づかない労働者、機械への恐怖・警鐘が描かれていたのだと思います。 特に、まだ機械人形を魔女と呼び火あぶりにするシーンは機械への警鐘と集団ヒステリーをよく表していると思いました。 ラストシーンは、労働者と父が自らの力で和解することができないのが、現状の代表たちでは和解はかなわないという表現で一貫した主張なのだなと感じました。 
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この映画は、囚人のような服を着たたくさんの男の人が規則正しく並んで行進していたり、外で上半身裸で運動させられていたりというシーンから始まります。次のシーンでは、植物園のようなところで様々な服装の人たちがいて、男女が噴水を囲んで追いかけっこするなど平和な様子が伝わってきました。そこに、たくさんの子どもを連れた一人の女の人が現れ、追いかけっこをしていた男とじっと見つめあいます。その後女の人が去っていくと男は追いかけていきます。すると、冒頭に出てきた男たちが労働しているところに迷い込みます。 その場所の存在を初めて知ったような男は、しばらくじっと見つめていると、囚人たちが操作している機械のメーターのようなものが一番上に上がっていき、煙が上がったかと思うと大きな顔の像が現れ、口がどこかへの入り口になっており、囚人たちはその口の中へと入っていきます。しかしおそらくその像は男の見た見た幻覚であり、もともと像など現れておらず、囚人たちがけがをして運ばれているところでありました。 そのころ、ある男の人が別の男の人にロボットを見せていた。 その後、主人公の男は何度かその場所に行き、労働している人の手伝いなどをしました。ある時、囚人たちが地下に行くので、ついて行くと、前に追いかけた女の人が前に立って何かを訴えかけていました。それを聞いた囚人らは祈るようなポーズをしていました。そして囚人たちがいなくなると、男は女の人に話しかけ、お互いに見つめあいキスをします。お互いに好意を持ち合っていることが伝わってきます。しかし女の人が一人になると、ロボットを持っていた男が現れ、女の人を追いかけ襲い掛かります。それに気づいた男の人は追いかけるが、女性は拉致されて、脳をロボットにつながれてしまいます。すると、ロボットは女の人そっくりになり、乗っ取られてしまいます。ロボットに乗っ取られた彼女は、おそらく自分の意志では内容な行動をしていきます。それに気づいた男の人は、囚人たちにそれは彼女ではないと伝えようとしますが、誰も信じません。そして囚人たちはロボットの彼女と共に、一斉に牢から抜け出します。そのころ、主人公の男は、水に溺れそうになっている本物の女の人と子どもたちを助けます。しかし、また本物の彼女は連れ去られてしまいます。その頃、ロボットの彼女は、縄で縛られ燃やされていました。男は、女の人を助けに行き、無事助けることに成功しました。 この映画は、追いかけられるシーンや、平和なシーンなど様々なシーンでそれぞれのシーンに合った音楽が流れることが、とても印象深かったです。 
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私なりのこの映画を見ての解釈を述べていきます。まず、12時になった瞬間に地下にいた人々が人形の様に速いペースとゆっくりなペースでそれぞれ集団が動き始めました。一方地上の様子は運動会の様に走り回り、いきいきしていました。ひとりの男性と女性が恋に落ちましたが、突如大勢の子どもと一緒に現れた女性にその男性が惹かれ、追いかけていきました。その後彼は地下の労働者にさせられました。表情から彼が怒られているということがわかります。そして場面は変わり、なにやら時計を動かしています。地下へ行ってみると、ひとりの輝く女性がいました。労働者は皆見とれました。そして彼女が言った通り、彼らは1つになって働いたのです。労働者になった彼は、彼女に会えたことに導かれたのだと思い再び愛が芽生えます。それをみていた権力者と博士は2人の間を裂こうとしました。表情と様子だけで状況を判断し、解説するのは難しかったです。今の映画では演技力と言葉と表情とさまざまな工夫が映画にはされています。逆にこの映画は表情と様子だけでこれだけのことが読み取れたので私は感動しました。