2020-07-02

メディア2020前期08写真と写真家・投稿集

情報メディア問題入門2020前期08写真と写真家・投稿集
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1. アート写真の話を続けます。実例として挙げた2人の写真家のいずれかのドキュメンタリー映画を観てください。YouTubeだと300円かかります。決済がめんどうな人は、講義内で提示したYouTubeのスライドショウ(★のあるもの)を鑑賞して下さい。その上で、それぞれの写真家が日常的な場面に対してカメラを構えてシャッターを押すときに考えている(あるいは感じている)であろうことを自分なりに想像してみてください。それぞれ特徴がはっきりしているように思います。言葉にするのは難しいですが、1枚1枚の写真からファインダー越しの写真家のまなざしを想像してみて下さい。締切は月曜の夜202006292330
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人の表情を撮っている場面が多いので、人々が感じていることを表情から読み取ろうとしている。また、それ以外の作品でも、自分自身がその情景を見て良くも悪くも心動かされた瞬間だと仮定すると、その情景が与える人々の表情の変化を捉えようとしているのではないかと思った。 
2人の写真家の写真には、いずれも傘をさした人物を撮影した写真があった。その写真を見て私が感じた事は、彼らは日常で見逃してしまうような光景をフィルムに収めていると感じた。傘をさす環境では、そこにいる自分自身も傘をさしており、景色を楽しもうとは思わない。自分は傘をさしているし、雨で気分は沈んでいる。そんな光景を、写真に収めることで、改めて見ることができるようになる。彼らはそんな写真を残しておきたいと考えていたのだと思う。 
人一人にフォーカスして目力を強調しているように見える 
日常的な場面ということを考慮して、造らないありのままの写真を撮っているように感じた。カメラと人では無く、人と人を感じさせるようなイメージだ。要するに、写真を見た人が写真の中の世界にいるように錯覚させることを考えている気がする。人のありのままの姿を撮ることで、その写真を見た人がその時代や背景、その場のイメージなどを勝手に連想する事を想像して撮影しているのではないだろうか。 
ヴィヴィアンマイヤーさんの写真はモデルさんを使用したり綺麗な場所で撮るなどせず、着飾らないでありのままの人であったり街並みを撮っているように感じた。その街に住む日常をそこに行ったかのように映し出していた。街並みにありながら普段目に止めないよう視点から撮っている写真も何枚かありとても興味深かった。数枚カメラ目線で映る老人の女性の表情は喜怒哀楽では合わせない複雑な表情をしているように見えた。 
日常的な生活や表情を切り取った様な写真が多いと感じた。今にも動き出しそうな写真が多く写真というよりは動画の一部の様なものだと思った。つまらなそうな表情、眩しそうな表情、カメラに気づいた時の表情といったその人の生活における表情があると感じた。また脹脛にあるしみや髪型などその人物の個性や特徴を表した写真も多く見受けられた。さらに偶然起きたアートな写真も多くあった。例えば黄色いスカートやパンツを履いた人物が三人近くにいたり鏡の中の鏡に女の人が写っていたりと偶然的な角度や時間などによって引き起こされた現象もあって面白いと感じた。その人の生活や人物、お店など個性を表すものが感じられた時にシャッターを押したのかなと感じる。レンズに対して顔を決めていたりポーズをとっていたりするよりは人生や生活、日常の動き、たまたま取れた偶然が重なる背景をとっている様に感じる。見た時にこの人物はこういった感情でいたのかなと予想できるもので多くの笑顔の写真よりも自然体でナチュラルな写真だと感じた。 
うまく言い表すことができないのですが、「あぁ、いいなぁ」と思ったから撮っていると思います。撮りたいから撮っているし、いいなぁと思うのも当たり前かもしれませんが、あまり深く考えず、でも適当というわけでもなく、厳選されてとられている気がします。日々の日常、人々の何気ない行動やしぐさ、風景等を、お洒落に、時には面白おかしく、見る人の心に何かグッとくるような写真であるなと思いました。写真家の観点もセンスもやっぱりプロだなと思えます。私は写真を撮ることは好きですが、何も考えずただただ撮るというだけで、センスの欠片もありません。きっと写真家にしかわからない、写真を撮ろうとシャッターを切るときの感情があるんだろうなと思います。 
全体的に感じたことは特別な何かを撮っているわけではなく日常の至って普通の瞬間を撮っている。飾った瞬間では人そのもののありのままの瞬間を収めたかったのではないだろうか。その瞬間というのはこうして写真に残されていないと記憶に残るかも怪しいような瞬間でひと時ひと時を非常に大事にしていたのだろう。またメインとして風景より人を撮っている写真家が多い。人の生み出す表情の方が風景より様々な感情を見てる側に与えることができる。おそらく美しい景色などは大半の人が見ても美しくて感動して涙を流すというのが一般的だろう。しかし人の表情は見る人によって捉え方が違い、この人は今どういう感情か一致させるのは難しいだろう。そういった奥深さもあるから人を撮るのではないかと考える。 
私はYOUTUBEでヴィヴィアン・マイヤーの写真を鑑賞して思いました。撮影している時、彼女は『人間が放つ未知のエネルギー(パワー)』を感じとり吸い込まれるようにシャッターを切っているのではないかと私は思いました。何枚もの写真に外国の人間がとらえられていてその誰もが生きている強いまなざしをカメラに向けていることに気づきました。また、そのまなざしの中には数えきれないほどのその人の心情も感じました。今自分が幸せであるという瞳、自分は何をしているのだろうという自問自答の瞳、キスをしている時に写真を撮られているという羞恥心の瞳など私、いやヴィヴィアン・マイヤーは感じ取っていると思います。 写真にはその人と人の関わりが多く捉えられていました。ここでヴィヴィアンはシャッターを切っている時に見る人間に何を伝えようとしているのかを考えました。それは『人間は一人では生きていけないこと』、『支えあうことの必要性』などを私たちに投げかけているような気がします。多くの写真の中には夫婦、カップル、家族など人が人を想い生きていく場面が収められています。つまり、ヴィヴィアンは『人と人の関わり』の必要性を私たちに教えてくれています。 また、その時代の風土や歴史、雰囲気を感じさせたいという思いもヴィヴィアン・マイヤーから感じました。 
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ヴィヴィアンマイヤーさんの写真を見て、日常的な場面に対してカメラを構えてシャッターを押す時にどんなことを考えてるのか、私の想像では、どの写真にしろユーモアがあふれている写真が多く、見たら一瞬笑わしてくる写真が多いなと思ったので、見た人がニヤリとさせるような被写体の写真を撮ることを考えていたり、写真を見た人に自然と笑顔になってくれたら嬉しいなという想いも考えたりしながら写真を撮ってたりしたのかなと思いました。また、どれもピントがバッチリあっていて、ブレが少ない写真ばかりであったのも特徴的な1つなのかと思い、ぶれないように気をつけるのも考えているのかと思いました。私の個人的な考えになってしまいますが、ただ面白いシーンに向けてシャッターを切っているだけでは撮れない写真が多いと思いました。また、大半以上の写真が長方形ではなくスクエアの形におさまるように画角を合わせて毎回シャッターを押してたのも特徴の一つなのかなと思いました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーのとった写真からは、人々の哀愁や物悲しさ、都会の喧騒などの雰囲気が交わった写真であり、写真をとる時にもおない様な気持ちを感じながらとっていたのではと思います。ソール。ライターの写真からは、街中の喧騒のなかの一瞬の静けさを感じることができ、そんな一瞬を狙って写真をとっていたのではないかと感じました。 
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ビィビィアン・マイヤーはほとんどのひとが写真を撮るときに使う掛け声などでは撮っていない。写真を見る限り誰もがカメラ目線といものをしていない。本当の日常の風景であり、非日常の人物や写真用に着飾ったりなど準備をしていない。おそらくビィビィアンはその人たちの「素」「日常」を撮りたいのだと思った。カメラのレンズを向けられているのが分かったら誰でも自分の良い姿を意識してしまうもの。だから取るときは掛け声などを使っていなかったのではないかと思う。次にソウル・ライターは元々ビィビィアンとは正反対の写真を撮っていて雑誌にのるモデルなどで多くの準備や手間をかけていた。しかしそんな写真よりも街の中にある雨に濡れた窓を撮るほうが興味深いと言っていたように窓などのモノの「素」を撮りたいのではないかと思う。窓は風に揺れるし、日の光を反射したりとその日によって窓の状態が違う。しかもそれは人間が準備したものではなく意識のないモノ同士が作り上げているものである。そのような写真をソウルは撮りたいのだと思った。 
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私はYouTubeを通じてVivian Maierのスライドショーで作品を拝見させていただきました。数多くの写真の中で一番を感じたのは貧困だと思います。作品の中で子供は汚れた服を着て、顔も汚れて何とも言えない感じになりました。大人では年を取ったおじさんはまた仕事を探し続けて、他の男性は仕事などの疲れで公園の長い椅子で寝たり、道路のわきに寝た人もいました。貧困がなければ、子供たちは笑顔で写真に写りこむであろう、大人も疲れ果てた顔ではなく元気の顔で写真に写るだと思います。 
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写真家の人は何気ない日常を何気ない風景をあるままに写したいと考えているのではないかなと思った。その時にしか見えない表情や景色を、その瞬間にシャッターをきると思うので、その写真家が感じたものがそのまま写されているのかなと思いました。この人のこの表情が良いと思ってシャッターを押した時のその写真家の感情がそのまま写真にも反映されるのでそう言った、伝えたい感情とかを感じながら撮っているのではないかなとおもいました。 
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私はどちらの写真家も日常を切り取っているという面では共通していますが、その切り取った日常の写真をもってどのような印象を鑑賞者に与えたいかが異なっているように思えます。ヴィヴィアン・マイヤーの写真で感じたのことを一言で表すとユーモアです。日常生活の中に転がっている些細なユーモアを見逃さずにとらえて切り取っているのだと思います。きっと普段から何か面白いことは転がっていないかと注意深く観察しながら、カメラを持ち歩いているのではないでしょうか。それに対してソール・ライターは日常の中に潜む美しさというようなものを感じます。こちらもヴィヴィアン・マイヤーと同じく注意深い観察によって作品が作り上げられていると思いますが、その着眼点がユーモアではなく美であると感じます。そして彼は最初はいわゆるファッション面での美を重視していたのが、日常に潜む美に気づいて、撮る対象が変化したのではないでしょうか。そしてどちらにも共通するのはどのような角度から切り取っているかに非凡なものが感じられることです。私たちも彼らと同じように日常を手軽になったカメラで切り取りますが、人をハッとさせるにはやはり同じものを見ていても、それをどうファインダーにとらえるのかが重要であるのだと感じました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーのyoutubeでのスライドショーを見ました。自分としては、ヴィヴィアン・マイヤーは敢えてシャッターを押す瞬間に理由をつけてないなと思いました。それと、作品として発表するときにもそうであると思います。自分の考えでは理由を付けすぎると、自己満足的になってしまうと思うのです。それにより、鑑賞者に伝わるスピードが遅れるという感じがします。そして、マイヤーはテクスチャーを感覚的に捉えて、シャッターを押してるように見えます。カラーの写真を見たときにテクスチャーの良さが伝わってきました。それを意識した撮り方をしているのでしょう。また、ある意味での断片性の面白さもマイヤーは考えていたんではないでしょうか。写真としてこのパースが後世に残ったら面白いなとも思っていたと考察します。人間の写真が多いからそう考察しました。以上のことから、マイヤーは敢えて、自分の哲学をマイヤーの時代(20世紀前半、中盤)に写真という形で表したのでしょう。その哲学は、シャッターを押す瞬間にも現れているはずです。 
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ヴィヴィアン・マイヤーは、日常的な人物をメインとした写真が多いように思います。撮られている人たちは何も変わらない普段の日常だと思っていることが、撮っている側からすると自分の日常とは大きく違っています。そのことから、人間は儚く脆いものであるがその中に愛があると改めて考えていると思います。 ソール・ライターは、日常的な景色をメインとし、その中にいる人間を撮った写真が多いと思います。人間は自分たちだけで生きているのではなく、周りの環境に支えられ、助けられながら生きているんだということを考えながらシャッターを押していると思います。 
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ヴィヴィアン・マイヤーさんの写真を見た時、写真家は「愛」や「人間性」を感じながらシャッターを押していると思いました。https://youtu.be/PmMMhP3yi9Q を見た時、日常生活の中で普段私たちが見る目線からの写真と、普段とは違う角度から見た写真の2つがミックスされているように感じました。前者の写真は私たちが普通に生活していれば、見慣れている風景が多かったです。しかし、後者の写真には"人間らしさ"を強調するような写真の撮り方をしているように感じました。例えば、ベンチに座っている太ったおじさんの後ろ姿を撮った写真は、ベンチの板と板の間からおじさんのお尻のお肉がはみ出ているのが分かります。私はこれを見て、おじさんに人間味と愛らしさを感じました。きっとこの写真はおじさんを正面から撮ったら、普段私たちが街を歩いていて見かける可能性が高い光景で、表面上の"ただのおじさん"としか思わないでしょう。しかし、わざと背面から写真を撮ることで、おじさんの人間性やキャラクターなど中身が伝わってきます。自然とこのおじはんは家で高カロリーなものを食べているのかなと想像してしまいます。 今回の講義を学ぶまで、写真から伝わってくる情報量は動画や実物に劣ると思っていましたが、写真は写真そのものが伝える正しい情報と、人の想像力を活かした空想(偽)の情報を与えてくれるメディアなのだと気づきました。 
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私は★のあるもののスライドショウを鑑賞しました。そこでは様々な写真がありました。ほぼ人々の日常的な場面が写されていました。私はその様々な写真をみて、写真家が日常的な場面に対してどんな感情でシャッターを押しているのか考えてみました。私はこのシャッターを押している写真家はきっと写真に写っている人の反対側の心情を表しているのかなと思いました。写真の中で1人すごく印象を持った人がいました。どこかの屋敷かなにかなのかメイドのような格好をした女性が写真に向かって睨みを向けていた写真の女性です。その人は写真に訴えているように私は思いました。日々辛いんだろうなとか。なのでカメラを向けられたときに「うつすな」「ふさげるな」という感情をわたしは感じました。なのでわたしはこの写真家は日頃の逆の表情をうつそうとしているのかなと思いました。子供たちが楽しく遊んでいたり。そんな写真あまりとらないと思います。日頃笑っていない子供たちが笑っていたからとったのかなとおもったり。女性と男性がキスしている写真はなんだかわかりませんが、悲しい気持ちになってしまいました。写真家は日頃あえていない2人を撮ったのかなと勝手に想像してしまいました。なので私はこの写真家は勝手にですが人々の反対側の表情を写していると思いました。 
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YouTubeの「Vivian Maier」の動画を見ました。 他人の人生のおもしろみだったり、滑稽さ、悲哀などを感じる場面に居合わせ、思わず「ねぇ、ちょっと見て」と人に教えたくなるような時に、声に出して人に伝える代わりにシャッターを切っていたのではないかと思いました。 彼女の撮る写真には子供メインのもの、大勢写っているけど子供にスポットを当てたものなど子供の写真が多く、また彼女の職業からも子供が本当に好きだったんだなと思いました。 少し話が逸れてしまうのですが、赤の他人にここまで近づいて写真を取って怒られるようなことはなかったのか気になりました。現代だったら肖像権などで問題になってしまいそうだなと思いました。 
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私はYouTubeのスライド賞を鑑賞しました。写真についてよくわからないなりに鑑賞して一つだけ共通点を見つけました。それは車の写真、問えレンチコートを着た人、看板、歩く人など街の中にある日常的な写真にはどれも力があり、物語があると思いました。表情が豊かな人はあまりいませんでしたが、何を考えているのか考えさせられるような写真でした。個人的には彼女がその時代の町の日常風景を写真に収めていた理由は、ぞの時代を愛していたのではないかと思いました。現在のようなカラーの写真はありませんでしたが、色がないのに当時の様子が鮮明に伝わりました。 
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 ファインダーを通して生き生きとした人々の写真を撮ることで、1人で生きていくという孤独と戦っていたのかもしれない。カメラで切り取られた人々の人生や、息絶えた動物を撮ることで、生と死をいつも身近に感じていた人だったのかなと考えました。  写真というのは瞬間を捉えたものだけれど、彼女の写真には物語がある。人物写真が特にわかりやすいが、その視線、仕草、服装、場所、さまざまなものがその人が抱えている物語を表現している。それは文章にして語ってしまうと台無しになってしまうようなもので、まさに写真だからこそ表現できる物語だと感じられる。でもここでは文章にしないと伝わらないと思うので、なんとか伝えようと努力してみたいが、一番感じたのは彼女の写真が被写体となっている人の時間を想像させるということだ。とらえられているのはその瞬間の感情で、それは幸福だったり、不満だったり、退屈だったり、時には無だったりするのだが、その瞬間にその感情を抱くことになったその人が過ごしてきた時間とはどのようなものだったのか想像せずにはいられないのだ。その時間というのはその日一日であることもあれば、その人の人生そのものであることもあるのだけれど、とにかく写っている瞬間が時間的な広がりを持った物語を生むのだ。彼女はシャッターを押す時に被写体となっている人の人生を想像していると思う。 
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私は、「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を見ました。ヴィヴィアン・マイヤーの写真が映画の途中で出てきたのですが、とても魅力的な写真ばかりでした。また、ヴィヴィアン・マイヤーは、写真家ではなく、家政婦だったことにとても驚きました。これは、仕事として写真を撮っていたのではなく、単純に欲求から来るものとして、写真を撮っていたのかなと思いました。やはり、写真家として写真を撮るとなると、求められているものや、何らかの縛りがあるのですが、この縛りがないことが他の写真家より利点になり、ヴィヴィアン・マイヤーの感性をより発揮することができたのかなと感じました。また、ヴィヴィアン・マイヤーは、日常的な場前に対して、興味深い、面白いと思ってシャッターを押しているように感じました。つまり、計画的にどんな風に写真を撮ればいいのか明確に考えているわけではなく、感覚的に撮っているような感じがしました。 
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私はヴィヴィアンマイヤーの写真を見て、日常の写真であるにもかかわらずどこか不思議な感覚を覚えました。社会問題を切り取ろうとも、面白い場面を残そうとしているような感じでもなく、ただストレートに日常風景を写真におさめているのだと感じました。彼女は日常生活を当たり前に送れることにありがたさを感じながら街の写真を撮っているのだと考えます。だからこそ、何気ない日常の写真なのに見ている自分が何か社会について考えさせられるのかなと思いました。 
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日常的な人のワンシーンの写真が多く、毎日の何気ないことが幸せに感じているように思い、笑みを浮かべながら写真を撮っていたのではないかと思いました。なにか特別なことをすることが幸せではなく、もっと身近に幸せはあるということを人々に知ってもらいたいという思いもあると思います。ときに道端に落ちているゴミなどの写真もありましたが、それさえも変わらない日常として捉えて笑みを浮かべながら写真を撮っていたのではないでしょうか。変わらない日常がいつまでも続いて欲しいという願望を感じることができました。 
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マイヤーの写真は、人と人の触れ合いや人と動物、人とのたくさんの触れ合いの中で生まれた写真だと思います。面白さや幸せ、悲しみを共感しながら撮っているように感じました。誰かに見てもらいたいというのではなく、この画を自分の心に残すというのを写真で残すことがマイヤーの中の心に残すということなのではないかと感じました。 
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写真家ソールライターの写真について、ソールライターの写真はヴィヴィアンよりも明るい感情なのではないかと思います。特にカラーで撮られている写真が多かったのと写真に映っている人々がみんな元気そうに見えます。特に何かをしているわけでもすごく笑顔でもないと感じますが、人間の明るい部分が垣間見えるような写真が多い気がします。また、明るくなったことによる社会の変化のようなものも感じられます。 
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 マイヤーさんは、仕事など頑張っていて体や顔が汚れている部分までを表現しようと顔だけをとるのではなく、その時に起こっている周りの状況を一緒に映すことでどういう場面かが分かる。人の足の骨の違いなど、人と違うところがあると思った所を撮る。そうすることで人が全員同じ体ではないということがハッキリ分かるように。同じような姿をしているのに全員が同じ格好をしているのではなく、少し違う所があることを表現している。その写真を撮ったとき、「あ、あの人だけ同じ格好をしているのに何かが違う。」と思い、それを不思議であり人間らしさであることを表現しているのではないか。影がある写真を撮り、影は同じ方向を向いているが、人間は服や顔の表情が違い、それが面白いと感じている。つまり、マイヤーさんは違いに気づいてそれが面白いと思って撮っているのではないか。  ライターさんは、あるときの一瞬で終わってしまうものを撮っていて、「あ、猫が飛んだ」という感情と共にシャッターを切っている。全体の中で背景のほうが量的に多い気がする。背景を多くすることでその人の恰好や動きが理解できるようになっている。一枚全体が主役ではなく、人が主役になるように撮っている。鏡のように反対に映る所を一緒に収め、正面だけでなく後ろ側もきれいであることを分かっているからそれを一緒に撮っている。つまり、ライターさんは普段人が気にしないような一部分を写真に収め、人間や動物の本当の姿を表そうと思って撮っているのではないか。 
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ヴィヴィアン・マイヤーの写真を見て思ったことは、白黒写真であるため光と影がはっきりと分かれていて全体的に強い印象でした。日常的な場面をとらえているのになぜか映画の場面のように見えました。 ヴィヴィアン・マイヤーさんは光と影をうまく利用できるよう撮影していたと思います。森の写真では白黒ですが光が空から差し込んでいる様子が伝わりますし、自然の色が感じとれる立体感があります。人を撮影するときは正面からの写真が多く、写真を見ている人が被写体と面と向かって話しているような感覚になるように撮影したのではないかと思いました。また、写真は静止画であるのに、人や自然の動きを感じとれるのもヴィヴィアン・マイヤーさんの写真の特徴だと思いました。 
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人が(一人か複数人かは問わず)映っている写真は被写体の人間が会話や思考にふけっているなど何らかの行動をとっている風景を切り取ったもののように感じられます。第三者の私たちは何を考えているのか想像しながら楽しむことができ、被写体の人物の背景までにフォーカスすることができます。そこまで考えて写真家の方はシャッターを押しているのかもしれません。 
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私は、スライドショウを見て写真家は「このカメラを向けられた相手はどう思ってくれるだろうか」ということを日常的な場面に対してカメラを構えてシャッターを押す時に考えているように想像しました。動画の中では真顔な人の写真もあれば、微笑んでいる人の写真もあり、はたまた植物などの写真がスライドショウに存在しており、それぞれの写真に共通することは見つけにくいですが、写真家の想いは「このカメラを向けられた相手はどう思ってくれるだろうか」という想いは共通しているように思えました。このカメラを向けられた相手は、笑顔で撮って欲しいのか。その時代の状況にある自分を撮って欲しいのか。植物であればその植物はその植物の偉大さを撮って欲しいのか。写真家たちはそれらのカメラに向けたられた相手の想いを写真という手段を使って人々に伝えているのではないかと思いました。 
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写真は残るものなのでやっぱり人々に衝撃を与えるような写真を撮って、長い間忘れないような物を残すと思って撮っているのではないかと思った。普段写真を撮ってもやはり年月を経てば忘れてしまうが、とても衝撃があったものとかは記憶の中に残っている。だから写真家は人々の記憶に残るような一枚を残そうと思って撮っているのではないかと思います。 
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私は刹那的な瞬間、その時にしか味わえない魅力を残そうと考えていると思います。よくある日常であり、気に留めるようなものではないと皆が考えるものが、一瞬一瞬その時にしか起こり得ないものであるという尊さを意識している気がします。だから、写真一枚一枚を眺めたときに「自分の日常にもこんな景色があったなあ」と私たちも感じることができます。 
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自分は、ヴィヴィアンマイナーの写真を見ました。そこから感じられたことは、大きく二つあります。一つ目は、写真の中心には基本的に人がいて、さまざまな人がいることが面白くてそれを写真にこなしているのだなと感じました。二つ目は、そこにある思いを写真にしているんだなと思いました。どの写真を見ても感じることがあるので日常の中の何気ないことだからこそその人の思いを見つけようとしているのかなと感じました。 
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日常的な場面といいながら、太っている人や道端で寝ている人など美しい描写はそれほど多くないように感じた。また、複数の人が写っている写真は皆が違う方向を向いていることが多いが、一人の時はカメラ目線の傾向にあったりと撮る対象によって何をテーマとするかを変えているような気がした。また、人物だけではなく水たまりに捨てられている新聞紙など物にフォーカスされている時もあった。そのような場合では人物全体は映していなかったが、周りをぼかしたりするような手法を取り入れているわけでもなかった。 
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ヴィヴィアン・マイヤーさんのスライドショウを鑑賞して、自分自身が撮りたいと思ったものを撮影していると感じました。また、人々の美しく素晴らしい日常を自然体に撮影することを大切にしていたと思います。マイヤーさんが撮影していた写真を見ると日常においての何気ない行動であったり、人々の表情、街の雰囲気、景色などいつも通り流れている生活感を大切にし、自然体な写真を撮っていると感じました。そこでマイヤーさんの写真での感性はどこで磨かれたのか気になったので彼女の生い立ちについて調べてみました。彼女は、家族がいないため寂しさを抱えて生きていたと考えられます。また、映画や新聞を鑑賞したり、よく外に出かけていて、美術館にも頻繁に通っていました。これらのことが、彼女の写真への探究心や熱中することに繋がったと思いました。そして、家族がいない寂しさから何気ない日常にある幸せそうな人々や景色を撮影していたのではないかと考えています。このように、マイヤーさんは寂しさや幸せをカメラで撮影することが自己表現だったのではないかと感じました。そして、1枚1枚に自分の思いをのせて撮影した写真を多くの人に見てもらい共有することでコミュニケーションを取る手段にしようとしていたのではないかと思いました。 
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 今回の課題はかなり難問ですね笑。僕がまず2人の写真を見て思ったのがヴィヴィアンの写真は人物中心の写真、ソールは背景と人が一体になっているというか余白がある?というかとにかく人と背景が一体となって一つの作品になっているっと言った感じです。この時に写真家たちが感じているであろうことですが、たぶんヴィヴィアンは人の表情を見ているのだと思います。怒り、悲しみ、喜び、喜怒哀楽それを重きに置いている。。そんな気がしてならないのです。公園でキスをしている老夫婦、仲良さそうに腕を組む女の子たち、電話をしている女の人。みんなよく見ると様々な表情をしています。その写真を見るとその人の心の中が見えてくる気がしてならないのです。対して、ソールは背景と一体化した"風景"を趣にしています。街中で走り回っている猫、雪降る町、ペンキを塗っているお爺さん。全て引きで撮られています。ソールは何を考えているのか、多分ソールは被写体がいかに背景にマッチできるかを考えているのだと思います。メインの被写体が、何なのか、写真を見る人に対して、きちんと理解していただくことが重要だと、自分に伝えられている感じがします。かなり言葉にするのが難しかったですが、自分の語彙力ではこれが限界でした。よろしくお願いします。 
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ヴィヴィアンの写真はいずれも白黒であり、何気ない写真を撮ってることがわかる。被写体がカメラにポーズを撮るような写真ではなく、まるで目で見ている瞬間をカメラで抑えたかよような写真だと私は感じた。人間だけではなく、人形や動物、建物など感情がないものも撮っている。その場その場の面白さをカメラで抑えようとしたいるのではないだろうか。 ソールの写真は色があり、絵画のような写真を収めている印象があった。大事なのは場所ではなく、それをどう見るかと言っているが人によって感じるものが違っていいという考え方がいいと思った。それは多くの人に共感を持てる考え方であり、写真には正解はないということだとおもう。このようにこの写真を見たら、どのような見方ができるのか人々の意見を聞いて発見を楽しんでいるように見える。 
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 「ヴィヴィアンマイナーを探して」を視聴して感じたことは、彼女の目に写っていた世界は大きく二つに分かれているということでした。  まず一つ目の世界は、日常の中に対しての彼女の憧れや願望が詰まっていたものでした。彼女の写真は、日常の何気ないものを写しているものばかりで、孤児で家庭も持たなかった生涯孤独である彼女の心の願望が表れているように感じました。しかし、その一方で新聞に載るようなグロテスクで不条理、そして人間の愚かさが露呈しているような事件や記事を好んで読んでいました。これが彼女の二つ目の世界です。そのような場面を撮っていた彼女のカメラは生の不気味さや人間の負の側面を写していたように感じます。つまり、彼女はファインダーを通して他者を理解することで、孤独な自分を支えていたのです。自分では埋められない孤独への寂しさや苦しさを埋めるようにシャッターを押し、そして同時に、自身の孤独さや苦しさも痛感していたのではないかと思います。  私は、ヴィヴィアン・マイナーという人物は他者に憧れていながらも他者を嫌悪していたのだと感じました。その矛盾をファインダーに込めることで自身の存在や考え、気持ちを整理したのではないかと思います。だからこそ彼女は、人ではなくカメラやネガと生涯を共にしたのだと感じます。その矛盾を誰かに理解されたい反面、人を嫌悪しているからこそ理解されたくないと考え、作品の公表を行わなかったのではないかと考えます。彼女は果たしてどのような気持ちで最後を迎えたのだろうととても気になりました。 
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 「ヴィヴィアンマイナーを探して」を視聴して感じたことは、彼女の目に写っていた世界は大きく二つに分かれているということでした。  まず一つ目の世界は、日常の中に対しての彼女の憧れや願望が詰まっていたものでした。彼女の写真は、日常の何気ないものを写しているものばかりで、孤児で家庭も持たなかった生涯孤独である彼女の心の願望が表れているように感じました。しかし、その一方で新聞に載るようなグロテスクで不条理、そして人間の愚かさが露呈しているような事件や記事を好んで読んでいました。これが彼女の二つ目の世界です。そのような場面を撮っていた彼女のカメラは生の不気味さや人間の負の側面を写していたように感じます。つまり、彼女はファインダーを通して他者を理解することで、孤独な自分を支えていたのです。自分では埋められない孤独への寂しさや苦しさを埋めるようにシャッターを押し、そして同時に、自身の孤独さや苦しさも痛感していたのではないかと思います。  私は、ヴィヴィアン・マイナーという人物は他者に憧れていながらも他者を嫌悪していたのだと感じました。その矛盾をファインダーに込めることで自身の存在や考え、気持ちを整理したのではないかと思います。だからこそ彼女は、人ではなくカメラやネガと生涯を共にしたのだと感じます。その矛盾を誰かに理解されたい反面、人を嫌悪しているからこそ理解されたくないと考え、作品の公表を行わなかったのではないかと考えます。彼女は果たしてどのような気持ちで最後を迎えたのだろうととても気になりました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーはありふれた日常の中で少しでも目に留まったものを撮っていて、ソール・ライターは日常の中できれいだと感じたものを撮っていると感じました。 
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虻川美花の写真はその人の最高の瞬間を取ろうとして、きれいな人なら一番きれいに撮ろうとしていて、かっこいい人なら一番かっこよく取ろうとしていると思いました。それに比べ、ヴィヴィアン・マイヤーの写真は、その人の素を撮ってあげようとしていると思いました。普段の生活の中で、いいとおもったものを写真に収めていると思いました。もちろん、笑顔だけがいい写真ではなく、暮らしの中のいろんな感情を撮っていると思いました。きっと撮っているときは、こんな物語の一場面なんだよと伝えるものとして撮っていると思います。 
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YouTubeでヴィヴィアン・マイヤーのスライドショーを見ました。日常の風景を写した写真が多く、特に人物が写っているものが多かったように思います。私は写真のことはよくわかりませんが、そういった造詣のない私にもわかるほど、どの写真もコメディチックな雰囲気があって、ヴィヴィアン・マイヤー自身がそれを面白がって撮っていたことがよく分かりました。人々や街が日常の中で見せるちょっとした面白みのようなものを敏感に捉えていたのではないかと思います。人々の表情だけを見ても、自身にあふれた所謂ドヤ顔をしている人、逆に無表情な人、困り顔の人、少し怒ったような顔をしている人など、それぞれ違っていて、そしてどこか引きつけられるような魅力的な写真ばかりでした。上にも述べたように、ヴィヴィアン・マイヤー自身が人々や街を面白がっていて、それらをよく観察していたことの表れだと思います。彼女が人々や街を面白がって撮っていたことはまた、彼女が愛を持ってそれらを見ていたことの証であるようにも感じました。予告動画の中に出てくる、彼女を知る人たちへのインタビューではあまりいい評価はなかったかもしれませんが、実は愛情深い人だったのではないかと思いました。 
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ヴィヴィアンマイヤーについて、彼女の作品は人が被写体となっているものが多いが、とびきりの笑顔で楽しそうな雰囲気で写っているような人はほとんどいなく、写されているのは疲れて寝ている人や、無表情、もしくは悲しみ、辛さを漂わせている表情の人が多い。また、子供から大人まで、裕福そうな人からホームレスまで、さらには太っている人、障害のある人など様々な人を被写体としている。このことからヴィヴィアンマイヤーは写真を通じて日常の中での人々のちょっとした生きづらさのようなものをファインダー越しに感じているのではないかと考えた。特にこれを私が感じることができた作品が、太っている人のお尻がベンチに挟まっている様子を撮った写真だ。普通ならばこのような写真は撮ろうと思わないが、ヴィヴィアンマイヤーは、この挟まったお尻から自由ではなくきつそうで、窮屈そうな様子を感じ、それを世の中の窮屈さと照らし合わせて写真を撮ったのではないかと考えた。また他にも、何枚かショーウィンドウに飾られたマネキンの写真もあった。これもショーウィンドウという狭い空間の中でしか生きられず、動くこともできないマネキンの不自由さと人間の世の中での身動きの取れない不自由さが重なっていると感じてヴィヴィアンマイヤーはシャッターを切ったのではないかと思う。 
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私は『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』を観ました。このドキュメンタリー映画からヴィヴィアンが撮る写真には何でもない一日が幸せであるということと、またその幸せに相反する孤独な心の闇が映し出されていると感じました。映画内で登場する写真は、何かを話している子どもたちや手をつないで歩く親子、笑い合う男女などの優しい写真が多く『一日の中で何気ない一瞬ではあるが、それが人それぞれの幸せである』というようなメッセージが隠れているように思いました。一方で動物の死体などのグロテスクな写真の存在から彼女の心の闇の深さと寂しさを垣間見ることができます。心の闇という点では、乳母をやっていた子供に対する理解し難い行動と、グロテスクな写真の存在が結びつきます。これらのことから彼女はシャッターを押すときに被写体が幸せそうであるならば『憧れ』、そうでなければ孤独な自分を重ねることで『哀れみ』を感じていたのではないかと考えました。死後、明るい写真も暗い写真も含めて素晴らしい写真だと世界から称賛されましたが、彼女の生い立ちや性格に起因される孤独がなければそのような写真が生まれなかったのかもしれません。皮肉なものだとは思いました。 
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どの写真、動画を見ても違う角度から撮っている。角度が一緒でも光の当て方が違う。その被写体が1番輝かしい瞬間を撮れるように工夫しているように見えました。常にレンズを通して1番の写真を撮れるように考えている気がします。 
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私が、講義内で提示したYouTubeのスライドショウを鑑賞し、その上で、それぞれの写真家がカメラを構えてシャッターを押すときに考えている事は、モデルではない一般人を被写体に使う事で、より身近な写真になるのと同時に、飾ることのなに素の表情を写真に写さことを考えているのではないのかと感じました。実際に写真を見てみると、作り笑いなどをせずに、そのままの表情で写真を撮っていて、とてもいい写真のように思えました。 
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私は、youtubeのvivianmaierというスライドショーを見ました。 カメラ目線での写真もいくつかあったけれど、ほとんどが道を歩いている人、仕事をしている人、風景などのカメラ目線ではない日常的な場面でした。これらの写真は、おそらく撮影者が普段日常的に見ている風景であり、特別なことを写真におさめたいと思って撮影しているのではなく、なんでもない日常的なことを撮影したいと感じていたのだと思います。撮りたいと感じた瞬間を撮影しているように感じます。今にも動き出しそうな、動いている姿が想像できるような写真だと感じました。 また、子どもや犬などの動物が写っている写真が多数あり、撮影者は子供や犬が好きで自然と見かけると撮影してしまったのではないかと思います。 
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ソールライターは何もない日常も映画のワンショットのような写真を撮っていることから、人の目線を意識してシャッターを押しているのではないでしょうか。見た人が主人公の気持ちになるようなそんな感じになるようにソールライターも同じように感じながらシャッターを押していると考えました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーのスライドを見ました。彼女は自らの作家性のようなものの統一が無かったのではないのかなと思いました。何よりも大切にしていたのは「撮りたいものを撮ること」ではなかったのでしょうか。そのことを何よりもそのことを感じさせるのが「え?被写体に許可とったの?」と思えるような作品の多さです。ファッションや広告のためにモデルを街で撮影することや、ストリートのリアルを撮影することで伝えるものや紛争地での子供の写真でさえ、窮状やそのリアルを伝える大義名分のようなものに突き動かされていると思います。しかしながら彼女撮影した膨大なイメージのうちその多くはあまりにも他人に近づき、遠慮知らずに撮影しているように思われます。またその彼女の撮りたいを感じさせるものに容赦なく切り込んでいったことが結果的に彼女をブランディングしているように思われます。つまり彼女がシャッターを押すのは、遠慮なしに図々しく世間体など気にせず切り込みたいと思えるものを眼にしたときなのではないでしょうか。(彼女は少し変わり者であったことが映画の予告から伝わってきたのでその性格が関係していると思います。) 
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しばらく考えてみたが想像できなかった 
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自分の理想とする恋人との光景、過ごしたかった青春時代などへの憧れ、家族との微笑ましい瞬間を写真に閉じ込めておきたかったのではないかと思う。 
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私がまずヴィヴィアンマイアーさんの写真を見て思ったことは、多くの人が笑顔のときや人々が少し遊んでいるような場面を撮った写真が多かったので、ほんわかな気分になるなと思いました。人々の尻や丸太の上を飛んだ理しているふざけた場面の写真も多かったのでマイアーさんはこれは面白いなと何も深い事は考えずに撮っていたのではないかと私は考えました。なので、角度や人のいちが完璧に決まっているのはマイアーさんの才能からだと思います。次にソールライターさんの写真を見て思ったことは、背景に人が解き込んだ瞬間の写真が多く、写真の技術がすごいなと思いました。人が笑顔の写真ばっかではなく深刻そうな顔をしている人も多くいたりするのでマイアーさんとは全く違う種類の写真家だなと感じました。ソールライターさんの写真は昼夜バラバラで天気もさまざまなこともあり何でもかんでも写真を撮るのではなくこれは素晴らしいなと感じてから写真を撮っていただろうと思いました。 
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ヴィヴィアンは一般人であったにも関わらず、人を至近距離で撮っているものが目立った。おそらく、自分の中で面白いと思ったものは人であろうが物であろうが躊躇なく自分のセンスとタイミングで撮っていて見ていてシュールな作品が多かったように思えた。 一方ソールは日常の風景を撮っているものが多いと感じた。どれもどこか洒落た作品が多く、日常に溶け込んでいる神秘的な瞬間を撮っているように思えた。 
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Maierのスライドショーを鑑賞しました。率直なイメージは、日常の中の何気ない一部分を切り取ったものが多いように感じました。しかし、それだけでなくカメラに向かって作られた瞬間の物もいくつかありました。スライドショー内での割合は前者が8、後者が2ぐらいでしょうか。どちらも人が関係しているものが多く、人間が意図せず作り出しているアートを切り取った作品が多いと思いました。 
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Vivian Maierの一枚目の写真は戦争中で国内でも緊迫しておるのにもかかわらず子供たちが集まって楽しんで遊んでいる暗闇の中に差し込む光のように感じます。 二枚目は、そんなに安定していない椅子に座る小太りのおじさん 三枚目は、新聞があまりにも売れない不況時に何か面白いニュースが来ないか考えているおじさん四枚目は、犬は入れないが、いつか入れるようになるであろう一枚 五枚目は、女性が短いスカートをはく時代がもうそこまで来ている 六枚目は、動物の毛皮が斬新に表現されている一枚 私は彼が日常の写真を取る際にいかに、写真家が取った作られたきれいな写真を撮るよりも、一般人が目で見て「すごいな」と思う目線を捉えた写真のように感じました。今の写真家にはいない、カメラが普及していないからこそ現代の人がくぎずけになるような面白みのあるその時代の背景が分かる写真のように感じます。 彼はシャッターを押す際に、きれいさや、華やかさではなく、その時代の色や背景、雰囲気に一番気を付けて取っているように感じました。 
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ビビアンマイアーの写真を見てみると、総じて、日常的な人の行動や、生活、ふっと笑えるような写真があった。写真の種類は大まかに分けて三つに分けることができる。一つ目は人を正面から撮ったもの、二つ目は人を後ろから撮ったもの、そして三つ目は背景のみを撮ったものだ。まず1つ目の写真から感じられるものは、喜怒哀楽だ。その人が着てる服や、背景、何をしているのかによって捉え方が違う。彼女はその人を見た時に、感情を読み取ろうとし、その人の日常をカメラに収めたかったのだと思う。また、自分とは違うものを持つ人をカメラに移したかったのかもしれない。二つ目はその人の後ろ姿だ。そこから感じられるのは、背中の大きさ、つまり、哀愁だと思う。落ち込んでいたり、はたまた、風に吹かれていたり、背中を見るだけで感じられるものは多い。何か特徴的な「面白さ」を追求したのも、二つ目から感じられた。例えば、足だけであったり、スカートが風に吹かれていたりなどである。ここからは彼女のちょっとしたイタズラのような撮り方が多い印象であった。そして三つ目は背景のみだ。物陰の隙間から撮ったものが多い印象で、彼女はふとした瞬間にいい構図があれば撮りたかったのだと思う。隙間からある人の瞬間を覗いているようで、彼女は「内気な性格」を現したかったのかもしれない。 
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スライドショウの中に、子供が親と手をつないで歩いているのを後ろから撮った写真がある。おそらく雨が降った後の出来事である。自然にできた水たまりに映った親子、晴れたことにより差し掛かる太陽の光がきれいだと思いシャッターをきったのであろう。他には、ガラス張りの店の外から撮られたであろう写真がある。中で女性が新聞を読んでいる。その女性はとてもにこやかである。ガラス張りであるため自分が撮っている後ろに通る人や建物もガラスに反射して入ってしまう。でも、平面に見える上にモノクロである写真上では女性の斜め上に男性がいるようにも見える。たまたま映り込んでしまった真顔の男性と女性の表情の違い、そして位置関係のおもしろさを感じたであろう。また、川か海が広がるところに面した道路。感覚があいて植えてある木。片方の木の枝がなぜか途中で折れてしまっている。そしてその前にカメラを正面(もしかしたらバックかもしれない)に止まる一台の車。木が少ないため後ろの海もよくみえ、車が小さく見える。天気は晴れているわけでも雨が降っているわけでもない雲が広がっている状態である。そんな自然、特に飾っていないと思いシャッターを切ったと思う。 
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Vivian Maier:スライド17:21★ を見ました。 まずこれは一種の二次創作となることを前提としておきます。自分なりの想像である以上、それは実際にシャッターを押した人間の考えではなく、私の主観を元に再構成された感想となるからです。  写真を見ていて思うのは、日常どこであろうとも散見できるだろう人間を写真に撮っているということです。被写体が主に人間です。主に風景写真より人間をとっているように思います。写真のとられている時代背景を知らないと深くものを言うことはできないと思うのですが、この写真はどこか時代の背景を切り取っている写真のように思います。服装や格好に年代を感じる。白黒写真でありますから、トーンの明るさ暗さが如実に表れているわけです。暗闇の中に浮かび上がるものは強調され、明るい中にある濃い色は目立ちます。気取ったものをとっている、だとかいわゆるモデルという職業の人を撮っているというよりはそのあたりにいる普通の人を撮っているのでしょうね。肖像権はどうなっているのか。シブヤメルトダウンを思い浮かべるような写真もあります。写真として切り取られると、個人が集団から浮かび上がり個人が集団に沈み込むんですね。見たこともないような景色がそこに現れています。これは一種の歴史書と言ってもいいのではないでしょうか。ピントがちゃんとあっているだけですごいなと思う素人目ですが、写真の中で突然トンチキなものがでてくる、と思ってもこれはこの時代のこの町に実際に存在したものなんでしょうね。写真のためのやらせではなく、生ものをそのまま写真にしている。だから今の時代と比べてどこか違う空気を感じ、それでも同じように生活をしている人間がいます。服装とやってることと人種が一目でわかります。白黒なので余計に。その色彩も当時の流行も。ああ、全部つながっていることであって切り取られているモノであっても日常の中にそれが存在していることは間違いないということでしょうか。全く別の世界を切り取っているわけではないと。以上が私の感じたこととなります。 
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ヴィヴィアン・マイヤーは、生涯に15万枚以上の写真を撮影しており、被写体の中心はニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス内の人物と建物で、世界中を旅して写真の撮影をしていました。その作品は死後に発見され、認知されました。彼女は乳母として約40年間、主にシカゴのノースショアで働きながら、写真を追及しており、彼女のネガフィルムの多くは一度も印刷されることはありませんでした。 本題に戻りますが、彼女がカメラを構えてシャッターを押すときに、被写体や取り方は多岐にわたっていますが、その中でも共通する要素は単純明快な「撮りたい」という感情でしょう。 彼女の写真は、アップのポートレートだったり、決定的だったり、風景だったり、物だったり、撮り方が一定していなかったり、散漫と表現されたりもします。 アーティストやプロの写真家ならば、おそらく良くない統一性の無さです。基本的にアーティストや写真家は、自らの特徴をはっきりと「絞る」ことによって売っています。アーティストや写真家であれば、「自分の方向性に沿った」写真を撮るはずです。しかし、彼女はアーティストであることも写真家であることも選択しませんでした。撮った写真は、一切誰にも見せなかったわけですから、その撮り方は批評家たちの声の届かないところにあります。だから、単純に自分の「面白い」「撮りたい」だけを基準に撮ることができます。 実際、ただの新聞紙やゴミ箱の中をブローニーフィルムで大量に撮影していますが、他人にとってはほとんど意味がないであろうそれらの写真は、ただ単に撮りたいから撮ったとしか言いようがありません。 そこには、「人に見せるため」とか「作品として」といった態度が、決定的に欠落しています。 それは先ほどの「欠落」にも通じますが、ここでもやはり「他人の目を気にする」という要素が欠落しています 純粋に自分が撮りたいものだけを撮っているようです。 次に、1950年代からニューヨークで第一線のファッション・カメラマンとして活躍するも、80年代に商業写真から 退き、世間から姿を消したソール・ライター(1923-2013)。しかし2006年、ドイツのシュタイデル社から出版された 作品集をきっかけに再び脚光を浴び、世界的なセンセーションを巻き起こします。「私たちが見るものすべてが写真になる」というライター自身の言葉にもあるように、日常のなかで見過ごされがちな一瞬のきらめきを天性の色彩感覚で捉えていました。そこから、ライターは「カラー写真のパイオニア」と称されていました。 
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【ヴィヴィアン・マイヤー】 彼女の写真の多くは街中の人物の「普通」を切り抜いているように感じる。そして、あくまで人物が主役となっている構図だと感じる。一見してみると本当に普段の様子を撮影しているがその中でも、最も魅力的なタイミングでシャッターを押したのだと思う。そうすることによって私はその人物の背景を思い浮かべやすくなるのだ。例えば写っている人物がレンズに視線を向けている写真を多く目にしたが、自信満々の眼差しをむけているものはある程度裕福な生活、または幸せな生活をしていると感じる。だが、自信がなく寂しげにこちらを目に向ける人物の写真は裕福でも社会に押し潰されそうな生活、根本的に貧しくて苦しい生活をしている人物だと創造しやすい。そのほかのタイプでもなぜだがわからないが、その人物のその後や背景を想像する意欲が掻き立てられる。彼女の写真は、写真だけで人物像を創造することができる。それもその人物が明確な行動をしているわけでもないのに、だ。先ほども述べたが彼女は被写体の最も魅力的な瞬間を感覚的にシャッターを押している。感覚的に押しているから、私たちも感覚的に魅力的に感じているのだと思う(プロの写真家では理論もあると思うが)。 【ソールライター】 一方、彼の写真は明らかに人物が中心ではない。人物が背景の一部として、または人物の行動を切り取っている。私は彼の写真を見たときに人物の背景ではなく、テレビのようにその写真の時間軸が動くことを想像した。おそらく彼は常にその場所で待機していて、その風景が最も魅力的に感じたときにシャッターを押したのだと思う。だから、私はその風景の前後を容易に想像できた。インターネットで検索すると雨の水滴で濡れたガラスの向こうで帽子の被った少年のシルエットを切り取った写真がよく出てきた。その写真を見ているとその少年がそのまま歩いて行き、人々が雨で濡れたガラスの向こうで顔が映ることがなく歩いていく様子が想像できた。また、人物ではなく風景が中心となっているので、どこか曖昧さがある。優しい表現でも悲しい表現でも、ふんわりと風が通ったように目に映る。彼女の写真は人物の写真だったからか、刺激が強かった。しかし、彼の写真は刺激がいい意味で弱く、適度に優しい。自分の想像力で自由に想像できる。 私があえてこの二人の写真家の違いを述べると対象がそもそも違う。そして対象が違うことから写真の性質としても全く異なることがわかった。なぜなら、人物は生命体で思考を持っているからだ。思考があるから私たちは写真をみるとその人物が持っている背景や感情を想像してしまう(感じ方で異なると思うが)。一方背景の写真は思考という概念は存在しない。そのため、私たちは背景がどのように動くのか想像してしまうのだと思う。 
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ヴィヴィアン・マイヤーは日常の人の無意識の表情や姿勢、現象を写真にとらえている。おそらく、人間の表情は場面や、接する人によって違い無意識の中の意識が働きつくられたものになってしまう。しかし、いきなり取られた写真は意識が働いておらずそのひと本来の表情を映し、見ていて少しおかしな感情が湧くものをとらえたいのではないかと考えた。 ソール・ライターは人間を中心に写すより、全体の中の一部として扱いアクセントのような役割を与えようとしているのではないだろうか。人は誰もが自分が主人公のように感じるが人をメインにしないことにより本来の人を見ようとしていると考える。 
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私が写真を見て、写真家がシャッターを切る際に考えていると思うことは「できるかぎりありのままの姿」を写すことです。私が一枚一枚写真を見ていった際に現代と大きく異なるように感じた点として、被写体の写り方が挙げられます。現代で写真家がこのような写真を撮ることになったら、カメラマンはもちろんですが、被写体にはとても美人な、または格好いいモデルが用意されます。また、そのモデルが良く写るため、良く映えるためにメイクを行う人や髪形を整える人、その他太陽光を遮るために傘を持つ人など最も美しく写るために必要な職人が大量に投入され、その人達の協力のもと非常に完成度の高い写真が出来上がります。 しかし、私が今回見た写真の一人一人はさほど美しくもなく、汚れていたり、ほとんど顔が見えていないものまでありました。しかし、それでも美しく見える理由として上述したありのままの姿を写していることが挙げられます。この写真を撮ったカメラマンは作られた美しさよりも自然の美しさを見ている、または重視していると考えられます。実際に写真を見ていくと、被写体の表情は笑っているもの、怒っているもの、悲しそうにしているもの、 きょとんとしているもの、真顔のものなど多種多様です。また、写真に写されている背景もぼやかすことなく、しっかりと写しており、どのような場所にいるのか分かるものが多かったです。このような観点から被写体の日常やその際の感情なども読み取ることができます。                       そのため、カメラマンは自身がシャッターを切る際、写真を見る人にどのように感じてほしいかなどを考えているのではないかと思いました。カメラマンという職業を選ぶ人は誰しも写真を見ることが好きだと思うので、自身が写真を見た際の感情を同じように感じてほしいと思っている人も多いのではないでしょうか。その考えが写真にも出ているように感じました。また、人が写っていない写真にも日の当たりや障害物などが写っており、ここにも日常をリアルに感じ取ることができます。 他にも写真の多くは白黒になっている点があり、これによって写真を見る人は写真には写されていない裏の部分まで推測して楽しむことができます。 このようにカメラマンはシャッターを切る際、日常の風景を見ているのではないかと私は思いました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーの作品のスライドショーを見ました。彼女の写真はどちらかと言えば楽しい一瞬というよりも陰というか、孤独や闇みたいなものを感じました。スライドに登場した全ての写真が陰の雰囲気を持った写真ではないのに何故かそう感じてしまいます。両脇に警察がいたり、障害のある人やホームレスまで今の日本人だったら撮るのを躊躇うような状況でさえもストリート写真として残している。人間の内面を収めているように感じます。世の中の綺麗な部分だけではなく、陰の部分も収めることでその時の彼女の心情を残したのかなと思いました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーはストリートポートレートを撮っているようですが、どの写真もかなり、至近距離かつ真正面から撮影されており度胸を感じた。 私も写真を撮っているが、こんなに至近距離からは取ることができない。 筆写体と心がつながっているのではないかと思った。 
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 ヴィヴィアン・マイヤーの作品の共通点として大きく三点があげられる。一つ目は人が主役であるということである。マイヤーの作品の多くに人間が登場する。マイヤーは写真を通して人間を表現している。二つ目は写真にストーリー性があり、風刺が効いているという点である。動物の毛皮をまとった女性や車に取り残されている子供など写真という媒体を通してみるものに考えさせる作品を作っている。三点目は写真に躍動感を持たせていないという点である。この時代であったとしても様々な方法で写真に躍動感を持たせることは十分可能であったはずだ。だが、マイヤーの作品には躍動感が全くない。人間が多く登場するのにもかかわらず、あえて写真に動きを持たせないことによってメッセージ性を高めていると考えられる。マイヤーの作品は個人的に魅了されるものが多く、見ていて飽きなかった。マイヤーの取った写真はなぜか笑ってしまうような言語化できない面白さを持っている。また、写真からマイヤーは高度な撮影技術を持っていたことが考察できる。 
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あっているが分からないが私はヴィヴィアン・マイヤーが写真を撮ってるときは日常の何気ない風景を残したいと思っているのではないかと思った。今見ている風景が永遠じゃないということを彼女は他の人よりも良く知っていたのではないかと感じた。だからこそ他の人とは分かり合えないことが多かったのに人の心に残る写真が撮れたのだとだと思う。また、彼女の写真は人を撮っている写真も多くそこから人のことが好きという風に感じられた。 
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写真家ヴィヴィアン・マイヤーは、人間の美しい部分だけでなく、喜怒哀楽や恥ずかしい部分など日常に溢れているほんの一瞬を見逃さずにシャッターを押していると考えます。人間は誰もが完璧ではなく、全員同じ人間なんだというメッセージ性を感じました。 写真家ソール・ライターは、自分が撮った写真を見る人に、1枚の写真からストーリーを想像してもらうようにシャッターを押している気がしました。正解は無く、それぞれの主観や感情でどのようなストーリーを思い描くのか、そしてどう取れるかを感じて欲しいと願ったと考えます。 
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ヴィヴィアン・マイヤーの写真から自分が感じたことは、本当にありのままの人々の生活の何気ないワンシーンが撮られていてヴィヴィアン本人が「あ、今この瞬間の自分が見た景色は面白い」と思ったであろう写真が多いと感じ、風情ある写真から人の情けない写真、一見するとただの風景の写真などがありでもそこには人の喜怒哀楽があらわになっている写真やドラマ、映画のワンシーンなどその瞬間の面白さを写真に収めているように感じました。また人物の写真が多く「人と何か」みたいな写真構成になっているように感じてそれはその人表情と場所の関係性や感情が伝わってきて実際にとられた人が目の前にいるような雰囲気が感じられ、この写真は人間のリアルを感じられると思った時に撮られたのだと感じました。 
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ヴィヴィアンマイヤーのドキュメンタリーを見ました。写真からは被写体になっている人の背景にはどのような人生を送ってきたのか、そして今送っているのかを見る人に感じ取ってもらうようにと考えて写真を撮っているのかなと感じました。そして、この写真を撮っていた時代の情景などを後世に発信して伝えたいという思いを持って撮っているのではないかと思いました。また、写真の主役は被写体であり自分の色というものより写っているものが主役であり、写っているものを見ている人が多くの感情を抱くようにと考えて撮っていると思います。ユーモアであったり喜怒哀楽など人間の表の顔だけではなく裏の顔や内面、様々なことを多くの人に伝えたかったのではないかと思います。しかし、亡くなってからこれらの写真が発見されたということから、彼女は自らの孤独を写真によって埋めようと考えているのではないかとも感じ取れました。そしてこれらの写真を見ている人にどこに価値を見出すのかを考えさせようとして撮っていたのではないかなとも思いました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーさんは写真を撮る時に常に自然な姿を撮ろうとしていると思いました。写真から伝わってくるのは日常の暮らしのありのままの姿や自然の凄さなどを写していたと思います。また、カメラ目線で写真を撮っているときは別のことを考えていたと思います。私が感じたことは相手の目線からなにを考えているのかが伝わってきた感じがしました。きっとマイヤーさんも撮りながら同じことを考えていたのではないでしょうか。 ソール・ライターさんは写真を撮る時に私たちに写真を見た時に何かを感じて欲しいと思いながら撮っていたと思います。写真その物の人や物体で何かを伝えたいのではなく、それを見た時に私たちがなにを感じるか考えれるように撮っていたと思いました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーもソール・ライターもどちらの写真家も一般人なら目もくれないような日常的にあふれているような瞬間を切り取った写真を撮っているように見える。ヴィヴィアン・マイヤーの写真は日常生活を送っていて一瞬目に留まるけれども、すぐに気にならなくなってしまいそうな瞬間を写真として切り取っているように感じる。また、ソール・ライターも日常の光景を写真に収めているように感じるがヴィヴィアン・マイヤーよりも日常に訪れたふとした珍しい光景を中心に写真を撮っているような気がする。 
73 
私は決済が難しかったので、YouTubeのスライドのほうを見ました。見た結果、人の素の中を映すような写真家だなと思いました。その中でも喜怒哀楽の喜と楽の部分を多く映しているように見えて、人にあふれる、いい感情を後世に伝えようというのを感じました。逆に人以外の建物や建造物を取っているときは、白黒だからなのかもしれませんが、どこか哀愁漂うような見せ方で、昔の面影を恋焦がれるような見せ方を考えているのかなと感じました。動かない写真という中で地球という一つの星にある感情をきれいに写すことが一番に考えられているのではないかなと私は思いました。 
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1人目の写真家の写真は素朴な日常を映しているものがほとんどでした。カメラに向かって表情をつくっているものも、その風景の写真もありました。これらに共通していることはその時にしか撮れないものをとっています。水たまりに人が歩いているところが写っている写真がありました。この時にカメラマンは絵になるな。風情ある光景だと思ってシャッターを切っていると思います。また、少年や女性の笑顔が向けられている写真の時にはいい顔するな、自然の笑顔は素敵だ。もっと広めたいという気持ちでシャッターを切っていると思います。kこのように1人目の写真家のシャッターを切るときの思いというのは明るく前向きな気持ちが多く、きれいだ。とか、あんなことやってるという驚きな感情や、この光景は写真に収めたいという気持ちがあると思います。2人目の写真家の写真は人の写真が多く、しかもその表情は悲しい顔や苦しい顔をしている人が多かったように思いました。今を生きている人には明るいだけじゃなくこんなに苦しい人もいる、人は悩み悲しくなる時もある、その感情を忘れてはいけないという思いではないかと思いました。 
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ヴィヴィアン・マイラーとソール・ライターは、自分が面白い、興味深いものを見つけた時に、忘れないように記録しておこうとワクワクしながらシャッターを押していたと感じました。また、自己の探求心から、今、目に見える情景を自分のものだけにしたいという独占欲を感じながらシャッターを切っているとも感じました。この2人の写真を見る限り、日常茶飯事のことだったり、自分が選んだ被写体の自由な表現だったり、自分だけが見つけたものの写真だったり、「人に見せて評価してもらう」写真ではなく、「自分自身のみが評価できる」写真ばかりであると感じました。このことから先ほども述べたように、私はこの二人の写真からは「独占欲」と「自己評価」に対する執着を感じながら、カメラのレンズを除いているのではないかと思いました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーが好んで撮っていた写真は、ほぼストリート写真です。ストリート写真とは、街中で見知らぬ人や風景に焦点を当て、アートとして切り取ります。白黒写真が多いですが、カラー写真もいくつかあります。彼女の作品は、人間の内面を見事に写真として収めている気がします。感情を切り取っているような、見るものに本質を見せ付けているような気にさせられます。 
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2人の写真家が感じている事を想像して書くと、1人目のヴィヴィアン・マイヤーは日常的な一コマを丁寧に撮影している印象を受けました。他愛も無い一コマではなく、その一コマを丁寧に丁寧に切り取る為の撮影を行っている様です。ヴィヴィアン・マイヤーはエモーショナルな雰囲気の写真ではなく、丁寧に日常を切り取る事でその写真を見る人に日常の中にもこんな綺麗な瞬間が存在することを伝えたいのではないかと感じます。2人目のソール・ライターは、日常と日常が重なり、庭非日常になる瞬間を切り取りたいのではないかと感じました。対象が一つならなんでもない写真も、他のベクトルのモノと合わさると化学反応のような現象が起き、俗に言うエモーショナルな雰囲気の写真を撮ることを目的としている印象です。その為、彼の写真には狙いを定めてから撮るまでに待つ事が必要であり、狙って取らなければいけない奇跡のタイミングを待つ為、とても時間のかかるモノであると感じています。 
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ヴィヴィアン・マイヤーの写真の数々を見ると、当時の社会を客観的に見ながらシャッターを押していたのではないかと感じました。写真に収められている日常にありがちで心が温かくなるような光景一つ一つが、クスっと笑ってしまうような独特の瞬間を切り取っていて、「細かすぎて伝わらないモノマネ」のような視点の面白さを感じました。こうした視点は世間を客観的に見ながら、かつ優しくとらえていないと手に入らないものなのではないかと思います。 
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ヴィヴィアンマイヤーの写真集を見ましたが、私が感じた写真の特徴はまず、家族写真と思われる人たちの写真です。また、人の後ろ姿などもとても多く感じました。映画の予告動画でヴィヴィアンマイヤーは問題を起こしてばっかだったといっていました。しかし、写真はそのまさに反対のようにも感じました。家族全員笑顔で映っている写真にはヴィヴィアンマイヤーの憧れなどがあったのではないかと私は考えました。また人の後ろ姿にも同じような尊敬の眼差しがあったのではないかと私は考えました。 
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ヴィヴィアン•マイヤーの写真は人を真正面から撮っているものが多く、今のモデルの写真のようにポーズをとっているものが少ない印象を受けました。そのことから彼女は物事のありのままの姿に魅力を感じてシャッターを押しているのではないかと感じました。また、写真の統一性がないことからアートとか難しいことを考えないで自分が撮りたいものや面白いと思うものを楽しんで撮影しているのではないかとも感じました。 
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(★のある動画をみて想像しました。) Vivian Mair's 日常の何気ないヒトコマが撮影されている。女性の後ろ姿が好きなんだろうなと思える写真がいくつかある。また、子供たちの表情が小さい子ほど険しく写真家が物珍しく警戒しているようにみえる。というか普通に許可をとらずに撮影しているんだろなと感じる写真がいくつかある。やはり女性の服のほうが色彩がはっきりしていて白黒写真でもコントラストが綺麗にでることがわかっているのかなと感じました。 
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法学部 法律専攻 法律学の基本応用 U190909 樋口翔也 女性写真家ヴィヴィアンマイヤーは、生前1枚も写真公表しなかったことから日々の日常の写真を撮っている際は、1アーティストとして社会の現実や人々の表情などをありのままに残したいという気持ちがあったのだと思います。また家族がおらず乳母という職について、また子供の写真が多く見受けられたので理想の自分や家族を写真に込めていたのだと思いました。 
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日常に溢れている感情や関係、人間の生き様など、目に見えず、形の無いものを、形にしている。それは色んな形があり、何もかもが尊いものである。それと同時にこの世には多様な生き方があると感じる。この土地の同じ1秒の中に、楽しい、悲しい、嬉しい、失望、興奮、怒り、愛おしい、など数えきれない程の感情が詰め込まれていることを感じる。日常にありふれているもの全てが特別である。日常にあるものは全て芸術になる。 
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ヴィヴィアン•マイヤーの作品を見て感じ取れる特徴として、真っ先に私が思いついたのはストレートという言葉です。ヴィヴィアン•マイヤーの写真の中で被写体が人物であるものがいくつかありましたが、それらは被写体との距離が近く、普通のカメラマンとは一味違うと思います。私も趣味でカメラを嗜んでいますが、知人を撮る際でさえあんなに近くからは撮りません。ヴィヴィアンは撮りたい!と思った人物がいたら心の赴くままにカメラを向けたのだと思います。そのときの彼女は作品を仕上げたいというより、その被写体に向けての興味が強かったのだと思います。また、被写体が人物ではない、つまりモノの場合もその特徴が感じ取れます。カメラマンは興味深いモノに対してカメラを向けるとき、しゃがんだり背景を気にする等、何かしら作品としての部分を意識してしまいます。しかし彼女の作品では人の目線からの写真が多く、まるで歩いていたところ偶然、撮りたいと思うモノを発見しそのままカメラを向けたかのようです。こういった部分を感じ取ることができ、ヴィヴィアン•マイヤーは素直でストレートな写真を撮っていると思いました。彼女が本職がカメラマンではなく乳母だったことも、彼女が作品としてではなくストレートな写真を撮る原因のひとつだったと私は思います。 
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ヴィヴィアンマイヤーの写真は、写真を見る人がそこに立っている気分になれるような写真です。また、日常の中で目についたから撮ってみた。という感じの何気ないものが多いと感じました。 誰が見ても、写真を撮った時のヴィヴィアンマイヤーと同じ視点から、見た時の感情まで重なるように思います。 
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私はヴィヴィアンマイヤーについての動画を見ました。多くの写真が被写体を目の前から撮っていて、私は写真に詳しいわけではありませんが、とても王道な撮り方だと思いました。なのでこの人は奇をてらった撮り方を好まない性格で被写体としっかり向き合って写真を撮っていたのではないかと感じました。他には、街の普段の風景というか何気ない空気を感じる写真も多くあり、初めて会った人にいきなりカメラを向けて撮れる表情のようには感じませんでした。どういう人なのかなという観点が多くなってしまいますが、街の風景を撮っているだけで機材も多いわけではないはずなのに写真にブレがないのも驚きました。なのでやはり、真摯に写真に向き合いシャッターを押し続けていたのではないかと思います。 
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写真はある瞬間の一部でとても奥が深いと思う。動画だったらその場面全てが観れるが、その場面から瞬間を厳選するのは、シャッターを構えているカメラマンであり、カメラマンの心情もその一つの写真から読み取れる。日常で見逃されているものや瞬間を捉えるというのは非常に素晴らしく、美であると考えた。 
88 
ソール・ライター氏からは自分自身に呆れるほど図太くカメラに本気に向き合う姿勢を感じた。自分の評価など興味がないように、与えられた称号などにはどうでもいいような態度すら感じる。新しい“無秩序”を創造する彼は同時に過去の作品を愛するが取り憑かれているわけではない。なぜなら死ぬときはあの世に何も持っていけないからであると彼は語った。私はここから、ソール氏は作品を残す根底に常に死という概念が働いていると感じた。カメラの調子によって写真の出来は想像と違うことがある、しかしそれは自分の想像以上の出来になることもしばしある。つまりこの世すべては写真に適し、この世のすべてが写真の認識でできている。ものの見方、大切さは写真が教えてくれる。 映画には彼が日常のものを撮影する描写があった。私はそこから日常の撮影には彼の感情の露出を感じた。彼がカメラのシャッターを押すたびに言葉には表せない不思議な感情が現れているのではないかと感じた。これはソール氏の感情の記録なのだと感じた。しかしそれは違かった。出来上がった作品は彼の自我そのものである。つまり彼はカメラを覗き込むたび自我を形成している。そして自我を形成している際共通して現れる感情が、喜び、なのである。場面を計算し、組み立てたりする写真家がいるが彼はそうではなく、映画に時折出てくる猫のように、自由にわがままに行動しカメラを覗き込んでいるようであった。 
89 
ソールライターは飾られた、構えられたものではなく、日常でなんとなく目に入ってくるけれど意識はしないものを撮影しているように思う。なのでひとつひとつのなんでもない出来事を立ち止まって注目することで人生をより豊かにしようと考えていたと想像する。 
90 
 ソール・ライターの写真は彼自身が「重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ。」という言葉を残していることからも、写真そのものからも、視点を重要視した写真家だったと感じられます。私たちの視ている物の舞台裏であったり、私たちの知らない姿であったり、現実に存在する私たちに身近な事象を、別の視点から切り取る、空間を意識した写真家だと感じました。  一方でヴィヴィアン・マイヤーは時間を意識した写真家で、時間を切り取った写真を撮っているように感じました。我々に身近な現象を時間の観点から切り取ることで、その一瞬が持つ光景の奇妙さやユーモラスさを改めて考える機会を私たちに提示してくれているように感じます。  このことからも同じ日常の近くの写真であっても、それぞれの写真家によって、空間や時間の目線から写真が撮られていることを感じました。 
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★子供の写真などを撮影するときは、子供の将来やこの一度しかない大事な一瞬を逃してはいけないと考えて撮っているのではないかと考えます。何気ない人の表情や景色を撮っているので、一日一日の感じた気持ちや人生などを写真を見て思い出せるように、この瞬間を忘れたくないと考えてシャッターを押していると私は考えます。忘れてはいけないもあるし、忘れてはいけないというこの日常があるからこそ今があることを伝えたいからのような感じがします。 
92 
日常の中にある何気ない風景で一枚で完結できるものであるか。 一枚で写っている人の背景が何か想像できるものであるか。 写真の中にたくさんの情報が入りすぎて複雑なものではないか。 写っている人の人物像が想像できる。 
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ヴィヴィアンマイヤーさんはアマチュア写真家としてたくさんの写真を撮っていました。その中の数枚をYouTubeのスライドショーでみてヴィヴィアンさんは日常の中の小さなアクセントを写真に収めていると感じました。ヴィヴィアンさんの写真は素人の私が見てもおもしろさがわかりやすく見てて飽きない写真ばかりだと感じました。また、人間を中心にした写真が多く、街の人々の雰囲気がよくわかりやすく表現されていると同時に、リアルな生活も描かれていると感じました。さらには、ホームレスのような人の写真が多く、社会から脱落した人を取り上げていることから、ヴィヴィアンさんは政治や社会にも強い関心を持っているというふうに感じると同時に、そういった人をみすてたくないという思いも垣間見えました。 
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 私が見た作品は講義資料に添付されていたVivian Maierの作品です。(https://www.youtube.com/watch?v=PmMMhP3yi9Q&feature=youtu.be)この作品に対し、私が作者がこう感じているだろうと印象持ったことは、不特定多数の人の人生の1ページと言うことです。それは自分でもあり他人のことでもありますが、以下で説明していきたいと思います。  第一にVivian Maierの作品はバラバラです。風景・ヒト・動物といった様々なものが登場します。それは相手側から捉えれば自分の人生の1枚でありVivian Maierからすれば他人の人生の1シーンであると言うことです。Vivian Maierはそんな他人(風景でも動物でも)の人生を「自分と違った生き方」として写していたのではないでしょうか?  第二にVivian Maierがストリートカメラマンである点に着目すると、自分が生きることができなかった他者の日常に強く固執していたようにも思えます。写真の目的は非日常体験・思い出・代替記憶など様々ありますが、他人の日常を撮影すると言うのは少し不思議です。最初の方で説明したことと少し重なりますが、彼女とは違った生き方・服装・幼少期などに嫉妬し、彼女が生きることができなかった人生をファインダー越しに感じていたのではないでしょうか?  最後にまとめを行います。結論としては最初に述べた通り、不特定多数の誰かの人生の1ページと言った作品だと感じています。撮影の中で彼女は自分と違う環境・存在に想いを抱き写真を撮っていたのではないでしょうか。彼女が亡くなってしまった今ではそれを確認するすべはありませんが、乳母をずっとやっていた彼女はふとしたときに他人の人生を記録しておきたくなったのではないかと感じました。(乳母自体、他人の面倒を見る仕事なので) 
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写真家がシャッターを押すときに考えることは人それぞれだと思いますがもし、自分が写真家ならその一瞬を切り取って思い出にしたいと言う気持ちになると思いました。 
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vivan maierの写真は主婦らしき人物が窓の掃除をしている部分や煙草を吸っている場面、セレブな見た目をしている主婦が後ろを振り向いている瞬間など様々な写真を撮っています。これらからわかるのはvivan maier は様々な身分の人たちの日常を写真で撮っていることがわかります。vivan maier は色々な身分の人々の日常を写真で撮ることで、この写真を見る人に本物の日常を届けたかったのではないかと考えます。例えば公園で集まる子供達を撮っている写真は子供がどのように集まって遊んでいるのかを伝えたかったのではないかと考えます。他にも子供が母親に叱られている場面は今の時代は子供はだめなことをすると、こういう罰が与えられているのか、といったことを伝えたかったのではと考えます。他にも黒人の子供が暗い顔をして歩いている写真等は黒人が迫害を受けていることを伝える写真なのではないかと考えます。ソールライターは雪の町並みと人々が歩く写真がうつし出されています。これから考えられるのは、雪の美しさと人間の町並みの美しさを表現したかったのではないかと考えます。 
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創られた偽りの日常ではなく、ありのままの日常を撮っているのだと感じた。写真家が撮る人間や動物が映っている写真はどうも現実味がなく好みではないが、こういうごく普通の日常を撮っている写真は好きだ。このありのままの姿を撮るのは逆に難しいのかもしれない。カメラを構える際に彼らのごく普通な日常に介入しないようにと努力していると感じる。そうでないと、人間の自然の表情が現れにくいと考える。時には頼み込んで写真を撮らせてもらっているかもしれないが、それにしても、人間や動物1つ1つの表情がとても自然だと感じる。これも写真を撮るうえで高度なテクニックを要するのだろう。彼らはそんな”自然”を撮ろうと、毎シャッターごとに心得ているのだと考えた。私は、写真家は戦争や芸術的な風景、景色を撮りがちだと考えている。人々は非現実的なモノを求めていると感じる。癒しや驚きを求めて見るような人もいるだろう。そんな世の中に、彼らのような写真家は、現実にもこんないい風景があるのだと教えてくれているようにこれらの写真から想像できる。偽りの世界よりも真実の世界のほうが求められる声は多いだろう。 
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私は彼女の写真から2つの特徴を感じた、まず、人を中心にした写真で被写体の人物は、何かを見ていたり、いぶかしんでいたりと何か画面内外のモノへの興味を感じている状態であるように感じた。それ以外は眠っている状態の人が多かった。そして、モノを写した写真は同じようなものがたくさん移っている場面を切り取っていることが多いように感じた。彼女がカメラを構えるとき、彼女は人の劇的な感情ではなく平常心の中に生まれる興味や関心のような小さな機微や眠るというような静かな動きを取ろうとしていると想像した。また、モノの写真を撮るときは大きなモノや並んだモノという物量的なことに興味があったのだと考えられる。 
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まずヴィヴィアン・マイヤーは普段の生活の中でつい目がいってしまうようなものを見たときにシャッターを押しているのではないかと感じました。それらの場面は何をしているのだろう、珍しいな、ふふっと笑いが溢れてしまう時、など人々がつい興味を持ってしまう場面を写真で切り取っているように感じました。それに対してソウル・ライターは、普通に生活していると気づかないが、意識を集中させて見てみると見えてくるものにシャッターを切っているように感じました。人々が普段生活する中で見落としてしまうような、綺麗だったり、つい笑ってしまったりする場面を切り取っているように感じました。 
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私はこの授業の直後にスライドショーを見させていただきました。その時には正直何も思わなかったです。その時に色々考えても途方に暮れるだけだと思い数日後に2回目の映像と映画のプレビューを見てここで生まれたありのままの感情を書いていきたいと思います。まず写真家といってもしっかりとした被写体が存在しているものとそうではないものの2つに分類されると思う。その2つのうち二人の写真家は後者の写真を多く撮っている。ここで私が考えたのは日常的な場面ということである。人間は睡眠時以外何かを思考している生き物である。しかしその中でも一番なにも考えずにいられる場面それこそ日常である。そこをライターは追い求めて写真を撮っていたのではないかと考える。その場面では撮影者も被写体もどちらも日常でいられて何も考えなくていい時間を過ごすことができるのではないかと思う。つまり二人の写真家は日常を追い求めてシャッターを押していると思う。さらにピックアップされた写真家2人とも注目されることを嫌っているように見える。それは自分の中の日常を崩されたくないという意味ではないか。最後にこの問いには答えがないと思うし答えに優劣をつけることも個人的にはよくないことだと思う。なぜならこれは考えや価値観の共有であり価値観の押し付けではないと思うから。 
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ヴィヴィアン・マイヤーは人々の自然な姿、作り込んでいない素の状態の姿や、自然な状態の風景を撮るということを考えているのではないかと思いました。感情を隠さずに表情に出している写真や写真を撮る時には普通は隠したり直したりするものをそのままにして、ありのままの人や風景を撮ることを考えて撮影していると思いました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーの方は人間の表情が主体となっている写真が多かった気がします。正面から人の顔を撮ることでそれぞれの表情から伝わる感情などを感じ取っていたのかなと思いました。スパイとかミステリアスとか言われていましたが、写真には明るい表情のひとや健気に遊ぶ子供が多く見受けられたので、自分の求めるものなのか、幸せだと感じるものを撮ってるような印象を受けました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーとソール・ライダーの生み出す作品を見て自分が感じたのはどちらもフィーリングで感じ取りながらシャッターを押しているのだなと感じた。もちろん全く考えずに撮っているわけではないのだろう。でも撮られた写真の中身を見てみると、街中で起こっている事のある瞬間や日常生活で自然発生しているものを収めているので、意識しないように撮る事を意識しているように感じられた。普通の人たちが写真を撮る時は人物描写や景色など目的を定めながら撮る事が多いが彼ら二人との根本的な違いはそういった所なのだろうなと思った。意味のないような写真に見せかけて意味のある写真、彼らの作品はそんなものなのではないだろうか。これまで自分が写真を撮る時は特に意味を持たせずに写真を撮っていたが彼らのようにシャッターを押す瞬間を手に収めながら撮ってみたいと思った。 
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被写体がポーズを決めて撮っているものから、ポーズなどなくただいいなと思って撮った写真もあったと思います。 ポーズなどない方のものは、自然体な人たちや風景が撮れてるので、自然体だからこそ感じとれるその人たちの人間模様や、人柄が撮れていると思いました。私だったら、このように自然体な人たちや風景を撮りたいなと思います。 
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私は講義内で提示したスライドショウ(★)のものを鑑賞しました。ほとんどの写真のメインとなっているものは風景や自然ではなく、「人」でした。その人はカメラ目線のものから目線をはずしたもの、またたくさん人がいる中で誰もカメラの存在を知らないで撮っているもの様々でした。特にカメラに意識をした目線やわざとカメラ目線から外したものがすごく印象的でした。なぜかというと、その人の目から何か訴えかけているような、その時の社会情勢が厳しいのか、孤独感なのか、そういった寂しさのようなものが伝わってくる写真が多かったです。このYoutubeの写真家が意識していることは、伝わりにくいかもしれませんが、写真に写る人の目の奥の奥の方を見て、その人の気持ちや考えていることまで見ながら撮っているという風に感じ取りました。そのために、私は写真に写る人の目に引き付けられなにか訴えかけられているような感じがしました。 今はインスタなどでどれだけ撮る対象のものを綺麗にとるか、今の言葉でどれだけ映えさせるかというような写真ばかりで、あまり意味など気にもならない程度でしたが、こういった写真家が撮った写真は一枚から様々なことが頭に思い浮かんできて、すごいなと思いました。こういった見る人に考えさせたり伝えるためにも、写真家はその人について、また見る人に伝わってほしいことを人一倍意識して撮っているのではと思いました。 
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書く写真に何か観た人に対して感情を与えるための意図が織り込まれていると思います。単に小さい子どもを撮るのではなく、上からカメラ目線の子どもを撮ることによって力のない子どもの姿をした人に伝えるなど、様々な工夫がされているように思いました。 僕も去年一眼レフを買い、風景写真を主に撮影していますが、正直とりあえずシャッターを切りまくれば一枚ぐらい良い写真が撮れるかなとかいう適当な撮り方をしているので、写真に込める思いとかそこまで考えたことなかったのですが、次からはそのような有名な写真をお手本にしていきたいと思いました。 
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ヴィヴィアンマイヤーは、面白い描写を撮ってるのが多く感じました。面白い描写と言っても人間がふいにする面白い瞬間のように見えました。なので、ヴィヴィアンさんは素直に面白いと直感で思った時に撮ってると私は思いました。 
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私も写真を撮ることが大好きです、写真家はいつも一般の人より、周りの美しいいものを発見する目と生活に対する熱情がある人たちです。Vivian Maierの写真を鑑賞していただいたんです、彼がとった写真は基本は平凡な性がつの中から取材したものです。お年寄り、子供、ビジネスマン、動物など、周りの生活の出ていた一番リアルな写真をとって、この時代の記憶を残りたい気持ちを伝えました。当時の人の笑顔、悩んてる顔、全て単純であることを感じました、この写真家はシャッターを押す瞬間、目の前の人の気持ちを馴染みだと思います、笑うために笑えるではなく、その瞬間、一番真実の姿を取られた、今みっても、その時人たちの気持ちを感じられて、イキイキするようです。 
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ヴィヴィアン・マイヤーが撮った写真を見ると、全体的なものではなく個人を写しているものが多いと印象を受ける。風景やその風景に溶け込む人ではなく、人そのものを写している写真が多い。また、動画の中で「彼女はスパイだった」という言葉がある。このことから考えるに、ヴィヴィアン・マイヤーはシャッターを押すときに考えていると思われることは、日常の中に潜む平和を当たり前のことと受け止めるのではなく、幸せなこととして受け入れているのではないだろうか?それは、まず第一に真相はどうであれ、彼女はスパイだったという言葉を信じれば、彼女が個人の人を写す写真が多いのは、自分の身が置かれた立場からではないだろうか。自分はいつも危険と隣り合わせである。それ故に仕事や靴の写真、赤ん坊と母の写真などありふれた日常を幸せと捉えて彼女はシャッターを切っていたのではないだろうか。または、戦争のない世界を願ってシャッターを切っていたのではないかと考えられる。靴屋の写真、サラリーマンが腰掛けている写真。どれも、戦時中にはきっと起こり得ない写真であろう。このことから、当たり前の日常に幸せを感じ、シャッターを切っていたのではなかろうか。私は彼女がシャッターを切る理由は上記のどちらかからと考えるが、最終的には当たり前の日常に幸せを感じ、シャッター切っていたと考える。 対してソールライターの写真は風景(雨や雪)が必ずと言っていいほどカメラにおさめているという印象を受ける。ではなぜ、そのような写真が多いのか、それは、彼の以前の仕事が関連しているのではないかと考える。モデルなどの写真を撮ることが仕事だった彼は、利益の為に写真を撮ることに嫌になってしまったのではないだろうか。実際、急ぐことはないという彼の言葉があるが、それはビジネスの為の写真に対する彼なりの批判ではないのだろうか?つまり、彼の写真が風景(雨や雪)が必ず入った写真が多いのは、ビジネスから生まれた写真が美しいのではなく、日常の中で自然を感じ、それこそが美しく、またそこにいる人々等が美しいと感じ、シャッター切っていたのではないだろうか。このことからソールライターがシャッターを切るときに感じていたことは、日常の中の自然とそれに溶け込む何かほど美しいものはない、という思いで、写真を撮っていたのではないだろうか、と考える。 
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老人の夫婦の写真やポージングしている写真、タバコを吸っている写真はその年でも元気な姿であったり、確かに存在する愛などを伝えていると思います。子供と親の写真も愛を伝えていると思います。すごい恰好をしていたり、変顔したりしている写真は面白さを共有するため、美しいものはきれいという感情を共有するためだと思います。カメラマンの世界観の共有だと思います。こうした何気ない生活は宝物と訴えかけている気がします。 
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写真家がシャッターを押すときに考えていることを想像してみます。まず、写真家は被写体の人々の日常を撮っていますが、それぞれの人々の心情を想像していると思います。友人と一緒に写る人、小さな子供を抱き抱えている親、電話をしている人、椅子に座ってぼーっとしてる人、カメラを大きな瞳で覗く子供など様々な人がいますが、それぞれの人々の心情を想像しながらシャッターを押していると思います。後半になるとカラーの写真が増えてきますが、カラー写真だと人々の表情がよりよく見えます。また、日常を捉えている写真なので、特殊なシチュエーションではないように撮影をしようとしていると思います。再現が容易なシチュエーションであり、日々の暮らしの中でよくある場面を切り取っていると感じました。 
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ヴィヴィアン・マイヤーは街中を歩いていた時にふと写真を撮るような感じだと思いました。シャッターを押す時には写真に写る人のそれぞれの生活や人生について考えていると思います。戦争など何か特別なことを写真に撮るのではなくて、生活の一部を、撮っているように思います。 ソール・ライターは自分がふと見ていたもの、視界に映ったものを撮っているように思います。シャッターを押す瞬間は何かを考えているというより、瞬きをしている時と同じ感覚でシャッターを押しているんではないかと思います。 2人とも生活の一部を写真に撮っていますが、全く異なる写真を撮っていると思います。 
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私は何も考えずシャッターを押していると思います。理由はそれさえも大人になると難しいことだと思うからです。 
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私の考えではこの日常的な場面でVivian Maierの動画で1人の女の子が出てくるのですがおでこと鼻がガラスに付いていて写真家はこの写真を撮る時、『この子はガラスに鼻が付いていておでこがついていることを知っているのかな?それと鼻とおでこに付いているのがどれだけ可愛いのか知らないでしょその表情が写真になったら写真を見た人は表情をどう読み取ってくれるかな』と思いながらシャッターをきったと想像しました。女の子が何故悲しそうでもなく笑っているわけでもない微妙な顔をしています。写真を撮る本人がいきさつを知っているならその瞬間を思い出としても撮りたいと思って撮ったようにも思えます。もしいきさつを知らないのであればただ写真に残したいと思うほど可愛い瞬間であったのだと思うし不思議な顔をしているなとふと目に止まったんだと思います。 
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その写真を見た人がその写真に映っている人たちや物のバックグラウンド、情景、感情が分かるような撮り方をしている。 
116 
私は、ヴィヴィアン・マイヤーの写真について想像することにしました。まず、私が彼女の写真を見て思ったことは、被写体のほかに入ってくる情報が少なくてストレートに被写体が目に入ってくるという点です。このことから、ヴィヴィアン・マイヤーがカメラを構えてシャッターを押すときに考えていることは「あまり深く考えずに面白いと思ったことや物に対して躊躇なく撮る」ことなのではないかと思いました。彼女の写真はアートや作品という言葉に囚われない何気ない日常のような雰囲気を感じました。しかしその日常に対してストレートに向き合っていることで彼女の写真には彼女にしか出せない魅力があるのではないでしょうか。また、彼女は生きている間自分が撮影した15万枚という大量の写真を公表しなかったといいます。そのことからも彼女は「自分の写真を世に出したい」「大勢の人に見て欲しい」「称賛されたい」といったような欲求ではなく「自分が撮りたいものを素直に撮る」という信念の下大量の写真を撮ったことが推測できると思いました。写真を生前世に出さなかった彼女でしたが、今ではドキュメンタリー映画があるほど有名な写真家になっています。彼女の写真との向き合い方が、彼女が亡くなった後からでも大勢の人に好かれる理由の一つだと感じました。 
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私はヴィヴィアン・マイヤーのスライドショーを鑑賞する中で、彼女が可能な限り、シャッターを切る自身の存在感を消そうと努めていたのではないか?と感じるようになった。というのも、私が普段目にする数多の商業写真とは異なり、マイヤーの撮る写真からは驚くほど「写真家の欲」というものが感じられないからだ。 「作品」として撮影を行う多くの写真家にありがちな「被写体をなるべく美しく撮ろう」とか「この写真で名を上げよう」といった、「否応なく作品から漂ってくる写真家自身の存在感」が、マイヤーの「作品」からは全く窺い知れない。そういった意味においては、マイヤーの写真を「作品」と呼ぶことはできないかもしれないが、だからこそ彼女の写真は、レンズに映った対象が何であれ、徹底的に被写体のみを映し出し、純粋に空間を切り取ることができているように思える。 
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何かを撮りたいという想いでシャッターを切るよりも何か面白いことはないかなと新しい発見を探すような感情でファインダーを覗いてるのかなたら思う 
119 
ヴィヴィアン・マイヤーの★があるYouTubeのスライドショウを鑑賞しました。彼女はありのままの町中の人々の姿を撮ることが好きだったのかなと思いました。もしくは、自分が町中を散歩しているときに、オモシロイと思ったものをすぐさま写真に収めることが彼女の常識だったのかなと思いました。街の建物や風景の写真も多かったけれど、子供から年配の方、裕福層な人からホームレスの人まで、幅広い人々の姿を写真で撮っています。写真に収められた人は、取られていることに気づいていないんじゃないかと思うくらい(本当に気づいていないのかもしれませんが)表情、仕草、体勢が自然体なものが多かったです。中には危険、スリリングな状況・状態を収めたものもありました。殴られたあとのある中年男性が二人の警察官に引きずられるようにして連行されている瞬間を収めたものや、家の庭らしき場所で行為に及ぶ男女だったり。現代だったら、そんな状況で写真を撮っている彼女は不謹慎だ!非常識だ!と大炎上してもおかしくないくらいだと思います。私は、当の本人には悪意はなく、ただ単にオモシロイ・魅力的と感じたから撮っただけなのだと思います。それが彼女の写真を取る態勢であり、彼女が写真を取り続ける動機なのかなと考えました。また、どこか孤独、寂しさを感じさせる彼女の写真は、彼女がそれらの感情を持ちながら日常を送っていたからなのかなと思いました。また、町中の負の面を写した写真も多かったことから、ヴィヴィアン・マイヤーはそういった社会に対して不満を持っており、そのような負の面を他者に伝え、改善するために写真を撮っているのかなと思いましたが、彼女は自分の撮った写真を他者に発信することはなかったことから、この考えは間違っていると気づきました。 
120 
ヴィヴィアンマイヤーさんは、写真と撮る際「不意」を大事にしているように感じました。多くの場合、「ハイチーズ」などといって被写体にポーズをとってもらったり、表情をつくってもらいますが、スライドショーにそのような写真はあまり見られませんでした。許可をもらわず勝手に写真を撮っている可能性が高いです。また、誰かが何かをしている途中の写真が多く、「なぜそのような格好なのか、なぜそのような動作をしているのか、なぜそのような表情なのか」など被写体の背景を後で想像したかったのではないかと考えました。生前人に見せることはなかったというのだから、自分で後で見返して感傷に浸りたかったのだと思います。日常的な風景や様子を写したものが多くある一方で、地面に人が寝そべっていたり、身なりや格好が普通ではない様子を写したものなど疑問に思うような写真がありました。モノクロにこだわっていたのも、色がついたものより情報が少ない方が想像が働きやすいからだと思います。常にカメラを持ち歩いていたヴィヴィアンさんは、「なんだこれ」と疑問に感じたり、面白いと感じたら写真を撮らずにはいられなかったのでしょう。 
121 
私は、ソール・ライターの目線を想像してまようと思いました。ソール・ライターは、あくまで日常的なことを普通の人と同じ目線で、何気なく日常的に遭遇する場面の写真を撮っているように感じました。シャッターをきるとき、普通ならちょっと気取ってみたり、綺麗なものや非日常的なもの、つい取りたくなってしまいがちだけど、ソール・ライターは私たちが生きる日常の世界線で物事をみているのだと感じました。彼は、非日常に目を向けるのではなく、あくまで自分たちが生きる日常に目を向けたのだと思います。私の想像でしかありませんが、彼の言った「重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ。」という言葉を聞いてもよくわかる事だと思います。カメラ越しに見ているそのものに価値を見出すのではなく、自分はそれをどう捉えたかや、その時にどう感じたかを大切にしているのではないかと思います。 例えば、雪道を傘をさして歩いている人の写真は上から撮られている写真は、現地の人からすれば極々普通の日常的なことで何も特別な要素はなく見えるが、どんな環境であっても生きている人間の命の尊さなどを感じたのではないかと思いました。 人間は日常の中で生かされているということが身に染みてわかる気がしました。 
122 
私はヴィヴィアン・マイヤーとソウル・ライターは同じく日常を撮り続けながらも別のことを考えていたように思えます。 ソウル・ライターの写真は全体的に日常にまぎれた美しい一瞬の光景を切り取ろうというような意志が見えたのですが、ヴィヴィアン・マイヤーの場合はそうは思えなかったのです。まず、私が見た内ヴィヴィアンの撮る写真は「日常を過ごしているだけの人々を撮ったもの」と「誰もいない風景withその空間にいて写真を撮っている自分」の二つに大別できます。 まず前者は先に紹介された17分程度の動画と後に紹介された16分程度の動画の前半部分で多く見られました。こちらに映る人々はヴィヴィアンのまなざしに気づいて恥ずかしがったりポーズをとって見せたり、その世界に暮らし生きている人々のありのままを映しているように感じます。 一方で後者の写真は異質です。二本目の動画後半部分から数が多くなるのですが、ヴィヴィアンは写真の中に鏡写しの自分を納めつつもそのまなざしは被写体となる空間のはるか遠くを見つめており虚空を見つめてさえいるようです。このような写真を撮っているとき、彼女は自身を写真の主人公とせず、ただその場にいた脇役の登場人物ヴィヴィアン・マイヤーがいた空間を撮ろうと考えていたのではないかと思います。 
123 
まずヴィヴィアン・マイヤー氏については、人やモノのユニークな表情を感じ取って「写真に残したい」と感じたものをありのままの姿で撮っていると私は想像した。理由としては、氏の写真の多くが人が中心に映っているものが多く、またいずれも表情がどこかユニークであることが多いからである。モノが中心の写真に関しても、モノに顔がついているような、訴えかけてくる雰囲気があるものが多いと感じた。つまり、表情から写真の喜怒哀楽がわかるのである。氏はこの一瞬目に映った印象深い感情の変化を被写体にしていた、と私は想像した。 次にソール・ライター氏については、日常の何気ない一瞬の風景に面白みを感じたものに、構図の工夫を加えて撮っていると想像した。理由としては、普段私たちが見過ごしてしまう足跡や雨粒のような何気ないものに、構図の変化を加えて撮っているものが氏の写真に多くみられるからである。雨粒に濡れた窓越しに人物を移した写真はいい例である。 
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普段の日常の中で他の人達が意識せずに通り過ぎてしまっている様なものに目を向けることで、普段の日常の中に隠れてしまっている美しいものや綺麗な景色を撮ろうと思っているのではないかと思います。 
125 
私は講義でもありましたが、記憶に残る瞬間にシャッターを切るタイミングにはコツや、ノウハウがやはりあるのだと思いました。その中でも一番のポイントだと感じた点は、構えられた瞬間を撮るのではなく、素のままの被写体、シーンを撮ることが芸術につながるのではないかと思いました。世の中で起きてることをリアルに伝えるのが、写真家の一つの役割だとしたら、尚更作られたポーズを撮ることはあまり意味のないものになってしまうかもしれません。私は写真家たちは、一瞬一瞬のリアルを撮り逃さないようにしていると思います。 
126 
先生が提示して下さったスライドショーを見させていただきました。どれも〝日常〟がテーマであるように感じられたました。普段私たちも目にすることがあるような風景を切り取り(国が違うのでなんとも言えない部分はある)、写真家の目というフィルターを通すことで確実に〝作品〟として生まれ変わっていました。中には、普通に見ていれば不格好である人の姿であったり、綺麗とはいえないものもありましたが、切り取り方次第でこんなにも変わるのだと思いました。写真家は〝当たり前〟を〝特別〟に変える天才だと思います。美しいものを撮っているのかと思っていましたが、そうではなく、関心が湧くものを撮っているのだと感じました。写真家は作品を生み出す瞬間なにを考えているのだろう、感じているのだろうと考えてみましたが、考えれば考える程、何も考えていないのではないかという結論に至りました。自分の感性を信じ、シャッターを切っているのではないでしょうか。それこそ努力の才能であると思います。 
127 
ヴィヴィアン・マイヤーのスライドショーを見ました。作品を見ているなかで、ヴィヴィアン・マイヤーさんは人間の完璧ではない姿、生きているということを感じさせる人間臭い部分に惹かれてシャッターを押す人だったのではないかと思いました。 ベンチからはみ出すお尻、ガリガリに痩せた子どもの足、真剣に仕事をしている横顔、居眠りをしている男性。そのほかにも、どちらかといえば少し太い脚の後ろ姿をメインに、同じ写真の端にはきれいな脚の人が映っていたものもありました。 写真のモデルというと、スレンダーな人や綺麗なものというイメージが先行する気がしますが、ヴィヴィアン・マイヤーの作品はそれとは真逆なモデルという印象を受けました。 綺麗なものは、世の中のわずか少しの部分であり、自分が生きていく上で見える世界には完璧でないものがたくさんある。 その完璧ではないものに対して、愛情や大切にしたいと思う気持ちがあるからこそ撮れる写真なのではないかと思いました。 
128 
Vivian Maierの撮る写真は人物が中心に据えられているものが多く人々の生活を映し出しているというのが感じられた。写真の被写体に写真に撮られているという事を意識させすぎないように自然体でいてもらうことをシャッターを押すときに考えていたように私は思える。そうして映し出された写真たちは言わば架空の街そのものであり、そこからは当時の人々の暮らしや考えていることがうかがい知れる。また、こうして撮った写真たちが遠い未来に人々にどのように感じられるか想像しながら写真家たちはシャッターを押しているのではないかとyoutubeを通して彼らの写真を見て私は考えた。 
129 
人生で大切なことは何を捨てるかだ。と、彼は言っていた。彼は生きることを急ぐのを辞めたのだ。つまり、ひとつの事象に対し、深く考えるようにした。考える事は画角にあるものを、ただただ美しく撮ること。そして彼は言っていた。有名人を取るよりも雨に濡れた窓を取るほうがいいと。見るもの全てが写真になる。その心は常に踊っているように思える。見るもの全てが面白く見える。それを超える一瞬をカメラに収めようとファインダーをのぞく彼の心は高揚しているに違いない。 
130 
ヴィヴィアン・マイヤーの作品を見ると生命をかんじました。 人物の日常的な風景や街の風景など、一度は目にしたことある風景を捉えた写真が多いように思えました。 手を繋いで歩く人や働く人の写真、右目の部分が割れた窓ガラス越しに写る少年の写真は世界中には右目が見えない人もいるといっているようなニュアンスの印象を受けました。 マイヤーは生きている今、動いている生命のワンシーンを撮りたいと思いシャッターを押していたのではないかと私は思いました。 
131 
日常の中でふと意識せずとも見つめてしまう何気ない瞬間にシャッターを押し、一枚の写真の中に動きを納めているように感じられる。そして、白黒写真ではカラーのように鮮やかさは表せないが、物や人物の輪郭が引き立って見える。彼ら写真家は一つの対象としてものを捉えるのではなく、周りの風景や生活を連想させるものも捉えることにより、主張の強くない作品を作り上げようとしているのだと思う。ファインダー越しの世界が、一枚の写真として他者に公開されたときに、その人も現地の雰囲気を共感できるようにする絵を感じながらシャッターを押すのだと思う。 

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