2020-05-22

メディア2020前期02サードプレイスへのコメント

コメント

野村一夫2020年5月22日 17:04
9番さん「國學院大学でのZOOMの授業時間は45分以内と聞いていたのでそれに沿った予定を立てていた。授業時間が1時間30分なら先に知らせておいて欲しかった。」
45分を2本とかいう話でしょうか。先生方にはムリして90分やらなくてもいいというお話はありました。そのことですね。私もいつも60分説明して残りで課題をやってもらうスタイルですので、これからはそれでやります。前回が初めてのリアルZoom講義でしたので、なんか時間感覚が麻痺してたきらいがありました。まあ、リアルタイムだから90分拘束が原則なんでしょうね。

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野村一夫2020年5月22日 17:06
8番さんの体験「矛盾したメッセージの事例の時に、中学校、高校の部活を思い出しました。顧問の先生に叱られて、「もうお前ら帰れ!」と言われて、その言葉通り「はい」と言って帰ってはいけませんでした。言われた通りに行動したのにそれは正解ではないときもあり、発言者(顧問の先生)の意図をくみ取ることはめんどくさかったです。」
反語的表現というんですよね。こういう表現はなるべく使わないようにした方がいいです。相手にジレンマという呪いをかけるレトリックですから。

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野村一夫2020年5月22日 17:07
48番さんのお悩み?「課題提出がメールの先生がいるんですが、課題がきちんと提出されたのかこちら側で確認することが出来ないので不安です。Formだと確認メールが来るんで安心できますね。」
メールを出すときにCcかBccで自分のアドレスを入れておけばいいんですよ。自分に届いていれば先生にも届いています。

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野村一夫2020年5月22日 17:14
50番さんのお悩み「このフォームを書くまでの間に自室のプリンターとスマホが壊れました。機械はなぜ壊れるときには同時に壊れてしまうものなのでしょうか。」私も知りたい。パソコンだと瞬電でみんなおかしくなることがありますね。あと大人の場合、いつまでたっても初心者の人がいて、そういう人のスマホやパソコンはトラブルが多いです。自分でちゃんと管理してないから。トラブったら他人に頼んでなんとかしてもらって何も学ばないからなんです。

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野村一夫2020年5月22日 17:24
55番さん。全部引用します。私はこういう人は好きですよ。
「文中にある()は想いです。 オンライン授業になり、リアルタイムとそうではない授業、両者を組み合わせた授業が出てきた。オンラインになったからこそ、アーカイブに残したりすることで、時間の制約がなくなった。これは利点である。受講の指定時間の制約を取っ払った講義は、受けたい時に受けられるので良い。好きなようにできる。学生がわざわざ講義に時間の制約を設けさせることまたその「雰囲気」に私は反対である。確かに、全ての授業が一様になれば、受講者は講義の受け方として理解はしやすい。しかし多様性がない。私は、授業の方法は自由に行われるべきだと考えている。教壇に立つ人が伝えたいことはクラスに集まって講義をすることが必ずしも最適とは限らない。オンラインでも同じである。例えばリアルタイムのzoomミーティングが伝える人にとってそれが最適とは限らない。リアルで集まり講義を行うという方法は現在は使うことが出来ない。今までは多くの場合は講義場に集まり講義を受ける方法が画一されていたので、講義がそれに最適化されていった。ゆえに、過去と現在を比較すると差が生じてしまう。仕方のないことで済ましてはいけないだろうが仕方がない。何十年と同じ方式だったと思われるので、今までかけてきた時間が違う。ゆえに、安易に時間や講義の仕方に制約を持たせるべきではないと考える。(講義をする側が自由にやり、それについていくのが私は良いと考えている。受講者側は教えられるのではなく勝手に学ぶ形が私は良いとおもう。サードプレイスなどを見て受け身の方が多いなと思った。同じ学生だからこそ、安全が担保されたこの場であるからこそ勇気を出してこのような文を書いてみた。文全体では反対文なので意見文になってしまいましたが、攻撃する気もありません。このような場なのでこんな考えはどうかな…っていうくらいです。) 私たちは現在これまで導入されなかったリモート授業という方法を得た。このような状況にならなければ、現在の授業方式は実現しなかったのではないだろうか。私たちは今、受講者でみれば新たに学ぶ方法知る機会を得たのであり、伝える側は新たな伝える方法を得る機会なったのではないか。これは全体にとっても良いことだと思う。そして新たな試みということで、共に作り上げようとしている。それに講義をする側から参画する機会(コメントする機会)を与えられた私たちは良い機会を得ている。貴重な経験である。今までこのような事態になるなど思いもしなかった。多様なオンライン講義を受けて、言ってしまえば、なぜ今まで研究機関が講義を画一的な方法を取り続けてきたのかさえ不思議に思えた。講義の仕方に一定の方針はあるのだろうか、私は正確に知らないので妄想かも知れないが、このような事態なので多くの制約はあるかも知れないが、事態対応の初期段階なので過去に比べて講義の作られ方が自由になったのではないかと、講義のホスト側ではないが思う。 コロナが収まり、リアルの場での講義が許された時に、オンラインでの講義に制約がかからないことを切に願う。この機会を通して、ある講義にとってオンライン講義が適切ならば今後も認められるべきだと思う。新たな方法を得たのにわざわざ失うべきではない。検討外れではあるかと思うが、大学が多数の不満のはけぐちのような場になっているのを見て、そのようなはけぐちが影響された結果、新たな方法を失いそうな気がしてならない。(各個人としては違うかも知れないが、ある講義が少し遅れただけで炎上し、強い言葉をつかったり人に対して使う文ではなかったりする。少なくとも敬語を使うべきである。どうかと思う。先生も人である。個人からたち離れる見方になってしまうが、学生全体で見たとき、学生はよく遅れるし、そんな時でも先生方の言葉使いは汚くない。たまにキツかったりはする。しかし不要な意味ではないと思う。多くの人や自身がこのような時に言葉が不用意にキツかったり、汚かったりすると、同じ状況になった時に、同じことをされるという心理状態になる。それが社会で蔓延すると誰も表に立ちたくなくなるし、これはこれで社会の発展にとって良くないとおもう。それをなくすのも各個人の行動の積み重なりだし、だから、使う言葉に気を使ったほうが良いのではないかと思う。ここではないがクラスフォーラムとかの荒れ方は良くない。何かに不都合が生じたからといって、モラルをなくしてよい理由にはならないと思う。) このような状況だからこそ、私たちには講義の内容以外に学ぶことができる。例えば、新たな講義の方法を求められた今、講義の作られ方を目の当たりにできることである。先生達は私たちよりも情報に接し、情報に対してどのように接すれば良いか、私などの想像の及ぶ範疇には到底ないほど知っている。学生思いな先生方がとても多いと思う。一生懸命学生に向けて頑張っていると私は思う。私は先生の思いを授業を通して見ることが出来る。特にこの講義では、講義の作られ方に置いても学ぶ点が多い。他の講義と比較して独自のプラットフォームを築いている。Twitterで炎上が社会問題になり、炎上とマスメディアが結びすくほどの社会であるほどの中で、それくらい一般にメディアリテラシーが低い中でプラットフォームを築いている。どのようにプラットフォームを築いているのかを見るだけでも多くを学べるのではないか。現在、私たちは様々なものが新たに作り上げられていく姿を目の当たりにしている。「現場」を見ている感じがして私は良かったなとおもう。 また、片方の思いは受けてが組み取ろうとしなければ見えない部分があると思う。相手が差し出してくれているのだから理解する努力が無くてはならないと思う。だからこそ、相手を断絶する攻撃的な言い方は良くないと思う。学生がよろしくない言葉の使い方をしていても先生方は丁寧に返答していた。汲み取ろうとしていた。私にとって学びがあった。 学び方を再び考える良い機会と私はおもっている。」
ほんとね。日本は三密に頼ってやってきたからなあ。あうん気合いとかと空気を読むとか、みんな三密じゃん。言葉と言葉で議論しないで物事を決めちゃう傾向が強いから、努力しているわりにはいまいちな結果になるように思います。
あと、本学の学生は受け身が強いよね。これ、かつては美徳だったけど、今は淘汰される側になりやすい特性だと思う。受け身、様子見、後出しジャンケン。こういうのを社会学では「心の習慣」というのだけれど、こういう「心の習慣」だと平時では何とかなっても緊急事態では生き残れないのではないかな。

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